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一章 死の王
第12話 猟犬と玩具屋〈前編 珍妙な男〉
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繁華街から外れた路地は人波が引き、目的も無く歩いて見える人々が、ぽつぽつと居るばかり。そこはとにかく暗く、どこかうらびれて湿っぽい場所だった。バーやスナックなども点々と開いてはいるが、よく潰れないものだと感心する程人影が周囲に無い。そうした人に見棄てられたような場所にある、目立たないバーが、カイムとある男との待ち合わせ場所だった。
カイムは猟犬に、文句を言われ続けるそのまま――主人を独りにしたくない――そんな駄々をこねる猟犬を、無理矢理に車へ残して、独りでビルの前に立つ。そのまま短い階段を降りて半地下に降りると、地獄の番犬という字が彫られた、ステンレスプレートが目に入った。
相変わらず皮肉な名前だと思う。あまり好意的に思っていない名前の店だが、何故かあの男と会うときはこの店ばかりだ。落ち着いた雰囲気で、客層の年齢も高く、会話がしやすいという理由もあるだろうが、新しい店を探すのが面倒なだけという面もある。
照明が落とし気味の店内はしっとりと落ち着いた音楽が流れている。カウンター席には疎らに人がすわっていた。カウンター席の奥、端の方にド派手な男が座っているのが、直ぐに目に付いた。見付けたくなくても、視界へ好き勝手に入ってくるのだから煩わしい。
赤い花柄の半袖シャツによく日に焼けた肌。海藻のようにうねった赤茶けた髪。この男は独りだけ南国気分で、ビーチサンダルを引っ掛けている。脚を組んで自由になった方の足で、サンダルをペタペタと鳴らす。
直ぐに男はカイムへ気付く。男は気軽に手を上げてにっと笑うと完璧な歯列が剥き出す。
彼は眉骨が高く、眼は些か鋭く見えるのだが、そのふやけたような表情の為に、顔全体で捉えればヘラヘラした頼りなげな男に見える。
「よう、カイム。久し振りだな」
いつもと変わらない軽い調子にカイムは苦笑した。その男は、玩具屋であるクリムゾンダイスの店主オリヴァン・リードである。
オリヴァンは遠慮なくカイムを上から下まで見渡す。
「……相変わらずおっさんくせー格好だな」
「オリヴァン、お前には服装をとやかく言われたくないよ」
「この俺っちのファッションに何か文句あるのか」
「大ありだね、周りを見て場所柄を考えろ。そんな格好をしているのはオリヴァンだけだぞ。
昔から周りをよく見て、場に合わせろと言っているだろうが。お前は自分の常識とセンスを常に疑え」
「相変わらず、手厳しい坊ちゃんだ」
「何が坊ちゃんだ。お前の方が数段上のくせして」
「それは言いっこなしよん。俺はもう流浪の旅人、根無し草ってもんだ」
「おい、流浪って玩具屋はどうした、玩具屋は。放り出されたら困るぞ」
「安心しろ。俺っちは責任感が強いと定評がある。多分」
「もう埒があかない。本題にはいるぞ――双生児の一人と接触が無事出来た」
「ヘルレア王はどうなっていた。協会の庇護、もとい監視が付いていたが、随分長い間沈黙を保って来ただろう。いい加減、双生児は寿命だが何とかなりそうか」
「残念ながら番を持たせるのは失敗した。やはり一筋縄ではいかなかったが、一つ成果もある。ヘルレアを猟犬に引き込めた。今ジェイド達と一緒に任務に当たっている」
「……それは番を持たせるより凄いんじゃないか」
「オルスタッドの班が行方不明になった。その周辺に王の気配があるから、もしかしたらオルスタッド達は、関わっているのではないかという事だ。
王が綺士、使徒、排除の支援を条件に、オルスタッド捜索を手伝ってくれている」
「奇跡みたいな話じゃないか」
「僕自身夢じゃないかと思っているよ。王がここまで人間に近しい何かを持っているとは思わなかった。会話すら危ういと思っていたというのに」
「何故、王はそこまで番を持つ事を拒否するんだ」
「これは僕の推測に過ぎない部分もあるんだが。
王は大切だから、今まで得たものを捨てたのだと言った。それは、今まで王の身近にいた人々の事だろうと判る。
番を得ることは、そういった人々を犠牲にしなければならなくなる事に等しい……どれだけ拒否していても、いずれそこから、番を出さざるおえなくなるだろう。
親しければ親しい程――と、これ以上言わずもがなだ」
「なるほどね、自然、性交渉に向かうことになる。そこは人間と変わらんか。愛か欲か、はたまた本能か――つまり、ヘルレア王はそれを捨ててまで守りたかったのか?」
