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三章 棘の迷宮
第13話 天刑の棘と針
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13
後ろで扉が閉まると、カイムはまだ手にしたままの銃をショルダーホルスターへしまう。何故か自分でも、しぶしぶに――そうした意識を持ちながらだった。
カイムの傍には、チェスカルがぴたりと寄り添っている。この男は女王蜂よりカイムに接近していて、カイムは一体娼館へ何しに来たのだか、判からなくなる。これでは館と同じどころか、もっと酷いかもしれない。
ぞろぞろとゴツい猟犬に囲まれる毎日から離れて、綺麗な女性の隣で少し眠って癒しを得られたと思ったら、もう、ゴリゴリの猟犬と闘争の思案をしなければならないのだ。
だが、女王蜂が一人傍にいるだけで、心が華やぐというものだ。やはり、落ち着いた大人の女性というのはいいもので、心が安らぐ。カイムはどうやら年下の女性より、自分と同じか、少しだけ上の方が好みなよう。
まあ、来てよかったのかと、カイムは思う。多分カイムの人生は何をしようと、血なまぐさい事から逃れられないのだから。
ジェイドは、ヘルレアやオリヴァンと落ち合う予定になっている。女王蜂が、三人が接触出来るように案内してくれた。取り敢えず三人集まった時点で、この女王蜂の部屋へ来る予定なのだが――。
ヘルレアに会いたくなかった。
理由は分からないが、顔を合わせるのが不安で仕方がなかった。ヨルムンガンドが恐いから、などという今更感溢れる理由なわけがない。どちらかというと気まずい、バツが悪いという言葉が的確かもしれない。
――ヘルレアは事後だと思っているのだ。
何もなかったと説明しようか。眠っていたのだと。だが、自分から説明するというのもおかしい、不自然だ。別にヘルレアは、カイムが行為をしていようが、していまいが、関心ないだろう。むしろ、気持ち悪いから、関わり合いたくないかもしれない。この気持ちは多分、寂しいや切ないというものだろう。大分状況が違うかもしれないが、カイムとしては、思春期の娘に嫌がられる父親のような、気分になっているのかもしれない。
――やはり、ヘルレアは子供だから。
なので、おそらく子供好きのカイムは嫌われると寂しいのだ。
「ぼんやり、なさらないで下さい……先程から猟犬共へ思考がダダ漏れになっていますよ」チェスカルが険しい顔をしている。
カイムが飛び退くと、チェスカルがため息をついた。彼が何か言いたげなので、カイムは心を寄せ、物理的に耳を傾け、しても何も聞こえてこなかった。
「さあ、お座りになってくださいまし。何かお飲み物をお口になさいますか」
「では、お水を頂ければ」カイムはソファへ座る。
チェスカルは、カイムの傍へ寄り添うようにして立ち続ける。
女王蜂がチェスカルへも視線を向けた。
「そちらのお方は」
「お気遣いなく」チェスカルは軽く会釈する。
女王蜂がカウンターへ行くと、建具の扉を開く。それは収納棚ではなく、大型冷蔵庫だった。景観を守る為にだろう、かなり凝った造りで、開けなければ一切気付かれない。そうして女王蜂はミネラルウォーターをグラスへ注ぐと、カイムの元へグラスを持って来る。カイムがグラスを受け取ろうとすると、横からグラスをかっさらわれた。受け取ったのはカイムではなくチェスカルで、臭いを嗅いでから一口水を含む。味わって少し経つと主人へ渡す。
分かっていた。分かっていたが――。
「どうなさいました?」チェスカルは知らん顔でそっぽを向く。
普段カイムは、猟犬が口を付けたものは、子供の食べ残しくらいの感覚しか持たない。だから、殆どの親が我が子の食べ残しを平気で食べてしまうように、カイムも猟犬が飲食したものを口にする抵抗感がなかった。
だが、状況故か想像力は気まぐれなもので――。
――男が飲んだ残り水を、飲む男。
