引きこもりの受難

小桃沢ももみ

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49 アイスですか?

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 夏が本格的になった頃、星からアイスが送られてきた。
 節電の為に、家族はなるべく日中は居間に集まる事にしている。ただ息が詰まりそうになった時は洋介は自室に避難している。だってお互いの体臭迄感じられそうな大して広くないこの部屋で、親子三人ずっとテレビを見ているのは、退屈だし気が滅入るから。
 その時はたまたま家族全員が居間に集合していた。クーラーが嫌いな猫の風太郎は、何処かお気に入りの涼しい場所にいるのかこの部屋には居ない。犬のチャップスは外の日陰が無い時は玄関の中に入れる様に鎖を伸ばした。近年の猛暑に流石に外は辛いだろうと平介が妥協した結果だ。夏の間は風が入るように玄関のドアは開放し、蚊取り線香を付けて、網戸風のカーテンで仕切ってある。風通しが良くそこそこ涼しいのでチャップスは大抵はそこで寝転んでいる。
 車の音と犬の吠え声、そしてチャップスに驚いたらしい「うおっ」という男の声がしてからチャイムが鳴る。その一連の流れの後、「はーい」と出て行った富士子が戻って来た。だいたい宅急便は同じ人が来る。玄関にチャップスがいるのに驚きの声を発したが、チャップス自体には慣れている人だ。チャップスは吠えはするが飛びかからないし、片足を引き摺った見るからに哀れっぽい見た目なので犬が苦手じゃない人にとっては脅威ではない。撫でられてくーんと甘えた声を出す情けない番犬だ。

 富士子の方はすっかり元の生活を送っている。但し手話通訳は辞めてしまった。
 千葉県は広い、通訳者は基本車移動だが、心臓の手術をした後では館山や鴨川迄片道一時間超の距離を、流石にもう一人で車を運転して行く自信がないからと。平助も止めた。「これ迄通り週一か週二でもいいから続けてくれないかって引き止められたけど、事故を起こしてもねえ」とテレビのニュースや新聞記事では高齢者の自動車事故が相次いでいるのを見て、富士子も慎重になる。
 「若い人が増えないから、こんなお婆ちゃんに頼るのも仕方がないんだけどね。若い人達が通訳だけで生活出来るようにしてくれないと。志高く手話通訳になった若い人が、結局生活出来なくて辞めちゃうのよね」とは手話通訳を辞めた話になると必ず富士子がこぼす愚痴だ。その話は、富士子が通訳者になった時、洋介が大学生の頃にも聞いた覚えがある。あれから二十年近く経っているのに、まだ状況は変わっていないらしい。

 「お中元は過ぎたから、何かしらと思ったんだけど、真一君から」

 富士子が「退院したのかしらLINEしてみる」とスマホを手に取る横で、アイスクリームが大好物な平介は「アイスだぞ」と大喜びしてさっそく開封し始めた。だが開けると、直ぐに「小さい」と不満なんだかがっかりしたんだか分からない声をこぼした。
 洋介が覗き込むと、確かに外側の発泡スチロールの大きさでもっと入っていそうな印象を受けたが、中身はミニカップ六個。一般的な三人家族には十分な量だが、外側のサイズだと後もう二、三個入っていそうではあった。それに若干ハーゲンダッツのカップよりも小さい気がするので、平介はその事を指摘したのかもしれない。
 人様から贈られてきた物に文句を付けるのは大変失礼なのだが、平介は質より量な人間だし、此処には家族しか居ないから何を言っても良いと思っているのだろう。だが洋介には分かる。

 「これ絶対高いやつだぞ」

 普段から高そうな車に乗り気軽にブランドバックを持ち歩くような星の事だ、恐らくこれで五千円か下手したらもっとするだろう。絶対にハーゲンダッツより高い。パッケージからして高級感がある。だが平介には響かない、「そうか」と気のない返答。寧ろ早く食べたい気の方が優ったらしく、いそいそと台所にスプーンを取りに行ってしまった。

 「大丈夫だったのかしら、洋ちゃんには何の連絡も無いのよね?」
 「うん」

 手紙に返事は来ていないし、メールもない。
 富士子が星にLINEを送ると、直ぐに返事が来たようだ。

 「あ、やっぱり退院したんだって。今は家で養生してるみたい。今テレビ電話しても大丈夫か聞いてみる」

 すると今なら大丈夫との事で早速富士子が掛けようとすると、それより先に星から掛かって来た。多分スマホ操作に不慣れな富士子を気遣って向こうから掛けて来たのだろう。
 洋介はソワソワと落ち着かない。星に向き合ってみようと決めたが、本人にはまだ何も言っていないのだ。

