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二章 ミイルズ教と反逆街
3話
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とにかく、これ以上自分の心に干渉されては目障りだ。
誰だって、自分の記憶や思っていることを覗き見られるなんてこと、恥ずかしくって嫌なはずだ。
レニーは前世で教わった魔法を行使する。
精神防御。
本来は魔族がたまに使ってくる洗脳系の魔法への対抗として使われる魔法だが、これは精神干渉から心を守るほぼ唯一の魔法としても知られている。
ようやく心を蠢くおぞましい気配が去り、レニーはほっとしながら、ちらりと神官を見る。神官は長椅子の間を縫って歩いているが、レニーが精神干渉を塞き止めた事実には気付いていないようだった。だとしたら、神官が伝心を行使した人々の思考を読み取っている訳ではないようだ。
当然だとは思う。
これだけの数の人々の思考を同時に読み取るとなったら、それこそ魔力は聖女ほどの量がなければ無理である。もっとも、今代において聖女が存在しているのかどうかすら、今のレニーは知らないのだけれど。
しばらく礼拝が続いた中、最後に讃美歌を歌って解散となったものの、レニーからしてみれば居心地の悪い空間であった。
どうにか精神防御でやり過ごしたあと、解散してからはぐったりとしていた。
「なあ、ティオボルド。礼拝っていっつもこんなものなのか?」
馬車への帰り道、レニーは歩きながら尋ねると、精神的に削れてしまった彼女とは違って、背筋をピンと伸ばしたティオボルドはキョトンとした顔で彼女を見下ろす。
「礼拝で祈りを捧げるのに、なにやら支障がございましたか?」
「というよりおかしいだろ。どうして伝心で祈りを捧げた上で、精神干渉されなきゃいけないんだよ。なんで教会に行って脳内を丸見えにされなきゃならないんだ……」
「ふむ。たしかにそれはレニー様みたいに礼拝に参加してなかった人間からしてみれば、おかしな話になるでしょうね」
「なんだよ、前の職場の悪口を聞かされて嫌になったか?」
元々神殿式として教会で働いていたのなら、なにかしら思うことがあるのだろうと思うレニー。しかしティオボルドはそれに対して「いいえ」と答えた。
「当然だと思っていますよ。普通に暮らしている人間は、誰だって心の内を覗き見されて面白いと思う訳はないと思います。ただ、ミイルズ教団が大陸を統一して戦争を失くした際に、身の潔白を証明するために、心を読むことが推奨されるようになりました。これならば、いくら金を掴ませた貴族だとしても、後ろ黒い部分があるかどうかわかりますからね。おかげで、この数十年は戦争らしき戦争は起こってはいません」
「……そうかもしれないけど」
戦争なんて起こらないほうがいいに決まっている。だが、どうにも釈然としない。
ティオボルドの説明にもいまいち腑に落ちることはなく、悶々としている中。
「おっと、ごめんよ!」
小柄な子供がレニーの胸元に飛び込んできたのだ。
洗濯をし過ぎて萎びてしまった服を着た子供であった。帽子を深く被っている。レニーはその子供を受け止めると、きちんと立たせた。
「こら、前見て歩け」
「はあい、ごめんよ」
そう言って子供が走り去ろうとする中「待て」とティオボルドが鋭い声を上げたと思ったら、その子供の首根っこを掴んで、地面に伏せさせる。
「おい、そいつはまだ子供で……!」
「……レニー様、そいつはスリです」
「スリって……俺、別になにも取られてなんて」
たしかに礼拝に参列する際に、日傘以外に持ち合わせはなかった。
だがティオボルドが促した先に、誰かの財布が何個も連なって見え、レニーは喉が鳴る……どう見ても上等なそれだ。この子供を騎士団に突き出してしまったら最後、袋叩きにされるのが目に見えている。
「離せよ……! 今日の分の食事が!」
ティオボルドが強く拘束していても、子供は逃げることをちっとも諦めていない。レニーはしゃがみ込むと、拘束された子供に視線を合わせた。
