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第六話
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同じワンルームの間取りだが、となりの部屋は新鮮だった。
もっと散らかっているかと思ったが、意外と綺麗好きなのか、掃除は行き届いている感じだ。本棚にやたらと漫画や本が揃っていて、横幅のあるデスクにパソコンが二台置かれている。ハイバックの座り心地のよさそうなオフィスチェアを見ると、もしかしたら在宅勤務なのかもしれない。
「酒、飲めるほう?」
ローテーブルの中央に、鍋がセッティングされている。向かい合う成瀬さんが、湯気の奥から訊いた。
「好きですけど、そんなに強くないです」
「よし」
「え? よし?」
「日本酒飲める? 熱燗? 冷や?」
「じゃあ冷やで」
「辛口ですっきりして飲みやすいからおすすめ」
お猪口《ちょこ》に日本酒を注いでもらうと、目線の高さに掲げてから、頭を下げた。
「いただきます」
「はい」
酒に口をつける俺を、黙って見ている。仕込んでおいた毒が効くかどうか、観察しているようにも見えたが、手酌でついだ酒を淡々と傾ける彼を見て、安堵の息をつく。
こういうとき、妖精がいたら便利ではあるが、奴は留守番をすると言って、ついてこなかった。どうしてか訊くと「お前があいつとセックスをするからだ」と答えた。妖精は、人のセックスを見ると死ぬ、繊細で可憐な生き物なのだ、と滔々と語った。もうどこからつっこめばいいかわからないが、面倒だったので置いてきた。
たとえば子育てに疲れた母親が、子どもを置いて羽を伸ばすとき、こんな心境だろうか。
身が軽い気がする。
「なんか適当に、よそって食えよ」
「あ、はい、いただきます」
鍋の中を覗き込む。豚肉やネギ、白菜に椎茸などの定番の具材に紛れて、牡蠣や白子《しらこ》が見えた。
「すごい、だだみ入ってる」
「だだみ?」
「あ、これ、白子。実家でだだみって呼んでて。脳みそみたいですよね」
「脳みそな、わかる。だだみって方言? 実家どこ?」
「北のほうです」
「ざっくりしてんな」
「成瀬さん、そんな見た目なのに、料理できるって意外です」
お玉で白子と白菜を掬い上げながら、褒めてみた。
「これパウチの鍋の素だし、具入れて煮るだけ。あんたは料理できなそう」
「一応、みりんは常備してますよ」
「なんの自慢だよ」
昨日までまともに会話をしたことがなかった隣人と、和気あいあいと、鍋をつついている。
奇妙だが、なんだか楽しかった。
いつの間にか、彼に対する苦手意識も消えていた。喋ってみるといい奴だし、予想外に話が合う。
酒を飲み、鍋をつまみ、とりとめのない話を続けていると、気分がよくなってきた。
鍋を完食すると、思わず歓声を上げて手を叩く。
「お腹いっぱい。こんなに食べて飲んだの久しぶりだなあ」
「まだまだ、締めが残ってんぞ」
具がなくなった鍋にご飯が投入された。溶き卵を回し入れ、土鍋の蓋をして、火を切る。これは、おじやだ。満腹なはずなのに、最後に取り合いになるやつだ。
もう何か、よくわからないが嬉しくなって、拍手が止まらなくなった。
「プリン体《たい》の塊、通称、痛風鍋じゃないですか!」
「何それ?」
「あー……、説明がめんどい。Siriに訊いてください」
「俺、アンドロイド」
「成瀬さんってアンドロイドだったんですね。どおりでなんか、血が通ってない感じ、あるある」
ヒッヒッヒ、と笑って頬杖をつく。引き笑いが止まらない俺を、成瀬さんが呆れた顔で見ている。
「ほら、その冷たい目」
「悪かったな。殺し屋みたいな目で」
「俺は好きですよ。成瀬さんみたいな顔、好きです。好きっていうか、なりたい顔。そんな顔なら女の子にモテただろうな」
成瀬さんが俺から目を逸らし、酒を素早く呷る。口の端から酒が零れまくっているが、あえて気づかないふりをした。
今、訊いたらどうなるだろう。
あなたは、俺が好きですか?