この考えはヘルレアを最大限好意的に見た意見だ。実際のところどうか分からない。何かの思惑があってそう印象付けたのかも知れず、ほとんどカイムの希望的観測だ。それでも、ヘルレアには信じられるだけの真摯さがあった。あるいはカイムが、まだ王の本当の恐ろしさを知らないから信じてみようと思ってしまうのか。どちらにしろ考えても答えは出ないのだから結果を待つしかない。
「お優しいヘルレア王か。俺達には双生児の血筋を残さないようにしようとしているだけ、万々歳って感じの思考な王だけどな」オリヴァンは声を落とす。
「番を持たせようと動いている身には、それを聞くと色々辛いものがある」
「考えずにはいられないだろうし、考えないわけにはいかない。俺等だからこそ向き合わなけりゃならない事柄だ。王の血を引く人間として」
「王の血筋か……こんなもを求める人間がいる事に吐き気がする。欲しいのならば、くれてやりたいくらいだ」
「まあ、逃げちまった俺じゃ、カイムにとやかく言える立場にないが。お前は逃げるなよ。逃げれば破滅しかない事をよく覚えておけ」
――破滅。
カイムは今以上の破滅があるものだろうかと苦く笑った。初めから進む事も、戻る事も許されない猟犬達は踠き苦しみ続けるばかりで、岸へ辿り着けるのだろうか。
「逃げるなど考えた事はないさ。ただ、貧欲な王の血を養っていかなければならない、というならそうするまでと僕は思っているよ。不本意ながら……僕にも大切なものがあるからね。手放せはしないよ――永劫の繁栄を」
「俺は永劫の繁栄とやらを頂いたが、今の方がずっと気楽でいい。なにが永劫の繁栄を、だ。所詮汚物入れのゲロか糞かの違いしかない。誰が、そんな汚えものを丁寧に選り分けてくれる」
「選り分けてくれる人間もいるさ。だからこそ僕はこうして戦っているんだ」
「俺もお前のようになれればよかったんだけどな……いけねえな。変に感傷的になっちまった」
「オリヴァンの口からそんな殊勝な言葉が聞けるとは思わなかったよ」
「そりゃどうも。とにかく、ヘルレア王はこのまま死なせる手はない。何でもいいから繋ぎ止めろ。逆転の鍵はこのヘルレア王が握っているぞ。これが最後の機会だと思え」
「分かっている。これ以上の手札はもうないだろう。何を犠牲にしても王を離すつもりはないよ」
オリヴァンは自嘲気味に笑う。
「……さて、何が犠牲になるのかね」
繁華街から外れた路地は人波が引き、目的も無く歩いて見える人々が、ぽつぽつと居るばかり。そこはとにかく暗く、どこかうらびれて湿っぽい場所だった。バーやスナックなども点々と開いてはいるが、よく潰れないものだと感心する程人影が周囲に無い。そうした人に見棄てられたような場所にある、目立たないバーが、カイムとある男との待ち合わせ場所だった。
カイムは猟犬に、文句を言われ続けるそのまま――主人を独りにしたくない――そんな駄々をこねる猟犬を、無理矢理に車へ残して、独りでビルの前に立つ。そのまま短い階段を降りて半地下に降りると、地獄の番犬という字が彫られた、ステンレスプレートが目に入った。
相変わらず皮肉な名前だと思う。あまり好意的に思っていない名前の店だが、何故かあの男と会うときはこの店ばかりだ。落ち着いた雰囲気で、客層の年齢も高く、会話がしやすいという理由もあるだろうが、新しい店を探すのが面倒なだけという面もある。
照明が落とし気味の店内はしっとりと落ち着いた音楽が流れている。カウンター席には疎らに人がすわっていた。カウンター席の奥、端の方にド派手な男が座っているのが、直ぐに目に付いた。見付けたくなくても、視界へ好き勝手に入ってくるのだから煩わしい。
赤い花柄の半袖シャツによく日に焼けた肌。海藻のようにうねった赤茶けた髪。この男は独りだけ南国気分で、ビーチサンダルを引っ掛けている。脚を組んで自由になった方の足で、サンダルをペタペタと鳴らす。
直ぐに男はカイムへ気付く。男は気軽に手を上げてにっと笑うと完璧な歯列が剥き出す。
彼は眉骨が高く、眼は些か鋭く見えるのだが、そのふやけたような表情の為に、顔全体で捉えればヘラヘラした頼りなげな男に見える。
「よう、カイム。久し振りだな」
いつもと変わらない軽い調子にカイムは苦笑した。その男は、玩具屋であるクリムゾンダイスの店主オリヴァン・リードである。
オリヴァンは遠慮なくカイムを上から下まで見渡す。
「……相変わらずおっさんくせー格好だな」
「オリヴァン、お前には服装をとやかく言われたくないよ」
