クズ語り

島央加

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クズ語り

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ゆっくりと目を開けると、茶色い景色が目に入ってきた。数秒の後、ボーンという馴染みの音が幾つか鳴ると、多分見ていただろう全く覚えてはいない夢の世界から、現実へと意識が移動した。俺が見ていた景色は天井だと認識した後、段々記憶が甦る。

夕飯を食った後、又いつもの様に酒を飲みながらテレビを見て横になって・・・、ビールの後、ウイスキーをロックで飲んで。・・・チラッと台の上に目をやると、すっかり解けてロックから姿を変えた水にアルコール度数を下げられたウイスキーがそこにあった。あのウイスキーは何杯目だったかの記憶は定かではなかった。若干の頭痛を堪え、上半身を起こす。毎回の事だが、いつの間にか敷き布団と掛け布団に挟まれていた。優しい家族をもてたことに感謝しなきゃいかんな。

二階から足音が聞こえてきた。俺がゆっくり寝ている間に、周りは動き出していたみたいだ。まあ、当たり前か。

「行ってきまーす。」元気な声で母親の優子に言葉を発する花は、その後、ドアを開け、少しだけ顔を出して、「おはよう・・・。ねえ、又お酒臭いんだけど、大丈夫?」朝日を背に受け、逆光故の影がかかった姿でそう聞いてくる花からは威圧感を感じずにはいられない。

「あ、分かる?アリャリャリャ。」俺のおふざけ返答を聞いて、冷たい表情を変えず、「もう、しっかりしてよ。幾つだと思ってんの?」週に5回は聞く言葉だな。新鮮さはない。高1の娘にダメ出しされる駄目オヤジとは俺のことだ。

「あいよ。すんませーん。」

「・・・。じゃあ行ってくるね。・・・ハァ。」こんなやり取りは日常茶飯事だな。幾つだと思ってるって言われても、43歳だってのは分かってるんだけどね。何歳だからキチッとしなきゃとか、まだこんな年だから馬鹿やっても許されるなんて定義はこの国にあるんだろうか?世界的に見ても、そんな国は存在しねえだろうな。まあ、要は世間体ってやつだな。そんなものがあるせいで人間てのは生き方に制限をかけちまうんだ。

「さーてと。」座布団を折り曲げて枕にして、横になる。なんか面白れえ番組はやってんのか。番組表を表示して見てみる。出社、登校の朝の時間帯だ。殆どの局はニュースばかりだ。そりゃそうか。週末以外はこんな感じだ。

「よっと。」上半身を起こしてフーッと1つ深呼吸をすると、

「お父さん。おっはー。」

「おお、太一。起きたか。」

「何言ってんだよ。もうとっくに起きてるよ。学校行くとこだよ。」笑顔で話す太一は花とは対照的だ。

「そうか。俺はここでぐっすり寝てたから気付かなかった。ハハ。昨日の酒が残っててよ。」

「そうなんだ。何飲んだの?」まだ時間に余裕があるのか、部屋に入ってゆっくり座った。

「ウイスキー。お母さんが昨日買ってきてくれたんだよ。」

「へー。相変わらず優しいね。あ、お姉ちゃんには怒られなかった?」特に心配そうな顔をするわけでもなく、太一は聞いてきた。花に色々言われるのはいつものことだ。よく家族みんながいるところで怒られている。

「んー、どうかな。酒臭いって冷たい対応された。」

「そうか。いつもの感じね。お姉ちゃん厳しいよねー。家の中で1人だけ。まあ気にしない方がいいよ。あ、気にするわけないか。」

「そうだな。全然気にしてない。俺のメンタルはかなり強いからな。何言われてもへっちゃらよ。」右手でグーサインをつき出すと、太一は思い付いた様に、あっと言って壁掛け時計を見た。

「いけね。遅れる。じゃあお父さん、行くね。」玄関へ向かう我が子の背中に声をかける。

「行ってこい。今日も学校楽しんでこいよ。」

「はーい。」そう声を発し、こちらを見ずに玄関へ走っていった。

こどもの国二人が出ていき、家には夫婦二人きりとなった。何気なく妻の優子の所へ行ってみる。

「おっはよー。」子供二人を送り出して、リビングで優子は一息ついていた。トーストを二枚皿へのせて、いつもの様に蜂蜜をかけて食べていた。

「あ、圭太、おはよう。ゆっくり寝れた?」いつもの優子は俺のことを気遣ってくれる。良い女房だよ。俺は甘えてばかりだな。

「ねえねえ、どう?仕事の方は?」何気なく聞いてみた。

「んー、大変。早く次回作をって五月蝿いからさ、今根つめてやってるとこ。」そう言いながら、1つ大きく溜め息をついた。

「そうなのか。お疲れ様。」優子の後ろへ行って、肩を揉む。

「ありがと。あー、気持ちいいわ。」そう言って斜め上を見上げた。

「よーし、もっと気持ち良くしてやるぞ。」次は胸を揉んでみた。

「ちょいちょいちょい。私はね忙しいって言ったでしょ。」振り向いて俺のほっぺを両手で引っ張る。

「ひゃい。しゅんましぇん。」

「もう。じゃあこれだけよ。」そう言ってバグしてくれた。

残りのトーストを口に運ぶ優子に話しかける。

「ねえねえ。又さ、花に小言を言われちゃったよ。」特に興味無さそうにトーストを食べながら新聞に目を通し、「へー。なんて?」と聞いた。

「なんかさ、酒臭いとか、幾つだと思ってるとかさ。アイツ厳しいよね。」優子はふーんと呟いた後、「まあ、あの子はしっかりしてるからね。あなたより。全然。」新聞から目を離すことなく言葉を紡ぐ。

「えー、ショックー。優子もいい年こいてとか、酒のこととかで何か俺に不満ありなの?」やっと新聞から目を離した後、こちらを見てくれた。

「なーんも不満なし。いいじゃない。こんな大人がいても。だらしなくて、いい加減で、子供にしかられる親。なかなかいないわよ。でも圭太は優しくて、家族思いじゃない。私はね居てくれるだけでもいいのよ。それに我が家は私の収入で、よそ様より贅沢な暮らし出来てるんだから。」やっぱり相変わらず優子は優しい。こりゃどんどん駄目人間になってくな。

「さーて、じゃあ仕事に入るから部屋に籠るわね。圭太はどうする?ゆっくり家で過ごす?」毎朝選択肢を提供してくれる。どれも優しい選択肢だ。職安行って仕事探して来いなんて厳しいことは言わない。

「どーしよーかなー。とりあえずぶらぶら散歩でもしてくる。」玄関を出ると、容赦ない日差しが俺の目を攻撃してくる。6月ともなると、この時間からジリジリ暑くなってきやがる。短パンTシャツサンダル。いつものスタイルで道向かいに広がる桜街道を歩く。この桜街道は八重桜が1キロ程続いている天竜峡の観光スポットの1つだ。八重桜は桜の中でも咲く時期が遅い。4月下旬から5月上旬に花を咲かす。花が散ってから大体1ヶ月くらいになるかな。咲いてる最中はよく家から見ながら酒飲んで花見してたな。

長く続く桜街道を歩いていると、前から犬の散歩をしている女性が目に入ってきた。「うわっ。」と反射的に小さい声が出た。豆腐屋の千秋ばあだ。全く朝から見たい顔じゃねーよ。体の向きを180度変え、歩き出すと、案の定後ろからデカイ声が聞こえてきた。

「おい、圭太。こら。ちょっと待ちな。」何だよ。めんどくせえな。どうせいつもの小言劇場が始まるんだろ。走って逃げてもいいけど、次会った時なおさら面倒なことになる。

「あれ、千秋ちゃん。おはよ。」

「何がおはようだよ。気付いてたくせによ。」少し距離のある位置から小走りでこっちに近付いてくる。朝から元気なばばあだ。

「おいおいおい。またお前、朝から呑気にブラブラしやがって。何してんだよ。」腕を組みながら、苛つきを見せるばばあの横で連れている愛犬の小太郎は呑気に草を噛ってやがる。対照的な飼い主とペットは俺の視界を網羅している。

「いや、ちょっとね。朝の散歩。運動だよ。運動。ウォーキングね。へへへ。」そうか。偉いねー。と言ってくれるわけもなく、1つ溜め息をついた後、「何がウォーキングだ馬鹿垂れ。そんな事してる場合かい。あんた早く職安でも行って仕事見つけてきな。アホ。」全く今日も口が悪いことこの上無しだな。

「あのね、千秋ちゃん。お言葉ですけど、こんな早い時間に職安やってねーよ。まだ8時前だよ。おてんとうさん東から顔出してそこまで時間経ってないんだからね。」

「うるさいねー。じゃあお前。時間が経ったら職安行って職探しするんだろうね。」何なんだよ。全くうるさいばばあだ。別に家族でもねーし、家が近いってだけでお節介妬きやがって。朝のリフレッシュ散歩も台無しじゃねーか。

「行く行く行く。時間が来たらね。」俺の言葉を聞くと、もう1つゆっくり大きな溜め息をつき、「はー、どうだか。まあ、いいや。しっかりしなさいよ、お前。子供二人いるんだし、奥さんにおんぶにだっこじゃないか。何であんなに稼ぐ人がお前なんかのとこに来たのかねえ。不思議で仕方ないよ。」又いつもの話だ。

「へへー。それはね。俺の魅力のお陰。家の奥さんはもう俺にベタぼれよ。」

「馬鹿なこと言ってないで、さっさと職に付いて真面目にやるんだよ。」少しふざけると、ばばあは急に更にデカイ声で怒鳴りやがった。

「あ、千秋ちゃん。小太郎が歩きだがってるよ。早く行こうって。なー小太郎。」小太郎の頭を撫でると、このやり取り最後になるであろう溜め息を1つつき、「全く。じゃあ、さっさと職安行って仕事見つけてくるんだよ。いいね。」やっと行ってくれそうな感じになってきた。

「はいよー。頑張りまーす。」

「・・・ちゃんとするんだよ。じゃあね。」これで度々起こるお節介トークが終わり、再び自由の身になった。

「はー。今日もうるさかったねー。」歩道に転がっている石を蹴り、独り言をボソッと呟く。まあ、そりゃ言いたくなるわな。43歳家族持ち、無職。当たり前だが収入無し。確かに優子無しではやってけねーはな。世間から見りゃー俺はついてる。妻は有名恋愛小説家。映画化された作品は多数。優子のお陰で大きな家に住めて、優雅な暮らし。3ヶ月前に運送業の仕事もやめてそれからブラブラやってても何も心配なし。普通の家なら大問題だわな。

「おう。圭太。おはよう。」船下り受付センターの前にある喫煙所から元気の良い声が聞こえてきた。

「おう、堅太郎おはよう。何呑気に煙草ふかしてやがるんだ。仕事しろ。」ゆっくり堅太郎に近づき、椅子に座った。いつもこの散歩コースでは恒例の流れだ。

「アホ。いつも同じ事を言って、言わしやがって。仕事してんだよ。船の準備終わってからの休憩だ。これから忙しいんだよ。船頭ってやつは。って、お前が仕事しろとかいうんじゃねえよ。贅沢ニートが。」そう言って、缶コーヒーを一本俺に差し出してくれた。いつも一本多く買って、ここでこの時間一息ついてやがる。こいつは中学の時から優しい奴だ。

「なあ、船頭って楽しい?」ちょっと前にも聞いたような気がする質問を堅太郎に投げかけると、1つ伸びをして、「ああ、楽しいね。十年前に止めた営業の仕事より全然。」やっぱりちょっと前にも聞いたような返答だ。堅太郎は十年前まで東京で保険の営業の仕事をしていた。元々地元が好きで、ここで働きたいと言っていた。飲み会で、仕事辞めて帰ってくると聞いてからもう十年か。一人娘を持つ堅太郎は家族四人で直ぐにこっちに来た。嫁さんも田舎暮らしが夢だったらしく、話はトントン拍子で進んだみたいだ。

「だってさ、見てみろ、この雄大な自然の景色を。」堅太郎は天竜川を指差し、「自然が作り上げた渓谷。そこに流れる川。背景には緑豊かな木々たち。こんな所で仕事が出来るなんて幸せ過ぎて恐いくらいだわ。」満足な顔になり、コーヒーを一口飲む堅太郎は嘘偽りない表情だった。子供のこれからそうだった。堅太郎は自然が好きで、いつも山の中で遊ぶのが好きな奴だった。こいつの家にはテレビゲームの類いは全くなかった。俺がゆっくり家でゲームしてるとよく連れ出されて、山で過ごしたことは何度もあったな。

「よし。仕事に戻るとするか。さあさあニート。どっか行け。」

「おう、頑張れ働き者。俺は散歩で忙しい。」堅太郎に背を向け右手を上げる。いつもこんな感じで船下り乗り場を後にする。

こや橋を歩きながら天竜峡の渓谷を見る。確かに良い景色だ。こんな景色を見ていると、ふと一杯飲みたい気分になった。駅前の自販機に行って、500mlのビールを二本購入する。駅の向かい側にある広場のベンチに腰掛ける。良い音と共に、一本目を開ける。勢いよく喉に流し込む。

「くー。うめー。」朝の良い天気の元で飲むビールは文句のつけようがねえな。

もう一口飲んだあと、立ち上がった。両手にビールを持って、ゆっくり歩く。天竜峡駅の前で足を止める。俺が小さい頃はここに売店があったことをふと思い出した。働いていたおばちゃんと仲良くて、よく話してたな。もう取り壊されて、おばちゃんもどっか行っちまったな。

思い出に耽っていると、横を歩く二人組の女性が、チラチラこちらを見ていた。若干の軽蔑が読み取れる表情だ。朝からオッサンが両手にビールを持ってふらついてる。そりゃ目がいくし、そんな表情になるわな。まあ、いいか。

多分観光客と思われる女性たちは線路を渡り、こや橋の方へ歩いて行った。堅太郎の船に乗って、船下りを楽しむ予定なのだろうか。大分観光客は減った。昔はかなりの人だかりがこの辺では当たり前だったけど、今じゃあ全然だ。駅の前には旅館があったが、観光客の減少が原因なのだろう。今では取り壊されて、存在しない。

ブラブラビールを飲みながら駅の周りをウロウロして、二本目のビールを飲み干した。

「さ、そろそろ帰るか。」こや橋に向かってゆっくり歩きだした。

「おい、圭太。おはよう。」観光センターの横まで来ると、隣に店を構えている保育園から中学校の先輩の良さんが声を掛けてきた。

「おざーす。良さん、元気っすか?お久しぶりですねー。」入り口にいた良さんはゆっくり外に出てきた。

「何言ってんだ。アホ。昨日会ったじゃねえか。このくらいの時間に。あ、又お前酒飲んでんのか?」鋭い良さんはパッと見ただけで俺の変化に気付いていつも指摘される。

「いやー。天気いいもんでね。つい。なはは。」

「何がなははだよ。よく優子ちゃん怒んねえな。」

良さんとはもう40年来の仲だ。幼なじみで本当の兄貴の様な存在。ガキの頃はタメ口で接していたけど、小学校、中学校と成長していくに伴って、自然と敬語になっていった。学年が上がっていき、学校内で先輩後輩の図式が確立していく背景からそうなったんだろうな。

「いやー。家の女房優しいですからね。長女だけっす。厳しいのは。まあ、今学校行ってるんで、帰ってくるまでに、酔い覚まします。」良さんは、そうかと言って、店の前にあるベンチに座った。俺もその後から直ぐ座った。

「で、どうなんだ?職にはつけそうか?」煙草に火をつけたあと、フーッと煙を吐き、聞いてきた。

「えー、良さんも千秋ばあと同じ事言うんですかー?厳しいなぁ。」と言いはしたが、いつも聞かれることだ。しかし、良さんのは心から心配してくれているのが分かる。俺が本当の兄貴の様に思っているのと同じく、良さんも俺のことを本当の弟の様に思ってくれていると、俺は感じている。千秋ばばあはお節介度が高いだけだと思うが。

「何だよ。又千秋さんに言われたのか?まあ、あれは軽く流しとけばいいや。ただの口うるさいおばちゃんだ。」

「ですよねー。」同じタイミングで笑う。

「さあ。帰ります。」俺が立ち上がって、数秒して良さんも立った。

「おう。帰れ。俺は忙しいんだ。」

「お邪魔しました。いやー、俺も忙しいっすよ。」背筋を伸ばして適当なことを言う。

「何が忙しいんだよ?アホ。」煙草を灰皿で消しながら良さんは言う。

「帰って、ばれないように酒飲んで、テレビ見て、寝て。あー大変っすよ。」俺の言葉を聞いて、良さんは笑った。

「お前はやっぱ面白れえな。普通なら心配しちまう。でもよ、何か大丈夫だろうなって思えるんだよな。お前って変な奴だ。ま、知ってっけど。じゃ、またな。どうせ明日も顔見るんだろうけどな。」

店を後にして、再びこや橋に来た。ほろ酔い気分で橋から川を眺める。丁度堅太郎が船を出すところだった。出発して直ぐにこちらを見てきた。俺は大きく手を振る。堅太郎も小さく手を振って返してくれた。今日の客は五人だ。やっぱり以前より全然数は減った。堅太郎以外にも二人程手を振り返してくれた。はたしてどういう目で俺を見ているのだろうか。観光で気分が乗っている時に、変な男が橋から手を振っている。きっと動物園に遊びに行き、珍しい動物を見るような感じで見ているんじゃないか。まあいいや。

橋を渡りきり、桜街道を再びゆっくり歩く。さっき通った時よりも気分がいいや。そりゃそうか。アルコール入ったしな。

何となく、河川敷の方へ行ってみる。芝生が整備されていて綺麗だ。寝そべって空を仰ぐ。やっぱり良い天気だ。

「あー、気持ちいいな。」青空の中にある若干の雲がゆっくり流れていく。あの雲は何をするわけでもなく、ただ風の力で流されていくだけか。楽だよな。何か俺に似てないか。周りの、特に優子の援助でそうやってのんびりと、朝から酒飲んでゆっくり出来る。いやー良い御身分だよな。周りの世の中の社会人はせっせと働いてるのに、俺こんなに自由なんだもん。これからもこんな感じで生きていきたいよな。

良い気分のまま目を閉じる。そよ風が気持ち良い。



「おい、おい、おーい。」ん、あ、何だ。ああ、寝ちまってたか。さっきから変わらない澄んだ青空が俺の視界に広がっていた。

「ねえ、ちょっと。圭太。」あ、そうだ。この声に起こされたんだった。横を見ると、漣が俺の肩をつついていた。

「何だよ。漣かよ。今良い感じで寝てたのによ。」俺の言葉には反応せずに、「あのさ。風邪引くよ。こんな所で寝てると。」しゃがんだ姿勢でじっとこちらを見ながらぼそっとそう言う漣は持っていたジュースを一口飲んだ。

「大丈夫だよ。俺は体強いから。」ふーんと特別興味無さそうに言って又ジュースを一口飲んだ。

「さ、もう少し寝るからお前は帰れ。」もう一度横になり、再び青空を見上げる。

「又寝るの?」うるさい奴だ。再び居心地良い夢の中へ自分を誘いたいのに、ガキがいたんじゃ難しい。

「あのね、漣。見てみな。この青空を。綺麗に整備された芝生たちを。そして俺の腹の中にはビール。気持ちが良いんだよ。おねんねするための条件は整っている。さ、帰んな。」左手で、シッシッとやる俺を漣はじーっと見ている。

「あのさ、いいの?大の大人が昼間っからビール飲んで、川沿いで寝てても。」

「いいんだよ。別に悪いことしてるんじゃねーもん。ビールだって金出して買って、ここは立ち入り禁止区域でも何でもねえ。で、どっかにここでは寝たら駄目ですなんて書いてあるか?ん?な。そんなもんねーだろ?さ、帰れ。俺は寝るのに忙しいんだよ。」漣は一つ溜め息をつくと、「仕事しないの?何かうちもそうだけどさ。近所の人たち言ってるよ。あそこの旦那は仕事してないとか。奥さんの稼ぎに頼りすぎとか。」痛いことを言いやがる。このガキは。

「あのさ、それは世間体ってやつよ。気にするやつは気にして、何でも仕事すればいい。どうせそんな理由で仕事始める奴なんて、嫌々やらなきゃならねえ仕事しかつけねえんだよ。俺はね、常に、色々なことに思考を廻らせて、行動してんだよ。あ、この寝るってのもその一つだ。」少し間を置いて、「ふーん。」と漣は言った。

「ちょっと待て。お前今、くだらないなあとか思っただろ?」

「さあ。」

「さあってね、俺も色々考えてるわけよ。ってかお前学校は?小4だったよな?」俺の問いに、若干戸惑ったような表情になり、少し間ができた。

「まあ、ちょっとね。」

「なんだよ?ちょっとって。ははーん。サボりか?なははははは。なんだよ、なんだよ。偉そうなこと言ってよ。学校サボってるくせに。あー、面白れー。」明らかに苛ついた表情になった漣は、立ち上がり、俺を見下ろした。

