死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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一章 死の王

第16話 雪の行軍

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 赤く斑らになったヘルレアは何事もなかったように、一部生き残って動けないでいる使徒の首を踏み付けて、息の根を止める、という事後処理をしている。ジェイドも死体を一つずつ動くかどうか検分して、動くようであれば銃を撃ち込んだ。

「森の奥だ、死体はそうは見つかるまい。発見まで数日あれば十分だろう」ジェイドは周囲を見る。

「相変わらず蛇の死体が、人型に戻るのが面倒だな。蛇のまま死んでくれればいいものを」

 処理が終わり、ヘルレアはジェイドへ手振りをして行くぞと言っている。

「待て、王。お前血まみれだぞ。少しくらい気にしろ。人に出会ったらどうするつもりだ」

 王は思い当たったように軽く頷くと、人差し指を立てて自分の腕に文字らしきものを書き記し始めた。指先を滑らせると、王の瞳と同じ色をした、燐光を放つ細い線が引かれていく。文字を書き切ると、ヘルレアに付いた血が、吸収されていくように消えていく。ものの数秒で綺麗になってしまった。文字は血が完全に消えた時点で、消滅してしまったのだ。

 ――綺紋きもん官能。

 綺紋を用いる種族が持つ能力。“向こう側の女達”の血統を持つ双生児だからこそ、使える力とされている。

「酒場で血が落ちていたのも、同じ事をしていたのか」

「説明するのが面倒だった。それに、大した綺紋ではないから」

 綺紋を大した事ではないと言いのける王に、ジェイドは解りつつも、またもや唖然とさせられてしまった。綺紋を使う張本人である王に取っては、当たり前の能力だからと言って当然だろうが、目の前で綺述を見せられて、しかもそれを言われてしまうと、解っていても中々の衝撃を受けてしまう。

 それに、綺紋を記しているところを、この目で見ることになるとは思いもしなかった。たとえ、双生児達を追っていたとしても、大抵が使徒、大物で綺士だろう。綺士に下れば綺紋を見ることになろうが、ジェイドに取ってそれはあり得ない。なので王に直接会うとなれば殺す時だけだ。そのような時に、綺紋を記す時が見られるとは思えない。

「別に隠していたわけではないぞ……隠したって意味も無いだろう」王はジェイドをめ付けた。ヘルレアは、ジェイドが責め立てているような空気を感じたのだろう。

「俺も、王には隠す理由がないと思っておこう」今の状況では、如何なる力も隠せば、そこに裏があるのではないかと勘繰ってしまう。全てを曝け出せと言っているわけではない。信頼関係が無いだけ、どのような行動にも過敏にならざるおえない。

 森を駆け抜ける吹雪に二人はあおられながら、死体が幾つも転がる地点から遠ざかって行った。

 いよいよ暮れが迫ってきていた。雪は吹き付け寒さは厳しくなるばかりで、ジェイドは気力も消耗しつつあった。ヘルレアの背中を見ながら、追うだけで精一杯の状態だった。如何にジェイドが日頃鍛えて、尋常ならざる精神力を備えていても、所詮、ヒトにしか過ぎない。王のように無尽蔵とも思える体力と、気力を持ち合わせている存在と、同じように動こうとすれば無理が生じる。

「ジェイド、着いて来れるか」ヘルレアは雪にけぶり、青い外套が褪せて見える。

「気にするな、歩き続けろ」

 ヘルレアはかなり速度を落としている。ジェイドはそれでも追うのが辛かった。二人の間に開いた距離は大きくなっていたが、ジェイドは決して立ち止まろうとはしなかった。

 ジェイドと王は歩き続けた。北に行く程気候は厳しく、地形も険しくなっていくが、二人は休む事なく進んで行った。遂に日は完全に没し、暗闇が訪れた。

「もう動けまい」王が声を張る。

「いや、進まなければならない」

「馬鹿かお前は。死ぬぞ」

 それでも歩き続けようとするジェイドに、ヘルレアは溜め息を吐く。するとジェイドの胴を鷲掴みにして抱え、肩へ担ぎ上げてしまった。薄く細い子供の体格でしかないヘルレアの肩に、大の男、それも大男が収まり切らずに伸し掛かっている。殆ど物理的限界な支え方で、ヘルレアはジェイドを軽々と持ち上げていた。

 王は全く苦しそうな顔はしないし、足元がおぼつかないという事がないくらい、安定している。真っ直ぐ立って、およそ気にしているところがなかった。

「何をしている! 下ろせ」

「進むんだろう。この馬鹿」

 これでは文字通りお荷物だ。しかし、今までよりも快調に進み出した。ヘルレア一人の方が、万事が万事上手くいきそうな程に長けている。

「ろくな雪山装備もなく歩き続けたんだ。人間にしてはよく歩いた方だ」

「王が人間を慰めるとはな」

 ヘルレアは足元が悪くとも、踏み抜く事なく正確に足場を選んで行く。王の頭より高い位置にある岩塊にも、岩の隙間に取り付き、岩の突起を探して足を置いて、ジェイドを背負いながら一度も落とし掛ける事なく、器用に登って行く。

