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三章 棘の迷宮
第5話 制服の魔力
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チェスカルが静かに、ジゼルの眠る部屋の扉を閉めた。
それはジェイド達三人が、ジゼルの部屋へカイムを独り置いて去る間際。
ルークの騒ぎがまだ起こる前に遡る――。
ジェイドはなんとなく、主人の背中から目が離し難かったので、扉の奥に消えたその後も意識の繋がりを離さなかった。
その事に多分カイムは気付かない。猟犬には主人を護る力がある。そしてジェイドは猟犬として長く生きているだけ、色々な手を知っているし、そのなかでも小狡い術を幾つも具えていた。
カイムが密かに猟犬へ取り憑けるように、ジェイドも僅かながらに感覚を遡り主人の状況を許可無く感じる術を知っていた。たとえ主人が猟犬へ心身を閉ざしていようとも、カイムが猟犬をいつでも自由に支配出来るという事は、常に繋がっているという事でもあり、それを逆手に取った術であった。
だが、それはまるで張り詰めた手縫い糸を、繋いでおくような弱さで、振れを感じる程度でしかないのだが。
「それにしても、何があったオル……ランシズ」
ジェイドが渋い顔をする。
「中々、ランシズという呼び名は慣れそうもありませんね」チェスカルはため息をつく。
「まあ、それなりに長い付き合いがあったからな」
「私はオルスタッドと今まで通り呼んで頂いても構わなかったのですが、ヘルレアには何やらご不快なようで」
「不快、とは?」チェスカルが興味を示している。
「猟犬のように名前が契約上重要なようで、これは話せないのでは無く、私にも分かりかねる事柄になるのだが……」
「なるほどな、綺士も名で縛るようだし、主であるヘルレアには、我々には理解出来ない生理があるのだろう」チェスカルが腕を組んで納得している。
ジェイドは話し込む部下と、元部下を見て、安堵を覚えていた。ジェイドはオルスタッドがヘルレアの綺士になったと知った時、部下の猟犬共がどのような反応をするかを、一番に懸念して考えていた。下手をすればカイムに鎖を引かせるような、最悪の事態になっていた。ランシズという元所有物と、猟犬共で争いが始まるなど、主人への酷い不孝に他ならない。それだけは主人に見せてはならなかったのだ。
ジェイドはハルヒコの遠慮勝ちな顔を思い出して、内心微笑む。あれ程ガタイの良い男だというのに、その質は穏やかで争いを好まず、いっそ内向的とさえ言ってよかった。それをあの時は私情を挟まず正道を見据え、主人や王の前で臆さず発言をした。
部下達は皆等しく、育っている。
昔から影は、特に気性の荒々しい雄猟犬が、集められた部隊だと言われている。だが、カイムという主人の穏やかな性質故か、厳しい躾が無くとも、それぞれ協調性を持ち、寵愛を渇望して優劣を競い合うような、激しい闘争心は持ってはいないように感じられる。
だが、これからいったいどうなるかは分からない。カイムは方針を転換する。主人の指向によっては猟犬同士で熾烈な競争が始まる可能性もある。特にカイムは十代の頃より、猟犬への指針が固まってしまっていた。これは今になって、主に悪い面での未知数さへと繋がってしまった。
そうして、道を誤れば……過去の主人達と同じ轍を踏む事になるだろう。
チェスカルが仏頂面の上に、眉根まで下げる。
「……で、話しは戻るが、何故カイム様を残されていかなければならなかったんだ」
「それが、一番に聞きたかったものだが、話しが逸れたな」
「ヘルレアは私の礼装を見たら、カイム様もお召になるのかと、お尋ねになられたのです。それから、しばらくしたら唐突に、緊急だからカイム様を呼ばれるように、と」
