死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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二章 猟犬の掟

第12話 人というものを〈前編 死を恋う神へ〉

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 カイムは、ヘルレアが先に支払わないように外で待たせ、会計を済ませることにした。今度は――ノヴェクへ――というやり取りを、何となく見せたくなかった。王が見ていなくても、持参したカードで会計を済ました。

 店外へ出るとヘルレアは、大分店から離れた木の側で、一人立っている。木陰に入っていたいのかもしれない。ジェイドからヨルムンガンドは陽射しを嫌うと聞いていた。ヘルレアの元へ行こうとすると、建ち並ぶ商店の一つに花屋を見つける。なんとなく気になり、一人で店に入った。

 花々の匂いがほんのり鼻腔をくすぐる。様々な種類の花が色鮮やかに咲いている。カイムは花に明るくないので名前が殆ど分からない。

 ただ、白百合だけがカイムの目を止めた。よりも、やや小ぶりで色も黄色味掛かっているように感じられる。それでも札には白百合と書かれているので、種類としてはそれ程差は無いのだろう。しかし、館の白百合は自家栽培で専属の猟犬が育てているので、それは大きな差に繋がるかもしれない。

「……ああ、そうか。主人カイムの白百合だものな」自分のもの、特別な花だと意識しているのに、市販の花が同じものだと考えていたことに改めて気付いた。

 ――白百合は白百合でも、まったく違うのかもしれない。

 カイムは白百合だけは手に取れなかった。この花は死者への花だ。いくら死の王への贈り物だとしても、皮肉に過ぎる。

 それでうろうろと店内を見回ったが、今一、気に入った出来合いの花束がなかった。

 しかし、そもそもヘルレアは花を贈っても、喜ぶような存在だとは思えなかった。だが、贈って別に何かが損なわれるわけでもないと、もう一度花を見ては首を捻り続けた。

「何かお探しですか? 花束をお作り致しましょうか」店員が見かねたのか、カイムへ微笑む。

「そうですね、僕はあまり花に詳しくないのですが、贈り物にしたいと思っていて」

「では、当店にお任せ下さい。何かご希望のお色や組み合わせ、イメージ、贈る方へのお気持ちなどがございましたら、ご提案させて頂きます」

「……感謝の気持ちを、伝えられるような感じがいいのですが」

「では、お色などはいかが致しましょう」

「暖かい色味がいいですね」

「お値段のご希望はございますか」

「値段には特にこだわりはないので、一番良い状態の花束へ仕上げて下さい」

 店員はカイムの希望を聞くと、直ぐにとても豪華で密度の高い、黄色味の強い花束を作り上げた。

 カイムは店を出ると、背後へ大きな花束を隠した。王は前と同じところにいるから、そろそろと近付いて行く。そうするとヘルレアは、大分手前でカイムに気付き振り返った。

 カイムは何も言わず、いきなり花束をヘルレアへ差し出す。

 ヘルレアは目を瞬いている。

「デートでこういうのって良くありませんか」

「人間だったらな――こんなもの貰っても腹の足しにもならないさ。正直、花を愛でる人間の心理には今一つ付いてけない。私の視覚と嗅覚の鋭敏さは人間とは比べ物にならない。私とカイムが見ているこの花束は、二人では感じ方が全くの別物だろう。色彩がぐちゃぐちゃだし汚くて臭い」

「……ですよね、分かっていました」

 カイムは花屋へ戻ると、代金はそのまま、花束だけ返した。

 振られた残念な男のような、雰囲気を醸し出していただろうな、とカイムはため息をつく。

 外へ出ると王は子供と話していた。不思議に思ってヘルレアの元へ行くと、その子供が随分と目を引く容姿だという事に気が付いた。

 九、十才の女児だ。身長はヘルレアの胸下辺りまでしかない。明るく濃い金髪は腰まであり、緩く巻いたさまは、まるで人形のようで愛らしい。手作りらしい白いワンピースを着ている。

「ねえ、眼を見せて。光っているわ」

無料タダじゃ見せない」

「ケチ!」

 カイムは可愛らしいやり取りに、小さく吹き出した、が――。

「……お前、何なんだ。首をへし折ってやる」

 カイムは総毛立ち、間髪入れずに飛び出した。頭が真っ白になり、衝動で体が反応していた。

 しかし、焦って走り寄るカイムを、手で制したのは王だった。カイムの胸元をやんわり抑えて、子供から距離を取らせているのが分った。

 女児は一般的に言えばかなり美しい容姿だった。一般的には、だ。一瞬、ヨルムンガンドと比べた事に、カイムは自分を恥じたが、それだけ幼いながらも、美貌を持ち合わせているという事だ。

