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臨時時刻表に切り替わることがあるため、あらかじめご了承ください─大事なものの拾い方─

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 入学式以来のスーツを引っ張り出してきて、袖を通す。黒いネクタイを取り出してきて、それを首にかけながら、洗面所の自分の顔を見た。
 こういうとき、泣きたいような怒ったような顔をするもんだと思うけれど、普段からペタンと貼り付いてしまった笑っている顔でどうしても消えてくれなくて、せめてもと俺はポーカーフェイスを決め込んだ。
 こうしてアパートを出て、叔父さん宅へと向かう。久々に通る道は、昔ながらのものだ。生け垣があって、古い壁があって、昔ながらの家が建ち並ぶ区画。その最奥に、叔父さん宅があった。
 俺がブザーを鳴らすと、出てきたのはみなほだった。みなほは普段よりも落ち着いた黒いワンピースを着て、普段サイドツインにしている髪を大人しくひとつに結んで立っていた。

「トク……」
「よっ。うちの両親の命日なのに、どうしてお前のほうが泣きそうになってんだよ」

 俺が軽口を叩くと、途端にみなほは泣きそうな顔をして、きつい言葉を叩き出した。

「だって、トクは全然素直じゃないんだもの。私が泣くしかなくない?」
「それ、全然泣くほうの言葉じゃないぞ?」
「馬鹿」

 そうきっぱりと言ってから、みなほはそっぽを向きながらも家に上げてくれた。
 飛び石。生け垣。引き戸。今時一軒家はなにかと金持ちだとやっかみを受けるけれど、昔ながらの土地で、昭和のままどうにかリフォームを重ねながら住んでいる地方の家は、だいたいこんなもんだ。
 既に叔父さんに頼んで売りに出してもらったうちの家も、大体似たようなもんだったなとぼんやりと思う。
 叔父さんに叔母さんに案内されて、ちりんを鳴らして仏壇に手を合わせた。
 本当は家に仏壇を置きたかったけれど、アパートに置けるような小さいサイズがなくて、未だに叔父さん家に置かせてもらってばかりだ。

「なあ、トクくん。学校は楽しいか?」

 叔父さんに気を遣ってもらって尋ねられ、俺は頷いた。

「すごく楽しいですよ。勉強も面白いですし、友達もできました」
「そうか……そうか……なあ、トクくん」
「さすがにもう叔父さん家で充分お世話になりましたから。食費まであれこれ免除してもらっているのに、これ以上お世話になるのは心苦しいですよ」

 そう言ってピシャンと止めた。
 本当にいい人の叔父夫婦は、みなほと一緒に俺が独立しようとするのを何度もストップを入れた。自棄を起こすんじゃないかと心配した上に、誰かのためじゃなかったら動けない俺が、自分ひとりのために動くことができないんじゃと思ったからだろう。だから定期的にみなほをうちに寄越している訳で……みなほには昼間以外は来るなと言っていても、未だに普通にうちまで来るのには困ってるんだけれど。
 多分俺は、この人たちがいなかったら。とっくの昔にパラレルラインに乗って、この世界から影も形も見当たらない存在になっていたんだろうと思う。
 未練だけが、俺をこの地に繋ぎ止めている。

****

 高校時代、修学旅行から帰ってきたら、うちの家は事故に巻き込まれて両親が亡くなった。
 ひどい事故だった。うちの家の生け垣は見る影もなくなってしまっていたし、トラックに突っ込まれたうちの家は、グシャングシャンに壊れてしまっていた。
 住宅街に迷い込んだトラックが逆走の果てに、民家に突っ込んだというニュースは、全国ネットに流されてしまい、たちまち俺は不幸な高校生ということで、全国デビューをしてしまった。
 叔父夫婦はカンカンだった。うちの両親の若い頃の写真や家族写真を欲しがり、うちの両親のことについて取材に回るテレビ局に怒り、家に帰ってきた途端になんもかんもが亡くなってしまった俺を引き取ってくれたのだった。
 クラスではそりゃもう、腫れ物を触るように接せられたし、挙げ句の果てに校長先生に、親の亡くなった子供向けの作文コンクールに出さないかと言われてしまった。怒った叔母が高校の校長室に怒鳴り込んだために、その話は立ち消えになってしまったが。
 あの日、たまたま父さんが会社を休んでいなかったら。あの日、たまたま母さんがパート休みじゃなかったら、あの日、ふたりとも用事が入っていて家を留守にしていたら。
 それらが叶わないんだったら、せめて俺がなんやかんやあって修学旅行が中止になっていたら。
 未だに夢の中にいるような感覚のまま、生きることはなかったんじゃないかと思う。
 俺が修学旅行に行くまで、たしかに生きていたふたり。
 帰ってきたら、事故でぐしゃんぐしゃんになっている我が家。
 葬儀だって、遺体があまりにものことになっているせいで、ほぼつくられた人形のようなもので行われ、ふたりがたしかに亡くなったという実感が湧き上がることがなく、ただ茫然自失としたまま、時間だけが流れていってしまった。
 俺の顔から笑顔が取れなくなってしまったのも、その頃からだ。
 そのせいか、俺がお人好しに思われてしまい、なにをやってもいいように思われるようになってしまった。扱いが若干雑にされるようになったのもこの頃からだ。
 それに対してものすごく怒るようになったのはみなほであり、あの頃から、あいつは向いてないツンデレのような言葉ばかり吐き出すようになった。本当はすごく泣き虫なのに、俺のために怒ってばかりいる。
 両親の死を悲しめない。叔父夫婦に厄介になっている。そしてみなほを怒らせてばかり。
 返さなくてもいい奨学金を取れる特待生になり、大学に入ってからひとり暮らしをしたいと言い出したのは、それからだった。
 周りに迷惑ばかりかけて、申し訳なさ過ぎた。なによりもみなほから笑顔を奪ったのが申し訳なかった。だから、出て行くことにしたのだ。
 いずれお墓も仏壇も、なんとか用意しよう。これ以上叔父夫婦を煩わせないように。
 線香の香り、叔父さんが頼んだ坊さんの念仏、皆が数珠を持って俯く仕草。
 父さんと母さんの命日でも、薄情な俺は泣くことすらできず、いつかの旅行の際に取った両親の場違いに幸せそうな遺影を眺めている。

