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二章 猟犬の掟
第12話 人というものを〈前編 死を恋う神へ〉
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カイムは、ヘルレアが先に支払わないように外で待たせ、会計を済ませることにした。今度は――ノヴェクへ――というやり取りを、何となく見せたくなかった。王が見ていなくても、持参したカードで会計を済ました。
店外へ出るとヘルレアは、大分店から離れた木の側で、一人立っている。木陰に入っていたいのかもしれない。ジェイドからヨルムンガンドは陽射しを嫌うと聞いていた。ヘルレアの元へ行こうとすると、建ち並ぶ商店の一つに花屋を見つける。なんとなく気になり、一人で店に入った。
花々の匂いがほんのり鼻腔をくすぐる。様々な種類の花が色鮮やかに咲いている。カイムは花に明るくないので名前が殆ど分からない。
ただ、白百合だけがカイムの目を止めた。カイムの白百合よりも、やや小ぶりで色も黄色味掛かっているように感じられる。それでも札には白百合と書かれているので、種類としてはそれ程差は無いのだろう。しかし、館の白百合は自家栽培で専属の猟犬が育てているので、それは大きな差に繋がるかもしれない。
「……ああ、そうか。主人の白百合だものな」自分のもの、特別な花だと意識しているのに、市販の花が同じものだと考えていたことに改めて気付いた。
――白百合は白百合でも、まったく違うのかもしれない。
カイムは白百合だけは手に取れなかった。この花は死者への花だ。いくら死の王への贈り物だとしても、皮肉に過ぎる。
それでうろうろと店内を見回ったが、今一、気に入った出来合いの花束がなかった。
しかし、そもそもヘルレアは花を贈っても、喜ぶような存在だとは思えなかった。だが、贈って別に何かが損なわれるわけでもないと、もう一度花を見ては首を捻り続けた。
「何かお探しですか? 花束をお作り致しましょうか」店員が見かねたのか、カイムへ微笑む。
「そうですね、僕はあまり花に詳しくないのですが、贈り物にしたいと思っていて」
「では、当店にお任せ下さい。何かご希望のお色や組み合わせ、イメージ、贈る方へのお気持ちなどがございましたら、ご提案させて頂きます」
「……感謝の気持ちを、伝えられるような感じがいいのですが」
「では、お色などはいかが致しましょう」
「暖かい色味がいいですね」
「お値段のご希望はございますか」
「値段には特にこだわりはないので、一番良い状態の花束へ仕上げて下さい」
店員はカイムの希望を聞くと、直ぐにとても豪華で密度の高い、黄色味の強い花束を作り上げた。
カイムは店を出ると、背後へ大きな花束を隠した。王は前と同じところにいるから、そろそろと近付いて行く。そうするとヘルレアは、大分手前でカイムに気付き振り返った。
カイムは何も言わず、いきなり花束をヘルレアへ差し出す。
ヘルレアは目を瞬いている。
「デートでこういうのって良くありませんか」
「人間だったらな――こんなもの貰っても腹の足しにもならないさ。正直、花を愛でる人間の心理には今一つ付いてけない。私の視覚と嗅覚の鋭敏さは人間とは比べ物にならない。私とカイムが見ているこの花束は、二人では感じ方が全くの別物だろう。色彩がぐちゃぐちゃだし汚くて臭い」
「……ですよね、分かっていました」
カイムは花屋へ戻ると、代金はそのまま、花束だけ返した。
振られた残念な男のような、雰囲気を醸し出していただろうな、とカイムはため息をつく。
外へ出ると王は子供と話していた。不思議に思ってヘルレアの元へ行くと、その子供が随分と目を引く容姿だという事に気が付いた。
九、十才の女児だ。身長はヘルレアの胸下辺りまでしかない。明るく濃い金髪は腰まであり、緩く巻いたさまは、まるで人形のようで愛らしい。手作りらしい白いワンピースを着ている。
「ねえ、眼を見せて。光っているわ」
「無料じゃ見せない」
「ケチ!」
カイムは可愛らしいやり取りに、小さく吹き出した、が――。