「……カイムの礼装が見たかったと言うのか?」
「なんだかそういう雰囲気がありますね」チェスカルが頷く。
「そして何より決定的なのが、ヘルレアがカイム様の礼装姿をご覧になった時、お気に召されたような感じがしたんです。直感というか、何かが伝わって来ました……照れ、というか、恥じらいというか、そういうものを感じました。正直、驚きましたが、これも一つの綺士としての力なのだと判ります」
チェスカルは、オルスタッドの話しを聞いて、何か考えているようだ。
ジェイドが首を振る。
「まさか、あの鉄壁ヘルレアが靡くとは。制服とはヤバいものだな。着る方も、見る方も、のぼせさせる」
「カイム様ご自身の見目も、所作も洗練されておられるので、着飾られれば、それはどなたでも魅了されましょう」
「あれは、完全にカイム本人は気付いてないぞ。俺も良く分からなかった。むしろ、嫌っているのかと……睨み付けてなかったか」
「迫力はありましたね」
「あの朴念仁では一生気付くまい」
「カイム様はおおらかな方ですからね……主に恋愛面において」
チェスカルは息をつく。
「なんかあいつ呪われているんじゃないか、肝心なところが全く駄目だ。欠けていやがる」
「案外とカイム様は、自分が見えていらっしゃらないのかもしれません」
「まあ、あいつは心が違うからな。なんとも言えんところが多い。――そう言えば猟犬が恐がってるとばかり強調して、落ち込んでやがったな。負の感情以外は感じていないかのような、言いようをしていた。面倒な奴だ」
「猟犬はカイム様の正装を、恐がるばかりなどとは冗談で話しましたが、本当は皆惚れ惚れしていますね。これ程にも気高い方が己の主なのだと思うと、幸福感に満たされる、と……」
チェスカルがほんのりと笑んだように感じた。
「……これならいっその事、カイムにずっと正装させとくか」
ランシズが首をやや大袈裟に振る。
「それはさすがに無理があるのでは、せめて常装でなければ不自然ですよ」
ステルスハウンドの制服には、現在着ている立襟の礼装の他に、日常で着る常装がある。常装は開襟型で、その色は主人なら黒、猟犬なら黒に近い灰色をしている。主人は礼装も常装も黒だが、黒の質が違う。礼装は艶の無い深い黒、純黒。常装は少し淡い黒で、光の加減でうっすらと灰色掛かって見える――つまり重さが抑えられていて、日常的な着用に馴染むようにデザインされているのだ。
形は大きな胸ポケットと、裾丈の長い上衣が特徴で、正装と同じように、高い位置でベルトを留める。
中は襟付きの白いシャツを着て、ネクタイを締める。ネクタイの色も主人と猟犬は異なり、主人ならば純黒で、猟犬は灰色だ。
正装とは違い長靴を履き、裾を靴の中へたく仕込む。
常装の実用的な刀剣もあるが、現在ではあまり身に付けられず、常装を好む猟犬でも滅多に身に着けない。身に付ける時と言えば、礼装までとは言わないドレスコードに、一式を揃えて着用するぐらいだろう。
「ならば、本当に常装でもさせるか」ジェイドはまるで髭でも撫でるような動作で口元を撫でる。
「いきなりはそれも変ですけどね」ランシズが眉間に皺を寄せた。
「ヘルレアが制服お好きみたいですよと、お伝えして、まずは週一でお召になられるようにして頂きましょうか」
「くだらない気もするが、やってみるか。そもそも、カイムから手を出してくれていれば、いいものなんだが。いかんせん、あれではな」
「隊長、あのお二方に何か?」
「何、この前ヘルレアと二人で話した時があったんだが、ヘルレアがカイムをスケベな坊っちゃんと呼んでいたものだが」
「カイム様、ヘルレアへ何かなされたのでしょうか」
「なんとも言えんな、正直カイムが自分から手を出すとは思えん」