「毎日忙しそうだけど、あんた仕事何してんの?」
口を拭いながら、俺のお猪口に酒を継ぎ足して、成瀬さんが訊いた。
「プログラマーです」
「へえ」
「SEにステップアップしたいんですけど、お前はコミュニケーション能力もマネジメント能力もないから無理だとか、上司が言うんですよ。ごもっともです。自覚はあるんです。人と話すのへたくそだし、ひたすらプログラミングしてるほうが性に合ってるんです。でも、スキルアップが無駄とか、決めつけられてさ、なんで、地方出身って馬鹿にするんだよ、関係ないだろって……、あー、仕事、行きたくない、おじやが食べたい」
頭が働かなくなってきた。支離滅裂な愚痴を言っている自覚はあった。
「すいません、生きててすいません……」
テーブルに突っ伏すと、目を閉じる。眠たくなってきた。
「おじや、絶対食べる、でも、眠い……」
つぶやくと、ブッと成瀬さんが吹き出して、鍋の蓋を開けた。白い湯気の塊が、一気に放出されるのを眺めながら、「成瀬さん」と呼んだ。
「何」
「俺のこと、好きですか?」
「……別に、嫌いじゃない、けど」
「そういうことを訊いてるんじゃなくて、セックスしませんか?」
「え?」
「俺のこと、本当に好きならいいなあ」
目を開けようとするものの、まぶたは重かった。まどろんでいると、体が宙に浮いた。抱きかかえられている。なんとか薄目を開けると、成瀬さんの顔がある。
「アンドロイドだから……、強くて……たくましい」
「あんた、酔っても可愛いんだな」
「んー? ふふん、そう? 酔ってもって、俺、酔わなくても可愛い?」
「可愛い」
背中に、柔らかい羽毛の感触。ベッドが、ギシ、と鳴る音。
ハッと目を開けた。
成瀬さんが、俺の上に乗って、見下ろしていた。
「可愛いんだよ、あんたは。ずっと、好きだった。七年、ずっと、あんたに触りたくて耐えてきた。なんとか近づきたくて、でも全然上手くいかなくて、テレビ、うるさくもないのにうるさいとか、ただ、顔が見たかっただけで、話したかっただけで、……ごめん」
「え……?」
唇を、塞がれた。柔らかくて、湿っていて、熱い。ぬる、と何かが入ってきた。
舌だ。
ぬるぬると動くそれは、俺の口の中を好き勝手に這いずり回っていた。
気持ちよかった。気持ちよすぎて、俺は必死ですがりついていた。
「気持ちいい、何これ」
「まさか、したことないとか」
「キス、初めて、なんです」
あえぐように言うと、成瀬さんがごく、と唾を飲み込んだ。
「いいのかよ?」
「何が?」
「さっき、セックスしませんかって。あんたが言ったんだからな。今さら嘘とか冗談とかは」
「したいです、セックス。でも俺、童貞なんです」
「知ってるよ」
「え、なんで? どうして?」
成瀬さんは返事をしない。俺の股間はパンパンに膨らんで、上に乗られているのに腰が勝手に揺れる始末だ。
成瀬さんが、服を脱ぐ。恥ずかしげもなく全裸になり、ペニスを勃起させた状態で、俺の服をむしり取った。
生まれたままの姿で体を重ねると、もうそれだけで、イッてしまいそうだった。
「舐めてもいい?」
成瀬さんがハアハアしながら訊いた。
「どこを?」
「首とか、胸とか、それと、これ」
手のひらが、俺のペニスをわしづかみにした。
「あっ、あっ、ダメ、触ったら、んっ……、あっ」
ビクッと身体が震え、全身に愉悦が広がった。
免疫がなさすぎて、「人に触られた」というただそれだけの事実で、達してしまったらしい。
「恥ずかしい……、もう出ちゃった……。でも、俺、童貞だし……、三十路過ぎたのに、童貞で、すいません、本当に」
顔を覆って懺悔していると、成瀬さんが俺の体を力強く抱きしめてきた。
「ダメだ。めちゃくちゃにしたい。好きだ、好きなんだ」
「めちゃくちゃに、されたい。してください、お願いします」
初心者のくせに、すごいことを言ってしまったが、後悔はなかった。
俺は、めちゃくちゃにされたい。
息を荒げた彼が、体を舐めたり吸ったり噛んだりするたびに声が出て、腰が跳ねて、気持ちよくて、泣けてきた。
