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二章 ミイルズ教と反逆街
4話
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病院はほとんど人がいなかった。
腰が曲がった年寄りや、真っ赤な顔をした子供を抱えた母親がときどき来るが、それ以外は静かなものだった。
「まさか、こんな場所に公爵家のご令嬢がいらっしゃるなんて思いもしませんでしたが、まあ……うちのベスがご迷惑をおかけしたようで」
白衣の男性が、ベスと呼ばれた男の身なりの少女に「ほら、頭を下げる」と頭を下げさせている。
銀髪に丸眼鏡の男性が、この病院の院長のようであった。
レニーは「いえ、もう終わったことだし」と制してから、「ところで」と切り出した。
「あんたがこんなところで病院を開いているのは? あんたが無事でここに過ごせることに、感心したんだけれど」
貧乏を拗らせた人間は、どんどんすさんでいき、他者に対して攻撃的になるというのは、今代も前世も変わらないように、レニーには思えた。
院長は「いやあ……」と困った顔をした。
「うちは普通に教会に通えているからね。ただ、教会から保護を受けられるけれど、その保護はうちではなく患者たちに使いたいというだけで」
意味がわからず、レニーは「どういう意味?」とティオボルドに尋ねると、元々神殿騎士だった彼は当然知っていたようで教えてくれた。
「教会の礼拝に参加している者たちが慈善事業を行う場合、教会がスポンサーになることがあるんです」
「うちも慈善事業という訳でもないから、もらえるものはもらってますけどねえ」
「ふうん……」
レニーはベスを見ると、彼女はぶすくれた顔でそっぽを向いていた。
「先生、もう謝ったからいいだろ? 次の客!」
「こらベス、客じゃなくって患者さんだ!」
「じゃあ次の患者! いい加減入れろよ。日が落ちるまでに全員診てやらないと危ないだろ!」
そう言ってベスが院長をせかすので、彼は苦笑して「本当に申し訳ございません。そろそろ次の患者の診察があるんですが……」と伝えると、レニーも頷いた。
「わかった。今日は帰るよ。ベス」
「……んだよ」
ベスは患者や院長には笑顔を見せたが、レニーとティオボルドとの出会いはろくでもなかったのだから、相変わらず態度はあまりよろしくない。
「お袋さん、早くよくなるといいな」
途端に、ベスは青い瞳を丸くさせた。そばかすだらけの顔ではあるが、瞳は驚くほどに透き通った綺麗な色をしている。
レニーは「行こう、ティオボルド」と言うと、今度こそハンナの待っている馬車へと帰っていった。
ティオボルドは「よろしかったんですか?」と尋ねると、レニーは頷く。
「ここも全員が全員、淀んでいる訳じゃないって安心したから。あのさ、ここに俺の金を寄付するっていうのはできないか?」
レニーがここで療養する際に、実家のクラウゼ家から仕送りが送られてきて、それを使用人たちが管理してやりくりし、別荘の生活を営んでいる。
本来なら礼拝に通うためのドレスは使い捨てだし、夜会に頻繁に参加するものなのだが、元々レニーは病弱なために療養のために別荘に籠もっているのだ。本来使うべきお金はほとんど使われていない。
レニーの提案に、ティオボルドは顔をしかめる。
「それはさすがに自分では決められるものではありません。ハンナと相談してください」
「ありがとうっ!」
