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I'm home
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※「明ける」を先にお読みください。
私には、いとこが五人いる。
父の弟の子が三人、母の姉の子が二人の内訳だ。
特に仲がいいのは、父方の三人のほうだった。自転車で五分ほどの近所に住んでいて、子どもの頃によく遊んだ。家族ぐるみでキャンプをしたり、私と兄といとこたちの子どもだけでプールに行ったり、夏休みにうちでお泊り会もした。歳も近く、気も合った。
あんなに頻繁に交流したのに、大人になった今では正月に顔を合わせる程度になった。
やんちゃな五月と、物静かな六花と、真面目な七世の三人姉弟。
私は五月と六花を姉妹のように慕い、三つ下の七世のことは、弟のように可愛がっていた。
泣き虫だった七世は、バスケを始めるとどんどん背が伸びてカッコよくなっていった。
彼女は? と訊くといないと答え、モテるでしょ? と訊くと首をかしげた。典型的なスポーツ馬鹿だ。
恋愛には興味がなさそうな七世に変化があったのは、高校二年の正月だった。
クソ真面目で行儀のいい七世が、食事の席でスマホを触っていたのだ。五月も六花もテーブルのごちそうを撮影しているが、七世は違った。新年おめでとうの乾杯を交わしたあとも、料理に手をつけない。テーブルの下でスマホを見ていた。深刻そうな顔だった。
「何見てるの?」
画面を覗き込もうとすると、七世が唐突に席を立った。
「ちょっと、失礼します」
せかせかと、部屋を飛び出していった。チラッと見えたのは、誰かとのメールのやり取りだった。もしや、と顔がにやけてしまう。
「あの子、もしかして彼女できた?」
対面でローストビーフを一気に何枚も頬張る五月が、「彼女っていうかー」とつまらなそうな顔で言った。そこから先は、続かなかった。
「ていうか?」
なんなのだ。六花に「何?」と訊ねると、にっこりと微笑まれた。
私は素早く立ち上がり、静かにふすまを開けて縁側を覗いた。
突き当りに長身が立っている。ガラス戸の結露を手のひらで拭いながら、何か喋っている。
「加賀さんがモテるのは諦めてます。でも、なんていうか、もやもやして、心配で」
彼女じゃん、とツッコミを入れそうになった。しかも、相手を「さん付け」で呼んでいて、敬語だ。ということは、年上か。
「会いたくて、泣きそう」
七世が言った。表情は、ここからはわからない。
声が出そうになるのを、口を塞いで堪えた。ニヤニヤが止まらない。あの七世が、少女漫画みたいなことになっている。笑いを飲み込んでいると、背中に重みがあった。振り仰ぐ。六花が私の頭の上から縁側を覗いていた。
「加賀さん、大好き」
七世の声が聞こえる。ファー、と六花が小さく異音を発した。違和感があった。六花のこの顔、この反応は。
「あれ、七世は? せっかくの揚げたてエビフライが冷めちゃうよ」
大皿を抱えた三穂さんが、スーッと息を吸った。
「七世ー、食べるよーっ!」
家のどこにいても聞こえそうな大声で、七世を呼んだ。夫の実家であろうとも、猫を被らず素になれる三穂さんが、私は大好きだった。
席に戻った七世は正座をして箸を持ち、「いただきます」と頭を下げた。
私はポテトサラダを皿に盛りながら、チラ、と七世を見た。顔が、恋する乙女だった。耐えきれずに「カハッ」と咳き込むと、七世が私を見た。
「わこちゃん、大丈夫?」
私の名前は十和子《とわこ》だ。七世は昔から私を「わこちゃん」と呼ぶ。まだほとんど喋れない、二歳か三歳のときが起源だ。たどたどしく「わこちゃ」と呼んでいたのが、「わこちゃん」になり、「とわこちゃん」にはならずに進化は止まった。以来ずっと「わこちゃん」だ。
