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 若緑家に滞在している婚約者候補……つまり『たそわが』攻略対象は全部で六人。他の乙女ゲームの攻略対象の数を考えれば比較的控えめだ。
 華族出身の周防様。軍人家系の千歳様。士族出身の藍鉄様。豪商出身の月白様。住み込みの文士の浅葱様。執事長の檜皮様だ。
 誰を婚約者にするのか、常盤様はその日の行動を私に逐一報告してくれるものだから、速攻で家事を片付けては、いつスチルチャンスが来るのかとワクワクして見ていたのだけれど……どうも様子がおかしい。
 若緑家の旦那様と奥様を復讐のために殺した浅葱様は、常盤様に優しくしながらも、他の攻略対象たちを牽制して彼女の味方を減らし、常盤様を篭絡しようとする動きを取るはずなのだけれど……彼が周りに対して攻撃的な行動を取らないのだ。
 あれ、復讐心の塊だった人が、ただのいい人になってないか?

「おはようございます」

 使用人を皆汚いものを見る目で見ていたとは思えないさわやかさに、一種のおぞましさを感じながら、私は「おはようございます」と会釈をした。
 そういえば、軍人ゆえに常日頃から誰に対しても……それこそ常盤様に対しても高圧的なはずの千歳様も、なんだか優しいような。
 私が常盤様のベッドメイキングを済ませ、シーツを洗って干していたら、物干し台が壊れてしまい、私が尻餅をついていたら。

「大丈夫か?」

 千歳様に手を差し出されてしまった。誰かと勘違いをしてないかと思わずキョロキョロしてしまったけれど「シーツが汚れてしまったな」と気にされてしまった。
 私は慌てる。

「今だったらまだ少しゆすげば大丈夫ですから、お気になさらず」
「そうか……しかし物干し台が壊れてしまったら洗濯物も干せないな。修繕道具はあるか?」
「はあ……使用人に尋ねればよろしいかと」
「そうしよう」

 そう言って直しはじめたのを、私はポカンとした顔で見つめていた。
 プライド富士山の人が、一体全体どうして? その疑問が付きまとった。
 なによりも。お前ら全員愛憎模様どうしたんだよというくらいに、人間関係が和やかな中、それをあからさまに不満げな顔で見つめている顔に気付いてしまった。
 ……常盤様が、むくれた顔で攻略対象たちを見つめている。
 私はそれを見て気付いてしまった。
 もしかしなくっても、乙女ゲームのシナリオが、根本から崩壊してしまってないかと。

****

「黄昏時なり我が人生」
「ひっぐ!?」

 夜間、常盤様のお召し物の着替えを手伝っているとき、ボソリと言った途端に、あからさまに常盤様は挙動不審になった。
 やっぱり。もしかしなくっても。

「あなた……まさかと思うけれど転生者?」
「あ……あのう……」
「転生者?」
「は、はいぃ……」

 そう答えられてしまったら、私はなんとも言えなくなった。
 私からしてみれば、スチル回収キャッホーと安全圏から乙女ゲームを楽しむつもりだったが、乙女ゲームのヒロインは違う。下手したらデッドオアデッドなのだから、死亡フラグをへし折るために、本編開始前にあれこれとやって、死亡フラグもヤンデレフラグも改変してしまったのかもしれない。
 そうか……私は自分の趣味ばっかり優先していたけれど、違うのね。

「なんだかヤンデレ成分が全然足りないのだけれど、あなたがシナリオ改変していたのね……」
「……ですよ」
「えっ?」
「違うんですよ、私、ものすっごーくヤンデレ好きだから、わくわくしてヤンデレに突撃していったら、皆ヤンデレが空中分解してしまったんですよ!」
「……はい?」

 常盤様……的な転生者は、それはもう、泣きながら説明をはじめた。

「私前世のときからヤンデレむっちゃ好きだけれど、周りには理解者もいなくって。現世では念願のヤンデレだらけの逆ハーレムになったんで、はりきってヤンデレな目に遭うぞと、それはもう全員を受け入れていったんですよ……ですけど、誰もヤンデレな目に遭わせてくれないんですぅ!」

 ……ヤンデレとは、ぶっちゃけ愛だ。
 病むほどに相手を愛していなければ存在できない泡沫の感情。動きひとつで霧散してしまう繊細なそれは、光属性主人公が全部を受け入れてしまった途端に、全部消えてしまうのだ。
 だって、病むほど不安にならないから。
 だって、全部を受け入れてくれたら、病む必要もこじらせる必要も微塵にもなくなってしまうから。

「たとえば監禁されそうになったとき、私はしゃいで抱き着いちゃったら、そのまんま出してもらえちゃったんですよ。監禁してくれませんでした」
「……監禁しなくっても逃げないって判断したら、監禁する必要ありませんしね」
「首を絞められかけたときも、嬉しさのあまりにニタァーと笑っていたら、首絞めてもらえませんでした。むしろむっちゃ謝られました」
「……微笑みと共に全て受け入れられたと判断したんでしょう。病まなかった場合は罪悪感半端ないですし」
「そりゃ王道ハッピーエンド路線の乙女ゲームユーザーだったら、逆ハー最高になるかもじゃないですか。でももう私が誰を婚約者に選んだとしても、誰も病んでくれないんですよぉ。病んでくれなかったらヤンデレはじまんないじゃないですかぁ……!」

 なんということだ。
 私たちヤンデレ愛好家は、ヤンデレをおいしくいただけるというのに、それを嫌がる人でなかったらヤンデレを堪能できないということなのか。

「おバカ。なんでそんな全員光堕ちなんてさせちゃったの。スーパー変身ヒロインものじゃないのよ」

 とうとう私は暴言を吐いてしまうと、常盤様はなおも涙目で訴える。

「私だってヤンデレ大好きですよぉ。ヤンデレのまんま愛でる気満々でしたよぉ。私別に乙女ゲーム転生もの定番の死亡フラグ全部折りとか求めてませんでしたもんー。どうしてこうなったんですかぁ」
「おバカ。そんなのこっちが知りたいわよ。どうやったら全員病んでくれると思うっ!?」

 こちとらヤンデレが見たいからここで働いているというのに、ただの平和な逆ハー見たところで、なんの面白みもないんじゃ。
 それに常盤様が「ん-ん-ん-ん-……」と首を捻る。

「……ビジネス百合して、周りを動揺させて、それで皆に病んでもらうとかどうですかね?」

 それ、私安全圏にいられないじゃん。冗談じゃない。

「い・や・よ。そもそも今日思い出したばっかりなのに、どうしてヤンデレ見るために常盤様とビジネス百合しなけりゃならないんですか」
「私も百合よくわかりませんけどぉ。ちなみに大正時代ではエスって言ったらしいですねえ」
「この世界観大正風だからどこまで大正なのかは知りゃしませんけどねー」

 話し合いは平行線のまま、グッダグダで常盤様の着付けは終わり、部屋を出ることにした。
 私はただ、壁の花のようになって、ヤンデレを見守りたかっただけだというのに。
 ヤンデレ適性があり過ぎると、逆にヤンデレが壊れてしまう場合、どうやってヤンデレを愛でろというのか。
 頭が痛くなりながら、使用人室へと帰っていった。

<了>
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