「……お前、何なんだ。首をへし折ってやる」
カイムは総毛立ち、間髪入れずに飛び出した。頭が真っ白になり、衝動で体が反応していた。
しかし、焦って走り寄るカイムを、手で制したのは王だった。カイムの胸元をやんわり抑えて、子供から距離を取らせているのが分った。
女児は一般的に言えばかなり美しい容姿だった。一般的には、だ。一瞬、ヨルムンガンドと比べた事に、カイムは自分を恥じたが、それだけ幼いながらも、美貌を持ち合わせているという事だ。
王とはまた違う血の通った白い肌。柔らかく巻いた純金の長い髪。しかし、硝子玉のような翠の瞳は、何も写していない。
昼日中の明るい陽光の中で、どこか翳りを背負う女児。纏う気配はあまりに小さく弱いが、人の心がささくれ立つ。
カイムはその人形を模した子供の、異物に気づき息を飲む。
首輪をしている。着飾る為のチョーカー類ではなく、犬が付けるような革製の、拘束が目的に使用される本物の首輪だ。
子供が嗤う。
「この子がどうなってもいいの」
「どういう意味だ」
「人間が好き? 病気の王様、狂った王様、やっと見つけた。ようやく見つけた」
「王、いけません!」
「分ってる、普通の子供だ」
「ねえ、侮辱されたのに殺せないの? ヨルムンガンドでしょう。酷い、ノイマンのせいね。あの男、今もヘルレイアに鎖を括り付けてる」
「だったらどうした」
「私を助けたいわよね。王には見棄てられない」
「なぜ、そう思う」
女児は小鳥のように笑う。
「王はこんなにも無垢な生き物を、見殺しには出来ない。ノイマンが教えてくれたでしょう――いいえ、それともアイシャかしら」
女児は身を翻して走って行く。
子供の足だ。その姿を追うに難しくは無かった。王なら、尚更に。
「王、追うのは危険です。お止めください」
「分りやすい罠だが、誘われたんだ。追ってやろう」
「子供の為ですか? 見棄てる事が出来ませんか、王」
「それは、願いか。カイムは見殺しにして欲しいのか。それとも、私への疑問か」
「疑問です」
「何を答えても意味は成さない。でも、何かはしてやろう。ただ、それだけだ」
「何を答えられても、聞き入れられない愚か者とお思いですか」
ヘルレアは一瞬だけ目を見張った。
「……手を引いたのが私ならば、離してやれるのも私だ」
ヘルレアが走ると一足飛びに子供の背後に着き、捕まえる事なく、誘導を受け入れた。カイムも見失わないように、二人の後を追う。
カイムは眉根を寄せる。
あまりにも危険だ。
ヘルレアは人の意志に左右され過ぎる。本来なら、王程の力を持つ者が、人間の思惑などに乗ってはならない。
だが、その心のありように、カイムは侘しさを覚える。
カイムはまだ自身が王が病む、歪むという事を、真の意味で分っていないのだ、という気がした。
女児は商店で賑わう区画から、人気も疎らな方向へとひた走る。王は足並を揃え、速度を抑えて距離を保つ。
建物の路地へ入り、右へ左へと迷路を行くように走り続けると、広場へ抜け出た。そこは駐車場でトラックが数台停まっていて、敷地内には一軒の平屋が立っている。住宅ではなく簡素な造りで、屋根まで高さがあり倉庫という体だった。
女児は建物へと迷いなく入って行く。
ヘルレアは立ち止まり、カイムを振り返る。
「一緒に来なくてもいいんだぞ」
「お供するなら地獄まで」
「この状況で使うには、重すぎる言葉ではないか」
「王と一緒でしたら、どのような状況でも地獄になるのではないかと思いまして」
「喧嘩、売ってるのか」
女児が消えた倉庫の入口へ歩み寄る。遠目から覗いて見ても、中は暗く何も見えなかった。勿論、カイムには。
「誰かいますか」
「うじゃうじゃいるぞ」
ヘルレアが躊躇なく扉を押し開くと、一斉に照明が点灯された。
カイムは目を細める。
倉庫には大小の荷物が積まれている。そこにぽつねんと中年の女と子供が居た。
女は頭に黒く穴が空いている。丸いフォーマルな黒い帽子を被っているので、カイムにはそう見えた。そして、真黒なワンピースを着ている。身体の線を隠すようなデザインで、ひどくのっぺりとして見えた。
これは喪服だ。艶消しの深い黒が極彩色より毒々しい。
