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第5章 ルネッサンス攻防編
第605話 なぜわたくしが存在を許されているのか?
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真名とはその人の本質を指し示すもの。
敵対する魔術師に知られれば、急所を晒したにも等しいこととなる。
術の発現とその威力が格段に強力となる。
いかに聖スノーデンでも、真名を敵に知られることは大きな不利となる。
(ふふ。どれほど不利になろうとも、己の力があれば跳ねのけられると思ったか?)
楽しさにジェーンの顔はついほころぶ。頬が緩むのを押さえられない。
彼女は「まつろわぬもの」である。その手に人の真名を得るということは、特別な意味があった。
(これでスノーデンはいつでも消せる)
スノーデンに恨みはない。逆に、思い入れもない。ジェーンの眼から見れば、聖スノーデンもただの人間に過ぎない。
勝手に生まれ、生き、死んでいくものだ。
路傍の石ほども関心を引かない。
問題はスノーデンが神の傀儡であることだった。彼がミッションを果たせば、神の力が強まる。神の意志がより多く地上に満ちることになる。
ジェーンにはそれが許せなかった。彼女自身もかつて自分の意志を広め、維持しようとしていた。神でなくなっても、その意志は変わらないのだ。
(そもそもこの世界はおかしい。なぜわたくしが存在を許されているのか?)
滅多にあることではないが神が入れ替わるなら、以前の神は抹殺されるか、新しい神に吸収されるはずだった。
(それなのに、わたくしは「まつろわぬもの」として存在し続けている。これは異常だ)
神の代替わりに何かの間違いが発生したとしか考えられなかった。つまり、この世界はイレギュラーで新たな神は完全な神ではない。
神の如きものは、神ではない。
(ならば、滅ぼすことができる)
かつて神であったジェーンにとっては自明のことだった。
もちろんジェーンも完全ではない。神の座を追われた瞬間から「全」ではなく「個」になった。力を比較すれば新しい神に大きく劣る。
(いや、神ではない。「神の如きもの」だ。忘れてはならない)
「神の如きもの」は神の権能の多くを備えているが、「全知」でも「全能」でもない。その時点で「彼」または「彼女」も「個」であって、「全」ではない。
(わたくしと同じように、この世界のどこかに存在するはずだ。おそらくは人として)
2人の目的は異なる。ジェーンの目的は「安定への回帰」。これに対して「神の如きもの」は「すべての人間の平等」を目指しているようだ。
スノーデンが与えられた「すべての人に魔力を」というミッションがそう推測させる。
ジェーンはスノーデンを補佐する振りをしつつ、ミッションの邪魔をしていた。神器の改ざんだ。
スノーデンに気づかれぬように神器の性能を落とす術式を、本来の術式の陰に仕込んだ。本職の魔道具師でないスノーデンはこれを見抜けなかった。
スノーデンに見抜けなければ「神の如きもの」が気づくこともない。
神器の不調は原因不明の欠陥と見なされた。まったく使えない物なら時間をかけてでももう一度作り直したろう。100に1つ、効果を表すことがスノーデンの判断を鈍らせた。
今はジェーンの進言を聞き入れ、宮廷で複製を作らせようとしている。
(思うつぼだ。宮廷の魔道具師が100人集まったところで、神器の術式は読み解けぬ)
スノーデンは魔道具師ではなかったが、稀代の魔術師である。術式を構築することにおいては他の追随を許さない。まして神器は魔力の根幹、人の在り様を変える道具だ。その術理が単純であろうはずもない。
スノーデンの焦りをよそに、複製作業は遅々として進まなかった。
神器は欠陥品だったが、意図せぬ効果もあった。多くの貴族に「ギフト」を顕在化させたのだ。過去にない能力の開花に当初は皆驚いたが、およそ「害がない」ことがわかってからは進んで神器の使用を求めるようになった。
ギフトの内容は様々。一騎当千の戦闘力をもたらすものもある。かと思うと、まったく戦いと関係のない「絶対音感」とか「速読」などというギフトも存在した。
このばらつき具合は魔力発現の不確かさと共通するものとみなされたが、外れてもギフトを授かれるだけ得だという考え方が貴族の常識となった。
つまり、貴族は神器の祝福を受けるにしかず。そういう評価が定着した。
平民は――時間の無駄だから働いていろ。当然のように平民への祝福は広がらなかった。
ジェーンの狙い通りの結果だった。
(これで貴族階級の「力」がますます強くなり、平民階級は抵抗力を持たぬままとなる)
階級社会は必然的に固定化する。
それはこの国にとって良いことか? 大多数の人々が幸せに暮らせるのか?
ジェーンの関心はそこにない。人の暮らしになど興味がない。彼女の眼は「社会」という秩序の美しさのみを評価する。
揺るぎなく回り続けるコマの美しさ。一見静止しているようでありながら、目を近づければ止まることなく運動を続ける力強さ。
静と動が渾然一体となって実現した一瞬と永遠の共存こそが、ジェーンの求める「安定への回帰」だった。
(ここから先スノーデンは邪魔になる。消えてもらうとしよう)
「対象:『雪田ヒカル』に対する管理者権限行使――」
宮廷の狭い一室でジェーンは小声でつぶやいた。
今しも大広間では、譲位の儀式を昼間済ませたスノーデン元国王の偉業をたたえる晩さん会が開かれている最中であった。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第606話 既に種はまかれたのだ。」
聖スノーデン、晩さん会の席にて脳卒中を起こす。それが歴史に残された事実だった。
その時、スノーデンは急に立ち上がり、何かを口走ろうとして意識を失った。
「どうして――?」
テーブルの食器の上に崩れ落ちたスノーデンは、既に息絶えていたと言う。
……
◆お楽しみに。
敵対する魔術師に知られれば、急所を晒したにも等しいこととなる。
術の発現とその威力が格段に強力となる。
いかに聖スノーデンでも、真名を敵に知られることは大きな不利となる。
(ふふ。どれほど不利になろうとも、己の力があれば跳ねのけられると思ったか?)