ついげんなりして、低卓へグラスを置いた。女王蜂は察したらしく、くすくすとおかしそうに笑っている。チェスカルも猟犬だどうの以前に察しのいい男だ。絶対に分かっているが、仕事だからと絶対にこの男は曲げない。
「女王蜂、チェスカルも座らせてやっていいですか」
「勿論です。どうぞお掛けになって」
「お言葉に甘えさせて頂きます」
「さて、落ち着いたところで状況はいかほどに」
「防御壁はまだ完全に破られてはおりませんの。相手は色々な手を探しているようなのですが、まだ私の方が術式が複雑で牽制出来ている状態です。もし、今後、多重防御壁が破られて裸になってしまった場合は、防御から明確な攻撃へ転じます。外道、その召喚を行います」
「何を喚ばれるのですか」チェスカルが既に何か考え始めている。
「中級程度の悪鬼を多く喚ぶ道を取ります」
「承知しました。一つ確認させてください。最上級の神や、悪魔でも召喚可能とお見受けしますが」
「おっしゃる通りでございます。しかし、この〈蜂の巣〉の構造上、人間と同等の体躯を持つ種族を喚ばわる方が、隅々まで力が行き渡り、敵の殲滅に有利になると判断致しましたの。絶大なる存在は、敵の排除に有利でしょう。しかし、同時に自滅が最も恐ろしいのです」
チェスカルが無言で頷いている。カイムはチェスカルの邪魔をしないように、口を挟まなかった。女王蜂もそれを理解して、やはり先は黙している。
聡い女性だ。唯一無二の才媛と呼ばれて、娼館の主人であることに、一切疑問の余地は無い。
「……完全に外法外道の護りしか持っておられない?」
「はい、〈蜂の巣〉の性質上、情報漏洩は死に直結します。人間や生物は、お客様のお相手をさせて頂く為の子達だけで、女、男、特殊性、他種族しかおりません。〈蜂の巣〉で警備などをするのは、生き物ではないのです」
カイムを通して聞いていたエルドが、悩ましげな思考を主人へ流して来た。カイムが問いかけると、エルドが――それは危険だ――と訴える。
カイムはエルドが言った事を、自分が考えたように口にする。
「外法外道のような外界係はその名の通り、外のものです。人界――つまり内側へ、外の物を喚び出す以上、必ず齟齬が生じるものだと学んだ事があります。
また、その術が強ければ強い程、縛める力を必要とし、多大な負荷を空間に与える。つまり局所集中的に人界の一点へ、外界の力を集めてしまうと、摩擦のようなものが生じ、術式へ穴が出来て弱まるようなのです。
本来ならば、外法外道など人間が触れるべきではないと言われていますね。
使うのならば人界の法則を守りつつ、補助的に外界術を用いるのが限りなく正道に近いと思われます――地上の防御壁が突破されたのも、その穴を突かれているようなのです」
女王蜂は驚いている。
「それで……」
「護りを重ねれば重ねる程穴が出来るとは、盲点かもしれませんね。お力が強いからこそ陥りやすい」チェスカルが頷く。
カイムはエルドの話しを更に聞く。
「思い切って術式の整理をするとよろしいかもしれませんね」
「術式の整理?」
「防御壁以外の外法類、特に複雑な空間結合術と、多過ぎる外道とを全て解除してしまいましょう」
「それは、危険なのではありませんか」
「これだけ強力な防御壁だけでもあれば、ひとまず安全は確保されます。戦闘は僕達にお任せください」
女王蜂が悲しげに頷く。
「本当に何と申せばよいか……お客様へお休み頂く為の巣だというのに。私の粗末な術管理の為にお力添えを頂けるなんて」
女王蜂は顔を覆ってしまう。
「いいのですよ。気にしないで下さい。さあ、悲しい顔をしないで」カイムはオロオロとする。
【――カイム様、女性の涙に弱過ぎます】
グサッと思考が刺さって来る。一瞬、何を脳内独白で自分を痛め付けているのかと思ったら、犯人は隣の仏頂面男だった。
「……弱くて悪かったな」
「気を付けて下さいね」
【――女性は怖いですよ】
