アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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8章 未来への布石

8章5話 公爵リヒャルト *

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【新帝国歴1140年6月10日 アリーシャ】

「それで喧嘩したのか」
「……そういう言い方、しないでください」
 彼の感想に、私は顔を覆う。
「困ったもんだな。エックハルトにも」
 そう言うのは、今は私の夫、リヒャルトだ。彼は唇に親指を当てて考え込んでいるが、その仕草は彼が少年だった頃を思い起こさせる。私が彼の知己を得た頃は彼はたった13歳で、その時にはエックハルトに、爪を噛むなと小言を言われていたのだった、そう言えば。
 今はもう25歳で大人だから爪を噛むことはない。そんな仕草だけに過去の癖の残っている。

 私がヴィルヘルミーナ様とお茶会して、それからエックハルトを呼びつけて、そしてエックハルトが激昂気味に執務室を立ち去った、まだその日のことだ。私たちはやっと自分たちの私室で落ち着いている。

「そうでしょうそうでしょう」
 普段は公妃然と振舞っている私だけど、二人きりの場面ではなんというか、相変わらずだった。
「お前も、なんというか……その」
 一方の彼は、昔より気が張らない、素の顔で見せる表情や言動が多くなっている。
「なんでしょう」
「……ちょっと、整理させてくれ。問題は、凄まじく複雑だ」

 それから、リヒャルトはしばらく考え込む。私に伝えるべき言葉を、彼の中で整理しているらしい。

「問題は。遺構発掘技術をどう使うか、だ。これは、我々の一存では決められない」
「えっ、そうなんですか?」
 私は声を上げる。確か私の記憶では、ヴォルハイムは遺構発掘技術の活用に積極的、我がランデフェルトは慎重派で、それ以外の国はその中間だと思っていたのだけど。
「……だからこそだ。慎重派だった我々が急に遺構発掘技術の活用を始めたら、周囲を牽制しておいての抜け駆けと見做されかねない。特に、我々は遺構に関する知識では他国に抜きん出ているからな。話と筋を徹底的に通す必要がある」
「うぅ……」
 呻く私に、リヒャルトは言葉を続ける。
「だが、一面ではお前の言う通りでもある。そして、ヴォルハイムの懸念も尤もではある。我々が手を拱いていて、暴力を厭わない別の国に先んじられたら、それこそ破滅的だ。それこそ、昔お前が言った通りの状況がまた、実現してしまうことになる」
「言った通りの状況って?」

 彼の言葉が何を指しているのかを私が思い出すのに、少し時間がかかってしまった。
 それは、前ヴォルハイム大公が戦死したあの遺構制圧作戦で、遺構に侵入した際に私が彼に語った核兵器に関する話だ。これはつまり、冷戦下の核軍拡競争みたいな状況が実現しかねないという、あまりにもぞっとしない話だった。
『誰も死にたくないのに、死にたくないからこそ、相手を確実に殺せる手段を洗練させていく。文明が進展すればするほど、内包する自滅の危険性は上がっていき、狂気じみたものに変わっていく。にも関わらず、自分たちがより賢くなっている、過去の人間たちのように愚かな選択は取らないと思い込んでいる。技術の進展によっては人間は賢くならないんです。だけど、殺されるわけにはいかない。それでも』
 まさしくこの話を今の私たちは考えなければならない、そんな時期に差し掛かっている。

「じゃあ、エックハルトを説得する必要があるってことですか」
「一方では、彼の懸念も尤もだ。軽々しく扱っていい技術ではない。この懸念は我々の足枷じゃなくて、カードだ。どこで切るかが問題だが」
「ううぅ……難しい……」
 私は再び呻かざるを得ない。国家間の複雑な力関係まで考えたら私の発想は確かに安易に過ぎたし、『救世の乙女』など、私にはどうやら完全に身に余る大役だ。

