大罪人の娘・前編

いずもカリーシ

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第肆章 武器商人の都、京都炎上の章

第六十節 真の敵とは、誰か

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「銭[お金]を儲けることしか頭にない屑《クズ》どもがいる、京の都。
おのれのためなら尽くしてくれた信長さえも平然と裏切る、腐り果てた幕府。
加えて己の利益のために存在もしない神をかたって民をあやつり、まつりごとにまで口を出す、本願寺ほんがんじ教団。
わしは……
奴らと手を組むなど虫酸むしずが走るのだ!」

かたくなに拒絶する武田勝頼に対して、高坂昌信こうさかまさのぶはこう返す。
「全ては勝利のためです。
ときには虫酸むしずが走るほど不快な相手と手を組む必要もあるはず」

「そんなことは、よく分かっている。
ただし!
『目の前』の勝利よりも大事なことはあると思うぞ」

「それは何です?」
「『まことの敵』とは、誰かを間違わないことだ」

?」
「うむ。
むしろ、戦いの黒幕というまことの敵を『利する』だけではないか!」

「京の都に、幕府に、本願寺教団こそがまことの敵だとおっしゃるので?」
「当然だ!
『言葉巧みに相手の欲や不安をあおり立て、加えて争いの種をいて愚か者たちをあやつっていくさへと発展させる人たち。
民をそそのかして危険な戦場いくさばへと送り込む一方で、自らは安全な場所でせっせと兵糧や武器弾薬を売りさばいて銭[お金]儲けをしている人たち。
これこそがまことの敵です!』
今は亡き我が妻が申した、この真理しんりを忘れたのか?」

「よく覚えております。
ただし、勝頼様。
織田信長のことを全面的にお信じではありますまい?」

「信長のこと、とは?」
「武田がたと織田・徳川方との国境に接している国衆くにしゅう[独立した領主のこと]を橋渡し役にして伝えて来た、和平の意志のことです」

「……」
「我らをあざむくための『偽りの和平』では?」

勝頼の側にいる武藤喜兵衛むとうきへえ[後の真田昌幸さなだまさゆき]も、昌信に続く。
「恐れながら……
それがしも、昌信様のおおせの通りだと思います。
信長は京の都に、幕府に、朝倉あさくら浅井あざい連合などのおのれの敵を滅ぼす『時間』を稼ぎたいだけでしょう」

「昌信。
そして喜兵衛よ。
わしも、偽りの和平である可能性は十分にあると思っている。
そうだとしても!
やはり……
まことの敵を利することだけはしたくないのだ」

「無礼な物言いをお許しください。
勝頼様。
?」

「わしは、座して死を待つことなどしない。
偽りの和平であった場合の『策』なら既に練ってある」

「策!?」
「だから……
今回は一旦、善光寺平ぜんこうじだいらへと引き返してくれないか」

「……」
「我が策を、2人だけには話しておこう。
昌信よ。
おぬしがしてくれたことは決して無駄ではない。


「何と!?」

 ◇

「奴ら、餌に食い付いたか」

1573年3月30日。
幕府軍が京都所司代きょうとしょしだいを攻撃するのを見た信長はこうつぶやく。

その3日後。
信長は京の都の洛外らくがい[京都の郊外]である嵯峨さが周辺[現在の京都市右京区]を焼き討ちにした。

「嵯峨だけ『限定』して焼き討ちにするとは……


こう嘲笑あざわらっていた傲慢ごうまん上京かみぎょうの人々であったが、その裏では着々と上京の包囲が進んでいたことに気付かなかったようだ。
そして運命の4月3日夜を迎える。

鼠一匹逃げ出せないほどに上京を厳重に包囲した5万人の軍勢に対して、信長は一つの命令を下す。
「権力や富を持つ資格のない上京のクズどもこそ!
実力ある者から、実力を磨く努力を怠らない者から、権力や富をつかみ取る機会を奪い取っている盗人ぬすっとではないか!
明日に掛けて『略奪』を許すゆえ、奴らから遠慮なく奪い取れ!」

宣教師のルイス・フロイスは、上京を襲った未曾有みぞう惨劇さんげきについてこう語っている。
「恐るべき戦慄せんりつ的な情景が展開された。
上京のすべての神社、寺、家屋もろとも焼失し、それらを焼き尽くす轟々ごうごうたる炎は最後の審判の日さながらであった。
加えて織田軍の兵士たちによる凄まじい略奪が始まった。
所持品や衣服を奪われたのみならず、虐待と拷問によって隠した財産の場所を白状させられた者たちもいた。
こんな光景を見るのは、あまりにも嘆かわしい……」
と。