対人工作を得意とするチェスカルが言うと、変に生々しい。
カイムは猟犬の様子を常に気に掛けているが、女王蜂の言っていた、安全な第一階層の一点へ、既に猟犬共は集まって指示を待っている。外に一頭だけ猟犬も残しており、館との連絡役として働いていた。
外部からの救援は、まず、現状に適応出来る猟犬を集めることが先決だ。外界術が使える、あるいは何らかの対処が出来る猟犬というのは、いくらステルスハウンドでも少ない。
影でさえ、自己判断で外界術を使う許可を与えているのは、エルド・シュライフという猟犬だけだった。能力を持つ者は、猟犬の母数の大きさから一定数居る。また、エルドと同じか、それ以上に術の行使者として強い猟犬も、実は居るのだ。だが、カイムはそれらの猟犬へ、外界術の使用を禁じている方が多かった。
外界術については、エルドほどの自己抑制能力が、具わっていない猟犬ばかりだった。
最も恐いのは自滅――。
女王蜂の言葉が一番しっくり来る。カイムは、外界術を現在進行系で使っている猟犬を感じていると、身を持って危険だと判る。外界術というのは破壊する力が、強ければいいというわけではない。何より力の抑制が術者の技倆を如実に表す。力を振るって、分別無く滅する者を、強いとは言わない。
そうなってくると、影のような特殊技能集団に等しい猟犬というのは少なく、主人がいない状態では、部隊編成もかなり難しくなる。
闇雲に外界術を使える猟犬を、無思慮に出しかねない。
「不味いな、状況が判らない以上、猟犬さえ呼び辛い。外界術の術者は個人差が激し過ぎる」
「単純な戦闘技術であれば、猟犬の区分けもある程度単純にいきますが……術者達はこうと、まとめられるように、方向性が決まってはおりませんからね」
カイムはつい手元のグラスを遊ばせながら、身近な星を見上げる。ジェイドもしっかり動いている事が確認出来る。
エルドがカイムに話しかけて来る。カイムはもう面倒になって、思考をエルドへ開放してしまった。
【――カイム様、防御壁が薄くなり始めている場所へ、悪鬼一体づつ喚起のご指示を】
カイムが理由を問うと、戦力ではなく見張りに立てて、防御壁突破隠蔽を感知する為だから、滅っされても構わないという事だった。
女王蜂へエルドが言った事をそのまま伝えると、彼女は直ぐ指示に従った。
僅か猟犬五頭と密接に繋がっているだけなのに、カイムはかなり精神力を消耗している。戦時には数十頭の猟犬へ思考を開放しながら、自らも銃器を取っていたのだ。二十才前後の頃だから老化だと、笑えるような衰え方ではない。やはり、カイムは長年に及ぶ無理な閉殻で、相当損なってしまったのだ。
それは、使わない筋力が衰えて行くのと同じだ。
「カイム様、お身体が……」
さすがにチェスカルは、カイムの傍にいるから直ぐに分かる。
「いや、問題ない」
女王蜂がカイム達のちょっとした会話を耳にしたらしく、カイムの隣へ座る。
「お疲れになっておられますか?」
「お気になさらず。僕はただソファでくつろいでいるだけですから」
チェスカルが、カイムにしか分からない密やかさで眉根を寄せる。
「カイム様、私の眼を見つめて下さいまし……先程は拒絶なされてしまいましたが、何かお力になれるやもしれません」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが申しわけない、僕は秘密が多いので異能は受け入れられません」
「何の気休めになる話ではないかもしれませんが、私はお客様とのお話しは、どなた様へもお話し出来ませんし、この部屋から出る事も許されません。私はこの部屋に、封じられているのでございます」
「女王蜂ご自身も術の内に?」
「これは術という低級な行いではありません。天刑でございます」
「あなたは、いったい……」チェスカルが警戒を強めた気配がする。
女王蜂は悲しそうに俯いている。
カイムがチェスカルの腕を軽く叩く。猟犬は主人を見つめた。カイムが静かに首を振ると、それを見たチェスカルは立っている気を鎮めた。