レニーにニコッと笑われて、ティオボルドは複雑そうに顔を曇らせたあと、ふたりで貧民街を出て、服屋で服を着替えてから、馬車の元へと戻る。
ハンナは馬車から出て、おろおろと周りを歩き回っていた。
やがてレニーのドレス姿を目に留めたハンナはぱっと顔を上げた。
「お嬢様! いったいどこにいらっしゃったんですか! 心配しましたよ、全然帰ってこないんですから!」
「ごめんごめん、ちょっとティオボルドに町を案内してもらってたんだよ。いろいろあってさ」
「もうっ! もしお嬢様がどちらかに出かけるんでしたら、このハンナもお供しましたのに!」
プンプンとわかりやすく怒るハンナに、レニーは苦笑した。日常を生きている彼女に、まさかあれだけ危ない貧民街に行かせる訳にはいかなかった。
馬車に乗り込み、カタカタと馬車が走る音を耳にしながら、レニーは先程ティオボルドに話をしたことを口にしてみる。
「なあ……貧民街に寄付をしたいんだけれど」
それを口にすると、ハンナは咄嗟に周りを確認しはじめた。ティオボルドに至ってはずっと剣の柄に手を当てている。レニーは殺意というものには敏感だが、今はそんなものを一切感じないために、どうしてふたりがこんな反応をするのかがわからない。
確認を終えたハンナは、小さい声を漏らす。
「……私は正直反対です」
「なんで」
「たしかに、貧民街に住まう方々は気の毒なんです。あそこにおられる方は、教会からの支援を一切受けられない生活を営んでいますし……私もあそこにいてもおかしくなかった身ですからね、同情はしますが、それだけです。ですが」
ハンナはレニーの鼻先まで顔を近付けて、車外には一切漏れないような声を上げる。
「……あそこは国家転覆を考えているような反乱分子も隠れているんです。迂闊に貧民街だからと施しを与えていたら、反乱分子にもお金が流れるんです。もっとこう……薬とか食べ物とか、それにしか使えないものでは駄目なんですか?」
「反乱分子……そんなものまで?」
正直、レニーからしてみればありえない、というのが感想であった。
あそこの劣悪な環境では、反乱を起こしたところで、心身共に充実している神殿騎士や、町に駐屯している騎士団に平らげられるのが目に見えているからだ。
貧民街を歩き回っているのは、レニーの脅しに尻尾巻いて逃げるような輩しかいなかった。
ハンナは首を縦に振る。
「ええ。ですから、いくらお嬢様が公爵家の息女であっても、反乱分子に金を横流ししているとわかれば、いったいどんな処罰が下るのか、全くわからないんです。ですから、危険なことはお辞めくださいませ」
そう言い切るハンナに、レニーはティオボルドの顔を見る。
ティオボルドもまた、ハンナと同意見なのか、なにも言わなかった。
レニーは教会で行われた礼拝のことを考えた。
魔力のあるなしで人間を選別し、魔法の知識がないのをいいことに、魔法で信者の脳裏を盗み見る。まるでそれは、この大陸の人間を監視するために行っているように思える。
勇者アビーが最後に聞いた魔王の呪詛を思う。
──最後の手土産だ……貴様らの輪廻に呪いを刻んだ。貴様らは出会えば最後、魂が摩耗し消滅するまで、何度でも殺し合う。殺し合え。そして世界と心中するがいい……! 貴様らの怨嗟の連鎖を、地獄の特等席から見物させてもらおうじゃないか……!
わざわざ勇者アビーの恋人だった聖女エデルの名前を使って、大陸を統一しているのは、特等席に座っている魔王の因子ではないのか?
