電車の男ー社会人編ー

月世

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Ⅳ.加賀編

「家族」

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 個展というと、もう少し華やかなものを想像していた。
 雑居ビルに挟まれた、小さなギャラリーだった。一見してモダンなカフェか美容院のような建物だ。
 お祝いのスタンド花が置いてあるとか、人目を惹く写真をディスプレイするとか、大々的に集客しようという意思は感じられない。ギャラリーの入り口に「HARU写真展」と小さな看板が出ているだけで、何か催しがあるようには見えなかった。自己主張をまったくしていない。
 格子ガラスのドアを開けると、白い壁に白い床、抑えた照明の静かな空間が広がっていた。通路の両側の壁に飾られた写真一つひとつにスポットライトが当たっている。
 写真はすべて、モノクロだった。親子、老夫婦、若いカップル、被写体は外国人ばかりだ。
 彼女はあちこち、旅をしてきた。そこで出会った人々なのだろう。みんな、幸せそうに笑っている。
「なんか、芸術ですね」
 他に誰もいないのに、倉知が俺の耳に口を寄せて囁いた。
「うん、めっちゃいい」
 構図や技術や芸術性のことは、語れるほどに知識がないが、とにかく温度が伝わってくる。温かい。心が、ほぐれていく。
 一枚ずつ丁寧に見ていくうちに、全体のテーマに気づく。「家族」だ。
「家族、かな?」
 気づいた瞬間に、倉知が言った。
「だな。多分」
 通路の角を曲がると、広いスペースが現れた。そこは一段と照明が暗かったが、スポットライトが写真たちを大切に、包み込んでいるようだった。
「うわ」
 四方の壁一面に浮かび上がる写真を見て、知らずに声が出た。
「加賀さん」
「うん」
 等間隔に配置された写真に写っているのは、どれも、まさに家族だった。俺たちの、家族だ。
 見知った顔が並んでいることに興奮した倉知が、走り出しそうな気配を察知し、腕をつかむ。薄闇の中で目を見合わせ、「順番に見よう」とたしなめた。
「はい、ですね、これ見て、加賀さん、見てください」
 倉知が、見て見てと子どもみたいにはしゃいでいる。
「うん、見てるよ」
 一番手前は俺と父の写真だ。ベンチに腰かけたスーツの二人。俺も父も、若い。十年ほど前だろうか。ベンチで脚を組んで座っている。二人ともカメラ目線で微笑んでいるが、間に透明人間が二、三人座っているようにも見えた。不自然な感覚が空いている。
 別に仲が悪かったわけじゃない。今の関係が異様にフランクなだけだ。
「もう、すごい、はあっ、可愛い……、これ、あの、どうしよう、うわー」
 倉知が胸を押さえてハアハア言いながら食い入るように写真を見ている。可愛いのはお前だろ、とツッコミを入れたい。下から倉知の顔を観察していると、はたと視線に気づき、取り繕うように笑った。
「二人ともちょっと若いですね。あの、いろいろ……、最高です。これ、何歳のときですか?」
 倉知の声が弾んでいる。
「さあ、あんま覚えてない。なんでスーツなんだっけ。ここ大学? 入学式とか?」
「正解」
 後ろから声がして、二人で飛び上がって振り返り、悲鳴交じりに「ハルさん」と呼んだ。
「いらっしゃい」
「うん、あ、個展の開催おめでとうございます」
 俺が言うと、倉知もかしこまって頭を下げた。
「おめでとうございます」
「ありがとう。ねえ、ちゃんと手ぶらで来た? 花とかお菓子とか何もいらないからね?」
「はいはい、もう清々しいほどの手ぶらで来たから」
 二人揃って手のひらを向けて降参のポーズをしてみせると、ハルさんは満足そうに笑った。
「よろしい」
「ていうか、人、誰もいないね」
「ろくに宣伝してないもん」
 暗闇で肩をすくめ、いたずらっぽく笑ってから、そうそう、と付け足した。
「さっき五月ちゃんと旦那さん、来てたよ。すごいテンションだった」
