死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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三章 棘の迷宮

第22話 アシンメトリー 崩壊の扉

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 ジェイド達三人は結局、再び廊下に座り込んでいた。敵方がどう攻めて来るか判らない状況で、むやみに動く事は危険と、猟犬共は既に判断していたのだ。となれば、持久戦となるのは必須。騒ぎの後、なおも座り込み続けるというのも、中々に無防備なものだが、メンツの異常さがそれを許していた。が飽き飽きと腰を下ろせば、結局はこういった姿になってしまう。

 数歩、歩いてみれば二人分の死体が無惨に転がってはいたが、この三人――ジェイド、ヘルレア、オリヴァン――という人外の人非人にんぴにん共がどうのと気にするわけも無く、目を回しそうな程左右対称の廊下へ、色鮮やかな華を添えていた。

「イライラするな、攻めて来ればいいものを。いっそ自分から引きずり出したいものだが」

「そんな無茶は出来ない」

 ジェイドは首を振り、ヘルレアへ呆れも隠さず息をつく。

 ヘルレアは面倒臭そうな顔で、先程からナイフを抜いて、爪の間を穿ほじくっていた。ガリガリと聞こえて来る音は、明らかに金属が負けていくさまを容易に想像させる。ナイフはジェイドが以前見た黒い諸刃ではなく〈ステルスハウンド〉で扱っている、刃渡りが手の平以下サイズという小型で、何の珍しさもない品だった。

「それ、カイムに貰ったのか?」

「は? ああ、に決まってるだろう」

「お前は、何と言うか……言えば幾らでもくれるし、選ばせてもらえるだろうに」

「あいつ、言えば要らんものまで持って来そうでウザい。私なら、大量虐殺出来そうなブツまで並べて来そうだ」

 ジェイドはなんとも言えず口を噤んだ。オリヴァンが放屁のような笑い声を上げると、それ以降、廊下はと静まり返ってしまった。

 ヘルレアが肺に詰まっていたものを押し出すように、ゆっくりため息をつくと、唐突にナイフを床に突き刺した。ジェイドはその何気ないはずの仕草に、思わず身動ぎして、一瞬だけ冷気が膚を焼いた感触に頬を撫でた。

 ヘルレアはナイフを持つ手に、それ程力を込めていないように見えたが、その刃は根本まで床に刺さっていた。

「うっわ、怖っわ! あっははー、やっぱしヘルレア王は怖いわ」全くオリヴァンは恐がってなさそうだ。

 こういった攻撃性が直に伝わって来る動作は、さすがのジェイドでも、未だ恐怖を感じる。

「あまり、怯えるな。がうるさい」

「なら、恐がらせるんじゃない」

「ジェイドちゃん、めっちゃ正直ね」

「瞳の変化が見えるようになったくらい慣れたクセに、まだ恐がるとは、相変わらず随分弱っちいな。お前、ワン公共の顔だろうに繊細なことだ」

「変化……何のことだ?」

「色が見えるだろうに」

「あれか? それで……だが、いまいち判らん」

「そういうものだと思っとけ」

 よくよく考えてみれば、ヘルレアの瞳は最初出会った時には、色の変化が感じられなかったような記憶がジェイドにはある。仄暗く灯る瞳は、呑み込まれるような深青であり、感情の昂りによってはと燃えるような強さをみせていた。だが、東占領区で色の変化はあまり感じた事が無かったのだ。鮮やかに灯るさまが色の変化を惑乱させていたようでもない。いつからか、まるで当たり前だとでもいうように、ヘルレアの瞳、その色と感情の結び付きを受け入れていた。