 ◇

少しの間だけ……
ときを、2年後へと進める。

1575年2月。
信長お気に入りの側近・万見仙千代まんみせんちよは信長の元を離れ、任地へと赴いていた。
摂津国せっつのくに有岡城ありおかじょう[現在の兵庫県伊丹市]の城主である荒木村重《あらきむらしげ》と、その嫡男の村次むらつぐに嫁いだ凛の任務を補佐するためである。
その任務とは勿論もちろん、『国を一つに』することだ。

任地へと赴く前、仙千代は信長からこう言われていた。
「村重だけでは心許こころもとない。

と。

仙千代は当初……
信長が夫の村次を差し置いて、その妻の働きを重要視することが不思議でならなかった。
それを機敏に察した信長は説明を補足する。

女子おなごだからと甘く見ない方がいいぞ。
あの光秀が、たぐいまれな智謀の持ち主だと認めた侍女じじょが付いているからのう。
確か阿国という名前だったはず」

「その侍女が、すべてを仕切っていると?」
「『表向き』はな」

「表向き?」
「巧みにおのれの能力を隠して、周囲をあざむいているのだろう。
なかなかに賢い」

「警戒されないため、でしょうか?」
「うむ。
凛には計り知れない才能があるに違いない」

「なぜ、そう思われるのです?」
「凛はな……
わしの愛娘と同じ『目』をしていたのじゃ」

「あの御方と同じ目を?」
「会えば分かる」

実際のところ。
凛と会った仙千代は圧倒されていた。
鋭い目に釘付けとなったのもあるが、単刀直入に切り出して来た話に驚いたのもある。

「2年前に起こった京の都の焼き討ち。
仙千代殿は……
その一部始終をご覧になっているのではありませんか?」

「……」
「教えて頂きたいのです」

「京の都の焼き討ちに限って……
なぜです?」

「倒すべき敵の順番を『間違えて』いるから」
「えっ!?
順番?」

「はい。
数百年にわたって日ノ本ひのもとを裏から支配してきた銭[お金]の力を甘く見てはいけません。
上京かみぎょうを焼き討ちにした『程度』で根絶ねだやしにできる相手ではないでしょう?」

「そ、それは……」
「しかも。
兵法において、複数の敵と同時に戦うのは愚かなことだとされています。
まだ大名や国衆くにしゅうをすべて従えていないのに……
商人を敵に回して大丈夫なのですか?」

「……」


「さすがにございます。
それがしの知っていることを、すべてお話ししましょう……」

 ◇

仙千代の話を聞き終えた凛は、横に控えている阿国の方を向く。

「阿国。
信長様の愛娘が亡くなったことが、すべての『原因』なのでしょうか?」

「信長様は……
愛娘の死をくわだてた者と、それを止められなかった者すべてを……
この世から一掃いっそうしたいのだと思います」

「『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい』
この使命をまっとうすることよりも、おのれの復讐を優先するなんて!」

「……」
「しかも。
愛娘の夫であった勝頼殿に対して偽りの和平を仕掛け、まことの敵まで間違えるなんて!
何と『愚か』なことを」

あるじのことを愚かだと言い切る凛に、仙千代せんちよは驚きのあまり目を見開いたが……
不思議なことにさわやかさすら感じていた。
信長も、この仙千代も、裏表なく率直に言う人間が好きなのかもしれない。

「申されたいことは分かりますが、外では口に出されない方が良いと存じます。
凛殿」

「あなたは、わたくしの言葉を悪用するような御方には見えないので口に出したのです。
仙千代殿」

「確かに。
信長様が申された通り……
凛殿は、あの御方に似ているかもしれない……」

仙千代は信長の愛娘と会ったことがない。
信長の近くで仕え始めたときには、既に武田家へ嫁いでいたからだ。
ただ信長が時折話す内容を聞く限りにおいては、信長の愛娘と凛は『同種』の人間のような気がしていた。

「何かおっしゃいましたか?」
「い、いえ……
ただの独り言にございます」

凛は仙千代の目を見て語り始めた。
「わたくしは、ここに嫁いだ理由がようやく分かった気がします。
すべては武田家を弱体化させておのれの復讐を果たすためなのでしょう?」

「……」
さかいのある和泉国いずみのくに[現在の大阪府南部]、安濃津あのつのある伊勢国いせのくに[現在の三重県]に続いて、この摂津国せっつのくにを手に入れれば……
南蛮貿易の拠点を全て押さえ、鉄砲の弾丸と火薬を『独占』して圧倒的な武力を持つことができます」

「……」
「次いで武田家が弾丸と火薬を手に入れる機会を奪って弱体化させ、最後は甲斐国かいのくに[現在の山梨県]へと攻め込むつもりなのですね?」

「……」
「仙千代殿。
わたくしは……
?」


第肆章 武器商人の都、京都炎上 終わり
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