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第3章 魔術覚醒編
第116話 ドイルは語る。「あれは人の力ではないよ」
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王立騎士団を後にしたマルチェルは魚屋に買い物に行くような気軽さで、裏世界の新興勢力金貸しロハスを急襲した。
急襲と言いつつ玄関から訪ねて行った挙句、正面から殴り込んだだけであった。
総勢30人だと言うが、室内ではマルチェルを包み囲むこともできず、大半は味方を投げつけられてもがいているところをマルチェルに打たれて意識を失った。
ロハスはサロンのような部屋に護衛の魔術師と共にいた。中級とみられる魔術師は風魔法の刃を飛ばして来たが、マルチェルの残像さえ捉えることができない。
「遅すぎます」
マルチェルは魔術師の正面に立ち、両手で左右から鼓膜を打った。窪めた手のひらで圧縮した空気を送り込まれて、魔術師の鼓膜は破裂する。中耳を突き抜け内耳まで破壊する衝撃に、絶叫を上げて魔術師は倒れた。
金貸しの元締めロハスは、ソファの上で腰を抜かしていた。
「なぜ悪党というのは自分のことを特別だと思うんでしょう。ああ、返事はしなくていいですよ。ちょっと愚痴をこぼしただけですから。すぐ終わります」
ごきん。音を立てて、ロハスの首は90度に曲がった。だらりと口元から舌が垂れる。
「はい。これで良いでしょう。ステファノの言う通りですね。何だってあちらさんはこの程度の輩であの方をどうにかできると思ったんでしょう? 手口が杜撰すぎるでしょうに」
「やっぱり若い世代には、年長者がきちんと躾をして上げないといけませんね。帰ったら旦那様と相談致しましょう」
やれやれと言いながら、マルチェルはエリスとプリシラへのお土産は何が良いだろうかと考え始めていた。
◆◆◆
ステファノの鍛錬初日から12日後、この日は朝からマルチェルが訪れていた。
「今日は珍しい人を連れて来ましたよ」
言われて入って来たのは、別れて久しいドイルであった。
「先生、お久しぶりです」
立ち上がって挨拶をするステファノに、ドイルは右手を上げて見せただけであった。
「ふむ。この人にまともな挨拶を期待してはいけません。座ってお茶でも飲みながら、積もる話をしましょう」
ドイルは紅茶を好んでいるようだ。砂糖をたっぷりと入れてかき混ぜていた。
「砂糖は貴重な栄養分だよ。切らせると頭がボーっとするのでしっかり摂らねば」
サン・クラーレにいた頃もそう言って、わざわざ砂糖壺を持ち歩いて紅茶に入れていた。
砂糖は貴重品なので、ただで使わせてくれる店などない。
酒も煙草もやらない代わりに自分は砂糖を嗜むのだと豪語していた。
彼のギフトは「タイム・スライシング」。同時並行して脳に複数のタスクをさせるというものである。確かに脳への負担は大きかった。
常人に比べてより大量の栄養を必要とするのは理解できる。
それにしても砂糖10杯は多すぎないか? ステファノは内心辟易していた。見ているだけで胸焼けしそうだ。
「しかし世間は狭い物だ。サン・クラーレの飯屋がギルモアの預かりになるなんてね。どっちも変わっているとは思っていたが、やっぱりギルモアは常識外れだ」
「あなたに言われると、とても失礼に聞こえますね。常識という言葉の意味をご存じかな?」
マルチェルはドイルの挑発には乗らず、軽くいなした。
「君こそ失敬だね。僕は常識の何たるかくらい知ってるぞ。ただ、馬鹿々々しいから無視しているだけだ」
「はあ。あなたとまともな会話が成り立つと思うことが間違いでしたね。話を進めましょう。今日のテーマはここにいるステファノです」
「うん。それは理解してる」
紅茶を飲み干したドイルはマルチェルがお代わりをサーブする間に、特別に用意させたドーナツにかぶりついている。甘味に対する貪欲さは純粋ですらある。
「ステファノ、知恵を借りるためにドイルにはお前のギフトについて打ち明けてあります。話を進めて良いですね?」
「もちろんです。僕の方でも先生の研究ノートを読ませてもらってますし」
ステファノの言葉に、ドイルの耳がピクリと動いた。
「えー? あんな物を読んでるのかい? ネルソン君に預けて行った物だろう? ありゃ、中途半端で使い物にならないよ」
「それがそうでもないんですよ」
ステファノはドイルのノートを読みながら自分が探求した内容について、自分のノートを見ながら訥々と語った。
ドイルはステファノの言葉に耳を傾けながら、研究生のように成果を報告するステファノを微笑まし気に見ていた。