「この俺っちのファッションに何か文句あるのか」
「大ありだね、周りを見て場所柄を考えろ。そんな格好をしているのはオリヴァンだけだぞ。
昔から周りをよく見て、場に合わせろと言っているだろうが。お前は自分の常識とセンスを常に疑え」
「相変わらず、手厳しい坊ちゃんだ」
「何が坊ちゃんだ。お前の方が数段上のくせして」
「それは言いっこなしよん。俺はもう流浪の旅人、根無し草ってもんだ」
「おい、流浪って玩具屋はどうした、玩具屋は。放り出されたら困るぞ」
「安心しろ。俺っちは責任感が強いと定評がある。多分」
「もう埒があかない。本題にはいるぞ――双生児の一人と接触が無事出来た」
「ヘルレア王はどうなっていた。協会の庇護、もとい監視が付いていたが、随分長い間沈黙を保って来ただろう。いい加減、双生児は寿命だが何とかなりそうか」
「残念ながら番を持たせるのは失敗した。やはり一筋縄ではいかなかったが、一つ成果もある。ヘルレアを猟犬に引き込めた。今ジェイド達と一緒に任務に当たっている」
「……それは番を持たせるより凄いんじゃないか」
「オルスタッドの班が行方不明になった。その周辺に王の気配があるから、もしかしたらオルスタッド達は、関わっているのではないかという事だ。
王が綺士、使徒、排除の支援を条件に、オルスタッド捜索を手伝ってくれている」
「奇跡みたいな話じゃないか」
「僕自身夢じゃないかと思っているよ。王がここまで人間に近しい何かを持っているとは思わなかった。会話すら危ういと思っていたというのに」
「何故、王はそこまで番を持つ事を拒否するんだ」
「これは僕の推測に過ぎない部分もあるんだが。
王は大切だから、今まで得たものを捨てたのだと言った。それは、今まで王の身近にいた人々の事だろうと判る。
番を得ることは、そういった人々を犠牲にしなければならなくなる事に等しい……どれだけ拒否していても、いずれそこから、番を出さざるおえなくなるだろう。
親しければ親しい程――と、これ以上言わずもがなだ」
「なるほどね、自然、性交渉に向かうことになる。そこは人間と変わらんか。愛か欲か、はたまた本能か――つまり、ヘルレア王はそれを捨ててまで守りたかったのか?」
この考えはヘルレアを最大限好意的に見た意見だ。実際のところどうか分からない。何かの思惑があってそう印象付けたのかも知れず、ほとんどカイムの希望的観測だ。それでも、ヘルレアには信じられるだけの真摯さがあった。あるいはカイムが、まだ王の本当の恐ろしさを知らないから信じてみようと思ってしまうのか。どちらにしろ考えても答えは出ないのだから結果を待つしかない。
「お優しいヘルレア王か。俺達には双生児の血筋を残さないようにしようとしているだけ、万々歳って感じの思考な王だけどな」オリヴァンは声を落とす。
「番を持たせようと動いている身には、それを聞くと色々辛いものがある」
「考えずにはいられないだろうし、考えないわけにはいかない。俺等だからこそ向き合わなけりゃならない事柄だ。王の血を引く人間として」
「王の血筋か……こんなもを求める人間がいる事に吐き気がする。欲しいのならば、くれてやりたいくらいだ」
「まあ、逃げちまった俺じゃ、カイムにとやかく言える立場にないが。お前は逃げるなよ。逃げれば破滅しかない事をよく覚えておけ」
――破滅。
カイムは今以上の破滅があるものだろうかと苦く笑った。初めから進む事も、戻る事も許されない猟犬達は踠き苦しみ続けるばかりで、岸へ辿り着けるのだろうか。
「逃げるなど考えた事はないさ。ただ、貧欲な王の血を養っていかなければならない、というならそうするまでと僕は思っているよ。不本意ながら……僕にも大切なものがあるからね。手放せはしないよ――永劫の繁栄を」
「俺は永劫の繁栄とやらを頂いたが、今の方がずっと気楽でいい。なにが永劫の繁栄を、だ。所詮汚物入れのゲロか糞かの違いしかない。誰が、そんな汚えものを丁寧に選り分けてくれる」
「選り分けてくれる人間もいるさ。だからこそ僕はこうして戦っているんだ」
「俺もお前のようになれればよかったんだけどな……いけねえな。変に感傷的になっちまった」
「オリヴァンの口からそんな殊勝な言葉が聞けるとは思わなかったよ」
「そりゃどうも。とにかく、ヘルレア王はこのまま死なせる手はない。何でもいいから繋ぎ止めろ。逆転の鍵はこのヘルレア王が握っているぞ。これが最後の機会だと思え」
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