死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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二章 猟犬の掟

第17話 煙霧に狂う

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 チェスカルは寝ていたようだった。

 慌てて体勢を立て直すと、庭木に寄りかかって眠っていたようだ、というのが分かった。そこは民家のささやかな庭で、花壇には小花が咲いている。よく見る平和な光景なのだが――。

 触れられそうな程、霧が深い。

「幻?」チェスカルは立ち上がり周囲を観察する。

 霧以外おかしな風景ではない。今まで自分がいた場所を考えなければ。

 これも幻覚で惑わされているというのだろうか。しかし、チェスカルにはこの民家の見覚えがなかった。庭を出て公道へ出てみる。霧が濃過ぎて先まで見通せない。霧の中に、黒く影を浮かばせる建物へ、向かってみる。やはりごく普通の民家であった。何も珍しくもないありふれた家。

 家を見上げていると、人の気配が迫って来て、視線を素早く落とす。チェスカルはほとんど攻撃する体勢に入っていたが、中年の女性が普通に横切って行った。何の珍しくもない主婦だ。思わず目で追いかけると、人が何の奇異もなく歩道を歩き、遠くからは車が走る音もする。

 ごく普通の日常がそこにあった。

 何故か自分が唐突に切り貼りされた気分で、周囲を見て周る。何もおかしくはない、ただ異常に霧が濃いそれだけだ。

 チェスカルは人に話しかけるべきか迷う。これも何かの罠なのか。

 チェスカルは周囲を見渡しているうちに、通行人とかなり近付いてしまい、飛び退いた。

「失礼」

 相手の青年も社交辞令で笑むと、通り過ぎようとした。

「いや、待ってください」

「どうかしましたか」

「ここは何という場所ですか」

「ローザ村ですけど」

「なるほど、ご親切にありがとう」

 青年は何の興味もなさそうに通り過ぎて行った。

 ここはチェスカル達が目指していたローザ村だ。日中なので行き交う人は多く、村という区分から来る想像とは離れた賑やかさだ。

 ――使徒の擬態から来る影響か。

 ――しかし、何かがおかしい。

 あの女児を満身創痍にして、兄を救ってくれとすがらせる化物がここにいるのだろうか。子供の言う事だと侮る気は更々ない。むしろ恐怖に対しては子供の方が余程敏感なのだ。しかし、だからといって、大人が鈍感だから今の風景があるとも言わない。

 正直、チェスカルはもう既に、村が混乱の渦中にあるのではないかと思っていた。手遅れだとも思っていた。身食いに支配され、管理されている、と。しかし、今の様子は散発的な使徒に、二、三人喰われているような、初期段階にあるかどうかの状態に見受けられる。つまり、村人は使徒そのものに気付いているかさえ危うい。

 チェスカルは心を落着けて村を覗う。

 村人が歩道を行く。ベビーカーを押す母親がいて、荷物を抱えた老人がいる。ある人達は道の隙間を見つけて、たむろしてお喋りをする。軽トラが走り去ると、排気ガスの胸を悪くする臭いが鼻をついた。

 この乾いたような喧騒。

「……幻覚なのか?」

 せめて、あの子の名と家が分かれば、家族の安否を確認出来たはず。

 副隊長と呼ぶ、よく聞き慣れた声がどこからか聞こえる。周囲を見渡してみると、霧の中、人より一つ以上高いところにある顔を見つけた。片手を上げて、人好きのする笑顔で走ってくる。

