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第参章 武田軍侵攻、策略の章
第四十三節 最も都合の良い敵は誰か
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1573年2月。
野田城[現在の愛知県新城市]が、ついに落ちた。
「藪の中にある小さな城」
こう言われ、数百人の兵士しか収容できない程度のごくごく小さな城が……
武田軍3万人の攻撃を1ヶ月以上もの長い間に亘って防いでいたらしい。
その割に、籠城した武将の名前が全く轟かなかったのはなぜだろう?
戦国最強と謳われ、しかも圧倒的な兵数を誇る武田軍の攻撃を『本当』に防いでいたなら眉唾ものだが、そんなことは不可能に決まっている。
実際に野田城の跡地を見た人がこんな疑問を抱くからだ。
「こんな場所で、武田軍3万人の猛攻を防げるとは到底思えない。
ひょっとして……
武田軍は意図的に攻撃の手を抜いていたのでは?」
と。
どうして武田軍は意図的に攻撃の手を抜いていたのだろうか?
答えは至って簡単だ。
『何か』を待っていたから、である。
◇
「石山本願寺は……
『教団』は、まだ立ち上がらないのか!」
堪えきれずに叫び声を上げた武田信玄が、同時に大量の血を吐く。
もう何度目だろうか。
「父上。
何卒、お気を鎮められませ。
お身体に障ります」
四郎勝頼である。
「分かってはいる、が。
この戦の帰趨が掛かっているのだぞ?
わしは、『あの状況』をもう一度作り出したいのじゃ!」
「お気持ちは分かります。
それよりも、何卒……
お身体を大切になされませ」
「息子よ。
わしは何としても教団を立ち上がらせ、もう一度、織田信長の軍勢を釘付けに……
そして、今度こそ徳川家康を討つ!」
「父上。
はっきりと申し上げますが……
教団と手を組んでも『無駄』です」
「無駄!?」
「教団は、朝倉・浅井連合よりもずっと当てにならないからです」
「当てにならないだと?」
「教団は一度、織田信長打倒を叫んで立ち上がりましたが……
その後すぐに『勅命[天皇からの命令のこと]』によって和睦し、今に至っています。
お忘れでしょうか?」
「だから何じゃ!
朝倉・浅井連合軍に手を焼いていた信長が、窮地を脱するために帝を利用しただけはないか!」
「仰る通りであったとしても……
勅命は、勅命です。
ここで動けば、信長に『朝敵』を討つ大義名分を与えることになります」
「息子よ。
そもそも信長は、教団と和平を結ぶつもりなど毛頭ないのじゃ。
教団よりも『先』に討滅したい朝倉・浅井連合に戦力を集中するための時間を稼いだに過ぎん」
「父上。
このことをよくご存知でしょう?
『絶対的な権力者[独裁者のこと]にとって最も大事なことは、人々を一つにすること』
だと」
「……」
「そして。
『人々を一つにするには、敵が絶対に必要である』
と」
◇
「人々を一致団結させるために、自分以外の『的』へ人々の憎悪を集めること」
これは独裁者に限らず影響力を持つ者すべてが……
人々の思考を停止させ、自分の影響力を高めるために使う常套手段である。
人々の憎悪を集める的。
つまり、『敵』がいないとどうなるか?