「うん、面白くって」
「何が?」
「ねえねえ、加賀さんってどんな人?」
ひそひそと訊いた。七世が目を大きく見開いて、六花を見た。
「私は何も喋ってないよ」
「電話してるの聞いちゃって。水臭いじゃん、言ってよね」
七世が部屋の中を見回した。
祖父と父と英二叔父さんは、一升瓶のラベルを眺めながら、辛口がどうとかキレがどうだとか品評会を始めている。祖母はニコニコ笑ってそれを見ていて、母と三穂さんが楽しそうに揚げ物を運んでいて、それはすごい勢いで、兄と五月の胃袋の中に消えていく。
「付き合ってる人はいるんだけど、でも、あの、なんていうか」
「男の人だよね」
声を潜めて訊ねると、七世が「えっ」と飛び上がり、再び六花を見た。
「濡れ衣。何も言ってないってば」
「六花の反応でわかったんだよ」
「ごめん、私が犯人だ……」
六花が顔を覆う。腐女子とは、とても素直な人々だと思う。
「いいけど、わこちゃんだし」
七世が息をついた。私は信用されているらしい。
「写真見せてよ。どんな人?」
そのときに見た「加賀さん」の実物に会うのは、それから六年後のことだった。
五月の結婚式に、親族として彼が出席したのだ。
「初めまして」
爽やかな笑顔で会釈する様は、さながら王子だった。えぐいほどに整った顔面だなと感心した。細身で、姿勢が良く、サラサラな黒髪が美しい。
容姿の良さが際立つものの、それがなくてもおそらく心証は変わらなかっただろう。親戚一同の場に放り込まれたというのに、誰に話しかけられてもにこやかに対応し、一切たじろがなかった。堂々としている姿がカッコよかった。
兄は彼を見て、「なるほど」と言った。
当初兄は、七世が男と付き合っていることに懐疑的だった。七世はゲイじゃないとごねたし、悪い大人に騙されてるんじゃないかとやたら心配していた。
でも、リアルで彼を見た瞬間、兄は納得した。彼は倉知家に、見事に溶け込んでいた。
七世が連れてきた人なら、きっといい人なのだろう。
兄を含め、みんなその結論に至った。
今思うと五月の披露宴は、親戚へのお披露目に最適な場だった。
あの場にいた誰もが、加賀さんに一目を置いたのではないだろうか。いろいろと、すごかった。少なくとも私は感動したし、いつか本人にそれを伝えたいと思っていた。
今日、やっと叶う。
毎年一月二日は叔父一家が訪ねてくる。二年ぶりだ。去年は彼らのハワイ旅行もあって、新年会は我が家のみで行った。静かな年始を迎え、来年も彼らは来ないかもしれないと覚悟した。おそらくこんなふうに、親戚の付き合いは自然と途切れていくものなのだ。
勝手に決めつけ、たそがれてみたが、私の予想は外れた。今年は挽回するかのように、ついに、加賀さんを連れてきてくれたのだ。
私は、いや、私たちは、舞い上がっていた。
特に祖父だ。
加賀さんをそばに置いて、独占した。上機嫌で酒を酌み交わしている。
五月夫婦がいれば、祖父の興味も分散されただろう。でも二人は夫の実家に顔を出していて、遅れてやってくる。
祖父は加賀さんを下の名前で「定光君」と呼びたがった。客間と居間の間のふすまを全開にしてあるので、祖父が「定光くぅん」と嬉しそうに連呼する声が筒抜けだった。胸焼けがしそうだ。
「すんごい気に入られてるね」
六花がルマンドを頬張りながら言った。私は客間を覗いてため息をつく。
「なんか申し訳ない。大丈夫かな」
私は六花と二人で、居間のこたつでひたすらお菓子を食べていた。
祖母と母と三穂さんは料理を作っているが、私たちが手伝わないのは人手が足りているからであって、決して楽をしているわけではない。