「あのね、俺小学生で、圭太さんいい年した大人。分かってんの?一緒にしないでよ。あームカつくなぁ。」そう言った後、背中を向けて走り去って行った。

「なんだアイツ。まあ、いいや。寝よ。」再び至福の時が俺に訪れた。



「ただいまー。」玄関のドアを開けて中へ入る。返事はない。いつものことだ。家に一人いる優子は奥の部屋で執筆活動中だろう。

「あ、お帰り。」意外にも返事は返ってきた。リビングへ入ると、優子はコーヒーを飲んでいた。

「けっこう長い散歩だったわね。遠い所まで行ってたの?」コーヒーを一口飲みながら優子は聞いた。完全にオフモードの顔だ。優子は仕事にメリハリをつけるタイプだ。執筆中は集中していて、若干恐い感じだが、休憩中は一変して脱力感を感じとれる雰囲気になる。仕事から休憩までは二時間くらいか。と、いうことは、大分時間が経っているのか?壁の時計に目をやると、家を出てから、一時間半程経過していた。

「いや、桜街道や、駅の辺りをブラブラしてた。ゆっくり歩いたりしてたから時間がかかったのかな。あ、川沿いで寝ちゃった。そこでかなり時間潰したなー。」小さく「へー。」と言った後、「あれ、圭太、お酒飲んだ?」特に嫌悪感を表す様子もなく、聞いてきた。優子には安心して本当のことが言える。花に聞かれたら惚けるけどな。

「ちょっとね。なんかさ、天気良いし、気分良くなっちゃってつい。ごめんねー。」両手でごめんねポーズをつくると、「別にいいんだけどさ、酔って川沿いで寝たりはしないでね。風邪引いちゃうよ。」心配そうな顔で話す優子はやっぱり優しい。

「ありがとねー。優子ちゃん、やっぱり優しい。だいちゅき。」そう言って近付き、バグしようとする前に優子は立ち上がり、「ハイハイ。私はこれで休憩終了。仕事に戻るからね。もう少ししたらお昼御飯にするから適当に過ごしてて。」

「はーい。ありがとー。」やはり優子は優しい。いやいや良い妻をもったもんだぜ。さ、どうするかなお昼まで。とりあえず寝るか。

ソファーに横になり、目を閉じる。おそらく、直ぐに夢の中で、起きれば昼飯が用意されているだろう。


ガチャッ。・・・ん?何の音?ゆっくり目を開け、周りを見ると、そこには花がいた。

「おお、花。あれ?学校は?」その時だった。急に花が、俺の口元を右手に持ったタオルで押さえつけた。

「フグッ。グッ。」声が出せない。花は何も言わず、俺を見下ろしている。

「ねえ、お父さん。何で、仕事しないの?家にいて、いつもブラブラして酒飲んで。ねえ、恥ずかしくない?私は恥ずかしいな。もっと、ちゃんとしてくれたらいいと思うけど、無理でしょ。だったらいない方がいいのかもね。」何をしてるんだこいつは。周りを見回しても誰もいない。優子は部屋で仕事中か。両手に重さを感じた。見てみると、鎖で繋がれていて、南京錠で固定されている。さっきの音はこれだったのか。良く見ると、両足も同じように鎖で繋がれていた。どういうことだ?花は俺に何をしようとしているんだ。

「お父さん。恨まないでね。自業自得なんだよ。」キッチンの方へ移動している花の表情は何かを思い詰めている感じがする。一つ「フーッ。」と息を吐いた後、こちらへ向かってくる花の手には、包丁が握られていた。

マジか。こいつは何をしようとしてるんだ。仕事をしろって脅しか?いやいや、手の込んだどっきりか?だったらいいんだけど・・・もしかしてこいつ。

「ごめんねお父さん。」そう小さく呟き、包丁を持っている腕を振り上げた。両手両足の自由を奪われ、口にはタオルだ。

「ウー、ウー。」しか言えない。

「さよなら、お父さん。」花は腕を振り下ろした。

「ウー、ウー、ウー。」


「ねえ、ねえ、ねえって。」あれ、生きてる。痛みもない。

「ちょっと、圭太。起きてよ。」目を開けると、そこには優子がいた。慌てて飛び起きた。手は?足は?・・・動く。あれ?

「ちょっと、何大きな声で唸ってんの?それにこんなに汗かいて。」あ、そういうことか。夢。一気に安心感に包まれた。そうだよな。花があんなことするわけないもんな。ちょっと俺の生活態度には否定的だけど、そうだよな。

思わず優子を抱きしめた。

「ちょっと何?どうしたの?」当然の様に困惑している優子の耳元で、「生きてるって素晴らしい。」と呟いた。

「は?何言ってんの?どうせ何か恐い夢見たんでしょ。はい、ご飯にするよ。」そう言って俺を引き離した。

普段通りの優子との夫婦の昼食。でも、俺は心臓の音が聞こえそうな程、動揺していた。

「何、圭太。全然喋んないじゃないの。どうしたの?」特に心配する感じでもなく優子は聞いてきた。まだ夢の余韻が残っていた。若干箸を持つ手が震えている。なんだったんだよさっきの夢は。もしかしたら正夢か?いや、それはないだろう。というかそんな風に考えたくはない。俺が、心の中で考えていることが夢で表現されているのか?花は俺に殺意を抱く程の感情を持っちまってるって、そういう意識をどこかで俺はしてるのか?確かに最低な現状だもんな。仕事もしないし、家事も適当に手伝うくらい。酒は飲み過ぎる程飲む。妻の収入に頼りっぱなし。そりゃ、長女ならうんざりするわな。あいつ、俺と違ってしっかりしてるし。こんなオヤジはやっぱり嫌だろうな。でもなー。殺そうとするかね?一応親なんだしな。アイツ自身も殺人犯になっちまうぞ。・・・まあ、夢の中の話だけどよ。大丈夫だよな?正夢になんねえよな?

「ちょっと・・・ねえ、圭太?」

「・・・ん?何?」

「何じゃないわよ。ブツブツ何独り言呟いてんのよ。さっきまでは静かだったのに、やっぱ何か変よ。そんなに恐い夢見たの?」先程よりも若干心配している様子だ。

「まあね。ねえねえ、優子。花と太一はさ、俺のことをどんな父親って思ってるかな?」

「ダメ親父。」一秒すらかかならい早さで返された。

「え、やっぱそうかな?」さすがの俺もちょっとショックだ。

「何?良い父親とでも思われてると?」お茶を啜りながら上目遣いでこちらを見る。

「いやいや、思ってるわけないじゃん。こんなんだよ。」

「そうだよね。でも、何?気にしちゃってたりするの?」興味があるのか、ないのか。食事を進めながら優子は話を進めた。

「気にするわけないだろ。気にしてるんなら今頃働いてるよ。いや、ゆくゆくは働く気はあるんだけどね。今はゆっくり過ごして、鋭気を養ってるわけよ。」

「じゃあいいじゃん。」食事を終えた優子はそう言いながら、食器を持って流しへと向かった。

「まあね、そうなんだけどね。」再びテーブルへと戻り、優子は「何?やっぱり何か気にしてることあるんでしょ?」お茶を汲みながらそう聞く優子はやはり興味があるのか、ないのか分からない。

「ちょっとね、やっぱり花がね。どういう風に思ってるのかなぁと思ってさ。太一はあまり気にしてない様子だけど、花は俺のこともっとちゃんとしろって思ってるよ。絶対。」

「当たり前じゃん。花は思ってるでしょ。何今更言ってんのよ。ハハハ。」少しの間沈黙が続いた。少し心の中で、やっぱりかと再確認していると、壁掛け時計が、ボーンと鳴り、午後1時を俺たちに知らせた。

「あら、もうこんな時間。仕事戻んなきゃ。圭太はどうするの?」優子が今日の俺の予定を聞いてきた。いつもは放任主義なのに。やっぱりいつもと様子が違うから気になっているのか?やはり優しい。

「んー。寝ようかな。もう恐い夢は見ないといいけど。」明らかに駄目人間発言だけど優子はいつもの様に、「ふーん。そう。ちゃんと毛布かけて寝なさいよ。風邪引いちゃうからね。」と、やはり優しい声をかけてくれた。


「ねえ、お父さん、起きてよ。もうじき夕飯なんだけど。」右肩を揺さぶられ、現実世界へと意識を戻しつつ、少し、目を開ける。ゆっくり声の主を見る。そこには花がいた。反射的に体を起こし、毛布を盾にして花から離れるため、若干後ろに移動した。

「・・・何してんの?」しらけた表情の花は小さい声でそう言った。あれ、これは現実か?昼に見た夢と現実との境界線が今一理解できずにいるだけか?

「花。お父さん起きた?」キッチンから優子の声が聞こえる。一気に理解と安心感が心の中に生まれた。

「起きたよ。何か変な感じだけど。」

「大丈夫。さっきからだから。」

「・・・ふーん。」花と優子のやり取りを聞いて、現実感の有りように、また一段と安心する気持ちになった。

「あ、ああ花。お帰り。」

「ただいま。」いつものように素っ気ない返しだった。


「あれ、どうしたの?お父さん。何かいつもより大人しくない?全然喋んないし。どこか悪いの?」麻婆豆腐を皿によそいながら太一が聞いてくる。確かにいつもよりは話してない。何か昼間あんな夢見てからやっぱりちょっとまだ花の存在が恐い気持ちが消えてないのか、フワフワしたような変な気分だ。

「ん、ああ。そうかな?」

「そうなのよ。何か変でしょ。まあ、いつも変だけどね。大丈夫じゃない?ご飯食べれてるし。ハハ。」そう話す優子の背後に花の姿。花の顔を見ると、まだなんかハラハラする。

「なあ、花、元気?」思わず声をかけた。

「・・・別に。いつも通りだけど・・・何?」明らかに不信感を滲ませた表情だ。俺は完全に機嫌をうかがっている。

「いやぁ特に意味はないんだけどさ。愛する娘は今日も元気かなぁと思ってさ。」明るくそう返すと、「キモッ。」と即答された。

「ねえ、愛する息子の体調は気にしないの?」太一が不意に聞いてくる。雰囲気が和らぎ、太一になんとなく感謝した。

「気にするに決まってんだろ。愛する息子。」

「イエーイ。」

「イエーイ。」

はーっという溜め息の後に花が「馬鹿じゃないの。」と冷たい一言を発し、話は収まった。


「じゃ、お父さん、寝るね。おやすみ。」太一は風呂から上がると直ぐに寝る。中学生ってのはもう少し夜更かしとかしそうだが、サッカー部の練習を一生懸命やってるみたいだから疲れるんだろう。

「おーう。おやすみー。腹出して寝るなよ。風邪引くぞ。」

「はーい。お父さんも飲み過ぎて、腹出して寝ないようにね。」台の上に置いてあるビールの缶を見ながら太一はそう言った。

「はいよー。おやすみ。」

「おやすみ。」まったくあいつは良い奴だな。

太一が去った後、少しして花がリビングへと入ってきた。

「あ、花。えーと、風呂か?」

「何言ってんの。当たり前じゃん。」そう言って手にしていたパジャマに目をやった。

「そうかそうか。ゆっくり温まってこいよ。」若干眉間にシワを寄せながら「・・・うん。・・・ねえ、何か今日変だよ。私何かした?」急にそう言われ、戸惑う。

「へ?別に・・・何も。」出た言葉はそれだけだった。

「ふーん。」ゆっくりと風呂場へ歩を進める花の背中はいつもと違う気がした。

ビールも残り少なくなってきた。流れているニュースは特に意外性のあるネタはやっていない。国会がどうのこうのとか、芸能人が結婚したとか、俺には関係ないことだ。

じっとビールの缶を数秒眺めた後、風呂場を見た。缶を手にして、残りのビールを口から胃へと流し込む。そのまま缶を捨て、ソファーへと戻る。いつもとは違う行動だった。普段ならビールの缶や、ウイスキーの瓶を片付けるのは次の日の朝だ。

もうじき花が風呂から上がるだろう。いつもなら酒を飲みながらソファーで横になり、テレビを見てるけど、やはり今日はその様な姿勢で花と対峙出来そうもない。夢というものに、これ程までに心の動揺をもたらされたことは初めてかもしれんな。

ガチャッ。風呂場のドアが開く音がして、若干の緊張を認識した。思わず、新聞を手に取る。風呂場を出て、リビングへと入ってきた花に、新聞読んでるんですというアピールをしながら、「おう、出たか。湯冷めするから温かくして寝るんだぞ。」先程と同様、若干眉間にシワを寄せながら、「・・・うん。」とだけ言って、部屋へ向かった。

「ふー。」娘にこれ程緊張感を持って接したことはおそらく初めてだな。ソファーに身を預け、横になる。すぐさま体を起こし、立ち上がる。

「よし、飲むか。」現実世界の番人で、夢世界の狂人の様に感じてしまっているのだろうか。花が去った途端、緊張から解き放たれた俺はいつものように、冷房車から再びビールを手に取って、ソファーに身をあずけた。

数分後に飲み干し、今度はウイスキーと、チーズを堪能することにした。少しすると、ビール、ウイスキーが醸し出す気分の高揚に酔しれ、ソファーで横になり、天井を見上げた。又昼間の夢を思い出す。やはりまだ、思い出すとドキドキする感じと恐怖感が若干心の中に去来した。

「なーんなんだろーなー。」なんとなく呟く。知らないうちに自分で勝手に想像している花の思っているであろうことが夢の中で実像化されたのだろうか。やっぱり、中学生と高校生の父で43歳。普通ならもっとしっかりしてるかぁ。そうだよなぁ。無職で毎日酒を飲んでブラブラしてるって、最低な親だよなぁ。

「でも、でもでもでもでもでも、最高な暮らしなんだよなぁ。



「ねえ、何ブツブツ言ってんの、圭太。」そう言いながら優子がリビングへと入ってきた。

「あれ、仕事終わったの?」向かいのソファーへと腰を下ろし、「んー、今日は終わりにしようかな。何か良い感じの言葉が頭に浮かばない。疲れてんのかな?思考が働かない感じ。」たまにあることだ。やっぱり小説家ってのは相当頭働かせて、ストーリー考えるんだろう。それに優子みたいに有名な恋愛小説家ともなると、かなり疲れるんだろうな。

「な、久しぶりに一緒に飲まない?たまにはいいでしょ?」深呼吸をしながら背伸びをし、「そうねー。」と、微笑みながら返す優子の顔を見て、少しホッとした。


「やっぱりさ、圭太が今日昼からちょっと変なのは、変な夢をみてたからなの?」俺が作ったウイスキーの水割りの氷をグラスの中で回しながら優子は聞いてきた。

「そうなんだよね。なんかさひどい夢みたんだよ。花にさ、俺、殺されそうになったんだぜ。恐かったよ。両手鎖で繋がれて、包丁で刺そうとしたんだよ。ひどい奴だろ?」

「何それ?アハハハ。面白いね。どうするの?正夢だったら?」笑いながら恐いことを言う優子は俺がどれだけ恐い思いをしたか知るよしもないだろうな。

「やめてくれよ。俺、娘に恨まれる程のことしてるかぁ?」正直、立派な父親像からはかけ離れているが、殺意を持たれることはないはずだ。

「どうなんだろうね。でも、花は高校1年生よ。周りの親と自分の親を比べてみての世間体の違いには思い悩むところはあるんじゃないの。」先程よりも真面目な顔をしてそう話す優子に尋ねた。

「俺ってやっぱり駄目人間?」

「はい。駄目人間。アハハハ。」即答の早さが、確実性を物語っている。

「ねえ、答えるの早くない?傷つくよー。」

「でもね、駄目人間って言っても色んな種類があると思うわよ。圭太の場合わねー。んー、楽しくて、アホで、優しい、運の良い駄目人間。どう?少しは傷つきが減ったでしょ?」優子の酒を作った時に出したポテトチップスを1つ口に入れながら優子はそう言った。駄目人間に種類があると言われてもろくなものではないと思うけど。

「あのさ、そんなに傷つき減ってないよ。よく分かんないもん。まあ、全然傷ついてはないけどね。傷ついてるようなら、もっと前からちゃんとしてるかも。ナハハ。でもさ、運の良い駄目人間ってどんなの?」

「そんなの決まってるでしょ。私と結婚出来たこと。私みたいな収入源ある人間と一緒になったからブラブラ出来るでしょ?それにね、私、自分で言うのもなんだけどさ、変なの。まあ、分かってるか。普通なら働けとか、もっとちゃんとしろって言うよ。でも、圭太と一緒にいると、楽しいし、あなたの暮らしかた見てると楽しくなってきちゃうからさ、そのままで良いんじゃないって思っちゃうのよね。どう?運が良い駄目人間でしょ。」

「なるほどね。運良いわ。ハハハハハ。」そう聞くと大分運が良いんだなと思う。もう優子とは長い付き合いだ。高校の時から付き合ってるから、かれこれ20年以上経つ。お互いガソリンスタンドのバイトをしている時に知り合った。俺も優子も店長のことが嫌いで、その話になって意気投合して、よく一緒に帰るようになった。容姿も可愛らしかったし、俺の方からアプローチしたっけな。直ぐにオッケー貰ったから優子も俺に好意抱いていたのかもしれないけど。高2の夏からか。

「ねえ、俺たち知り合ってから大分長いよねー。」なんとなく出会った頃のことを振ってみた。

「長いね。高校生の時だからね。もう20年以上か。」そう言うと、優子は下を向き、フフフと笑い出した。

「何?どうしたの?」俺の問いに、「何かさ、最初にあった時頃のこととか思い出しちゃって。おかしかったよね、圭太。あれ覚えてる?」そう言われても直ぐには出てこない。

「何、あれって?」そう聞くと又先程よりも大きく笑い出した。

「あれよ、あれ。」

「だから何?」全然出てこない。

「ガソリンスタンドのバイトのときのあれ。」ガソリンスタンドのバイトからもう20年以上経つ。記憶はなくなっていくものだ。そう簡単には思い出せない。売れっ子恋愛小説家の脳の記憶は凡人とは違って秀でているのか。

「あんた、車に引かれたじゃない。」そう言われ、一気に記憶が甦った。

「あー、引かれた。思い出した。そのことか。確かに引かれた。」そうだ。俺は一度、車に引かれたことがあったんだ。笑いが止まらなくなった優子は目を拭いた。涙が出る程笑っていた。

「あれ、おかしかったよね。圭太おじいさんの車のバックの誘導してたんだよね。」

「そうだったな。じいさん止まらずに俺引きやがった。」それを聞いてもっと優子の笑いがもっと大きくなった。

「違うよ。あー、お腹痛い。圭太がストップって言わなかったんじゃない。」そこまで言うと、笑いで次の言葉が出てこない様子だ。

「あれ、そうだっけ。」

「そうだよ。私はっきり覚えてる。近くで見ててびっくりしたんだから。店長と慌てて駆け寄ったんだから。おじいさんも慌てて車から降りてきてさ。そしたらさ、圭太何て言ったと思う。・・・、あー面白い。」話すのが大分辛そうだ。

「何だっけ?引かれたのは覚えてる。俺、ストップさせなかったんだ。」

「そうだよ。何でストップさせなかったか覚えてる?何て言ったと思う?」ダメだ。全然思い出せない。記憶をたどってみても全く出てこなかった。

「ダメだ。思い出せない。何だっけ?」

「圭太、誘導しながら、車の上にあったツバメの巣に気を取られてそのまま誘導して引かれちゃったんじゃない。そりゃ、おじいさん引いちゃうよ。あー、面白い。それでさ、店長に、倒れたまま、あそこにツバメが巣を作り出しましたよ。だって。何じゃそりゃ。お前今引かれたっつーの。あーハハハハハ。」これはかなりツボに入った様子だ。俺も何だか笑えてきた。

「そうだっけ?ハハハハハ。」一通り笑って、涙を拭いた後、少し冷静になった様子の優子は、「でもさ、その時、必死で謝っていたおじいさんに何て言ったと思う。」何て言ったんだろう。そこも全く記憶がない。

「わかんない。覚えてないな。何て言ったっけ?」

「大丈夫でーす。って言って、笑ってた。で、おじいさんに、あれ見て下さいよ。ツバメが巣を作ってますよ。福を運んでくれますね。だって。あれ、圭太の優しさなんだろうな。自分を引いたことなんて置いといて、みたいな感じで。その後、足を動かしまくって、大丈夫アピールしてさ。店長も、納得して、おじいさん安心させて帰らせたじゃん。で、その後足引きずってやんの。ま、打撲程度だったけどね。あれ本当面白かったな。あの時はびっくりしたけどね。どう?思い出した。」

「ぜーんぜん。引かれたことしか覚えてない。」先程の爆笑は収まり、フフッと微笑した後、「やっぱりあなたはあの時から変わってたな。」としみじみ言った。

「そう?」

「そうよ。事故ったのもそうだしさ、普通車に引かれてんのよ。もっと大騒ぎして、引いた本人に責任追及とかするでしょ?あ、でも、引かれた理由があれじゃね。あ、ヤバい。又笑っちゃいそう。」そう言った後、ゆっくり一口ウイスキーを口に流し込んだ。なんか懐かしいな。俺、働いてたんだなぁ。

優子との会話が一区切り付き合、ふと思った。高校生の頃で一番最初の働き出した話だけど。ガソリンスタンドで働いていて、車に引かれながらも一生懸命働いていたであろう高校生の俺。毎日酒を食らい、ダラダラしていて、この生活の虜になっている43日の今の俺。・・・んー、ちょっとどうなんだろう。

「あのさ、時を経て、今は二児の父。やっぱり花や太一のためにもっとしっかりするべきだって思う?まだ高校生の時の方がマシって感じかな?」

「んー、別に良いんじゃないの?今のままでも。面白いじゃん。あのさ、けっこうレアだよ。43歳二人子供いて、プー太郎。妻に食べさせて貰ってるけど、家族は不満を抱かない。あ、花は不満抱いてるか。ハハハ。」そこなんだよなぁ。