「あの侵入者達は、おそらく私を狙っているのでございます」
後ろで扉が閉まると、カイムはまだ手にしたままの銃をショルダーホルスターへしまう。何故か自分でも、しぶしぶに――そうした意識を持ちながらだった。
カイムの傍には、チェスカルがぴたりと寄り添っている。この男は女王蜂よりカイムに接近していて、カイムは一体娼館へ何しに来たのだか、判からなくなる。これでは館と同じどころか、もっと酷いかもしれない。
ぞろぞろとゴツい猟犬に囲まれる毎日から離れて、綺麗な女性の隣で少し眠って癒しを得られたと思ったら、もう、ゴリゴリの猟犬と闘争の思案をしなければならないのだ。
だが、女王蜂が一人傍にいるだけで、心が華やぐというものだ。やはり、落ち着いた大人の女性というのはいいもので、心が安らぐ。カイムはどうやら年下の女性より、自分と同じか、少しだけ上の方が好みなよう。
まあ、来てよかったのかと、カイムは思う。多分カイムの人生は何をしようと、血なまぐさい事から逃れられないのだから。
ジェイドは、ヘルレアやオリヴァンと落ち合う予定になっている。女王蜂が、三人が接触出来るように案内してくれた。取り敢えず三人集まった時点で、この女王蜂の部屋へ来る予定なのだが――。
ヘルレアに会いたくなかった。
理由は分からないが、顔を合わせるのが不安で仕方がなかった。ヨルムンガンドが恐いから、などという今更感溢れる理由なわけがない。どちらかというと気まずい、バツが悪いという言葉が的確かもしれない。
――ヘルレアは事後だと思っているのだ。
何もなかったと説明しようか。眠っていたのだと。だが、自分から説明するというのもおかしい、不自然だ。別にヘルレアは、カイムが行為をしていようが、していまいが、関心ないだろう。むしろ、気持ち悪いから、関わり合いたくないかもしれない。この気持ちは多分、寂しいや切ないというものだろう。大分状況が違うかもしれないが、カイムとしては、思春期の娘に嫌がられる父親のような、気分になっているのかもしれない。
――やはり、ヘルレアは子供だから。
なので、おそらく子供好きのカイムは嫌われると寂しいのだ。
「ぼんやり、なさらないで下さい……先程から猟犬共へ思考がダダ漏れになっていますよ」チェスカルが険しい顔をしている。
カイムが飛び退くと、チェスカルがため息をついた。彼が何か言いたげなので、カイムは心を寄せ、物理的に耳を傾け、しても何も聞こえてこなかった。
「さあ、お座りになってくださいまし。何かお飲み物をお口になさいますか」
「では、お水を頂ければ」カイムはソファへ座る。
チェスカルは、カイムの傍へ寄り添うようにして立ち続ける。
女王蜂がチェスカルへも視線を向けた。
「そちらのお方は」
「お気遣いなく」チェスカルは軽く会釈する。
女王蜂がカウンターへ行くと、建具の扉を開く。それは収納棚ではなく、大型冷蔵庫だった。景観を守る為にだろう、かなり凝った造りで、開けなければ一切気付かれない。そうして女王蜂はミネラルウォーターをグラスへ注ぐと、カイムの元へグラスを持って来る。カイムがグラスを受け取ろうとすると、横からグラスをかっさらわれた。受け取ったのはカイムではなくチェスカルで、臭いを嗅いでから一口水を含む。味わって少し経つと主人へ渡す。
分かっていた。分かっていたが――。
「どうなさいました?」チェスカルは知らん顔でそっぽを向く。
普段カイムは、猟犬が口を付けたものは、子供の食べ残しくらいの感覚しか持たない。だから、殆どの親が我が子の食べ残しを平気で食べてしまうように、カイムも猟犬が飲食したものを口にする抵抗感がなかった。
だが、状況故か想像力は気まぐれなもので――。
――男が飲んだ残り水を、飲む男。
ついげんなりして、低卓へグラスを置いた。女王蜂は察したらしく、くすくすとおかしそうに笑っている。チェスカルも猟犬だどうの以前に察しのいい男だ。絶対に分かっているが、仕事だからと絶対にこの男は曲げない。