「……それから、ヨハンとヴィルヘルミーナの話だが」
「そ、そうです! はい」
 脳みそが沸騰しつつある私は、彼の話を促すことしかできない。
「……なんというかな。ヨハンがどう生きたいか、それ自体は彼が決めるべきだと、私はそう思う。それにヴィルヘルミーナが悩んでいることが、ヨハンに関係しているのかも分からない。もし二人が……ううむ」
 そこでリヒャルトは渋い顔をする。仮にもし二人が結婚したかったとして、それをなんとかしてやれるかどうか、それも私達の一存では決められない。それは、その通りだ。
「……とにかく、結婚だけがゴールになるのは、たぶん……違うんだろう。特に、あの二人にとっては。お互い別の人と結婚したとしても、変わらず友情を保っておきたいと考えているかもしれない。どこからも文句が……出ないとは言わないが。その場合は、我々が一番に理解して応援してやるべきじゃないのか?」
「!!」
 あまりに本質を突いた彼の言葉に、私はふらふらと、ソファに座り込む。
 そうだ、きっと私はこの数年間で、自分の幸せですっかりボケていたらしい。その人が何を幸せとするかはその人にしか決められないこと、そのはずだった。
「……うっうっ」
 顔を覆い、呻き始める私。
「どうした急に」
「リア充マウントを取ってしまった……人の縁談にしか興味のない取り持ち婆みたいになってしまった……」
「何を言ってるのか、わからん」
「私は過去の瑞々しい心を失ってしまった……呆れられてる……飽きられる……やだ……」
 そんな阿呆なことをぶつくさ呟いていた私の傍に、リヒャルトは座る。
「話は最後まで聞いてくれ。今のはただの可能性だ。逆に、二人が自分では逃れられない陥し穴に落ち込んでいて、抜け出せなくなっている場合も考えるべきだろうな。特に……ヨハンの足は明らかに彼の人生の障害になっているし、それは私たちの責任だ。私たちの責任で起きたことは、私たちがなんとかしなければならない。そうだろう?」
 リヒャルトの口調はまるで、小さな子供をあやすかのようだ。4歳違いの私達ではあるのだが。なんだか最近は、彼の方が年上みたいな口調になることもあったりする。
「うっうっ……ありがとうございます……」
「ずっと、ヨハンの将来を気にかけていたからな、お前は。それが今は膠着状態だ、心配になるのも無理はない。ちょっと先走って空回りしたからって、そんなことで軽蔑するわけないだろう」
 そう言いながらリヒャルトは、私の頭を撫でる。優しい仕草と辛辣な指摘、この落差が、なんというか。
「さ、先走って、空回り……。そうですね、はい。ありがとう、ございます」
「ヴィルヘルミーナの件も、正直気にかかる。何があったのか、我々には関係ないことなのかは分からないが……無理にでも聞いて欲しそうだろう、その様子を聞く限りは」
「そうなんでしょうかね……」
 彼の言葉に、私は首を傾げる。
「たとえそうでなかったとしても、物事が複雑に絡み合う以上は、何かの情報を得ておく必要はある。だけど私には聞けないし、お前にも難しいかもしれないな。だから、それは彼に任せる」
「彼って?」
「エックハルトだ」

 とにかく、話はこんな風になった。
 ヴィルヘルミーナ様のご様子については、エックハルトに探ってもらうことにする。最近公宮からは距離を置いているエックハルトだけど、ヴィルヘルミーナ様のことは昔から可愛がってもいたことだし、彼女についての心配事を解決する目的なら引き受けてくれるだろう。
 それから、遺構発掘技術の活用についての話だ。
 ベアトリクスの誕生祝いの式典には、現ヴォルハイム大公アルトゥル殿下と、それから今は摂政となっているその叔母、ツィツェーリア様もいらっしゃるのだ。その際に直接面会し、腹を割った話をすることができる。
 そんな感じで、幼少の頃から君主としてその責務を果たしていただけのことはあって、リヒャルトの采配は堂に入ったものだった。

「……さすがです。やっぱり」
 複雑すぎる話にやや茫然としながらも、私はそんな感想を付け加える。やっぱりこの私、アリーシャである私と比べると、彼の頭の回転の速さは圧倒的だった。
 それから、彼は改めて、私の方に顔を向ける。
「それからな、一つ聞きたいんだが」
「な、なんでしょう?」
「私は、そんなに信用がないか?」
「えっえっ……」
 戸惑う私に、彼はその青い目、昔と全く変わらない鮮烈な色を宿したその目で、私の眼を覗き込む。
「飽きられるとか。そんなつもりは、毛頭ないんだが」
(…………)
 一見クールに淡々として、でもそんなことを言うリヒャルト。一方の私は、無言で顔を赤くすることしかできない。どうも私はまだずっと彼に惚れ込んでいて、普段隠している焼き餅焼きな本性が顔を出したってことみたいだった。
「どうすれば、証明できる?」
 そう言って、彼は私の首に手を回す。
「……もう。本当に。本当にこの人は、もう」
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