それをまた横眼で眺めながら、「この男も年を取ったのだな」とマルチェルは歳月の重さを感じていた。
「『いろは歌』ってのが面白いね。何だってそんな古色蒼然としてエキゾチックな物が与えられたんだろう? ギフトというのは本当に酔狂なもんだ」
「あなたの『タイム・スライシング』も、また別の意味で素っ頓狂でしょう。 何ですか、時をスライスするって?」
「さあね。神様とか創造主とかいう存在は、変わった世界に住んでいるんだろうさ。過去も未来も関係ないのじゃないか?」
「どうもそうらしいです」
ドイルの言葉にステファノは真面目に返事を返した。軽口をあまり叩かないステファノからの言葉だけに、ドイルはどういうことかと顔を見返した。
ステファノは「いろは歌」の解釈について自分の考えを述べた。
「『阿吽』に挟まれた森羅万象が、『先夢見じ 飢干もせず』ではないかと思うのです」
「ふうん……」
いっそ関心がなさそうにドイルは相槌を打ったが、その裏側でギフト「タイムスライシング」が高速で思考を行っていた。
「その世界には『今』しかないというわけだ。であれば、すべての因果関係は順を失う。ふうむ……」
「ああ! それです!」
今度はケントクの「歌」を聞いた時のようにはならなかった。ステファノの中では既に答えのすぐ側まで行きついていたからかもしれない。
パズルのピースが収まるべきところに収まる、パチリという手応えがステファノの全身を震わせる。
「どういうことですか、ステファノ?」
マルチェルが問いただした。
「ギフトの『説明』にそれがあったんです。最初は聞き取れなかったんですが……」
<色は匂へど、散りぬるを――来し方を視、行く末の揺らぎを観る。相より想を得、■■に至る――>
「欠落していたのは『因果』の言葉でした」
すっきりとした顔でステファノは言った。
「ほう、ほほう? ギフトの力で『物質』を見れば、『イデア界』での姿が見えると? そこには『因果』に順番はなく、原因と結果が同時に存在していると? ほぉおお」
妙に上ずった口調でドイルは独り言を口走っていた。目はテーブルの一点を見詰めている。
「くっそう。やっぱりてめえら、火事場泥棒じゃねえか! でたらめに因果を摘まみやがって!」
ドイルはテーブルに両手の拳を叩きつけて立ち上がった。
「落ちつきなさい。ここにあなたの敵はいませんよ」
マルチェルが手を伸ばし、そっとドイルの右手を掴んだ。
ドイルは初めての相手を見るようにマルチェルの顔を見下ろし、その手が掴む自分の手首と見比べていた。
ようやくドイルの顔に認識の兆しが戻り、マルチェルから腕を引きはがすと再び腰を下ろした。
「暴れたりはしないよ。もうそんな年じゃない。ちょっと昔の気持ちを思い出しただけさ」
ドイルは2杯めの紅茶に口をつけ、気持ちを落ちつけた。
「ステファノ、君は魔術師になりたいと言っていたね。魔術を使えるようになったんだって? おめでとうと言うべきなんだろうけど、僕は魔術が嫌いでね……」
ドイルは珍しく苦しそうな顔をした。自分には似合わないと思ったのか、両手で顔を擦って暗い表情を拭い去る。
「わかっているさ。魔術師全体を恨むのは筋違いだってね。魔術師にも良い奴はいるだろう。君みたいにね?」
作り笑いではあったが、ドイルはステファノに笑顔を見せた。
「ありがとうございます、先生」
「君に頼みがある。聞いてくれるか?」
ドイルは一瞬だけ切なげな表情を見せて、ステファノに語り掛けた。
「はい。俺にできることであれば」
「ああ。できるとも。これから先、君はいろんな魔術を身につけるだろう。見たこともない上級魔術を使えるようになるかもしれない。それでもだ……」
「はい」
ドイルはしっかりとステファノに目を合わせた。
「魔術が自分の力だなどと思わないでほしい。アレは人の力ではないよ」
ドイルは魔力とは何者であるかについて語り始めた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第117話 答えはもっと深遠で、そして……残酷だ。」
何もないところに火が起こるから魔術なのだ。それができるから魔術師なのであった。
「だから魔術師は偉いと連中は胸を張る。自分が何をしているのか説明もできない癖にね。愚かで醜い連中だ」
ドイルは魔術を憎んだのではない。理解もできず、説明できない現象をあたかも自分の手柄であるように振りかざす人間の愚かさと見苦しさを拒絶したのだ。彼にとってそれは真理に対する冒とくにすら思えたのだ。