チェスカルとランシズは黙り込んでしまう。
「二人が良い雰囲気になりそうなのを察して、部屋を出たものだが……何かしらヤッていてくれるといいな――制服の魔力とかいうやつで」
「かなり不謹慎な事を言いますが、仕事なので失礼を……背徳感があってなかなかにいい起爆剤になる可能性も」ランシズが自分で言っておいて、苦い顔をする。
「こればかりは我々猟犬には、どうにもご助成して差し上げる術が無いですね。場の雰囲気を読んで下がるぐらいしか」
「ヘルレアもいつまで館に居てくれるものか。ジゼル頼みと言ったら語弊があるが、なんとか既成事実を作って欲しいものだ。猟犬共が皆やきもきしているぞ」
「私が綺士になる前に、まだ猟犬として生き続けたい旨を、ヘルレアへ申し上げた時、生きていればなんとかなると仰って下さいました。ご縁は完全にお切りにならないような、お言葉に思えたのですが」
「それは本当か、ヘルレアも何かとステルスハウンドに、関わろうとしている気もするしな。まだ、悪い状況ではないかもしれない」
「……いっそ本気でカイム様に、ヘルレアを襲って頂きましょうか」
チェスカルがぼそりと呟いた言葉に、ジェイドは顔を引き攣らせる。
「馬鹿げた問い掛けだが、攻撃しろというわけではないよな」
「勿論……ヘルレアを性的に襲って頂きたいな、と」
チェスカルは、常識人だ。なのだが、言う時は、相当辛辣な事も言うし、強攻甚だしい発言も厭わない。ジェイドはこのチェスカルが猟犬の中で一番主人に厳しいのではないかと、常々感じている。チェスカルは仔犬の頃から既にカイムに可愛がられているので、その主人に対する姿勢も中々に厳しい物へなり易いのかもしれなかった。愛されるからこそ、主人の懐へ入れるだけ、弁の立つチェスカルは主を一刀両断し勝ちなのだし、主人もそれを許していた。むしろ、カイムはそのようなチェスカルを愛おしんで、飼っている面がある事を、親しい猟犬共は皆知っていた。
ジェイドが大きなため息をつくと、十年分のブランクに思考を弄んでから、主人の意識を探り当てノックする方法を思い出し、直ぐに接触を試みる。
――カイム、ヘルレアを襲え!
【――急襲? 急襲でもヨルムンガンドになど、僕が勝てるわけがないだろう】
ジェイドは思った通りのやり取りをカイムとした後、一方的で無理矢理に、会話を断ち切った。ジェイドとチェスカルは細心の注意を払って、カイムの気配を探っていると、驚く程はっきりと主人の精神が乱れ始めているのが、伝わって来る事に気付いた。先程からジェイドが行っているコツを要する、遡行でなくても、少し主人を意識すれば、彼自身が無防備に自ら心身の状態を吐露して来るのだ。
「こうして動揺させてみると、本当に心身が自然に開いてしまっているな」
「緊張しておられるし……猥雑な思考も僅かに流れて来ますね」
「それは黙っていてやれ」
「失礼」
しばらく様子を覗っていると、心が様々に忙しなく変化し始める。
「何か、しているようだ」
「上手く行っているようですね……欲情しておられます」
「だから、それは黙って……」
カイムがいきなりジェイドの思考に飛び込んで来る。
【――お前達、ルークが訓練場で獣身になって暴れている。直ぐに向かってくれ。僕でも遠隔地じゃ宥められない】
――なんだと、おい。あのいたずら小僧。
ジェイドは思わず舌打ちをすると、チェスカルも顔を顰める。
ランシズが猟犬の二人へ視線を走らせると、不穏な雰囲気を察してか眉間を寄せる。
「何かありましたか」
もう猟犬ではないランシズは、主人と繋がれないが、二人の様子を察したようで強張った顔をする。
「ルークの馬鹿が、獣身で暴れていやがる。カイムの邪魔をしやがって」
「また、あの仔か。本当にヴィーといい、ルークといい、トラブルメーカーですね」
