死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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一章 死の王

第33話 黒い日輪

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 二人は村を出て再び森を歩き出したが、ヘルレアのささやかな猛攻で、ジェイドは手負いとなり、まるで散策するかのような足取りとなっていた。

 シャマシュといえば二人の誘導を終えて、ヘルレアの腕の中に収まっている。しかし、何故かシャマシュはオルスタッドのペンライトを離そうとせず、取り上げようとすると逃げてしまう。よほど気に入ったのだろうと放って置くことにして、根拠なき探索をするしかなかった。

「目は見えるようになったか?」

「ああ、大分いい」

「手加減してそれとはな」

「もう少し遅ければ俺は死んでた……」

 だが、王の言うとおりかなり手加減をして、ジェイドを打ち据えていた。王が本気を出せば人間など一撃で死んでいる事だろう。ヘルレアはいとも簡単にやってのけたように言っていたが、その手際は繊細かつ絶妙な配分が必要だったということが、ジェイド自身の怪我具合で分かる。

 殺生与奪の権とヘルレアは言っていたが、その言葉に偽りがあると思えない、明確な答えだった。

 相変わらず雪の積もった根を越えて、時折落ちてくる枝葉に積もった雪をかぶって、二人は進んで行く。既に目指す方向はない。しかし、王か綺士どちらか、あるいは双方出会う可能性が高く、簡単に引き下がるわけにもいかなかった。根比べの域に達しているのだ。綺士が出ればいい。王なら更にいい。しかし、同時に最悪の邂逅でもあった。

 出来るなら片王に会いたい。王であるヘルレアがいれば、少しでも片王に瘢痕はんこんを付けられるはずだ。深ければ深い程いい。二度と消えない傷を。

 しかし、それは。

 ――ならば死も近いと言うこと。

 未成熟なヘルレアでさえ異常な強さを見せた。片王がどのような状態かは分からないが、出会って生き残れるとは思えない。

「死ぬ前に頼みたいことがある」

「何を言っているんだ?」

「ふざけているわけじゃない。今まで色々お前と話したが、その結論として聞いてくれ」

「今際の際に聞けというのか。あいつを殺したら聞いてやろう。おい! 足元……」

 ヘルレアはジェイドを肩で持ち上げ、投げ飛ばした。

「――何をする」

「ジェイド、かがめ」

 ジェイドはとっさに雪へ突っ伏した。

 頭の上を何かが掠めた。

「こいつ、ジェイドを狙っている」

 シャマシュをどこへともなく放り出した。

 ヘルレアが飛び、複雑な木の幹に取り付いた。

「伏せていろ。何もするな」

 ヘルレアは足だけで幹に掴まり、逆さになって身体を振ると、勢いを付けて黒い影に飛び付いた。重い音を立てて根が折れる乾いた音が響き渡った。

 ヘルレアは真っ黒な巨体の上に乗って、首を絞めている。

「お前、よくこれだけ狭いところを飛び回っていたな」

 綺士が脚だけで跳ぶように立ち上がると、ヘルレアは振り落とされそうになった。王は急いで間合いを取ると、再び頭を狙って駆ける。しかし、綺士が玉が弾けるような速さで、幹から幹へと跳び退いて行く。ヘルレアは目で追うだけで動く事が出来ない。

 そこへシャマシュが来て綺士へ取り付いた。一瞬でシャマシュは両断され地面に落ちた。しかし、ヘルレアは見向きもせず綺士へ視線を固定して、ナイフを抜いた。ヘルレアの瞳と同じ青が、ナイフに文字として灯っている。

 ヘルレアがナイフを構えていると、背後へ影が過ぎった。ヘルレアのフードが切れ頭が晒された。王は低く腰を落とすと再び綺士の影が過ぎる。ヘルレアは顔を切られ傷から血を滴らせた。順手に持ったナイフを構えたまま、王は傷を負っても、瞬きすることなく周囲を覗っている。その間ヘルレアは何度も何度も、爪で切り付けられたが一切反応しなかった。

 ヘルレアの真正面から綺士が来た瞬間、王は突進して綺士に組み付き、後頭部へナイフを突き立てようとした。しかし、綺士は暴れてヘルレアは首に取り付いているのが、精一杯の状態になった。

 ジェイドは伏せながら銃を抜くと、厚い腹部を狙う。その途端、綺士はヘルレアを連れたまま飛び退り、弾丸のようにジェイドへ向かって来た。素早くジェイドは動いたが綺士の方が速かった。身動きの途中で突っ込まれるとジェイドが半ば諦めた瞬間、ヘルレアが綺士の首を仰け反らせた。すんでのところで右に外れ、ジェイドも直ぐに距離を取った。

 ジェイドが立ち上がり綺士を見ると、綺士の頭が関節があるかのように背部に折れていた。ヘルレアは叩き付けられ、根を巻き込んで雪に埋もれていた。

「ヘルレア、無事か」

「これだけクッションだらけのところで、どうもするわけがないだろ」

 ヘルレアが体勢を整えるまで、ジェイドは綺士に銃を発砲し続けた。

「ジェイド、行くぞ」

 ヘルレアは綺士に向けて走り込むと飛び蹴りを見舞った。綺士は高い位置に飛び、木を折りながら遠くへ飛んでいった。

 ヘルレアとジェイドは直ぐに追いかけるが、既に綺士は立ち直り、首が折れたまま王達を出迎えた。

 綺士は頭を正面に戻し、そのまま着けてしまった。直ぐに傷も癒えていく。

 が、どす黒い物質が綺士を斑に染めていた。汚れているわけでもないようだった。今まで、ジェイドは綺士の姿をまじまじと見る事がなかったから、元から斑でなかったとは言えないが、おそらく普通の綺士は以前見たように全身鱗で覆われているだけなはずだった。

