死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

文字の大きさ
48 / 167
一章 死の王

第30話 過ちの代償〈前編 愛する人を送れるように〉

しおりを挟む
39


 カイムは手元の書類を、思わず握り潰した。

 ――僕は過ちを犯したかもしれない。

 エマは隠しおおせると信じていたのだろうか、あの悲しみの表情を。

 どこまで知っているのだろう。何を知ってしまったのだろう。

 エマを追い掛けるべきか。

 追い掛けてどうする。

 謝るのか。

 何を。

 謝罪は許されない。

 仲間への侮辱になる。

 そして何より、カイムは主人なのだから――。

 ――でも、僕はエマの主人ではない。

 ならばエマは。

 彼女は仲間ではないのか。

 仲間だ。

 でも猟犬ではない。

 なのに何故、こんなにも苦しいのか。幸せにと願ったのに。もう二度と辛い思いはさせないと誓っていたのに。エマ本人が知らずに背負っている過去は、カイムにとっては過去では無く、今現在の出来事であると言っていい。彼女が吐露するかげりは、真実の痛みではない。

 だから、何をしてでも守らなければ。

 ――それでも、今、一番悲しい思いをさせているのは僕だ。

 エマはヘルレアの事を知っているのだろうか。エマを屋敷へ行かせた時、この館に双生児の王であるヘルレアを招いていた事を。

 どうすればいいのだろうか。

 ここで誤魔化せば、余計に傷付けてしまうかもしれない。だが、面と向かって話して彼女の知らない事実まで話してしまったら。

 ――僕は何を考えている。まだエマに隠し続けられると思っているのか。

 それこそエマへの愚弄だ。

 こうなる事は分かって居たはずだ。それが考えていた時よりも、早まったにしか過ぎない。

 幸いというには心情が追いつかないが、今、ヘルレアは館に居ない。ヘルレア本人が身近に居て訳を話すより、居ない状態の方がエマの動揺を、最小限に抑えられるかもしれない。

 でも、それはエマがヘルレアとの対談を知らなかった場合だ。

 もう全てを知っていたら。

 あるいは断片的な情報しか知らなかったら。

 そして、実際のところ何も知らなかったら。

 全てがカイムの思い違いだったなら。

 カイムはいったいどうするべきなのだろうか。最善と踏んでいたところ、最悪の心証を踏み抜いてしまったとしたら。

 エマは常に受け入れて来た。どんなに辛い事実でも、どれだけ過酷な現実でも。だが、今回の事はどうだ。ステルスハウンドの代表であるカイムでさえ、受け入れるのが難しい出来事だった。それを二十ばかりの、まだ女の子とさえ呼べる歳の女性にこれだけ残酷な現実を突き付けて、今までのようにいられるだろうか。

 カイムが王の番となり、ステルスハウンドの館を主として治め、兵士、職員、その全てがヘルレアのものになる。

 今まで長い間、それこそエマが生まれる遥か昔から、双生児双方を敵として、争い続けている時の方が多い。そして、その争いの渦中で彼女は生まれたのだ。また、エマはステルスハウンドで、常に王は邪悪と見聞きして育って来たのだ。その双生児が、自らの主となる。王に己の命を預け、場合によっては綺士となり下僕になって使役される。これを絶望と言わずにいられようか。

 カイムが立ち上がろうと机に手をつくと、机の装飾彫りが、手のひらに押し付けられた。カイムは目の覚める思いで、縁彫りに指を這わせた。蔦と枝葉の繋がる先には、二匹の蛇が絡まりあっている。カイムは唐突にその装飾が思い出されて、再び椅子に腰を下ろした。

 ――これは間違い無く私情だ。

「……何を考えていた」

 カイムはステルスハウンドの代表であり、猟犬の主人だ。誰が傷付こうとも、しなくてはならない事がある。それがエマやジェイド、オルスタッド達が過酷な道に立たされたとしても。現に影の猟犬ゴーストハウンドは人員の入れ替わりが活発だ。死地へ送り出すのを承知で、常に任務を遂行させている。そしてエマを仲間だというならば、尚更に特別扱いするべきではないのではないか。

 ――しかし、それでも駄目なのだ。

 幼いエマが思い出されて、いつも逡巡してしまう。カイムは、エマが生まれた時から傍に居た。歩き出した頃も知っているし、乳歯が全て生え変わった時も知っている。妹のように思って来た。

 誰も蔑ろにするつもりはない。でも、エマだけは見届けてやりたいという思いがある。けして揺るがない幸福を約束してやりたい。今までの過酷な時間を忘れてしまうくらいに。真実を知らないままで。

 ――そう、いつかエマに好きな人が出来た時、送り出してやれるような、平和な世界を遺してあげたい。

 たとえ僕が、いなくなった後だとしても。

 おそらくカイムは、多くの事を見届けずに、去る日が来る。でも、それをエマが知る必要は無い。今はただ傍に居て、彼女が自分の道を歩いて行けるまで、歩みを揃えてあげられればいいと願っている。

 カイムは椅子の背もたれに、深くもたれ掛かり上を向いて強く目を閉じた。

 色々考えても結局は、後ろめたいのだ。エマの小さな変化に怯えて、どうしようもなく焦っている。余裕がある振りをして、内心はこんなにも揺れ動いていたのだ。いずれ知れると分かっていながら、心のどこかでこのまま何事もなかったのだと、振る舞い続けていられたら、そのように考えていた。

 でも、それを続ける事は出来ない。いずれ破綻してしまう。

 エマが何を知り、何を望んでいようとも、彼女自身がカイムに何も求めない限り、何もするまい。そしてもう、ヘルレアに付いては隠したりはしない。これだけカイムの傍近くにいるのだ、事実を知る権利はエマにもある。

 たとえカイムが隠したとして、エマが彼に何も聞かなかったとしても、いずれはその時は必ず来るのだから。

 執務室の扉がノックされた。一瞬、エマかと思ったが、直ぐに違うのだと納得した。ノックをした相手を招くと猟犬であった。深刻な表情で書類を抱えている。

影の猟犬ゴーストハウンド、ジェイド・マーロンからの報告が入りました」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

天城の夢幻ダンジョン攻略と無限の神空間で超絶レベリング ~ガチャスキルに目覚めた俺は無職だけどダンジョンを攻略してトップの探索士を目指す~

仮実谷 望
ファンタジー
無職になってしまった摩廻天重郎はある日ガチャを引くスキルを得る。ガチャで得た鍛錬の神鍵で無限の神空間にたどり着く。そこで色々な異世界の住人との出会いもある。神空間で色んなユニットを配置できるようになり自分自身だけレベリングが可能になりどんどんレベルが上がっていく。可愛いヒロイン多数登場予定です。ガチャから出てくるユニットも可愛くて強いキャラが出てくる中、300年の時を生きる謎の少女が暗躍していた。ダンジョンが一般に知られるようになり動き出す政府の動向を観察しつつ我先へとダンジョンに入りたいと願う一般人たちを跳ね除けて天重郎はトップの探索士を目指して生きていく。次々と美少女の探索士が天重郎のところに集まってくる。天重郎は最強の探索士を目指していく。他の雑草のような奴らを跳ね除けて天重郎は最強への道を歩み続ける。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります

内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品] 冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた! 物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。 職人ギルドから追放された美少女ソフィア。 逃亡中の魔法使いノエル。 騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。 彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。 カクヨムにて完結済み。 ( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

処理中です...