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「先生、結婚してください」と繰り上がり当選した王太子に言われました

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「先生、結婚してください」
「待ってください。困ります」

 王立学園もあと少しで卒業式だ。その最中、今年の生徒たちももうすぐ卒業かとしんみりしていたコーラルは、唐突に呼び止められた末に、上記の台詞だった。
 困るなんて問題ではない。
 今年の夏に卒業予定の第二王子のジェダイトは、プラチナブロンドの長い髪をハーフアップにまとめた、優しげな青年だった。肌は白く、日焼けするとすぐに真っ赤に腫れ上がるため、運動関係は一切苦手だったが、弁舌豊かで討論会をすると、どちらの派閥にもちょうどいい折衷案を出すことから、彼は将来立派な外交官になるんだろうと期待を寄せられていた。
 対してコーラルは面白みのない女性であった。
 髪は赤く、それを引っ詰めていた。まさか教師が華美な服装をする訳にもいかず、授業をする際のドレスも質素なものを選び、ここを卒業する生徒たちができるだけいい生活ができるようにと授業をしていた。
 そんな彼女に求婚は、少々様子がおかしい。その中、ジェダイトは少しだけ年相応に唇を尖らせる。大人びた風に見えても、まだ彼も学生であった。

「自分だって継ぐものもないですし、しばらくの間は外交官をして、土地の空きができたらそこで粛々と領主生活を送る予定だったんです。人生設計が二回もパーになるとは思ってなかったんですから」
「それはまあ、お気の毒様」
「兄上、そもそも王位に興味ありませんでしたから、自分に押しつける気満々だったんです。だからやらかしたんですよ、婚約破棄なんて」
「あら? そうだったの?」

 王位継承権一位の王太子であり、ジェダイトの兄であったクリスが唐突に婚約者である公爵令嬢を、よりによってデビュタントで堂々の婚約破棄宣言をし、男爵令嬢と添い遂げると言い出したときには、周りは大騒ぎだった。
 王家の恥をさらすな。公爵を敵に回すな。
 結果として、クリスは未だに開拓の終わっていない辺境の地に送られ、彼をそそのかしたとされる男爵令嬢は修道院行き。初の社交界の場であるデビュタントで大恥を掻かされた公爵令嬢はこのことに大変怒り心頭であり、男嫌いを発生させてしまい、現在は王城でどんな役職に就いているかは知らないが働いているとのことであった。
 コーラルは社交界の場に居合わせることのできる立場ではないが、王立学園で働いていると大抵の王都の噂は、生徒たちの噂や社交界に顔出しできるような教師陣の口を通って彼女の耳にも入るのであった。
 しかし、ジェダイトの言い分からすると、話がだいぶ変わってくるように思える。

「ジェダイト、あなたクリスに嵌められたと言っているけれど……当事者は三人ともひどい目に合っているんじゃ?」
「いえ、ちっとも。全員得をしています。だからこちらもあまり怒るに怒れないと言いますか。まずは兄上はぽっと出で沸いてきた王位継承権を放棄する理由を探していました。婚約者である公爵令嬢も、王位継承権さえなかったら婚約するつもりもありませんでしたし、そちらも令嬢は相当怒っていましたからね」
「そういえばそうね……」

 そのデビュタントの情報はともかく、どちらもコーラルは覚えがあった。
 クリスとジェダイト兄弟は元々が王弟一家であり、よっぽどのことがない限りは王位継承権は沸いてこない家系だ。しかし、唐突に沸いてきてしまったがために、彼らは人生設計をつくり直さなければいけなくなった。
 そして公爵令嬢は、一族で起こった婚約破棄騒動が原因で男性不信を募らせていた。どのみち彼女の家の家督は兄が継ぐのだから、もう自分は家を出て働くと息巻いていたところで、繰り上がり当選で王太子妃の座が沸いてきてしまったので、それはもう荒れていた。
 互いに立場が気に入らないだけで、互いが嫌いな訳ではないのだから、結託することだってあるだろうが。そこでコーラルは気付いた。

「待って。男爵令嬢は? 彼女はなんの落ち度もないはずなのに、どうしてこのふたりの婚約破棄に巻き込まれているの?」
「彼女自身が自分の婚約を白紙にしたがっていたからですよ。先生はご存じありませんでしたか? 彼女の実家、借金漬けのせいで身売り同然の婚約が決まっていました。年の差すごいですよ。彼女はそれを嫌がり、何度も出家すると言い張りましたが、家族が当然ながら許しませんでしたからねえ。それで王家の問題に巻き込んだらどうなると思いますか?」
「……関わりたくないから、本人が行きたがっているからちょうどいいと、修道院に手放すわね?」
「はい。その通りです。彼女は王太子にちょっかいを出した悪女ということで、当然ながら彼女の婚約先から断られました。他も公爵家を敵に回したくない、厄介な女に近付きたくないと、彼女は自分から自分の価値を下げるだけ下げて、そのまんま堂々と修道院に入ってしまいました」
「なんとも、まあ……」
「こうして晴れて兄上は、王家の厄介ものということで辺境伯領でスローライフを。男嫌いの公爵令嬢は王城で仕事を、借金漬けの家から逃げ切るために男爵令嬢は修道院行きを、選びました。これが三方よしです」
「呆れて言葉も出ないわね」
「それだけぽっと出で沸いてきた災難から逃れたかったんですよ。そして自分は逃げようにももう逃げられるだけの方法がありません。父上も周りに申し訳ながっていますし、身内からふたりも婚約破棄関連でぐだぐだになりましたから、いい加減可哀想になってきましたし。だからせめて、自分が継ぐにしても妃は自分で選びたかったんです。それでは先生結婚してください」
「待って」