 しかし、ヘルレアは何も反応しない。ジェイドも王を倣って何も言わず、銃を綺士の腹に打ち込み始めた。

 ヘルレアが今度はナイフを逆手に持って綺士に躍りかかった。綺士の身体に取り付くと、後ろから手前へ、腕に充てがったナイフを一閃させ、腕を切り落とした。

 だが、綺士は反応しない。それどころか、自ら切り口を抉ると、中から肉が露出した腕が、毟り出て来た。

「こいつは格が高いかもな」

「綺士の格か」

「つまり王のお気に入りってことだ」

「当てずっぽうに感じるが、強いってのは確かだな。以前の綺士とは違うようだ」

 ヘルレアは低い姿勢で走り寄ると綺士の両足を一度に切り崩した。綺士はよろけて腕を付くが赤々と鱗の揃ってない足が、既に生えてしまった。

「再生が早い。ナイフでは役にたたない」

 ヘルレアはナイフを納めると、綺士が完全に立ち上がる前に取り付いた。そして心臓と思われる辺りに、拳を振り被り叩き込む。腹へ響く重たい音が空気を震わすと、王が腕を押し込み、と鱗が押し出されたわんだ。王の腕は上腕どころか肩口まで呑まれて行き、限界まで踏み込むと、肉の中を赴くままにまさぐって蹂躪する。ヘルレアの激しい肉を掻く動作で、肉や臓物の引き千切られた欠片が、吐瀉物のように溢れ流れ出て来る。

 王は一時止まると何かを掴んだようで、一気に引き摺りだすと、その手には肉塊を掴んでいた。血が飛沫いて、王と綺士自身が更に濃厚な血潮に斑と染まる。

 瞬間、綺士は大音声の悲鳴を上げる。

 ジェイドが初めて聞く種類の、綺士が上げる悲鳴。それは真からの苦痛と、鬼気迫る断末魔のようだ。

 ヘルレアは肉塊――まだ綺士の胸に筋で繋がったままの――をまじまじと見ている。

「……これは、なんだ」

「王、それは心臓ではないのか」

「綺士の体格にしては小さいが、確かに心臓だ。何か書いてある」

 ヘルレアが心臓へ顔を寄せると、綺士が急激に暴れだした。

 綺士は今までとは異なる、捨て身に近い動作でヘルレアを振り切って、心臓を取り戻すと、必死になって体へ納め直した。俯き身悶えていて、かなり苦しそうにしている。ヘルレアへ襲って来る様子がなく、手で胸の傷を押さえ続けていた。しばらくそうしていると、綺士の胸にあった大穴が消えて滑らかなはだに戻っていた。

 綺士は今までと違い、直ぐに飛び込んで来るのでは無く、四つん這いになって王を覗っている。ヘルレアも何かを考えているのか、警戒は怠らないが次の攻撃に出ない。

 ヘルレアは綺士を見据える。

「――黒い日輪」

 森閑とした雪降る森に、王の強い高らかな声が通る。

 その瞬間、綺士の全身に青い鎖が巻き付くように、綺紋が浮かび上がり、広がった。綺士の身体に刻まれた青い綺紋が、黒い面で、仄かでありながら鮮やかに灯り続ける。

「これは、この綺士が世界蛇から与えられた、だ。
 いけ、シャムシエルそいつの綺紋を掻き乱せ」

 綺士を斑に染めていた黒い物質に、青い微細な綺紋が一瞬で浮き出す。それが、綺士の身体へ寄生虫が這い回るように散じて、綺士自身に巻き付いてた綺紋を書き換え始めた。

 綺紋同士が打つかると、互いがモザイクのように潰れて、一つに統合してしまい、先程までとは違う綺紋になってしまう。本当に喰い尽くすように綺紋を侵し書き換えていった。

 綺士は酷く苦しんで、自ら木に体当たりしたり、地面に転がったりを繰り返した。甲高い苦しみの悲鳴に、ジェイドは耳を塞ぎたくなってしまう。

 ヘルレアは駆け出すと綺士の頭を鷲掴みして、蹴りを叩き込んだ。綺士の顔面は陥没してそのまま戻る事がなかった。ヘルレアはナイフを持つと、頭に指がめり込む程強く掴み、ナイフを頸に一閃させて切り取ってしまう。出血が尋常な量ではなく、ヘルレアは全身血を被った状態になってしまった。――だが、もうこれ以上血に穢れる余地はないのだが。

 綺士は頭が無いまま、のた打ち回り続け、前後不覚のまま暴れている。雪は鮮血に穢れ、どろどろの血の池となっている。

 王は、暴れ続ける綺士の懐に飛び込み、もう一度胸へ拳を叩き付けると、心臓を引き出して、筋も断って毟り取った。綺士から飛び退くと素早く離れる。

 ヘルレアは綺士の心臓を一気に握り潰す。熟れた果実の汁が絞り出されるように流れた。

 王の手を透けて青い火が、天へと融けて消えて行く。

 綺士は心臓を失って動きを止めるどころか更に苦痛に暴れたが、次第に動きは緩慢になり、綺士に巻き付いている綺紋も、虚空へ解けるように消えていった。

 動かなくなった綺士の巨体だけがそこに残された。

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