ランシズがため息をつく。
「じゃあ、ランシズ。俺等は行って来る」
ジェイドとチェスカルは全力疾走で訓練場へ向かった。
チェスカルが静かに、ジゼルの眠る部屋の扉を閉めた。
それはジェイド達三人が、ジゼルの部屋へカイムを独り置いて去る間際。
ルークの騒ぎがまだ起こる前に遡る――。
ジェイドはなんとなく、主人の背中から目が離し難かったので、扉の奥に消えたその後も意識の繋がりを離さなかった。
その事に多分カイムは気付かない。猟犬には主人を護る力がある。そしてジェイドは猟犬として長く生きているだけ、色々な手を知っているし、そのなかでも小狡い術を幾つも具えていた。
カイムが密かに猟犬へ取り憑けるように、ジェイドも僅かながらに感覚を遡り主人の状況を許可無く感じる術を知っていた。たとえ主人が猟犬へ心身を閉ざしていようとも、カイムが猟犬をいつでも自由に支配出来るという事は、常に繋がっているという事でもあり、それを逆手に取った術であった。
だが、それはまるで張り詰めた手縫い糸を、繋いでおくような弱さで、振れを感じる程度でしかないのだが。
「それにしても、何があったオル……ランシズ」
ジェイドが渋い顔をする。
「中々、ランシズという呼び名は慣れそうもありませんね」チェスカルはため息をつく。
「まあ、それなりに長い付き合いがあったからな」
「私はオルスタッドと今まで通り呼んで頂いても構わなかったのですが、ヘルレアには何やらご不快なようで」
「不快、とは?」チェスカルが興味を示している。
「猟犬のように名前が契約上重要なようで、これは話せないのでは無く、私にも分かりかねる事柄になるのだが……」
「なるほどな、綺士も名で縛るようだし、主であるヘルレアには、我々には理解出来ない生理があるのだろう」チェスカルが腕を組んで納得している。
ジェイドは話し込む部下と、元部下を見て、安堵を覚えていた。ジェイドはオルスタッドがヘルレアの綺士になったと知った時、部下の猟犬共がどのような反応をするかを、一番に懸念して考えていた。下手をすればカイムに鎖を引かせるような、最悪の事態になっていた。ランシズという元所有物と、猟犬共で争いが始まるなど、主人への酷い不孝に他ならない。それだけは主人に見せてはならなかったのだ。
ジェイドはハルヒコの遠慮勝ちな顔を思い出して、内心微笑む。あれ程ガタイの良い男だというのに、その質は穏やかで争いを好まず、いっそ内向的とさえ言ってよかった。それをあの時は私情を挟まず正道を見据え、主人や王の前で臆さず発言をした。
部下達は皆等しく、育っている。
昔から影は、特に気性の荒々しい雄猟犬が、集められた部隊だと言われている。だが、カイムという主人の穏やかな性質故か、厳しい躾が無くとも、それぞれ協調性を持ち、寵愛を渇望して優劣を競い合うような、激しい闘争心は持ってはいないように感じられる。
だが、これからいったいどうなるかは分からない。カイムは方針を転換する。主人の指向によっては猟犬同士で熾烈な競争が始まる可能性もある。特にカイムは十代の頃より、猟犬への指針が固まってしまっていた。これは今になって、主に悪い面での未知数さへと繋がってしまった。
そうして、道を誤れば……過去の主人達と同じ轍を踏む事になるだろう。
チェスカルが仏頂面の上に、眉根まで下げる。
「……で、話しは戻るが、何故カイム様を残されていかなければならなかったんだ」
「それが、一番に聞きたかったものだが、話しが逸れたな」
「ヘルレアは私の礼装を見たら、カイム様もお召になるのかと、お尋ねになられたのです。それから、しばらくしたら唐突に、緊急だからカイム様を呼ばれるように、と」
「……カイムの礼装が見たかったと言うのか?」
「なんだかそういう雰囲気がありますね」チェスカルが頷く。