楽しさにジェーンの顔はついほころぶ。頬が緩むのを押さえられない。
彼女は「まつろわぬもの」である。その手に人の真名を得るということは、特別な意味があった。
(これでスノーデンはいつでも消せる)
スノーデンに恨みはない。逆に、思い入れもない。ジェーンの眼から見れば、聖スノーデンもただの人間に過ぎない。
勝手に生まれ、生き、死んでいくものだ。
路傍の石ほども関心を引かない。
問題はスノーデンが神の傀儡であることだった。彼がミッションを果たせば、神の力が強まる。神の意志がより多く地上に満ちることになる。
ジェーンにはそれが許せなかった。彼女自身もかつて自分の意志を広め、維持しようとしていた。神でなくなっても、その意志は変わらないのだ。
(そもそもこの世界はおかしい。なぜわたくしが存在を許されているのか?)
滅多にあることではないが神が入れ替わるなら、以前の神は抹殺されるか、新しい神に吸収されるはずだった。
(それなのに、わたくしは「まつろわぬもの」として存在し続けている。これは異常だ)
神の代替わりに何かの間違いが発生したとしか考えられなかった。つまり、この世界はイレギュラーで新たな神は完全な神ではない。
神の如きものは、神ではない。
(ならば、滅ぼすことができる)
かつて神であったジェーンにとっては自明のことだった。
もちろんジェーンも完全ではない。神の座を追われた瞬間から「全」ではなく「個」になった。力を比較すれば新しい神に大きく劣る。
(いや、神ではない。「神の如きもの」だ。忘れてはならない)
「神の如きもの」は神の権能の多くを備えているが、「全知」でも「全能」でもない。その時点で「彼」または「彼女」も「個」であって、「全」ではない。
(わたくしと同じように、この世界のどこかに存在するはずだ。おそらくは人として)
2人の目的は異なる。ジェーンの目的は「安定への回帰」。これに対して「神の如きもの」は「すべての人間の平等」を目指しているようだ。
スノーデンが与えられた「すべての人に魔力を」というミッションがそう推測させる。
ジェーンはスノーデンを補佐する振りをしつつ、ミッションの邪魔をしていた。神器の改ざんだ。
スノーデンに気づかれぬように神器の性能を落とす術式を、本来の術式の陰に仕込んだ。本職の魔道具師でないスノーデンはこれを見抜けなかった。
スノーデンに見抜けなければ「神の如きもの」が気づくこともない。
神器の不調は原因不明の欠陥と見なされた。まったく使えない物なら時間をかけてでももう一度作り直したろう。100に1つ、効果を表すことがスノーデンの判断を鈍らせた。
今はジェーンの進言を聞き入れ、宮廷で複製を作らせようとしている。
(思うつぼだ。宮廷の魔道具師が100人集まったところで、神器の術式は読み解けぬ)
スノーデンは魔道具師ではなかったが、稀代の魔術師である。術式を構築することにおいては他の追随を許さない。まして神器は魔力の根幹、人の在り様を変える道具だ。その術理が単純であろうはずもない。
スノーデンの焦りをよそに、複製作業は遅々として進まなかった。
神器は欠陥品だったが、意図せぬ効果もあった。多くの貴族に「ギフト」を顕在化させたのだ。過去にない能力の開花に当初は皆驚いたが、およそ「害がない」ことがわかってからは進んで神器の使用を求めるようになった。
ギフトの内容は様々。一騎当千の戦闘力をもたらすものもある。かと思うと、まったく戦いと関係のない「絶対音感」とか「速読」などというギフトも存在した。
このばらつき具合は魔力発現の不確かさと共通するものとみなされたが、外れてもギフトを授かれるだけ得だという考え方が貴族の常識となった。
つまり、貴族は神器の祝福を受けるにしかず。そういう評価が定着した。
平民は――時間の無駄だから働いていろ。当然のように平民への祝福は広がらなかった。
ジェーンの狙い通りの結果だった。
(これで貴族階級の「力」がますます強くなり、平民階級は抵抗力を持たぬままとなる)
階級社会は必然的に固定化する。
それはこの国にとって良いことか? 大多数の人々が幸せに暮らせるのか?
ジェーンの関心はそこにない。人の暮らしになど興味がない。彼女の眼は「社会」という秩序の美しさのみを評価する。
揺るぎなく回り続けるコマの美しさ。一見静止しているようでありながら、目を近づければ止まることなく運動を続ける力強さ。
静と動が渾然一体となって実現した一瞬と永遠の共存こそが、ジェーンの求める「安定への回帰」だった。
(ここから先スノーデンは邪魔になる。消えてもらうとしよう)
「対象:『雪田ヒカル』に対する管理者権限行使――」
宮廷の狭い一室でジェーンは小声でつぶやいた。
今しも大広間では、譲位の儀式を昼間済ませたスノーデン元国王の偉業をたたえる晩さん会が開かれている最中であった。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第606話 既に種はまかれたのだ。」
聖スノーデン、晩さん会の席にて脳卒中を起こす。それが歴史に残された事実だった。
その時、スノーデンは急に立ち上がり、何かを口走ろうとして意識を失った。
「どうして――?」
テーブルの食器の上に崩れ落ちたスノーデンは、既に息絶えていたと言う。
……
◆お楽しみに。
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