客間には、男性陣が集結している。加賀さんを上座に座らせて、祖父と父と英二叔父さんと兄が取り囲んでいる。七世は加賀さんのとなりで、ボディガード然として正座している。
「酔っ払いの相手にうんざりして、もう二度と来てくれないかも……」
「加賀さんだから大丈夫。あれは楽しんでる顔。私なら旦那の実家でじいさんと酒飲むなんて絶対無理だけどね」
「私も」
開封前のルマンドをコツンとぶつけ合ってから、私は「ん?」と眉間にしわを寄せた。
「ん? 何?」
六花が訊き返す。
「もしかしてそろそろ結婚?」
「誰が?」
とぼける六花の顔に、ルマンドの先を向けた。
「なんで?」
「だってなんか、今の、旦那って言い方が実感こもってるっていうか」
上手く言えないが、直感的にそう思った。
「五月の結婚式に来てた彼だよね?」
「うん、多分来年連れてくるよ」
六花が急にあっさりと認めた。私は一度深呼吸をしてから口を開く。
「おめでとう」
「ありがとう」
冷静なやり取りのあとで、腹の奥でじわじわと興奮が沸き起こってきた。
「おめでとう」
もう一度言って、六花に抱きついた。六花は私の背中をポンポンして「ふふ、うん」とクールに返事をする。体を離して、私は「あーあ」とぼやく。
「みんな次々結婚しちゃうなあ。私も結婚したーい」
「全然心がこもってない」
六花が苦笑する。
私と六花はどことなく感性というか価値観が似通っていた。二人とも結婚願望がなく、恋愛への興味が薄かった。代わりに五月は男が大好きで、一時期は男受けのする格好でふわふわ女子を演じていた。あるとき突然我に返り、本来の姿に戻ったが、原因はなんだったのか怖くて聞けずじまいだ。
「ご飯前にこんなにお菓子食べて」
母親の小言みたいな科白が降ってきた。七世だった。
「あれ、おじいちゃん解放してくれたんだ」
六花が訊いた。
「酔っぱらって寝ちゃった」
客間を見ると、祖父が机に突っ伏していた。普段からそんなに酒を飲む人ではないし、強くもない。年末年始はなぜか張り切って、酒豪のフリをしたがるのだ。
「酔っ払いのウザがらみ、すみませんでした」
七世と加賀さんが並んでこたつに潜り込むと、私はテーブルにおでこがつく勢いで謝罪した。彼は「いえいえ」と爽やかに笑った。
「楽しかったですよ。おじいさん、めっちゃ面白いね」
「えー、加賀さん優しい」
お世辞かもしれないが、お世辞っぽさが一切ない。本当に楽しかったのかもしれない。なんだか清々しい前向きなオーラを感じる。顔も性格もいいなんて、奇跡だ。
それにしても、本当に顔がいい。
ずっと見ていられる。加賀さんの顔を見続ける耐久レースがあったら、私は結構上位に食い込む自信がある。優勝は、もちろん七世だ。隙あらばとなりの加賀さんを見ている。その目は優しくて、いとしげで、見ているこっちは少し照れくさかった。
前に座った二人が、私たちの食べ散らかしたお菓子の包み紙を、仲良くせっせと集めている。ただ並んで座っているだけで、好きという感情がだだ漏れになっている。可愛いなあと思った。
「あ」
頬杖をついたまま、私は声を漏らした。
「ほのぼのしてる場合じゃない」
何事だ、とみんなの視線が集中する。頬杖をやめて、背筋を伸ばし、んんっと咳払いをした。
「私、加賀さんにずっと言いたかったことがあって」
「うん、何かな」
「あのときの歌声が忘れられないんです」
一瞬の間ののち、加賀さんが「はいはい」と気がついた。
「五月ちゃんの結婚式?」
「はい、もう、本当に感動して、衝撃だったんです、ほんとに、あの、歌で泣いたの初めてで、とにかくこの感動をずっと伝えたくて、あれから二年、二年も経ってないか、約一年半? やっとゆっくりお話しできて嬉しいです」
一気にまくしたてる私を不気味がることもなく、優しい微笑みで返してくれた。