「はは、目に浮かぶわ」
 笑う俺の横で「すいません」と何度も頭を下げる倉知の肩を、ハルさんがポンポンと叩く。
「そんなわけで貸し切りみたいなもんだから、ゆっくり見ていって。私はここで写真見てる二人を見てるから」
 部屋の中央に、長椅子がある。ハルさんはそこに腰を下ろし、本当に、ニヤニヤとこっちを見ている。
「次、いこっか」
 気を取り直してそう言うと、倉知がおろおろし始めた。
「この写真をもっと見ていたいような、早く次を見たいような」
「全部見たらもう一巡すればいいんじゃない?」
「そうしましょう。二回も三回も回りましょう」
「お、おう」
 ひっひっひっひ、と幽霊みたいな笑い声が後ろから聞こえてくる。見られていると思うと落ち着かなかったが、次第に写真の世界に没入し、気にならなくなった。
 加賀家に倉知家が参入し、突如華やかになる。
 ソフトクリームを食べるみんなの笑顔。
 手を取り合い、川沿いの遊歩道を歩く倉知の父と母。
 浴衣姿の五月と六花の横顔。
 二人の姉に挟まれて笑う倉知。
 実家の庭でバスケをする俺と倉知。
 ウエディングドレスの五月をお姫様抱っこするタキシードの大月。
 倉知の言う通り、何度でも周回できそうだ。飽きない。
 三周目。俺たちは一枚の写真の前で、長い間、足を止めた。十数枚ある写真の中で、俺と倉知のお気に入りの一枚が、合致した。
 ひたいがくっつくほどの至近距離で、楽しそうに笑っている俺と倉知を捉えた写真だ。
「その写真、あげよっか?」
 ハルさんが後ろで言った。
「うん、でもどうせならこれフォトブックで欲しいな。うちで作らない?」
「高木さんって、少部数でも刷ってくれる?」
「喜んで」
「……欲しい」
 倉知が喉から声を絞り出す。
「保存用と観賞用に、二部買います」
「一部十万円でも?」
 ハルさんがいたずらっぽく訊いた。
「十万円? 安すぎませんか?」
「すごい、この子本気だ」
 大笑いしながら、ハルさんが俺の胸に紙袋を押しつけてきた。
「ん? 何これ」
「光太郎さんから頼まれたの」
 中を見ると、数冊の本が入っていた。背表紙にHawaiiの文字が見える。
「ハワイ? あ、ガイドブック的な?」
「飛行機取れたんだって」
「マジか」
 数年前からずっと、ハワイの別荘に招待したいと言い続けていた。言い出したのは、倉知の二十歳の誕生日だ。あれから三年。ついに、父の願いが叶う。
 父は有言実行の人だ。そして、粘り強い。全員の意見をすり合わせ、無理なく動けるのは年末年始しかない、ということになった。
「倉知君、本当に行ける?」
「ハワイ」
「うん」
 倉知はぼんやりしている。脳内で、ハワイに旅立ってしまった。
「あの、もしかして、この写真の人ですか?」
 一人の女性が急に声をかけてきた。写真を指差して、俺と倉知を輝く目で見てくる。
 入場無料の写真展で、ギャラリーの出入りは自由だ。なんとなく、誰も来ないと思い込んでいたので驚いたが、ふらりと入る人間だって当然いる。
「えーっと、実は、はい、そうです」
「とっても素敵な写真ですね」
 いたく感動しているふうだった。
「握手していただけますか?」
 俺と倉知を順番に見て訊いた。駄目です、と倉知の声が聞こえた気がしたが、幻聴だったらしい。制止する様子もなく、握手を許した。嫌がらないのが逆に不安になる。
「撮った人ですけど、握手します?」
 ハルさんがニコニコして手を出すと、彼女は慌てて握手に応じた。
 握手のあと彼女は、会釈してから、静かに、丁寧に作品を見て、最後にもう一度頭を下げた。
「帰りましょう」
 女性が出ていくドアの音がかすかに聞こえると、倉知が唐突に言った。
「ん、もういいの?」
「はい。ハルさん、また来ます」
「うん、またおいで」
「明日も来ます」
 冗談だと思ってハルさんは笑ったが、多分、来るつもりだろう。
「このあとどこか行くの? それ、デートの邪魔なら送ろうか?」