「何が起こっているんだ……」

「知らん、誰も答えられなかった。世界蛇の傍に居ると、認知能力や、そもそもの神経がイカれるとも聞いたことがある――長く一緒に居過ぎて、狂ったのかもな」

 ヘルレアはと、不気味な笑い声を上げた。それは、鳥の中途半端な発声のようで、やたら耳障りだ。

「お前は本当におぞましいよな。そもそも、他人の認識を汲み取っている自体が、もう気持ち悪いわ」

「それは、カイムにも言ってやれ――世界蛇へそこまで言える生物は、ジェイド、お前だけだと思うぞ」

「ジェイドちゃんとヘルレア王の会話って、聞いてると大分酷いよねー! ミジンコ君が人間へツバかけてるみたいで。ミジンコってツバなんかあるのかい?」

「オリヴァン・リード、お前はもう黙ってろ」

 ヘルレアはオリヴァンへ解り易いように、不快の表情を作ってやっていた。それなりに恐ろしいが、かなり柔らかい、王なりの諭すような顔に感じた。

 オリヴァンは、あっははー、と相変わらずわけの判らない気の抜けた笑い声を上げた。

 ジェイドはオリヴァンだけにはと、言われたく無いとはっきり思った。この男は初めからヘルレアの事を一度も恐れてはいない。カイムやヘルレアが持つ、特別な能力など無くても解る。

「クソッ! 、な」

 周囲の気温が下がって来る。

「怒るな、お前の感情は、俺の手に余る」

 ヘルレアが何か口にしようとした瞬間、ジェイドへ向けていた王のその顔が、捉えられない速さで廊下を動いた。ジェイドは敵かと判断して体勢を整えたが、廊下に目に見えた変化が無く、しばらくそうしていると、鈍くて軋みを孕んだ小さな音が、不規則ながら連続で繰り返され始めた。

「おい、扉だ! 誰かが扉を叩いている」

 ヘルレアが一人で走って行ってしまう。ジェイドは慌てて追いかけたが、座っていたところからそれ程離れてはいない扉の前で、ヘルレア立ち止まっていた。扉は確かに誰かが叩いているような強さで、僅かに振動している。

「人間が居る……でも、今まではこういった感覚は一度もなかった。扉の向こうは壁のようだったのに」

「もう、恥ずかしげもなく、ヨルムンガンドに頼り始めてしまったが――開けるべきか?」

「こいつ戦闘員ではなさそうだ……力が弱すぎるし、服装が無防備過ぎる。摩擦音が軽すぎるんだ」

「俺の情動が弱すぎてカイムに伝わっていない。女王蜂が何か感じていないか、こちらから聞いてみる」


 ――おい、カイム! こちらへ集中してくれ。


【――どうした、ジェイド?】


 ――今まで反応が無かった扉が、人間によって叩かれているぞ。女王蜂は何も感知していないのか?


【――何だって? 解った、お尋ねしてみる】


 カイムの意識が一時的に離れたので、ジェイドはヘルレアへ心を戻した。

「今、カイムが女王蜂へお尋ねしている。ヘルレアは他に何か感じるか?」

 ヘルレアはジェイドに反応せず、黙り込んでいた。すると、扉を叩く手が止まった。

「駄目だ! 待てない、入るぞ」

 ヘルレアは弱く両手を押し当て、軽く戸板を蝶番ちょうつがいごと外してしまった。戸板はそのままの位置で、部屋と思われる側へ倒れた。普段、館では扉をよくふっ飛ばしていたが、まったくその所作とは異なり、あまりの静けさに、それが扉の正しい開け方のようにすら見えた。しかし、そういったことをのんびりと観察していられたのは、一瞬の出来事だった。獣の猛る怒号が、廊下まで押し寄せて来た。同時に、戸板の下から太った半裸の中年男が這い出してきて、廊下を転がった。

「これだから外界術は嫌なんだ。ものの道理を狂わせる」

 部屋では四足獣が目にも止まらぬ速さで暴れ狂っている。広い部屋だが、体長も体高もあるその獣が躍れば、部屋の大きさなど関係なく崩れいくだろう。

 その毛並みは乾いた血のようにどす黒い。豊かなたてがみに飾り立てられた顔は人間の顔面だった。男とも女とも判断出来ず、とにかく醜悪な顔を更に歪めて、顎が外れそうになるまで口を開くと、憤怒の号を轟かせ続ける。獣が尾を振り回すと、鞭のようにしなって空を切り、触れた物を粉砕し、壁を深く抉り取った。

