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アブニールの決断

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 雑念を追い払い、荷物を手に取る。
 ワンショルダータイプのひょうたん型のバッグの中から、古びた短剣を取り出した。実戦に使ったことは一度もない。だが十年前から欠かさず持ち歩いている父の形見だ。
 両手で包み込んで抱きしめるようにすると、精神の乱れが消え、心を無にすることが出来る。
 迷った時、傷ついた時、心細くなった時はこうして短剣を抱きしめて、気持ちを落ち着ける。アブニールは、この短剣越しに父の面影を感じているのだ。
 だが今日は、特段負の感情に苛まれたわけじゃない。ただ、伝えたいことがあった。

(父さん。もしかするとあの日の出来事は偶然ではなかったかもしれない)

 報告の後に決意を伝えた。

(俺は、あの日の真実を知りたい。徒労に終わるかもしれねえが、ちょいと足掻いてみることにする)

 双眸を閉じて仲間たちの顔を順番に思い浮かべていたアブニールは、近づいてくる足音を捉えたところで思惟を止めた。ナイフをバッグに戻し、そのほか身に着けていた隠しナイフや毒薬の小瓶もきちんと入っていることを確認して、口を絞って蓋を閉める。
 荷物は元の場所に戻し、今は七分の裾の下に隠れているふくらはぎを持ち上げてみた。膝を折り曲げたり、硬い床を爪先でタップしたりして、痛みが残っていない事を今一度確認する。
 わざわざ確認せずとも、身体の痺れがとれただけでなく、ここ一年ほど悩まされていた倦怠感が明らかに軽減されているのでフラムの言が正しかったことは間違いないのだが。

(もしもあの場に居合わせたのがフラムじゃなかったら、もしかすると俺は今頃……)
 
 あの晩、毒を受けたのは注意が逸れたせいだったが、そのおかげでフラムに拾われたのだから、アブニールにとってはむしろ幸運だったのかもしれない。

「おーい、開けてくれ。両手がふさがってんだ」

「おう。そんなにでかい声出さなくても聞こえるぜ」

 扉の向こうからフラムの声が聞こえ、アブニールは言われた通り扉を開けた。

「おっと、そうだったな」

 歯を見せて笑うフラムは両の腕で器用にトレーを支えている。
 アブニールは限界まで扉を開いて固定させると、うち一枚を受け取った。ふわりと湯気が躍り、鋭敏な嗅覚がポトフと見抜く。それと、くるみだろうか。木の実が入ったパンが二つ。
 もともと食事は最低限を心がけている上、寝起きで空腹など感じるはずもないと思っていたが、コンソメの香りに食欲をそそられた。見るからに柔らかそうな丸パンも表面にこんがり焼き目がついておいしそうだ。

「騎士ってのは結構いいもんを食ってるんだな」

 二人でしばらく祈りを捧げ、食事を開始する。

「まあなぁ。特にここは味にうるさい奴が多いから」

「ああ。なるほど」

 味覚が敏感なら、その分好き嫌いも増えるだろう。嫌いどころか、身体が受け付けない食材もあるかもしれない。ちなみにアブニールは玉ねぎなどのネギ類が苦手だ。犬とは違うので食べても支障はないが、出来るだけ避けたいと思っている。
 察してくれたのか、このポトフに玉ねぎは入っていないようだ。味も濃すぎなくて驚くほど口に合う。

「ん、美味い」

「そりゃよかった。まあ、当然だけどな。何しろ専従の料理人たちが獣使いの為に考案したメニューなんだから」

 獣使いという推奨された呼び名もそうだが、野良の獣使いを保護していたり専属の料理人が派遣されたりと、尊重されているのが分かる。
 アブニールにとって獣使い、獣憑きとは、常人から恐れられて嫌われる存在だった。フラムも差別的な目を向けられることもあるようだが、おそらく辺境ほどは差別思考が強くないのだろう。さすがは王の御膝下おひざもとだ。
 現王が即位なされて真っ先に始めた政策が、獣憑きへの差別をなくすというものだった。
 人の心は一朝一夕に変わるものではないから、実現には途方もない時間がかかるだろう。
 だが、それでも誰かが声を上げなければ、変わるきっかけも生まれない。
 アブニールが現王を支持しているのは彼の無謀とも呼べるこの政策に期待しているからだった。

「ここにはセンチネルとガイドしかいねえってことか?」

 センチネルのアブニールにはちょうど良い味付けに感じるが、常人には物足りないはずだ。もしくは常人には別のメニューが用意されるのだろうか。

「おっと。そういや、その辺の説明がまだだったな。歩けるようならこの後、施設内を案内してやるよ」

 滞在するとはいえ一応部外者のアブニールに、あっさりと情報を渡してくれるという。

「いいのか?」

 さすがに驚いて、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。

「ああ、ちょうどいい腹ごなしになるだろ。それにここには悪用されて困るもんもねえし、あったとしても、お前が俺たちを裏切るとは思えないからな」

 どこか胡散臭い微笑とともに告げられた言葉を額面通りに受け取れば、信頼の証にも聞こえるが、その実、脅しであることは間違いない。手放しの信頼をもらうよりも、こういう言い回しの方が安心できるなんて、何とも悲しい人生だ。

「わかってる。さすがに恩を仇で返すような恩知らずじゃねえよ」

「それを聞いて安心した。それじゃあ、早速だが」

 話し始める前にパンを一口食べて、スープをひと匙飲む。アブニールもフラムに合わせて食事を続けながら、耳を傾けることにした。食事中の会話代わりに聞いてくれという、フラムの無言の心遣いに甘えたのだ。
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