壮大過ぎる話で、もし前世の記憶さえなければ、誇大妄想だと一笑に付する話ではあるが。それは魔王が現れたとき、前世の神殿が一斉に大陸中に警告を発したときと同じではないのか。
たくさん死んだ。数字だけ並べても、それはただの現象だが、勇者アビーは旅の仲間たちと共に、それらが本当にあったことを知っている。
魂が、覚えている。
ミイルズ教団が、公爵家の息女の考えすら握りつぶせるだけの権力を持っているのなら、むしろそれは好都合だ。
魔王の存在を握りつぶせない程度に、大陸中に公表する。
幸いここは、帝都からずいぶん離れている町だ。公爵家の末娘であるレニーのことを、全て監視できる訳がない。
精神干渉は動き回っている人間の脳裏を読み取ることはできない。だからこそ礼拝で一定箇所に人を集めなければ読み取ることができないのであって、聖女エデルから教わった精神防御で精神をコーティングしてしまったら、もう読み取ることができないのだ。
そこまで考えをまとめて、レニーは口を出す。
「……わかった、表立って公爵家の人間が寄付をするのはまずいんだったら」
「お嬢様ぁ~、今度はなにを言い出す気なんですかぁ~」
「貧民街で商売をしても、問題ないんだな?」
「……はあ?」
なにを言い出すんだという顔で、ハンナは目を瞬かせた。
ティオボルドは少しだけ眉をピクンと動かしてレニーを見る。
「貧民街に寄付をしても、ただ反乱分子に金が渡るだけで、ミイルズ教団が目を付けるってことは、ここで商売をはじめて仕事を斡旋するんだったら、なんの問題もないよな?」
「り、理屈としてはわかりますけど……そもそも公爵家のご令嬢が商売って、お父上が反対されるのですが……」
「俺はただパトロンとして、商売をする人間に金を出すだけだが?」
「はあ……!? いったい誰が商売を……」
ハンナの悲鳴に、レニーはにこやかな顔で彼女を見る。
だんだんとレニーの言いたいことがわかってきたらしいハンナは、ぶんぶんぶんと首を振る。
「む、無理ですよぉ、お嬢様……わ、私は貧民街の住民に襲われても、抵抗できませんし……」
「俺は抵抗できる」
「しょ、商売なんて、やったことありませんし……」
「やるっていうんだったら手伝う」
「どうし、て……! そんなことをおっしゃるんですかぁ……!」
ハンナの泣き言に、にこやかな顔のまま、レニーは言った。
「決まってんだろ。ハンナみたいな人間がもっと増えたほうがいいと思うって、それだけだ」
「私……みたいな……ですか?」
「魔力がなくっても、普通に生活できるって証明できれば、大陸中に蔓延している考えを払拭させることはできるだろ。今はこの町の貧民街だけだけど、少しずつ増やしていけばいい」
ハンナは少し黙り込んだ。
それにレニーは微笑んだ。
正直、前世の勇者アビーも、魔法は不得手だった。今も使える魔法だって、聖女エデルに教わらなかったら、使うことすらできなかった。これで前世に猛威を振るった魔術師たちと渡り合えたかというと、答えはノーだった。
ミイルズ教団では、教会に入った人間全てに精神干渉できる程度に強力な魔術師がいることだけは予想できるが、伝心を使えない者の脳裏までは読み取ることができないのだから、貧民街に住まう者たちに、対抗策を教えることができるようになるかもしれない。
ハンナは困った顔で、丸いメガネ越しにくりくりとした目をうろうろとさまよわせるものの、やがて観念したように、深く深く溜息をついた。
「……それでいったい、なんの商売をなさるつもりなんですかぁ……」
「うん、酒のない酒屋にしようと思っている」
「ますます意味がわからないですよぉ……」
そうツッコミを入れてみるものの、もうハンナにはレニーの考えを止める気力もないらしい。
レニーは彼女のぐったりとする顔を見て笑った。
やらないといけないことがたくさんある。