「さて、お待ちかねの種明かしだ。なぜ、魔術師だけが魔術を使えるのか? 選ばれた人間だから? 血統のお陰? 違うね。答えはもっと深遠で、そして……残酷だ」
……
◆お楽しみに。
急襲と言いつつ玄関から訪ねて行った挙句、正面から殴り込んだだけであった。
総勢30人だと言うが、室内ではマルチェルを包み囲むこともできず、大半は味方を投げつけられてもがいているところをマルチェルに打たれて意識を失った。
ロハスはサロンのような部屋に護衛の魔術師と共にいた。中級とみられる魔術師は風魔法の刃を飛ばして来たが、マルチェルの残像さえ捉えることができない。
「遅すぎます」
マルチェルは魔術師の正面に立ち、両手で左右から鼓膜を打った。窪めた手のひらで圧縮した空気を送り込まれて、魔術師の鼓膜は破裂する。中耳を突き抜け内耳まで破壊する衝撃に、絶叫を上げて魔術師は倒れた。
金貸しの元締めロハスは、ソファの上で腰を抜かしていた。
「なぜ悪党というのは自分のことを特別だと思うんでしょう。ああ、返事はしなくていいですよ。ちょっと愚痴をこぼしただけですから。すぐ終わります」
ごきん。音を立てて、ロハスの首は90度に曲がった。だらりと口元から舌が垂れる。
「はい。これで良いでしょう。ステファノの言う通りですね。何だってあちらさんはこの程度の輩であの方をどうにかできると思ったんでしょう? 手口が杜撰すぎるでしょうに」
「やっぱり若い世代には、年長者がきちんと躾をして上げないといけませんね。帰ったら旦那様と相談致しましょう」
やれやれと言いながら、マルチェルはエリスとプリシラへのお土産は何が良いだろうかと考え始めていた。
◆◆◆
ステファノの鍛錬初日から12日後、この日は朝からマルチェルが訪れていた。
「今日は珍しい人を連れて来ましたよ」
言われて入って来たのは、別れて久しいドイルであった。
「先生、お久しぶりです」
立ち上がって挨拶をするステファノに、ドイルは右手を上げて見せただけであった。
「ふむ。この人にまともな挨拶を期待してはいけません。座ってお茶でも飲みながら、積もる話をしましょう」
ドイルは紅茶を好んでいるようだ。砂糖をたっぷりと入れてかき混ぜていた。
「砂糖は貴重な栄養分だよ。切らせると頭がボーっとするのでしっかり摂らねば」
サン・クラーレにいた頃もそう言って、わざわざ砂糖壺を持ち歩いて紅茶に入れていた。
砂糖は貴重品なので、ただで使わせてくれる店などない。
酒も煙草もやらない代わりに自分は砂糖を嗜むのだと豪語していた。
彼のギフトは「タイム・スライシング」。同時並行して脳に複数のタスクをさせるというものである。確かに脳への負担は大きかった。
常人に比べてより大量の栄養を必要とするのは理解できる。
それにしても砂糖10杯は多すぎないか? ステファノは内心辟易していた。見ているだけで胸焼けしそうだ。
「しかし世間は狭い物だ。サン・クラーレの飯屋がギルモアの預かりになるなんてね。どっちも変わっているとは思っていたが、やっぱりギルモアは常識外れだ」
「あなたに言われると、とても失礼に聞こえますね。常識という言葉の意味をご存じかな?」
マルチェルはドイルの挑発には乗らず、軽くいなした。
「君こそ失敬だね。僕は常識の何たるかくらい知ってるぞ。ただ、馬鹿々々しいから無視しているだけだ」
「はあ。あなたとまともな会話が成り立つと思うことが間違いでしたね。話を進めましょう。今日のテーマはここにいるステファノです」
「うん。それは理解してる」
紅茶を飲み干したドイルはマルチェルがお代わりをサーブする間に、特別に用意させたドーナツにかぶりついている。甘味に対する貪欲さは純粋ですらある。
「ステファノ、知恵を借りるためにドイルにはお前のギフトについて打ち明けてあります。話を進めて良いですね?」
「もちろんです。僕の方でも先生の研究ノートを読ませてもらってますし」
ステファノの言葉に、ドイルの耳がピクリと動いた。
「えー? あんな物を読んでるのかい? ネルソン君に預けて行った物だろう? ありゃ、中途半端で使い物にならないよ」
「それがそうでもないんですよ」
ステファノはドイルのノートを読みながら自分が探求した内容について、自分のノートを見ながら訥々と語った。
ドイルはステファノの言葉に耳を傾けながら、研究生のように成果を報告するステファノを微笑まし気に見ていた。
それをまた横眼で眺めながら、「この男も年を取ったのだな」とマルチェルは歳月の重さを感じていた。
「『いろは歌』ってのが面白いね。何だってそんな古色蒼然としてエキゾチックな物が与えられたんだろう? ギフトというのは本当に酔狂なもんだ」
