独裁者・武田信玄

いずもカリーシ

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【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす

第十六話 独裁者・武田信玄の誕生

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武田晴信の弟・信繁のぶしげは、『良心の呵責かしゃく』にさいなまれていた。

「わしは……
兄を絶対的な権力者にしようと画策かくさくした。
この甲斐国かいのくにを、国に住む民を守るために必要だと思ったからだ。
『弟よ。
あの行商人ぎょうしょうにんの集団に殺人の罪を着せ、民の平和で安全な生活を乱す獅子身中しししんちゅうの虫を駆除してやろうぞ。
今夜、決行しよう。
そなたほど見事に兵を指揮できる者は他にいない。
水も漏らさぬ計画を立て、完璧に遂行する能力を持っている。
そなたの指揮で精鋭部隊を送り込み、老若男女ろうにゃくなんにょ問わずで斬りとせよ。
女子おなごも、老人も、子供も、一人たりとも生かすな。
命乞いのちごいされようが全員殺せ!
そもそも。
民をだまして銭[お金]を儲けている連中であろう。
あんな薄汚い連中には生きる価値もなければ、生きる資格もない!
そうであろう?
わしだけではない。
民も皆、わしと同じように考えて憎悪している。
皆殺しにされたことを憐れむ者など誰一人として現れないはず。
ならばせめて……
民の平和と安全な生活のため、死んで役に立ってもらおうではないか!
弟よ。
頼む!
わしがやろうとしていることに賛成してくれ』
こう頼まれたわしは……
念には念を入れて、すべての逃げ道を封じた。
万全を期した上で襲撃したのだ!」

信繁の呼吸が、荒くなっていく。
「武器を持って抵抗する者たちもいた。
その者たちを殺すのはさほど難しくはなかった。
殺さなければ、おのれが殺されるのだからな。
殺したところで心が大きく痛むことはない。
だが問題は……
ほとんどの者たちが命乞いのちごいをしたことだ。
女子おなごや老人、それに子供たちも大勢いた。
その一人一人を槍で突き殺すよう、兵たちに命じた。
すると……
兵たちは皆、途中で槍を投げ出し始めたのだ!
こう叫んで激しく抵抗した。
『この者たちに、一体どんな罪があるというのか!
こんな命令には従えない!』
と。
わしは……
仕方なく、わしは……
わし自ら行動して模範を示すしかなかった!
持っていた刀を抜いた。
そして、縄で縛られた女子おなごや老人、そして子供たちを片っ端から斬り殺していったのだ!
斬られた者たちの悲鳴と絶叫は、耳をつんざくほどであった。
その後……
大勢の兵が良心の呵責かしゃくさいなまれるようになった。
命乞いをする者たちの悲鳴と絶叫が頭から消えないからだ。
いくら酒を飲んだところで忘れることなどできない。
寝ていても、夢にまで出て来る。
何もかもが嫌になった。
自ら命を絶った兵すらもいた。
!」

後悔が止まらない。
「妹のときもそうだ……
妹婿いもうとむこ諏訪頼重すわよりしげは絶対に殺さねばならん。
牢に閉じ込めたところで、誰かが逃がすかもしれないのだからな。
奴を殺して一切の禍根かこんを絶つのじゃ。
そうすれば諏訪すわの地に兵站へいたん基地を築くことができ、兵たちが飢えずに済む。
兵の命と妹の幸せ……
どちらが大事か、そなたほどの男ならよく分かるはず。
弟よ。
頼む!
妹婿を殺すことに同意してくれ』
こう頼まれて同意した!
夫が殺されたことを知った妹は、あまりの衝撃に茫然自失ぼうぜんじしつとなった。
さらなる追い打ちをかけたのが……
夫を殺した黒幕が、兄であったことだ。
あの日から何も食わなくなった。
美しかった妹はやせ細って哀れな姿になった。
あの姿を思い出す度に、身が切られる思いがする。
妹はわずか16歳でこの世を去った。
わずか16歳だぞ!
わしが殺したも同然ではないか!
頼重でもなく、妹でもない……
わしが死ねば良かったのだ!
皆、わしを恨んでいるのだろう?
誰か、誰か……
わしを殺してくれ」

涙も止まらない。
「もう、これ以上……
わしは、おのれの罪の重さに耐えることができない。
『国を、民を守る』
こんな綺麗事を並べる前に、わしは『人』ではないか!
なぜけだもののような振る舞いをせねばならん?
そうしなければ甲斐国を守れず、国に住む民を守れないのならば……
この国も、この武田家も、すべて滅びてしまえばいいのだ!」

答えを見出だせない苛立ちも見せた。
「人は、人を傷付けるために生まれてきたのか?
人を造りし御方は……
こんなことのために人を造りたもうたのか?
坊主どもに問いても、こう答えるのみよ。
『徳。
つまりい行いを重ねた者が救われるのです』
と。


