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一章 死の王
第39話 相違の誓い
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ヘルレアとジェイド、オルスタッドは森が僅かに開けた地点に留まっている。救助要請を行い、ヘリでの救助が可能という事で、枝葉の切れ目が広い雪野を選んだのだった。
「……本当にこれでいいのか」
「何を今更、迷うなど手遅れだ。この時になってまごついて、見殺しにするには愚かに過ぎよう。ならばこいつの命を救ってやる方が、まだ賢さの一欠片でも見出だせるというもの」
これは一か八かの賭けだった。ヘリでの救助では否が応でも目立ってしまう。クシエルに自分達はここだと教える様なものだ。しかし、ヘリでなければオルスタッドの救命は適わないと判断した。
迷ってる時間はない。王が許した。
ヘルレアはオルスタッドを横抱きにして眼を瞑っている。気配を探っているだろうその姿は慈母のようだ。
「ヘルレア、髪を括ったらどうだ」
「髪をまとめるからオルスタッドを頼む」
ヘルレアはウエストバッグからゴムを取り出し簡単に高いところで括った。それでも髪の毛は膝上まで届いていた。艷やかな黒髪は柔らかで、大きな間隔でもって波打っているので、ほとんど直毛だ。綺士の鱗が見せる複雑な色合いと同じで、よく見ると黒は黒でも様々な色味を示している。毛先まで滑らかで艶があった。
ようやくヘルレアの服にまで意識が向いたが、改めて見ると酷い有様だ。最初に投げ飛ばされた時に、服がズタズタに引き裂かれてしまっていた。服の裂け目から抜けるように白い肌が露出している。何よりまずいのが、胸からごく薄い桃色の小さな尖りが、見えてしまっている事だ。ヘルレアの年齢ならありえない程幼く小さい。しかし、いくら見目は幼かろうと、ヘルレアは年相応に少年、少女くらいの体格がある。妙な趣味の隊員はいないだろうと思う――それは、まあジェイドの希望的観測にしか過ぎないが――しかし色々考えると、相手はヨルムンガンド。正直、規格外の生物だから、人類がどういった反応を起こすか未知数だ。変な気でも起こして殺されては堪らない。
「服も直せ。みっともない」
「ほっとけ」
「どういう意味だ」
「私にも私の事情があるんだ」
「ヘルレアはもう少し、自分の見た目が奇異だと意識したほうがいい。でないと、いらぬトラブルに巻き込まれるぞ。いくらでも無体を働こうとする輩がいるのだからな。無闇に殺してくれるな」
「私ではなくて、そっちの心配か。せめて美しいと言ってくれ――今は綺紋が使えないんだよ。これ以上何も聞くな」
ヘルレアはオルスタッドを横抱きに奪うと、あからさまにそっぽ向いた。
綺紋が使えないとはどういう事なのだろう、という疑問を口に出そうとしたが、それを呑み込んだ。これはヘルレアにとって致命的な事態なのだろうというのは、いくらジェイドでも分かる。それを彼に打ち明けてくれたのは、破格に他ならないだろう。
それは、綺紋官能の発露と何か関係があるのだろうか。
ジェイドは上着を脱ぐと、ヘルレアの肩に着せ掛けた。
「救助を待つ少しの間だ、貸してやる」
「お前の方が寒さに耐えられないのじゃないか? ……と、いうかオルスタッドに掛けてやれ。死に掛けてるぞこいつ」
ジェイドは静まり返える曇天に目を凝らす。ヘリの姿はなく鳥だけが空を舞っている。
それから何時間も佇んでいるような気分になって来た。クシエルも綺士もどうやら来ない。未熟な王に執着がないようにジェイドには見えた。
それが正解ならばいいと、願う。
足の感覚が既になく、まさに棒立ち状態で東の空を見た時、黒い影を見付けた。
「ヘルレア、あれは」
「機械音がする。綺士ではないようだ」
周囲を警戒しつつ、ヘリをまだかまだかと見上げていると、焦れる速度でようやく三人の元へ到着した。
ヘリが頭上でホバリングしている。
ホイストで吊り下げられた救助担架に、オルスタッドを乗せると引き上げられた。
「時間が掛かるから私に任せろ」
ジェイドはしぶしぶ頷く。
