引きこもりの受難

小桃沢ももみ

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48 弟でパパですか?

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 「そういえば、俺、自転車買ったんだ」
 
 幼いリンちゃんも居るし、早めに夕食にしようと、少し日が落ちた位で始まった庭先でのBBQ。
 日中あんなに暑かったのが嘘みたいに涼しくなって過ごし易い。虫の声がいいBGMだが、蚊が多いのが難点。なので、蚊取り線香を焚いて、リンちゃんには康子ちゃんが赤ん坊用の虫除けを一生懸命塗っている最中だ。大人しくしていられずに手足をバタバタさせるリンちゃんに対して、塗り方がどこかぎこちなくなってしまうのが、やっぱ新米ママさんだなと微笑ましい。
 今日一日遊んだ子供用プールは行介の手によって空気を抜かれ、洗った後ブルーシートと共に軒先に干されている。あんなに膨らますのが大変だったのに無惨な程ぺっちゃんこだ。でもまあ明日は電動で行介がやってくれるだろうから気は楽だ。
 匂いが付きそうだからとタープテントは片付け、その場所に昔平介が日曜大工で作った木製のテーブルを置いた。普段は庭の隅に置かれて雨晒しになっているが、こういう時は引っ張り出されて活躍する。綺麗に拭いて、テーブルクロス代わりに新聞紙を敷いた上に、平介が張り切って用意した肉達が並ぶ。勿論家庭菜園の野菜も。そして当の平介は用意で疲れたと大人しい。
 洋介としては、肉だけじゃなく、魚介類なんかも用意して欲しかった所だが、買い出しで「高い」と平介に却下されてしまったのであまり食が進まない。この年になると魚介類の旨さが身に染みる。肉も好きだが、肉ばかりは飽きるし胃もたれする。
 一方行介は五歳下だけあって、まだ胃袋が若いんだろう。肉ばかりをモリモリと食べている。一人だけ、凄い勢いだ。みんなそれぞれ、何かしながら食べている、ーー平介は火の勢いを調整したり蚊取り線香を確認したりチャップスに餌をやったり、富士子はリンちゃんを抱いている康子ちゃんを気遣い、康子ちゃんはリンちゃんに食べさせ、洋介は肉焼き係ーーなのに、行介一人だけ食べに徹していた。
 こいつ相変わらずだなと呆れつつも、そんなに食べて太らないのか?ときいたら「自転車買った」という返事が返って来た。

 「えー! 自転車ならうちにもあったのに。いらないやつ」

 すかさず富士子が文句を付ける。終活だとここ数年断捨離中なのだ。まあ口だけでさして物は減ってはいないのだが。

 「いや、ママチャリじゃなくって、スポーツタイプの自転車」

 行介がスマホを取り出して、自慢げに写真を見せてくれた。ペパーミントグリーンの洒落たクロスバイクだ。確かに誰も乗らない錆びついたママチャリよりもずっとカッコいいし、早く走れそうだ。

 「高いんですよ」

 康子ちゃんは、リンちゃんをあやしながらなんだか不満そうだ。よっぽど高かったんだろうか。慌てたように行介がとりなす。

 「でも、でも、通勤に使うから」

 行介一家は此処から車で一時間の、県内に住んでいる。会社の近くに家を買ったのだ。今迄は車で通勤していたのを自転車に変えるらしい。自転車だと一時間位掛かるとか。
 因みに購入資金の半分は住宅ローンで、半分は無利子で富士子達から借りている。富士子達に資金を借りているのは何故か洋介には内緒という事になっていて(だが富士子が「内緒よ」と教えてくれたので洋介は知っているが)、遊びに来る度に少しずつ返しているらしくこそこそと富士子に封筒を渡しているのを見かける。
 
 「あら、そうなの? じゃあ車はどうするの?」

 富士子がきくと、「私が乗ってます」と康子ちゃん。

 「リンと、児童館に行くのに使ってます。後、買い物とか」
 「あら、児童館いいわねー。リンちゃん、ママと児童館いいわねー」

 富士子がリンちゃんを構い出す。富士子は初孫にメロメロだ。でも今は単に構い出したんじゃなく、康子ちゃんがずっとリンちゃんに食べさせて自分は殆ど食べていなかったのを見兼ねたようだ。
 リンちゃんを富士子に預け、食べ出した康子ちゃんの為に洋介は肉をのせる。「新しいノンアルコールビールいる?」ときくと頷いたので、冷えたのをクーラーボックスから出して渡しもする。康子ちゃんは酒豪だ。岬家の誰よりもアルコールに強いが、今は授乳中なので飲めない。
 こういう時は便利だなノンアルコールビール。昔はなかったし、出た当時は「ビール会社の人から聞いたんだけど、身体に良くないって言ってたから俺は絶対に飲まない」なんて言ってる友達もいたが、今ではすっかり市民権を得た。当時は、洋介もノンアルコールビールに対してノンアルコールなのにビール?って相反する名称に胡散臭さを感じてたから、「ほんとか?新しい物出ると絶対こういう事言い出す奴いるけど、コイツの仕事柄ビール会社の人と知り合いってのは有り得るし」って半信半疑だったが……。今、そんな事言う奴絶対いないよな。あいつもそんな事言ってたのなんて忘れて便利に飲んでそう。