「最も大事なことは……
何を行うかという手段よりも、何を目的にそれを行うかであろう!
生きる目的、つまり『生き方』こそが最も大事なことなのだ!
ならばどんな生き方をすべきか……
これこそ、人に説くべき真理しんりではないのか?
役立たずのくそ坊主ぼうずども!
ああ……
ただ、これだけは分かる……
わしは、おのれの生き方を間違えたのだ!
誰か……
わしに死に場所を与えて欲しい」


これは全く不思議なことではない。

興味深いデータがある。
2001年9月にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、アメリカは対テロ戦争へと舵を切った。
約20年間の対テロ戦争で、およそ7,000人のアメリカ軍人が戦死した。
しかし、その4倍のおよそ30,000人の現役あるいは退役したアメリカ軍人が『自殺』したと言われている。

「自分が殺した敵もまた、同じ人間であった」
彼らはこう言って苦しんだという。

人間としてすべきでないことを行えば……
良心は激しく抵抗し、体を刺し通すほどの苦痛を与える。
最後は自分自身を殺してしまう。

動物が一切持っていないこの強い心は、一体どこから来たのだろう?
猿から人間になる過程で自然に生まれたとでも言うのだろうか?


良心が欠けているからこそ、良心をまともに『理解』できないのだ。

 ◇

それから数年後。

武田晴信は、村上家の攻略に成功していた。
山々の中に20もの城・村上連珠砦群むらかみれんじゅとりでぐんを築いて鉄壁の防御陣で小県郡ちいさがたぐん[現在の上田市など]を守っていた村上家であったが、あくまで『正面』の佐久郡さくぐん[現在の小諸市、佐久市など]から攻めて来る場合にしか有効ではなかったからである。

発想を転換した晴信は、『側面』からの攻略を狙う。
諏訪郡すわぐん[現在の諏訪市、岡谷市、茅野市など]に築いた兵站へいたん基地に兵糧や武器弾薬を十分に蓄えた上で、電撃的に目と鼻の先の安曇郡あずみぐん[現在の松本市、安曇野市など]へと侵攻、ここを治める小笠原おがさわら家を駆逐したのだ。

これで村上家はいつでも側面から攻められる状況となり……
20

「鉄壁の防御陣が一瞬で消滅してしまうとは!
飢えたけだもののような武田軍から、何が我らを守ってくれるというのか!」
村上家の家臣たちは、こう言って絶望した。

狙いすましたかのように、晴信は村上家の家臣たちの切り崩しを図る。
情けないことに……
新入りの外様とざま家臣よりも、長く仕え続けた譜代ふだい家臣の方が『率先』して寝返った。

村上家は、何のために莫大なお金を投じて村上連珠砦群むらかみれんじゅとりでぐんを築いたのか?
何のために譜代家臣を安全な場所に置き続けたのか?
実力を磨く努力を怠り、ひたすらハードウェアに頼る腑抜ふぬけにするためだろうか?

結局。
譜代ふだい家臣は何の役にも立たなかった。
むしろ獅子身中しししんちゅうの虫でしかなかった。
戦わずして村上家は崩壊し、越後国えちごのくに[現在の新潟県]へと落ち延びた。

村上家は、側面の安曇郡あずみぐんを治めている小笠原家と『徹底的』な連携を図るべきであったのだろう。
当主の村上義清むらかみよしきよもよく分かってはいた。

「今、まさに!
小笠原軍と戦っている武田軍の柔らかい側面を食い破る好機が到来している!
村上家の総力を上げて小笠原家を助けようではないか!」

しかし。
譜代ふだい家臣の主張に振り回されてしまう。

いくさに必要な銭[お金]は誰が負担するのです?
まずは、銭の負担について取り決めることが先では?」

繰り返すが……
安曇郡あずみぐんは『電撃的』に侵攻を受けている。
小笠原家とお金の負担について話し合う時間どころか、腑抜ふぬけばかりの譜代ふだい家臣の主張に耳を傾ける時間もない。


そして。
信濃国しなののくにをほぼ我が物とした晴信は出家する。
出家したことで、武田家という枠組みからも縛られなくなった。

独裁者・武田信玄が、ここに『誕生』した。

 ◇

それから2年後。

信玄を一つの不幸が襲う。
越後国えちごのくに軍神ぐんしん上杉謙信うえすぎけんしんと戦った『川中島かわなかじま合戦かっせん』。

その四回目は……
『偶然』にも激戦となってしまった。


激戦が展開されるのを見て、こう言った。

「わしは……
ついに死に場所を得たのだ!」
と。


【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 終わり
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