「あのさ、どうすれば良いのかなぁ?」そう聞きと、ん?と特に関心のない様子で、「別にどうもしなくていいんじゃない?今のままで。面白いし。」

「そう?何か世界中が優子みたいに思ってくれると、俺は幸せ者なんだけどなぁ。花と太一は優しいんだけどなぁ。花は絶対不満抱いてるもんなぁ。」そう言いながら優子の膝に頭を置いて横になった。

「まあ、でも、花の思っているであろうことが、世間一般の常識ってもんなんだけどね。私と太一がちょっとずれてるのかも。」

「えー。そんなこと言わないでよ。圭ちゃん悲ちい。」俺の頭を撫でながら、「常識通りに生きなきゃいけないっていう決まりはないからいいのよ。楽しきゃ良いと思うわよ。誰にも迷惑かけなきゃね。あ、花には迷惑かけてるかも。」

「あー、それ言わないでー。」そんな会話を交わしながら、夫婦の楽しい夜は更けていった。


「ねえ、お父さん、朝、朝だよ。」なんかよく分かんない夢の世界に降り注いできた声に意識の中で耳を傾ける。

「あ、ああ朝か。朝だな。朝だ。朝か。あさかゆい。」

「ねえ、お父さん、何言ってんの?ハイハイ、起きてよ。朝ごはん出来てるよ。起きて。」太一の声だ。朝から優しい声だ。

「お母さん、お父さん起きたよ。」俺がアルコールで、体力を削られ、起き辛いコンディションの中、家族は元気だ。

「圭太。起きたのね。ご飯にする?パン?」たまに朝ごはんの真っ只中に起きると飛び交うセリフだ。

「んー、どうしようかな。じゃあ、俺はお茶で。ハハハ。」そう言うと、「はーい。」と言って太一がお茶を持ってきた。

「また、お酒飲んで寝起き悪い感じなんだ。」リビングからボソッと呟く花の声に、俺の心はギクリと音をたてる。

「お父さん、又お姉ちゃんご立腹でござるよ。」

「そうでござるな。クワバラクワバラ。」ふざけて話す太一に少しだけ救われたが、やはり花の顔色が若干気になる。

ゆっくりお茶を飲んでいると、「じゃ、いってくるから。」とだけ言って、花は玄関へと向かった。

「おう、行ってらっしゃい。花ちゃん。気をつけてねー。」数秒間静けさが漂う。返事はなかった。

「おーい、じゃあ行ってくるぜー。」太一だ。やっぱりこいつに救われる。

「行ってこーい。楽しんでこいよ。」


「ねえ、二人とも学校行った?」少しして優子が部屋から出てきた。今日も俺が起きる前から仕事をしているのだろう。

「行ったよ。何か飲む?」

「あ、そうねー。コーヒー淹れてよ。」椅子に座ると、束ねていた髪の毛をほどいた。

俺がコーヒーを淹れていると、優子はテレビをつけて、新聞に目を通していた。テレビのチャンネルはニュースに合わしていた。さすが作家だ。情報収集を怠らない。

「はい、コーヒー。」

「ありがとう。圭太。どう?今日の目覚めは?」俺のことを気にしてくれる優子はやはり今日も優しい。

「良い目覚めだったよ。ありがと。」そうと言ってフフッと笑うと、「何か昨日は楽しかったなー。久しぶりだもんね、二人で飲んで、話すのなんて。」本当に楽しそうに優子は話す。

「そうだよなぁ。久しぶりだったな。俺もめちゃくちゃ楽しかったよ。なぁこれからちょくちょく飲まない?」俺も昨日はかなり楽しかった。

「んー、そうねぇ。仕事に余裕がある時ね。しょっちゅうは無理だな。」

「そうかぁ。優子、忙しいもんな。あ、肩揉むよ。」

「ありがと。あ、肩だけね。変なとこ揉まないでよ。」

「ハイハイ。」よくある夫婦の会話だ。

肩を揉んでいると、「今日は何するの?」と優子が何気なく聞いてきた。

「んー、どうしようかな。」

「まさか、職安行こうとか考えてる?」

「んー、そのうち。今日はまだ止めとこうかな。」

「何時になることやら。ハハハ。」特に急かしたり、強要したりする様子ではない優子の話し方に、何時も安心感を与えられる。

「じゃあ、今日もとりあえず散歩かな。」

「そ。まあ、家でダラダラするより健康的ね。」にこやかに話す優子の隙をついて、両手を胸に持っていった。

「ちょっと。やっぱりいつも通りじゃない。止めなさい。」何回か揉んだ後、手を離して何時の肩揉みは終わった。

玄関を出ると、川向こうの線路を電車が走っている。今日も良い天気だ。アルプスの山々をバックに走る飯田線の電車は絵になる。通勤通学の時間帯を過ぎた車内はおそらく今日も数える程度の人数しか乗ってないんだろうな。

「どうせ今日も少ない人数を電車は運んでんだろうなー。」なんとなく小声でそう呟く。

長い桜街道を歩いていると、河川敷に繋がる階段に一人の人影を発見した。漣だ。

「おーい、漣。何してんだ。」俺が大きな声を出しながら近づくと、「何にもしてねーよ。」そう言って立ち上がり、走って去って行った。

「なんだ。アイツ。」あっという間に漣の姿は小さくなって行った。今日も学校に行ってないのか。

まあ、いいや。さて今日はどのコースで散歩するかな。初夏の晴天の気持ちの良い日差しと風を感じながらこや橋方向に歩き出した。あ、止めよう。こっちの方へ行って又千秋のクソババアにあったら厄介だ。どうせグチグチ小言が始まるに違いない。二日続けての千秋論を聞くってのはかなり辛い。時又の方へ行くか。そう思い、進行方向を180度変えた。

6月の後半にもなってくると、大分暑い。半ズボンで来れば良かったと若干後悔しながらゆっくりと歩く。

春の活躍を終え、ゆっくりしている八重桜の列を横に見て、ゆっくりと歩く。半ズボンに後悔を抱く俺は、ジーンズと半袖、ビーチサンダルといった出で立ちだ。一歩一歩歩む度にビーチサンダルはジャー、シャーと地面とのハーモニーで生み出す音を奏でている。まだ蝉の声は聞こえてくる時期ではないが、春の残り香と、夏との再会を喜んでいるのか、名前もわからない鳥たちが声を発し、感情を外界へと放出している。

何分か歩いていると、赤い橋が見えてきた。何年か前に新しく誕生した時又橋だ。最近は歩いて渡ったことがなかったのでなんとなく楽しい気持ちになる。

橋の保とまで来ると、信号が青になり、何台かの車が発進する。何台かトラックが混ざっている。間違いなく運転手は仕事をしている。心の中で、お疲れ様という感情を抱く。そうだよ。俺は良い年こいて無職だ。

橋を渡ると右手には歴史が長い酒屋がある。とりあえず、入店する。

「おー、圭太。久しぶりじゃないか。元気だったか?」店主の弦太さんは昔から知っている。俺の母親の同級生だ。

「ああ、どうも。お久しぶりです。弦太さん。元気でした?」レジの椅子に座り、弦太さんはタバコを吹かした。最近のご時世では、客の前でタバコ吸うのなんて御法度だが、この地域、この店ではこれが常識になっている。

「圭太。この近場でこれだけ来ないってことは、この店は牽制されてたのか?」相変わらず鋭い眼光で話す弦太さんの鋭い空気の張り詰める雰囲気には固唾を飲むことを強いられる。

「何言ってんですか。そんなことないっすよ。」必死の愛想笑いをすると、「そうか。で、今日はどの酒をお望みか?」と、俺の心中を察している言葉が投げ掛けられた。

固唾を「え、酒?あー、どうしようかな。」

「何言ってんだバカ。早く選べ。」どうやら俺の考えなんて全て分かっているみたいだ。

「ハイボールあります?」俺の言葉が終わるか終らないかのタイミングでせっかちな弦太さんは席を立ち、500mlのハイボールを二本持ってきた。

「どうだ?足りるか?」

「大丈夫っす。」

店を出ると、眩しい日射しに、目を細める。川向こうの我が家の方を見ながらゆっくり歩く。俺の横を大きなトラックが二台走って行った。ここ何年かは毎日よく大型トラックが走っている。三遠南信道を造っている為だ。振り返り、通り過ぎたトラックを見る。あそこに乗っている運転手は今日もせっせと働いてるんだなぁ。お疲れさん。俺みたいに、すげー稼ぐ妻をゲットすれば働かなくてもいいのにね。

しばらく歩くと、天竜川を一望できるスポットにたどり着いた。

昔と違って、時又港は人影がほぼない。

「よっと。」天竜川付近まで降りて、一本目のハイボールを開ける。プシュッと俺の大好きな良い音が青空の元耳に入ってくる。

「いやいや、最高だな。」まずはゴクゴクと勢いよく、ハイボールを胃に流し込む。

「くー。五臓六腑に染み渡るぜ。」目の前の天竜川を舟下りの船が下っていく。時又港の1つ上の弁天港から出た船か。堅太郎の働いてる天竜峡の港はこの一つ下だ。

「おーい。」何時も舟下りの観光客ご一行を目にすると声を出して手を振ってしまう。ガキの頃からの習慣だ。珍しく10人程の客が乗っている。最近は不況だから客足が全然だと堅太郎は言っていたが、こういう日もあるんだな。何人かが手を振り返してきた。何時ものことだ。あちら側は俺を見てどう思ってるんだろうか。仕事の合間に手を振ってくる陽気なおじさんとでも思ってるのか。はたまた仕事もしねえで朝から酒を飲んでいい気分になって手を振ってくる陽気なおじさんと鋭い奴なら思ってるかもしれねえな。川の流れと船頭の櫂によってゆっくり川を下っていく船を見ながらもう一口ハイボールを飲んだ後、ゆっくりと立ち上がった。さて、何処に行こうかな。まだ缶の半分程あるハイボールを右手に持ち、時又港を後にして、道へと出ると、又大きなトリックとすれ違う。

「頑張ってんな。」何となく運転手に向けて呟く。

「俺は頑張らず、幸せな人間です。」又運転手に向けて呟く。大分気分が良くなってきた。こんな生活してんだから、普通なら、反省したり、自己嫌悪に陥ったりするかもしれねえな。まあ、いいや。俺は普通じゃねえだろうし。

少し進むと、モデルハウスが立ち並ぶエリアに出た。ここを真っ直ぐ行くと公園だ。

数分歩き、公園へ着くと、ベンチへ腰掛けた。運良く親子連れ等の人影はなかった。流石の俺でもそういった中でベンチに座って酒を扇ぐことは気が引けて出来ない。

「ふー。」酒を飲みながらだと、少し歩いただけで疲れる。川を渡って大分来ちまったから、これから戻って、時又橋から帰っても大分距離がある。今日の散歩コースはここからこや橋まで行こうかな。けっこうな距離を頭でイメージすると、億劫な気持ちになった。

大分軽くなった右手のハイボールを一気に喉に流し込み、立ち上がった。

「さて、歩くかな。」まだまだ距離のある我が家へのコースの一歩目を踏み出した。


「ママー。こっちこっち。」やっとのことで天竜峡付近の公園まで歩いて来た。公園では元気な子供を連れた親子連れが2組いた。

ハイボールを飲み終わっていた俺はベンチへ腰掛けた。ポケットの中のスマホを取り出し時間を見ると、30分以上が経過していた。

「けっこう歩いたな。」立ち上がり腰を伸ばす。これだけ歩いたのは久しぶりだ。何となく清々しい気分だ。

俺の足元付近にボールが転がってきた。拾い上げると、男の子がこっちへ向かい、走ってくるのが見えた。拾い上げて、男の子の方へ軽く投げると、ボールを受け取った男の子は深々と頭を下げた。まだ保育園にも入ってないであろう小さな子なのにちゃんとしている。親のしつけがいいんだろうな。後方ではそのしつけをしているであろう母親も頭を下げている。俺は軽く右手を上げた。

先程から気にはなっていたが、公園の横の芝生のゾーンに珍しい物が存在していた。キャンプ用のテントが3つ。何でだろう。ここでキャンプしている人がいるのだろうか。ベンチへ座り、じっとそのテントを見る。いや、ここでキャンプをするわけがない。キャンプってこんな住宅街の公園でやるものではないよな。自然豊かな所でやるもんだろ。キャンプじゃなければなぜテントが存在するのか。中に人がいるのだろうか。

俺はゆっくりテントに近付いた。テントは3つとも出入口が閉まっている。もう少し近付いて中の様子を伺ってみた。物音一つしない。風が吹き、テントが微妙に風に靡く音がするだけだ。

これ、中はどうなっているのだろう。そう思うと、中を見てみたい衝動にかられた。こういうのって中を見たら罪に問われるのだろうか?そりゃそうか。でも、人の気配はないし、少し見るだけなら、バチは当たらないだろう。親子連れは先程までこちらをじろじろ見ていたが、今は親子で楽しそうにジャングルジムで夢中遊んでいてあまりこちらを気にしていない。道路の一番近くにあるテントのジッパーをゆっくり開ける。段々と中が見えてきた。次第に中の様子が俺の視界に入ってくる。テントの中の様子が全て見えるまでジッパーを開いた。

なんだこれ。中を見て、直ぐに頭の中に浮かんだ感想はそんな感じだった。キャンプをするなどというレベルの物ではなかった。布団や、ガスコンロ、食器類。その他、生活していく上で使いそうな物が揃っている。

テントを出て、ふとテントとテントの間を見ると、発電機まで置いてある。

「何じゃこれ。」思わずそんな言葉が口から出た。心地良い天気と、心地良いアルコールによってつくられた気分。目の前にはよくわからないテント。何だか変な気持ちだ。

後の二つのテントの中はどうなっているのだろう。先程よりも躊躇なく、テントに近付き、中を開けようとした。

「ねえ、何してんの?」声を掛けられたのと同時に、右の肩に背後の人間の手がのった。


「ねえ、何このお金?」テーブルの上に乗った一万円札三枚を見て花が言った。

「あ、これ、お父さんの生活費。」サラッと言う優子を疑問以外何も感じてないという表情で花が見ている。

「生活費?誰の?」

「お父さんだけど。」花と優子の話を横で聞いている俺はかなり気まずい。頼みの太一は朝食を食べながら、朝のニュースに見入っている。

「さ、じゃあ我が家に戻るかな。優子、サンキュー。」金をポケットに入れ、早々に立ち去ろうとした。

「お父さん。自立してるつもりなの?」花から質問してくるとは珍しい。ただ、あまり良い方向には向かないだろうと思われる質問だ。

「ん、んーまあ、そんな感じかな。」

「・・・ふーん。じゃあいいんじゃない。」幸いにも話は終わった。

「また、お金足りなかったら言ってね。」優しい優子はいつでも気遣ってくれる。

「お父さん、風邪ひかないようにね。」

「おう、サンキュー太一。」優しい優子と太一に笑顔を見せた後、チラッと花を見る。黙々と朝食を食べていて、こちらに関心はなさそうだ。

「じゃ、行ってくる。」


今日も相変わらずの晴天だ。初夏の強い日差しは暑さをもたらしてくるが、頬を撫でてくる風がなんとも心地良い。

コンビニで買ったビールを片手に、我が家へと向かう。

この生活が始まって一週間が経った。

10日前の公園でのやり取りが、この生活を始めるきっかけだったな。駅の向かえの広場のベンチに腰掛け、ゆっくりと空を見上げて、ビールを一口飲んだ。もう、あの出会いから10日か。最近のことなのに懐かしく感じる。


「ねえ、何してんの。」ドキッとした俺は、ゆっくり振り返った。

「え、ああ。ちょっと中が気になって・・・。」俺の肩にのった手の主は、俺と同じくらいの年か、若干若いくらいと思える男だった。頭にタオルを巻いて、ガテン系の風貌だ。

「気になるって、勝手に見ちゃ駄目でしょ。ちょっとこっち来て。」大人の男が、大人の男の手を持ち、引っ張られている。何だか変な感じだ。公園の親と子供達は、全員こちらを見ていた。人間とはトラブルに非常に敏感だ。

この男の力は相当なもので、倒れそうになるくらいまで俺を引っ張りながら、あっという間に道際まで連れてきた。

「あんた、何者?」普段なら滅多に聞かれない質問だ。男は怒っているというよりも、怪しんでいるといった表情で、若干息を荒げて質問してきた。学生の時の教師に怒られていたことをふと思い出した。後方を電車が通り過ぎる。相変わらず乗っている客の数は少数だ。

「ねえ、聞いてる?」思わず電車に目線が移ってしまった俺を、今度は若干のイラつきが感じられる表情で、言葉を投げかけた。

「ア、ああ。はい。」

「ああはいじゃねえだろ。」ヤバい。俺殴られるかな。そう思った時だった。

「おーい。裕翔。」この人のことを呼んだのだろう。声のする方を二人同時に見た。とりあえず殴られることは回避出来た。声は二人組で近付いてくる人の片方のものだった。大分遠くから発せられていて、二人が到着するまでけっこうな時間を要した。早く来て欲しいんだけど。何か気まずい。

ようやく近くまで来た二人のうち一人が「何やってんの?裕翔。喧嘩かい?」同世代と思われる二人組の一人が興味深そうな顔で若干笑いながら言った。

「違いますよ。不法侵入者に注意してたんすよ。」不法侵入?「ちょっと待ってよ。ここあんた達の土地じゃないでしょ?家でもないし。まあ、他人の物に触れて色々見ちまったのは悪いけどよ。」ちょっとイラッとして、少し声を荒げてしまった。

「何口答えしてんだよ。ああ?」先程よりも怒り心頭のこの人はまた殴りそうな雰囲気で更にでかい声でそう叫んだ。

「あれ?ちょっと待って。圭太?」急に名前を呼ばれて少し頭が混乱した。俺の名前を知っているということは知り合い。

「俺だよ。優一。」懐かしい名前だ。一気にこいつの昔の顔が頭に甦った。

「優一か?まじで?」気が付くと二人でバグしていた。


「優さんの友達か。すんません。」さっきとはうって変わった態度で彼はそう話した。

「いやいや。こちらこそ。確かに不法侵入だ。すまん。」テントの横で椅子を並べ四人で話し出して、数分だけど!何か不思議な気分だった。真ん中に囲んだテーブルにはビールの缶が何本も並んでいる。謝罪の意味も込めて、俺が奢った。先程まで俺を睨み付けていた裕翔と呼ばれた青年は走ってコンビニまで買いに行ってくれた。

俺と優一は高校の連れだ。けっこう仲良くつるんでいたけど、卒業して、優一は岐阜の専門学校へ行ってからは一度成人式で再会して、それ以降は会っていない。だから20数年以上振りだ。

「いやー、久しぶりだな圭太。」そう言ってバシッと俺の右肩を叩いた。そうだった。優一はこんな感じの気楽な奴だった。

「そうだな。多分最後に会ったの成人式だぞ。」

「そうだったか?じゃ、20年以上じゃねえか。ハハハ。」俺たちのやり取りをあとの二人は黙って見ていた。

「なぁ優一。えーと、二人を紹介してくれよ。」

「ああ、ごめんごめん。さっきお前と揉めてた男が裕翔。名前はさっき、言ってたから分かるか。で、もう一人が勤だ。」それぞれ名前を紹介してくれた。二人はどもっと言いながら軽く頭を下げた。

「圭太です。よろしく。」俺も軽く返した。

「圭太はさ、俺の高校の連れ。まぁ気楽な奴だから。」と、気楽な奴に言われた。

「お前もな。で、三人はどういった関係なの?ってかここでテント広げて何してんの?」

俺が言い終わるかどうかのタイミングで三人は笑い出した。

「何?何か俺、変なこと言った?」笑い終えると、優一は口を開いた。

「いや、全然変なこと言ってねーよ。何で三人同じタイミングで笑ったんだろうな。多分今、すげー楽しいからなんじゃないかな。」まだ少し笑いながら優一はそう言った。

「楽しい?キャンプしてんの?」

「ああ、やっぱりそう見えるか?違うんだよ。俺たちさ、ここで生活してんの。」とっさに声が出た。

「え、ホームレス?」

「そう、ホームレス。ハハハ。」よく分からない笑いだ。

「え、何で?何でホームレスしてんの?仕事は?しかも三人?っていうかさ、ここ、長野県飯田市だよ。ホームレスって都会とかで生活してんじゃないの?」当たり前の質問を投げ掛けた。

「じゃあ、お前の質問さ、順番に答えていくぞ。俺たちの関係は、会社の元同僚。市内の精密会社のね。三人とも、二週間前に、クビになっちゃった。えーと、裕翔が二つしたの後輩で、勤は10コ下だ。裕翔は結婚してて、子供が小学校二年生の女の子がいて、勤は独身。あ、俺は結婚してねー。」

「そうか。で、何でホームレスしてんの。」今度は鼻で笑い、優一は答えた。

「いやー、クビになった理由がさ、三人で飲んだ帰りに、公園で二次会してたのよ。ふざけて、三人で上脱いで、ふざけてたら、いつの間にか三人とも全裸だったの。で、通りがかりのカップルに、通報されて、捕まっちゃった。で、まあ、運良く不起訴になったんだけどさ、会社クビで、裕翔は家を追い出され、勤は会社の寮で暮らしてたから出され、俺は貯蓄も少なく、収入なくかったからアパート出て、三人集まって色々話した結果、こうなったわけよ。ナハハ。」経緯と現状とは裏腹に、明るく話す優一は楽しそうだ。そして、何故か俺は哀れみの感情よりも、違う感情が芽生えていた。

