電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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倉知君と風邪

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〈加賀編〉

 倉知の様子がおかしい。
 朝から口数が少なく、険しい顔をしている。
 今日は土曜だが、昨日の帰り際に突然仕事が入ってしまい、休日出勤をしなければならない。そのせいで機嫌が悪いのかと思ったが、倉知に限ってそれはない。そもそも、それくらいで怒るような奴じゃない。
 コートを羽織りながら、「大丈夫?」と訊いてみた。倉知がハッと顔を上げて表情を和らげた。
「はい、いってらっしゃい」
 声が変だ、とすぐに気づく。倉知は喉に手をやって、一度咳払いをした。
「喉痛い?」
「え?」
「なんか具合悪そう。もしかして風邪?」
「違います」
 速攻で否定する倉知に一歩、歩み寄る。倉知は後ずさり、俺に手のひらを向けた。
「待って、近づかないでください」
「なんで?」
「え……っと」
 目を泳がせて、言いよどむ。
「いってらっしゃいのキスは?」
「今日は、いいです」
「うつるから?」
 倉知が口を閉ざす。どうしても風邪だと認めたくないらしい。棒立ちになっている倉知の手を、素早く握る。引き寄せてひたいに触れた。手もひたいも、生温かい。
「熱はなさそうだな」
「大丈夫です、ちょっと喉が変で、ふらつくだけです」
「それ風邪だよ」
「いえ、ほんと、なんともないです」
「じゃあはい。いってきます」
「う」
 キス待ちの角度であごを上げると、倉知が観念した。
「ちょっと風邪気味ですけど、気合で治しますから」
「気合で治るの?」
「治してみせます」
 倉知は真顔だ。まるで仙豆でも隠し持っているかのように、自信満々だ。
「とにかく、お昼には帰るから。ご飯俺が作るよ」
 おそらくこうやって気遣われるのが心苦しくて、なんともないふりをしたのだろう。倉知は恐縮した様子で首を横に振る。
「大丈夫です。寝込むほどじゃないし、作れます」
 強情な奴め。
「こういうときくらい甘えていいんだよ」
 頭を撫でて、無意識に顔を寄せる。唇が触れる直前で、倉知が慌てて俺の口を手で塞ぐ。
「駄目です、うつりますから」
「別にいいよ」
「よくないです」
 ぐいぐいと顔面を押され、キスは諦めた。いってらっしゃいのキスで送り出されることに慣れすぎていて、ないと落ち着かない。それは倉知も同じようで、閉まるドアの向こう側で、うずうずした顔をしていた。
 月曜日の早朝に厄介な顧客との打ち合わせがある。それの下準備のせいで、休日出勤を余儀なくされた。仕事は絶対に手を抜かない。とはいえ、倉知のことが気になって仕方がない。
 窓の外を見た。今日はやたらと天気がいい。
 しまった、と舌を打つ。確実に洗濯をしている。何もしないで大人しく寝てろと釘をさすべきだった。
 とっとと仕事を片付けて、一刻も早く帰ろう。
 予定よりかなり早く資料を完成させ、慌ただしく職場を出た。帰宅途中に食材を仕入れ、マンションに飛んで戻る。ドアを開けた途端、掃除機をかける音が聞こえた。
「こらっ」
 一喝すると、掃除機のノズルを抱えた倉知が真上に飛んだ。
「おっ、おかえりなさい、え、あれ? 早くないですか?」
「お前、風邪引いてんだから大人しく寝てろ」
「大丈夫です、ほんとに大したことないんです」
 眉を下げた情けない顔で、倉知が言い訳を始めた。
「さっき薬も飲んだし、喉が痛いのも落ち着いてきたし」
「いいから寝ろ」
「でも、今洗濯機回してて」
「そんなもん、俺がする」
 言った途端、終了を告げる音がピーピーと聞こえた。
「あ、干さなきゃ」
 倉知がのこのこと脱衣所に向かおうとする。目の前に立ち塞がり、「寝ろ」と腹を押す。倉知は苦笑いで頭を掻いた。
「でも俺、全然眠くないです」
「横になってるだけでいいんだよ」
 はあ、と肩をすくめてから、何度も振り返りながら寝室に消えた。
 鞄を置いて、コートを脱ぎ、スーツのままで洗濯物を干し終えると、寝室のドアを開けた。ベッドの上に、ちゃんとふくらみがある。よしよし、寝てるな、と寝顔を確認しようと覗き込むと、布団を被った倉知がスマホを眺めていた。
「お前は今時の若者か?」
「え? 一応、若者ですけど」
 そうだった。咳払いをして倉知の手からスマホを取り上げる。
「いいから寝ろ。ゲーム禁止」
「ゲームじゃなくて、加賀さんです」
 画面に目を落とす。俺の写真だ。
「加賀さんも禁止」
「あの、心配してくれるのはありがたいんですけど、俺、本当に大丈夫です」
 確かに、ものすごく元気そうだ。目に力はあるし、だるそうでもないし、しんどそうでもない。
「実はさっき、走り込みしてきたんです」
「……はい?」
「汗掻いて、毒素を出し切ってきました」
「毒素ってお前」
 倉知が体を起こし、ベッドの上であぐらをかいた。
「前も言いましたけど、俺、風邪引かないんです」
 引き始めが肝心で、まずいと思ったらすぐに撃退している。病は気からというのは本当ですよ、と倉知はにこやかに説いてみせた。そんな馬鹿なと思ったが、実際に倉知は元気になり、どうやらいつもこの方法でなんとかなっているらしい。
 重篤化しないなら、何よりだ。倉知がしんどいのは可哀想だし、心が痛む。
 でも俺は今、明らかにガッカリしている。
 弱った倉知の面倒を看たかったのだと気づき、脱力する。
「加賀さん?」
 ベッドに倒れ込む俺の頭の上で、倉知が不思議そうな声を出す。
「大丈夫ですか?」
「倉知君」
「はい?」
「キスして」
「え?」
 仰向けになり、キスを要求する。風邪を引いた恋人の看病をするという一大イベントを目前で逃し、自棄になっていた。
「治ったんだろ? ん、ん」
 唇を尖らせた。倉知はもぞもぞと逡巡している。
 やがて、視界に影が落ち、ひたいにチュッとキスの感触。
「これで我慢してください」
 照れくさそうな困り顔が可愛いから、許してやろう

〈おわり〉
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