 王とはまた違う血の通った白い肌。柔らかく巻いた純金の長い髪。しかし、硝子玉のような翠の瞳は、何も写していない。

 昼日中の明るい陽光の中で、どこかかげりを背負う女児。まとう気配はあまりに小さく弱いが、人の心がささくれ立つ。

 カイムはその人形を模した子供の、異物に気づき息を飲む。

 首輪をしている。着飾る為のチョーカー類ではなく、犬が付けるような革製の、拘束が目的に使用される本物の首輪だ。

 子供が嗤う。

「この子がどうなってもいいの」

「どういう意味だ」

「人間が好き? 病気の王様、狂った王様、やっと見つけた。ようやく見つけた」

「王、いけません!」

「分ってる、普通の子供だ」

「ねえ、侮辱されたのに殺せないの? ヨルムンガンドでしょう。酷い、ノイマンのせいね。あの男、今もヘルレイアに鎖を括り付けてる」

「だったらどうした」

「私を助けたいわよね。王には見棄てられない」

「なぜ、そう思う」

 女児は小鳥のように笑う。

「王はこんなにも無垢な生き物を、見殺しには出来ない。ノイマンが教えてくれたでしょう――いいえ、それともアイシャかしら」

 女児は身を翻して走って行く。

 子供の足だ。その姿を追うに難しくは無かった。王なら、尚更に。

「王、追うのは危険です。お止めください」

「分りやすい罠だが、誘われたんだ。追ってやろう」

「子供の為ですか? 見棄てる事が出来ませんか、王」

「それは、願いか。カイムは見殺しにして欲しいのか。それとも、私への疑問か」

「疑問です」

「何を答えても意味は成さない。でも、何かはしてやろう。ただ、それだけだ」

「何を答えられても、聞き入れられない愚か者とお思いですか」

 ヘルレアは一瞬だけ目を見張った。

「……手を引いたのが私ならば、離してやれるのも私だ」

 ヘルレアが走ると一足飛びに子供の背後に着き、捕まえる事なく、誘導を受け入れた。カイムも見失わないように、二人の後を追う。

 カイムは眉根を寄せる。

 あまりにも危険だ。

 ヘルレアは人の意志に左右され過ぎる。本来なら、王程の力を持つ者が、人間の思惑などに乗ってはならない。

 だが、その心のありように、カイムは侘しさを覚える。

 カイムはまだ自身が王が病む、歪むという事を、真の意味で分っていないのだ、という気がした。

 女児は商店で賑わう区画から、人気も疎らな方向へとひた走る。王は足並を揃え、速度を抑えて距離を保つ。

 建物の路地へ入り、右へ左へと迷路を行くように走り続けると、広場へ抜け出た。そこは駐車場でトラックが数台停まっていて、敷地内には一軒の平屋が立っている。住宅ではなく簡素な造りで、屋根まで高さがあり倉庫という体だった。

 女児は建物へと迷いなく入って行く。

 ヘルレアは立ち止まり、カイムを振り返る。

「一緒に来なくてもいいんだぞ」

「お供するなら地獄まで」

「この状況で使うには、重すぎる言葉ではないか」

「王と一緒でしたら、どのような状況でも地獄になるのではないかと思いまして」

「喧嘩、売ってるのか」

 女児が消えた倉庫の入口へ歩み寄る。遠目から覗いて見ても、中は暗く何も見えなかった。勿論、カイムには。

「誰かいますか」

「うじゃうじゃいるぞ」

 ヘルレアが躊躇なく扉を押し開くと、一斉に照明が点灯された。

 カイムは目を細める。

 倉庫には大小の荷物が積まれている。そこにぽつねんと中年の女と子供が居た。

 女は頭に黒く穴が空いている。丸いフォーマルな黒い帽子を被っているので、カイムにはそう見えた。そして、真黒なワンピースを着ている。身体の線を隠すようなデザインで、ひどくのっぺりとして見えた。

