電車の男 番外編

月世

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二人の夜会

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※この話は「腐女子の幸福」から続くお話です。


〈倉知父編〉

 六花のアシストのおかげで、加賀さんと二人で寝る権利を得た。二人で静かに、邪魔をされず、話す機会が欲しいとずっと思っていた。
 六花は俺の考えていることを、何も言わなくてもなんとなく理解してくれるところがある。今回もきっと、話したがっている俺の内心に気づき、じゃんけんにしろとアドバイスしたのだろう。あの子は俺が、じゃんけんで負けないことを知っている。
 七世の部屋の隣が六花の部屋だ。七世と加賀さんを二人きりにして、いちゃつくのを壁越しに楽しむつもりかと思っていたが、違った。
 自分の嗜好より父を優先してくれたのだと思うと愛情で心が震える。
 客間に布団を二つ、並べて敷くと、妻が「あれ? 私はどこで寝るの?」と訊いた。
「お母さんはいつも通り夫婦の寝室だよ?」
「え……、私、一人で寝るの?」
 心細そうだ。ハグしてやって、頭を撫でる。
「一晩だけだから我慢しなさい」
「……うん、寂しいけど我慢するね。お父さんの枕、抱きしめて眠るね」
 なんて可愛い奴だ。客間は十畳あるし、寝るスペースはいくらでもあるが、とにかく二人で話したい。妻がいたら台無しになるのはわかっている。決して、他の男と同室で寝かせるのが心配だとかではない。
 廊下で六花と立ち話をしている加賀さんを呼んで、いそいそと布団に潜り込む。
「お母さん、ちっちゃい電気にしといて」
「うん、じゃあおやすみなさい」
 明かりを常夜灯に切り替え、客間を出て行く妻と入れ違いに、加賀さんが入ってきた。
「いらっしゃい」
 一瞬たじろいでから、少し頭を下げて「失礼します」と隣の布団に正座をした。
「大丈夫、何もしないよ」
 冗談で緊張をほぐそうと思ったが、それほど固くなっている様子はない。なかなか肝が据わっている。寝転がったまま、加賀さんのほうを向いて片手で頭を支える。
「二人だけで話したかったんですね」
 さすがに聡い。
「うん、大人の男二人で落ち着いて話す機会なんて、なかなかなさそうだしな」
「俺も、話したいと思ってました」
「脚崩して」
 俺がうながすと、あぐらを掻いて座り直した。
「さっき、お母さんがずけずけ家庭のこと訊いちゃって、ごめんね」
「いえ、訊いてくれてよかったです。俺から言い出すのも変な話だし」
 加賀さんが少し首を傾けて、「ああ」と納得した声を出した。
「寝てたと思ったけど、起きてたんですね」
「うん、ずっと聞いてた」
 いよいよやばいという状態になったら、今起きたという体で止めに入ろうと思っていた。
「あそこで登場してくれて、よかったです」
「そうでしょ?」
「お父さんはただ者じゃないですよね」
「え? そうかな?」
 加賀さんのように完璧っぽい人にそう言われると悪い気はしない。
「三人とも、すごくいい子です。両親の教育がちゃんとしてるからですよね。家の中が明るくて、愛に溢れてる感じで、本当に羨ましいです」
 なんとなく、苦労してきた人のような気はしていた。親の離婚が何歳の頃かはわからないが、七世の小学校の同級生がすでに別姓だったことを考えれば、十年は前の話だ。
 父親のほうに引き取られたのなら、学生の頃に家事と勉強の両立を強いられ、遊ぶことも制限され、さぞかし窮屈な生活を送っていたのだろうと推察できる。
 俺は体を起こして、向き合うようにしてあぐらを掻いた。
「羨ましいとか思わなくてもいいよ。あいつらも、加賀さんは家族みたいなもんだって言ってたでしょ」
 薄暗い部屋でも、加賀さんの表情はよくわかった。少し困ったような顔をしている。迷いが、あるらしい。
「結婚とか、重い?」
 俺が訊くと、顔を上げてふうと息を吐いた。
「そうじゃないです。ただ、言うほど簡単なことじゃないし、突き進むにしても、険しい道です。七世君の将来が、人生が大事です。だから、慎重にやっていきたい」
 なるほど、さすがにしっかりしている。今はまだ付き合って日が浅い。
 七世の気持ちが揺らいで、自分から離れていったら、というパターンも考えているということだ。
 七世の中では、別れるなんて選択肢はない。今のところは。
 でも、一年後、五年後、十年後、どうなっているか。先のことは、わからない。
 ただそれは、どんなカップルにも起こりうることだ。長年連れ添った夫婦でも、別れることはある。
「まあ、あいつらの言う結婚ってのは、おままごとのレベルだよ。法的にパートナーになるとか、養子縁組するとか、そんな大それた話じゃない。だから気負わなくてもいいよ」
「……たとえおままごとでも、お父さんは本当にいいんですか? 大切に育ててきた、息子なのに」
 加賀さんが、じっと俺の目を見ている。
「いいよ。加賀さんは、もう少しわがままになったらいい。うちにいる間は、わがままになりなさい。どうしたい?」
 天井を見上げて目を閉じる。常夜灯のわずかな明かりが、綺麗な顔を、ほんのりと照らしている。七世が惚れるのも無理はない、と思った。
 この人は、綺麗だ。外見だけじゃなく、内面も、歪みがない。
 やがて目を開けて、俺を見据え、口を開いた。
「いずれは、一緒に暮らしたい、と思ってます」
「うん、よく言った」
 労うと、照れ臭そうに笑う。
「合い鍵を……、本当は高校卒業と同時に渡そうと思ってたんです」
「ああ、七世のせいだろ? アパートの外で待ってたとか?」
「当たりです」
 加賀さんが会社の慰安旅行でいないときがあった。会えない土日がよほどつらかったらしく、帰宅時間もわからないのにのこのこと会いに行った。合い鍵を握りしめて帰ってきたときは迷惑をかけたのではないかと気がかりだった。
「まだ高校生なのに、余計な心配かけるような真似して、すみませんでした」
「いやいや、もうあいつは立派な大人だよ」
 とは言ったものの、我が子はいくつになっても、自分の中では子どものままであり続ける。
「加賀さん」
「はい」
 あぐらをやめて、ちゃんと正座をし直した。加賀さんがそれを見て、同じように正座をする。
「ふつつかな息子ですが、よろしくお願いします」
「とんでもないです。こちらこそ、よろしくお願いします」
 お互いに頭を下げて、顔を上げるのも同時だった。目が合うと、声を上げて笑う。
「よし、じゃあ寝るか」
「はい」
「あのさ、お母さんが一人で寝るの、寂しいって言うんだよね」
 加賀さんの肩に手を置いて、立ち上がる。俺を見上げた加賀さんがポカンとする。
「布団敷いといてあれだけど、俺、寝室行くわ。加賀さんも、七世のとこで寝てもいいし、一人で寝たかったらここで寝てもいいし。任せる」
 ポンポン、と肩を叩いてから、「おやすみ」と言って客間を出る。
 夫婦の寝室は一階にある。廊下をひたひたと歩き、ドアを開けると、眠っている妻の寝顔を確認する。本当に、俺の枕を抱いて寝ていた。戻ってくる、と言っておけばよかった。
 ベッドに潜り込み、妻の体を後ろから抱きしめる。温かくて、柔らかくて、心地良い。
 眠りの体勢に入る俺の耳に、階段を上がる足音が聞こえた。五月の足音ではない。
 微笑ましいな、と思った。
 いつまでも、仲良しでい続けてくれよ、と祈って、目を閉じた。
 
〈おわり〉
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