死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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三章 棘の迷宮

第28話 蒐集家 小瓶の蜜蜂

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 女が独り、泣いている。崩れるように座り込み、顔を覆って喉を潰すような声だ。叫ぶ力も失ったのか、差し伸べる手を待つ子供の姿に似て、世話を焼く親を待ち続けているようだった。

 もう、何を言っているのかジェイドには判らなくて、でも、彼に取って重要ではないのかもしれないと考えると、邪魔なだけの存在だった。女が部屋を突破するのに必要なものだろうかと、ジェイドが判断出来ようも無く、未だ背後に居るであろうヘルレアへ振り返ろうとする。

 そうすると、ジェイドを止めるように、ヘルレアが背中へ、手をそっと添える。小さくて冷たい手だった。しかし、微かに押される感覚に、不思議な温かみが宿っていた。感触ではなくて、心に響く温もり。ヘルレアが、ジェイドの背中へ触れ続ける理由が判らなくて、けれども、そのまま現実には冷たい手を感じ続けた。

「もう、意味が解らなくても良い……お前が傷付くことはないんだよ、ジェイド。私は人間ではないんだ。この程度で気にしていたら、生きてはいけない。私は、自分がした事を一度も間違っているとは思ったことはない――間違っていると、認めてはいけない」

 ジェイドが今度こそ振り返ると、ヘルレアは微かに目を伏せて、穏やかな面差しを見せていた。

「……ああ、そうだな」ジェイドは今一、どこへ言及すべきなのか判らずに、形だけ頷いた。傲慢な語句を拾ったようにも感じたが、真意を詰めて考える意味を見出だせなくて流す。乾いた、あまりにも無関心な調子になってしまったかと、思いはしたが、気を使う意味の無さに、思いやりは解けていった。

 と、いかにもな作り笑いで、オリヴァンが体育座りをしてジェイド達を見ていた。
 
「なんだか……だよね~。ムー君、早くしないとお嫁さん取られちゃうかもよ」

「お前は空気を読め、いい加減ぶっ飛ばすぞ」

「お婿さん、ジェイドちゃんでもいいんじゃない? だってムー君より、ジェイドちゃんの方が、一緒に居る時間が長いし。今の雰囲気だと、ムー君いらないと思うよ」

「オリヴァン・リード、お前は本当に死にたいようだな」

「死にたいわけないでしょうが。事実を言っただけだよん! ヘルレア王の!」

 ヘルレアがオリヴァンの元へ行くと、座る彼の頭を足で踏み躙る。ゴミを圧縮でもしようか、といった押さえつけ方で、中々に悲惨な姿を晒している。ジェイドへ示した動作とは、全く違うさだ。

「早く先へ進もう、無意味なことはしないでくれ」

「あいよ、馬鹿馬鹿しい。馬鹿がうつる」

「あの女は移動するのに、関係があるのか」

「関係ないだろうな。女は部屋と括り付けられているんだよ。こいつは完全な異物側の存在だ……様子を見るに、半永久的に囚われ続けるだろう――“蜂の巣”は地獄だ。娼婦は部屋に縛られて、死んだら封じられる。肉体はもう無くて――精神か、意識か――どちらも違うか、魂と言えば解り易いものか。それが封じられてしまっているんだ。とんでもない聖性種族だな。先程から全方向から叫び声が止まらなくて」

「魂、か……部屋はいったい幾つあるというんだ」

「“蜂の巣”で働く者全てが縛られているのだろう。私はその考えを誤りだとは思わない。そして、歴史を思えば見当も付くというもの」

神領しんりょうが事実だとすれば……この異質さ、とは言い切れなくなる。どれほどに莫大な数になるか」

「……虜囚りょしゅう、あるいは蒐集物コレクションとでも表現したくなるものだ。人間には大分、娼婦達が見目良く感じるのだろうから。異邦の聖性種族には、どう捉えられているものか判らないが、悪辣な趣味だ」