ヘルレアはジェイドを肩で背負いヘリへの搭乗口に飛び、片手でぶら下がった。ジェイドはヘルレアの肩を借りてヘリに乗り込むと、ヘルレア自身はいとも簡単に飛び乗った。
ヘリにはチェスカルも搭乗していた。彼等はあ然としている。ヘルレアの奇行を、一度も見た事がないのだから無理もなかった。
ジェイドは今度こそヘルレアに上着を着せた。ヘルレアは苦笑いしている。
「チェスカル、よく来られたな」
「無料で来たわけではありません。向こう十年、無償で魔獣狩りを請負うのが条件で、全面的に東占領……東アルケニアの協力の元、救助活動を行いました。カイム様、即決です」
「蛇狩りが魔獣狩りとは、カイムもやらかしたな」
「まあ、やらかしたのは俺達だからな。何も言えん」
チェスカルが、ジェイドとヘルレアを不思議そうに見ている。
「どうかしたか」
「いえ、失礼。ユニスとエルドの班員ですが、無事連絡が取れ、二人には悪いですが極秘裏の国境超えを予定通り行う事になりました。これは二人の要望でもありますが、これ以上東アルケニアに足元を、と言うわけです」
ヘルレアが外を見張っている。まだ、クシエルから襲撃の危険性があり、安穏とはしていられない。
「オルスタッドの容態はどうだ」
「呼吸は弱いですが、今のところ安定しています」
代償は大きかったが、これでオルスタッドも助かれば、今回の任務は今までで一番の成果を上げた事になる。
今まで片王と呼んでいた王の名がヨルムンガンド・アレクシエル――クシエルで、王自身に会ってその口から名前を聞き出す事が出来たのだ。そして、成熟した王であるクシエルの強さも知られた。
クシエルは成熟し男になっていた。と、いう事は番いは人間の女だ。
綺士の存在も確認出来た。そして、その弱点も。ヘルレアにしか突けない綺紋にまつわる弱点だが、今はそれで十分だと思われた。
しかし、巣があるかどうかまでは確認出来なかった。巣の存在が明るみに出れば、戦況が変化するくらい重要な情報だった。
「正直、俺は生きて帰れると思っていなかった。ヘルレアはクシエルに手も足も出なかったが、生きているだけで十分だと思っている」
「私は不満だけどな。まさかあそこまで成熟と未成熟の差があるとは思わなかった」
「ヘルレア、身にしみただろう」ジェイドはにっと笑った。
「何か腹立つな。お前達の要望など思慮外だ。覚えとけ」
「いつまでそう言っていられるだろうな」
「いつまでも言い続けるさ。私は独りで戦いクシエルと決着を付けるってな」
「そういうのは強がりと言うんだ。やはり、まだ子供だな」
「私は世界蛇の子供だ、何が悪い。人間の子供ように自我のない、小動物のような生物と一緒にするな」
「子供は子供、似たようなものだ」ジェイドはヘルレアの頭をぐりぐり撫でる。
ヘルレアの目が青く灯り出した。感情が簡単に昂っている。やはり子供だ。
ジェイドは含み笑った。
何故かとても穏やかな気持ちで、ヘルレアと接する事が出来ている。
それでも全てに翳りが無いわけではない。寧ろ、その影は深く、僅かに差し込む光に目を向けようと闘っている状態なのだ。ヘルレアを手放しで受け入れられるわけではない。ジェイドの心に少しだけ出来た隙間に、ヘルレアがようやく馴染み始めたばかりだ。
チェスカルが咳払いをする。
「随分、仲の良い御様子ですが、一言、言わせてもらいます。ステルスハウンドの人力は有限です。今回の事は、甘いカイム様に代わって説教をさせて頂きます」
「うわ、この感じ苦手。ジェイド任せた」
「俺が、か。一応、部隊長なんだが……」
「問答無用」
チェスカルの説教をはぐらかしていると、ヘルレアが中腰に立ち上がった。
ヘリの窓から黒い物体が、遠くの地上から近付いて来るのが見える。先程の心臓を投げ飛ばした翼を持った綺士のようだ。クシエルは居るのかどうかは分からない。
「お出ましだ。おい、操縦士。出来る限りの速度を出せ。あとは神にでも祈っとけ」
ヘルレアはドアを開け放った。風が重低音で流れていく。
「ヘルレア、戻る気か」
「言っただろう。なんとかしてやる、と」
ヘルレアは穏やかに微笑む。
「しかし、今のお前は……」
