死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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三章 棘の迷宮

第20話 狂信者

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20


 黒服の中年男が、血溜まりに沈んだ若い男を一瞥すると、今度こそ明確に特定の人物へ向けて礼を取った――オリヴァン・リードへと。

「このような騒動へ巻き込んでしまい申し訳ございません。私は教主様へいかなる危害を加える事はありません。我等組織には〈聖母の盾〉、その信者達が複数おります。教主様を内密にお守り致します故、どうか私共に御身を御守りさせて下さい」

 ヘルレアが廊下に居る三人へ視線を走らせると、何か一瞬で判断したのをジェイドは察した。

「一枚岩ではないのか……オリヴァン・リードを直ぐにでも連れ出せるか」

「残念だが今の状態では〈蜂の巣〉から、何人なんぴとも脱出出来ない」

 男はヘルレアを奇妙に感じているようで、遠くからじっと王の姿を観察しているようだった。

 ジェイドはヘルレアがヨルムンガンドと知られるのは愚策甚だしいとは考えたが、王を隠すという事の難しさに奥歯を噛み締めた。

「ヘルレア、あまり意味は無いし不自然だろうが、サングラスでもしてろ」

「直ぐにバレると思うぞ」

「せめて、それなりの努力でもしてみよう。堂々と世界蛇と主張せんでもいいだろう」

 カイムがノックしてくる。


【――そうだな……仕方がないジェイド、戒めを緩めて干渉する。死んだ若い男が使った刃物を見せてくれ】


 瞬間、ジェイドの心構えもままならない早さで、視界は自己で律する事が出来なくなった。血溜まりに投げ出された刃物へ、別個の意思で焦点を合わせられたのだった。遠くからでも解る程、湾曲の強い刀身であったが、本来見える筈の無い距離だというのに、何か装飾のようなものが刻まれているのすら見えて来た。

 激しい怒りを孕んだ狂暴性が、ジェイドの身内でくすぶりだす。己で感情が支配出来なくなり、思考が憤怒に引きずられて破壊衝動に狂う。早い鼓動が熱を全身へたぎらせる感覚を呼び起こし、また、外界からは灼熱に焼かれているようで、燃え尽きてしまいそうだった。

 刀身へ引き付けられるように、周りが見えなくなったその間際――。

 ジェイドは鎖が重い音を立てて、自己を締め付けるのを感じた。

 主人はそれ以上、猟犬を解放しなかった。

 ジェイドは自身を戒めるものが平常な形に戻されると、思わず目眩めまいを起こしたように目を強く閉じて、軽く頭を振った。冷汗を掻いていた。

 あまりにも純粋な獰猛さが、自身のうちに閉じ込められている事を久し振りに思い知らされた。恐怖を抱いて、カイムに縋り、赦しを乞いたくなった。

「おい、ジェイド!」ヘルレアが腕を揺する。

 ジェイドはヘルレアの声で周囲の音を取り戻し、王へ視線を引き付けられたが、何も言えなくて頷くしかなかった。


【――あれはやはり〈鎮魂の牙〉か……〈砂丘の信徒〉のようだ】


 カイムはぼそりと呟くと、何気ない感じで、熟考の息をつく。

 ジェイドの鬱屈し続ける心へ触れるものがあり、恐怖心が砂へ滲み込むように消えていった。ヘルレアは変化を感じ取ったようで、小さく首を振ると、何も言わなかった。

 ジェイドは目を醒ましたように、今度は自らの意思で刃物を注視する。


【――ヘルレアについては心配いらないだろう。〈聖母の盾〉、その〈砂丘の信徒〉派ならば相対するヨルムンガンド以外には寛容だ。むしろ、世界蛇自体を信仰する傾向が強い。この前会った〈レグザの光〉がヘルレアを有難がるような態度を取っていたが、ある側面では同じような性質を持つ宗教だ】


 ――敵対する可能性は低いという事か。


【――信徒の性向が古ければ古い程、世界蛇は敬われる。彼等を見ていれば言わずもがな、というわけだ】


 ジェイドはそれだけでも少し荷が下りた気がするが、たとえそうだとしても、本能的にヘルレアを背中に庇い、黒衣の男へ向き合う。

「オリヴァン殿をどう守るという」

「我等は外法外道を操る者。組織の信徒へ外界術を駆使させて、意図的に教主様を術式の裂け目で異教徒の同胞はらからから隠し通そう」

 オリヴァンはポケットに手を突っ込んで、どうでもよさそうに視線を天井付近で泳がせている。

「ふーん、結構な術者も居るもんだ。でも、俺っちパス!」

「何か不都合でもございますか」

「正直言うとさ、信者君嫌なんだよね。関わりたくないのさ」

「この状況で自分の好き嫌いでものを言うのは中々の根性だな」ヘルレアがニヤリと笑う。

「当たり前だよ。ヘルレア王、俺氏を甘く見ちゃいけないよ。死の寵愛を切り捨てるというのがどういうことか、判らない奴には理解出来ない世界さ」

「ああ、先程からそういうことか……お前、半分んだものな」

 ジェイドは思わずヘルレアの顔を覗ってしまう。

「死んでる……?」

「ヘルレア王、余計な事は言うもんじゃないよ。ジェイドにゾンビだと思われたらかなわない」

「ヘルレア、ここではあまりする話ではなさそうだな」

 ジェイドは思わず首を振り、ヘルレアを抑えるように手を伸ばしていた。王の血筋に関する話であるのは明らかで、主人に累が及ぶ可能性がある。

「どうしても我等に御身をお任せになって下さらないのですか」

「えー、それはそうでしょう。そもそも、こんなワケわからんおっさんの言うことなんざ、ハイハイ聞けないよ」

「ならば、どのように致しましたら信じて頂けましょう」

「そういうのはさ、を差し出すか、棄てるのさ。さっきの見てたら解るでしょう、ねえ、おっちゃん」

「承知致しました」

 男は銃をこめかみに当て、一切躊躇無く引き金を引いた。銃弾は頭蓋から抜け切れず、周囲をあまり汚すこと無く、男はあまりにも行儀良く死んでいった――正しくは、まだ死にきれてはいないだろうが。