「おい、チビにそこまですんなって。こんなにヒョロッヒョロなのに、お前が本気出したら骨の一本二本折れんだろ。ほら、チビ。お前は親切で財布を拾っていただけで、スってない。これは騎士団に届けて、一割の礼金もらう。お前がそのまんま行ってヤバいんだったら、俺たちが届けてきて礼金もらってきてやるし。どうする?」
レニーからしてみると、ティオボルドに拘束されても恐怖で泣き叫ぶことなく、ギラギラとした目で睨みつけている子供の顔は、前世でよく見たことがあり、憐れに思えた。
魔族に故郷を潰された子供たちは、都に流れ着いて、必死にスリや置き引きで生活し、そのたびに騎士団に袋叩きにされていたのだ。貧民は辺境では生活することすら困難で、都まで辿り着けた者たちだけが、貧民としてでも生き永らえることができたのだ。
……既に戦争がなくなった世界ですら、貧民がいること自体、今代がおかしいということを証明している。
子供はギラギラとした目で、レニーを見返した。その目に、レニーは少しだけほっとする。貧民の子供は、どんどんと目から光が消え、生きているのに死んでいる、落ちくぼんだ目に変わっていくのだ。まだこの子供は、生きる気力を持っている。
「……信用できねえ。俺を騎士団に通報する気じゃねえか?」
「そうだなあ……なあ、ティオボルド。お前このチビにここにある財布の金の一割分、建て替えてくれないか?」
「はあ!? レニー様、それはいくらなんでも、子供が舐めてかかるのでは……」
「いや? このチビはたしかに犯罪者ではあるけど、仁義を捨てちゃいないよ。ほらチビ、どうする?」
子供はレニーの提案に押し黙り、なおも彼女を舐めるように品定めするように、ギラギラとした視線を向け続ける。
やがて、子供は吐き捨てるに言い放った。
「……チビじゃねえよ。これでも一四だ。礼金はいただく。このまんま騎士団に突っ込まれて時間を無駄にするよりゃよっぽどマシだ」
「おう。ティオボルド」
レニーは意外と賢い少年の言葉にニヤリと笑ってから、ティオボルドに視線を送る。
ティオボルドは渋い顔で、礼金の一割ほどのお金を、少年に差し出してから、地面に拘束していたのを解いた。
少年は急いで礼金を指で数えると、そのまま走り出す。
それをティオボルドは呆れた顔で見送った。
「……礼のひとつもなしか」
「いや、急いでたんだろうさ。子供にしか見えないくらいにガリッガリに痩せてても、時間を忘れないなんてな。さあ、俺たちはさっさと騎士団に『拾い物』を届けようぜ」
「……ええ」
一四だったら、本来なら学問所に入学したり、上級貴族邸に奉公に入ったりする頃合いだというのに、あの少年はそんな年頃とはとてもじゃないが見えなかった。
騎士団に財布を届け出ると、そのまま馬車の方角に戻ろうとするティオボルドに、レニーは「なあ」と言い出す。
「……なんですか、レニー様。そろそろ馬車も待たせ過ぎでしょう。早く帰り……」
「俺、さっきの子の様子を見に行きたいんだけど」
「なっ……この格好では襲えと言っているようなものですよ! せめて、乗馬服のときにしてくださいよ。自分もこれ以上ハンナに睨まれたくはありません」
「でも、ここで行ってみなかったら、またハンナにとやかく言われんじゃねえか。あとで言われるのと、今言われるのと、どっちがマシなんだよ」
ハンナが愛情深いメイドだということは、レニーだってよくわかっている。だからこそ、あとで彼女に逆らって泣かれるよりも、今彼女がいない内に首を突っ込んでおきたいのだった。
ティオボルドはしばらく黙り込んだあと、ようやくやれやれと首を振った。
「貧民街は本当にスリや強盗が横行していますから。どこかで服を買いましょう。着替えてからじゃなかったら、とてもじゃないですが向かうのは無理です」
「ありがとう! ティオボルドが話がわかる奴で助かったよ、本当に」
「単純に、ハンナに怒られるのがレニー様だけだと気の毒に思っただけですよ」
ふたりは急いで服屋に入ると、できるだけ庶民に見える服を選んだ。