ヘルレアは二人から距離を取って立ち止まった。カイムは傍に控える。
女は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべカイム達を見ていた。
女の隣で女児が棒立ちになって、どことも知れないところへ視線を投げている。
「よくお出で下さいました。我らは〈レグザの光〉というものです」
少し前に聞いたばかりの名に、カイムは頭を抱えそうになった。バングレンはまるで何か起こる事を、知っていたようなタイミングで、話題に上らせていた。カイムはバングレンが、確実にグルで無い事を知っている。だから、あの男は得体が知れないのだ。いっそ、共謀している方がカイムには分かり易くて対処もし易い。
カイムはヘルレアへ耳打ちする。
「あの者はヨルムンガンド信奉者です。元は〈世界蛇の輪〉だったものが、レグザイアが没した事で分派しました。レグザの恐慌が、あの者達を生み育てた故に、過激派として知られています」
「お前、無茶苦茶組織関係覚えていそうだよな」
「勿論、仕事ですから」カイムはへらっと笑う。
女が手を顔の横で叩く。まるで騒がしい教室で、授業をする為に注目を集めようとする教師だ。
「この子、気に入ってくださいましたかしら。我家で一番の、美姫を連れて来ましたの。名前はジゼル。さあ、王にご挨拶を」
ジゼルはワンピースの裾を軽く摘み、恭しく腰を落として、古式ゆかしい挨拶を優雅に演じた。
しかし、その瞳は泥のように混濁していて、死者のようだ。
「王、どうかジゼルを伴侶としてお迎え下さいませ。番となった暁には〈レグザの光〉の主として、子等をお導き下さい」
「そんな馬鹿げた事が出来るわけがない。それに、番に推すにはそいつは、小さ過ぎるだろう」
「馬鹿げた事などと。我らは由緒正しい王の血筋を戴く身です。正当なレグザイアの血統ですの。それにジゼルはもう番うに問題ありません。大人の女性ですわ」
「吐き気がするな。狂信者が」
「残念です。ならば、もうジゼルは必要ありませんね」女があまりにもあっさりと言葉を引いた。
カイムが危険を感じて、ヘルレアへ対処を願おうとすると、女が飛び出しナイフを差し上げた。刃を弾き出し、そのままジゼルに渡す。ジゼルは、あろう事か自分自身で切先を首に充てがった。
一体、どのような方法で子供を操っているのか。なすがままのジゼルは、既に白く細い首に、血の筋を作っている。刺し貫く寸前だった。
見せかけではない、本気の所作。
そこに心はないようだった。
方々の扉から武装した人々が掛け行ってくる。中年女と同じような喪服地味た装束で揃えている。女達の周りに集まり、銃口をカイム等に向けた。
女は変わらず満面の笑みを貼り付けて、ヘルレアしか見ていない。
王を脅している。
この女は知っているのだ。
――王が蝕まれていることを。
「これは不遜、甚だしいぞ」
カイムは傍に居るだけで、肌が冷たさで焼けるような感覚に襲われた。ヘルレアの視界にいるわけではないので、その瞳は見えないが、燐光すら生じているのではないかと思った。
ヘルレアは本当に不快感を覚えているようだ。それは短い時間だがヘルレアと接して来たので分る。
本来なら、王には脅しなど通用しない。子供が死のうとも感知せず、女と話す行為すらしないだろう。
道を塞ぐのなら殺してしまうだけ。
しかし、ヘルレアは人間に寛容だ――あるいは、寛容であろうとしている。それも破格と言っていい程に。
カイムはその事実を肌で感じていた。
それを利用しようという愚かさ。
この女は間違いを犯している。
カイムは眉を潜めた。
ヨルムンガンドの恐ろしさを知らない。
「……助けて、教師さま」消え入るように呟かれる。
女児の頬に涙が伝うと、身体中に薄墨のようなものが散った。それは徐々に濃くなって、輪郭線が鮮明になり、何かの紋様型に黒く灯る。
紋様から湧き立つ、黒い微光が揺らぐ。
「黒い綺紋?」
カイムが身動ぐ、その一瞬。
息が白く視界を曇らせた。
吸い込む空気の凍えるさまに、まるで喉が焼けるようで、息を詰める。王を中心に冷気が波紋となって、全てが静止し色を失った。
世界が死んでいく――。
