死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

文字の大きさ
85 / 167
二章 猟犬の掟

第16話 手を引く者に

しおりを挟む
22


「カイム、睫毛ついてるぞ。あまり眼は擦るな」

 カイムはネクタイを引っ張られ、ヘルレアの顔間近まで寄せられていた。王は、カイムの顔についた睫毛を摘んでいる。親切な行為だというのに、ヘルレアがすると酷く混乱する。

「ありがとうございます。眼を擦るのは、どうも癖のようなのです」癖かどうかも自分ではよく判らないが、言い訳をしたくて堪らなかった。

 ヘルレアは何事もなかったように、さっさと廊下を行ってしまう。

 カイムは崩折れそうになった。自分の愚かさに自分自身を殴ってやりたくなった。簡単に欲へ溺れてしまう己の意思が、如何に弱いか、今更思い知った。

 ヘルレアが急に立ち止まって、カイムへ振り返った。微かに笑っているような怪しい表情だ。しかもそれは、楽しい悪戯を思い付いた子供のような顔だった。

「医療棟だったか、そこへ行くぞ」

「あの、もしかしてエマのところへ行くのでしょうか」

「ああ、ペンダントを買っただろう。エマに渡してやれ」

「そうですね、様子も見たいので行きましょう」

「ちょっと待った。私が贈り物に関わった事は言うなよ」

「さすがに、僕でも承知しています……今の状況では」

「カイムなら、余計な事を言うと思ったが」

「エマが今一番、何に傷付いているのかくらい分かります。分かっているつもりです。彼女が幼い頃から一緒にいるのですから」

「それならいい。人外から心の機微についてを論じさせるなよ」




 カイムとヘルレアは医療棟入口前に来た。

「ここからはお前だけで行け、人が多い。さすがに見つかる」

「分かりました。ヘルレアはどうなさるのですか」

「ここいらにいるから、エマがどう反応したか教えろ」

「エマの反応ですか? 喜んでくれると思いますけど」

「お前の妄想から感想を聞いても仕方がない。私はエマの反応が聞きたいんだ」

「分かりました。お待ち下さい」

 カイムは医療棟へ入ると、受付に手を上げて、そのまま上階のエレベーターへ乗る。

 エマは個室へ入院している。部屋のドアをノックすると、入室を促す小さな声がする。

「エマ、体調はどうだい?」

「カイム、驚いた。来てくれたのね」

 エマはまだ少し顔色が悪い。

 ベッド脇には椅子が置かれているので、カイムはそこへ座る。

「ごめん、仕事があって、なかなか来られなくて」

「……分かってる、気にしないで。カイムはとても忙しいもの」

「何か困っている事はないかい?」

「特に何もないわ。医療棟だと言っても棲家には変わりないから、いつもと同じよ」

「それはよかった。それでも何かありそうだったら、僕のところから使用人を連れて来て、こちらに置いてくれても構わないよ」

「それは使用人さん達、困るんじゃないかしら」

「マツダが采配してくれるよ」

「カイムは呑気ね」

 小さく微笑むエマに、カイムは安堵の息をつく。この小さな笑みを見られただけで、カイムはどこか我が家へ帰って来られたような気がするのだ。

「ところで、外へ出掛ける用事があったんだけど。その時、久し振りに自分で買い物をしたんだ――それで、エマに似合いそうなペンダントを見つけたから」

 カイムはヘルレアの選んだ菫のペンダントを手に乗せて、エマに見せる。

「カイムがプレゼントをくれるなんて珍しい」エマが浮かべた笑顔はとても華やいでいた。

「なかなか気が利かなくてすまない……ペンダントをつけてみるかい」

 カイムはエマの首元にチェーンを回し、うなじ辺りでフックを止める。

「ありがとう、カイム。嬉しい」

 眩いまでの笑顔に、カイムはとても満たされた気持ちになった。

「まだ話しをしたいところだけど、仕事が立て込んでて、もう行かないと、ごめん、エマ」

「いいの、来てくれて嬉しかった。私も直ぐ元気になって、お仕事のサポートに行くから」

「ありがとう、じゃあ、元気で。また、会おう」

 カイムは部屋を出る。エマを、これ程までに愛おしいと感じる、その幸福をカイムは噛み締めた。

 カイムは直ぐに医療棟入口へ戻った。ヘルレアとはここで別れたので、おそらく同じ場所で会えるのでは無いか、と周囲を探す。

「ヘルレア?」

 カイムは背後から裾を引っ張られる感触に、慌てて振り返る。そこには小さなヘルレアがいた。

「エマはどうだった? 贈り物を喜んだか」

「凄く喜んでくれました。これもヘルレアのおかげですね」

「そうか、よかったな――お前は、それを見てどう思った」

「勿論、嬉しかったですよ。何だか暖かな気持ちになりました」

「カイム、どうだ分かったか。幸せってこういうことではないのか? それでも、自分を誤魔化せるのか。欲しいとは思わないのか」

「……それが目的で、自覚し易いようにプレゼントを用意したのですね」

「まあ、色々含みがあるが、楽しい時間が過ごせただろう」

「それは間違いなく事実ですね」

「お前達は、番だ、番だと簡単に言うが、カイムは人間としての幸せを本当に捨てられるのか」

「……それは、違います」

 ヘルレアが、カイムを見つめる。

「僕は何も捨てるつもりはありません。ただ、幸せの形が変わるだけ」

欺瞞ぎまんだ」

「本当にそうでしょうか? 愛する者達が痛みを感じずに生きていける、これ以上の幸福はないと思いますけど」

「それで、お前には何が残る? お得意の自己犠牲か?」

「いいえ、これは限りなく自己満足に近い。守りたいと願う思いは、多くが私情です――まあ、僕の場合、私情というのはよろしくないですけど。だから、これは秘密ですよ」

「本当に、何も残らないかもしれないんだぞ」

 カイムは微笑む。

「僕は独りにはなりません。あなたがいますから」

 ヘルレアは目を見張った。青い瞳が柔らかく灯る。

 カイムを見つめるヘルレアの瞳が、今ようやく彼を、本当に映したようだ――そう、カイムには感じられた。遠く広く焦点を結んで、どこでもない所を見ていた王は、今、目の前でカイムのことを見据えていた。