レニーが選んだのは商人が着ているようなシャツにパンツルックであり、それでレーシーな日傘を持っているとちぐはぐにも程があるが、元々が美しい黒髪にルビー色の瞳なのだ。ちぐはぐな印象は何故か霧散し、そういうファッションに見えてしまうのだから驚きだ。
ティオボルドは薄い甲冑を外し、シャツとパンツだけになったが、それでも腰に剣が提げられている。目立たないように、外套で背中を覆うことにした。
こうしてふたりで貧民街へと向かっていったが。
牧歌的な町並みは、貧民街へと足を踏み入れた途端に一変した。
まず最初にレニーの鼻を掠めたのは、異臭だった。
酒に生ゴミを放置しておいた異臭が、路地裏のそこかしこに漂っている。
「……どうしてここは」
「他の場所は、掃除をすれば業者に金が入ります。ですが、礼拝に参加していない町を掃除したとしても、お金ははした金すら入りません。ですから業者も貧民街を外して掃除をするんです」
「どうして」
「……伝心すら使えない人間を、途絶えさせたいとしか思えないんです。皆が皆、ハンナのように伝手やコネがある訳でもありませんし、貧民街から脱出するための金を作り出せるとは思えないんです」
たかが礼拝。されど礼拝。
何故か礼拝ひとつできないだけで、尊厳を踏み潰される。
そういえば、先程の少年はどこに行ったのだろう、とふと思い、レニーは顔を上げる。
この貧民街を歩いている人々のほとんどは、先程の少年のように腕も手足もガリガリに痩せ衰えていた。おまけにこの環境では、どう考えても体によくないことだけはわかる。
やがて、押し車を引いて歩いている年寄りを見つけ、レニーは声をかけた。
「すまん。少年を探しているんだけど、いいかな?」
「少年?」
「ああ……チビで本当に子供にしか見えないけど、実は一四だって言ってたな。金髪で目は青。そばかすだらけで、スリしてた……」
「……あの子のことは許してあげてください」
年寄りは正面にいるレニーとティオボルドにしか聞こえないほどの、小さな声で訴える。
それにティオボルドは顔をしかめる。
「ご老人。しかしそれでは、他の者たちに示しが」
「……ええ、法律の上ではあの子が犯罪者なのはわかっています。ですが、あの子の親は、病院にかかることすらできないのです」
それにレニーは目を丸くする。
ティオボルドは苦々しい顔で「しかし……」と言うが、本心で言いたい訳ではないというのが、ありありと見て取れる。
年寄りは貧民街の様子を見た。
「ここの人間はここ以外では人間扱いはされません。いないものとして扱われるんです……あの子も医者に大金を支払ってまで、親を診てもらっているんです。正攻法では、我々は病院で門前払いを食らうしかないのですから」
「そんな……」
勇者アビーの時代、病院替わりに使っていた教会は、決して人を追い払うことはしなかった。
貴族が寄付をし、その金で病院に通えないような弱小冒険者や貧乏人がただで教会で診てもらうことができる仕組みであった。
あの建物だけやけに立派な教会は、精神干渉で人の心象を盗み見ることはもちろん、心象を差し出すことのできない人間を、いないものとして扱う……今そこで苦しんでいても、教会からしてみれば、存在していない人間なのだ。
レニーが怒りに震えて、プルプルと拳を震わせる。力を込めて握りしめた日傘の柄が、ミチミチと鳴った。
それを見ながら、年寄りは顔色ひとつ変えずに言う。
「貴族様の気まぐれでしたら、早くお戻りください。見物されても得られるものなんてなにひとつありませんよ」
それだけ言い置くと、そのまま押し車をキィキィと音を立てて、そのまま立ち去ってしまった。車輪が軋みを上げる音だけが、この腐臭に満ちた道に残った。
「レニー様、もう先程のご老人もおっしゃっていたでしょう。そろそろハンナに元に帰り……」
「さっきのチビを探そう」
「……聞いてらっしゃいますか?」