「そして何より決定的なのが、ヘルレアがカイム様の礼装姿をご覧になった時、お気に召されたような感じがしたんです。直感というか、何かが伝わって来ました……照れ、というか、恥じらいというか、そういうものを感じました。正直、驚きましたが、これも一つの綺士としての力なのだと判ります」
チェスカルは、オルスタッドの話しを聞いて、何か考えているようだ。
ジェイドが首を振る。
「まさか、あの鉄壁ヘルレアが靡くとは。制服とはヤバいものだな。着る方も、見る方も、のぼせさせる」
「カイム様ご自身の見目も、所作も洗練されておられるので、着飾られれば、それはどなたでも魅了されましょう」
「あれは、完全にカイム本人は気付いてないぞ。俺も良く分からなかった。むしろ、嫌っているのかと……睨み付けてなかったか」
「迫力はありましたね」
「あの朴念仁では一生気付くまい」
「カイム様はおおらかな方ですからね……主に恋愛面において」
チェスカルは息をつく。
「なんかあいつ呪われているんじゃないか、肝心なところが全く駄目だ。欠けていやがる」
「案外とカイム様は、自分が見えていらっしゃらないのかもしれません」
「まあ、あいつは心が違うからな。なんとも言えんところが多い。――そう言えば猟犬が恐がってるとばかり強調して、落ち込んでやがったな。負の感情以外は感じていないかのような、言いようをしていた。面倒な奴だ」
「猟犬はカイム様の正装を、恐がるばかりなどとは冗談で話しましたが、本当は皆惚れ惚れしていますね。これ程にも気高い方が己の主なのだと思うと、幸福感に満たされる、と……」
チェスカルがほんのりと笑んだように感じた。
「……これならいっその事、カイムにずっと正装させとくか」
ランシズが首をやや大袈裟に振る。
「それはさすがに無理があるのでは、せめて常装でなければ不自然ですよ」
ステルスハウンドの制服には、現在着ている立襟の礼装の他に、日常で着る常装がある。常装は開襟型で、その色は主人なら黒、猟犬なら黒に近い灰色をしている。主人は礼装も常装も黒だが、黒の質が違う。礼装は艶の無い深い黒、純黒。常装は少し淡い黒で、光の加減でうっすらと灰色掛かって見える――つまり重さが抑えられていて、日常的な着用に馴染むようにデザインされているのだ。
形は大きな胸ポケットと、裾丈の長い上衣が特徴で、正装と同じように、高い位置でベルトを留める。
中は襟付きの白いシャツを着て、ネクタイを締める。ネクタイの色も主人と猟犬は異なり、主人ならば純黒で、猟犬は灰色だ。
正装とは違い長靴を履き、裾を靴の中へたく仕込む。
常装の実用的な刀剣もあるが、現在ではあまり身に付けられず、常装を好む猟犬でも滅多に身に着けない。身に付ける時と言えば、礼装までとは言わないドレスコードに、一式を揃えて着用するぐらいだろう。
「ならば、本当に常装でもさせるか」ジェイドはまるで髭でも撫でるような動作で口元を撫でる。
「いきなりはそれも変ですけどね」ランシズが眉間に皺を寄せた。
「ヘルレアが制服お好きみたいですよと、お伝えして、まずは週一でお召になられるようにして頂きましょうか」
「くだらない気もするが、やってみるか。そもそも、カイムから手を出してくれていれば、いいものなんだが。いかんせん、あれではな」
「隊長、あのお二方に何か?」
「何、この前ヘルレアと二人で話した時があったんだが、ヘルレアがカイムをスケベな坊っちゃんと呼んでいたものだが」
「カイム様、ヘルレアへ何かなされたのでしょうか」
「なんとも言えんな、正直カイムが自分から手を出すとは思えん」
チェスカルとランシズは黙り込んでしまう。
「二人が良い雰囲気になりそうなのを察して、部屋を出たものだが……何かしらヤッていてくれるといいな――制服の魔力とかいうやつで」