 これは喪服だ。艶消しの深い黒が極彩色より毒々しい。

 ヘルレアは二人から距離を取って立ち止まった。カイムは傍に控える。

 女は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべカイム達を見ていた。

 女の隣で女児が棒立ちになって、どことも知れないところへ視線を投げている。

「よくお出で下さいました。我らは〈レグザの光〉というものです」

 少し前に聞いたばかりの名に、カイムは頭を抱えそうになった。バングレンはまるで何か起こる事を、知っていたようなタイミングで、話題に上らせていた。カイムはバングレンが、確実にグルで無い事を知っている。だから、あの男は得体が知れないのだ。いっそ、共謀している方がカイムには分かり易くて対処もし易い。

 カイムはヘルレアへ耳打ちする。

「あの者はヨルムンガンド信奉者です。元は〈世界蛇の輪〉だったものが、レグザイアが没した事で分派しました。レグザの恐慌が、あの者達を生み育てた故に、過激派として知られています」

「お前、無茶苦茶組織関係覚えていそうだよな」

「勿論、仕事ですから」カイムはへらっと笑う。

 女が手を顔の横で叩く。まるで騒がしい教室で、授業をする為に注目を集めようとする教師だ。

「この子、気に入ってくださいましたかしら。我家で一番の、美姫を連れて来ましたの。名前はジゼル。さあ、王にご挨拶を」

 ジゼルはワンピースの裾を軽く摘み、うやうやしく腰を落として、古式ゆかしい挨拶を優雅に演じた。

 しかし、その瞳は泥のように混濁していて、死者のようだ。

「王、どうかジゼルを伴侶としてお迎え下さいませ。番となった暁には〈レグザの光〉の主として、子等をお導き下さい」

「そんな馬鹿げた事が出来るわけがない。それに、番に推すにはそいつは、小さ過ぎるだろう」

「馬鹿げた事などと。我らは由緒正しい王の血筋を戴く身です。正当なレグザイアの血統ですの。それにジゼルはもう番うに問題ありません。大人の女性ですわ」

「吐き気がするな。狂信者が」

「残念です。ならば、もうジゼルは必要ありませんね」女があまりにもあっさりと言葉を引いた。

 カイムが危険を感じて、ヘルレアへ対処を願おうとすると、女が飛び出しナイフを差し上げた。刃を弾き出し、そのままジゼルに渡す。ジゼルは、あろう事か自分自身で切先を首に充てがった。

 一体、どのような方法で子供を操っているのか。なすがままのジゼルは、既に白く細い首に、血の筋を作っている。刺し貫く寸前だった。

 見せかけではない、本気の所作。

 そこに心はないようだった。

 方々の扉から武装した人々が掛け行ってくる。中年女と同じような喪服地味た装束で揃えている。女達の周りに集まり、銃口をカイム等に向けた。

 女は変わらず満面の笑みを貼り付けて、ヘルレアしか見ていない。

 王を脅している。

 この女は知っているのだ。

 ――王が蝕まれていることを。

「これは不遜、はなはだしいぞ」

 カイムは傍に居るだけで、肌が冷たさで焼けるような感覚に襲われた。ヘルレアの視界にいるわけではないので、その瞳は見えないが、燐光すら生じているのではないかと思った。

 ヘルレアは本当に不快感を覚えているようだ。それは短い時間だがヘルレアと接して来たので分る。

 本来なら、王には脅しなど通用しない。子供が死のうとも感知せず、女と話す行為すらしないだろう。

 道を塞ぐのなら殺してしまうだけ。

 しかし、ヘルレアは人間に寛容だ――あるいは、寛容であろうとしている。それも破格と言っていい程に。

 カイムはその事実を肌で感じていた。

 それを利用しようという愚かさ。

 この女は間違いを犯している。

 カイムは眉を潜めた。

 ヨルムンガンドの恐ろしさを知らない。

「……助けて、教師さま」消え入るように呟かれる。

 女児の頬に涙が伝うと、身体中に薄墨のようなものが散った。それは徐々に濃くなって、輪郭線が鮮明になり、何かの紋様型に黒く灯る。

 紋様から湧き立つ、黒い微光が揺らぐ。

「黒い綺紋?」

 カイムが身動みじろぐ、その一瞬。

 息が白く視界を曇らせた。

 吸い込む空気の凍えるさまに、まるで喉が焼けるようで、息を詰める。王を中心に冷気が波紋となって、全てが静止し色を失った。

 世界が死んでいく――。

 
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