「聞いてたよ。聞いてたから余計に納得がいかなくなった。さっきのチビ、もしティオボルドが礼金を立て替えなかったら、今頃騎士団に通報されて、袋叩きにされてたじゃないか。それだと、あのチビの親御さんの治療費の支払い、誰がやるんだ? このやり方を見過ごしてたら、死人が増えるだけだ」
教会に通える人間だけがまともな治療を受けられて、魔力が足りないというそれだけで、どんどんと屍が積み上がっていく。
レニーの持つ日傘の柄は、ずっとギリギリと音を立てて彼女に握られている。それに視線を落としたティオボルドは、溜息をついた。
「……危ないと判断したら、自分はあなたに殴られても連れ帰りますよ」
「ありがとう、ティオボルド。お前だったら頷いてくれると思った」
「いえ……」
こうして、ふたりで貧民街を歩きはじめる。
服装こそ一般人のものだが、顔立ちが際立っているせいなのか、それとも身長が目立つのか、酒気を漂わせている男たちに絡まれたが、そのたびにレニーが日傘で威嚇のように地面を突き、その音と地面に空いた鋭い穴を見て逃げていく。
食べているものは、町の飲み屋や食堂のゴミ箱から盗んできたもので、どうもこの辺りを漂う酒気の正体も、そこから盗んできた酒によるものらしい。
この辺りの家はどれもこれも、修繕されず、窓ぶちはボロボロで、家の扉すら壊れたままキィキィと音を立ててぶら下がっているのすら見受けられる。
あの少年はどこに行ったのかと見回していたところで。
「お大事に。じいちゃんもう襲われんじゃねえぞ?」
「ありがとう、ベス。ベスも無理して騎士団に捕まらんようにな」
「あいつらなんて大したことねえよ。全員俺の足の速さについてこれねえもん」
年寄りとカラカラと笑っている白衣の少女が見えた。
貧民街にありながら、その建物は他のものよりも比較的小奇麗で、中からは薬品のにおいが漂ってくる。病院だ。
そしてその少女の顔を見て、レニーは「あ」と言った。
少女が年寄りを路地まで見送ってから病院に戻ろうとする中、レニーとティオボルドを見て「げっ」と声を上げる。
その少女は、どこからどう見ても、先程ティオボルドに地面に拘束されていた少年だったのだ。痩せ過ぎていて、格好を変えたらもうわからなくなっていたが。
誰だって、自分の記憶や思っていることを覗き見られるなんてこと、恥ずかしくって嫌なはずだ。
レニーは前世で教わった魔法を行使する。
精神防御。
本来は魔族がたまに使ってくる洗脳系の魔法への対抗として使われる魔法だが、これは精神干渉から心を守るほぼ唯一の魔法としても知られている。
ようやく心を蠢くおぞましい気配が去り、レニーはほっとしながら、ちらりと神官を見る。神官は長椅子の間を縫って歩いているが、レニーが精神干渉を塞き止めた事実には気付いていないようだった。だとしたら、神官が伝心を行使した人々の思考を読み取っている訳ではないようだ。
当然だとは思う。
これだけの数の人々の思考を同時に読み取るとなったら、それこそ魔力は聖女ほどの量がなければ無理である。もっとも、今代において聖女が存在しているのかどうかすら、今のレニーは知らないのだけれど。
しばらく礼拝が続いた中、最後に讃美歌を歌って解散となったものの、レニーからしてみれば居心地の悪い空間であった。
どうにか精神防御でやり過ごしたあと、解散してからはぐったりとしていた。
「なあ、ティオボルド。礼拝っていっつもこんなものなのか?」
馬車への帰り道、レニーは歩きながら尋ねると、精神的に削れてしまった彼女とは違って、背筋をピンと伸ばしたティオボルドはキョトンとした顔で彼女を見下ろす。
「礼拝で祈りを捧げるのに、なにやら支障がございましたか?」
「というよりおかしいだろ。どうして伝心で祈りを捧げた上で、精神干渉されなきゃいけないんだよ。なんで教会に行って脳内を丸見えにされなきゃならないんだ……」
「ふむ。たしかにそれはレニー様みたいに礼拝に参加してなかった人間からしてみれば、おかしな話になるでしょうね」
「なんだよ、前の職場の悪口を聞かされて嫌になったか?」
元々神殿式として教会で働いていたのなら、なにかしら思うことがあるのだろうと思うレニー。しかしティオボルドはそれに対して「いいえ」と答えた。