「うわ、もうちょっ人の話しを聞こうよ。俺っち考えるの面倒臭いから、ムー君の方で適当にやるわ」

「お前、鬼畜だな」死の王が頬を引きつらせている。

「オリヴァン殿、聖母の盾がこれから更に接触を試みて来る事でしょう。
 とにかく、奴らとの軋轢は避けられるものなら避けたい。特に母体となる組織と聖母の盾は、全く異なる思惑で動いているのは明らかです。
 信徒の性向から言えば、あなたの言葉を聞き入れる可能性は高い。
 とりあえず現状は、カイムに着きながらも、聖母の盾を受け入れているという態度を取って頂きたいのです。その方が安全だと思わせる事で現状維持しつつ、対処致しましょう」

「ふーん、まあいいけど。俺っち考えんの面倒臭いし、関わりたくないからワンコちゃん達の好きにして。そうだ、特別サービスで俺氏から、ムー君は親友とでも言っておこうか。そうしたら、結構カイムも大事にしてもらえるんじゃない、教主様のサマサマってね」

「それもよろしいでしょう。オリヴァン殿がカイムへ深い縁があるものとして振る舞えば、軽んじられる可能性が格段に下がる。我々が護衛に直接的に関わる事の、正当性を強く主張出来ます」

 ヘルレアが手を腰に当てて、酷く渋い顔をしている。

「クソ迷惑な味方だな」

「どうにもなるまい。敵方の全容が判らない以上、俺達は聖母の盾を利用するべきだ」

「ジェイドちゃんに任せた、後は知らん。はらへった」

 ジェイドはついため息を溢した。素直なのはいいが、これからオリヴァンを抱えて、得体の知れない連中とやり合わなくてはいけない。敵方にはオリヴァンを命懸けで護ろうと動く者達と、一切その思想について輪郭すら掴めない組織という、一歩間違えば決裂しかねない二つの思惑を持った者達がいる。しかもそれが外界術という人外四凶へ通ずる、大変厄介な連中で、ジェイド達が下手に動けばどういった惨事が起こるものか、全く予測不能の世界だ。

 何よりも天使を招ける召喚士が組織に属して居る事が、一番の懸念だった。天使というのは超高位の召喚士のみが招ける災厄であったが、組織の規模によっては天使あれを複数駆使され、あるいは上級の天使を招かれるおそれが多分にあり、正直、人間程度ならば全滅も免れない。

 ――カイムだけは護らなければ。

 だが、その視線はヘルレアへ向かっていた。

「もう駄目だと思ったら、お前は構わず逃げろ。俺達猟犬は何があろうとカイムの傍に居る」

「何人も逃げられないんだろう?」

「本当にヨルムンガンドが逃げられ無いとでも思うのか――全てを破壊しろ、殺し尽くせ」

 ヘルレアは口を噤んでしまった。すると、どこか自嘲気味に王は小さく笑みを溢す。

「……殺せって、こんなにはっきり言われたのは初めてかもな」

「物事は時と場合による。何よりも優先されるべきものが明らかならば、お前は殺戮さえも正当化される。ヘルレア、俺達の死すら振り返るな。それでい良い。最も大切な事を忘れるな」

「カイムを結果的に殺したとしても?」

「猟犬は最後まで主人を守る。送り出す手向けに、弾丸は旨くはないが、お前には似合いの花だろう」

「私には猟犬共おまえたちがよく判らなくなる時がある」

「俺達猟犬も……人を護る為に居るんだ。罪と罰、その幸福を俺達は生きている」

 ジェイドにはそれ以上、何も語る事が許されなかった。それでもヘルレアは彼の言葉を噛み締めるようにして、じっとジェイドの顔を見つめていた。

 オリヴァンが唐突に指を弾いて鳴らす。カイムの仕草に似ていた。

「ムー君は、恐い? そうだね、怒ると恐いよ……でもね、そんなこと気にならないくらい、今はとっても優しい。良かったね、仔犬ちゃん――だけどさ、優しいから、本当は誰よりも残酷なんだよ」オリヴァンはにっこり笑んでみせた。

 オリヴァンが寄こしたその笑顔は、とても楽しそうで、ジェイドは、ぞっと、血の気が引いた。その瞬間に彼は主人に自らの心情が覚られないように、懸命に精神の最も深い闇へと、自らの力で感情を散じた。

 知られてしまったかもしれない。

 それでも――。

 もう、見知らぬ人間の遺体に気を掛ける程、繊細な精神を持つ者はここには無く、打ち捨てられたように死体が転がっている。

 飽きたのかオリヴァンが何の気兼ねも無しに、廊下をふらふら歩き出した。

 ヘルレアは長身のジェイドを見上げて、眉をひそめていた。

「ジェイド、お前は……、」

「猟犬などに構うな」

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