死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

文字の大きさ
25 / 167
一章 死の王

第11話 幼い肖像〈後編 約束の子〉

しおりを挟む
15
 

  ――いってらっしゃい。

 結局何も聞けずに、いつもの言葉だけで送り出してしまった。カイムの前で、何もなかったように振る舞えたかどうか、あまり自信はない。エマは屋敷から持ち出してしまった写真を、懐から出す。駄目だと分かっていながら、元の場所へ返せなかった。

 カイムらしき子供の隣にいる、同年代らしき子供。その顔が黒いペンで無茶苦茶に塗りつぶされている。気軽に聞いていいものか分からないが、エマは聞きたいと思ってしまう。

 ――カイムは自分の苦しみを隠してしまうから。

 余計なお世話なのだろうとは思う。それでも傍に居るのだから力になりたいと思うのは、そんなに悪い事なのだろうか。カイムはいつもエマの前では笑っている。どんな時も。そうであればあるほど力になりたい、役に立ちたいと思ってしまう。

 あの笑顔は傷痕なのだ。

 また、けして癒えない傷さえも抱えて、カイムは独りあの椅子に座り続ける。エマはもう、カイムの痛みに気付いていた。誰に何を言われたわけではない、彼が主人の机に着いている時に、独り穏やかに目を伏せる姿。――笑っているようなのに、紛れもなく泣いていた。そうしたカイムを見た時、まだ幼かったエマは、もう二度とあのような顔を、彼へさせてはいけないと思った。

 昔のエマを救ってくれたように、これからはエマが守りたいと願った。

 今度は自分がカイムの役に立つ番でありたい。守られるだけではなく、自分からカイムを守っていけるように強くありたいと――。

 つい、ぼんやりと、カイムの私邸で用いる鍵を握りしめていた。カイム本人は気楽そうに鍵の扱いをエマへ任せていたが、失くしたら大変なことになる。カイムの立場では、生命を脅かされかねない事態へ発展する可能性もあるのだ。鍵は自分が持っているより、マツダへ預けるべきだろう。――そもそも、こういった雑事はマツダの仕事で、鍵の管理もマツダが元々している。だから、それなりに重大事なので、内線電話で呼べば、マツダは来てくれるだろう。しかし、エマは、忙しいマツダを呼び付けるなど申し訳ないと思い、自らカイムの私室へ向かって、直接マツダへ返すことにした。

 執務室から秘書室、更に廊下へ出ると、警備の兵士に挨拶をして、カイムの私室へ通じる廊下へ向かう。巨大な観音開きの扉を一つ過ぎるごとに、警備兵の数が増えてくる。そうした光景は、幾ら館に住むエマでも、日常的に見るわけではないから、館の主人が生活している区画へ向かっているのだと実感する。それでも今、エマが歩いているのは、執務室へも通じる外廊下という、誰でも歩ける場所なのだった。

 カイムの私室へ通じる、特別な大扉まで来る。扉板には、二匹の蛇が絡み合って、互いを喰らおうとしている飾り彫がしてあり、かなり禍々しい。扉の両脇で兵士が直立不動にしている。彼らは話し掛けなければ、一切反応しない。

「マツダさんに用があるのだけど」

「用向きの内容は?」

「カイムから預かった鍵を返したいの」

 兵士は頷くと内線電話でマツダの呼び出しを請け負ってくれる。彼ら大扉の特殊警備兵と話す機会はほぼないが、エマのことは知ってくれているので、怪しまれはしない。直ぐにマツダ本人が来てくれて、エマは鍵を返すと、彼は柔和ににこにことエマへお礼を言ってくれた。

 マツダはエマを見送ってくれるようで、折り目正しく大扉の前へ立ったままだ。大扉の奥にまた廊下が続いているのだが、内装は落ち着いた色合いをしているものの、造形の繊細さが高価さへと直ぐに繋がる。

 エマはカイムの私室へ、あまり入ったことがなかった。

 カイムの私室へ入れるのは、特別な猟犬だけと言った方がいい。親しさのレベルに依存しない何かで、入室の可否を選別している。エマは思い上がっているつもりはない。でも、どれだけカイム本人や、〈ゴースト〉、〈雑用サポート〉と普段接しても、エマには踏み込めない場所がある。

 肩の荷が下りた思いがして、自室へ帰ることにした。外廊下を逆へ戻って、執務室も大分過ぎて行くと、エレベーターを使って職員用の私室がある区画へ行く。エレベーターを下りて、主人があまり感知しない場所になってくると、少しづつ少しづつ、壁や絨毯の質が悪くなり、絵画や花瓶などが少数しか飾られなくなっていった。

 ――これは意図的に、見窄みすぼらしくしているのだろうと感じる。

 エマが幼い頃から棲家に暮らして来て、何となくでも気付いたのは、兵士である猟犬の階級が持つ強い拘束力だ。一番判り易いのはジェイドの部屋で、カイムの私室に最も近く、他の猟犬では考えられない程広い。また、自由な外出が許されてもいるようだ。〈影〉の副隊長であるチェスカルなども、個人的な事務室を持ち、かなりの自由を約束されているようだった。