「当然だと思っていますよ。普通に暮らしている人間は、誰だって心の内を覗き見されて面白いと思う訳はないと思います。ただ、ミイルズ教団が大陸を統一して戦争を失くした際に、身の潔白を証明するために、心を読むことが推奨されるようになりました。これならば、いくら金を掴ませた貴族だとしても、後ろ黒い部分があるかどうかわかりますからね。おかげで、この数十年は戦争らしき戦争は起こってはいません」
「……そうかもしれないけど」
戦争なんて起こらないほうがいいに決まっている。だが、どうにも釈然としない。
ティオボルドの説明にもいまいち腑に落ちることはなく、悶々としている中。
「おっと、ごめんよ!」
小柄な子供がレニーの胸元に飛び込んできたのだ。
洗濯をし過ぎて萎びてしまった服を着た子供であった。帽子を深く被っている。レニーはその子供を受け止めると、きちんと立たせた。
「こら、前見て歩け」
「はあい、ごめんよ」
そう言って子供が走り去ろうとする中「待て」とティオボルドが鋭い声を上げたと思ったら、その子供の首根っこを掴んで、地面に伏せさせる。
「おい、そいつはまだ子供で……!」
「……レニー様、そいつはスリです」
「スリって……俺、別になにも取られてなんて」
たしかに礼拝に参列する際に、日傘以外に持ち合わせはなかった。
だがティオボルドが促した先に、誰かの財布が何個も連なって見え、レニーは喉が鳴る……どう見ても上等なそれだ。この子供を騎士団に突き出してしまったら最後、袋叩きにされるのが目に見えている。
「離せよ……! 今日の分の食事が!」
ティオボルドが強く拘束していても、子供は逃げることをちっとも諦めていない。レニーはしゃがみ込むと、拘束された子供に視線を合わせた。
「おい、チビにそこまですんなって。こんなにヒョロッヒョロなのに、お前が本気出したら骨の一本二本折れんだろ。ほら、チビ。お前は親切で財布を拾っていただけで、スってない。これは騎士団に届けて、一割の礼金もらう。お前がそのまんま行ってヤバいんだったら、俺たちが届けてきて礼金もらってきてやるし。どうする?」
レニーからしてみると、ティオボルドに拘束されても恐怖で泣き叫ぶことなく、ギラギラとした目で睨みつけている子供の顔は、前世でよく見たことがあり、憐れに思えた。
魔族に故郷を潰された子供たちは、都に流れ着いて、必死にスリや置き引きで生活し、そのたびに騎士団に袋叩きにされていたのだ。貧民は辺境では生活することすら困難で、都まで辿り着けた者たちだけが、貧民としてでも生き永らえることができたのだ。
……既に戦争がなくなった世界ですら、貧民がいること自体、今代がおかしいということを証明している。
子供はギラギラとした目で、レニーを見返した。その目に、レニーは少しだけほっとする。貧民の子供は、どんどんと目から光が消え、生きているのに死んでいる、落ちくぼんだ目に変わっていくのだ。まだこの子供は、生きる気力を持っている。
「……信用できねえ。俺を騎士団に通報する気じゃねえか?」
「そうだなあ……なあ、ティオボルド。お前このチビにここにある財布の金の一割分、建て替えてくれないか?」
「はあ!? レニー様、それはいくらなんでも、子供が舐めてかかるのでは……」
「いや? このチビはたしかに犯罪者ではあるけど、仁義を捨てちゃいないよ。ほらチビ、どうする?」
子供はレニーの提案に押し黙り、なおも彼女を舐めるように品定めするように、ギラギラとした視線を向け続ける。
やがて、子供は吐き捨てるに言い放った。
「……チビじゃねえよ。これでも一四だ。礼金はいただく。このまんま騎士団に突っ込まれて時間を無駄にするよりゃよっぽどマシだ」
「おう。ティオボルド」
レニーは意外と賢い少年の言葉にニヤリと笑ってから、ティオボルドに視線を送る。
ティオボルドは渋い顔で、礼金の一割ほどのお金を、少年に差し出してから、地面に拘束していたのを解いた。