「女王蜂、チェスカルも座らせてやっていいですか」
「勿論です。どうぞお掛けになって」
「お言葉に甘えさせて頂きます」
「さて、落ち着いたところで状況はいかほどに」
「防御壁はまだ完全に破られてはおりませんの。相手は色々な手を探しているようなのですが、まだ私の方が術式が複雑で牽制出来ている状態です。もし、今後、多重防御壁が破られて裸になってしまった場合は、防御から明確な攻撃へ転じます。外道、その召喚を行います」
「何を喚ばれるのですか」チェスカルが既に何か考え始めている。
「中級程度の悪鬼を多く喚ぶ道を取ります」
「承知しました。一つ確認させてください。最上級の神や、悪魔でも召喚可能とお見受けしますが」
「おっしゃる通りでございます。しかし、この〈蜂の巣〉の構造上、人間と同等の体躯を持つ種族を喚ばわる方が、隅々まで力が行き渡り、敵の殲滅に有利になると判断致しましたの。絶大なる存在は、敵の排除に有利でしょう。しかし、同時に自滅が最も恐ろしいのです」
チェスカルが無言で頷いている。カイムはチェスカルの邪魔をしないように、口を挟まなかった。女王蜂もそれを理解して、やはり先は黙している。
聡い女性だ。唯一無二の才媛と呼ばれて、娼館の主人であることに、一切疑問の余地は無い。
「……完全に外法外道の護りしか持っておられない?」
「はい、〈蜂の巣〉の性質上、情報漏洩は死に直結します。人間や生物は、お客様のお相手をさせて頂く為の子達だけで、女、男、特殊性、他種族しかおりません。〈蜂の巣〉で警備などをするのは、生き物ではないのです」
カイムを通して聞いていたエルドが、悩ましげな思考を主人へ流して来た。カイムが問いかけると、エルドが――それは危険だ――と訴える。
カイムはエルドが言った事を、自分が考えたように口にする。
「外法外道のような外界係はその名の通り、外のものです。人界――つまり内側へ、外の物を喚び出す以上、必ず齟齬が生じるものだと学んだ事があります。
また、その術が強ければ強い程、縛める力を必要とし、多大な負荷を空間に与える。つまり局所集中的に人界の一点へ、外界の力を集めてしまうと、摩擦のようなものが生じ、術式へ穴が出来て弱まるようなのです。
本来ならば、外法外道など人間が触れるべきではないと言われていますね。
使うのならば人界の法則を守りつつ、補助的に外界術を用いるのが限りなく正道に近いと思われます――地上の防御壁が突破されたのも、その穴を突かれているようなのです」
女王蜂は驚いている。
「それで……」
「護りを重ねれば重ねる程穴が出来るとは、盲点かもしれませんね。お力が強いからこそ陥りやすい」チェスカルが頷く。
カイムはエルドの話しを更に聞く。
「思い切って術式の整理をするとよろしいかもしれませんね」
「術式の整理?」
「防御壁以外の外法類、特に複雑な空間結合術と、多過ぎる外道とを全て解除してしまいましょう」
「それは、危険なのではありませんか」
「これだけ強力な防御壁だけでもあれば、ひとまず安全は確保されます。戦闘は僕達にお任せください」
女王蜂が悲しげに頷く。
「本当に何と申せばよいか……お客様へお休み頂く為の巣だというのに。私の粗末な術管理の為にお力添えを頂けるなんて」
女王蜂は顔を覆ってしまう。
「いいのですよ。気にしないで下さい。さあ、悲しい顔をしないで」カイムはオロオロとする。
【――カイム様、女性の涙に弱過ぎます】
グサッと思考が刺さって来る。一瞬、何を脳内独白で自分を痛め付けているのかと思ったら、犯人は隣の仏頂面男だった。
「……弱くて悪かったな」
「気を付けて下さいね」
【――女性は怖いですよ】
対人工作を得意とするチェスカルが言うと、変に生々しい。
カイムは猟犬の様子を常に気に掛けているが、女王蜂の言っていた、安全な第一階層の一点へ、既に猟犬共は集まって指示を待っている。外に一頭だけ猟犬も残しており、館との連絡役として働いていた。