 ギャラリーの外に見送りに出たハルさんが、紙袋を指差した。デートのプランは倉知に丸投げだ。
「どっか行く?」
 訊くと、迷いもせず、真面目な顔つきで「いえ」と言った。
「帰ってハワイの本を読みたいです」
 というのは建前で、本音はイチャつきたくなった、であって欲しい。
 今すぐ近くのラブホテルに行きましょう、と言い出してもおかしくないほどに、限界であって欲しい。
 なぜなら俺のほうが触りたくて甘えたくて、うずうずしているからだ。
 帰りの電車の中でも、一緒にいるのに触れられないのが耐えられなくなる瞬間があった。どこか、どこでもいいから、体の一部を触れ合わせていたいという欲求が、湧いてしまう。
 倉知はわきまえていて行儀がいいのに、電車でこっそり指を絡めてみたり、靴の先をくっつけてみたりするのは、俺のほうだった。
「倉知君、本当に大人になったね」
 マンションのエントランスに入ると、開口一番に褒めた。なんのことかな、という顔のまま、倉知が胸を張ってうなずいた。
「俺が女の人と握手するの、ダメって言うかと思ったのに」
 口に出してみると思った以上に自意識過剰な科白だったが、倉知が、ああ、と頭を掻く。
「だって、写真を褒めてくれたのに、断ったら感じ悪いじゃないですか。ハルさんにも失礼です」
「あー、そういうあれか。めっちゃいい子」
「いい子じゃないです。カフェで握手してくださいって言われてたら、断ってましたよ」
 いい子じゃないですってなんだ可愛いな。
 いとおしさで気が狂いそうになる。
 エレベーターのボタンを押してから、何気なく、倉知を振り返る。必ず目が合うから、振り返りたくなるのだ。にこ、と笑うと、にこ、と笑い返してくる。
 可愛い。好きだ。
 早く、触りたい。
 あちこち撫でまわしたい。
 いきなりどうなったのか、自分でもわからない。とにかく、キスしたいしセックスがしたい。
「ハワイ、楽しみだな」
 何かで気を紛らせないとやっていられない。なんでもない顔で、紙袋の中の分厚い本を取り出した。
「はい、ですね」
 適当にページをめくると、倉知が覗き込んでくる。顔が近い。いっそ、ハプニングと称してここでキスしてしまいたい。
 どうしてこんなにムラムラするのか。意味がわからない。
「あっ、加賀さん、ロコモコだ」
 倉知が指を差す。
「ロコモコってハワイの料理だったんですね」
 嬉しそうに、へえ、と感心しながら本に夢中だ。
「本場のロコモコ、一緒に食べましょうね」
「もう駄目だ。可愛い」
「え? あ、エレベーター」
 エレベーターが開いていた。倉知が俺の肩に手を回して乗り込むと、開延長のボタンを押した。
「どうぞ、上ですよね」
 倉知が言った。後ろに誰かいたらしい。危ないところだった。
 おずおずと、一向に乗り込もうとしない人物は、隣の姉妹の姉のほうだ。買い物袋を提げた、上下スウェットのラフな服装で、すっぴんだ。近所のスーパーに行った帰りだろう。素顔を見せたくないのか、うつむいて、逡巡している。
 なんとか助け船を出してやりたかったが、他のことで頭がいっぱいで、気の利いた回避方法が浮かばない。申し訳ない。
「乗りませんか?」
 倉知が不思議そうに訊いた。
「の、乗ります」
 髪で顔を隠しながら飛び乗って、隅で小さくなると、意外にも話しかけてきた。
「ごめんなさい、聞こえたんですけど、……ハワイ、行かれるんですか?」
「はい、年末年始にいってきます」
 倉知が快活に答えると、彼女はトレーナーの袖で顔の下半分を隠しながら小声で言った。
「いいですね。お二人で?」
「いえ、お互いの家族も一緒です」
「すごい……、素敵、ですね」
 彼女は何か、まぶしいものでも見るように、目を細めて倉知の横顔を見上げている。 
「気をつけて楽しんできてください」
 エレベーターを降りて廊下を進み、ドアの前で立ち止まった彼女が言った。
「おやすみなさい」
 髪と袖で顔を隠したまま、ドアが閉まる。いろいろと気が早い人だ。
「加賀さん、それ、本、見せてください」