 「もしもし真一君? 元気になったの? 心配してたのよ」
 『はい。ご心配をおかけしました』

 スプーンを持って戻って来た平介が一口掬って「美味い!」と声を上げた。顔を上げて目をまん丸くした後、無心で食べ始める。

 「今のお父さんの声、聞こえた? さっき真一からのアイス届いたの。早速食べてるのよ。ありがとう、これってお中元なのかしら? うちからは何も送ってないのに気を遣わせてごめんなさいね」
 『いえ。それはお中元じゃなくて、ただ何か美味しい物をお送りしたいなと思いまして。その、富士子さんのお見舞いに行った後、今度は僕が入院してしまったので。そのせいでご心配をお掛けしたようで、申し訳ありませんでした。その、LINEにもご返事出来なくて申し訳ありませんでした』
 「やだ、そんな事気にしなくていいのよ」
 『でも……。それで、あの、今は退院して落ち着きましたので、そのご報告を兼ねて。以前平介さんにアイスクリームがお好きだと伺ったのを思い出しまして。そこのお店、僕もよく行く所でとっても美味しいんですよ』
 「退院出来て良かったわ。でも、何だか貰ってばっかりな気がするけど」
 『いえいえ、本当にただ贈りたかっただけなので、気にしないで下さい』
 「そうなの? じゃ、今度来てくれた時には沢山ご馳走をつくるわね。お父さん、本当に夢中で食べてるわよ」

 くすくすと笑いながら富士子が平介の方にスマホを向けると平介が見えたのか、星の笑い混じりの『平介さんだ』という声が漏れ聞こえる。

 「ちょっと、お父さん! お父さん! 真一君!」

 何度か富士子に促されてから、平介は食べる手を止めた。照れながら、「おう! 元気かい?」とスマホの星に片手を挙げ、「美味かった。ありがとう」と空になったカップを見せる。ちゃっかり食べ終わっている。どうやら食べ終わる迄、顔を上げたくなかったらしい。
 
 「元気になったら、また遊びに来なさい」
 『はい』
 「うん、早く食べないと溶けるぞ」

 元々口数の少ない平介だ、富士子と洋介のアイスを気にする素振りを見せると、星との会話は終了。富士子も満足したらしく、「はい」と洋介にスマホを差し出す。

 「えっ?!」
 「あとは、洋ちゃんに任せる。通話終わったら切っていいわよ。私も溶ける前にアイス頂こう。どれにしよう?」

 任せると言われても、此処は居間だし、左右は両親に挟まれてるしで、何を話そうか困ってしまう。しかも星とテレビ電話するのは初めてだ。というか、テレビ電話自体初めてだ。友達とだってした事ない。
 小さく映る自分の顔が、画面のせいかより赤黒く、老けたおじさん顔で嫌になる。こんな不細工な顔見せていいのだろうか。気持ち悪がられないだろうか。反対に星は抜けるように白い。というか青白い。まだ本調子じゃないみたいで心配だ。

 「久しぶり。元気?」

 ありきたりな言葉しか出て来ない自分が歯痒い。

 『はい、お陰様で体調は落ち着きました』
 「そう」

 本当か?まだ具合が悪そうだと言いたいが、体調不良の原因が原因だけに口に出しづらい。言い淀んでいると星が先に口を開いた。

 『あの、お手紙ありがとうございました。全部読みました。まだご返事出来てなくて申し訳ありません』
 「気にしなくていいのよー。なんなら元気な顔を見せに来てくれた方が嬉しいから」

 傍から富士子が口を挟んで来た。しかも正に言おうとしていた事を言われてしまって洋介はムッとする。
 
 「ちょっと、お袋!」
 「あ、ごめんなさい。お邪魔虫」

 富士子は口にチャックする身振りをした。

 「あたし、ストロベリーがいいわあ。お父さん、どれ?」

 口にチャックしても、それは富士子が洋介と星の会話には加わらないという意思の表明だけで、普通に平介と会話するのは止めるつもりはないようだ。此方は星と通話中だから意識を富士子より星に集中せねばならないのに、直ぐ横なのに声を落としもしない。丸聞こえで気になって仕方ない。

 「ラズベリーとあまおう、抹茶、チョコレート、柚子。ミルクは俺が食べた」と平介が箱に入っていたカタログを読み上げる。平介の方も普通の声の大きさだ。
 「ラズベリーっていちご? ストロベリーってないのね」

 平介がラズベリーを富士子に渡そうとするので、見兼ねた洋介は止めた。

 「お袋、ストロベリーがいいんだろ? だったらあまおうにした方がいいよ。ラズベリーは甘酸っぱいから多分お袋がイメージしてるストロベリーと違う」

 思わず二人の会話に入ってしまったが、うんうんと画面の星も頷いている。多分星にも富士子達の会話は丸聞こえだったのだろう。

 「えっ、あまおうっていちご?」
 「そうだよ、高級いちご。でっかいやつ。家では買った事ないけど」
 「あっ、そう言えばそうね! あまおう、知ってたわ。なんか、言葉だけ聞いていちごと結びつかなかった。そうそう、知ってたわ、あまおう、いちごよね!」

 洋介が教えると、嫌だわと手を叩いて富士子は大笑いしながら、お父さん、あたし、あまおうがいい、と強請った。

 「おう。洋介は?」と富士子にあまおうを渡しながら平介が聞いてきた。ちょっと親父、俺星さんと通話中なんだが、とツッコミたいところだが、聞かれたらつい洋介も答えてしまう。