「かなり不謹慎な事を言いますが、仕事なので失礼を……背徳感があってなかなかにいい起爆剤になる可能性も」ランシズが自分で言っておいて、苦い顔をする。
「こればかりは我々猟犬には、どうにもご助成して差し上げる術が無いですね。場の雰囲気を読んで下がるぐらいしか」
「ヘルレアもいつまで館に居てくれるものか。ジゼル頼みと言ったら語弊があるが、なんとか既成事実を作って欲しいものだ。猟犬共が皆やきもきしているぞ」
「私が綺士になる前に、まだ猟犬として生き続けたい旨を、ヘルレアへ申し上げた時、生きていればなんとかなると仰って下さいました。ご縁は完全にお切りにならないような、お言葉に思えたのですが」
「それは本当か、ヘルレアも何かとステルスハウンドに、関わろうとしている気もするしな。まだ、悪い状況ではないかもしれない」
「……いっそ本気でカイム様に、ヘルレアを襲って頂きましょうか」
チェスカルがぼそりと呟いた言葉に、ジェイドは顔を引き攣らせる。
「馬鹿げた問い掛けだが、攻撃しろというわけではないよな」
「勿論……ヘルレアを性的に襲って頂きたいな、と」
チェスカルは、常識人だ。なのだが、言う時は、相当辛辣な事も言うし、強攻甚だしい発言も厭わない。ジェイドはこのチェスカルが猟犬の中で一番主人に厳しいのではないかと、常々感じている。チェスカルは仔犬の頃から既にカイムに可愛がられているので、その主人に対する姿勢も中々に厳しい物へなり易いのかもしれなかった。愛されるからこそ、主人の懐へ入れるだけ、弁の立つチェスカルは主を一刀両断し勝ちなのだし、主人もそれを許していた。むしろ、カイムはそのようなチェスカルを愛おしんで、飼っている面がある事を、親しい猟犬共は皆知っていた。
ジェイドが大きなため息をつくと、十年分のブランクに思考を弄んでから、主人の意識を探り当てノックする方法を思い出し、直ぐに接触を試みる。
――カイム、ヘルレアを襲え!
【――急襲? 急襲でもヨルムンガンドになど、僕が勝てるわけがないだろう】
ジェイドは思った通りのやり取りをカイムとした後、一方的で無理矢理に、会話を断ち切った。ジェイドとチェスカルは細心の注意を払って、カイムの気配を探っていると、驚く程はっきりと主人の精神が乱れ始めているのが、伝わって来る事に気付いた。先程からジェイドが行っているコツを要する、遡行でなくても、少し主人を意識すれば、彼自身が無防備に自ら心身の状態を吐露して来るのだ。
「こうして動揺させてみると、本当に心身が自然に開いてしまっているな」
「緊張しておられるし……猥雑な思考も僅かに流れて来ますね」
「それは黙っていてやれ」
「失礼」
しばらく様子を覗っていると、心が様々に忙しなく変化し始める。
「何か、しているようだ」
「上手く行っているようですね……欲情しておられます」
「だから、それは黙って……」
カイムがいきなりジェイドの思考に飛び込んで来る。
【――お前達、ルークが訓練場で獣身になって暴れている。直ぐに向かってくれ。僕でも遠隔地じゃ宥められない】
――なんだと、おい。あのいたずら小僧。
ジェイドは思わず舌打ちをすると、チェスカルも顔を顰める。
ランシズが猟犬の二人へ視線を走らせると、不穏な雰囲気を察してか眉間を寄せる。
「何かありましたか」
もう猟犬ではないランシズは、主人と繋がれないが、二人の様子を察したようで強張った顔をする。
「ルークの馬鹿が、獣身で暴れていやがる。カイムの邪魔をしやがって」
「また、あの仔か。本当にヴィーといい、ルークといい、トラブルメーカーですね」
ランシズがため息をつく。
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