「なるほど。そんなことがあったのね。でも、楽しそうじゃん。」そう言うと、現状を危惧していないのだろうと思われる三人は明るい表情で笑った。

「で、圭太。お前どんな生活してんの?」まあ、聞かれるであろう質問が飛んできた。

「あ、俺。ヒモ生活。ハハハハハ。」三人同時にこちらを見た。

「ヒモ生活ってどういうことっすか?」勤という一番若いメンバーが直ぐに聞いてきた。

「まあ、ヒモ生活よ。妻が働き、家計を支え、子供二人は勉学に励む。そして俺は金に不自由することなく、日々、ぶらぶら過ごす。そういうことだ。」

「何じゃそりゃ?どういうことだ?奥さんの仕事だけで、子供養って、お前に不自由ない小遣いくれんの?え?良い奥さんだねー。ってかそんなに奥さん稼いでんのか?奥さん何してんの?」優一の質問に、興味津々といった表情で、あとの二人も俺の返しを待っている。登りの電車が通っていく。相変わらず電車というものは音がデカい。この時間帯なんて、殆んど乗客はいないだろうに一生懸命大きな音を出して、働いている。

通り過ぎるのを待って口を開いた。

「小説家。恋愛小説。けっこう売れてんだよ。印税のお陰でこの生活だ。まあ、そういうこと。」一瞬の静寂の後、「マジ?お前の奥さん小説家なの?名前は?どういう馴れ初めだよ?」かなり驚いた様子で優一は聞いてきた。

「馴れ初め?ああ、合コンだよ。20代の時ね。名前は本名は優子。作家名はなんだったっけな?よく分かんねえや。」名前は言えなかった。馴れ初めも優一には言えない。高校の頃、どこでバイトしてたか優一はおそらく知っている。優子の情報が漏れたら我が家を特定される恐れがあるし、家がファンにばれたらヤバい。優子には何時も情報漏洩には気を付けろと言われている。

「そうか。合コンで知り合って運良く逆玉の輿婚か。お前ついてんな。」一つ溜め息をつき、優一は呟くようにそう言った。

「圭太さんって、呼んでいいですか?」急に裕翔君が聞いてきた。

「ああ、いいよ。俺は何て呼べばいい?」

「ああ、裕翔と勤でいいっすよ。なぁ、勤?」

「はい。それでお願いします。」なかなか好感の持てる奴らだ。

「で、圭太さん、どのくらい仕事してないんですか?」これも聞かれそうな質問だ。最近はあまり聞かれたことがなかったこともあり、久しぶりに仕事歴の記憶を辿る。

「ええと、最後はパチンコ屋の店員で、確か40の時か。ああ、三年仕事してねえや。」二人はへぇーといった仕草の後、裕翔は「じゃあ、三年奥さんに食わしてもらってるんですか?なるほど。」どういう心境のなるほどなんだろう。

「なんだよ。なんだよお前ら。このクズ人間がって思ってんだろう。」今度は勤が声を出した。

「んー、若干。ハハすんません。でも、家族が了解してんなら良いんじゃないですか?それに何か独自の道生きてるって感じですよ。それに俺たちも、ホームレスですから、あまり言えないっすよ。」これに優一が反応した。

「いやいや、俺らは一応自立を継続してるぞ。家なしだけど。でもさ圭太。子供達は何も言わねえのか?」痛いところをつかれた。自然と花の顔が脳裏に浮かんできた。

「まあな。色々あるよ。中二の長男は否定しないよ。俺の味方。」そこで言葉を止めた。別の話題を考える。

「で、もう一人の子供は?」直ぐさま優一は聞いてくる。そうだよな。

「ああ、長女?まぁ高一の年頃の女の子だ。あまり良くは思ってないよね。」へへっと愛想笑いを交えてそう返した。爽やかな風が吹いた。脳裏にはまだ花の顔が浮かんでいる。

「そりゃ家族みんなが良しとは流石にしないだろうな。まぁ長女が正しいぞ。何か言われるのか?」

「ああ、酒飲みすぎとか、自立しろとかさ。」

「そりゃそうでしょー。ハハハハハ。」勤がさっきよりもご機嫌な様子で笑い出した。けっこう酒が回ってきたな。

「でもよ、お前、高校の時から変な奴だもんな。普通じゃない生活の方が似合ってるよ。」

「でも、圭太さん。自立しようとは思ってるんですか?」当たり前の質問で、ちょくちょく言われることだが、真剣には考えてこなかった。

「考えてないよー。楽だもん。俺さ、世間的とか一切気にしないし、妻も優しくて、まだまだヒモ生活満喫させてくれるだろうしね。」俺が話し終わるかどうかのタイミングで、「クズだねー。」と優一が叫び、四人で爆笑した。

「えー、でも、このままで娘さんはどうなんでしょう。」裕翔が痛いところをついてきた。

「娘は自立しろって思ってるよ。勿論。」そう言った後、ふと思い付いた。

「なぁ、お前らって自立と言えるのか?」三人は顔を見合せ、「あー。」と、ほぼ同時に声を発した。

「自立なのかな。んー、自分たちの貯蓄で、生活はしているけどな。そう言った意味では自立か。でも、仕事なしの収入なし。あ、ここも俺らの土地じゃぁねえから家もねえや。ハハハ。」自虐的にそう話す優一の後方に蝶々が羽を動かして楽しそうに飛んでいる。あの蝶々は自由なんだろうな。

「でもさ、俺よりは自立してるよねー。」

「そりゃそうだろ。」

「当たり前っすよ。」

「そうでしょ。」再び三人又ほぼ同時に声を発した。

「なるほど。」そう呟いて、少し思考を働かせた。

この生活ちょっと興味が湧いてきた。一応自分たちで生活を成り立たせている。仕事はしてないといっても、住みかは確保している。自分の土地ではないにしてもテントは所有していて、設置位置も、公園の横の横で、誰にも迷惑をかけていない。そして、この三人は楽しそう。どの様な状況でも俺には優子という金融機関がある。

「なぁ、俺もここで生活する。」

「はぁ?」又々三人ほぼ同時に声を発した。

(2)

テントに着くと、勤がベンチに座り、歯を磨きながらスマホを見ていた。

「おーい、勤。ただいま。」

「あ、圭太さん。お帰りなさい。」

「あれ、優一と裕翔は?」何時も三人がここで揃っていることはあまりないがなんとなく聞いてみた。

「あ、食料調達です。」

「へー。」あの二人は釣りが趣味だから、毎日のように天竜川へ降りて、行っている。年間の遊漁券を持っているホームレスは珍しいだろうな。

「圭太さん何処行ってたんすか?」歯磨きが一段落着いたんだろう。豪快にうがいを始めてそう聞いてきた。

「あ、俺。資金調達行ってきたんだよ。」先程の俺のようにへーと返す勤。どう思っているんだろうか。

ここで生活し始めて一週間。テントなどの必要物品はネットで購入して直ぐに引っ越しは出来た。家族も特に反対はしなかった。まあ反対されるとは思っていなかったけど。優子と太一は面白そうだと興味津々で、花に関しては我関せずといった感じだった。金を貰いに行ったのは一週間で今日が二回目だ。そう。俺は何も生活に不自由しないホームレスを満喫している。ホームレスと名乗っていいものなのかさえ分からない。そういった点は他の三人も同じなのだろうけど。でも、俺はこいつらみたいに職を追われて、生活の場を失った訳ではなく、余裕がある。ただ、自立を促す花の目がちょっとやっかいだっただけだ。ある意味興味本意でこの生活をしている。

「どうしたんすか?圭太さん。ボーッとして?」

「あ、いや何でもない。さぁて、今日は何すっかなー。」背伸びをして空を眺める。今年は本当に雨が少ない。今日も爽快な青空が俺たちを見下ろしている。

「なぁ、勤。俺さ、この生活始めて一週間だけどさ、まだ今だによく分かんねえんだけど、ホームレスって日常何してんの?食ってかなきゃだから、日銭稼ぐこととかするんだろ?」俺はこの生活始める前に優子から資金を貰ってきた。けっこうな額を。そして今日2回目の資金調達。金に不自由してないホームレスなんているのか?でも、優一たち三人もあまり生活に苦労している感じはない。

「さぁ。何してんすかね。俺たち3人はこの生活始める前、ホームレスの人たちのこととかの知識なかったし、とりあえずこの生活始めただけだから。まぁある程度蓄えあるし、ずーっとこの生活していく訳じゃないから、とりあえずその場しのぎの生活って感じっすよ。まぁ圭太さんとホームレス生活1ヶ月も差がないじゃないですか。ほぼ同期っすよ。」

「そうか。でも、ホームレス先輩とホームレス後輩には変わりないよ。ハハハ。」

たわいもない会話をしていると、ジリジリと肌を攻撃してくる紫外線に改めて気付く。

「なぁ、勤。あちいなー。」

「仕方ないっすよ。夏ですから。」暑そうな顔をして勤は空を眺めた。

「まぁな。夏って暑いよなー。・・・飲むか。」夏、そして暑い日差し。やはりビールだな。

「いいっすね。奢りっすか?」勤が身を乗り出して聞いてくる。

「当たり前よ。金はある。」

金はある・・・か。こんな台詞を吐けば自分が嫌になる奴もいるだろう。でも、俺は全然そんな気持ちにならない。お金に不自由しないホームレスで、自由気まま。最高じゃないか。ヒモで家で酒浸りな生活してるよりは全然自立しておるわ。

「なぁ、勤。ビール大量に買ってバーベキューしようぜ。」

「いいっすね。最高。」

俺と勤は天竜峡駅に向かった。この辺りで酒も肉も買える店は近くにない。ホームレスをするには向かない場所だ。金を持っていれば別の話。


「いやー、圭太さん。大分買い込みましたね。」勤と俺は大きな段ボールをそれぞれ持ち、飯田線を走る電車の中で、大きな声で話していた。二両しかない電車の片方には、じいさん二人がそれぞれ少し離れた所に座っていて、あとは俺たちだけだ。大きな声を出しても気にはならなかった。

「これだけ酒と肉買えば4人とも腹一杯だぞ。ナハハ。」流石に声がデカかったのだろう。二人のじいさんは同じようなタイミングでこちらを見ていた。少し声のトーンを下げる。

「なあ?あいつらはもう帰ってきてるのかな?」俺がこの生活を始めて、三度あの二人は釣りへ行ったが、魚の引きが悪いとすぐ帰ってきて、逆に良いと長時間帰ってこない。今までは二度直ぐに帰ってきて、一度だけ長いこと帰ってこなかった。

「どうですかね。朝飯食って直ぐに行ったから、もうじき帰ってくるでしょ。」スマホの時計を見るともうじき11時になろうとしていた。

「あ、勤。そういやバーベキューの道具ってあんの?」ふと思い付いた。道具がないと、又買いに行かなきゃ行けない。

「大丈夫っす。俺けっこうバーベキュー好きなんで、一式揃ってますよ。」

「そうなんだ。確かにお前達のテントの中って色んな物があるもんね。」一応それぞれのプライベートは確保するということで、自分以外のテントの中には入らないという決まりが最初からあったみたいで俺も、忠実に守っている。しかし、最初に不法侵入した記憶が鮮明に残っていた。勤もあの時のことを言っているのだと思ったのか、追及してこなかった。

天竜峡駅に着いて、段ボールを持って車内に出ると、その重さから、テントまでの数100メートルの距離に嫌気がさした。

「勤。けっこうしんどいぞ。」

「頑張りましょう。圭太さん。テントまで行けば、バーベキューが待ってますよ。」

「おお、そうだな。」やはり勤は若い。

「おーい。圭太。」駅を出て、線路を渡ると、道向かいの土産屋から良さんが手を振っていた。

「良さん。お疲れ様ですー。」何時も通りの挨拶をすると、店が暇なのか、こちらへ向かって走ってきた。

「何してんだ?そんな大荷物持って。」ここ何年かは店の前を通るときは酒の缶しか持っていなかったから気になったんだろう。

「これからバーベキューです。ええと、我が家で。あ、こいつは勤です。大分年離れてますけどダチです。」

「どうも。はじめまして。」勤は深々と頭を下げた。

「おお、どうも。あれ、圭太。お前の家って、こっから1キロちょいあるだろ?そんな荷物持って歩くのか?」当然の質問だ。俺の

実家からここまではテントまでの距離と比べると大分遠い。

「いや、引っ越したんっすよ。直ぐそこに。」

「え、お前、ついに家追い出されたか?まぁ仕方ないっちゃぁ仕方ないか。ハハハ。ふーん。・・・あれ、この辺にアパートあったっけ?」冗談なのか、本当にそう思っているのかよく分からない良さんの反応にあい、なんとなくの言葉を返した。

「良さんならいいか。ちょっと着いてきてもらっていいっすか?」別に隠す必要はない。

「何?どこ行くの?あれ、俺をボコる気か?」半笑いでいつもの様に良さんは答えた。

「何行ってんすか。兄貴をボコるわけないっしょ。今仕事暇っすか?」良さんは俺が言い終わる前から笑い出した。

「暇に決まってんだろう。アホ。忙しい時が年に何度あるんだ。」空を見上げて豪快に笑う良さんは愉快だ。俺はこの横顔が大好きだ。

「そおっすよね。良さん。じゃあ飲みましょうか。」言いながら抱きついた俺に戸惑いの言葉を良さんは返した。

「は?飲む?今から?」疑問の言葉を連チャンで投げかけてくる良さんはやはり愛くるしい。

「そうっすよ。ダメですか?大の大人が昼間っから酒飲んで酔っぱらっちゃ?」

「ダメじゃねえよ。バカ。圭太。飲ませろ。」即答してきた良さんはやはり昔から俺の大好きな良さんだ。


「よーし、勤、肉焼けー。」手慣れた様子で勤は肉と野菜をバランス良く焼いてくれる。

「なぁ、圭太。1人いくらだ?飲む前に払っとかねえと、酔っちまってからじゃ分かんなくなっちまうからさ。」良さんは昔から律儀なところがある。まぁそこも良いところなんだけど。

「いらねえっすよ。俺の奢り。勤も払ってないですから。」

「え、そうなの?」

「そうですよー。全部圭太さんの奢りでーす。今日資金調達行ってきて金持ってますから。」勤の言葉を聞いて、良さんは理解した様子だ。

「あー、なるほど。そうか。じゃあお言葉に甘えるか。」

「どうぞ。どうぞ。」律儀さと、気楽さが交ざっている良さんはやはり接しやすい。

「いやー。しかし、こういうことだったとはな。」テントを見ながら良さんはビールを一口飲んでそう言った。

「こういうことですよ。引っ越したんです。良さんの家と近所ですよ。」良さんはどう思ってるんだ?又圭太が変なことやってやがると思ってるんだろうな。

「なんかお前っぽいな。こういうことするの。」俺の思っていることが見透かされたかの様な良さんの発言だ。

「でも、圭太さんだけじゃないっすよ。俺ら三人も変ですから。こんなことしてるんだから。」勤が自虐的にそう話終るかどうかのタイミングで、遠くの方からおーいという声が聞こえてきた。

「あ、帰って来た。」勤が手を振ると、優一と裕翔も手を振り替えしてきた。


「で、成果はどうなの?釣れた?」近くまで2人が来ると、手には今日釣れた魚があった。

「バッチリ。五匹ニジマスゲットよ。ってゆーかバーベキュー始めてんのか?いいねー。丁度魚も焼けんじゃん。」なかなかの出来栄えに上機嫌の優一は満面の笑みを見せた。

「五匹か。丁度いいね。人数分じゃん。あ、良さん。俺の高校の同級生の優一と、優一の元同僚の裕翔です。で、こちらが、良さん。俺の幼なじみの兄ちゃんだ。」それぞれに紹介した。

「知ってるよ。」優一がビールを一口飲んでそう言った。

「え、あ、そうなの?」何で知ってるんだろう。

「お土産屋さんの店長だろ?何度も行ってるもん。地元民だからお土産は買わないけど、クラフトビールとか食料品もおいてあるだろ。たまにこの辺に来たとき寄ってる。よく話してますよね。」慣れた感じでそう良さんに話しかけた。

「そうだね。でも、圭太の同級生ってのは知らなかったな。」

「俺も圭太の幼なじみってのは知らなかったです。」

「あ、そういうことね。」自然と会話が弾んだ。裕翔は知らなかったみたいだ。

「でもさ、お前たち、いつまでここにいるの?」誰しもが思うであろう質問だ。そりゃそうだ。大の大人が4人ホームレスやってんだから。いや、ホームレスかぶれってとこか。

「んー、どうする?」うすうすは分かっていたが、みんなノープランだ。かくいう俺もノープラン。この生活を始めた一番の理由は花の目が気になって、形ばかりの自立をしようと思ったからだ。何時までとかは決めていない。

「分かんねえっすよ。ハハハ。」

「ハハハじゃねえよ圭太。でも、まあ面白いな。何かいいじゃん。大人の青春みたいな感じ?」

「お、いいっすね。良さん。ナイス表現。」裕翔が良さんを指差しながら、笑顔でそう返した。初対面の人間に馴染む対応力は裕翔も勤も高いな。

「俺も近所にこういうことしてるツレがいると楽しいしな。」

「よっ。理解ある先輩。」

「イエーイ。」4人で乾杯をした時、ふと公園に目が行った。

ベンチに座る高齢の女性。こちらがこんなに盛り上がっているのに、見向きもせず、下を向いて、静かに座っている。

「あれ、良さん。あそこ。何か寂しそうなおばあちゃんいますけど、知ってます?」良さんに聞くと、「いや、知らないな。この辺りの人じゃないんじゃないか。」じっと見ながら良さんは言った。そのまま良さんは目線を外さず、何か、考えている様子だ。

「何か、様子が変だな。圭太。ちょっと見てこよう。」昔から正義感の強い良さんはあの人が気になるようだ。確かに様子はおかしい。

俺と良さんは、ゆっくりと、公園のベンチに座る女性に近付いた。

「こんにちは。」良さんが優しく話しかけた。

「あ、はい。こんにちは。」おとなしそうな高齢の女性は、若干驚いた様子だ。

「あ、須藤さんですか?」急に名前を確認された。待ち合わせをしている人間のことだろうか。しかし、この人は顔も知らない人と待ち合わせをしているのか。

「いや、違いますよ。」俺がそう言うと、「そうですか。」と、持っている紙袋を大事そうに抱えた。

「あの・・・。ちょっとすみません。」良さんは何かを思い付いた様な感じで、女性に話しかけた。静かだが、焦っている様な表情で良さんを見上げた。

「どうして、その須藤さんっていう人と待ち合わせしているか聞かせてもらってもよろしいですか?」良さんの言葉に、「えっ」と小さい声を発し、直ぐに目線を外したかと思うと、困った様な顔をして、静かに溜め息をついた。

「なんでも・・・ないんです。」なんでもない様には見えない女性は、又一つ溜め息をついた。

「誰かに金を持ってくるように言われてません?」女性とは正反対の、きびきびした声で聞く良さんは、彼女の表情の変化を見落とさないためか、しっかりと顔を見ている。

「違うんです。あの・・・孫が、事故を起こしてしまったそうなんです。相手の方が、足を骨折してしまったみたいで。示談金を請求されて困っていると本人から電話がありまして、今上司の方がこの公園に向かってます。えーと、須藤さんが。」マジか。テレビで見たことしかなかった。まさか間近で見れるなんて。

「あの・・・。ご自宅はこの辺なんですか?」既に気付いてるであろう良さんは冷静に質問していく。

「あ、いえ。私の家は飯田駅の直ぐ側にあります。孫が、天竜峡駅の直ぐ近くの公園に持ってきてと言うので。会社がこの辺りみたいです。」おそらく家の近くだとこの人の知り合いに遭遇するおそれがあるから、離れたこの場所を指定したんだろうな。いやー、なんかワクワクしてきた。良さんどうするんだろう。

「おいくら持ってらっしゃったんですか?」

「200万円です。」又紙袋をぎゅっと抱え、静かに呟くように返した。

「そうですか。怪我された方との示談が上手くいけば良いですね。須藤さんとは何時に待ち合わせてるんですか?」

「1時半です。」

「わかりました。失礼しました。」あれ?終わり?これで良さん終わりにするの?疑問に感じつつ、俺たちは立ち去った。

「良さん。何で?絶対詐欺じゃん。ほっとくの?」テントに戻り、第一声は当たり前の質問をした。

「どうだった?圭太。何かあのばあさんと話し込んでたけど。」呑気にニジマスを食べながら、優一が聞いてきた。

「詐欺だ。本当にあるんだな。こんなこと。って良さん何で話終わりにしちゃうの?ヤバいじゃん。あのおばあちゃん。」俺の質問には答えず、腕時計を良さんは見た。

「今、1時を少し回ったところだ。あのおばあちゃん孫が心配で急いで来たんだろうな。まだ時間あるのにもう準備してる。あと少ししたら自称須藤さんは来るだろう。捕まえるか。」

「あー、そういうことね。そっちの方が面白そうか。ハハハ。」良さんの意図が分かると、面白さが増してきた。

「まじで詐欺なの?やべー。」楽しそうに優一が言うと、裕翔と勤も楽しそうに、「やベーっすね。」「やっちゃいましょうよ。」と、典型的な酔っぱらいの反応を見せた。

「ちょっと待てよ。ふざけてると逃がしちまう。俺たちのやるべき行動を確認するぞ。」良さんによる作戦会議が始まった。


1時半になる少し前に、自称須藤さんは周りを気にしながら公園に入って来た。横の広場では、酔っぱらい5人が騒いでいる。初めは警戒している様子だったが、ただの酔っぱらいたちと判断したのか、気にせずに、おばあちゃんのいるベンチへと向かって行った。