「そんなに? ありがとう」
加賀さんのとなりで、自分のことのようにドヤ顔をする七世が面白い。
「あの動画あるよ」
お菓子の山を物色していた六花が言った。
「うわ、やめて」
「嘘、観たい」
加賀さんと私の声が重なった。思わず無言で彼を拝むと、どうぞと笑って快諾してくれた。
六花のスマホにかじりつく、私と七世。
私は泣いていた。号泣する新郎新婦につられた、というよりも、やはり感動の涙だった。
「私の結婚式でも歌ってもらおう」
鼻をすすってそう言うと、加賀さんと七世が「おっ」という目で私を見る。
「よーし、結婚したくなってきたぞー」
「なんでそんなに棒読み?」
「はは、したくなさそう」
七世と加賀さんが的確なツッコミを入れる。
いとこたちが結婚していくのを見ていると、幸せそうで何よりとは思うものの、羨ましいとか、焦りのようなものは一切感じなかった。
まあそのうち、いいなと思う人が現れたら考えよう。
私は私のペースでやる。
やがてごちそうが完成すると、見計らったかのように五月夫婦が到着した。五月の夫は、テンションの高い人だった。五月が二人いるみたいに騒がしい。
騒々しさで目を覚ました祖父は、寝ぼけまなこで乾杯の音頭を取ると、客間に集結したみんなの様子を無言でニコニコと見守っていた。
大人になったみんなの成長ぶりが、嬉しい。
そんな顔だった。
祖父と目が合うと、親指を立ててきた。同じ仕草を返すと、祖父が満足そうに笑った。
私は東京で就職し、現在一人暮らしをしている。あまり頻繁に帰らない私に、祖父は「俺が生きてるうちは、年に一回は必ず顔を見せにきてくれ」と言った。
実は帰省が面倒だとバレている。
でも、帰ってくると、来てよかったと素直に思える。
わかっている。みんなが好きで、大切だ。
ここが私の帰る場所。
〈おわり〉
私には、いとこが五人いる。
父の弟の子が三人、母の姉の子が二人の内訳だ。
特に仲がいいのは、父方の三人のほうだった。自転車で五分ほどの近所に住んでいて、子どもの頃によく遊んだ。家族ぐるみでキャンプをしたり、私と兄といとこたちの子どもだけでプールに行ったり、夏休みにうちでお泊り会もした。歳も近く、気も合った。
あんなに頻繁に交流したのに、大人になった今では正月に顔を合わせる程度になった。
やんちゃな五月と、物静かな六花と、真面目な七世の三人姉弟。
私は五月と六花を姉妹のように慕い、三つ下の七世のことは、弟のように可愛がっていた。
泣き虫だった七世は、バスケを始めるとどんどん背が伸びてカッコよくなっていった。
彼女は? と訊くといないと答え、モテるでしょ? と訊くと首をかしげた。典型的なスポーツ馬鹿だ。
恋愛には興味がなさそうな七世に変化があったのは、高校二年の正月だった。
クソ真面目で行儀のいい七世が、食事の席でスマホを触っていたのだ。五月も六花もテーブルのごちそうを撮影しているが、七世は違った。新年おめでとうの乾杯を交わしたあとも、料理に手をつけない。テーブルの下でスマホを見ていた。深刻そうな顔だった。
「何見てるの?」
画面を覗き込もうとすると、七世が唐突に席を立った。
「ちょっと、失礼します」
せかせかと、部屋を飛び出していった。チラッと見えたのは、誰かとのメールのやり取りだった。もしや、と顔がにやけてしまう。
「あの子、もしかして彼女できた?」
対面でローストビーフを一気に何枚も頬張る五月が、「彼女っていうかー」とつまらなそうな顔で言った。そこから先は、続かなかった。
「ていうか?」
なんなのだ。六花に「何?」と訊ねると、にっこりと微笑まれた。
私は素早く立ち上がり、静かにふすまを開けて縁側を覗いた。
突き当りに長身が立っている。ガラス戸の結露を手のひらで拭いながら、何か喋っている。