「また会おう、ジェイド」
ヘルレアはヘリから飛び出して行った。
ヘルレアとジェイド、オルスタッドは森が僅かに開けた地点に留まっている。救助要請を行い、ヘリでの救助が可能という事で、枝葉の切れ目が広い雪野を選んだのだった。
「……本当にこれでいいのか」
「何を今更、迷うなど手遅れだ。この時になってまごついて、見殺しにするには愚かに過ぎよう。ならばこいつの命を救ってやる方が、まだ賢さの一欠片でも見出だせるというもの」
これは一か八かの賭けだった。ヘリでの救助では否が応でも目立ってしまう。クシエルに自分達はここだと教える様なものだ。しかし、ヘリでなければオルスタッドの救命は適わないと判断した。
迷ってる時間はない。王が許した。
ヘルレアはオルスタッドを横抱きにして眼を瞑っている。気配を探っているだろうその姿は慈母のようだ。
「ヘルレア、髪を括ったらどうだ」
「髪をまとめるからオルスタッドを頼む」
ヘルレアはウエストバッグからゴムを取り出し簡単に高いところで括った。それでも髪の毛は膝上まで届いていた。艷やかな黒髪は柔らかで、大きな間隔でもって波打っているので、ほとんど直毛だ。綺士の鱗が見せる複雑な色合いと同じで、よく見ると黒は黒でも様々な色味を示している。毛先まで滑らかで艶があった。
ようやくヘルレアの服にまで意識が向いたが、改めて見ると酷い有様だ。最初に投げ飛ばされた時に、服がズタズタに引き裂かれてしまっていた。服の裂け目から抜けるように白い肌が露出している。何よりまずいのが、胸からごく薄い桃色の小さな尖りが、見えてしまっている事だ。ヘルレアの年齢ならありえない程幼く小さい。しかし、いくら見目は幼かろうと、ヘルレアは年相応に少年、少女くらいの体格がある。妙な趣味の隊員はいないだろうと思う――それは、まあジェイドの希望的観測にしか過ぎないが――しかし色々考えると、相手はヨルムンガンド。正直、規格外の生物だから、人類がどういった反応を起こすか未知数だ。変な気でも起こして殺されては堪らない。
「服も直せ。みっともない」
「ほっとけ」
「どういう意味だ」
「私にも私の事情があるんだ」
「ヘルレアはもう少し、自分の見た目が奇異だと意識したほうがいい。でないと、いらぬトラブルに巻き込まれるぞ。いくらでも無体を働こうとする輩がいるのだからな。無闇に殺してくれるな」
「私ではなくて、そっちの心配か。せめて美しいと言ってくれ――今は綺紋が使えないんだよ。これ以上何も聞くな」
ヘルレアはオルスタッドを横抱きに奪うと、あからさまにそっぽ向いた。
綺紋が使えないとはどういう事なのだろう、という疑問を口に出そうとしたが、それを呑み込んだ。これはヘルレアにとって致命的な事態なのだろうというのは、いくらジェイドでも分かる。それを彼に打ち明けてくれたのは、破格に他ならないだろう。
それは、綺紋官能の発露と何か関係があるのだろうか。
ジェイドは上着を脱ぐと、ヘルレアの肩に着せ掛けた。
「救助を待つ少しの間だ、貸してやる」
「お前の方が寒さに耐えられないのじゃないか? ……と、いうかオルスタッドに掛けてやれ。死に掛けてるぞこいつ」
ジェイドは静まり返える曇天に目を凝らす。ヘリの姿はなく鳥だけが空を舞っている。
それから何時間も佇んでいるような気分になって来た。クシエルも綺士もどうやら来ない。未熟な王に執着がないようにジェイドには見えた。
それが正解ならばいいと、願う。
足の感覚が既になく、まさに棒立ち状態で東の空を見た時、黒い影を見付けた。
「ヘルレア、あれは」
「機械音がする。綺士ではないようだ」
周囲を警戒しつつ、ヘリをまだかまだかと見上げていると、焦れる速度でようやく三人の元へ到着した。
ヘリが頭上でホバリングしている。
ホイストで吊り下げられた救助担架に、オルスタッドを乗せると引き上げられた。
「時間が掛かるから私に任せろ」
ジェイドはしぶしぶ頷く。
ヘルレアはジェイドを肩で背負いヘリへの搭乗口に飛び、片手でぶら下がった。ジェイドはヘルレアの肩を借りてヘリに乗り込むと、ヘルレア自身はいとも簡単に飛び乗った。