外部からの救援は、まず、現状に適応出来る猟犬を集めることが先決だ。外界術が使える、あるいは何らかの対処が出来る猟犬というのは、いくらステルスハウンドでも少ない。
影でさえ、自己判断で外界術を使う許可を与えているのは、エルド・シュライフという猟犬だけだった。能力を持つ者は、猟犬の母数の大きさから一定数居る。また、エルドと同じか、それ以上に術の行使者として強い猟犬も、実は居るのだ。だが、カイムはそれらの猟犬へ、外界術の使用を禁じている方が多かった。
外界術については、エルドほどの自己抑制能力が、具わっていない猟犬ばかりだった。
最も恐いのは自滅――。
女王蜂の言葉が一番しっくり来る。カイムは、外界術を現在進行系で使っている猟犬を感じていると、身を持って危険だと判る。外界術というのは破壊する力が、強ければいいというわけではない。何より力の抑制が術者の技倆を如実に表す。力を振るって、分別無く滅する者を、強いとは言わない。
そうなってくると、影のような特殊技能集団に等しい猟犬というのは少なく、主人がいない状態では、部隊編成もかなり難しくなる。
闇雲に外界術を使える猟犬を、無思慮に出しかねない。
「不味いな、状況が判らない以上、猟犬さえ呼び辛い。外界術の術者は個人差が激し過ぎる」
「単純な戦闘技術であれば、猟犬の区分けもある程度単純にいきますが……術者達はこうと、まとめられるように、方向性が決まってはおりませんからね」
カイムはつい手元のグラスを遊ばせながら、身近な星を見上げる。ジェイドもしっかり動いている事が確認出来る。
エルドがカイムに話しかけて来る。カイムはもう面倒になって、思考をエルドへ開放してしまった。
【――カイム様、防御壁が薄くなり始めている場所へ、悪鬼一体づつ喚起のご指示を】
カイムが理由を問うと、戦力ではなく見張りに立てて、防御壁突破隠蔽を感知する為だから、滅っされても構わないという事だった。
女王蜂へエルドが言った事をそのまま伝えると、彼女は直ぐ指示に従った。
僅か猟犬五頭と密接に繋がっているだけなのに、カイムはかなり精神力を消耗している。戦時には数十頭の猟犬へ思考を開放しながら、自らも銃器を取っていたのだ。二十才前後の頃だから老化だと、笑えるような衰え方ではない。やはり、カイムは長年に及ぶ無理な閉殻で、相当損なってしまったのだ。
それは、使わない筋力が衰えて行くのと同じだ。
「カイム様、お身体が……」
さすがにチェスカルは、カイムの傍にいるから直ぐに分かる。
「いや、問題ない」
女王蜂がカイム達のちょっとした会話を耳にしたらしく、カイムの隣へ座る。
「お疲れになっておられますか?」
「お気になさらず。僕はただソファでくつろいでいるだけですから」
チェスカルが、カイムにしか分からない密やかさで眉根を寄せる。
「カイム様、私の眼を見つめて下さいまし……先程は拒絶なされてしまいましたが、何かお力になれるやもしれません」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが申しわけない、僕は秘密が多いので異能は受け入れられません」
「何の気休めになる話ではないかもしれませんが、私はお客様とのお話しは、どなた様へもお話し出来ませんし、この部屋から出る事も許されません。私はこの部屋に、封じられているのでございます」
「女王蜂ご自身も術の内に?」
「これは術という低級な行いではありません。天刑でございます」
「あなたは、いったい……」チェスカルが警戒を強めた気配がする。
女王蜂は悲しそうに俯いている。
カイムがチェスカルの腕を軽く叩く。猟犬は主人を見つめた。カイムが静かに首を振ると、それを見たチェスカルは立っている気を鎮めた。
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