「おーい。ちょっとトイレ行ってくる。」

「うるさいっすよ。さっさと行ってくださいよ。ハハハ。」自称須藤さんは良さんや、俺たちの大きな声のやり取りに反応して、チラチラこちらを見てくるが、警戒している感じではない。こちらを見ながら、おばあちゃんと言葉のやり取りをしている。

その時だった。打ち合わせ通り、良さんはトイレから少し離れたベンチに向かって、ダッシュした。その姿を見て、俺たち4人もベンチへ向かって走った。一瞬の事で、自称須藤さんは気付いたときには、良さんに腕を捕まれていた。数秒後、俺たち4人もベンチに到着した。

「ちょ・・・ちょっと何ですか?」激しく動揺している様の自称須藤さんは、立ち上がろうとした。俺はそれを静止して、両肩に手を置いて、再び座らせた。

「どーも、須藤さん。本名は何だか知りませんけど。」冷静な口調で、良さんが語りかけた。

「何ですか?私は須藤ですよ。あ、あなたたちは誰なんですか?」何かスゲー面白くなってきた。俺も何か言いたい気分になった。

「俺たちはおばあちゃんの友達だよ。」

「な、何言ってんですか?警察呼びますよ。」その一言で俺たちは全員爆笑した。おばあちゃんは目を丸くして、このやり取りを見ている。

「いーよ。いーよ。呼びなよ。」裕翔が笑いながらそう言うと、「いや、何か命令しているようで、嫌だな。俺、電話します。」勤が、ポケットからスマホを取り出した時だった。

「ちょっと待ってくださいよ。」勘弁したのか、自称須藤さんは力なく肩を落とした。

「じゃあ、ちゃんと話してくれますか?」良さんは冷静さを保ち、優しく自称須藤さんに話した。

「・・・はい。すみません。」


「ほい。コーヒー。おばあちゃん、お茶って冷たくて良かった?」

「ああ、ご丁寧にすみません。」

「あ、ありがとうございます。」違った意味で二人は凝縮して、勤が買ってきたドリンクを受け取った。俺たちこ5人は相変わらず全員アルコールを手にしていた。

「で、あなた本名は?」昔から酒が強い良さんはアルコールが大分入っていても、相変わらず冷静に質問を投げかけた。

「すみません。佐川さん。本名は山口と言います。山口太一です。すみません。」どうやら本名は山口というらしい。そしてこのおばあちゃんは佐川さん。

「で、組織ぐるみの犯罪なの?この飯田市でってことはないだろうから、拠点は名古屋とか?」大きく首を振った山口は、「いえ、組織ではないんです。俺、1人なんです。」小さな声で話す山口に、すかさず優一が「本当にー?仲間をかばってんじゃないの?」こちらは大分酒が回っている話し方だ。

「いえ、本当に1人なんです。」

俺も大分酒が回ってきたみたいだ。楽しくてしかたなくなってきて、山口をいじりたい衝動にかられた。

「どうやってやったんだよー?山口さんよ。知識は?犯罪知識はどこで習得したんだ?アホ。」

「ちょっと待て圭太。冷静に話せよ。飲みすぎだぞ。」久しぶりに良さんにガチのダメ出しをされた。確かにそうだな。

「あーい。すんませーん。」ふざけ半分で返事をすると、「アハハ。」と佐川さんが笑った。何だかホッとした。初めて見る佐川さんの笑顔だ。他の4人も何だかそんな雰囲気になっている様に感じた。山口は相変わらず下を向いて、項垂れる様に、俺たちの質問に答えた。

「知識は薄っぺらいもんです。テレビでこういう犯罪の犯人の手口をやっていて、それを真似ました。」すかさず良さんは聞いた。

「よく個人情報分かったね。電話番号とか、家族構成とかさ。どうやって知ったの?」確かにそうだ。どうして薄っぺらいと本人が語る犯罪知識で分かるんだろう。

「あ、電話番号を知ったのは、佐川さんの鞄に着けてあるキーホルダーです。紛失したとき用に電話番号と名前と住所書かれていて。電車の中で見て、その場で携帯にメモして。それで、そのまま後を着けました。家の場所が分かったんで、3日間くらい佐川さんの家を張り込みました。すみません。」フーッと一つ息を吐き、良さんは「なるほど。それで家族構成を確認して、佐川さんが日中一人になることが分かったから犯行におよんだってわけだ。」

「はい。本当にすみませんでした。」

「初犯なの?」テレビで見る刑事の様に良さんは淡々と質問を続けていく。

「はい。初めてです。」本当かな?

「おいおい、本当かー?なんとでも嘘つきゃ物事が通ると思ったら大間違いだぞー。アホ。」

「だから圭太。ちょっと静かにしてろよ。」再びダメ出しを食らった。俺のダメ出しは佐川さんのツボなのか、又クスッと笑った。嫌な気はしない。逆になんだか安心する気分になる。

「じゃあ、経緯教えてもらっていい?なんでこんなことしたか。」山口は少しの間沈黙をつくった後、小さな声で話し始めた。

「あの・・・当面の養育費の為です。俺、別れた奥さんとの間に、小4と小1の娘がいるんです。離婚して1年になるんですけど、働いていた運送会社が潰れて、無収入になって、それでやけになって、職探しもせず毎日酒ばっか飲んでたら、貯金なくなって、ヤバいと思ってこんなことを思い付きました。すみません。」なるほど。色々あるのね。

「ねえねえねえ。なんで別れたの?」酔っぱらいというのは人の痛いところをつくのが性である。

「お前ね。そういうことを聞いてやるなよ。」良さんがすかさず切り込んできた。確かに嫌なことを聞いてしまったかな。良さんは優しいから、いくら詐欺師でも、道徳心をもって接している。

「浮気です。」予想外に山口は答えた。

「え、言うんだ。」すかさず突っ込む良さん。

「フフフ。」笑う佐川さん。この人笑い上戸なのかもしれない。山口が答えたってことは聞いてもいいということだな。

「どこの誰と浮気したの?ねえねえ。っていうか、あんた何歳?」今度は良さんは俺に注意をしなかった。

「自分は38です。相手は働いていた運送会社の受付の女性です。普段から仲良くて、段々親密になってきて、付き合いました。妻には携帯を見られて、バレました。それで離婚です。馬鹿ですよね。」

「馬鹿だね。妻は大事にしないと。俺は夫婦円満良よ。やっぱり妻は大事にしないと。全てを失くしてからじゃ、後悔しか残らないだろ?」俺の現状を知らない山口は、納得した顔で、「はい。」と答えた。

「お前ね。普通ならお前もとっくに離婚されてるよ。」すかさず優一が突っ込んできた。

「ですよねー。」裕翔と勤は同時にそう言った。

「だけど俺、浮気しねーもん。妻大好きだし。」

「なんじゃそりゃ。」呆れた顔の良さんは大分見慣れた。

「で、どうするんですか?警察につき出すんですか?」冷静に勤が切り出した。

「すみませんでした。これから警察に行きます。信用されないと思うので、どなたか一緒に行ってもらえますか?」本当に反省している様子で山口はそう言った。でも、山口の反省が本当なら警察につき出すべきなのか?

「良さん。どうします?俺、佐川さんがよければ警察につき出す必要ないと思うんですけど。」良さんは少しの間考え、「佐川さん。どうした方が良いですか?佐川さんの判断に従います。」佐川さんは即答した。

「警察に行く必要ないですよ。こんないい人なんですもの。」にこやかな顔で優しそうに佐川さんは返した。佐川さんの言葉を聞いて俺は久しぶりにうるっときた。それをかくすためには声を発するべきだ。

「よーし。じゃあ警察行く必要なし。」そう言って、山口の肩を叩くと震えていた。

「良さん。それでいいですよね?」良さんも即答して、「そうだな。佐川さんがオッケーなら俺らは何も言えねえよ。」鼻を啜る音が聞こえて、山口が言葉を発した。

「あの・・・ありがとうございます。こんなひどいことをしたのに。ありがとうございます。すみません。」本当に反省しているのだろうな。

「いいんですよ。私も勉強になりましたから。もう詐欺に引っかかることはないでしょう。フフフ。」いいことを思い付いた俺は立ち上がった。

「さあ、みんなで飲み直すか?なぁ?」

「いいねぇ。」

「いいねぇ。」

「圭太さんナイスアイデア。」

「ヒモさんナイスアイデア。」陽気な酔っぱらいたちは時として世の中を明るくする。

「おい、勤。今ヒモっつったろ?」

「フフフ。」


「おーい、勤。酒ねえぞ。」俺の大きな声にゆっくりとビールを飲んでいた勤は面倒さそうに立ち上がって「分かりましたよ。五月蝿いなー。」と自身も酔っぱらっている感をさらけ出しながら、クーラーボックスへと向かった。

「はいよ。圭太さん。ハイボールね。」

「おう。サンキュー。」500CCの缶を渡した後、酔いが回っている感じの勤はフラフラと自分の席へ戻った。先程までの現状と全く違う景色を見ながら、俺はフフッと自然に笑みがこぼれた。

少し前までは、詐欺師が来るとか、どうやって捕まえるとかと言っていた俺たちが、約1時間後には加害者候補と、被害者候補と一緒に酒を飲みながらバーベキューをしている。

「あれ、佐川さんは酒飲まないんすか?」佐川さんはさっきから烏龍茶をゆっくり飲んで、ニコニコしながら俺たちの話を聞いていた。

「あ、そうですね。お茶を頂いていますから。」

「そうっすか。あんまり酒飲まないんですか?」裕翔が不意に聞いた。

「たまに。フフフ。」飲むんだな。勝手な決めつけだけど、けっこう年がいってる女性は飲まないと思っていた。

「へー。じゃあ飲んでくださいよ。何飲みます?」

「おい。圭太。あんまり強制すんなよ。」大人な良さんはやはり酒の場でも、周りの気配りが素晴らしい。

「すんませーん。」俺の言葉に慌てたような口調で佐川さんは、「いえ、いいんです。実は私けっこうお酒好きなんです。」予想外の返しだ。

「そーなんですか。じゃあ飲んで下さいよ。」少しの間が出来た後、「ごめんなさい。私ワインしか飲まないんです。」なるほど。

「なんだよ。言ってくださいよ。おい勤。はい、これ。買ってきて。」千円札を勤に渡すと、「えー。俺?なんだよ。これじゃ酒係じゃん。」酔いが周り、動きたくないのか。

「いやいや、いいんですよ。私お茶で。」慌てた様子で、佐川さんは言った。

「いや、大丈夫ですよ。俺らばっかり飲んでちゃ気が引けるので。おい勤。もう千円あげるから、タクシーで行ってこい。駅に何台か停まってるからさ。釣りはいらねえから。」

「あ、そう。そういうことなら行ってきます。」なかなか単純な奴だ。


「じゃあ、改めて乾杯しますか。かんぱーい。」勤が佐川さんのワインを買ってきて、改めて俺たちは乾杯をした。ここからコンビニまで1キロもないので、待っていた時間はそれ程なかった。

「なんかすみません。私までお酒頂いて。」コップ一杯に注がれたワインを両手で持ち、佐川さんは恐縮した様子でそう言った。

「いいんですよ。佐川さん被害者なんだから、沢山飲んでください。加害者も飲んでるんですから。おい、太一。お前加害者なんだから沢山飲めよ。」

「いやいや、圭太さん言ってることよくわかんねえよ。」

「フフフ。」俺たちのよくわからない会話に、笑い上戸と思われる佐川さんは笑みをつくって一口ワインを口に運んだ。

「すみません。じゃぁ頂きます。」太一も手にしたビールをぐいっと飲んだ。

宴が再開され、一時間くらいが経った。大分みんな良い感じに出来上がってきた。公園の時計に目をやると、15時を若干回っていた。

「なぁ、太一。お前さ、これからどうするんだよ?」大きなお世話だよとは言えない立場の山口一は腕を組み、真剣に考え出した。

「そうですね。とりあえず、職探しですね。」

「フツー。普通の答えじゃねえか。」特にどんな答えを期待していたわけではない。

「いや、ちゃんとした答えでしょ。」裕翔が言うとおり、正しい答えだけどな。

「何かさー。又詐欺やらかします。今度はもっとしっかり計画立ててとかさ。」瞬時に太一は「いやいや。もうしません。絶対に。」

「そうだぞ。俺たちみたいに全うに生きろ。」

「全うな分けねえじゃん。」優一はすかさず切り込んできた。確かにそうだが。

「だけどな、俺たち別に何も人様に迷惑かけてねえぞ。ただ、人とは少し違う生き方をしてるってだけ。だけど太一はもう少しで佐川さんから大金ぶんどって犯罪者になるとこだったんだぞ。いや、佐川さんが被害届出してたら犯罪者だな。俺たちはそれを止めた。今の、そう、今の段階では俺たちは全うに生きてる。うん。間違いない。」俺の言葉を聞いた太一は、「そうっすね。お恥ずかしい。」と言って、恥ずかしそうに、頭を掻いた。

「そうそう。太一。分かりゃいいんだ。」

「よく言うぜ。」聞き捨てならない返しを良さんはしてきた。

「ちょちょちょ。何ですか?良さん。今いいところなんですから、もうちょっと演説させてくださいよ。」

「お前ね。高給取りの奥様に養ってもらってるヒモ男が何言ってんだよ。」太一はすかさず「えっ?」と言いながら驚いた様子で、俺を見た。

「それを言わないでよ。なんか自立感が薄れてきちゃうじゃない。」

「何が自立だよ。毎日奥さんに小遣い沢山貰って飲んでばかりの奴が。」相変わらず驚いた顔をしている太一は、「奥さん、そんなに尽くしてくれるんですか?」今度は優一が口を開いた。

「違う違う。おそらく、どうしようもないから、金与えてんだろ。仕事やらねえ酒好きだからな。」二人して俺を小馬鹿にして、顔を見合せ笑っている。

「あのね。誰しも俺みたいな施し受けれるってわけじゃないのよ。」

「なるほど。なるほど。」頬を赤らめた太一は大きく2回頷いた。太一は大分酔いが回ってきたのか、先程までの緊張した感じが薄れてきた。昼間の酒はやはり回るのが早い。続けて俺に質問してきた。

「え、どう言うことですか?」

「よく聞いてくれたな犯罪未遂者太一よ。」

「その言い方止めてくださいよー。」フフフと横で佐川さんが再び笑った。

「だからね。運と魅力よ、魅力。俺は若くして、恋愛小説家で大成することになる妻と知り合った。こんなことって普通ある?ないよね?神様が引き合わせてくれたのよ。強運の持ち主。はい、それが一つ。後は俺の魅力だよね。まぁ魅力っつーか希少性っつーのかな。この人じゃなきゃ嫌。この人がいい。例え仕事をしなくても。って妻に思わせれる俺。な?太一。誰でもこうなれるって訳じゃないのよ。だから俺はお前みたいに変なことを考えて、金ゲットしようなんて思わなくても、やっていけるの。分かった?」

「分かった?」優一と勤が同時に聞いた。

「いや、分かんないです。」即答する太一。

「フフフ。」笑う佐川さん。

「まあ直ぐに分からなくて結構。」そう言うに留めた。


宴は終わり、太一と佐川さんは帰っていった。公園の時計に目をやると、5時を回っていた。

「よーし、じゃあ行くぞ。起きろー。」裕翔、勤、優一の順番でテントから出てきた。それぞれのテントで仮眠していた俺たちは入浴セットを持ち、温泉へと向かった。

「あ、良さん。おーい。」大分飲んでいたからだろう。流石に酒が強い良さんでもだるい感じで店の前のベンチに座ってぼーっとしている。俺たちに気付くと右手だけゆっくり上げるだけだった。俺たちは何も返さず、百メートル程ある上り坂を歩いた。坂を登りきれば温泉がある。昼間から酒を飲み、少し休んでから温泉へ行く。なかなかないホームレススタイルだ。しかしこれはまぎれもない自立なのだ。

「いやー、毎日登ってる坂だけど、酒入った後はキツいっすねー。」裕翔はしんどそうに空を見ながら歩いている。

「そうか?俺なんてしょっちゅう酒飲みながら長距離歩いてるから全然平気。」世間一般では非難されるであろう。そんな言葉を発し、数メートル小走りしてみた。

「なんにも自慢にならねえよ。」

「確かに。ハハハ。」そんな会話をしていたら、坂を登りきって、龍道温泉へと着いた。

この龍道温泉は観光地天竜峡の名所の1つで、俺が産まれる前からある。遠方からの泊り客だけの利用以外に日帰り入浴もしてるから地元の常連客も多い。特に俺たちなんか、毎日来てるから売り上げ大貢献の特待常連客様だ。

「ヘイヘイヘイ。又今日もやって来たぞ。4名様だ。」受付けからはヘヘッという笑い声が聞こえてきた。

「分かってるよ。」入口までゆっくり歩いて明夫は「あれ、なんかみんないつもと様子違くない?」俺たち4人の顔を見たあとそう言って又ヘヘへと笑った。

「あれ、分かった?」

「分かるよ。みんな顔真っ赤だぜ。あー、飲んだわけね。いいなあ、気楽ななんちゃってホームレスさんたちは気楽で。」この時間はまだ暇なのだろう。言葉を発した後、入口近くのソファーに座ってくつろいでいる。明夫は俺の中学までの同級生で、すなわち幼なじみだ。良さんとはよく知った仲だが、優一とは面識はなかったが、毎日の様にここに来るようになって、もう友達感覚で話している。裕翔も勤もそうだ。

「なぁ圭太、早く風呂行った方がいいぜ。」何だろう。何か意味深なことを明夫が言ったが、表情が落ち着いていることもあって、危機感を感じない。

「へ?何で?」俺がそのセリフを言い終わった時だった。女風呂の扉が開いた。

「いやー、明夫。今日もいい風呂だったよ。今日の風呂後は牛乳にしようかねー。」おいおいおい、千秋クソババアじゃねーか。何でこの時間に温泉入ってやがる。

「はい、明夫、牛乳いくらだったっけな。ん?・・おいおい圭太。なしてんだい?」面倒くせーな。おい。ゆっくり風呂入らせてくれよ。

「ちょっとね。ひとっ風呂浴びようと連れと来たの。じゃあね。」

「ちょっと待ちな。」やっぱりな。ここから又小言がグチグチ始まるんだよ。面倒くせー。

「圭太。職探しはどうしてんだい?」はいはい。きました。

「なかなかね。うまいこといかないんだよね。まだまだ頑張ります。それじゃ。」男風呂入っちまえば一件落着だ。

「まだだ。待ちな。」しつけー。

「じゃ、圭太。先に行ってるな。」優一はそう言って風呂に入って行き、裕翔と勤も、千秋ババアに「どーも。」と言いながら風呂へと消えて行った。

「お前。本当に職探ししてんのかい?」助け舟候補がいなくなってしまい、ただただ嫌な気分だ。

「やってる、やってる。頑張ってますよ。」嘘をつき続けるしかないな。早く帰れよ。

「どうだかね。ま、いい年こいて女房に食わしてもらってる情けない現状を早く改めることだね。」親でもねえのに本当にいつもうるさいババアだよ。

「はーい。頑張ります。じゃっ。」

「ちょっと待ちな。」なんだよ。まだなにかあんのかよ。

「なんだよ千秋ちゃん。俺早く湯に浸かりてえよ。」俺の質問には答えず、ババアは続けた。

「蓮がいつも桜街道の辺で一人でいるんだ。あんたもあの辺りウロウロしてるだろ。何か知ってるか?」今度は小学生のお世話をやこうとしてるのかよ。本当に面倒くせーババアだな。蓮は何度か見かけたけど、話すと面倒だ。

「知らないなー。じゃっ。」

「おい、まだだ。待ちな。」もう結構。

「じゃっ。」男風呂に入り、速攻で扉を閉める。

「まったく。」ババアの声がドア越しに聞こえたが、男風呂というオアシスに逃げ込んだからには特に気にならない。まったくというセリフは俺が言いたいわい。

(3)

「アチー。おーい誰か。早く起きろよ。」7月も半ばに突入した。太陽は更に暑さのレベルを上げ、朝から俺たちに苦痛を与えようとしている。俺は暑いのは大好きだから大歓迎だけどな。というかこいつら6時半を回っても誰一人起きてこない。そろそろテントの中は熱くなり始める頃だが。まぁ熱くなりゃ起きてくるか。

「ねえ、お父さん。」聞こえた瞬間に誰だか分かる声が背後から聞こえてきた。俺は振り向きながら、「おー太一。久しぶ・・・あ。」太一の後ろには花が立っていた。

「お、おお、花も来てたのか?こっち来い。」太一は楽しそうにこちらへ小走りで向かってくる。その後ろをダルそうに花は付いてきた。姉弟でこの表情の温度差は親としてどうとらえたらいいのだろうか。

「来てくれたのか。サンキューな。」

「どういたしまして。お父さんどんな所で生活してるのか見たかったんだよな。もう一ヶ月くらい経つもんなー。どうせ直ぐ帰ってくると思って、見に来なかったけどけっこう長続きしてるね。たまに家に来てるんでしょ?お母さん言ってた。」