ヘリにはチェスカルも搭乗していた。彼等はあ然としている。ヘルレアの奇行を、一度も見た事がないのだから無理もなかった。
ジェイドは今度こそヘルレアに上着を着せた。ヘルレアは苦笑いしている。
「チェスカル、よく来られたな」
「無料で来たわけではありません。向こう十年、無償で魔獣狩りを請負うのが条件で、全面的に東占領……東アルケニアの協力の元、救助活動を行いました。カイム様、即決です」
「蛇狩りが魔獣狩りとは、カイムもやらかしたな」
「まあ、やらかしたのは俺達だからな。何も言えん」
チェスカルが、ジェイドとヘルレアを不思議そうに見ている。
「どうかしたか」
「いえ、失礼。ユニスとエルドの班員ですが、無事連絡が取れ、二人には悪いですが極秘裏の国境超えを予定通り行う事になりました。これは二人の要望でもありますが、これ以上東アルケニアに足元を、と言うわけです」
ヘルレアが外を見張っている。まだ、クシエルから襲撃の危険性があり、安穏とはしていられない。
「オルスタッドの容態はどうだ」
「呼吸は弱いですが、今のところ安定しています」
代償は大きかったが、これでオルスタッドも助かれば、今回の任務は今までで一番の成果を上げた事になる。
今まで片王と呼んでいた王の名がヨルムンガンド・アレクシエル――クシエルで、王自身に会ってその口から名前を聞き出す事が出来たのだ。そして、成熟した王であるクシエルの強さも知られた。
クシエルは成熟し男になっていた。と、いう事は番いは人間の女だ。
綺士の存在も確認出来た。そして、その弱点も。ヘルレアにしか突けない綺紋にまつわる弱点だが、今はそれで十分だと思われた。
しかし、巣があるかどうかまでは確認出来なかった。巣の存在が明るみに出れば、戦況が変化するくらい重要な情報だった。
「正直、俺は生きて帰れると思っていなかった。ヘルレアはクシエルに手も足も出なかったが、生きているだけで十分だと思っている」
「私は不満だけどな。まさかあそこまで成熟と未成熟の差があるとは思わなかった」
「ヘルレア、身にしみただろう」ジェイドはにっと笑った。
「何か腹立つな。お前達の要望など思慮外だ。覚えとけ」
「いつまでそう言っていられるだろうな」
「いつまでも言い続けるさ。私は独りで戦いクシエルと決着を付けるってな」
「そういうのは強がりと言うんだ。やはり、まだ子供だな」
「私は世界蛇の子供だ、何が悪い。人間の子供ように自我のない、小動物のような生物と一緒にするな」
「子供は子供、似たようなものだ」ジェイドはヘルレアの頭をぐりぐり撫でる。
ヘルレアの目が青く灯り出した。感情が簡単に昂っている。やはり子供だ。
ジェイドは含み笑った。
何故かとても穏やかな気持ちで、ヘルレアと接する事が出来ている。
それでも全てに翳りが無いわけではない。寧ろ、その影は深く、僅かに差し込む光に目を向けようと闘っている状態なのだ。ヘルレアを手放しで受け入れられるわけではない。ジェイドの心に少しだけ出来た隙間に、ヘルレアがようやく馴染み始めたばかりだ。
チェスカルが咳払いをする。
「随分、仲の良い御様子ですが、一言、言わせてもらいます。ステルスハウンドの人力は有限です。今回の事は、甘いカイム様に代わって説教をさせて頂きます」
「うわ、この感じ苦手。ジェイド任せた」
「俺が、か。一応、部隊長なんだが……」
「問答無用」
チェスカルの説教をはぐらかしていると、ヘルレアが中腰に立ち上がった。
ヘリの窓から黒い物体が、遠くの地上から近付いて来るのが見える。先程の心臓を投げ飛ばした翼を持った綺士のようだ。クシエルは居るのかどうかは分からない。
「お出ましだ。おい、操縦士。出来る限りの速度を出せ。あとは神にでも祈っとけ」
ヘルレアはドアを開け放った。風が重低音で流れていく。
「ヘルレア、戻る気か」
「言っただろう。なんとかしてやる、と」
ヘルレアは穏やかに微笑む。
「しかし、今のお前は……」
「また会おう、ジェイド」
ヘルレアはヘリから飛び出して行った。
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