カイムは、ヘルレアが先に支払わないように外で待たせ、会計を済ませることにした。今度は――ノヴェクへ――というやり取りを、何となく見せたくなかった。王が見ていなくても、持参したカードで会計を済ました。
店外へ出るとヘルレアは、大分店から離れた木の側で、一人立っている。木陰に入っていたいのかもしれない。ジェイドからヨルムンガンドは陽射しを嫌うと聞いていた。ヘルレアの元へ行こうとすると、建ち並ぶ商店の一つに花屋を見つける。なんとなく気になり、一人で店に入った。
花々の匂いがほんのり鼻腔をくすぐる。様々な種類の花が色鮮やかに咲いている。カイムは花に明るくないので名前が殆ど分からない。
ただ、白百合だけがカイムの目を止めた。カイムの白百合よりも、やや小ぶりで色も黄色味掛かっているように感じられる。それでも札には白百合と書かれているので、種類としてはそれ程差は無いのだろう。しかし、館の白百合は自家栽培で専属の猟犬が育てているので、それは大きな差に繋がるかもしれない。
「……ああ、そうか。主人の白百合だものな」自分のもの、特別な花だと意識しているのに、市販の花が同じものだと考えていたことに改めて気付いた。
――白百合は白百合でも、まったく違うのかもしれない。
カイムは白百合だけは手に取れなかった。この花は死者への花だ。いくら死の王への贈り物だとしても、皮肉に過ぎる。
それでうろうろと店内を見回ったが、今一、気に入った出来合いの花束がなかった。
しかし、そもそもヘルレアは花を贈っても、喜ぶような存在だとは思えなかった。だが、贈って別に何かが損なわれるわけでもないと、もう一度花を見ては首を捻り続けた。
「何かお探しですか? 花束をお作り致しましょうか」店員が見かねたのか、カイムへ微笑む。
「そうですね、僕はあまり花に詳しくないのですが、贈り物にしたいと思っていて」
「では、当店にお任せ下さい。何かご希望のお色や組み合わせ、イメージ、贈る方へのお気持ちなどがございましたら、ご提案させて頂きます」
「……感謝の気持ちを、伝えられるような感じがいいのですが」
「では、お色などはいかが致しましょう」
「暖かい色味がいいですね」
「お値段のご希望はございますか」
「値段には特にこだわりはないので、一番良い状態の花束へ仕上げて下さい」
店員はカイムの希望を聞くと、直ぐにとても豪華で密度の高い、黄色味の強い花束を作り上げた。
カイムは店を出ると、背後へ大きな花束を隠した。王は前と同じところにいるから、そろそろと近付いて行く。そうするとヘルレアは、大分手前でカイムに気付き振り返った。
カイムは何も言わず、いきなり花束をヘルレアへ差し出す。
ヘルレアは目を瞬いている。
「デートでこういうのって良くありませんか」
「人間だったらな――こんなもの貰っても腹の足しにもならないさ。正直、花を愛でる人間の心理には今一つ付いてけない。私の視覚と嗅覚の鋭敏さは人間とは比べ物にならない。私とカイムが見ているこの花束は、二人では感じ方が全くの別物だろう。色彩がぐちゃぐちゃだし汚くて臭い」
「……ですよね、分かっていました」
カイムは花屋へ戻ると、代金はそのまま、花束だけ返した。
振られた残念な男のような、雰囲気を醸し出していただろうな、とカイムはため息をつく。
外へ出ると王は子供と話していた。不思議に思ってヘルレアの元へ行くと、その子供が随分と目を引く容姿だという事に気が付いた。
九、十才の女児だ。身長はヘルレアの胸下辺りまでしかない。明るく濃い金髪は腰まであり、緩く巻いたさまは、まるで人形のようで愛らしい。手作りらしい白いワンピースを着ている。
「ねえ、眼を見せて。光っているわ」
「無料じゃ見せない」
「ケチ!」
カイムは可愛らしいやり取りに、小さく吹き出した、が――。
「……お前、何なんだ。首をへし折ってやる」
カイムは総毛立ち、間髪入れずに飛び出した。頭が真っ白になり、衝動で体が反応していた。
しかし、焦って走り寄るカイムを、手で制したのは王だった。カイムの胸元をやんわり抑えて、子供から距離を取らせているのが分った。