「ハルヒコ、無事だったか」

「何故かいきなりローザ村へ来ていて。これもまた、幻惑係妖魔の仕業かと思ったのですが」

「お前も妖人を仕掛けられたか」

「やられましたけど、偶然タックルして潰しました」

「よくやった――ルークは」

「……あいつは、考えても仕方がないです。自分から出て来るのを待ちましょう」

「まあ、そうだな。何とかなるだろう」

「そんな事より、ここがローザ村と言われて、思っていたより、その……」

「正常過ぎる、か?」

「ブドウちゃんに申し訳ないんだけど、俺、正直ローザ村は絶望的かと思っていました」

「私もそうだ。相違ない」

「でも、今の様子を見ると、何かが違うんですよね。あまりにも綺麗過ぎる」

「綺麗過ぎる、か」

「浮き足立つ感じがなくて不安になる。不気味なんです。本当に誰も異変に気付いてないのかって」

「ハルヒコに言われて、私も自分の中にあるものが分かった気がする。どこかもう少し、違和感なく村人と接触出来るところへ行ってみよう。単純に酒場へでも行ってみるか」




 歩き周って見つけたのうらぶれたパブだった。ローザ村というのは何とも健全なのか、昼間は酒場類が軒並み閉まっているのだ。

 店内へ入ると客の男が三、四人いる。女は三人いて、その派手な服装から店の者だと分かる。

 チェスカルは品定めを始めた。さり気なく周囲を見回す振りをして、瞬時に店内に居る全員の身体的特徴を把握する。

 一番若そうな男へ、チェスカルは目を向ける。ティーシャツにスウェットパンツで、独り酒をチビチビ飲んでいる。二十二才くらい、座っているがおそらく身長は百七十、二か三センチ、体重七十キロ台。筋肉量より脂肪が上回っている。筋肉の質と量から戦闘経験は無し。装いから近隣住民。直近は肉体労働。

 指で合図を送ると、ハルヒコが一人で男の元へ向かった。

「やあやあ、何だか楽しそうだね。俺も混ぜてくれる?」

 ハルヒコがやや大げさで、微妙にズレた調子で突っ込んで行く。

 チェスカルは酒をボトルで注文して、ハルヒコの元へ運ぶように指示する。

 暇そうな女を手早く選ぶ。

 チェスカルは背中を向ける女に目を止めた。ナチュラルな茶色の髪を、高い位置でまとめ髪にしていて、シンプルなシャツとタイトなスカート姿をしている。チェスカルは偶然振り返った彼女と、目を合わせてしまった。

 彼女はけして美しいと表現出来る容貌ではなく――醜いというわけではないが――どちらかというと愛嬌のある丸顔だった。場所柄で化粧は濃いが、その女にはあまり似合っていなかった。チェスカルの目算で二十才という年故か、素顔の方が、おそらく彼女の大人に成り切れない顔に合っているだろう。

 年齢は二十才、百六十一センチ。四十キロ台か、痩せているな。だが、よく筋肉量もあって運動しているのが見受けられる。彼女の様子から、この中に馴染みの客は無し、だろう。これなら変に悋気も起こされまい。

