お嬢は静かに我慢しろ

石田空

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「レイテ?」

 目の前にはパッチリとした瞳に、くるくると巻かれた栗色の髪の少女が、こちらを気遣わしげに見つめていた。
 ……あーあー。思い出した。私は流れ込んでくる前世の記憶に、頭を痛めた。

 前世の私は、元々茶道の家元で生まれたものの、女は茶道の家元にはなれなかった。仕方がなく、その礼儀作法を学んで会社で働いていたら、私の礼儀作法に目を付けた人が、社内教育の一環としてマナー講師として社内教育を指導するようになった。
 単純に人間的に正しいことをしているだけなのだけれど、和室がなく和装を着ない人は意外と和室や和装での動き方を知らず、接待をしないといけない人たちには結構評判がよかったものの。
 その頃、テレビでは変なマナーが横行していた。「判子を押すときは頭を下げるように斜めに押すべし」とか、そんなん知らんし、みたいなマナーを作り出す人たちがポンポンと誕生し、いつしかその人々は「迷惑クリエイター」と称されるようになった。
 いやいやいや。ほとんどの人はまともなマナーを教えているのに、誰だこんなのつくり出したのは。いつしか、社内教育でマナー講師を行う機会が減っていった。
 それどころか。

「この給料泥棒の迷惑クリエイターが!!」

 いきなり暴言を吐かれて、刺されてしまった。
 ……本当に迷惑な話だ。変な人たちがテレビや雑誌でギャンギャン言いまくった末に、まともな人間が殺されるって。
 次は冤罪で殺されないといいなあ……。走馬灯が流れてきてそう考えてから、私の視界はブラックアウトしたんだ。

「レイテ?」
「……なんでもございません。お嬢様。それでは、マナー講座でしたね?」
「はい」

 現世の私も、なんの因果か人にマナーを教える家庭教師となっていた。下級貴族は嫁に行かない場合は家にいるのも邪魔だから働きに出ないといけなく、私はどうにか上級機族の家庭教師の枠に転がり込むことができたのだ。
 この見るからに愛らしい、深緑色の瞳に栗色のお人形のようなお嬢様はマリアンヌ様と言う。彼女は近い将来社交界デビューするため、それに備えてマナーを教えて立派なレディにするのが私の仕事だ。
 家の格としても、既に公爵家に嫁入りが決まっているマリアンヌ様。公爵家の坊ちゃまがどんな方かは存じ上げないけれど、その方に嫁げるようにと教育を行っているのだ。
 今はふたりで歩く練習をしている。何分公爵家ともなったら、夜会に参加する数が多いのだから、ヒールでどれだけ歩いても笑顔でいられるような特訓、覚えないといけないダンスの数などが半端ない。

「はい、お嬢様。それでは本を頭に乗せてくださいね。それを落とさないように歩いてください」
「え、ええ……」

 可愛らしいお嬢様は、頭に分厚い植物図鑑を乗せて、よったよったと歩きはじめた。元々お人形のように愛くるしいお嬢様が歩く様は愛らしくも、このままではあまりにもみっともなく、心を鬼にして「背筋を伸ばして」「ちょこちょこ歩かない」「堂々と、ちゃんと前を見て」と声を荒げる。

「は、はい……っ!」

 最終的にお嬢様は、凜とした姿勢で練習用の部屋を一周し終えた。
 なんと尊いお嬢様。その姿、とてもナイスです。なんて思っていることは微塵にも口にせず、私は薄く笑った。

「よく頑張りましたね」
「はい、レイテのおかげです」
「ええ」
「でも……私、もうすぐデビュタントに参加するのでしょう? 上手くできるでしょうか?」

 ちなみに社交界デビューのことをデビュタントと言う。そこでは真っ白な衣装で参加して、一曲踊って初めて社交界デビューとなる。

「ええ。お嬢様もダンスを覚えていますし、歩き方も学びました。無事にできますよ」
「ですけど……下級貴族の方に出会ったら、鼻で笑わないといけないのでしょう? 私、ひと目で貴族の方の身分を見分けられるでしょうか……」