下手に影響力を持っているせいで、人々の憎悪がいつ『自分』へと向くか分からない。
人々を一致団結させるどころか自分の身すら危ない。
だからこそ。
人々の目を常に『外側』へと向けるための、敵が絶対に必要なのだ。
勿論のことだが……
その敵が、本当の敵だとは限らない。
◇
勝頼の話は更に核心を突く。
「加えて。
より強固に人々を一つにするには……
『強敵』であればあるほど良いはず」
「強敵!?」
「はい。
これに最も当てはまるのが……
信者の人数が桁外れに多い、あの本願寺教団です」
「一つ問うが。
本願寺教団が、桁外れの人数を集めることができたのはなぜじゃ?」
「2つしかありません。
1つ目は、圧倒的な銭[お金]を持っていること。
2つ目は、圧倒的な民からの人気があること。
要するに。
銭に物を言わせ、教えを楽に、簡単にすることで民からの絶大な人気を得ることに成功したのでしょう」
「思えば……
釜無川の治水工事に着手したときもそうであった。
民は現実から目を逸らし、こんな的外れなことを申していた。
『自然という神を崇めよ』
とな。
民は己の頭で筋道を立てて考えることすら怠り、己の利益のために、都合の良い、存在もしない神を生み出して崇め奉るだけでなく、馬鹿馬鹿しいにも程がある風習[しきたりのこと]を守り、まるで誰かの奴隷になったかのように無意味な時間と無駄な銭[お金]を捧げていた」
「己の頭で筋道を立てて考えたり、徹底的に調べるなど面倒ですからな。
勝手な妄想を膨らませて神々の物語を創作し、占い、祭り、記念日などの風習を生み出す方がずっと楽で、簡単なのでしょう。
念仏さえ唱えれば誰でも極楽へ行けるという教団の教えに人気が集まるのも『当然』のことです」
「息子よ。
桁外れの人数を集められた理由が、圧倒的な銭[お金]を持っていることと、圧倒的な民からの人気があることだと申していたが?」
「はい」
「銭[お金]に群がる者は、強欲な愚か者だけ。
加えて、民の人気ほど移ろいやすいものはない。
つまり。
教団は人数だけは桁外れに多く、一見すると強敵に見えるが……
実際は『雑魚』だと申したいのか?」
「その通りです。
強欲な愚か者たちは往々にして素人で、何の覚悟もなく、いつも行き当たりばったりであり……
人気で集まった者たちは、いざ問題が起これば醜い身内争いを起こして内側から崩れるという意味で結束力のない烏合の衆。
どれだけ数を誇ろうと所詮は雑魚。
こちらが一つになっていれば確実に勝利できる相手でしょう」
「……」
「己に付き従う国衆[独立した領主のこと]や家臣たちを、より強固に一つにしたい織田信長にとって……
教団は『最も都合の良い敵』なのかもしれません」
「……」
「徳川家康も、このことをよく分かっていたように思います。
桶狭間の戦いで海道一の弓取りとも呼ばれた今川義元が討死したとき……
家康は我が身の『拠所[自分が頼る相手]』を失ったことに気付いたはず」
「義元の後継者である氏真は凡人に過ぎず、一方の信長は京の都へ上洛して幕府の秩序を回復させることしか頭になかったからのう。
『この三河国は、己の手で守るしかない』
家康はこう考えたに違いない」
「こうして自立せざるを得ない状況に追い込まれた家康でしたが……
国衆のほとんどは、家康に従うことを拒んだとか」
「実力があるかどうかも分からん奴に従う者などいないからな。
家康は力ずくで従わせようとしたが、国衆たちの頑強な抵抗のせいで国の統一は遅々として進まなかったと聞く」
「はい。
そこで目を付けたのが……
本證寺[現在の愛知県安城市野寺町]、上宮寺[現在の愛知県岡崎市上佐々木町]、勝鬘寺[現在の岡崎市針崎町]などの本願寺教団です。
家康の父である広忠が教団に与えた『守護不入[税金の徴収などを免除されること]』の特権を一方的に剥奪し、教団から税を徴収すると宣言して兵を派遣し、力ずくで銭[お金]や米などを奪い取ることまでしました。
税の徴収に抵抗した者たちには、殴る、蹴るの暴行三昧であったとか」
「息子よ。
家康は、教団に対してあからさまな挑発に打って出たと申すのか!?」
「確実に勝利できる相手だからこそ『安心』して挑発したのです。
父上。
戦の素人に加え、結束力のない烏合の衆を恐れる理由など一つもありません」
「……」
「そして。
怒り狂った3つの寺は、同時に兵を挙げました。
『合計』で家康をはるかに上回る軍勢で立ち上がりました」
「その戦の結果は……
家康の勝利に終わったと聞く」
「3つの寺が『連携』に欠いていたからです。
合計で家康の軍勢をはるかに上回る兵数を誇っていても……
3つに分散しているようでは、各個撃破の餌食となって終わりでしょう。
こうして一向一揆を鎮圧した家康の武名は国中に轟きました」
「教団は、絶対的な権力者[独裁者のこと]を目指す家康にまんまと『利用』されたと?」
「はい」
「息子よ。
織田信長が、朝倉・浅井連合、室町幕府、そして京の都の武器商人という己の敵を討滅するために、皆をより強固に一つにする必要を強く感じているとすれば……
いずれ必ず、教団に対してあからさまな『挑発』に打って出るのではないか?」
「仰る通りです。
父上」
「我が軍勢が甲斐国へ帰ってからでは、全ては『手遅れ』ぞ?