 「児童館って、絵本とか置いてあるんだっけ?」

 肉を裏返しながら康子ちゃんに尋ねる。
 この辺にはそんなものない。公園すらない。子供の頃は雑木林や空き地が遊び場所だった。行介もそうだ。知識として児童館は知っているけど、利用した事が無いから未知の世界だ。

 「はい。後、紙芝居を貸し出ししてくれたり、可愛いドレスとかも置いてあります」

 子供用の図書館みたいなもんだろうかと想像していたのだが、聞き慣れないワードが出て来て聞き返す。

 「ドレス?」
 「ディズニープリンセスのドレスみたいな。写真スタジオの貸衣装みたいな物です」
 「ああ」
 「児童館にあるのはそんなしっかりした作りじゃなくて、もっと安っぽい物ですけど、小さい子はそれで充分なんで。リンも凄く喜んでました」
 「へえ」

 何だか良く分からない。何でドレスがあるんだろう、そんな物何に使うんだと、児童館のイメージが洋介の中で、迷子になる。

 「後、読み聞かせもしてくれるので、毎日通ってます」

 読み聞かせなら分かる。小さな子供達の前にエプロンを付けた保母さんが座って、絵本を読んでくれる画が脳裏に浮かぶ。大分洋介の持つ児童館のイメージに近付いてきた。でも、本だけだったら本が好きじゃない子供は楽しめないな。

 「おもちゃもあるの?」
 「おもちゃっていうか、遊具ですね。ボールプールがあって、リンのお気に入りです」
 
 ボールプール。またイメージが迷子になりそうだ。
 いや、ボールプール自体は知っている。ビニールの子供用プールみたいなのに水の代わりにスーパーボールみたいなのが沢山入っていて、そこに子供が入って遊ぶ。
 ただ洋介が子供の頃にそんな遊具は無かったのだ。テレビで見た事があるだけで実物を見た事は無い。
 前に見たのはどこか地方の施設を紹介した番組だったか、廃材を使った木製のボールプールを紹介していた。児童館ではなくて、木製のおもちゃを集めた施設だった気がする。木馬とか積み木とかいかにもな中で、ボールプールだけは異彩を放って見えた。「そんなの何が面白いんだ?」と不思議だった。だが、木のボールに埋もれて子供達は喜んでいたし、体験したアナウンサーは「大人でも楽しめます!木の良い匂い!」とはしゃいでいたから、多分リンちゃんも気に入ったんだろう。
 けど、やっぱり未知の世界だ。康子ちゃんに『遊具』って言われたから、一瞬バスケットのゴールとか、雲梯うんていなんかを想像したけど、ボールプールか。

 「ママ、ママ!」

 やっぱり児童館は自分にとって未知の世界だな、と洋介が歳を感じていると、リンちゃんが叫び出した。
 康子ちゃんは食べるのを中断して富士子からリンちゃんを受け取る。

 「落ち着かないわね」

 早々に飽きられて富士子は申し訳なさそうだが、ぐずり出したので康子ちゃんに返すしかない。

 「ええ」

 しかし康子ちゃんが苦笑していると、颯爽と行介がやって来てリンちゃんを抱き上げた。

 「ママ!」

 途端にリンちゃんが行介に抗議する。

 「ええ? パパは?」
 「パパイヤ!」
 「ええ? パパスキでしょう?」

 慣れている。リンちゃんのおでこに自分のおでこを当てて、行介がニイっと笑いかけると、ママ、ママ言っていたリンちゃんも、キャッキャと笑い始めた。

 「俺、食い終わったから、リンの面倒見るよ」
 「うん」


 「あら、もういいの?」と富士子が気遣うと、答えの代わりに行介は自分の腹をポンと叩いて見せた。まあ一人だけ飛ばしてたし。あれだけ食べれば満腹にもなるだろう。
 五才も離れているから、家の中での兄と弟の扱いは明らかに違った。
 洋介は長男として頼られ常に家族の為に動くよう躾けられた。反対に行介は末っ子として甘やかされ自分勝手に行動しても許された。だから今さっきみたいに、行介が一人だけ食べに徹していても、家族は何も言わない。それが岬家の当たり前だった。

 けど、もしかして、今日のそれは康子ちゃんの為だったのか?
 康子ちゃんと最初から役割分担が出来ていたのか。康子ちゃんがリンちゃんの面倒を見ている間に行介が先に食事を終えて交換する。そっか、モリモリ食べてるように見えたのも急いでいたからか。