泣きながら、彼の体に自分の体をこすりつけ、ペニスとペニスを手中でこねて、腰を振る。お互いの先端から溢れ出る白濁液が手を濡らす。
見つめ合い、キスをして、抱き合った。
快感のせいか、酒のせいか。全部がわからなくなってきて、とにかくすごい衝撃が、体の芯を突き抜けていったのだけは確かだ。
翌日の朝、冷えた鍋を見て、おじやを食べ損なったと気がついた。
もっと散らかっているかと思ったが、意外と綺麗好きなのか、掃除は行き届いている感じだ。本棚にやたらと漫画や本が揃っていて、横幅のあるデスクにパソコンが二台置かれている。ハイバックの座り心地のよさそうなオフィスチェアを見ると、もしかしたら在宅勤務なのかもしれない。
「酒、飲めるほう?」
ローテーブルの中央に、鍋がセッティングされている。向かい合う成瀬さんが、湯気の奥から訊いた。
「好きですけど、そんなに強くないです」
「よし」
「え? よし?」
「日本酒飲める? 熱燗? 冷や?」
「じゃあ冷やで」
「辛口ですっきりして飲みやすいからおすすめ」
お猪口《ちょこ》に日本酒を注いでもらうと、目線の高さに掲げてから、頭を下げた。
「いただきます」
「はい」
酒に口をつける俺を、黙って見ている。仕込んでおいた毒が効くかどうか、観察しているようにも見えたが、手酌でついだ酒を淡々と傾ける彼を見て、安堵の息をつく。
こういうとき、妖精がいたら便利ではあるが、奴は留守番をすると言って、ついてこなかった。どうしてか訊くと「お前があいつとセックスをするからだ」と答えた。妖精は、人のセックスを見ると死ぬ、繊細で可憐な生き物なのだ、と滔々と語った。もうどこからつっこめばいいかわからないが、面倒だったので置いてきた。
たとえば子育てに疲れた母親が、子どもを置いて羽を伸ばすとき、こんな心境だろうか。
身が軽い気がする。
「なんか適当に、よそって食えよ」
「あ、はい、いただきます」
鍋の中を覗き込む。豚肉やネギ、白菜に椎茸などの定番の具材に紛れて、牡蠣や白子《しらこ》が見えた。
「すごい、だだみ入ってる」
「だだみ?」
「あ、これ、白子。実家でだだみって呼んでて。脳みそみたいですよね」
「脳みそな、わかる。だだみって方言? 実家どこ?」
「北のほうです」
「ざっくりしてんな」
「成瀬さん、そんな見た目なのに、料理できるって意外です」
お玉で白子と白菜を掬い上げながら、褒めてみた。
「これパウチの鍋の素だし、具入れて煮るだけ。あんたは料理できなそう」
「一応、みりんは常備してますよ」
「なんの自慢だよ」
昨日までまともに会話をしたことがなかった隣人と、和気あいあいと、鍋をつついている。
奇妙だが、なんだか楽しかった。
いつの間にか、彼に対する苦手意識も消えていた。喋ってみるといい奴だし、予想外に話が合う。
酒を飲み、鍋をつまみ、とりとめのない話を続けていると、気分がよくなってきた。
鍋を完食すると、思わず歓声を上げて手を叩く。
「お腹いっぱい。こんなに食べて飲んだの久しぶりだなあ」
「まだまだ、締めが残ってんぞ」
具がなくなった鍋にご飯が投入された。溶き卵を回し入れ、土鍋の蓋をして、火を切る。これは、おじやだ。満腹なはずなのに、最後に取り合いになるやつだ。
もう何か、よくわからないが嬉しくなって、拍手が止まらなくなった。
「プリン体《たい》の塊、通称、痛風鍋じゃないですか!」
「何それ?」
「あー……、説明がめんどい。Siriに訊いてください」
「俺、アンドロイド」
「成瀬さんってアンドロイドだったんですね。どおりでなんか、血が通ってない感じ、あるある」
ヒッヒッヒ、と笑って頬杖をつく。引き笑いが止まらない俺を、成瀬さんが呆れた顔で見ている。
「ほら、その冷たい目」
「悪かったな。殺し屋みたいな目で」
「俺は好きですよ。成瀬さんみたいな顔、好きです。好きっていうか、なりたい顔。そんな顔なら女の子にモテただろうな」
成瀬さんが俺から目を逸らし、酒を素早く呷る。口の端から酒が零れまくっているが、あえて気づかないふりをした。
今、訊いたらどうなるだろう。
あなたは、俺が好きですか?