「何故、それ程までに残酷なことを」

「判らん、聖性がどうのと幾ら表現しても、所詮は人間に取ってバケモノに違いはないだろう……言ってしまえば、人界代表のである私に取っても、人間なんざ石ころ以下に、感じられることの方が多い。それが格の高いとなると、どうなるものか。人間を汚物と感じていてもおかしくはないぞ」

 オリヴァンが相変わらず下品な、放屁地味た笑い声を長々と漏らす。

「馬鹿な隣人もいるものだね。わざわざ、お隣さんの汚物をこね回して喜んでいるんだもの。でも、ヘルレア王の言いようでは、それでも美醜は判るのかも? 何よりもさ、俺っち君達を持て成す始末だし、隣人君は生物が何かは理解してるのかもね。でも正しくは、ヘルレア王を持て成しているのかも~?」

「持て成している、それは……」

「ねえ、ジェイドちゃん判らないの? ヘルレア王かわいそう~!」

 ヘルレアが無言で座り込むオリヴァンの元へ行くと、胸倉を掴んで引き起こした。

「碌に格も無い畜生の分際で、解った気になるな」

 今までもヘルレアは、オリヴァンを虐げていたが、明らかに語調が違う。気温の変化は感じない。だが、逆にそれが底知れない恐怖を掻き立てる。感情を抑え込んで、無理に暴力性を圧し潰しているようだった。オリヴァンがふざけて、ヘルレアから暴力を受ける事は幾らでもあったが、王は子供を相手にしてやるように、やっていた。でも、これは違う――。

 オリヴァンは動じるどころか、口角を歪ませて笑んだまま、目を細めている。瞳に光が無くて、見下すような嘲弄ちょうろうの眼差しだった。

 ジェイドはオリヴァンの性格を解っているはずなのに。この男から恐怖心という感情が欠け落ちている異常な様子に、ヨルムンガンドの血を見た気がした。“死の寵愛”から離脱したオリヴァンと言えども、世界蛇の子である事に変わりは無い。

「格のない畜生風情に、怒っちゃイヤよ」

 ジェイドはさすがに見ていられず、二人の元へ駆け寄って止めようと手を伸ばしかけた。そうして全身に鳥肌が立ち心臓が跳ねる。周囲に張り巡らせた感覚が、壁面にひるうごめく感触を一斉に拾った。

 壁におびただしい数の泥地味た物が浮き出していた。壁をゆっくりと這い蠕動ぜんどうする姿は、実際見ていると、ウミウシのようで蛭よりも形がはっきりとしていた。

 ヘルレアはオリヴァンを既に投げ捨て、周囲を覗っている。

「……本当に、趣味が悪いな」

 壁面の全てに這う泥は、部屋を見回せば、膚をおかす病のように映る。しばらく変化なく泥は不規則に蠢いていたが、進行方向へと盛り上がる泥がぽつぽつと現れた。立ち上がった泥は、人間が四つん這いになって、まるで膜を破ろうとするように動いている。泥が破れず震えながら苦しそうに身悶える。

 その動きはジェイドへ苦悶を喚び起こすのに、十分な叫びを孕んでいた。

『ああ、何故。私は、』

『――教主様』

『お守り致しますから』

『……でも、ここは』

 オリヴァンが、面倒そうにため息をつく。
 
「あ~あ、〈蜂の巣〉で死ぬと、もう駄目みたい。こっちも、かわいそうだね~」

「オリヴァン・リード、お前はもう少し憐れんでやれ。鬼畜野郎」

「持て成す、か。そういうこ――、」

『殺してなんて、頼んでない!』

 ジェイドは反射で飛び退いて、ヘルレアから離れていた。一拍おいて見た時には、ヘルレアと娼婦が側近くで向かい合い、見つめ合っていた。

 女は透けるようで、今にも消えてしまいそうだというのに、王へと向けるその視線は、現実と違いない強さだった。

 怨嗟の一色に染まっていた。

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