 コーラルは首を振った。

「事情はわかりました。あなたが切羽詰まっているのもわかりました。でも私は社交界の爪弾き者ですから、そこに戻ることはできません」
「そうですか? 先生と自分は年の差なんてせいぜい四つくらいでどうとでもなりますし、もう新しい噂で先生の評価は変わっているから大丈夫だと思いますよ。それに、都合よく妃教育が終了していて、人間関係の問題も起こさず、身分的にも問題のない方なんて、先生くらいしかいないじゃないですか。もう誰も、あなたのことを社交界の爪弾き者だなんて思ってませんよ。元凶は死んだんですから」

 ジェダイトの言葉に、コーラルはなんとも言えない顔をした。

****

 コーラルは元々、公爵家の長女として生を受け、小さい頃から王太子妃になるんだと教育を施されてきたが。
 王太子に唐突に「こんな醜女はお断りだ」と捨てられ、よりによって隣国の姫と婚約を結び直されてしまったのである。
 隣国の姫は、それはそれは美しい人であり、きらきら光る金色の絹糸のような髪を巻いた女性であった。
 隣国の姫であったら、立場的には彼女のほうが上。婚約なんて確約でもないのだから、白紙に戻されてもしょうがない。
 社交界ではそれはそれは馬鹿にされ、コーラルはだんだん社交界から足遠くなった。しかし新しく婚約を結び直すにしても、公爵家の娘ともなったら身分の釣り合いが取れ、よりによって王太子の婚約を破談された女となったら、もらい手がいなかった。
 結果として、たまたま空きができた王立学園の教師として働くしかなくなったのである。社交界を追い出されてしまった彼女は、質素なドレスを着てしまえばまだ社交界入りしていない生徒たちではどこの誰かはわからない。
 ときおり教師陣から嫌みを言われるものの、校内は基本的に教師よりも生徒のほうが多く、彼女のことを知らない人間のほうが多い。結果として、コーラルはここでの教師生活により癒やされていくようになったが。
 その恥知らずな王太子は、唐突に罰を受けたのだった。
 王太子が王太子妃と新婚旅行先で落石事故に遭い、死亡してしまったのだ。周りからは天罰とか言われ、隣国からは嫁がせた姫の事故死で外交問題に亀裂が生じた。
 王太子のやらかしの末の事故死、隣国との外交の軋轢の責任を取る形で王は玉座を離れ、急遽スポットライトを浴びたのが王弟一家……つまりはクリスとジェダイト兄弟の父であった。
 彼は慌てて公爵家や隣国との外交問題に追われ、国内を飛び回る羽目になったのである。そこでぽっと沸いてきた王太子の座。元々継ぐつもりのなかったクリスとジェダイトで盛大に押し付け合いがはじまったのだが、勝ったのはクリス。勝ったクリスは外交問題解決のために婚約破棄を機に辺境伯領で働きはじめ、貧乏くじとして王太子の座はジェダイトの転がり込んできた次第であった。

****

「だからあなたと結婚したいんです」
「待って。それだけはちっともわかりません。たしかに私は妃教育を受けてましたが、もう四年も昔のことで、あちこち抜けています。跡継ぎをつくるのであれば、もっと若い方がおられるでしょうに」
「というより、今の王家が問題起こし過ぎて求心力がないんです。隣国の姫の問題やら、公爵家との諍いやら、そんなもんを見て誰が娘を妃にしたいと思うんですか。面倒ごとを押しつけられるのが目に見えてますし」
「……だから私ですか」
「あなたの悪評は消えたかと思いますが、名誉回復にはまだまだ足りません。ここであなたが王妃になれば、いろんなものが回復するかと思いますが、どうでしょうか?」

 コーラルは考え込んだ。
 正直、彼女からしてみたら、これが惚れた腫れたの話であったら断るつもりであった。
 いくら嫌な仕事を任されたのだから、せめて伴侶くらいは自分で選びたいというのであったら、「そういうのにもう私を巻き込まないで」と首を横に振り続ける気であった。
 はっきり言ってしまえば、彼女は死んだ元婚約者と同じにはなりたくなかった。
 愛を免罪符に捨てられた彼女からしてみれば、愛の名の下の行いはどれもこれもおそろしいものだった。
 しかし、先日の婚約破棄騒動は、誰ひとりとして愛を語る者がおらず、愛を免罪符にしたものではなかった。
 そして、ジェダイトもまた愛を語らない。
 いくら爪弾き者にされていたからと言って、身分が問題で今後これを逃したらもう婚約はできそうもなく、ここで決めるか定年退職まで体に鞭打って王立学園で働くかの二択であったら、もうこちらでいいような気はしている。

「私のほうが先に年を取りますけどよろしいですか?」
「女性のほうが長生きするんでしょう? なら自分と一緒に死ねるのでいいじゃありませんか」
「……それならば。どうぞよろしくお願いします」

 コーラルとジェダイト。
 割れ鍋にとじ蓋。互いにちょうどよかったから結婚しようとした関係。
 そこに愛があるかは判断しかねるが、信頼だけは小さじ一杯分くらいはあったようだ。

<了>
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