 凄げえ、ちゃんとパパしてる。
 そっか、もう行介は岬家の末っ子じゃないんだ。自分の家庭を持ったから。
 そっか……。


 だがその感動は、徐に行介がTシャツを捲って腹を見せた途端、吹き飛んだ。
 ぽんぽこたぬきの腹かというぐらいにまん丸なのだ。赤ん坊が一人入ってますと言われてもおかしく無いくらいの膨らみよう。

 「えっ?!」

 富士子も洋介も凝視してしまった。ダボっとしたTシャツだったので、服の上からじゃそこまでとは分からなかったのだ。

 「凄いんですよ。全部ビールです」と康子ちゃん。
 「えっ? えっ? 今食べたものじゃなくて?」と富士子が行介の腹を撫でる。
 「飲み会でー、飲み会が続いててー。だからー、自転車通勤にしようかとー」

 自分から見せた癖に恥ずかしくなったのか、行介は歌うみたいな喋り方で巫山戯る。

 「えっ、じゃあ、もしかして自転車買ったばっかり?」
 「そーう、これからー」
 「うわー」

 富士子は行介の腹を撫でながら、「パパのお腹凄いね」とリンちゃんに同意を求めた。リンちゃんは多分意味は分かってないんだろうが、周りが笑っているので一緒になって笑い声を上げる。

 「お義兄さんは全然ですよね」

 ちょっと不貞腐れた表情の康子ちゃん。これはあれだな、洋介を褒めてるように聞こえるけど、暗に行介のぽんぽこ腹に対して文句を言ってる……。

 「えっ? 俺? そうかな? 普段はビール飲まないようにしてるから。こうやって人が来た時しか飲まないから」

 それでも全然と言われたら嬉しいし、義兄としては見栄を張りたくもなる。多分自分も行介みたいに毎日飲んでたらぽんぽこたぬきになる。
 「俺は毎晩!」とリンちゃんをあやす行介に康子ちゃんはまた苦い顔だ。行介め、康子ちゃんの皮肉が伝わってないな。確かにあの腹はヤバイ。俺より五歳若いからって、あれはないぞ行介。あんなのを見せられたら、康子ちゃんだって値段に不満があっても、ロードバイク購入を受け入れざるを得なかっただろう。

 「えっ、じゃあ自転車通勤にしたら飲み会の時、どうするの?」

 そんなにしょっ中飲み会なら、と富士子が行介にきくと、ノロノロと康子ちゃんが手を挙げた。対して行介は何故かドヤ顔だ。

 「会社に自転車置いて、迎えに来て貰う」
 「わー、大変ね」

 富士子の同情に、もぐもぐしながら康子ちゃんが頷いた。もう苦い顔を通り越して無表情だ。
 行介め。凄えと感心したが、やっぱ末っ子気質は変わってないな。康子ちゃんが長女なのもあって、家でもちゃっかり甘えてるとみえる。

 「ところでさ、兄貴と星さん付き合う事になったの?」
 「ムグッ!?」

 ビールが喉の変な所に入ってしまった。洋介が胸の辺りをドンドン叩きながら咽せているのを見て、行介がニヤリとする。
 
 「いよいよ兄貴も結婚かぁ、この家で暮らすんだよね?」

 ニヤニヤニヤニヤ。兄を揶揄えるのが嬉しいらしく行介は意地の悪い笑みを浮かべている。

 「いや、まだ付き合う前の段階だから……」
 「そうなの? もう決まったようなもんでしょ?」
 「いや……」

 洋介が言い淀むと、富士子から救いの手が伸びた。

 「もう! 外野は傍から口を挟まないの! 見守ってあげなさい」

 しかし、そこで素直に富士子の言う事をきく行介ではない。

 「でもさー、この家に星さんも暮らすなら、リフォームする必要あるだろ? 気になるじゃん。俺の実家でもあるし?」
 「それはそうだけど、真一君には東京のマンションもあるし、しばらくは二人は東京で暮らしてもいいと思うのよー」
 「えっ? そうなの?!」

 洋介は驚いて大声を出してしまった。同居が条件じゃなかったのか? そんなの初耳だぞ。

 「うん」と真顔の富士子。どうやら、本気らしい。「だって真一君仕事あるし、ここから東京に通うの大変でしょ? あたし達まだ元気だし、直ぐに一緒に暮らさなくてもいいんじゃないって。お父さんと話してたのよ。ね?」
 
 同意を求められて平介が頷く。知らなかった。星だけじゃなくて、富士子や平介ともちゃんと話さないとダメだ。やる事が色々あると洋介は背筋が伸びる思いだったが、富士子の呟きを聞いて絶句した。

 「……それにリフォームするとなると家の中片付けなくちゃいけないし」
 
 お袋よ、それが本音か。

 
 
 

 


 
 

  
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