信長に各個撃破されてしまう。
教団は、今こそ立ち上がるべき時なのじゃ!」
【次節予告 第四十四節 終わらせることの方が難しいもの】
四郎勝頼はこう言います。
「武田家と織田家のどちらかが滅びるまで戦うことなど、絶対にしてはなりません。
それがしは織田家と『和平』を結び、この戦を終わらせる方法を模索し続けましょう」
と。
野田城[現在の愛知県新城市]が、ついに落ちた。
「藪の中にある小さな城」
こう言われ、数百人の兵士しか収容できない程度のごくごく小さな城が……
武田軍3万人の攻撃を1ヶ月以上もの長い間に亘って防いでいたらしい。
その割に、籠城した武将の名前が全く轟かなかったのはなぜだろう?
戦国最強と謳われ、しかも圧倒的な兵数を誇る武田軍の攻撃を『本当』に防いでいたなら眉唾ものだが、そんなことは不可能に決まっている。
実際に野田城の跡地を見た人がこんな疑問を抱くからだ。
「こんな場所で、武田軍3万人の猛攻を防げるとは到底思えない。
ひょっとして……
武田軍は意図的に攻撃の手を抜いていたのでは?」
と。
どうして武田軍は意図的に攻撃の手を抜いていたのだろうか?
答えは至って簡単だ。
『何か』を待っていたから、である。
◇
「石山本願寺は……
『教団』は、まだ立ち上がらないのか!」
堪えきれずに叫び声を上げた武田信玄が、同時に大量の血を吐く。
もう何度目だろうか。
「父上。
何卒、お気を鎮められませ。
お身体に障ります」
四郎勝頼である。
「分かってはいる、が。
この戦の帰趨が掛かっているのだぞ?
わしは、『あの状況』をもう一度作り出したいのじゃ!」
「お気持ちは分かります。
それよりも、何卒……
お身体を大切になされませ」
「息子よ。
わしは何としても教団を立ち上がらせ、もう一度、織田信長の軍勢を釘付けに……
そして、今度こそ徳川家康を討つ!」
「父上。
はっきりと申し上げますが……
教団と手を組んでも『無駄』です」
「無駄!?」
「教団は、朝倉・浅井連合よりもずっと当てにならないからです」
「当てにならないだと?」
「教団は一度、織田信長打倒を叫んで立ち上がりましたが……
その後すぐに『勅命[天皇からの命令のこと]』によって和睦し、今に至っています。
お忘れでしょうか?」
「だから何じゃ!
朝倉・浅井連合軍に手を焼いていた信長が、窮地を脱するために帝を利用しただけはないか!」
「仰る通りであったとしても……
勅命は、勅命です。
ここで動けば、信長に『朝敵』を討つ大義名分を与えることになります」
「息子よ。
そもそも信長は、教団と和平を結ぶつもりなど毛頭ないのじゃ。
教団よりも『先』に討滅したい朝倉・浅井連合に戦力を集中するための時間を稼いだに過ぎん」
「父上。
このことをよくご存知でしょう?
『絶対的な権力者[独裁者のこと]にとって最も大事なことは、人々を一つにすること』
だと」
「……」
「そして。
『人々を一つにするには、敵が絶対に必要である』
と」
◇
「人々を一致団結させるために、自分以外の『的』へ人々の憎悪を集めること」
これは独裁者に限らず影響力を持つ者すべてが……
人々の思考を停止させ、自分の影響力を高めるために使う常套手段である。
人々の憎悪を集める的。
つまり、『敵』がいないとどうなるか?
下手に影響力を持っているせいで、人々の憎悪がいつ『自分』へと向くか分からない。
人々を一致団結させるどころか自分の身すら危ない。
だからこそ。
人々の目を常に『外側』へと向けるための、敵が絶対に必要なのだ。
勿論のことだが……
その敵が、本当の敵だとは限らない。
◇
勝頼の話は更に核心を突く。
「加えて。
より強固に人々を一つにするには……
『強敵』であればあるほど良いはず」
「強敵!?」
「はい。
これに最も当てはまるのが……
信者の人数が桁外れに多い、あの本願寺教団です」
「一つ問うが。
本願寺教団が、桁外れの人数を集めることができたのはなぜじゃ?」
「2つしかありません。
1つ目は、圧倒的な銭[お金]を持っていること。
2つ目は、圧倒的な民からの人気があること。
要するに。
銭に物を言わせ、教えを楽に、簡単にすることで民からの絶大な人気を得ることに成功したのでしょう」
「思えば……
釜無川の治水工事に着手したときもそうであった。
民は現実から目を逸らし、こんな的外れなことを申していた。
『自然という神を崇めよ』
とな。
