愛屋及烏の褥

石田空

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戦争の足音

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 冬の間、ユリウスはアンジェリカの部屋を訪れても、彼女を抱き込んで眠るだけで、無理強いをしてくることがなかった。
 そのことにアンジェリカはモヤモヤしたものを感じつつも、ひとまずはそれを受け入れていた。それでいいのかは彼女自身もわかっていない。
 そもそもユールのカラスが戻ってこなかった。国の指令もなく、このまま普通にユリウスの皇太子妃の座に治まっていればいいのか、再び彼を籠絡するように立ち回ればいいのかがわからなかった。
 そもそも。

(……最近、ユリウスの帰りが遅い気がする)

 そもそも彼女が図書館に通う際、視線を感じると思ったら、ずっとカスパルがいるのだ。

「なんの用ですか。最近ずっとわたくしたちを見てらっしゃるでしょう? わたくしたちに反逆の意がないかの見張りですか?」

 たまりかねてユールが声を荒げると、カスパルは困ったように髪を引っ掻いた。

「やぁー、すみません。警戒させちまって。単純にですね、見張りですよ」
「見張りとは?」
「姫様たちに万が一のことがないようにと」
「だから、反逆者かどうと?」

 ユールが警戒を緩めないで彼を睨むと、剣呑とした雰囲気にハンナがおろおろと周りを見て、困り果ててアンジェリカに助けを求めるように見つめてきた。
 見かねてアンジェリカはカスパルに尋ねる。

「どういうことですか? ユリウスからの命とは?」
「あー……これ以上言ったらますます殿下があらぬ誤解されそうなので言いますけど。開戦するかしないかの瀬戸際ですから。まあ、今の時期にそのまま戦争はできません。雪解けの時期と同時に、開戦するかと」
「……だから最近私のところを訪れなかったんですね。どの国とですか?」
「白狼王国と」
「……っ!」

 それにアンジェリカはユールのほうを見た。ユールは大きく首を振った。

「……信じられませんっ、姫様もいらっしゃるのに、戦争だなんて! なんでそんなことを……」
「白狼王国は魔術師団がおっかないですからねえ。魔術を行使されてきたら、生身の兵がどれだけ犠牲になるかわかりません。だからこそ、備えをしてるんです。そして雪解けの前に、姫様には後宮を出て移動してもらわなければいけませんから」
「……どこに?」
「塔に」
「……っ!?」

 塔という言い方だと、なんの塔かはわからないが、それを後宮を出る。仮にも皇太子妃が後宮を出るというと意味がひとつしかない。
 敵国の人質として、見せしめに塔に誘拐するという意味になる。
 それにユールは気付き、真っ先にカスパルの胸板を叩きはじめた。

「これ以上姫様に辱めを受けろというのですか!? あなたも! あなたの主人も!」
「違いますよぉ……痛い痛い痛い……ほんっとうに違いますから、落ち着いてくださいっ痛っ……姫様を守るとなったら、見晴らしのいい後宮だとよろしくなく、国の中でも安全がピカイチの塔のほうがいいと。なによりも、空を飛んできた場合の迎撃もしやすくなりますので……」
「魔術師は、そういう、ものじゃ、ありません!!」

 ユールは抗議でなおもカスパルをポカポカするのに、たまりかねて「もうやめてユール!」とアンジェリカがユールを止めるはめになってしまった。

「ですが!」
「……カスパル、あなたのおっしゃったこと、本当に殿下の命なんですね?」
「独断でそんなことはしませんし、できません。誓って殿下の命です」
「……わかりました。今晩殿下を私の部屋にお呼びなさい。お話しますから」

 そうアンジェリカはきっぱりと言う。
 彼は彼女の憂鬱病を心配してか、部屋をなるべく温かくして、贈り物自体はずっと贈り続けていたが、本当に後宮まで入ってくることがなかった。
 カスパルはアンジェリカの物言いに、気まずそうに顔をしかめる。

「よろしいんで? あの人、相当気が立ってますから、姫様に無体な真似働くかもしれませんよ?」
「受けて立ちます」
「姫様!」

 ユールの悲鳴を無視して、アンジェリカはすっくと立った。
 とにかくこの話は、カスパルのフィルターを通してでなく、ユリウス本人から聞かなくては駄目だと、彼女はそう思ったのだ。