「加賀さんがモテるのは諦めてます。でも、なんていうか、もやもやして、心配で」
彼女じゃん、とツッコミを入れそうになった。しかも、相手を「さん付け」で呼んでいて、敬語だ。ということは、年上か。
「会いたくて、泣きそう」
七世が言った。表情は、ここからはわからない。
声が出そうになるのを、口を塞いで堪えた。ニヤニヤが止まらない。あの七世が、少女漫画みたいなことになっている。笑いを飲み込んでいると、背中に重みがあった。振り仰ぐ。六花が私の頭の上から縁側を覗いていた。
「加賀さん、大好き」
七世の声が聞こえる。ファー、と六花が小さく異音を発した。違和感があった。六花のこの顔、この反応は。
「あれ、七世は? せっかくの揚げたてエビフライが冷めちゃうよ」
大皿を抱えた三穂さんが、スーッと息を吸った。
「七世ー、食べるよーっ!」
家のどこにいても聞こえそうな大声で、七世を呼んだ。夫の実家であろうとも、猫を被らず素になれる三穂さんが、私は大好きだった。
席に戻った七世は正座をして箸を持ち、「いただきます」と頭を下げた。
私はポテトサラダを皿に盛りながら、チラ、と七世を見た。顔が、恋する乙女だった。耐えきれずに「カハッ」と咳き込むと、七世が私を見た。
「わこちゃん、大丈夫?」
私の名前は十和子《とわこ》だ。七世は昔から私を「わこちゃん」と呼ぶ。まだほとんど喋れない、二歳か三歳のときが起源だ。たどたどしく「わこちゃ」と呼んでいたのが、「わこちゃん」になり、「とわこちゃん」にはならずに進化は止まった。以来ずっと「わこちゃん」だ。
「うん、面白くって」
「何が?」
「ねえねえ、加賀さんってどんな人?」
ひそひそと訊いた。七世が目を大きく見開いて、六花を見た。
「私は何も喋ってないよ」
「電話してるの聞いちゃって。水臭いじゃん、言ってよね」
七世が部屋の中を見回した。
祖父と父と英二叔父さんは、一升瓶のラベルを眺めながら、辛口がどうとかキレがどうだとか品評会を始めている。祖母はニコニコ笑ってそれを見ていて、母と三穂さんが楽しそうに揚げ物を運んでいて、それはすごい勢いで、兄と五月の胃袋の中に消えていく。
「付き合ってる人はいるんだけど、でも、あの、なんていうか」
「男の人だよね」
声を潜めて訊ねると、七世が「えっ」と飛び上がり、再び六花を見た。
「濡れ衣。何も言ってないってば」
「六花の反応でわかったんだよ」
「ごめん、私が犯人だ……」
六花が顔を覆う。腐女子とは、とても素直な人々だと思う。
「いいけど、わこちゃんだし」
七世が息をついた。私は信用されているらしい。
「写真見せてよ。どんな人?」
そのときに見た「加賀さん」の実物に会うのは、それから六年後のことだった。
五月の結婚式に、親族として彼が出席したのだ。
「初めまして」
爽やかな笑顔で会釈する様は、さながら王子だった。えぐいほどに整った顔面だなと感心した。細身で、姿勢が良く、サラサラな黒髪が美しい。
容姿の良さが際立つものの、それがなくてもおそらく心証は変わらなかっただろう。親戚一同の場に放り込まれたというのに、誰に話しかけられてもにこやかに対応し、一切たじろがなかった。堂々としている姿がカッコよかった。
兄は彼を見て、「なるほど」と言った。
当初兄は、七世が男と付き合っていることに懐疑的だった。七世はゲイじゃないとごねたし、悪い大人に騙されてるんじゃないかとやたら心配していた。
でも、リアルで彼を見た瞬間、兄は納得した。彼は倉知家に、見事に溶け込んでいた。
七世が連れてきた人なら、きっといい人なのだろう。
兄を含め、みんなその結論に至った。
今思うと五月の披露宴は、親戚へのお披露目に最適な場だった。