 玄関で俺の手から紙袋を引き取ると、中を覗き込みながら靴を脱いで、さっさと行ってしまった。
「あ、なんか、写真集みたいなのも入ってますよ。うわー、すごい、こんなに空が青いんですね。海がエメラルドグリーン、……ほんとかな」
 ダイニングの椅子を引いて腰を下ろし、独り言を言いながら、本に夢中だ。
 俺以外の何かにこんなにも熱中している様子を見るのは、複雑だった。まるで猫の再来だ。
 微笑ましさが半分、嫉妬が半分。
 俺はハワイに嫉妬している。
「あれ、そういえば、大月君って来るんですか?」
「知らん」
 後ろから抱きついた。うなじに噛みつき、激しく吸った。
「えっ、なんで? あの、加賀さん?」
「くそー、なんだよこの醜い感情は」
 嘆いて、倉知の後ろ頭にしがみつき、頬をすり寄せた。
「え?」
「ハワイが憎い」
「あの……、もしかしてハワイに嫉妬してます?」
「嫉妬してます」
 倉知の体がかすかに震えた。笑っている。
「加賀さん、可愛いなあ」
 ふふふ、と笑いを漏らしながら、倉知がページをめくるのをやめない。
「ハワイめ……」
 今度は頭をかじってやった。
「痛い。加賀さんはハワイ、行ったことあるんですよね」
「あるよ。別に、ただのハワイだよ」
「ただのハワイ、ふふ」
「倉知君」
 耳に息を吹きかけて、耳たぶを噛みながら、後ろから服の中に手を突っ込んだ。胸板の筋肉を揉んで、人差し指で小さな突起をいじくった。いい感じに硬く尖っている。
「んっ」
 倉知が声を上げた。やっとスイッチが入ったか、と思いきや、手が、本のページをめくる。
「まだハワイ? 今エロい声出したよな?」
「出してないです」
「いやいや」
 ぎゅ、と乳首をつまむと、「あっ」と裏返った声が出る。
「ほら、めっちゃ感じてるじゃん」
 倉知の息が、上がってきた。汗ばんだ肌に唇を押しつけ、肩口から股間を覗き込むと、見事に起き上がっていた。
「やっと勃った」
 盛り上がる倉知の股間に安堵の息をつく。
「とっくに勃ってます。首噛まれたら、誰でも勃起しますよね?」
「そうかな?」
「加賀さんがじゃれてくるのが可愛くて、押し倒すのを我慢してました。でももう無理です」
 倉知が本を閉じた。
「押し倒します」
「よし、来い」
 倉知が俺を抱え上げ、寝室に駆け込んだ。ベッドに寝かされ、荒々しく口を塞がれた。舌が、絡みついてくる。
 口の中を蹂躙する様は、飢えた獣のそれだった。まさに、がっつく、というやつだ。男というより、オスの、野生の本能で、食らいついてくる。
 こういうときでも、俺は倉知を可愛いと思う。
 さっきまで、ハワイハワイとはしゃいでいたお子様はどこへ行った。胸がこそばゆい。このギャップが、最高なのだ。
 密着した下半身を、倉知が揺する。硬くなったお互いのものが、ズボンの布越しにこすれ合う。
「七世」
 キスの合間に名前を呼ぶ。倉知が俺を見下ろした。無言で俺を見て、腰を激しく揺すってくる。
「えっろ……」
 可愛くて、エロい、俺の。
 俺の七世。
 両手で顔を包み込み、視線を合わせた。色欲に染まった男の目に、荒々しい吐息に、ゾクゾクする。
「待っ、て、イキそう」
 訴えたが、倉知は動きを止めなかった。俺の目を見つめたまま、「イッてください」と刺激を与え続けてくる。
「イクとこ見たい、見せてください」
「ん……っ、うっ、……あ……っ」
 見つめ合ったまま、上りつめ、解き放つ。直後、倉知の顔が甘く歪み、重なった下腹部が脈打った。
「……加賀さん、綺麗」
 倉知の手が、俺の頭を優しく撫でる。
「倉知君」
「はい」
「パンツ、気持ち悪い」
「俺もです」
 ベッドの上で、体を起こし、二人で全裸になった。
 そうして、改めて、素肌を合わす。
 たくさん、触れた。たくさん、キスをした。
 でも全然飽きなくて、まだまだ足りない。
 激しいセックスとゆるやかなセックスを順番に堪能し、そのうち腹が減ったので、終わることにした。