「あなたの『タイム・スライシング』も、また別の意味で素っ頓狂でしょう。 何ですか、時をスライスするって?」
「さあね。神様とか創造主とかいう存在は、変わった世界に住んでいるんだろうさ。過去も未来も関係ないのじゃないか?」
「どうもそうらしいです」
ドイルの言葉にステファノは真面目に返事を返した。軽口をあまり叩かないステファノからの言葉だけに、ドイルはどういうことかと顔を見返した。
ステファノは「いろは歌」の解釈について自分の考えを述べた。
「『阿吽』に挟まれた森羅万象が、『先夢見じ 飢干もせず』ではないかと思うのです」
「ふうん……」
いっそ関心がなさそうにドイルは相槌を打ったが、その裏側でギフト「タイムスライシング」が高速で思考を行っていた。
「その世界には『今』しかないというわけだ。であれば、すべての因果関係は順を失う。ふうむ……」
「ああ! それです!」
今度はケントクの「歌」を聞いた時のようにはならなかった。ステファノの中では既に答えのすぐ側まで行きついていたからかもしれない。
パズルのピースが収まるべきところに収まる、パチリという手応えがステファノの全身を震わせる。
「どういうことですか、ステファノ?」
マルチェルが問いただした。
「ギフトの『説明』にそれがあったんです。最初は聞き取れなかったんですが……」
<色は匂へど、散りぬるを――来し方を視、行く末の揺らぎを観る。相より想を得、■■に至る――>
「欠落していたのは『因果』の言葉でした」
すっきりとした顔でステファノは言った。
「ほう、ほほう? ギフトの力で『物質』を見れば、『イデア界』での姿が見えると? そこには『因果』に順番はなく、原因と結果が同時に存在していると? ほぉおお」
妙に上ずった口調でドイルは独り言を口走っていた。目はテーブルの一点を見詰めている。
「くっそう。やっぱりてめえら、火事場泥棒じゃねえか! でたらめに因果を摘まみやがって!」
ドイルはテーブルに両手の拳を叩きつけて立ち上がった。
「落ちつきなさい。ここにあなたの敵はいませんよ」
マルチェルが手を伸ばし、そっとドイルの右手を掴んだ。
ドイルは初めての相手を見るようにマルチェルの顔を見下ろし、その手が掴む自分の手首と見比べていた。
ようやくドイルの顔に認識の兆しが戻り、マルチェルから腕を引きはがすと再び腰を下ろした。
「暴れたりはしないよ。もうそんな年じゃない。ちょっと昔の気持ちを思い出しただけさ」
ドイルは2杯めの紅茶に口をつけ、気持ちを落ちつけた。
「ステファノ、君は魔術師になりたいと言っていたね。魔術を使えるようになったんだって? おめでとうと言うべきなんだろうけど、僕は魔術が嫌いでね……」
ドイルは珍しく苦しそうな顔をした。自分には似合わないと思ったのか、両手で顔を擦って暗い表情を拭い去る。
「わかっているさ。魔術師全体を恨むのは筋違いだってね。魔術師にも良い奴はいるだろう。君みたいにね?」
作り笑いではあったが、ドイルはステファノに笑顔を見せた。
「ありがとうございます、先生」
「君に頼みがある。聞いてくれるか?」
ドイルは一瞬だけ切なげな表情を見せて、ステファノに語り掛けた。
「はい。俺にできることであれば」
「ああ。できるとも。これから先、君はいろんな魔術を身につけるだろう。見たこともない上級魔術を使えるようになるかもしれない。それでもだ……」
「はい」
ドイルはしっかりとステファノに目を合わせた。
「魔術が自分の力だなどと思わないでほしい。アレは人の力ではないよ」
ドイルは魔力とは何者であるかについて語り始めた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第117話 答えはもっと深遠で、そして……残酷だ。」
何もないところに火が起こるから魔術なのだ。それができるから魔術師なのであった。
「だから魔術師は偉いと連中は胸を張る。自分が何をしているのか説明もできない癖にね。愚かで醜い連中だ」
ドイルは魔術を憎んだのではない。理解もできず、説明できない現象をあたかも自分の手柄であるように振りかざす人間の愚かさと見苦しさを拒絶したのだ。彼にとってそれは真理に対する冒とくにすら思えたのだ。
「さて、お待ちかねの種明かしだ。なぜ、魔術師だけが魔術を使えるのか? 選ばれた人間だから? 血統のお陰? 違うね。答えはもっと深遠で、そして……残酷だ」
……
◆お楽しみに。
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