民は己の頭で筋道を立てて考えることすら怠り、己の利益のために、都合の良い、存在もしない神を生み出して崇め奉るだけでなく、馬鹿馬鹿しいにも程がある風習[しきたりのこと]を守り、まるで誰かの奴隷になったかのように無意味な時間と無駄な銭[お金]を捧げていた」
「己の頭で筋道を立てて考えたり、徹底的に調べるなど面倒ですからな。
勝手な妄想を膨らませて神々の物語を創作し、占い、祭り、記念日などの風習を生み出す方がずっと楽で、簡単なのでしょう。
念仏さえ唱えれば誰でも極楽へ行けるという教団の教えに人気が集まるのも『当然』のことです」
「息子よ。
桁外れの人数を集められた理由が、圧倒的な銭[お金]を持っていることと、圧倒的な民からの人気があることだと申していたが?」
「はい」
「銭[お金]に群がる者は、強欲な愚か者だけ。
加えて、民の人気ほど移ろいやすいものはない。
つまり。
教団は人数だけは桁外れに多く、一見すると強敵に見えるが……
実際は『雑魚』だと申したいのか?」
「その通りです。
強欲な愚か者たちは往々にして素人で、何の覚悟もなく、いつも行き当たりばったりであり……
人気で集まった者たちは、いざ問題が起これば醜い身内争いを起こして内側から崩れるという意味で結束力のない烏合の衆。
どれだけ数を誇ろうと所詮は雑魚。
こちらが一つになっていれば確実に勝利できる相手でしょう」
「……」
「己に付き従う国衆[独立した領主のこと]や家臣たちを、より強固に一つにしたい織田信長にとって……
教団は『最も都合の良い敵』なのかもしれません」
「……」
「徳川家康も、このことをよく分かっていたように思います。
桶狭間の戦いで海道一の弓取りとも呼ばれた今川義元が討死したとき……
家康は我が身の『拠所[自分が頼る相手]』を失ったことに気付いたはず」
「義元の後継者である氏真は凡人に過ぎず、一方の信長は京の都へ上洛して幕府の秩序を回復させることしか頭になかったからのう。
『この三河国は、己の手で守るしかない』
家康はこう考えたに違いない」
「こうして自立せざるを得ない状況に追い込まれた家康でしたが……
国衆のほとんどは、家康に従うことを拒んだとか」
「実力があるかどうかも分からん奴に従う者などいないからな。
家康は力ずくで従わせようとしたが、国衆たちの頑強な抵抗のせいで国の統一は遅々として進まなかったと聞く」
「はい。
そこで目を付けたのが……
本證寺[現在の愛知県安城市野寺町]、上宮寺[現在の愛知県岡崎市上佐々木町]、勝鬘寺[現在の岡崎市針崎町]などの本願寺教団です。
家康の父である広忠が教団に与えた『守護不入[税金の徴収などを免除されること]』の特権を一方的に剥奪し、教団から税を徴収すると宣言して兵を派遣し、力ずくで銭[お金]や米などを奪い取ることまでしました。
税の徴収に抵抗した者たちには、殴る、蹴るの暴行三昧であったとか」
「息子よ。
家康は、教団に対してあからさまな挑発に打って出たと申すのか!?」
「確実に勝利できる相手だからこそ『安心』して挑発したのです。
父上。
戦の素人に加え、結束力のない烏合の衆を恐れる理由など一つもありません」
「……」
「そして。
怒り狂った3つの寺は、同時に兵を挙げました。
『合計』で家康をはるかに上回る軍勢で立ち上がりました」
「その戦の結果は……
家康の勝利に終わったと聞く」
「3つの寺が『連携』に欠いていたからです。
合計で家康の軍勢をはるかに上回る兵数を誇っていても……
3つに分散しているようでは、各個撃破の餌食となって終わりでしょう。
こうして一向一揆を鎮圧した家康の武名は国中に轟きました」
「教団は、絶対的な権力者[独裁者のこと]を目指す家康にまんまと『利用』されたと?」
「はい」
「息子よ。
織田信長が、朝倉・浅井連合、室町幕府、そして京の都の武器商人という己の敵を討滅するために、皆をより強固に一つにする必要を強く感じているとすれば……
いずれ必ず、教団に対してあからさまな『挑発』に打って出るのではないか?」
「仰る通りです。
父上」
「我が軍勢が甲斐国へ帰ってからでは、全ては『手遅れ』ぞ?
信長に各個撃破されてしまう。
教団は、今こそ立ち上がるべき時なのじゃ!」
【次節予告 第四十四節 終わらせることの方が難しいもの】
四郎勝頼はこう言います。
「武田家と織田家のどちらかが滅びるまで戦うことなど、絶対にしてはなりません。
それがしは織田家と『和平』を結び、この戦を終わらせる方法を模索し続けましょう」
と。
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