「お、おおそうか。」金の調達に帰っていたから気まずい。太一の横に花がいることで、気まずさが、何倍にも増幅していく感覚を頭の中で感じてしまう。

「いつ帰ってくるの?っていうかテント4人分あるんだね。お母さんが言ってた。何人かで一緒にいるって。」

「4人でこの公園で過ごしてるんだ。」若干話題がそれたことで、少し安心感が生まれた。太一の横では花は遠くを見て、黙っている。

「なあ、花も来てくれたんだな。サンキュー。」太一に話しかける時とは全く心境が違うことを心の中で認識しながら話しかけた。

「別に。駅の近くだし、太一が行くって言うから付いてきただけ。」相変わらずな様子で話す花の顔を見ると、少しホッとした気持ちになった。

「そうか。どうだ?パパの新居は?しっかり自立してるだろー。」花に向って言おうと思ったけど、ゆっくりと首が動いて、言い終わる頃には太一を見ていた。

「カッコいいだろ?こういう生活は。」

「んー、カッコいいかは分かんないけど楽しそうだね。でも、大変じゃないの?色々自分でやるんでしょ?」太一はお膳立てをする為に今日来てくれたんだろうか。良い息子だよ。

「まあね。色々やらなきゃいけないから大変だよ。自立して、今までお母さんがやってくれていた様々なことに感謝しながら生活してるよ。」太一は「へー。」と、感心した様なリアクションを返してくれた。

「自立?」ボソッと花が呟いた。太一とは正反対の印象を感じさせる雰囲気と言葉だ。

「あ、ああ。自立っていうか、自立への第一歩というやつかな。」なーんで太一に話し掛けるのとは違いこんなに気を使って話すんだろ、俺。同じ俺の子供なのに。

「自立するっていうのなら、1つ大事なことが抜けてるよね。」そう言いながら立ち上がった。駅へと向かい、歩いて行く花を太一は追っかけて行った。

「じゃあお父さんまたね。風邪ひかないようにね。」

「おー。サンキュー。」俺が手を振ると、太一は笑顔で返してくれた。花は振り向くことはなく、駅に向って歩を進めている。

やはり、自立には就職は欠かせないんだな。そう思いながら、優しい息子と、しっかりしている娘を見ていた。

「おはようございますー。」太一と花が去ってから少しして、勤が起きてきた。

「おう。おはよう。もうじき7時だぞ。遅えぞ。」半分寝ぼけているのか、あくびしながら目を擦り、半目で公園の時計に目をやった。

「あ、本当だ。大分寝ちゃったな。あれ、裕翔さんと優一さんはまだ寝てるんすか?」二人のテントを見ながら眠そうに勤は言った。

公園の横の道を高齢女性が歩いている。たまに見かける人だ。朝のウォーキングなんだろう。上下ジャージでしっかり両手を振っている。

「おはよー。」この人を見かけるといつも俺はそう言って手を振っていた。

「おはようございます。」いつもそう言いながら笑顔で手を振り返して頭を下げてくれる。元気だな。ああやって外に出て、体を動かさず、家でゆっくりしてればあんなに元気にいられねえんじゃないかな。人間の健康と運命ってのは各々の行動力で変わるんだろうな。勉強になるぜ。

そんなことを思いながら、空を見上げてみる。

「おーい。起きたか?」背後から声が聞こえた。振り返ると、裕翔と優一がそれぞれ釣り道具を持って手を上げている。

「おーい。やっと起きたか。見てみろ今日は大漁だ。過去最高。ナハハハハハ。」優一が高らかに大笑いをしている。どうやら寝坊助は俺と勤だったようだ。なるほど釣り人は朝が早い。

「いやー食ったね。ニジマスに勤の手料理。最高だな。」ニジマスを一人頭2匹と料理上手な勤のお手製チャーハン。

「いやいや、お前だけ何もしてねえけどな。」優一が痛いところをつつきやがる。

「あのね優一。それは違う。確かに食材調達と、調理には俺は携わってないよ。ただね、食事ってのはそれだけじゃ駄目な訳よ。何があと大事?はい問題。」

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

「んー。わかんないかな。雰囲気作りよ。雰囲気作り。どんなに美味い料理目の前に出されてもさ、それをみんなで黙って食べてるのと、俺みたいに美味さを言葉と体で表現する人間がそこにいるだけで料理が引き立つの。目に見えないスパイスが料理に降り注いでくるわけ。わかるかなー。俺の必要性。」

「なるほど・・・分かるような分からないような。」

「裕翔。そこは分かるなー。でいいんだよ。」

「全然分かんねえ。」

「コラコラ優一くん。」そんなやり取りをしながらいつもの朝食タイムは過ぎていった。


毎日これといってやることはない。それはこの生活を始める前からそうだったのだが。

ブラブラとこや橋を歩く。今日も舟下りの御一行ガ船に乗って下流へと向って行く。船頭は堅太郎だ。

いつもの様に手を振った。いつもの様に手を振り返される。堅太郎は手を上げていた。

仕事の合間に暇な人間が手を振ってきた。おそらくそんなふうに乗っている客は思ってんだろうな。いつもと同じ想像をはたらかせながら歩く。こや橋を渡りきり、左へ曲がる。少し歩くといつもの風景が目に飛び込んできた。何本もの八重桜が立ち並ぶ。時又橋の辺りまで約2キロ続くこの風景はいつ見ても壮大さがあるな。この桜一本一本は来年の春に咲き誇るまで体の中で準備をしているのだろう。たった数日咲き誇る為にずっと準備し続ける。だからこそ咲き乱れる時は儚く美しい。って俺は何を感慨深く、しんみりとしたことを考えながら歩いているんだろうな。そうな妄想をはたらかせていると、桜街道の中間くらいまで来た。我が家の近所だ。寄っていって優子ちゃんの顔でも見ようかな。「ん?」そんなことを考えていると川沿いの芝生に一人の人間が座っているのが見えた。

少し近付いて行くと、見慣れた姿が見えてきた。連は体育座りをしながら川をている。又平日なのに学校へは行ってないんだな。千秋ババアに言われたからではないが、ちょっと気にはなる。声を掛けようと思ったが、止めた。まだ若干距離のあるこの場所から叫んでもまた走って何処かへ行ってしまうかもしれない。足音をなるべく立てず、ゆっくりと近付いて行く。あと23メートルの所まで来たとき、連は急に振り向いた。見つかってしまい、逃げるものだと思ったが意外にも、落ち着いた様子で「何してんの?」と聞いてきた。


「ほいよ。コーラでいいか?」桜街道道向かいの広場に設置されている自動販売機で、コーラとコーヒーを買い、芝生横の階段に移動した蓮の横に俺も座った。

「ちょくちょく会うな。最近。」何気ない感じで会話を切り出した。

「そうだね。」最近蓮と会う中では珍しく何か素直だ。

「なんだお前。今日は大人しいな。そういって頭を小突いた。」「いてっ。」と言いながらも又下を向き元気がない。元気のない少年を見るのはなんとなく偲びない。

「なぁ、蓮。お前さ。学校何で行かないんだよ?」ストレートに疑問をぶつけてみた。連は痛いところを突かれたと言わんばかりにそっぽを向いた。俺は追撃をする。嫌がっているのに追い詰めようとするのはジェントルマン精神に反するが、致し方ない。

「今日も平日だろ?バリバリ小学校やってるぞ。」大きな声でそう言うと、ズカズカと大きな足音を立ててこちらへ向って来た。

「分かってるよ。バカ。」そう言って後ろを向き走り去ろうとダッシュして後方へ走り出した。いつものことで、想定内だ。コーヒーの缶を置き、蓮を追いかけた。43とはいえ、まだまだ小4のガキに走りで負けるほど衰えてはいない。直ぐに追いつき蓮を担ぎ上げ、再び階段へと戻った。

荒々しく、階段へ蓮を下ろす。誰もいない桜街道と周辺に広がる芝生でのやり取りはなんか青春ドラマの様だ。

「舐めんじゃねえぞ、蓮。今日は俺酔っ払ってねえし、いつも散歩で足腰鍛えてんだ。」

「痛えーな。何なんだよ。全く。」かなりガキなりにご立腹な様子だ。

「何なんだよじゃねーよバカ。ちょっとお前ちゃんとここ座って話聞けバカ。」

「あのさ、大の大人が小学生に向かってバカを連発すんなバカ。」思わず頭を引っ叩いた。

「生意気言うんじゃねえ。このバカ。」蓮は頭を抑えながら「痛えな。またバカって言いやがって。」こいつは気が強い。

「あのさ、こんなバカって言った言わないのくだらない議論してても時間の無駄だ。バカ。」

「あーまた言った。」

「いやいやもういいんだそれは。とにかく俺が聞きたいのは、何でお前は平日に学校行かねえんだってことよ。まぁこれは俺は特に気にしてねえんだけどな。豆腐屋の千秋ババアがさ、何か気にしてんだよ。お前が学校行かずにブラブラしてるってよ。言いたかないが、あのババアけっこう優しいところがあるからよ。気になるんだろ・・・・・で、何で学校行かねえんだ?」蓮は膝を抱えて黙り込んだ。俺は何通りかのあり得るかもしれない理由を聞いてみた。

「イジメられてんのか?」直ぐに蓮は首を何度も振った。これはないな。

「ははーん。好きな子に告白して振られた。」これも直ぐに首を何度も振った。違うか。

「じゃあ何なんだよ?お前が学校に行かない理由は?」

「別にいいだろ。圭太には関係ない。」そう言って再び脱走を試みて、逃げるために立ち上がろうとした。立ち上がる前に、襟首を持って、引き寄せた。

「痛えな。小学生に何すんだよ。大人のくせに。」顔を真っ赤にして怒りの症状で、今にも殴りかかってきそうな様子で怒鳴っている。周りは俺たち以外誰もいない空間で、澄み渡った空。蓮の声は気持ち良いくらいに響き渡る。

「うるせえんだよ。」そう言って頭を1つ叩いてやった。

「お前ね。子供のくせに俺を呼びすてで呼ぶし、生意気な態度だし、人のこととやかく言う資格ねえんだ馬鹿。」

「大人気ねえな。小学生に向って。」

「小学生ってことを盾に使って自分を守ってんじゃねえよ。この国にはな、小学生に対して大人気ねえことしちゃいけねえ法律なんてねえんだ馬鹿。」相変わらず赤い顔で怒っている。かわいいもんだ。

「また馬鹿って言った。」

「はいはい。言いましたよ。これも同じで、この国には馬鹿って言っちゃいけない法律なんてねえんだ馬鹿。いいからちょっと大人しく話し合おうぜ。」議論の無駄に気がついたのか、蓮はフーっと息を1つ吐いた。

「イジメでもないし、好きな娘もいないよ。」回りくどいな。何なんだよ。早く言えよ。

「だから何なんだよ。早く言え。馬鹿。」

「やっぱいい。」再び立ち上がろうとした蓮の服を掴み、座らせた。

「お前は落ち着きねえ奴だな。あのな、これだけ大人が歩み寄ってやってんだからよ。いいから話せ。暇じゃねえんだ。」

「暇じゃねえかよ。プー太郎。」頭を1つ引っ叩いた。

「痛えな。」

「いいから話せ。」やっと逃げるのを諦めた様子の蓮は黙って下を向いた。

数秒後、やっと重い口を開いた。

「・・・先生。」

「は?」

「だから、先生。」語気を強めた蓮は立ち上がった。しかし今回は逃げようとする気配はなかった。

「先生がなんだよ。厳しいのか?」大きく首を振り、「違うよ。嫌なこといつも聞いてくるんだよ。」俯きながら話す蓮にはいつもの覇気はなかった。

「なんだよ?嫌なことって?」俺の質問の後、しばらく蓮は口を閉ざした。逃げる気配は感じられなかったので、俺は待った。

「お、お父さんと、お母さんのことだよ。」親のことか。それをこいつに先生は、どんなことを聞いてくるんだ?そういえば俺はこいつの家族構成や?家庭の事情とかをよく知らない。学校の登下校で、我が家の近くを友達何人かとワイワイ言いながら通って行くから、話すようになっただけだ。

「何だよ?先生がお前の父ちゃんと母ちゃんの何聞いてくるんだ?」俯いていた蓮は前を向き、小石を1つ拾い、芝生の方へと投げた。

「何かさ、お父さんはどうしてるとか、会ってるのとか、面白おかしく聞いてきやがるんだよ。最低だよ。」

「何でそんなことを聞いてくるんだよ。お前の父ちゃん母ちゃん何かあるのか?」すると即答で蓮は、「別れたんだよ。」と大きな声を出した。

「そうか。」俺も即答で、そう返しただけだった。何か最近は夫婦の別れの話をよく聞くな。

「先生は嫌な奴なのか?」俺の問いに少し考えた様子の蓮は、「良い先生だと思ってた。優しいし、色々遊んでくれるしさ。・・・、最近だよ。嫌なこと色々聞いてきて。もう会いたくもないよ。」そう言って蓮は大きく1つため息をついた。

「でもよ。お前、先生が嫌だ嫌だって言ってたら、ずっと学校行けねえぞ。」痛いところを突かれたという様な表情を見せた蓮は、「う、うるさいな。」ゆっくりと立ち上がり、芝生の方へと歩き出した。

ちょっとしたことを思い付いた俺は、「おーい。蓮。ちょっと。」手招きをしている俺を見て、「何だよ?」多少不機嫌そうに、返してきた。


久しぶりに来たな。我が母校。相変わらず外観は変わっていない。俺の家からここまでは、歩いて10分程だ。ガキの頃歩いた通学路を蓮と通ってきた。

「何だよ。嫌だよ圭太。」校門の前まで来た途端、そう言って逃げようとする蓮の襟首を掴んだ。今は給食が終わって、掃除の時間だ。何人かの生徒が、校庭の落ち葉をホウキではいている。

「おーい。ちょっと。」直ぐ近くにいた女の子に手招きした。

ちょっと不審がっている女の子は警戒した素振りでゆっくりと近付いて来た。

「はい。何ですか?」しっかりしているその子は高学年の5年生か6年生だろう。

「あのさ、ちょっと先生呼んでくれる?」俺の言葉を耳にした蓮は、「ちょちょちょちょちょ。嫌。嫌だよ。」俺の腕を力一杯掴んだ。

「大丈夫だよ。何だよここまで来て。」

「勝手に連れてきたんだろ。何も言わずに。卑怯者。」少し半泣きになった蓮は、大分怒り心頭な様子だ。

「あのー。どの先生を呼べばいいんですか?」女の子は聞いてきた。

「あ、えーとね、4年生の先生。って何組だ?お前。」俯いている蓮は何も答えない。

「あ、今全学年1クラスしかないので分かります。」そう言って校舎へと走って行った。今は1クラスしかないのか。生徒数は少なくなったもんだ。といっても俺が小学生の時は2クラスだったからそこまで減ってないか。

数分後、先程の女子生徒と一緒に先生と思われる男性が走ってこちらへ向って来た。蓮は俺の後ろに隠れている。

「はい。何でしょうか?」近くまで来ると、立ち止まる前に尋ねてきた。

「ああ、どうも先生。あ、君、ありがとね。」女の子は深々と頭を下げて、掃除へと戻って行った。勝手な想像だが、あの子はしっかりしていて、勉強が出来るのだろうな。

「何でしょうか?」再び先生は聞いてきた。

「あ、えーと、先生はこいつの担任?」そう言って、強引に蓮を前に出した。

「蓮。」先生は大きな声を出した。今のところは特に嫌な先生と思われる印象は無い。蓮は何も返さず、相変わらず俯いている。

「おい。先生に挨拶しろ。」肩を叩いて促しても、やはり前は向かない。

「あのー、あなたは?蓮とどういった関係の方ですか?あ、私は4年の担任の小林と申します。」そう言って軽く頭を下げた。年は俺と同じくらいだろうか。短髪で、メガネを掛け、シワの見つけづらい程アイロンがしっかり掛かっているワイシャツを着ていて、いかにも先生といった感じだ。

「あ、俺?んー、あ、先生。どういった関係に見える?」唐突な俺の質問に、眉間にシワを寄せ、口をへの字にして考えだした。人の質問に真剣に向き合っている。やはり嫌な印象は受けない。

「親戚の叔父さんとかでしょうか?」なるほど。年の差を考えるとそう思うだろうな。

「違うよ、先生。俺と蓮は友達。」そう言うと、反射的な感じで、「えっ。」と先生は言葉を発した。これには物申す方がいいだろう。

「ん、先生。何か異論があるのかい?」

「いや、友達って・・・。」

「駄目なの?俺と蓮は友達だよ。なあ蓮。」蓮は小さく「うん。」と答えた。

「あ、そうなんですか。」

「んー、何か腑に落ちない感じの言い方だな。先生って立場だと、生徒に近づく奴は何かしら疑いの目で見なきゃいけないのは多少分かる。でもね?俺は桜街道の近くに住んでる田淵ってもんだよ。別に怪しくはない。蓮はよく桜街道に来て遊んだりしてるから、仲良くなった。ただそれだけよ。変にね、友達ってのは年の近い者しか定義が当てはまらないっていう固定観念抱いてるから頭でっかちな考え方が脳を支配しちまう。オッケー?分かった?って、えーとこんな話は置いといて、何だっけ?・・・ああそうだ。先生、何か蓮に嫌になるようなこと言わなかった?」長々と話した後、いきなりストレートに質問してみた。話を聞く姿勢だった先生は急に質問されて、若干の動揺を顔に宿した。

「え、嫌になるようなことですか?」再び考え出して、静かに口を開いた。

「蓮。もしかして、お父さんのことか?」心配そうな表情で正解を言い、蓮を見た。その表情は、よくテレビドラマで見る、良い先生そのものだった。

何もい言わず、蓮は静かに頷いた。

「そうか。・・・、そうか。」そう言うと、先生は腕を組み、下を向いた。

「何だよ。思い当たる節あるんじゃんよ、先生。で、何を言ったの?」俺の問いに即答することはなかった。代わりに「はー。」と息を吐き、「ごめんな。」と謝った。自然に先生から生徒に謝るってのはあまり見ることは少ないかもしれない。立場的には先生は生徒よりも上の立場にある。おそらく大半の教師がそんな考えでいるのだろう。でもこの先生は・・・。

嫌な奴なのか、熱血良好教師なのか。

「で、先生、蓮に何を言ったのよ?何日も学校休ませるようなことなんだから、よっぽどのことだよ。」先生は今度は即答してきた。

「違うんです。嫌な思いをさせようと思って言ったわけではないんですよ。ただ・・・。」

「ただ?」

「心配だったんです。あの・・・この子のご両親のことはご存知ですか?」

「ああ、知ってる。」蓮を前にして話しづらそうな喋り方で続けた。

「ただただ心配だったんです。お父さんが出ていってしまって、どういう生活の変化があるかとか、寂しい思いはしてないかとか。それで色々今の暮らしのことを聞いてしまった。お父さんというワードを出しながら。・・・馬鹿ですね。大きなお世話どころか、蓮に辛い思いをさせていたなんて。そしてそれに気が付きもしない。馬鹿でした。ごめんな、蓮。」先生は大きく頭を下げた。

蓮をチラッと見た。下を向いて黙っている。

「おい、蓮。そういうことだって。お前が嫌だった原因はそういうことか?」直ぐに頷いた。

「本当ごめんな。」先生は膝を付き、蓮の目線まで体を下げて、再び謝った。

「おい、蓮。先生こんなに謝ってんだぞ。何とか言えよ。」すると、蓮は鼻を1つすすった。初めて見る蓮の姿だった。掃除の時間が終わったようだ。校庭で掃除をしていた生徒何人かが掃除道具を持って校舎へと戻って行く。

「おい、蓮。掃除の時間終わったから先生もう行かなきゃだぞ。ね?先生。」先生は腕時計をチラッと見て、「あ、ああそうですね。・・・でも。」腕時計の後は再び蓮に目線を移した。蓮は又1つ鼻をすすった。

「何だよ蓮。泣いてんのか?ヒヒヒヒヒ。」おちょくる感じで聞いた。ここは真面目に聞くより、おふざけをワンクッション入れるところだろう。

「泣いてねえよ。」そう言った後の連の頭を撫でた。

「お前馬鹿だな。誤解してたんだよ。先生お前のことが心配で、色々聞いたんだってよ。な、先生に何か言ってやれ。」俺は一歩下って蓮を前に出した。下を向いたまま、一歩前に出た蓮に、先生はゆっくりと近付いて、又目線を下げた。何だかドラマのワンシーンを見ているようだ。

「先生・・・ごめんね。」小さくそう呟く様に先生に謝った。そこには何時もの悪態をついたり、桜街道を元気に走る活発な蓮の姿はなく、反省している小学生がいた。

「何言ってんだ。先生こそごめんな。クラスのみんなも心配してたんだぞ。先生もお前の家に電話したりしてたけど、お母さんは蓮は風邪だとしか言ってくれないし。」蓮の両肩をしっかり持ち、微笑みながらそう返す先生は、やはり良い先生といった感じだった。

「よし、じゃあ蓮。お前、明日から学校行けるな?あーこれで一件落着だよ。お前ウロウロしてると千秋ババアがうるせえからちゃんと学校行ってくれよ。」

「うるせえな。行くよ。学校。行きゃあいいんだろ。馬鹿プー太郎。」そこには何時もの蓮がいた。小学生のガキに馬鹿プー太郎呼ばわりされて、ホッとした気分になるのは変な感じだ。

「よし、帰るぞ。おサボリ小学生。」


蝉の声というやつはやはり暑さに拍車をかける。7月も始まって少し経つと、夏のゴングがなったというところか。少し風が吹くとめちゃくちゃ貴重に思える。冬に風が吹くと、自然現象なのに腹を立て、めちゃくちゃイライラする。本当に人間という奴は自分勝手な生き物だ。