****

 法事が滞りなく済み、坊さんは帰っていった。
 叔母さんが買ってきてくれていた弁当をいただきながら、尋ねられる。

「今はどこでバイトしているの? 前にバイト先が無くなったと、みなほが大騒ぎしてたから」
「ええっと……駅です。違う路線の売店で」
「あらあ……前にみなほが探し出せなかったと言ってたところ?」
「はい」

 叔母さんになんでもかんでも告げ口するの止めろよ。思わずじっとりとした目でみなほを見たけれど、みなほは口を尖らせて弁当をもしゃもしゃ食べている。「だって心配したんだもん」と顔いっぱいに不満を溜め込んで。
 叔父さんはそれに「そうかそうか」と頷いた。

「大学で教職を取るって聞いたけど」
「はい、勉強も進んでますよ。今のバイト先、給料もきちんとしている上に、休みも取りやすいんで」

 あのお金がどこから来るのかはわからないけれど、たしかに支払われているから、普通に生活は成り立っている。
 パラレルラインは普通の人には行くことのできない場所なのに。
 それにみなほはジィーッと猫を思わせる目で俺のことを見てきた。

「なんだよ」
「トクのバイト先見てみたい」
「もう……お前なんなんだよ。この間も迷って見つからなかっただろう?」
「でも、行ってみたいの」

 またわがままを言い出したよ。俺が思わず息を吐くと、叔母さんは「あんまり意地悪言うと、嫌われちゃうわよ」とみなほを咎めた。別に意地悪とも思ってないし嫌ってもいないけれど。そう言われたら、途端にみなほは一転してしょぼくれてしまった。

「……私、ただトクが元気で過ごしているか、見たかっただけなんだけど」
「一緒の大学に行ってるんだから、見てるだろ。俺は元気だよ」
「だって……だってトク。おじさんとおばさん亡くなってから、お面被ったみたいで、よくわかんないんだもん。いつかぱっといなくなりそうで」

 俺はどうしたもんかと思ってしまった。
 本当に、本当にみなほのそういうところが苦手なんだよ。わがまま言っているのかと思いきや恩着せがましいし。頼れと押し切ってくるし。その上、こっちが思っている以上に俺のことを理解していて、泣きたくなるほど優しい。
 少し考えてから「いいよ」とだけ言った。途端にみなほはわかりやすくパァッと顔を上げた。

「面白いかどうかはわかんないけど」
「いいの?」
「ただバイト先に連れて行くだけだよ。もし辿り着けなかったら諦めろよ」
「た、辿り着けないバイト先ってなに!? 行く!」

 法事用のワンピースじゃ駄目だと思ったらしく「すぐ着替えてくる!」と部屋に走って行ってしまった。それを叔父夫婦は目を細めて見送った。

「なんだかすまんね、トクくん」
「いえ。あいつ元気ですね。それ見て安心しました」
「あの子、トクくん好きだから」

 知っている。口であれだけ文句を言いながらも、絶対に俺が心底傷付く言葉だけは言わないんだ。あいつは泣きたくなるほどに優しい。
 やがて、バタンと音を立ててみなほは出てきた。大柄チェックのワンピースで、髪はいつもの見慣れたサイドツインに結い直してきた。

「お弁当食べた? なら行きましょう」
「別に、そこまで面白いこともないと思うけど」
「私が気になるの!」

 そう言って、スタスタと歩き出した。俺は「自転車持って行けよ。そのほうが絶対にいい」と言ってから、叔父夫婦に頭を下げた。

「本当に、今日はなにからなにまでありがとうございます。次の法事は、俺ひとりでできるようにしますから」
「うん。一人前になったらね。それに、もし君になにかあったら、にいさんたちに申し訳がないから」

 叔父さんは最後まで優しかった。

「君がきちんと一人前の社会人になるまで、生きたいと思っていて欲しいから。でなかったら、預かっていた意味がない」

 全部が全部、俺の手の届かないところではじまって、終わってしまった。
 なにに対して怒ればいいのか、嘆けばいいのかわからない後悔が俺の人生を占めてしまい、誰かのために生きないと、ただ座り込んでしまう。
 今の俺がこうなったのは明らかにあのときの事件が原因で、それで皆にずっと心配をかけている。
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