「毎日忙しそうだけど、あんた仕事何してんの?」
口を拭いながら、俺のお猪口に酒を継ぎ足して、成瀬さんが訊いた。
「プログラマーです」
「へえ」
「SEにステップアップしたいんですけど、お前はコミュニケーション能力もマネジメント能力もないから無理だとか、上司が言うんですよ。ごもっともです。自覚はあるんです。人と話すのへたくそだし、ひたすらプログラミングしてるほうが性に合ってるんです。でも、スキルアップが無駄とか、決めつけられてさ、なんで、地方出身って馬鹿にするんだよ、関係ないだろって……、あー、仕事、行きたくない、おじやが食べたい」
頭が働かなくなってきた。支離滅裂な愚痴を言っている自覚はあった。
「すいません、生きててすいません……」
テーブルに突っ伏すと、目を閉じる。眠たくなってきた。
「おじや、絶対食べる、でも、眠い……」
つぶやくと、ブッと成瀬さんが吹き出して、鍋の蓋を開けた。白い湯気の塊が、一気に放出されるのを眺めながら、「成瀬さん」と呼んだ。
「何」
「俺のこと、好きですか?」
「……別に、嫌いじゃない、けど」
「そういうことを訊いてるんじゃなくて、セックスしませんか?」
「え?」
「俺のこと、本当に好きならいいなあ」
目を開けようとするものの、まぶたは重かった。まどろんでいると、体が宙に浮いた。抱きかかえられている。なんとか薄目を開けると、成瀬さんの顔がある。
「アンドロイドだから……、強くて……たくましい」
「あんた、酔っても可愛いんだな」
「んー? ふふん、そう? 酔ってもって、俺、酔わなくても可愛い?」
「可愛い」
背中に、柔らかい羽毛の感触。ベッドが、ギシ、と鳴る音。
ハッと目を開けた。
成瀬さんが、俺の上に乗って、見下ろしていた。
「可愛いんだよ、あんたは。ずっと、好きだった。七年、ずっと、あんたに触りたくて耐えてきた。なんとか近づきたくて、でも全然上手くいかなくて、テレビ、うるさくもないのにうるさいとか、ただ、顔が見たかっただけで、話したかっただけで、……ごめん」
「え……?」
唇を、塞がれた。柔らかくて、湿っていて、熱い。ぬる、と何かが入ってきた。
舌だ。
ぬるぬると動くそれは、俺の口の中を好き勝手に這いずり回っていた。
気持ちよかった。気持ちよすぎて、俺は必死ですがりついていた。
「気持ちいい、何これ」
「まさか、したことないとか」
「キス、初めて、なんです」
あえぐように言うと、成瀬さんがごく、と唾を飲み込んだ。
「いいのかよ?」
「何が?」
「さっき、セックスしませんかって。あんたが言ったんだからな。今さら嘘とか冗談とかは」
「したいです、セックス。でも俺、童貞なんです」
「知ってるよ」
「え、なんで? どうして?」
成瀬さんは返事をしない。俺の股間はパンパンに膨らんで、上に乗られているのに腰が勝手に揺れる始末だ。
成瀬さんが、服を脱ぐ。恥ずかしげもなく全裸になり、ペニスを勃起させた状態で、俺の服をむしり取った。
生まれたままの姿で体を重ねると、もうそれだけで、イッてしまいそうだった。
「舐めてもいい?」
成瀬さんがハアハアしながら訊いた。
「どこを?」
「首とか、胸とか、それと、これ」
手のひらが、俺のペニスをわしづかみにした。
「あっ、あっ、ダメ、触ったら、んっ……、あっ」
ビクッと身体が震え、全身に愉悦が広がった。
免疫がなさすぎて、「人に触られた」というただそれだけの事実で、達してしまったらしい。
「恥ずかしい……、もう出ちゃった……。でも、俺、童貞だし……、三十路過ぎたのに、童貞で、すいません、本当に」
顔を覆って懺悔していると、成瀬さんが俺の体を力強く抱きしめてきた。
「ダメだ。めちゃくちゃにしたい。好きだ、好きなんだ」
「めちゃくちゃに、されたい。してください、お願いします」
初心者のくせに、すごいことを言ってしまったが、後悔はなかった。
俺は、めちゃくちゃにされたい。
息を荒げた彼が、体を舐めたり吸ったり噛んだりするたびに声が出て、腰が跳ねて、気持ちよくて、泣けてきた。
泣きながら、彼の体に自分の体をこすりつけ、ペニスとペニスを手中でこねて、腰を振る。お互いの先端から溢れ出る白濁液が手を濡らす。
見つめ合い、キスをして、抱き合った。
快感のせいか、酒のせいか。全部がわからなくなってきて、とにかくすごい衝撃が、体の芯を突き抜けていったのだけは確かだ。
翌日の朝、冷えた鍋を見て、おじやを食べ損なったと気がついた。
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