「はー。・・・ふー。」息を吸い込み、一気に吐き出しながら川沿いの芝生で仰向けで横になった。何か疲れたな。けっこう心地良い気分だけど。

青くどこまでも続いているという観念を抱かさせられる空を見ていると、俺の顔と、空の間に急に人間の顔が現れた。

「おわっ。何だよ蓮。ちょっとゆっくりしろよ。ビックリしたなあ。もう。」

「あ、ビックリした?ごめんごめん。ハハ。」先程の蓮と比べると表情が全く違った。蓮はにこやかな表情のまま、「なあ圭太。喉乾いた。」と、右手を出して催促してきやがった。生意気なガキだよ全く。まぁいいか。

「はいよ。あ、俺コーヒーな。」そう言って500円を渡した。

「サンキュー。釣りはいらないよね。」

「いるわ。バーカ。」

「うわっ。ケチー。」しかめっ面に切り替え、首を振った。

「お前ね、ケチとかそういう問題じゃないんだよ。ガキに当然の様に金与えてみろ。お前、ろくな人間になれないよ。お金っていうやつは働いた対価で頂けるんだから。お前のジュースと俺のコーヒー買ったらお釣りは200円ちょっとだ。それだって立派なお金。稼ぐのはしんどいんだよ。お前の親も必死で働いて、その100円200円の積重ねを稼いでお前を育ててるんだ。分かるか?」黙って聞いていた蓮は、「働きもしないで、何時もお金持ってる人間がよく言うよ。じゃ、買ってくる。」痛いところを突く、セリフを吐き捨てて、芝生エリアの道向かいの自販へと走って行った。

「何だよあいつ。生意気だな。」俺は再び芝生に身を預けて横になった。

数分後、蓮は戻って来た。

「はい。圭太。」買ってきたコーヒーと、260円を渡し、芝生に腰をおろした。何だよ。素直じゃねーか。

俺たちは、ドリンクを開け、しばし、川の流れを見ていた。

いつ見ても変わらない昔から慣れ親しんだ光景を見ていると、落ち着くのは俺だけだろうか。チラッと蓮を見た。コイツはまだまだ人生経験未熟だから特に何も、川を見て抱く思いなんかあまりないだろうな。

そんなことを考えている時も蓮はずっと黙っている。何だか珍しい。長い時間黙っている蓮は斬新だな。何時もは何かしら言葉を発してくるのに。

「どうした蓮?黙っちまって。腹でも痛いのか?」

「違うよ。」小さな声で返す蓮の様子はジュースを買いに行く前と大分違う。

「じゃあどうしたんだよ。」俺の質問に、「んー。」と小さな声を出した後、「ありがと。」と呟いた。聞こえてはいたが、「ん?」と言って聞き返した。

「ありがと。」今度は大きな声ではっきり言ってきた。思わず俺は大きな声で笑った。笑った後、蓮の髪の毛を強引に撫でてやった。

「いいんだよ。お前、かわいい奴だな。やっぱり。ハハハハハ。」蓮は顔を真っ赤にして、「うるさいな。」とだけ返した。

「いいってことよ。友達だろ?」俺と蓮はドリンクを飲みながらしばらく無言で目の前を流れる天竜川と、その頭上に広がる雲一つない青空に目をやった。


西の空が夕焼け色に染まる頃、公園へと帰った。蓮とはしばらく、芝生エリアで過ごし、あいつは帰って行った。明日は学校へ行くと蓮の方から宣言していった。

鼻歌を歌いながらこや橋を渡る。夕方6時を回ったが、まだまだ明るい。俺はやっぱり日の短い冬場より、夏の方がいいや。

「おー、お帰り圭太さん。」同居人3人は夕飯バーベキューの準備をしていた。

「お、今日の夕飯は肉か?いいねえ。」

「おい、喋ってねえで、手伝え。」優一は厳しい。

「ハイハイ。分かりましたよ。」

バーベキューコンロに炭を置き、火をつける。炭が炊けるまでホウキで扇ぐ。なんかこの感じで火をおこすのが慣れてきた。この生活を始めて1ヶ月ちょいか。生活の価値観というやつが俺の中で色々変化してきた。それはおそらく、電気を使って何不自由なく暮らす生活から、僅かな電気を使って体を動かす生活への転換がそう思わすのだろう。元々体を動かすのは嫌いじゃない。動くのが嫌なら毎日の様に散歩なんかせずに家で酒飲んでゴロゴロしている。おそらくそんな生活をしていても、許されるだろう。花には白い目で見られるだろうけど。

こういう風に火起こしに精を出していると、何か自立している気になっているのは俺だけだろうか。他の3人を見た。あ、元々みんな自立しているのか。

何だか少し損したような気持ちになり、火を起こしながら、ビールを開け、一口ぐびっと飲んだ。作業しながらの一口は、いつもとは又違った美味さが感じられる。

「おいおいおい、圭太。もう飲んでんのかよ。早く火を起こしなさいよ。まったく。」肉を切りながら文句を言う優一に反応して、勤と、裕翔も、「何飲んでんすか。」「駄目だ。この酔っぱらいは。」それぞれ文句を吐く。

「はーい。すんません。」今日も、楽しい時間が流れる。


「よーし。裕翔、勤。ダッシュ。ヨーイ、スタート。」

「待ってくださいよ。吐いちゃう。」

「ぜってーヤダ。」いつもの様に龍道温泉へ向かう坂道でふざけ合うほろ酔いの俺たちだが、今日は、みんなちょっと飲み過ぎたようだ。いつもなら乗り気な奴はここを競い合ったり、急にダッシュしたりする。俺もその中の一人だ。

何時もよりもゆっくりな歩調で坂を登りきり、温泉へと到着した。

「ほい、お疲れさん。」聞き慣れた嫌な声が聞こえてきた。千秋ババアは温泉の前に置かれているベンチで優雅にビールを飲みながら涼んでいる。

「何だよ。今日も来てんのかよ。」

「何だい?あたしゃ温泉に浸かりに来ちゃいけないのかい?」小さな声で言ったはずなのに聞き取りやがった。ババアのくせに耳が良い。まだまだボケねえな。

「いけないわけ無いじゃん。今日も会えて嬉しいよ。千秋ちゃん。」舌で笑いながら、「何言ってんだ。気持ち悪い。お前、又酒大分飲んでるね。まったく。いい加減にしなさいよ。」俺が注意されてるのに、優一、裕翔、勤は反省したように黙ってしまった。

「まぁまぁ、許してよ。こんな忙しない世の中。飲みたい時だってあるわけよ。分かる?」

「何言ってんだい。お前は合う度、毎回のように飲んでんじゃないか。本当にしっかりしなさいよ。嫁さん逃げてくよ。」逃げていくわけねーだろ。クソババア。

「じゃ、時間無いから俺たち風呂行ってくる。」中に入っちまえばうるせえ小言を聞かなくてすむ。

「ちょいちょいちょい。待ちな。」まだなにかあんのかよ。うるせえな。

「なあに?」

「圭太。蓮のことはどうなった?あいつに会ったかい?」相当気になるようだな。まぁしかし、蓮とのことはしっかり解決した。うるせえババアを黙らせるか。

「千秋ちゃん。安心しなさいよ。全て解決したからさ。僕ちゃんがね、上手いことやっといたからさ。明日から蓮は学校行くって。」ポンポンと2回千秋ババアの肩を叩き、上から目線でそう言って、背を向けた。やはり再び背後から声が飛んできた。

「何やったんだい?何でアイツは学校行ってなかったんだよ?」

「千秋ちゃん。それは本人に聞きなよ。アイツはちゃんとしてるからしっかり自分のことを説明できる。そんじゃね。」足早に温泉へと入った。やっと面倒くさいババアから開放された。


「イエイ、イエイ、イエイ。」龍道温泉から出ると、俺たち4人は500mlのビールを片手に持ち、再びアルコールを体内に流し込みながら、陽気に帰り道を歩いた。勤はなんかのバンドと思われる歌を口ずさんでいた。流石に十歳の年の差があると若干のジェネレーションギャップを感じるのは仕方のないことだな。

陽気な雰囲気のまま公園に着くと、ベンチと、ブランコにみんなそれぞれ座った。勤は相変わらず歌を口ずさんでいる。今日一日で摂取したアルコールの副作用はなかなかのものだ。体が休むように脳に司令を出していた。

「さ、じゃあ俺は寝る。」俺がテントに入ろうとするときには、みんなも体を休めるためだろう。テントに向かっていた。

あっという間に眠りに入ったんだろう。そして、あっという間に現実に戻った。今は何時なんだろう。枕元のスマホに目をやると、一時半を若干回ったところだった。少しの頭痛を感じる。あれだけ飲めば仕方のないことか。体を起こし、一つ大きく息を吐く。もう一度寝ようと思ったが、意外にも眠気はほぼ無かった。たまに起こる現象だ。大量にアルコールを摂取しても、スムーズに起きられる。レム睡眠とノンレム睡眠とがうまく調和されたんだろう。

テントの中から感じる公園のライトの光に目をやり、外へ出たい気分になった。

テントを出て、大きく伸びをする。一時半くらいってことはまだまだ朝まで時間があるな。そんなことを考えながら、公園の遊具の方を見た。ん、何かいつもと違う。

寝起きのため、若干視界がぼやける。何度か目を擦り、視界が回復するのを待った。数秒後、完全に回復するのを待っている場合ではないことに気付かされた。

人だ。いつもと違うのは、公園にこんな時間に俺たち以外の人間がいる。髪が長い女性だった。ただ、それだけじゃない。女性はブランコに立ち、そしてブランコの上の部分には、ロープが縛り付けられている。先端は輪になっていた。ブランコに乗った女性は今、まさに輪に首を入れて、ブランコから、足を外そうとしているところだった。

「おい、何してんだ。み、みんな、お、お、お、起きろー。」上手く言葉に出来ず、ただただ、焦りながらブランコへと裸足のままダッシュした。俺に気付き、女性は輪に首を入れて、ブランコから足を外した。やべー。俺は数秒後、ブランコに着き、女性の体を持ち上げた。

「いや、いや。離して。離してよ。」声が出るってことは無事ってことだ。良かった。

「どうしたんですか?」眠そうな顔で、一番にテントから出てきたのは、勤だった。

「ん?何してんすか?圭太さん。」そう言いながら近付いてきた。後方では優一も起きて、テントから出てきた。

「何すか?こりゃ。どういうこと?」近くに来てまだ状況が飲み込めていない様だった。

「どうした。どうした。」優一もブランコへとやって来た。

「いや。離してよ。」ずっとこの女性はもがいている。

「おい。この人の顔を、ロープから離してくれ。」段々と状況を理解した二人は、優一が勤をロープの高さまで持ち上げた。

ロープから顔を外された女性を降ろした。深夜に急な力仕事はなんと疲れることか。

「ハー、ハー、ハー。・・・あれ?裕翔は?」

「寝てるよ。」


「・・・ありがとうございます。」自販機でお茶を買って、彼女に渡すと、両手で抱えて丁寧にお礼を言った。

「飲みな。深夜に大きな声出して、あれだけ泣けば喉も乾くだろ?」ほんの十分前までは、泣き崩れて、なぜ止めるのかと、俺たちを咎めていた。観念したのか、一転して、ベンチに座り、落ち着きを取り戻した。

「勘弁してよ。俺たち寝てる横であんなことしようとしてさ。あのまま気付かず朝起きたら衝撃の光景目にしちゃうでしょ。トラウマよ。トラウマ。」俺なりに雰囲気を和まそうと気楽な感じで話したが、彼女は俯いたまま、黙っている。

「あのさ、ちょっと聞いてもいい?何で死のうとしたのかな?あ、別に話したくないならいいんだけど。」冷静に、そして優しく聞く優一はやはり俺より大人だなと思う。

彼女を見ると、黙ったままだ。少しの間、沈黙の時間が流れた。もう話すことはないだろう。

「さ、じゃあ解散しま」

「失恋です。」俺の言葉にくい気味で割り込んだ彼女は下を向いたままだった。

「失恋?」分かってはいたが行動理由のワードを再度言ってみた。

「昼に彼と食事をしてて、急に別れを告げられました。」膝の上に置いた手をギュッと握りしめ、思い出しているのか、悔しそうな表情を浮かべた。

「それだけかい?」俺の言い方が感に触ったのか、鋭い目でこっちを見た。

「それだけですけど。」ハキハキした言葉で返してきた。元気は取り戻した様だから、話を聞けるだろう。

「くっだらねえなあ。そして勿体ない。」

「ちょっとちょっと、圭太さん。」

「何だよ勤。こちとら寝てる側で首吊られそうになったんだぞ。一言物申さずにはいられねえだろ。」勤に向けた視線を彼女に戻した。

「あのね、あんたさ、めちゃくちゃ勿体ないことしようとしたの。分かる?この世に産まれてくるって奇跡なのよ。まず、一億以上の精子の中から厳選されて、あなた産まれてきたのよ。そんで無事出産出来るか分からない中で無事産まれて。それから教育状況。どういった家庭環境かは知らないけど、あなたはここまで成長出来てる。そして、人間って奴は楽しめるって機能を神様から頂いているわけよ。今は人生百年時代。あんたまだまだ半分もいってねえだろ?俺達だってそうだ。だから毎日楽しんでんだよ。」

「圭太さんは楽しみ過ぎだけどね。」

「ちょっと勤、静かに。で、何だっけ・・・あああとくだらない。男にふられたくらいでよ。この星には60億の人間がいてね、性別は2種類なんだから半分くらいが男だろ。その中の一人にふられたくらいで死のうとするんじゃないよ。あと何人、何十人、何百人、何千人、何万人、何十万人、何百万人、何千万人、何億人、何十億人男がいると思ってんだ?森の中の木を一本しか見てない様なもんだ。んで、その木が気に入ってちょっと歩いたらその木を見失って死のうと思った。そんな例えが分かりやすいだろ?」

「こんな深夜でもよく喋るな。」

「優一、いいじゃねえか。もうちょい喋らせろ。あんた、もしかしたら明日以降の未来で、何か良いことが起こるかもしれない。宝くじが当たったとか、大金拾って持ち主が現れず、自分の物になるかもしれないし、それこそ良い人に巡り合うことだってあるだろう。死んじまったらその可能性は無くなる。死んだら終わりだ。男にふられて辛いのは今だけだ。」

俺の話を目を逸らさずにしっかりとこちらを見て聞いている。この子は良い子なんだろうな。

「さ、目が冴えちまって寝れそうにないな。おい、勤。ちょっと待って。」そう言ってテントの中の財布から一万円を出した。

「じゃあ頼んます。」

「はいよ。」大分俺のことを理解してきた勤は、素直にコンビニへと小走りで向かって行った。

「おいおい。今からか?」優一は眠気が覚めてないのか?

「ああ。お前、寝る?」

「寝れるわけないだろ。ここでどんちゃんやられたら。」

「まあ、そうだな。じゃあ参加で。あ、そう言えば君、名前なんて言うの?」俺達のやり取りに、まだ理解が追い付いていない彼女は、少しの間の後、「あ、中西です。中西美樹です。」と言った。

「そうか。じゃあ美樹。酒飲める?」

「あ、はい。」

「明日休み?」

「少し前に退職しました。あの・・・結婚する気だったんで。」

「・・・そうか。じゃあバッチリだな。・・・あっ。」そう言えば忘れていた。

「おーい。起きろ。アホ。」裕翔のテントを開けながら大きな声で起こしにかかると、気持ち良さそうな顔で笑みを浮かべながら寝ていた。若干の罪悪感が生まれたが、中へ入り、デコを一つ叩いた。


「私だってね、幸せになりたいんすよ。駄目ですか?圭太さん?ええ?」

「え?いやー駄目じゃないよ。誰しもそういう願望はあるだろうしね。」

「フー。あざーっす。」マジか。この子、酒癖悪すぎだろ。この子がさっきまで自殺をしようとしていたなんて、誰も信じないだろうな。

「いやー美樹ちゃん。良い飲みっぷりだね。」裕翔の勧めるワインを有難そうに両手で持ったグラスで受け取り、「ありがとうございまーす。へへへ。」と真っ赤な顔の美樹は笑った。

「ねえ、美樹ちゃんはさ、俺達のこととかどう思う?」ハイボールを三缶飲んでいる優一は若干顔が赤くなっている。

「何ですって?どう思ってるって?何が?」大分酔ってきているな。敬語とタメ語が入り混じっている。

「いや、いい歳した大人の男が、公園の横でホームレスみたいな生活をしてるってことをどう思うのかなーって。」腕組みをして、「んー。」と言いながら、空を見上げる美樹は真剣に考えている様子だ。

「あのー、ホームレスみたいって言ってましたけど、ホームレスではないんですか?」ちょっとだけ酔いから覚めたような口調で返され、優一は、「え、あーそうだな。まぁ家が無いからホームレスという意味ではホームレスかな。」近所に何時でも帰れる家がある俺は、ちょっとだけ複雑な心境になった。

「いやー、いいんじゃないっすか。十人十色で、色んな生き方あるだろうし。なにより楽しそう。」微笑みながら話す美樹は、ますます先程まで死のうと考えていた人間とは思えない。

「あのー、すんません。」何かを思い立った様に美樹は、手を上げた。

「ん?どうした?」俺の問いに若干申し訳無さそうに?「限界です。何処かで寝かせてください。」

「あ、じゃあ啓太のテントで寝るといいよ。」即答する優一。いや、ダメだろ。

「ちょいちょい、優一。俺は妻子ある身よ。いけないよぉ。」

「何勘違いしてんだよ。家帰れよ。」

「・・・あ、そういうことね。」

今日も名勝天竜川の流れる音がよく聞こえる。


「ただいまー。」鍵を開け、小さい声を出し、静かに我が家へと入る。別に悪いことをしているわけではないけれど、何故だか若干の罪悪感を感じる。まだ5時半だ。廊下は暗く、静けさが漂っていた。

リビングへ入り、ソファーに身を委ねると、何ともいえない心地よさを感じた。疲れていたんだな。そりゃそうか。深夜にあんな行為を発見してから、今まで飲み明かしていたんだから疲れるだろうな。おそらく、みんなはテントで爆睡してる頃だろう。

その時だった。電気がつき、パッと視界が一瞬で明るくなった。

「何してんの?」

「お、おお、花。おはよう。久しぶりだな。早いな。」スムーズに言葉が出てこなかった。

「ちょっと喉が渇いたからお茶飲みに来ただけ。この前会ったばかりだから久しぶりでもないでしょ。」冷蔵庫の扉を開けて、麦茶をコップへ注ぐ花は機嫌が良いのだろうか?それとも朝方はご機嫌斜めなのだろうか?やはり花に気を使ってしまう俺がいた。

「で、何してんの?帰ってくる気になった?」俺の向かいのソファーに腰掛ける花の行動は意外だった。

「ん?あ、ああ。ちょっとね。一時帰宅。色々あってさ。」何も返さず、花が麦茶を数口飲んでいる間の沈黙が何ともいえない。

「ふーん。」少しの沈黙を破る言葉はシンプルなものだった。

「楽しいの?」今度は沈黙が起こることはなく、すかさず質問に転じた花は特に興味ないけど、一応聞いたという様な表情をしていた。

「んー、まぁ楽しいよ。」本心はめちゃくちゃ楽しいけどねと、心の中で呟く。何で口からその言葉を発せないのだろうか。理由は分かってはいるが。

「ふーん。そうなんだ。」今日も花と親父の会話は弾まない。

秒針の動くカチカチという音が鮮明に聞こえる。再おとずれた沈黙の時間は今度はどうやって破られるのだろうか。

「あれー、圭太じゃないの。お帰り。」階段の手摺りに手を置き、ゆっくり降りてくる優子の姿は、後光が刺しているかのような錯覚を覚える。

「あー、ただいま。」

「何何?もうホームレスやめて帰ってきた?」

「じゃ、私部屋行くね。」俺と優子の話が始まろうとした時、花は席を立った。夫婦水入らずを邪魔しちゃいけないと思ったのか?いや、親と一緒にいる空間が嫌になっただけだろうな。

「で、どうしたの?今日は?」全く先程とは空気の重みが軽く感じている俺は、饒舌にここに来た経緯を優子に話した。

「へー。あんた人一人の命助けた訳ね。ホームレスごっこも無駄ではなかったってことだ。」

「まぁね。へへ。」会話をしながら、何も言わずコーヒーを入れてくれる優子に、自然と感謝の念を抱きながら過ぎゆく時間はやはり心地良いものだ。

時計に目をやると、もうじき短針が7時を示そうとしていた。

「さて、じゃあそろそろ自立生活へ戻ります。」敬礼をしながらそう言った俺に、「はいはい。なんちゃってのね。」と返す優子。我が家への帰省は短時間だった。


「おーい、ただいま。」我が家からこっちの我が家までの短い移動時間で気付いたことは朝飯を食ってないということだ。世間が朝飯と定義している時間に達しようとしていた。テントに戻り、財布を持ってコンビニまで行くのは結構手間だが、今の住み家を目の当たりにした時、どうやら今日はその必要はなさそうだと感じた。

「おー、お帰り圭太さん。早くきなよ。」嬉しそうに手招きする裕翔の周りには、いつものメンバーと美樹の姿があった。

「あ、圭ちゃんだ。おーい、早く来なよ。」バーベキューセットを目の前にした美樹は、大分出来上がっている。あいつ、本当に数時間前まで、人生終わらそうとしてた奴なのか?まぁいいや。