勇者アビーが戦う相手は魔王で、魔王が使役している魔族や魔獣と、後から見ればわかりやすかったが。今代の敵は違う。
ミイルズ教団がなにを企んでいるのか、この大陸でなにを成そうとしているのかがわからないが、その目に見えないなにかに戦いを挑もうとしているのだ。
前世の記憶はある。前世から持ち越した膨大な魔力もある。どうにか鍛え直して、虚弱な体を一般人レベルまで底上げさせたが、前世の全盛期には程遠い。今代の知識だって常識だって足りない。
だが、公爵家が病弱な末娘のために用意した莫大な資産があるし、別荘に住んでいる使用人たちはレニーの味方にした。足りない尽くしの今代ではあるが、得体の知れないなにかと戦う準備はある。
魔王の存在だって、最初は見えずわからず、誰もが夢物語だと思って、言い出した人間を黙らせてきたのだ。今代の敵だって、今は姿かたちが見えずとも、いいようにやっていれば、いずれ見えるだろう。
目には見えないわからないものと戦うのには、勇者アビーもレニー・クラウゼも慣れている。
腰が曲がった年寄りや、真っ赤な顔をした子供を抱えた母親がときどき来るが、それ以外は静かなものだった。
「まさか、こんな場所に公爵家のご令嬢がいらっしゃるなんて思いもしませんでしたが、まあ……うちのベスがご迷惑をおかけしたようで」
白衣の男性が、ベスと呼ばれた男の身なりの少女に「ほら、頭を下げる」と頭を下げさせている。
銀髪に丸眼鏡の男性が、この病院の院長のようであった。
レニーは「いえ、もう終わったことだし」と制してから、「ところで」と切り出した。
「あんたがこんなところで病院を開いているのは? あんたが無事でここに過ごせることに、感心したんだけれど」
貧乏を拗らせた人間は、どんどんすさんでいき、他者に対して攻撃的になるというのは、今代も前世も変わらないように、レニーには思えた。
院長は「いやあ……」と困った顔をした。
「うちは普通に教会に通えているからね。ただ、教会から保護を受けられるけれど、その保護はうちではなく患者たちに使いたいというだけで」
意味がわからず、レニーは「どういう意味?」とティオボルドに尋ねると、元々神殿騎士だった彼は当然知っていたようで教えてくれた。
「教会の礼拝に参加している者たちが慈善事業を行う場合、教会がスポンサーになることがあるんです」
「うちも慈善事業という訳でもないから、もらえるものはもらってますけどねえ」
「ふうん……」
レニーはベスを見ると、彼女はぶすくれた顔でそっぽを向いていた。
「先生、もう謝ったからいいだろ? 次の客!」
「こらベス、客じゃなくって患者さんだ!」
「じゃあ次の患者! いい加減入れろよ。日が落ちるまでに全員診てやらないと危ないだろ!」
そう言ってベスが院長をせかすので、彼は苦笑して「本当に申し訳ございません。そろそろ次の患者の診察があるんですが……」と伝えると、レニーも頷いた。
「わかった。今日は帰るよ。ベス」
「……んだよ」
ベスは患者や院長には笑顔を見せたが、レニーとティオボルドとの出会いはろくでもなかったのだから、相変わらず態度はあまりよろしくない。
「お袋さん、早くよくなるといいな」
途端に、ベスは青い瞳を丸くさせた。そばかすだらけの顔ではあるが、瞳は驚くほどに透き通った綺麗な色をしている。
レニーは「行こう、ティオボルド」と言うと、今度こそハンナの待っている馬車へと帰っていった。
ティオボルドは「よろしかったんですか?」と尋ねると、レニーは頷く。
「ここも全員が全員、淀んでいる訳じゃないって安心したから。あのさ、ここに俺の金を寄付するっていうのはできないか?」
レニーがここで療養する際に、実家のクラウゼ家から仕送りが送られてきて、それを使用人たちが管理してやりくりし、別荘の生活を営んでいる。