「ねえ、名前何ていうの?」地声より低めに発声する。

「ミラ」

「ミラちゃん、俺達と一緒に酒飲まない?」

 女が了承すると直ぐに対人距離を詰めて、腰を引くと一瞬驚いていたが、直ぐにとろけるような笑顔になる。

「身体、凄く鍛えているのね」

「後で、見せてあげるよ」

 くすくすと密やかに笑い合う。

「君に会えて嬉しい」耳元で囁く。

 その声は甘いのに、チェスカルの顔はいつもの仏頂面。見えていなければ何でもいいのだ。

 女の首元に入墨を見る。

 ――百足ムカデの入墨。それに文字……名前か。

 強過ぎる香水の臭いで鼻が鈍感になりそう。猟犬にはかなりキツい。顔が見えないようにして、しかめた。

 ハルヒコと若い男の元へ行くと、チェスカルは屈託なく笑う。若い男の傍へ女を誘導した。

「おお、酒ゴチになります」

「いただきます」

「休暇で来たんですけど、いい村ですよね」ハルヒコは相変わらず良い人そうだ。

「俺の故郷はローザ村によく似ていて、実家を思い出して――あ、でも妖樹の森はないよ」チェスカルは手をひらひらと小さく振ってから、酒を傾ける。

「こんな森、あっちこっちあったら困るわよ」ミラが笑っている。

「なんか、霧酷くない?」チェスカルが困り顔で笑う。酒を仕掛けておいた吸水体へ、少しずつ捨てていたのだ。

「そうね」

「まあな」

 チェスカルはハルヒコへ一瞬だけ視線を送った。

「俺、方向音痴だからやなんだよね」ハルヒコがにこにこ笑う。

「ねえ、二人共お名前教えて」

「俺はヤン」

「オズワルド」

「俺は村の人間なんだけど、アキ」

「ヤンさん、私はミラっていうの。よろしく」

「なんか嬉しいね。みんなとお近づきになれて」チェスカルは陽気に笑う。

「俺もなんだか今日は楽しい」アキが酒を呷る。

「ねえ、オズワルドさんはどんなお仕事なさっているの」

「車のディーラー」

「どこの車かしら」

「クストース」

 事前にハルヒコと決めておいた車の名前を出す。高過ぎず安過ぎず、女の気を引け、男の矜持を脅かさないギリギリのラインを守る。

「外車なのね。あら、でも、アメリアの方かしら。そうすると外車ではなくて、国産車?」

 チェスカルの人種的特徴をいうと、大陸のアメリア国土でいう北西部を占める民族のものだ。さすがに見た目ばかりはいじれないし、話しを複雑にせざる負えない場合を除いて、真実も織り交ぜつつ会話を進めて行く。

「アメリア人だよ。ヤンもそう」

「じゃあ、ここへは、まさか遊びに?」

「俺達は妖樹の森が見たくてね。幼馴染の男二人でドライブってとこ」チェスカルが気さくにハルヒコの肩を叩く。

「そりゃいい、俺もそういう事してみたいな」

「ああ、気楽でいいよ」

「男の人ってそういうの好きね。男の友情って憧れてしまうところがあるわ」

 ドリンク類を次々に追加して、気分が上がるような話題をチェスカルとハルヒコは絶えず提供していく。若い男も女も楽しげで、段々と饒舌になって行く具合を、チェスカルは測っていた。気分が上がった状態を保たせつつ、ちょろちょろと自分達が欲しい話へ軌道をずらしていくのだが、肝心な話しになると、二言三言で終わってしまう。

 チェスカルはこの二人といても実にならないと、ハルヒコへサインをだした。

「ところで、あのさ、変な噂を聞いたんだけど。女の子が行方不明だとかって本当なの?」

「何の話しかしら」

「初めて聞いたな」

 ――また、これだ。

 チェスカルは二人をよく観察する。

 女がわざとらしくカウンターを見た。

「ごめんなさい、呼ばれちゃった」

「ああ、俺ももう帰るわ。楽しかった、ありがとう」

 二人がほぼ同時に立ち上がった。チェスカルは驚いて、不自然な挙動を取りかけたが、ごく自然に会計を済ませると店を出る。

「初端、気候の話しに乗ってこないのは気になるな」

「変な感じがしますね。濃霧という特色が十二分にあるのに、挨拶のような会話を避けるのは不思議です。民間人ですから、初対面となると無難な会話を求めると思うのに」

「それに何よりも、この小さな村で数日前に女の子が一人逃げ出したというのに、直接的な問い掛けにすら、村人は何も反応を示さなかった。噂の一つすら流れないというのは奇妙と言ってもいいかもしれないな――気付かない、あるいは隠している――どちらにしろ、不自然なものを感じざるおえない」

「結局、どうにもならなくて確信を突いたのに、それも駄目でしたね」

「……乗せる事は出来たはず」

「俺、相変わらず副隊長には慣れない。身体に悪い。鬼の形相されてる方が、居心地いいくらいです」

 場の雰囲気を作るというのは大事なことだ。チェスカルは対人工作もわりかし得意としている。場を支配するのではなく、盛り上がる方向へ働きかけ円滑に物事を進めてやるのだ。カイムや――あるいはヘルレア――のように、一瞬で場を掌握して支配するような、既に力と呼ぶべき強いものではなく、せせこましい工作でしかないが、猟犬として生きるには便利なものである。あるのだが、部下がドン引きするのが、チェスカルには少々面倒だった。

 店からミラが出て来る。

「今日、休みにしてもらっちゃった。オズワルドさん一緒にどうかしら」

 チェスカルはやり過ぎたな、と内心悪態をつく。だが、男女の仲というのは踏み込むのに丁度いい。

「ヤン、先に行っててくれ」

「あ、え、はい」

 ――ハルヒコ、動揺するな。

「どこか、遊びに行く?」

「ここは何もないわよ」

 ミラはチェスカルの腕に自身の腕を絡め、身体を密着させる。女の柔らかな身体に、チェスカルは捕らえられてしまったような気がした。

「昼間から行くの?」チェスカルはミラの髪を触る。

「いいじゃない、楽しいわよ」

 ――どうか、待っててブドウちゃん。

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