 もう部屋の原型は幾らもなかった。おそらくは家具類であった木っ端が、獣の強靭な爪と脚で更に踏み躙られて、無意味な物へ変わり果てていく。

「生きた人間が居る。襲われて数十秒かもしれない。お前は助けに行け。残ったカーテンの裏にいる。あれは私に任せろ、でも直ぐには殺せない。酷く暴れるだろう、巻き添えを食う。単純な外道だ、心配するな――合図をするから備えろ」

「仕方がない、化物は任せた」ジェイドは汎用銃を手にした。

 ヘルレアが暴れ狂った獣へ突進して行くと、獣は直ぐ王の存在に気付き、無軌道な破壊を止めて対峙しようと狙いを定めた。だが、ヘルレアは獣の間合いも読まずに真正面から突っ込んで行ってしまい、獣は前肢を叩きつけながら迫ってくる。しかし、ヘルレアは一切足を止めず跳躍すると、牙と肉色の大穴開く人面を越え、その額へ正確に下り立ち、背中を一踏みして背後を取って、腰をどっしり落としてしまった。たてがみを手綱のように掴み取って引き絞っていたが、あの小さな手が掴めるような柔い毛質には、到底見えないというのに、相当の毛量を咥えているのか、鬣が広がりを失っていた。

「行け! ジェイド」

 尾は未だ、鞭のように空を切っていたが、その可動範囲は狭まり、ジェイドは戸板を踏み締めて壁に沿うように部屋を進んだ。
 
 ジェイドはカーテンの近くまで一息に行くと、いきなりはカーテンへ手を掛けなかった。僅かにカーテンが震えている。

「助けに来た。大丈夫か?」

 普段よりゆっくり穏やかに、発声する。

 小さな悲鳴があがったが、それでも一拍おくと、言葉にならない高い女の声で、ジェイドの問いかけに応えた。

 驚かせないようカーテンを引くと、ほとんど裸に近い女が震えていた。明らかに娼婦だ。黒く長いストレートの髪を乱して、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。それでも〈蜂の巣〉という高級娼館らしい、美しい女だというのが解る。

「心配いらない、動けるか? 連れて行った方がいいか?」

「あの、バケモノ……、」

「比べものにならない化物の王が、側にいるから危険はない」

 女はジェイドが何を言っているのか、判らないようだった。ジェイドも何故か、このような状況でも、言葉にすると馬鹿らしくなってしまった。

 女は意外と動けるようで、ジェイドは手を引いてやり廊下へ行くことを促した。目立たないよう身を潜めつつ、なるべく女の盾になってやり、ジェイドはヘルレアへも意識を向ける。壁沿いに歩いていると、と息を擦ったような声を上げた。

「人間……男の子が――、」

「見るな! あいつは兵士のようなものだ」

 ジェイドは言って気付いた。ヘルレアの瞳が燃えていた。燃える瞳が尾を引いて、獣の騎乗で自らも魔物と堕ちていた。

 しかし、それ程強い敵だとは思えない。

 そして、記憶が蘇る。

 ――必死になっているのだ。必死になって

 制御しようと躍起になっている。ヘルレアはジェイド達がいると戦えないのだ。

「バケモノ、青い眼が燃えて……外道じゃない、本物の悪魔が」

「おい、しっかりしろ」

 冗談でも言うべきではなかった。馴れすぎて、軽口を叩いた己を愚かだと悔やんだ。

 女は動かなくなってしまい、ジェイドは抱き上げてしまおうと考えた途端、女はジェイドの手を、驚くほどの強さで振り切って、走り出してしまった。混乱して、パニックを起こしている。

 廊下へ飛び出そうとした間際、何か硬いものを削る音と、空を切る音が妙にはっきりと響いた。

 走っていた女が倒れ伏し、ジェイドは何かが行われたと単純な思考しか働かなかった。

 重低音の笑い声が、部屋に凄まじい振動をもたらした。人面が大口を開けて、人間には無いはずの醜い獣の牙を晒して、粘性の強い唾液の糸を幾つも垂らしていた。知能が高過ぎる。