 ジェイド達の階級が高いから、と言えば終ってしまう。だが、そこから目に見える、上級から下級への衣食住といった格差がかなりはっきりとしていた。だから、エマは意図的に内装を変えているのだと考えても、可笑しくはないように思えた。

 ステルスハウンドが主人のいる本館という場所へ、資金を渋るはずがない。

 館の自室へ戻ったエマは部屋を見渡す。彼女はかなり裕福な暮らしが出来るようにしてもらっている。階級の高い兵士と同等か、それ以上とも言える部分もあった。――エマには兵士や他の職員のような禁は、一切科されていない。

 カイムは明らかにエマを特別扱いしてくれている――。

 カウンターに置かれた写真立てを手に取った。幼い頃のエマと、今より少しだけ若い、青年に成り立てのカイムが写っている。他にはジェイド、マツダと今と変わらない顔触れも写っている。現在のゴースト結成前なので、オルスタッドもチェスカルも写っていない。当時カイムの側には今と同じように、兵士が居たが、エマは幼く、あまり彼、彼女らと交流しなかった。カイムの側付きであるジェイドと執事のマツダだけが、エマとよく顔を合わせていたのだ。

 エマはくすりと笑うと、ソファに座った。

 エマが一番辛かった時期に撮られた写真だが、彼女は笑顔で写っている。落ち込んだエマを励ます為に、カイムが家族写真のように撮ってくれたのだろう。当時は幼くて分からずカイムの促すままに笑って写真に写ったが、今思うとこの写真を撮っといてよかったな、と思う。いい思い出どころか消し去ってしまいたい過去ばかりだが、この写真だけは最高の時を写し撮っているのだ。

「そういえば、オルスタッドやチェスカル達と写真を撮ったことなかったな」そう、今の〈影〉全員と写真を撮ろうとしたこともなかった。でも、それは本当のところ、ただ、写せなかったからなのかもしれない。今のエマは〈影〉全員を知っているし、仲も良く交流している。けれど、〈影〉全員が揃って館にいることなどあまりなく、彼らは館でも忙しく働いていた。

 エマが口出し出来るようないとまなどなかったのだ。

 エマは二つの写真を並べて見比べた。エマと写っているカイムと、カイムらしき子供の顔を照らし合わせて見る。やはり二人はよく似ている。子供の写っている写真は日に焼けて色褪せているとはいえ、金の髪である事は明らかだった。さすがに瞳の色までは分からないが、常に傍で暮らしているエマだからこそ、些細な不明で判断を誤る事はないと思った。

 確信が生じると尚更問いかけたくなったが、エマにその権利が果たしてあるのだろうかという考えが湧いてきた。

 ――私はカイムにとって何者でもないのだから。

 カイムが生きて来た時間ときは、エマが想像出来ない程複雑だろう。要らぬお節介で、彼を余計に苦しめてしまうことにはならないだろうか。

 自己満足ならしない方がいい――。

 エマは写真立てを開けて、今まで納めていた写真の後ろに、拾った写真を重ねて写真立てを閉じた。

 これはエマの秘密だ。

 誰にも――勿論、カイム本人にも――知られてはならない。そんな気がした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編

ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜

平明神
ファンタジー
 ユーゴ・タカトー。  それは、女神の「推し」になった男。  見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。  彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。  彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。  その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!  女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!  さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?  英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───  なんでもありの異世界アベンジャーズ!  女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕! ※不定期更新。最低週1回は投稿出来るように頑張ります。 ※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。

天城の夢幻ダンジョン攻略と無限の神空間で超絶レベリング ~ガチャスキルに目覚めた俺は無職だけどダンジョンを攻略してトップの探索士を目指す~

仮実谷 望
ファンタジー
無職になってしまった摩廻天重郎はある日ガチャを引くスキルを得る。ガチャで得た鍛錬の神鍵で無限の神空間にたどり着く。そこで色々な異世界の住人との出会いもある。神空間で色んなユニットを配置できるようになり自分自身だけレベリングが可能になりどんどんレベルが上がっていく。可愛いヒロイン多数登場予定です。ガチャから出てくるユニットも可愛くて強いキャラが出てくる中、300年の時を生きる謎の少女が暗躍していた。ダンジョンが一般に知られるようになり動き出す政府の動向を観察しつつ我先へとダンジョンに入りたいと願う一般人たちを跳ね除けて天重郎はトップの探索士を目指して生きていく。次々と美少女の探索士が天重郎のところに集まってくる。天重郎は最強の探索士を目指していく。他の雑草のような奴らを跳ね除けて天重郎は最強への道を歩み続ける。

第2の人生は、『男』が希少種の世界で

赤金武蔵
ファンタジー
 日本の高校生、久我一颯(くがいぶき)は、気が付くと見知らぬ土地で、女山賊たちから貞操を奪われる危機に直面していた。  あと一歩で襲われかけた、その時。白銀の鎧を纏った女騎士・ミューレンに救われる。  ミューレンの話から、この世界は地球ではなく、別の世界だということを知る。  しかも──『男』という存在が、超希少な世界だった。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります

内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品] 冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた! 物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。 職人ギルドから追放された美少女ソフィア。 逃亡中の魔法使いノエル。 騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。 彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。 カクヨムにて完結済み。 ( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )

処理中です...