あの場にいた誰もが、加賀さんに一目を置いたのではないだろうか。いろいろと、すごかった。少なくとも私は感動したし、いつか本人にそれを伝えたいと思っていた。
今日、やっと叶う。
毎年一月二日は叔父一家が訪ねてくる。二年ぶりだ。去年は彼らのハワイ旅行もあって、新年会は我が家のみで行った。静かな年始を迎え、来年も彼らは来ないかもしれないと覚悟した。おそらくこんなふうに、親戚の付き合いは自然と途切れていくものなのだ。
勝手に決めつけ、たそがれてみたが、私の予想は外れた。今年は挽回するかのように、ついに、加賀さんを連れてきてくれたのだ。
私は、いや、私たちは、舞い上がっていた。
特に祖父だ。
加賀さんをそばに置いて、独占した。上機嫌で酒を酌み交わしている。
五月夫婦がいれば、祖父の興味も分散されただろう。でも二人は夫の実家に顔を出していて、遅れてやってくる。
祖父は加賀さんを下の名前で「定光君」と呼びたがった。客間と居間の間のふすまを全開にしてあるので、祖父が「定光くぅん」と嬉しそうに連呼する声が筒抜けだった。胸焼けがしそうだ。
「すんごい気に入られてるね」
六花がルマンドを頬張りながら言った。私は客間を覗いてため息をつく。
「なんか申し訳ない。大丈夫かな」
私は六花と二人で、居間のこたつでひたすらお菓子を食べていた。
祖母と母と三穂さんは料理を作っているが、私たちが手伝わないのは人手が足りているからであって、決して楽をしているわけではない。
客間には、男性陣が集結している。加賀さんを上座に座らせて、祖父と父と英二叔父さんと兄が取り囲んでいる。七世は加賀さんのとなりで、ボディガード然として正座している。
「酔っ払いの相手にうんざりして、もう二度と来てくれないかも……」
「加賀さんだから大丈夫。あれは楽しんでる顔。私なら旦那の実家でじいさんと酒飲むなんて絶対無理だけどね」
「私も」
開封前のルマンドをコツンとぶつけ合ってから、私は「ん?」と眉間にしわを寄せた。
「ん? 何?」
六花が訊き返す。
「もしかしてそろそろ結婚?」
「誰が?」
とぼける六花の顔に、ルマンドの先を向けた。
「なんで?」
「だってなんか、今の、旦那って言い方が実感こもってるっていうか」
上手く言えないが、直感的にそう思った。
「五月の結婚式に来てた彼だよね?」
「うん、多分来年連れてくるよ」
六花が急にあっさりと認めた。私は一度深呼吸をしてから口を開く。
「おめでとう」
「ありがとう」
冷静なやり取りのあとで、腹の奥でじわじわと興奮が沸き起こってきた。
「おめでとう」
もう一度言って、六花に抱きついた。六花は私の背中をポンポンして「ふふ、うん」とクールに返事をする。体を離して、私は「あーあ」とぼやく。
「みんな次々結婚しちゃうなあ。私も結婚したーい」
「全然心がこもってない」
六花が苦笑する。
私と六花はどことなく感性というか価値観が似通っていた。二人とも結婚願望がなく、恋愛への興味が薄かった。代わりに五月は男が大好きで、一時期は男受けのする格好でふわふわ女子を演じていた。あるとき突然我に返り、本来の姿に戻ったが、原因はなんだったのか怖くて聞けずじまいだ。
「ご飯前にこんなにお菓子食べて」
母親の小言みたいな科白が降ってきた。七世だった。
「あれ、おじいちゃん解放してくれたんだ」
六花が訊いた。
「酔っぱらって寝ちゃった」
客間を見ると、祖父が机に突っ伏していた。普段からそんなに酒を飲む人ではないし、強くもない。年末年始はなぜか張り切って、酒豪のフリをしたがるのだ。
「酔っ払いのウザがらみ、すみませんでした」
七世と加賀さんが並んでこたつに潜り込むと、私はテーブルにおでこがつく勢いで謝罪した。彼は「いえいえ」と爽やかに笑った。