「おーう、ただいま。」

バーベキューの風景を見回すと、新顔が見当たった。

「あれ、珍しい奴がいるじゃねーか。今日は船転がさねえのか?」俺に指摘された堅太郎は、ビールを一口ぐいっと飲んだ。

「今日は休みだ。さっき、優一とばったり会ったんだよ。スーパーの丸大丸で。バーベキューやるから来いって。で、今この生活の話してたんだよ。何かお前ら変わったことやってんな。まぁいいや。早くこっち来いよ。」賢太郎は大分顔を赤らめて、上機嫌な様子だ。大分出来上がってるな。あいつはあまり酒強くなかった気がする。


「さあ、じゃあ圭太も来たし、改めて乾杯するか。はい、乾杯。」美樹は、先程よりもかなり出来上がった。圭ちゃんから圭太へと変わった呼び名は酒が抜ければ元に戻るはずと信じたい。

「どうだったんだ?我が家での一時は?」今日の優一はハイボールを飲んでいた。

「どおって何も。だってすぐそこだし、あまり久しぶりでもないからな。」

背中に重みを感じた。

「そうだよね。圭太ー。」後ろから抱きついてきた美樹はなかなかのバストだった。

「ちょいちょいちょい。美樹。暑い。」バストの感触を堪能するよりも暑さに鬱陶しさを感じる。

美樹を振りほどいたその後ろに、小さな人影が目に入った。

「おい、蓮。」こちらに近づいて、蓮は俺の横に座った。小学生なら、酔っぱらいの大人の集団に入るのは躊躇しそうだが、蓮はやはり少し変わっている。

「圭太。何?朝から飲んでるの?」やっぱりか。

「別にいいじゃねえか。悪いことしてるわけじゃねえぞ。大人ってのはな、飲まなきゃやってらんねえことがあんだよ。」

「お、また始まるぞ圭太の語りが。おい、少年。まともに聞いてなくていいからな。」ハイボールを片手に、優一は、珍しく出来上がりかけて、饒舌だ。

「わかってますよ。いつものことです。」瞬間的に全ての人間が受けているのを、得意げな表情で、蓮は、ニヤッとしていた。

「ちょいちょいちょい。余計なチャチを入れるんじゃないよ。っていうかお前、学校は?もう行ってるんだろ?」

「今日は土曜日。」この生活をしていると、今日が何曜日かという概念が薄れる。

「あーそうかいそうかい。だったらお友達と遊んで来い。もうお前、学校行ってるんだから、外で友達と会うことに何も抵抗ないだろ?」はーというため息の後、何言ってんだよと言わんばかりにニ、三度首を振った。

「遊んでるよ。でもね、人間にはたまには一人でブラブラしたいときもあるのよ。分かるかなー。」もう俺達の話を他所に周りは雑談が盛り上がっていた。

「ガキが何偉そうにしてんだよ。」

「ガキはガキなりに色々あるんだよ。」自分をガキと称して話す蓮に多少の可愛げを感じる。こいつは生意気だけどやはりかわいいところがあるな。

「ねえ、僕。ジュース飲む?」返答を聞く前から美樹はコップにオレンジジュースを注いでいた。

「ありがとうございます。」爽やかで元気の良い返事は俺とのやり取りでは全くない。

一気にオレンジジュースを飲み干し、「よっ。」と言って立ち上がった。

「あれ、帰るのか?」

「違うよ。ちょっとトイレ。」

「何だよちょっとって。オシッコ少々出してくるのか?ダッシュで直ぐ戻ってくるのか?ナハ。ナハハハハハ。」

「くっだらねーな。」やはり俺との会話とそれ以外のは違いが顕著に現れている。

「あの子かわいい子ね。」蓮がトイレに入ったあとボソっと美樹が呟くように言った。

「まあな。大分生意気だけど。」

そんな会話をしているときだった。

「あれー、久しぶり。」優一の発した言葉の矛先に目線を移す。

「どうも。お久しぶりでございます。」少しの間で日焼けにより肌の色が変わり、若干逞しくなっていた。

「おお。一じゃねえか。久しぶりだな。おい。こっち来いよ。」

スーツを身に纏い、真面目そうな鞄を左手にも持つ一は以前の犯罪者予備軍だった頃のそれとはかけ離れていた。

「何だ何だ。やけに真面目そうな格好だな。」へへへと照れながら首の後ろを掻く、よくテレビドラマで見るような定番の仕草をしたあと、「いやー、なんとか職につけまして。」一は嬉しそうに言った。
「おお、そうか。いいじゃねえか。で、今度は誰を騙す仕事だ?」
「ちょっと待って下さいよー。」最初に会ったときとは全く違う雰囲気で笑う一がそこにいた。
「で、何の仕事についたんだ?」必ず聞かれるであろう質問に、「へへへ」と前置きの笑いを浮かべ、「ガソリンスタンドの店員です。」と大きな声で言った。
俺らは笑った。
「なんでだよ。」すかさず飛んだ裕翔のツッコミに、「え、駄目ですか?」一変して不安そうな表情と化した一に、「だめじゃねえよ。」と笑いながらも冷静に優一は言葉を発した。
「格好だよ。格好。それ、営業マンだろ?何でスーツ?」
笑いの理由を理解し、安堵の表情で、「あ、これですか?いやー、何か真面目さを出そうと思って。あと・・・。」
「あと、何だよ。真面目装いおじさん。ナハハハハ。」とりあえずの言葉を投げかけたた時、一の背後のトイレから蓮が出てきた。
「おお、蓮。長いトイレだったな。でっかいウンコしとったんか?」
「うるさいなー。」蓮の前にいる一の動きが気になった。俺が、蓮と発した時に、反射的に顔の表情が驚きに満ちたものになっていた。
俺と蓮の言葉の掛け合いの後、一はゆっくり振り返った。
立ち止まった蓮を見て、合点いった。
「蓮、蓮。」一の口調は俺達と話していたさっきまでのそれとは明らかに違っていた。
「お父さん・・・お父さん・・・う、うあーーー。」泣きながら一の所へ向かう蓮は、いつものませガキとはあまりにもかけ離れていた。

「あのー、圭太さん。この子俺の息子です。」
「分かってるよ。バカ。この一連の流れ見て、他にどんな関係性をイメージするんだよ。っていうか蓮。お前、わんわん泣いて、いつもとは全然違うな。」まだ涙を目に溜めて、鼻水を啜りながら、「うるさいな。」と小さな声で反抗してくる蓮からは可愛らしさを感じずにはいられない。
「おい、圭太。からかうなよ。無理もないだろ。久しぶりの親子のご対面だぞ。」優一はいつも冷静で、優しい。
「で、何日振りのご対面なのー?」勤は大分出来上がっている。
「ええと、大体2ヶ月くらいですかね。」年下の勤にも敬語を使って話す一はちょっと前に詐欺をしでかそうとしていた奴とは思えない。
「よーし、じゃあ久々の親子再会を祝して飲み直すか。おい、一に酒ついでやれ美樹。」
「あー指図してるー。感じ悪いんですけどー。」文句を言いながら、一にビールの缶を渡す美樹に、「あ、すみません。」と、ここでも頭が低い。
「ねえ、お父さん。戻ってくるの?」ハイボールをグイッと飲もうと思っていた俺の手が止まった。
「えっ?」そうだろうな。瞬間的に出る言葉はそうなる。
「さあ、困った。この息子の一言に対してどう出るんだオヤジー。」ふざけた裕翔のアホさ加減によって、重くなったであろう空気は和らいだ。
「もー。ゆうちゃん何ふざけてんの。一ちゃん、怒っていいんだよ。」
「あ、いやー。」こいつは怒んねえだろうな。
「なあ、一。お前さ、礼儀正しくて、いい奴なんだろうからさ、その感じで、奥さんに謝って、よりを戻して来いよ。」ふと思い付いたであろう優一の提案に、「いやー。駄目だと思いますよ。かなり怒ってますからね。」大分バツが悪そうな表情に変わった父親をあまり見せたことがない表情で見上げる蓮が健気に感じる。
「ねえ、一ちゃんはどうなの?戻りたいの?蓮君は戻って来てほしいんだよね?お父さんに。」
「うん。」すかさず返す蓮の心境は嘘偽りのないきれいなものだ。
「おいおい、美樹。あまり子供の前でそういうシビアな会話やめろよ。」俺の放った言葉が、終わる前に、「黙っててよ。今いいところなんだから。珍しくまともな事言ってんじゃないの。」こいつ、酒の勢いで、大分正義感が高揚してやがる。
「あ、すんません。」思わず謝っちまった。

その後も、どうするかの議論は続いた。
議論に参加しているうちに、ふとアイデアが浮かんできた。
「なあ、一。奥さん、名前何ていうの?」
「えっ?」急に聞かれた一はとりあえず、手にしていたビールの缶に口をつけた。
「え、何でですか?」
「は?いや、何となく。別に大した理由はないよ。」そう言って、「ケツかいー。」と適当な振る舞いを見せると、「実彩子です。」と教えてくれた。
「へー。いい名前じゃん。美しいに、土佐の佐のさに、個別のこね。」
「なんですか、そのメチャクチャなの?実るに彩るに子供の子ですよ。へへへ。」
「そうか。お前、頭良いな。」
「なんですか?それ。アハハハハ。」よし、大分出来上がってるな。

どのくらい時が経っただろうか。公園の横の道を歩く、カップルと思しき二人組が、こちらをチラチラ見ながら何かを話している。どんなことを話してるんだろうか。二人の未来は幸多いことを願おう。そう思いながら、一を見ると、蓮と裕翔と何か楽しげに話していた。そろそろかな。ポケットからスマホを取り出した。
「あ、ヤッベ。電源切れてる。あ、一。ちょっとスマホ貸してくんねえ?うちの奥さんに連絡しなきゃいけねえことがあった。」
「あ、ああいいですよ。」そう言いながら、真っ赤な顔でポケットからスマホを取り出して、渡してくれた一に、何も罪悪感は感じなかった。俺も嫌な奴になったもんだぜ。
宴会の輪から離れて、スマホを操作する俺を誰も気に留めなかった。トイレの横まで移動して、スマホの電話帳のマ行を検索する。探していた名前を見つけると、迷うことなく通話ボタンを押した。

「おいおい勤。何フザケてんだよ。いい年こいて。公然わいせつ罪だぞ。アハハハハ。」ズボンを降ろし、ボクサーブリーフでティーバックを作りながら、何気なく肉を頬張る勤に言葉を発していると、「じゃあ私も。」と美樹がズボンを降ろそうとしている。
「それは流石にマズイだろ。やーめーろ。」優一が冷静に注意した時だった。
「何してるの?一、蓮。」
大騒ぎしていた場が、一瞬静寂に包まれた。
「おお、実彩子ちゃん。早かったじゃないの。こっちおいでよ。」手招きすると、あからさまに不信感を出しながら、こっちへ向かってきた。
「え、誰?どういうこと?」理解出来ていないであろう美樹は立ち上がった。
「どうも、息子がお世話になりました。」一の方を一切見ようとしない。蓮の手を取り、一目散に立ち去ろうとする二人をただ呆然と眺めているだけの怖気づいている男の頭を叩いた。
「おい、なんか言え。」
「え、あ、ああ。はい。」
「別にいいです。何も聞く気ないんで。」鋭い目からは絶対的な気の強さを感じ取れる。いいねえ。
「まあまあ実彩子ちゃん。聞いてあげなよ。会話によって双方の意見の交換が成されて、人生って進展していくんだよ。それにね、今訳分かんない感じで、連れて行かれた蓮の気持ちを考えてみなさい。ここで、強引に蓮を連れて帰って勝手に自分の意見を押し付けるのか、二人で話し合うところを蓮に聞いてもらって、納得する方向へもっていくのか。ここが分かれ道よ。」俺が話す量に比例して、眉間の皺が増えていった。
「あなた、何なんですか?これは私達家族の問題なんです。」
「俺は一のマブダチ。いやいや、これは俺達の友情の問題でもあるから。引けないよ。」
「帰ります。」
「困ります。」
「何なんですか?あなたは。」
「一と、蓮の友達です。」やり取りを呆然と聞いているだけの一の裏に裕翔が立っている。
「お前も参加しろ。」後頭部を叩かれた一は、「あ、ああ・・・久しぶり。」こんな場面でも、ビールを飲んでいた優一と、勤が同じタイミングで吹き出した。
「おい、一。何だよそれ。笑わせんな。ハハハ。」
「あ、すみません。優一さん。ええと。」
「もういいわ。蓮、帰るよ。」ただただ呆然と大人たちのやり取りを見ている子供というのは健気だとつくづく思う。
「ちょっと待て待て。」強引に帰っても罪にはならないはずだが、この母親は立ち止まってこちらを見た。人の話を聞くということの大切さを理解している。
「あのさ、まだ実彩子ちゃんがここへ来た経緯を説明してなかったよな。聞きたいだろ?」熱弁を振るう教師をイメージして、全員に投げかけて聞いてみた。
「あ、聞きたーい。」
「だろ、美樹。いいねえ。その姿勢。」
「私達はいいです。」この温度差は何なんだ。息子を前にしたこの母親の言葉に、若干の苛立ちを覚えた。
「ちょっとちょっと、実彩子ちゃん。冷め過ぎなんじゃないの?あなたの横には最愛の息子がいるんだよ。親としたら、物事の経緯を子供に理解してもらいたいって思わなきゃ駄目よ。蓮だって、急に父親が来て、急に母親が来て、親子が揃って嬉しいはずなのに、こんな雰囲気じゃ到底喜ぶことなんて出来ないよ。ちゃんと説明してあげるのが親の務め。いいね?」あまり良い表情ではない。
「ちょいちょい、圭太。お前が説明するんだろ?親の務めじゃねえよ。お前の務めだ。もおいいよ。早く説明しろよ。」優一が話し終わる前にベンチへ腰掛けた二人を見ると、長くなると推測されたのだろうか。
「まあ、勝手に一のスマホのデータから実彩子ちゃんの番号見て、俺のスマホから電話しただけのことよ。一のスマホからかけても出てくれないかもしれないだろ。そんだけ。」夏の暑さから一時だけ解放してくれる風が少しふいた。
「まぁ圭太さんのやりそうなことだ。で、なんつって呼び出したの?実彩子ちゃんを。」裕翔もちゃん付けに変わりだしたなと思った時、「もおいいですか?帰ります。」話が進展してきたってのに、テンションが下がっちまう。
「ちょっと待ちなよ。せっかく来たんだからさ。今座ったじゃん。だったらもうちょい話聞いてよ。俺今実彩子ちゃん話を聞いてくれるんじゃないかなーと思って期待したんだからさ。」ため息と同時に涼しい風が又ふいた。風と実彩子ちゃんの感情はリンクしているのだろうか。
「で、何ですか?」本心ではないにしろ、聞いてくれるという姿勢は整った。
「単刀直入に言うとね、君たち。寄りを戻しなさい。」
「・・・帰ります。」一言も発しない蓮の手を持って立ち上がる実彩子ちゃんに反射的に声を発した。
「ちょちょちょちょちょ、待ちなさいよ。もうちょっと聞いてよー。」そう言うしかない。駅付近は静まりかえっていて、若干声の響きを考えると、大きな声を出すことを躊躇してしまう感情を自分の中に確認出来た。再び暑さから若干解放してくれる風がふいたが気持ちよさはあまり感じなかった。
「単刀直入過ぎるー。」美樹は膝を数回叩きながら爆笑している。俺はけっこう真剣なんだけどな。
「なんだよ。時間ないの?ちょっと話聞いてあげたら?こいつアホだけど、まぁまぁ良いこと言うときあるし。たまにだけどね。でも、蓮君のことは真剣に心配して、色々考えてると思うよ。」急に、冷静に話してくれる優一の人間性に急に感謝の念が生じた。
大きな声を出して、アホさ加減丸出しの二人の後に、優一の冷静な口振りが良かったのか、実彩子ちゃんは、「わかりました。」と小さな声を出して、ゆっくりとベンチへ座った。

「何なんですか。あなた達は。私は真面目に言ってるんですよ。このバカがキャバクラ嬢と浮気なんぞをするから駄目なんでしょうが。」頬を赤らめた実彩子ちゃんは急に大きな声を出した。目の前には酎ハイの缶が二本置かれている。
「なんだよ。一さん、浮気相手キャバクラ嬢なの?超ウケル。」膝をめちゃくちゃ強い力で叩きながら大笑いする勤の姿を見て、蓮も笑っている。意味は分かっているのだろうか?
「全然ウケませんよ。こっちの身にもなってくださいよ。訳のわかんない女と付き合って、馬鹿みたい。」天竜川の大渓谷をバックに、再び酎ハイを勢いよく飲む実彩子ちゃんの姿は爽快だ。
「ごめんごめん。でもさ、一さん、どのくらい付き合ってたの?そのキャバクラ嬢とは?」
「えっ、えーと付き合ったっていうか、ちょくちょく飲みに行って、それでそのー、・・・何回かホテルの方に・・・。」
「ハイハイハイハイ。それまでー。蓮ちゃんお肉もっと食べたら?」酔っ払いながらも、周りに気配りが出来よる。アホと器用が混ざり合っていると思わせる美樹は蓮の肩を揉みながら、肉を取り分けていた。
「なんだよ。そんなもんかよ。」蓮に聞こえないようにするためだが、小さい声を出すというのはなかなか慣れないな。
「そんなもんかよじゃないよー。」若干力が衰退してきたであろうと捉えれる実彩子ちゃんの様子に、この後、蓮を連れて帰り、無事に家のことが出来るのか、若干不安だ。

「あのー、すみません。」萎れそうな声が聞こえてきたのは、宴も終わりにしようとしていた時だった。
「あのー。」公園の入口に佇む人影は、再び俺達に声を掛けてきた。公共の施設の公園だ。俺達は所有者じゃないし、不法侵入には当たらないのだから、入ってくればいい。
「何ですか?どうぞ、こちらに。」
「あ、すみません。」申し訳無さそうに、ペコペコ頭を下げながら近づいてくるこのおじさんには力強さは感じられず、警戒心は生まれない。
「どうしたの?おじさん。飲むー?」アホになった美樹はちょっと面白い。
「やや、それは申し訳ない。遠慮させて下さい。」なんかつまらんな。
「ダメだよ。飲まなきゃ。話はそれから。」やっぱり俺もアホだな。

「だからー。人探しなんですよー。」真太郎さんは直ぐに出来上がった。
「おいおい、次から次へと酔っぱらいが増えて、お開きが全然こねえじゃねえか。」そう言いながらも、気分の良さそうな優一の手には、さっきと変わって、焼酎の水割りがあった。
「まぁいいじゃないですか。蓮は帰したんですから。」そう言って、ベンチで寝てしまった勤の頭を叩きながら笑っている裕翔は全然酔っている気配はない。流石に強い。
大分酔わせちまった実彩子ちゃんと蓮を帰すのは流石に心配だった。一を一緒に帰したけど、吉と出るのか、凶と出るのか。
「ねえ、聞いてくれてます?」あ、そうだ。一瞬忘れていた。
「で、何?誰を探してんの?」
「フーッ。」俺の問いに、大きなため息をつく様を見ていると、中々深刻そうな様子が伺える。
「息子ですよ。息子。」再び大きなため息をつき、ベンチへゆっくりと腰を下ろした。
「何々?息子がどうしたのー?」美樹の質問が言い終わるかどうかのタイミングで、「行方不明なんです。」と語気を強めた真太郎さんの顔は酔っ払いのそれとは違っていた。
「行方不明って、真太郎ちゃん、どういうこと?」美樹の調子は相変わらずだ。
「ちょっと待てよ。真剣に聞こう。」大人な優一のお陰で話がスムーズに進みそうだ。
「もう一週間ですよ。消息を絶ってから。ハァー。」夜風とため息が同時にやってきた。
「何よ?どういうこと?詳しく教えてよ。」
「圭太。まぁゆっくり聞こう。」優一は酔としらふを切り替えるのが上手い。
「聞いてくれますか?」
「こっちが教えてって言ってるでしょ。」流石にイライラしてきた。
「おい。圭太。だから、ゆっくりしっかり聞こう。」
「ん・・・ああ。」昔からこういう感じは俺と優一で、変わらないな。
「じゃあ話します。・・・息子はこの春大学を卒業して、地元に帰ってきました。保険会社に勤務していたのですが、十日前に、急に会社を辞めたんです。」下を向き、元気なさげにそう話しながら、再び溜息をついた。少しの時間、静寂がうまれた。
「ふーん。で、それで探してるんだ?」
「はい。色々なところをさがしているんですけど、見つかりません。もう一週間になります。」
「どういうところを探したんですか?」優一の問いに目線を合わせて、真太郎さんは斜め上に目線を移し、少し考え込んだ後、「そうですねぇ・・・えーと、とりあえず、デパートや、パチンコ店、あと、ファミレス、回転寿司店なんかですね。」
「警察には相談していないんですか?」警察というフレームに反応して、少し真太郎さんは、目を開き、「あ、ああ、警察ですか・・・、んー。」と曖昧な返しをした。
「世間体か?」俺は反射的に、言葉を発した。
俺の言葉に真太郎さんの表情が一瞬バツが悪そうなものになった。
「んー、まぁ、何というか。そうですねー・・。」
「ハッキリしなよ。」つい強い口調になってしまった。
「はい・・・。すみません。」そう言って下を向いた真太郎さんを見て若干戸惑った。でも謝るところではない。
「まぁまぁ。」一口飲みながら優一は冷静に、「真太郎さん。俺たちが出来ることは限られてるけどさ、何時でもここに来て相談してよ。は



    
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