女児は一般的に言えばかなり美しい容姿だった。一般的には、だ。一瞬、ヨルムンガンドと比べた事に、カイムは自分を恥じたが、それだけ幼いながらも、美貌を持ち合わせているという事だ。
王とはまた違う血の通った白い肌。柔らかく巻いた純金の長い髪。しかし、硝子玉のような翠の瞳は、何も写していない。
昼日中の明るい陽光の中で、どこか翳りを背負う女児。纏う気配はあまりに小さく弱いが、人の心がささくれ立つ。
カイムはその人形を模した子供の、異物に気づき息を飲む。
首輪をしている。着飾る為のチョーカー類ではなく、犬が付けるような革製の、拘束が目的に使用される本物の首輪だ。
子供が嗤う。
「この子がどうなってもいいの」
「どういう意味だ」
「人間が好き? 病気の王様、狂った王様、やっと見つけた。ようやく見つけた」
「王、いけません!」
「分ってる、普通の子供だ」
「ねえ、侮辱されたのに殺せないの? ヨルムンガンドでしょう。酷い、ノイマンのせいね。あの男、今もヘルレイアに鎖を括り付けてる」
「だったらどうした」
「私を助けたいわよね。王には見棄てられない」
「なぜ、そう思う」
女児は小鳥のように笑う。
「王はこんなにも無垢な生き物を、見殺しには出来ない。ノイマンが教えてくれたでしょう――いいえ、それともアイシャかしら」
女児は身を翻して走って行く。
子供の足だ。その姿を追うに難しくは無かった。王なら、尚更に。
「王、追うのは危険です。お止めください」
「分りやすい罠だが、誘われたんだ。追ってやろう」
「子供の為ですか? 見棄てる事が出来ませんか、王」
「それは、願いか。カイムは見殺しにして欲しいのか。それとも、私への疑問か」
「疑問です」
「何を答えても意味は成さない。でも、何かはしてやろう。ただ、それだけだ」
「何を答えられても、聞き入れられない愚か者とお思いですか」
ヘルレアは一瞬だけ目を見張った。
「……手を引いたのが私ならば、離してやれるのも私だ」
ヘルレアが走ると一足飛びに子供の背後に着き、捕まえる事なく、誘導を受け入れた。カイムも見失わないように、二人の後を追う。
カイムは眉根を寄せる。
あまりにも危険だ。
ヘルレアは人の意志に左右され過ぎる。本来なら、王程の力を持つ者が、人間の思惑などに乗ってはならない。
だが、その心のありように、カイムは侘しさを覚える。
カイムはまだ自身が王が病む、歪むという事を、真の意味で分っていないのだ、という気がした。
女児は商店で賑わう区画から、人気も疎らな方向へとひた走る。王は足並を揃え、速度を抑えて距離を保つ。
建物の路地へ入り、右へ左へと迷路を行くように走り続けると、広場へ抜け出た。そこは駐車場でトラックが数台停まっていて、敷地内には一軒の平屋が立っている。住宅ではなく簡素な造りで、屋根まで高さがあり倉庫という体だった。
女児は建物へと迷いなく入って行く。
ヘルレアは立ち止まり、カイムを振り返る。
「一緒に来なくてもいいんだぞ」
「お供するなら地獄まで」
「この状況で使うには、重すぎる言葉ではないか」
「王と一緒でしたら、どのような状況でも地獄になるのではないかと思いまして」
「喧嘩、売ってるのか」
女児が消えた倉庫の入口へ歩み寄る。遠目から覗いて見ても、中は暗く何も見えなかった。勿論、カイムには。
「誰かいますか」
「うじゃうじゃいるぞ」
ヘルレアが躊躇なく扉を押し開くと、一斉に照明が点灯された。
カイムは目を細める。
倉庫には大小の荷物が積まれている。そこにぽつねんと中年の女と子供が居た。
女は頭に黒く穴が空いている。丸いフォーマルな黒い帽子を被っているので、カイムにはそう見えた。そして、真黒なワンピースを着ている。身体の線を隠すようなデザインで、ひどくのっぺりとして見えた。
これは喪服だ。艶消しの深い黒が極彩色より毒々しい。
ヘルレアは二人から距離を取って立ち止まった。カイムは傍に控える。
女は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべカイム達を見ていた。
女の隣で女児が棒立ちになって、どことも知れないところへ視線を投げている。
「よくお出で下さいました。我らは〈レグザの光〉というものです」