「楽しかったですよ。おじいさん、めっちゃ面白いね」
「えー、加賀さん優しい」
お世辞かもしれないが、お世辞っぽさが一切ない。本当に楽しかったのかもしれない。なんだか清々しい前向きなオーラを感じる。顔も性格もいいなんて、奇跡だ。
それにしても、本当に顔がいい。
ずっと見ていられる。加賀さんの顔を見続ける耐久レースがあったら、私は結構上位に食い込む自信がある。優勝は、もちろん七世だ。隙あらばとなりの加賀さんを見ている。その目は優しくて、いとしげで、見ているこっちは少し照れくさかった。
前に座った二人が、私たちの食べ散らかしたお菓子の包み紙を、仲良くせっせと集めている。ただ並んで座っているだけで、好きという感情がだだ漏れになっている。可愛いなあと思った。
「あ」
頬杖をついたまま、私は声を漏らした。
「ほのぼのしてる場合じゃない」
何事だ、とみんなの視線が集中する。頬杖をやめて、背筋を伸ばし、んんっと咳払いをした。
「私、加賀さんにずっと言いたかったことがあって」
「うん、何かな」
「あのときの歌声が忘れられないんです」
一瞬の間ののち、加賀さんが「はいはい」と気がついた。
「五月ちゃんの結婚式?」
「はい、もう、本当に感動して、衝撃だったんです、ほんとに、あの、歌で泣いたの初めてで、とにかくこの感動をずっと伝えたくて、あれから二年、二年も経ってないか、約一年半? やっとゆっくりお話しできて嬉しいです」
一気にまくしたてる私を不気味がることもなく、優しい微笑みで返してくれた。
「そんなに? ありがとう」
加賀さんのとなりで、自分のことのようにドヤ顔をする七世が面白い。
「あの動画あるよ」
お菓子の山を物色していた六花が言った。
「うわ、やめて」
「嘘、観たい」
加賀さんと私の声が重なった。思わず無言で彼を拝むと、どうぞと笑って快諾してくれた。
六花のスマホにかじりつく、私と七世。
私は泣いていた。号泣する新郎新婦につられた、というよりも、やはり感動の涙だった。
「私の結婚式でも歌ってもらおう」
鼻をすすってそう言うと、加賀さんと七世が「おっ」という目で私を見る。
「よーし、結婚したくなってきたぞー」
「なんでそんなに棒読み?」
「はは、したくなさそう」
七世と加賀さんが的確なツッコミを入れる。
いとこたちが結婚していくのを見ていると、幸せそうで何よりとは思うものの、羨ましいとか、焦りのようなものは一切感じなかった。
まあそのうち、いいなと思う人が現れたら考えよう。
私は私のペースでやる。
やがてごちそうが完成すると、見計らったかのように五月夫婦が到着した。五月の夫は、テンションの高い人だった。五月が二人いるみたいに騒がしい。
騒々しさで目を覚ました祖父は、寝ぼけまなこで乾杯の音頭を取ると、客間に集結したみんなの様子を無言でニコニコと見守っていた。
大人になったみんなの成長ぶりが、嬉しい。
そんな顔だった。
祖父と目が合うと、親指を立ててきた。同じ仕草を返すと、祖父が満足そうに笑った。
私は東京で就職し、現在一人暮らしをしている。あまり頻繁に帰らない私に、祖父は「俺が生きてるうちは、年に一回は必ず顔を見せにきてくれ」と言った。
実は帰省が面倒だとバレている。
でも、帰ってくると、来てよかったと素直に思える。
わかっている。みんなが好きで、大切だ。
ここが私の帰る場所。
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大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
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