 シャワーを済ませ、時計を見るとまだ七時台だった。帰宅が早かったから、夜が長い。なんだか、ウキウキする。今日は土曜日で、明日も休み。まだまだ二人の時間が約束されている。幸せだ。
「何食う?」
 冷蔵庫を開けて、食材を物色する。
「何あります?」
 濡れた髪をタオルでガシガシと拭いながら、倉知が俺の背後から手を伸ばす。ビールの缶が目の前を過ぎていく。
「うーん、魚肉ソーセージ」
 チルド室を開けて、中を見たまま倉知の股間を後ろ手で揉んだ。ビクッと反応はしたが、声は出さなかった。
「ここにもソーセージ」
 揉みながら言った。倉知はおとなしく揉まれながら、クスクス笑ってビールのプルトップを開けた。たくましくなったものだ。
「冷凍うどんで焼うどんでもするか」
「はい、賛成です」
「俺が作るからテレビでも、あー、ハワイの本でも見てれば?」
「なんでちょっと拗ねるんですか」
 倉知が後ろから俺を抱きしめて、ちゅ、ちゅ、ちゅ、とうなじにキスの雨を降らせてくる。
「加賀さん可愛い」
 倉知を放置して冷凍庫からうどんを出すと、インターホンが鳴った。
「こんな夜更けに誰かな。見てきます」
「夜更けって」
 モニターを確認した倉知が、「あれ?」と意外そうに首をかしげた。
「どうしたんだろう」
「誰?」
 玄関に向かう倉知の背中に訊いた。
「おとなりさんです」
 訪ねてきたのは妹のほうだった。仕事帰りでそのまま来たのか、スーツだ。
「突然ごめんなさい」
「いいよ。どうした?」
 芽唯は「あのっ」と声を上げてから、慌ててドアを閉めた。
「ハワイ、行くって、お姉ちゃんから聞いて」
「あー、そうそう。まだまだ先だよ。何、なんか欲しいお土産あるとか?」
 のほほんと訊ねると、彼女は激しく首を左右に振った。
「結婚式ですか?」
「え?」
「もしかして、海外挙式、するのかなって」
 倉知と顔を見合わせた。俺たちの様子から、芽唯は違うと察したようだ。途端に消沈する。
「違うんだ……」
「いや、うん、昔そういう話、したことはあったけど。今回はただの家族旅行だし、それは考えてなかった、な」
 倉知に同意を求めると、うんともすんとも言わずに、微笑みを返してきた。
「私、まだ入社して半年だし、全然経験は浅いけど、もしやるなら言ってね。二人きりとか、親族のみとか、いろいろ、あるんです。他の人に邪魔されない、プライベートな挙式だって可能だし、本気で、全力でサポートしますので!」
 気迫に押され、はい、と答えていた。
 彼女が去ったあとで、妙な空気になった。
 するか、と何度か簡単そうに言ったことは覚えている。それなのに、いざ本当にハワイに行くとなったときに、海外挙式のことを、まったく考えもしなかった。
 倉知は多分、真っ先に、考えた。
 有言実行の父に比べ、自分はなんて無責任なのか。情けなくなった。
「しよう」
 出来上がった焼うどんを倉知の前に置いて、言った。読んでいたハワイ本を閉じて、倉知が俺を見る。
「でも、本当に結婚できるわけでもないのに、そんな気軽にしていいものじゃないですよね」
「気軽にしようよ。死ぬまで一緒だし、もう家族じゃん。倉知君は俺の嫁。だろ?」
「……はい、嫁です」
 倉知の目が潤む。
「あ、違った。待って、ちゃんとする」
 倉知の傍らに、片膝をつき、手を取った。
「俺と、結婚してください」
「はい」
 即答した倉知の顔が、じわじわと赤くなる。
「何、めっちゃ照れてる」
「だって、加賀さん、顔が、カッコよすぎます」
「え、今更どうした」
「部屋着だし、焼うどんなのに、なんでそんなに王子様なんですか」
 倉知が、ふにゃふにゃの声で言った。
「はは、王子様?」
 精一杯王子っぽく、気取った顔で倉知を見上げ、握っていた手の甲に、唇を押し当てた。
「愛してる」
 さらに真っ赤になる倉知が、可愛くてしょうがない。
 絶対に、一生かけて、こいつを守ってやる。
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