 「俺、抹茶」
 「えー! 洋ちゃん抹茶嫌いだったんじゃないの? あたし二個目は抹茶が良かったのにぃ」
 「じゃあ柚子」
 
 洋介の前に柚子を置くと、平介は「溶ける」と残りを冷蔵庫にしまいに行った。

 「ごめんね」

 画面の星に謝ると、富士子が「ほんとよう、洋ちゃん、真一君のお相手して! あたし達と話してる場合じゃないんだから」と口を尖らせるが、「いや、お袋のせいだからね!」とたまらず洋介は言い返した。
 星は画面の向こう側でくすくす笑っている。
 「えっ? そう?」と富士子は身を乗り出してきた。洋介の手元スマホの星に向かって、「そうなの? 真一君もそう思う?」と話し掛ける。いや、後を任された意味は?とまたまたツッコミたいが、会話に困っていたところなので、正直助かる。洋介は富士子の方へ画面を傾けた。

 『えっ! どうでしょう? でもみなさんアイスが気に入って頂けたようで嬉しいです。そちらは楽しそうでいいなあ』
 
 星はなんだか寂げな声を上げた。今、一人なんだろうか? 一人なんだろうな。養生してるって富士子が言ってたし、背景は前に行ったタワマンの自宅のようだったし。

 「また、遊びに来るといいわよ! 来週か、再来週とかどう? ご予定は?」

 身を乗り出したまま富士子が星を誘う。だが、星は沈んだ声で応えた。

 『……はい。でもアメリカに戻らないと』
 「あっ、そうか。あたしのお見舞いの為に一時帰国してくれたんだもんね」
 『はい』
 「ごめんなさいね、ほんとありがとう」
 『いえ、気にしないでください』

 そう言えばそうだった。富士子が心臓の手術をしたなんて遠い昔の話みたいだ。実際にはまだ数ヶ月しか経ってないのに。富士子は洋介にバトンタッチしたのも忘れたようにそのまま星と会話を続ける。

 「いつ戻るの? アメリカ」
 『出来れば来週のつもりなんですけど、今夏休みで飛行機が混んでいるので』
 「あっ、そうよね。夏休み、学生さんとか」
 『はい。ですのでキャンセル待ちして、空きが出たらって感じです』
 「わあ、大変そう」
 『大変です。でも一人なので多分どうにかなります』
 「わあ、ほんとごめんなさいねー、あたしの為に日本に帰って来たせいで」
 『いえ、気にしないで下さい。僕がしたくてした事なので』
 「もう! やだわ! 真一君ったら本当にイケメンなんだから! 性格迄イケメン!」

 富士子は興奮してはしゃぐ。もう洋介の手はすっかり、富士子の為のスマホ棒状態だ。

 「おい! 溶けるぞ!」

 急に平介が会話に割って入って来た。確かに洋介の柚子は手付かずでカップは大汗かいてるし、富士子のあまおうは蓋は開けたもののそのまま放置だ。

 「いやだ! お父さんこれも冷凍庫に入れて来て」

 会話に乗って来た富士子はまだ話そうとアイスを平介に頼んだが、気を遣ったのか星の方から終わりを切り出されてしまった。

 『あの、この辺で失礼します』
 「あら、そうなの?」
 『はい。その……、他にも連絡したりしないといけないので……』
 「まあ、お仕事かしら? なら仕方ないわね」
 『はい。またLINEします』
 「そうね、待ってるわ!」
 『はい、失礼します』
 「待って、お父さんも!」

 富士子が手招くと平介が寄って来たので、洋介は今度はそちらに画面を傾ける。

 「身体に気をつけて」
 『はい』

 「ほら、洋ちゃん!」と最後に富士子はスマホの画面を掴むと洋介の目線に合わせた。

 「もう! せっかくチャンスあげたのに、全然喋んないんだから!」
 「いや、それ……」

 口に全然チャック出来なかったお袋のせいだろうと文句言いたいのを堪え、洋介は画面の星と向き合う。珍しく歯切れの悪い星の声音から、もだもだ言ってこれ以上引き延ばすのは良くないと察せられる。

 「無理しないで、また連絡するから、落ち着いたら返事下さい。その、心配してるので。親父とお袋も、俺も!」
 『はい』
 「じゃあ」
 『失礼します』
 
 最後の星はなんだかとても悲しげだった。とても心配だ。もっといい言葉を掛けてあげられたんじゃないだろうか。何で上手い言葉がこう出て来ないのか。ずっと歳が上の癖に、自分が情け無い。
 スマホを富士子に返すと「もう!」と背中をバンと叩かれた。

 「なんだよ」
 「もっと二人で話せば良かったのに!」

 富士子はお冠だが、話せなかったのは、洋介だけの所為じゃない筈だ。けれど同意するように平介も頷いている。解せぬ。

 


 



 
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