少年は急いで礼金を指で数えると、そのまま走り出す。
それをティオボルドは呆れた顔で見送った。
「……礼のひとつもなしか」
「いや、急いでたんだろうさ。子供にしか見えないくらいにガリッガリに痩せてても、時間を忘れないなんてな。さあ、俺たちはさっさと騎士団に『拾い物』を届けようぜ」
「……ええ」
一四だったら、本来なら学問所に入学したり、上級貴族邸に奉公に入ったりする頃合いだというのに、あの少年はそんな年頃とはとてもじゃないが見えなかった。
騎士団に財布を届け出ると、そのまま馬車の方角に戻ろうとするティオボルドに、レニーは「なあ」と言い出す。
「……なんですか、レニー様。そろそろ馬車も待たせ過ぎでしょう。早く帰り……」
「俺、さっきの子の様子を見に行きたいんだけど」
「なっ……この格好では襲えと言っているようなものですよ! せめて、乗馬服のときにしてくださいよ。自分もこれ以上ハンナに睨まれたくはありません」
「でも、ここで行ってみなかったら、またハンナにとやかく言われんじゃねえか。あとで言われるのと、今言われるのと、どっちがマシなんだよ」
ハンナが愛情深いメイドだということは、レニーだってよくわかっている。だからこそ、あとで彼女に逆らって泣かれるよりも、今彼女がいない内に首を突っ込んでおきたいのだった。
ティオボルドはしばらく黙り込んだあと、ようやくやれやれと首を振った。
「貧民街は本当にスリや強盗が横行していますから。どこかで服を買いましょう。着替えてからじゃなかったら、とてもじゃないですが向かうのは無理です」
「ありがとう! ティオボルドが話がわかる奴で助かったよ、本当に」
「単純に、ハンナに怒られるのがレニー様だけだと気の毒に思っただけですよ」
ふたりは急いで服屋に入ると、できるだけ庶民に見える服を選んだ。
レニーが選んだのは商人が着ているようなシャツにパンツルックであり、それでレーシーな日傘を持っているとちぐはぐにも程があるが、元々が美しい黒髪にルビー色の瞳なのだ。ちぐはぐな印象は何故か霧散し、そういうファッションに見えてしまうのだから驚きだ。
ティオボルドは薄い甲冑を外し、シャツとパンツだけになったが、それでも腰に剣が提げられている。目立たないように、外套で背中を覆うことにした。
こうしてふたりで貧民街へと向かっていったが。
牧歌的な町並みは、貧民街へと足を踏み入れた途端に一変した。
まず最初にレニーの鼻を掠めたのは、異臭だった。
酒に生ゴミを放置しておいた異臭が、路地裏のそこかしこに漂っている。
「……どうしてここは」
「他の場所は、掃除をすれば業者に金が入ります。ですが、礼拝に参加していない町を掃除したとしても、お金ははした金すら入りません。ですから業者も貧民街を外して掃除をするんです」
「どうして」
「……伝心すら使えない人間を、途絶えさせたいとしか思えないんです。皆が皆、ハンナのように伝手やコネがある訳でもありませんし、貧民街から脱出するための金を作り出せるとは思えないんです」
たかが礼拝。されど礼拝。
何故か礼拝ひとつできないだけで、尊厳を踏み潰される。
そういえば、先程の少年はどこに行ったのだろう、とふと思い、レニーは顔を上げる。
この貧民街を歩いている人々のほとんどは、先程の少年のように腕も手足もガリガリに痩せ衰えていた。おまけにこの環境では、どう考えても体によくないことだけはわかる。
やがて、押し車を引いて歩いている年寄りを見つけ、レニーは声をかけた。
「すまん。少年を探しているんだけど、いいかな?」
「少年?」
「ああ……チビで本当に子供にしか見えないけど、実は一四だって言ってたな。金髪で目は青。そばかすだらけで、スリしてた……」
「……あの子のことは許してあげてください」
年寄りは正面にいるレニーとティオボルドにしか聞こえないほどの、小さな声で訴える。
それにティオボルドは顔をしかめる。
「ご老人。しかしそれでは、他の者たちに示しが」
「……ええ、法律の上ではあの子が犯罪者なのはわかっています。ですが、あの子の親は、病院にかかることすらできないのです」