 ……うん? 私は固まった。
 いくらマリアンヌ様の家柄が侯爵とはいえど、そんな軋轢を起こすような真似をしたら、公爵家に嫁ぐなんてNGだ。そんな夜会で問題を起こしまくる人を公爵家に入れたら、いくら身分の高い公爵家であっても、家柄を汚されたと糾弾されて離縁を申し込まれてもおかしくはない。
 そんな常識、普通にあったと思ったのだけれど。私はフルフルとしながらマリアンヌ様に尋ねる。

「どなたから、そのようなことを教わったのですか……?」
「メイドのニーナがおっしゃっていました。『お嬢様は偉いのですから、偉そうにしないと舐められる』と……」

 なに教えとるんじゃ!? 私はプルプルと震えた。

「それをしては絶対になりません。身分のあるものこそ、むやみやたらと喧嘩を売ってはいけません。態度が悪いということは、反感を買います。反感を買えば、あることないこと噂をされます。悪い噂というのは、簡単に尾ひれがついて、してもいないことまでしたと言われてしまうようになるんです」
「まあ……ではどの方にも、普通に接すればよいのでしょうか?」
「お嬢様が真心を込めて接してください。それで間違いではございません」

 私はそう言って、その日のマナー講座を終えた。
 終わったあと、私はメイド詰め所へと向かうこととした。ニーナはレイテと同じ程度の下級貴族の出のはずだ。上級機族ともなったら、メイドの身分まで高くなり、メイド服を着ている人もどこかの貴族の出身というのがよくある。

「ニーナ、いますか!?」
「あらレイテ」

 このニーナというメイド。はっきり言って素行が悪い。庭師にちょっかいをかける。執事にちょっかいをかける。最近は旦那様にまでちょっかいをかけようとしたため、メイド長に謹慎処分を食らって三日間飲まず食わずで物置に入れられていたものの、全くもって懲りない。
 しかしその素行の悪さが魅力的に見えてしまったのか、マリアンヌ様とは比較的よくしゃべるメイドのひとりだ……あれだ。前世でも善良な主人公よりもチョイ悪ライバルキャラのほうが人気が出た奴だ。
 私はニーナに声を荒げた。

「お嬢様になんてことを教えるんですか? 他貴族の方に舐められないようにだなんて……貴族同士で揉めたら、どんな醜聞がついて回るかわかったもんじゃないでしょうに」
「あら、お堅いのね、レイテは」

 ニーナはにっこりと笑う。メイド服で肌をほぼさらさない格好をしているというのに妙な色香がある。これが原因で問題起きて、婚約ができなかったんだろうなあとぼんやりと思う中、ニーナは続ける。

「人間ねえ、平民だろうが貴族だろうが、弱いと判断した人間にはなにしてもいいって思うもんなの。それに先制攻撃して、なにが悪いのかしら?」
「だから。弱いと判断させなければいいでしょう? そもそもお嬢様は侯爵家の子女の肩書きがあるのに、むやみに喧嘩を売ってはいけません」
「公爵家は愛人を持つのを推奨してるのに? ここで公爵家に下手にお嬢様を人形扱いするんじゃないって釘刺すにはちょうどいいんじゃなくって?」

 ほんっとうに。ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。
 前世でやたらめったらレスバしたがる子たちを思い返して、頭が痛くなった。この手の話は、言い負かそうとしたら、こっちが丸め込まれる。間を取った案を出して、相手もそこそこ納得させないことには、意味がない。
 私は気合いを入れ直して、ニーナを睨んだ。

「公爵家も醜聞は避けたいはずです。特に公爵家の子女は既に王家に嫁ぐことが決定しています。その中で愛人がらみで問題を起こしたら、最悪王家に泥を塗ります。さすがに今代はその推奨を止めるはずです」
「あー……そういえばそんな話あったっけ」

 ようやっとニーナは黙ってくれた。それに私はゼイゼイと息を切らした。

「とにかく。これ以上お嬢様におかしなことを教えないでくださる?」
「ハイハイ、お堅いレイテに免じて、今回は黙りますか」

 そう言って手を振って私を追い出した。
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