「……ああ、残念だったな。あの女がいたから、お前の寿命は延びていたのに、ジェイドはしぶといからな――お前は、もう終わりだ」

 獣が今まで発したことのない、巨大な穴から空気を一気に通したような声を上げた。獣は背中に跨がるヘルレアごと、自ら床に背中を叩き付けた。王は何かしたようだが、攻撃痕はまったく判らない。

 ヘルレアは既に、軽々と飛び退っていた。

 獣は体勢を懸命に立て直そうとして、無軌道に暴れ狂う。その間も尾は鞭となって部屋を切り裂き続けて、王が先に女を救えと言った意味が顕著になった。

 ジェイドは自らの危険も感じた。そして更に、倒れたままの女を、安全な場所へ連れ出さなければと走った。獣がヘルレアに集中している間に廊下側へ向かい、女に近付いてみると、うつ伏せになった背中には異常は無く、身体を動かしてみれば、脇腹に弾痕のようなものがあり、出血が始まっていた。とにかく廊下へ連れ出すと、オリヴァンがのんびりと座って、鼻をいた。

「オリヴァン殿、お手をお貸しして頂きたい。どうか、この女を安全な場所へ。損傷箇所を圧迫することをお忘れにならないでください」

「いいよん、君達は大変だね。見知らぬ他人の為に頑張っちゃって」

 ジェイドは廊下から部屋を僅かに覗き込む。踏み込むのはヘルレアの邪魔をするだけだ。

 ヘルレアが暴れる獣の横っ腹へ拳を叩き込む。吹っ飛び壁に衝突して、もう壁とは言えない程に荒れ果てていた。獣はぼろ布のようになり壁材の塵を被って、被毛は白く濁っている。それでも、立ち上がろうと前肢を持ち上げ一声

 それが、悪手だったのか。気温が明暗のスイッチを押したように、一時で切り変わった。離れたところに居るジェイドですら解った。全身鳥肌が立ち、眼前に自らの白い息が上がる。

 ヘルレアは前々から機嫌が悪い。そんな、軽い調子を含んだ考えを、ジェイドは甦えらせた。

 ジェイドは気温の変化に気を取られていた。鋭く重い音が満ちて、彼がヘルレアへ視線を送った時、獣は顎を失い大量出血を起こしていた。獣はよろめき倒れ伏す。

「なあ、化物! 私へ圧をかけようとするなど、分不相応だと判らなかったのか。格が低すぎて理解も出来なかったのか」

 ヘルレアが倒れた獣の額に生い茂る、鬣を毟り取ってしまった。

「硬い装甲よりも、柔く厚い被毛の方が、中々に役立つこともあるな。打撃の保護としてはまあまあ強い。褒めてやったんだ、光栄に思え」

 ヘルレアに空いた手で鬣を捕まれ、同時に床へも押さえつけられた。頭部は完全に固定されているので、体躯ばかりが力なく抵抗している。頭長を大きく失い、僅かに俯くようになった人面の額へ、王が手を添えると、ひび割れていく大きな音と共に、腕が人面の額へ押し込まれていった。動くのは獣自身ばかりで、ヘルレアは不動のまま、ゆっくり獣の体内へ侵入していく。

「恐いか? 高い知能も化物には考えものだな。これからゆっくり、脳味噌を掻き回してやるよ。もう、何も考えられなくなるから安心しろ」

 ヘルレアの嗜虐しぎゃく性が顕になり始めた。ジェイドはこの状況を不味いと思った。

「おい! ヘルレア、無駄なことは止めろ。早く殺せ」

「……解ったよ、」

 ヘルレアは子供のようにと歯をジェイドへ剥き出してから、額から手を抜くと両手で鬣を掴み、自らの方へ軽く引く。重たく籠もった音が、部屋へやけに大きく広がった。頸を外したようだった。

 ヘルレアが鬣から手を離すと、獣は力を失い巨体を伏した。

 ヘルレアは何気ない感じで、獣の鬣に自身の汚れた手を擦り付けている。

「汚いな」

 ジェイドはヘルレアへ走り寄って、王の不快そうな顔を見ると、瞳は平常で、もう寒くはないことにも気が付いた。

「……心配するな、そんなにヤワじゃない」

 ジェイドには、のことを言っているのか判らなかった。訊くことも許されない気がした。

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