それにレニーは目を丸くする。
ティオボルドは苦々しい顔で「しかし……」と言うが、本心で言いたい訳ではないというのが、ありありと見て取れる。
年寄りは貧民街の様子を見た。
「ここの人間はここ以外では人間扱いはされません。いないものとして扱われるんです……あの子も医者に大金を支払ってまで、親を診てもらっているんです。正攻法では、我々は病院で門前払いを食らうしかないのですから」
「そんな……」
勇者アビーの時代、病院替わりに使っていた教会は、決して人を追い払うことはしなかった。
貴族が寄付をし、その金で病院に通えないような弱小冒険者や貧乏人がただで教会で診てもらうことができる仕組みであった。
あの建物だけやけに立派な教会は、精神干渉で人の心象を盗み見ることはもちろん、心象を差し出すことのできない人間を、いないものとして扱う……今そこで苦しんでいても、教会からしてみれば、存在していない人間なのだ。
レニーが怒りに震えて、プルプルと拳を震わせる。力を込めて握りしめた日傘の柄が、ミチミチと鳴った。
それを見ながら、年寄りは顔色ひとつ変えずに言う。
「貴族様の気まぐれでしたら、早くお戻りください。見物されても得られるものなんてなにひとつありませんよ」
それだけ言い置くと、そのまま押し車をキィキィと音を立てて、そのまま立ち去ってしまった。車輪が軋みを上げる音だけが、この腐臭に満ちた道に残った。
「レニー様、もう先程のご老人もおっしゃっていたでしょう。そろそろハンナに元に帰り……」
「さっきのチビを探そう」
「……聞いてらっしゃいますか?」
「聞いてたよ。聞いてたから余計に納得がいかなくなった。さっきのチビ、もしティオボルドが礼金を立て替えなかったら、今頃騎士団に通報されて、袋叩きにされてたじゃないか。それだと、あのチビの親御さんの治療費の支払い、誰がやるんだ? このやり方を見過ごしてたら、死人が増えるだけだ」
教会に通える人間だけがまともな治療を受けられて、魔力が足りないというそれだけで、どんどんと屍が積み上がっていく。
レニーの持つ日傘の柄は、ずっとギリギリと音を立てて彼女に握られている。それに視線を落としたティオボルドは、溜息をついた。
「……危ないと判断したら、自分はあなたに殴られても連れ帰りますよ」
「ありがとう、ティオボルド。お前だったら頷いてくれると思った」
「いえ……」
こうして、ふたりで貧民街を歩きはじめる。
服装こそ一般人のものだが、顔立ちが際立っているせいなのか、それとも身長が目立つのか、酒気を漂わせている男たちに絡まれたが、そのたびにレニーが日傘で威嚇のように地面を突き、その音と地面に空いた鋭い穴を見て逃げていく。
食べているものは、町の飲み屋や食堂のゴミ箱から盗んできたもので、どうもこの辺りを漂う酒気の正体も、そこから盗んできた酒によるものらしい。
この辺りの家はどれもこれも、修繕されず、窓ぶちはボロボロで、家の扉すら壊れたままキィキィと音を立ててぶら下がっているのすら見受けられる。
あの少年はどこに行ったのかと見回していたところで。
「お大事に。じいちゃんもう襲われんじゃねえぞ?」
「ありがとう、ベス。ベスも無理して騎士団に捕まらんようにな」
「あいつらなんて大したことねえよ。全員俺の足の速さについてこれねえもん」
年寄りとカラカラと笑っている白衣の少女が見えた。
貧民街にありながら、その建物は他のものよりも比較的小奇麗で、中からは薬品のにおいが漂ってくる。病院だ。
そしてその少女の顔を見て、レニーは「あ」と言った。
少女が年寄りを路地まで見送ってから病院に戻ろうとする中、レニーとティオボルドを見て「げっ」と声を上げる。
その少女は、どこからどう見ても、先程ティオボルドに地面に拘束されていた少年だったのだ。痩せ過ぎていて、格好を変えたらもうわからなくなっていたが。
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