本来なら礼拝に通うためのドレスは使い捨てだし、夜会に頻繁に参加するものなのだが、元々レニーは病弱なために療養のために別荘に籠もっているのだ。本来使うべきお金はほとんど使われていない。
レニーの提案に、ティオボルドは顔をしかめる。
「それはさすがに自分では決められるものではありません。ハンナと相談してください」
「ありがとうっ!」
レニーにニコッと笑われて、ティオボルドは複雑そうに顔を曇らせたあと、ふたりで貧民街を出て、服屋で服を着替えてから、馬車の元へと戻る。
ハンナは馬車から出て、おろおろと周りを歩き回っていた。
やがてレニーのドレス姿を目に留めたハンナはぱっと顔を上げた。
「お嬢様! いったいどこにいらっしゃったんですか! 心配しましたよ、全然帰ってこないんですから!」
「ごめんごめん、ちょっとティオボルドに町を案内してもらってたんだよ。いろいろあってさ」
「もうっ! もしお嬢様がどちらかに出かけるんでしたら、このハンナもお供しましたのに!」
プンプンとわかりやすく怒るハンナに、レニーは苦笑した。日常を生きている彼女に、まさかあれだけ危ない貧民街に行かせる訳にはいかなかった。
馬車に乗り込み、カタカタと馬車が走る音を耳にしながら、レニーは先程ティオボルドに話をしたことを口にしてみる。
「なあ……貧民街に寄付をしたいんだけれど」
それを口にすると、ハンナは咄嗟に周りを確認しはじめた。ティオボルドに至ってはずっと剣の柄に手を当てている。レニーは殺意というものには敏感だが、今はそんなものを一切感じないために、どうしてふたりがこんな反応をするのかがわからない。
確認を終えたハンナは、小さい声を漏らす。
「……私は正直反対です」
「なんで」
「たしかに、貧民街に住まう方々は気の毒なんです。あそこにおられる方は、教会からの支援を一切受けられない生活を営んでいますし……私もあそこにいてもおかしくなかった身ですからね、同情はしますが、それだけです。ですが」
ハンナはレニーの鼻先まで顔を近付けて、車外には一切漏れないような声を上げる。
「……あそこは国家転覆を考えているような反乱分子も隠れているんです。迂闊に貧民街だからと施しを与えていたら、反乱分子にもお金が流れるんです。もっとこう……薬とか食べ物とか、それにしか使えないものでは駄目なんですか?」
「反乱分子……そんなものまで?」
正直、レニーからしてみればありえない、というのが感想であった。
あそこの劣悪な環境では、反乱を起こしたところで、心身共に充実している神殿騎士や、町に駐屯している騎士団に平らげられるのが目に見えているからだ。
貧民街を歩き回っているのは、レニーの脅しに尻尾巻いて逃げるような輩しかいなかった。
ハンナは首を縦に振る。
「ええ。ですから、いくらお嬢様が公爵家の息女であっても、反乱分子に金を横流ししているとわかれば、いったいどんな処罰が下るのか、全くわからないんです。ですから、危険なことはお辞めくださいませ」
そう言い切るハンナに、レニーはティオボルドの顔を見る。
ティオボルドもまた、ハンナと同意見なのか、なにも言わなかった。
レニーは教会で行われた礼拝のことを考えた。
魔力のあるなしで人間を選別し、魔法の知識がないのをいいことに、魔法で信者の脳裏を盗み見る。まるでそれは、この大陸の人間を監視するために行っているように思える。
勇者アビーが最後に聞いた魔王の呪詛を思う。
──最後の手土産だ……貴様らの輪廻に呪いを刻んだ。貴様らは出会えば最後、魂が摩耗し消滅するまで、何度でも殺し合う。殺し合え。そして世界と心中するがいい……! 貴様らの怨嗟の連鎖を、地獄の特等席から見物させてもらおうじゃないか……!
わざわざ勇者アビーの恋人だった聖女エデルの名前を使って、大陸を統一しているのは、特等席に座っている魔王の因子ではないのか?