「ちまちま歩くのは面倒だな……ジェイド、走るぞ」

 ジェイドはもうどうにでもなれ、という感じで生返事をした。王はそれを了解と受け取ったのか、途端に足運びが変わった。顔に叩き付けられる雪が痛い。風がそこから吹き上げてくるような重低音でもって耳を通り過ぎて行く。体が凍りそうな程固まった。景色はあっという間に後方に流れて行き、雪を追い越して行った。

「速度を出し過ぎだ」

「黙れ、舌を噛む。こちらに人の気配がする。少しくらい我慢しろ」

 ヘルレアはまさに風のように走り抜けて行き、徐々に人里の光が見えて来た。

 二人の状態は怪し過ぎるので、村の手前まで来ると、ヘルレアはジェイドを下ろした。

 村は風が吹き付ける音だけで、人が動いている様子はない。暖かな光が窓から漏れており、それでようやく人がいる事が分かる。ヘルレアは村を進むと、何かを探している様子で家屋を見て回っている。ジェイドが近寄ろうとすると手の平で制した。ジェイドは家の壁に背を着け隠れる。

 ――使徒か。

 比較的大きな一軒の家へ、ヘルレアは近づいて行き外套のフードを下ろす。戸を叩いてからしばらくすると住人が出て来た。

「夜分遅くにすみません。道に迷ってしまったんです。吹雪に会ってしまって、泊まるところがないんです。どうか一晩、お部屋をお借りする事は出来ないでしょうか」ヘルレアは儚げに住人へ訴えた。

 ジェイドは思わず額を覆う。この口調を聞くのは二度目になる。王は何でも平気でやってのける、とんでもない猫被りだ。見目が良いぶん資が悪い。ジェイドの眼が悪いのか――悪いのだと願いつつ――王は完璧な美少女だった。

「ああ、それは可哀想にね。家でよかったら泊まっていきな」

「実は、兄も一緒なんです」

「お兄さんかい?……分かった、いいよ」

「嬉しい、ありがとうございます。兄さん、親切な方が一晩泊めてくださるって」ヘルレアは妙に可愛らしい口調でジェイドを手招いた。

 茫然としていると、ヘルレアが家人に見えないように、ジェイドを睨み付けて早く来いと、顎で指示する。

 ジェイドが恐々出て行くと、ヘルレアは見た事もない愛らしい笑顔で、どこぞの兄とやらを紹介した。

 二人は客室に案内されて、ベッドをそれぞれ当てがわれた。ヘルレアは家人がいる間、笑顔を片時も絶やさなかった。その笑顔は飾っておきたい程、美しく愛らしかった。人間の認知として、この世に双生児以上の美形はいないと言われているが、それは眉唾ではないと、改めてジェイドは思わざるおえなかった。

 夫人が客室の大型灯油ストーブを作動させると、温風が吹き出して来る。直ぐには温まりそうにない程、部屋は冷え切っていた。

 夫人は何かとヘルレアに話し掛けたがり、王もそれに応えていた。ヘルレアは一切、夫人を邪険にはせず、自身から話題を出して笑いが溢れるくらい、場を和やかにした。

 部屋が温まり始め、ヘルレアの甘美な笑顔に名残惜しそうに家人が去ると、王はベッドに腰を下ろし脚を投げ出した。

「自分の容貌を利用するのが上手いんだな」

「あるものは利用しろ、だろう。騙したと文句は言ってくれるな。お前の為なんだからな」

「恐れ入った。人に対して敬語が使える事に驚いた」

「当たり前だ。いつも、いつも誰彼構わずこの口調じゃない。こういう風に喋るのは、私を王と認識している連中だけだ。でないと人間社会に紛れ込むのは困難だろう。これは私の擬態だ。先程のは大げさだけどな」

「そうやって使い分けているのか。道理でステルスハウンドでは聞かない訳だ」

「対、双生児筆頭のお前達に、敬語で喋ってどうする。これが素の私だ」

「確かに今の喋り方が一番しっくり来ると思うのは、ヘルレアが王だと知っているからかもしれないな。俺達に敬語の王など、気味が悪くてかなわない」

「そんなに気になさるなら、敬語でお喋りましょうかジェイドさん」ヘルレアは悪戯っぽく笑う。

「ジェイドさんだなんて止めてくれ、それでなくても寒いのに余計に寒気がして来る」

「失礼な奴だな、お前は。せっかく実践してやったというのに……」

 ヘルレアは急に黙り込み、扉を凝視していると直ぐに扉がノックされた。

「余計な事かもしれないけど、降りて来て温かいお茶でもどうだい。ひどく冷えていると思ってね。ちょっとした軽食も用意してあるよ」

「ありがとうございます。とても嬉しいです。お言葉に甘えさせて頂きます」

 ヘルレアは親指を立てて振り、行くぞと示した。その顔はいつもと同じ、氷のようだった。
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