「……とんでもない物好きだな」

「おそれいります」

「このド阿呆」

「どういう流れからの罵倒ですか? 酷いですよ」

 カイムとヘルレアはジゼルがいる部屋へ戻って来た。ジェイドが腕を組みつつ、椅子に座ってジゼルを見守っている、と言うより看守のように監視していた。カイムが仕事として、ジェイドへ任せてしまったので、結果的に厳しく行動を遵守している。

「すまなかった、ジェイド。ご苦労」

「別に何の手間にはならなかったから、構わないが」

「なかなか眼を覚まさないな」ヘルレアがジゼルの首をやんわりと押さえる。

「殺すなよ」

「うるさい、シャマシュの様子を見ているんだよ」

「何か異常はありますか?」

「肉体的な異常は特に感じない、ただ……」

「どうしました?」

「これは長期戦になるかもしれないな」

「眼を覚ますには時間がかかるということか」ジェイドがジゼルを覗き込む。

「まあ、そうだな。時間の経過で激しく変化していっている。眠りが深い」

「無理矢理、起こしたらどうなる」

「もう二度と心が戻って来ないと思う」

「憐れなものだな……では、俺はそろそろ行くぞ」

 ジェイドが立ち上がりかけた瞬間、カイムはその腕を掴む。

「悪いが、まだこの部屋にいて欲しい。色々話しがあって」

 ジェイドはカイムを見て、一瞬、固まるが、何事もなかったかのように椅子へ座った。

「お前達、先程はどこへ行っていたんだ」

「エマを口説いていた」ヘルレアが息を擦るように笑った。

「何を考えている!」

「そこまで具体的な軟派はしていないよ。プレゼントは贈ったけど」

「してるだろうが。何をしている、この馬鹿共が」

「カイムはジェイドの上司だろう。酷い言われようだな」

「ジェイドは容赦がないからね」

「それでなくとも、ややこしいものを、余計に難しくなったらどうする気だ」

 ヘルレアは大笑いしている。

「笑うなヘルレア、どうせお前が手引きしたんだろう」

「そうに決まっているだろうが。この朴念仁ぼくねんじんが、今、このタイミングで細やかに動くわけがないね」

「クソ! 一番の壁がヘルレア自身というのは分かっていたが、周りまで引っ掻き回すとは思いもしなかった」

「ヘルレアは悪戯好きだから」あはは、と声を漏らして笑う。

「カイム、のほほんとしている場合か、お前の人間関係いいようにされて、終いには切り崩されるぞ」

「大げさな……とは、僕でもさすがに言えないな」カイムは苦笑いする。

「ヘルレア、いいか。エマには二度と近寄るな。変な企みに巻き込むのも赦さない。爬虫類風情が人の感情をもてあそぶな。情というのはバケモノが思うより、厄介なんだぞ……傷つけてくれるな、所詮、王にとって遊び捨てるものだとしても」

「そこまでだ。止めるんだ、ジェイド。もう、いい」カイムの声は自然、低くなる。

 途端、カイムは身の内へ、冷たい風が通った気がした。

 ――ああ、久し振りにやってしまった。

 カイムは表面上だけでも気付かれる前に、眉間からは力を抜いて、なんとか無表情を保つ。

 ジェイドはそんなカイムの顔を見ると、直ぐに視線を逸した。カイムにしか判らないであろう細やかさで、硬直している。

 そうした二人の異変を、ヘルレアは明らかに察知して、何も言わず様子を見ている。王はかなり敏感だ。傍へ一緒に居れば居るほど、心の機微に鋭くなっていくようだ。

「ジェイドの表現は不適切でした。申し訳ございません」カイムは穏やかに笑む。

「まあ今まで散々、ジェイドに好き放題言われていたけどな」

「ジェイドも、引き留めてすまなかった。もう下がっていい」

「承……、いや。そうか、分かった」

 ジェイドが部屋を離れると、ヘルレアが、閉まった扉を見続けている。

「……やはり、カイムは飼主なんだ、な?」

「どうかしましたか」

「おかしな人間達もいるものだ、という話だ」

 カイムは曖昧に微笑むしかなかった。言えるはずもないのだから。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜

平明神
ファンタジー
 ユーゴ・タカトー。  それは、女神の「推し」になった男。  見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。  彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。  彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。  その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!  女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!  さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?  英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───  なんでもありの異世界アベンジャーズ!  女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕! ※不定期更新。最低週1回は投稿出来るように頑張ります。 ※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

第2の人生は、『男』が希少種の世界で

赤金武蔵
ファンタジー
 日本の高校生、久我一颯(くがいぶき)は、気が付くと見知らぬ土地で、女山賊たちから貞操を奪われる危機に直面していた。  あと一歩で襲われかけた、その時。白銀の鎧を纏った女騎士・ミューレンに救われる。  ミューレンの話から、この世界は地球ではなく、別の世界だということを知る。  しかも──『男』という存在が、超希少な世界だった。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります

内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品] 冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた! 物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。 職人ギルドから追放された美少女ソフィア。 逃亡中の魔法使いノエル。 騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。 彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。 カクヨムにて完結済み。 ( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )

処理中です...