少し前に聞いたばかりの名に、カイムは頭を抱えそうになった。バングレンはまるで何か起こる事を、知っていたようなタイミングで、話題に上らせていた。カイムはバングレンが、確実にグルで無い事を知っている。だから、あの男は得体が知れないのだ。いっそ、共謀している方がカイムには分かり易くて対処もし易い。
カイムはヘルレアへ耳打ちする。
「あの者はヨルムンガンド信奉者です。元は〈世界蛇の輪〉だったものが、レグザイアが没した事で分派しました。レグザの恐慌が、あの者達を生み育てた故に、過激派として知られています」
「お前、無茶苦茶組織関係覚えていそうだよな」
「勿論、仕事ですから」カイムはへらっと笑う。
女が手を顔の横で叩く。まるで騒がしい教室で、授業をする為に注目を集めようとする教師だ。
「この子、気に入ってくださいましたかしら。我家で一番の、美姫を連れて来ましたの。名前はジゼル。さあ、王にご挨拶を」
ジゼルはワンピースの裾を軽く摘み、恭しく腰を落として、古式ゆかしい挨拶を優雅に演じた。
しかし、その瞳は泥のように混濁していて、死者のようだ。
「王、どうかジゼルを伴侶としてお迎え下さいませ。番となった暁には〈レグザの光〉の主として、子等をお導き下さい」
「そんな馬鹿げた事が出来るわけがない。それに、番に推すにはそいつは、小さ過ぎるだろう」
「馬鹿げた事などと。我らは由緒正しい王の血筋を戴く身です。正当なレグザイアの血統ですの。それにジゼルはもう番うに問題ありません。大人の女性ですわ」
「吐き気がするな。狂信者が」
「残念です。ならば、もうジゼルは必要ありませんね」女があまりにもあっさりと言葉を引いた。
カイムが危険を感じて、ヘルレアへ対処を願おうとすると、女が飛び出しナイフを差し上げた。刃を弾き出し、そのままジゼルに渡す。ジゼルは、あろう事か自分自身で切先を首に充てがった。
一体、どのような方法で子供を操っているのか。なすがままのジゼルは、既に白く細い首に、血の筋を作っている。刺し貫く寸前だった。
見せかけではない、本気の所作。
そこに心はないようだった。
方々の扉から武装した人々が掛け行ってくる。中年女と同じような喪服地味た装束で揃えている。女達の周りに集まり、銃口をカイム等に向けた。
女は変わらず満面の笑みを貼り付けて、ヘルレアしか見ていない。
王を脅している。
この女は知っているのだ。
――王が蝕まれていることを。
「これは不遜、甚だしいぞ」
カイムは傍に居るだけで、肌が冷たさで焼けるような感覚に襲われた。ヘルレアの視界にいるわけではないので、その瞳は見えないが、燐光すら生じているのではないかと思った。
ヘルレアは本当に不快感を覚えているようだ。それは短い時間だがヘルレアと接して来たので分る。
本来なら、王には脅しなど通用しない。子供が死のうとも感知せず、女と話す行為すらしないだろう。
道を塞ぐのなら殺してしまうだけ。
しかし、ヘルレアは人間に寛容だ――あるいは、寛容であろうとしている。それも破格と言っていい程に。
カイムはその事実を肌で感じていた。
それを利用しようという愚かさ。
この女は間違いを犯している。
カイムは眉を潜めた。
ヨルムンガンドの恐ろしさを知らない。
「……助けて、教師さま」消え入るように呟かれる。
女児の頬に涙が伝うと、身体中に薄墨のようなものが散った。それは徐々に濃くなって、輪郭線が鮮明になり、何かの紋様型に黒く灯る。
紋様から湧き立つ、黒い微光が揺らぐ。
「黒い綺紋?」
カイムが身動ぐ、その一瞬。
息が白く視界を曇らせた。
吸い込む空気の凍えるさまに、まるで喉が焼けるようで、息を詰める。王を中心に冷気が波紋となって、全てが静止し色を失った。
世界が死んでいく――。
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いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
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