****

 ハンナにワインを温めてもらい、それを寝室に用意しながら、アンジェリカはベッドの縁に座ってユリウスを待っていた。
 やがて、むせかえるようなムスクの匂いが漂ってくることに気付いた。このところご無沙汰だった彼女をひどく飢えさせる匂いだった。

「呼ばれたからきたぞ、アンジェリカ」
「……ユリウス。いらっしゃいませ。ワインは?」
「今はいい。貴様が飲めばいい」
「そう」

 ユリウスは普段ならば寝間着姿だろうに、今日は話をしたら戻るつもりなのか、簡易的とは云えど仕事着を着たままだった。

「……戦争がはじまると伺いましたけど。なにかあったら、私のことを幽閉するとも」
「言い方としてはそうなってしまうがな。それは別に貴様を敵国の間者として扱うためじゃない。あちらの策を読むため、一番アンジェリカを安全に過ごさせるための手段だ」
「意味がわかりません。戦争するのは我が祖国でしょう? 策を講じるとは」

 それを尋ねると、ユリウスは不意にアンジェリカに手を伸ばすと、彼女の髪に指を滑らせてきた。このところずっと書類仕事や兵站指示に動いていたのか、彼女が頭皮で感じる彼の指先はひどく豆ができている上に、手を洗ってもなおインクの匂いが取れてはいなかった。

「……全て終わったら話そう」
「あなたは、また私に直接云わずにカスパル越しでしかなにもおっしゃらずに! 私がどんな思い出過ごしているか、ご存じないのでしょう!?」

 アンジェリカは思わず枕を手に取ると、それでユリウスを叩きはじめた。それはあまりにはしたない行動とはわかっているが、彼女はそうせずにはいられなかった。
 この人を好きになっていいのかがわからない。彼の真意が全く読めない。何故か遠回しに手計回されているのに、本人の口からは滅多に漏れることはない。
 不安で、胸が引き裂かれそうで、それでも彼はなにも言わない。その口の重さに、アンジェリカも悲しくもなり、悔しくもあり、殴りたくもなるのだ。
 なによりもユリウスはアンジェリカから八つ当たられても、決して抵抗しなかった。まるで舐められているようにも感じ、自然とアンジェリカの枕を振り回す手にも力が篭もるが。その中で、ふとアンジェリカは温めたワインを見た。
 彼女はそれを迷わず一杯呷った。

「……どういうつもりだ」
「これ、薬を盛っていたんです」
「……俺には魔術が効かないからか?」
「ええ、私が普段いただいている抑制剤の効果を弱くするものです……さすがに一時的にしか薬の効果を抑えることはできませんけど」

 アンジェリカはユリウスをベッドに突き飛ばした。それをユリウスは仰ぎ見た。

「俺にこれを盛って、貴様はどうしたかったんだ?」
「……私はあなたの口を割らせたかった。でも、あなたはなにをしても割りませんでした。それどころか、ワインにも手を出さなかった……」
「……すまん。俺はもうしばらくしたら軍議に戻らないといけない。が」

 アンジェリカはグイッと腕を掴まれると、すぐに体勢を入れ替えられてしまった。アンジェリカはだんだんと火照ってくる体と、のぼせ上がってくる頭でユリウスを凝視した。

「……番に誘われた以上、それを慰めるのは務めだろう」
「……どうぞお好きなままに」
「そうさせてもらう」

 唇を割られ、そのまま流されていった。
 アンジェリカはぼうっとする頭のまま、ユリウスを見た。
 結局は詳細をはぐらかされてしまったような気がし、カスパルから聞いた話より上のことはなにもわからないままだったが。
 彼の熱を受けながら、彼の真意をどうしてこうも教えてくれないのだろうと、彼女は歯がゆく思った。彼に抱かれながら、アンジェリカはいつも膜一枚に阻まれて彼の真意に触れられていない。
 どれだけ知りたいと思っても、泣いて駄々を捏ねてとうとう枕を振るってもなお、彼の気持ちがわからなかった。
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