壮大過ぎる話で、もし前世の記憶さえなければ、誇大妄想だと一笑に付する話ではあるが。それは魔王が現れたとき、前世の神殿が一斉に大陸中に警告を発したときと同じではないのか。
たくさん死んだ。数字だけ並べても、それはただの現象だが、勇者アビーは旅の仲間たちと共に、それらが本当にあったことを知っている。
魂が、覚えている。
ミイルズ教団が、公爵家の息女の考えすら握りつぶせるだけの権力を持っているのなら、むしろそれは好都合だ。
魔王の存在を握りつぶせない程度に、大陸中に公表する。
幸いここは、帝都からずいぶん離れている町だ。公爵家の末娘であるレニーのことを、全て監視できる訳がない。
精神干渉は動き回っている人間の脳裏を読み取ることはできない。だからこそ礼拝で一定箇所に人を集めなければ読み取ることができないのであって、聖女エデルから教わった精神防御で精神をコーティングしてしまったら、もう読み取ることができないのだ。
そこまで考えをまとめて、レニーは口を出す。
「……わかった、表立って公爵家の人間が寄付をするのはまずいんだったら」
「お嬢様ぁ~、今度はなにを言い出す気なんですかぁ~」
「貧民街で商売をしても、問題ないんだな?」
「……はあ?」
なにを言い出すんだという顔で、ハンナは目を瞬かせた。
ティオボルドは少しだけ眉をピクンと動かしてレニーを見る。
「貧民街に寄付をしても、ただ反乱分子に金が渡るだけで、ミイルズ教団が目を付けるってことは、ここで商売をはじめて仕事を斡旋するんだったら、なんの問題もないよな?」
「り、理屈としてはわかりますけど……そもそも公爵家のご令嬢が商売って、お父上が反対されるのですが……」
「俺はただパトロンとして、商売をする人間に金を出すだけだが?」
「はあ……!? いったい誰が商売を……」
ハンナの悲鳴に、レニーはにこやかな顔で彼女を見る。
だんだんとレニーの言いたいことがわかってきたらしいハンナは、ぶんぶんぶんと首を振る。
「む、無理ですよぉ、お嬢様……わ、私は貧民街の住民に襲われても、抵抗できませんし……」
「俺は抵抗できる」
「しょ、商売なんて、やったことありませんし……」
「やるっていうんだったら手伝う」
「どうし、て……! そんなことをおっしゃるんですかぁ……!」
ハンナの泣き言に、にこやかな顔のまま、レニーは言った。
「決まってんだろ。ハンナみたいな人間がもっと増えたほうがいいと思うって、それだけだ」
「私……みたいな……ですか?」
「魔力がなくっても、普通に生活できるって証明できれば、大陸中に蔓延している考えを払拭させることはできるだろ。今はこの町の貧民街だけだけど、少しずつ増やしていけばいい」
ハンナは少し黙り込んだ。
それにレニーは微笑んだ。
正直、前世の勇者アビーも、魔法は不得手だった。今も使える魔法だって、聖女エデルに教わらなかったら、使うことすらできなかった。これで前世に猛威を振るった魔術師たちと渡り合えたかというと、答えはノーだった。
ミイルズ教団では、教会に入った人間全てに精神干渉できる程度に強力な魔術師がいることだけは予想できるが、伝心を使えない者の脳裏までは読み取ることができないのだから、貧民街に住まう者たちに、対抗策を教えることができるようになるかもしれない。
ハンナは困った顔で、丸いメガネ越しにくりくりとした目をうろうろとさまよわせるものの、やがて観念したように、深く深く溜息をついた。
「……それでいったい、なんの商売をなさるつもりなんですかぁ……」
「うん、酒のない酒屋にしようと思っている」
「ますます意味がわからないですよぉ……」
そうツッコミを入れてみるものの、もうハンナにはレニーの考えを止める気力もないらしい。
レニーは彼女のぐったりとする顔を見て笑った。
やらないといけないことがたくさんある。
勇者アビーが戦う相手は魔王で、魔王が使役している魔族や魔獣と、後から見ればわかりやすかったが。今代の敵は違う。
ミイルズ教団がなにを企んでいるのか、この大陸でなにを成そうとしているのかがわからないが、その目に見えないなにかに戦いを挑もうとしているのだ。
前世の記憶はある。前世から持ち越した膨大な魔力もある。どうにか鍛え直して、虚弱な体を一般人レベルまで底上げさせたが、前世の全盛期には程遠い。今代の知識だって常識だって足りない。
だが、公爵家が病弱な末娘のために用意した莫大な資産があるし、別荘に住んでいる使用人たちはレニーの味方にした。足りない尽くしの今代ではあるが、得体の知れないなにかと戦う準備はある。
魔王の存在だって、最初は見えずわからず、誰もが夢物語だと思って、言い出した人間を黙らせてきたのだ。今代の敵だって、今は姿かたちが見えずとも、いいようにやっていれば、いずれ見えるだろう。
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ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。
URL of this novel:https://www.alphapolis.co.jp/novel/628331665/937590458
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