死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

文字の大きさ
160 / 167
四章 表の無い硬貨

第6話 寄り添う心

しおりを挟む



 執務室にはカイムとジェイドしか居なかった。カイムの猟犬で最高位のジェイドと、二人だけで話すことは珍しくなかったが、今回の場合は特にジェイドから求められた内密の会話だった。

 カイムはヘルレアについて、猟犬共にはまだ何も伝えていない。

 こうした機会は、カイムに取っても、ヘルレアが去ったことを猟犬へ伝えるのに、適したものとなった。

 もう既に、ヘルレアとの別れは数時間前となる――。

 カイムはヘルレアと別れた後、時間を計ってから、マツダにジゼルの部屋へと走らせた。既に王達は居らず、ジゼル独りだった。カイムは問題が無いことを確認すると、使用人である雌番犬イヌを配して、ジゼルと二人軟禁状態にした。まださすがに、幼いジゼルを独りで閉じ込められないので、しばらくこうした形で彼女を暮らさせることになるだろう。

 ジゼルが状況をもう少し呑み込めれば――現状を本当の意味で説明出来る体調になったら――ジゼル独りでも部屋にいられるようになるかもしれないが、まだその時では無い。

 十才前後の仔犬だと、まだまだ幼く、心細さを訴える者が多いから、ジゼルもまた同じように、細心の注意を払う必要がある。カイムにはそれが判る。こういった幼年期世代の精神が測れるのは、猟犬の主人である特権だろう。

「カイム? ぼんやりしていないか。身体がまだ辛いようなら、後日にしよう」

「いや、別に大したことはないよ――ところで話しって何だい? 妙に畏まって」

「ああ、それなんだが……アイシャという名前を、ヘルレアから聞いたことはないか」

「アイシャ?」カイムはつい、疑問の声音に傾く。そして、つい反復までしてしまった。それはたったの一度だけ耳にして、慌ただしさに聞き流す形になってしまった人名だった。

 アイシャと言えば、秘すべき重要な名前に間違いはない。ヘルレアが関わってきた人間だろうというのは明らかだ。それもヘルレアにとって、ある種トラウマになるような人物であるように感じる。

「ヘルレアが、そう自分で口にした。棘実落果きょくじつらっかの大関門――通称〈苦しみの門〉というようで、女王蜂の部屋へ行くために、その門を通らなくてはならなかった。門を開ける者へ通称そのまま、苦しみをもたらすらしい。そして、そのアイシャとの関わりが、王にとっての苦痛のようだった」

 カイムは腕を組んでから唇に触れて、しばし無言でジェイドを見据える。

 それで益々、王に傷として刻まれた記憶だと、考えずにはいられなくなった。

「実は僕も、その名前は聞いた。アイシャ……女性の名前だろう。ジゼルが、というより〈レグザの光〉があの子へ喋らせていた。ノイマン・クレス前会長とそのアイシャを並べ立てて、ヘルレアを揺さぶっていた」

「どのように?」

「……ノイマンは、今もヘルレイアに鎖を括り付けてる、と――そして、こう続けた。王はこんなにも無垢な生き物を、見殺しには出来ない。ノイマンが教えてくれた……それともアイシャ、かしら。だね」

「そうか……人に寄り添ってくれてありがとう」

「え?」

「アイシャらしきものがそう言った。ヘルレアはあの時、と、断言していた。だが、一度は確かにアイシャだと錯覚したんだ。やはりアイシャは、〈天秤協会ライブラ〉の人間か」

「その可能性は高い。しかも、ヘルレアの養育に強く関わっていると考えて、間違いないだろう」

「世界蛇と関わるくらいだ、ライブラのハイランカーとして、名が知られている協会員だと思うが……でも、」

「そう、聞いたことがない。姓も判らないし。活動した痕跡すら知られていないんだ」

「過去数十年に、アイシャという上級会員は居ない……だとすると、ハイランカーではない?」

「いくら僕らでも下級会員までは把握していないから、調べさせる必要がありそうだ。それを何故〈レグザの光〉が知っていたのかも気になるところだ」

「そもそも奴ら、カイムがヨルムンガンドを連れ立って外出するのと、その詳しい日時、場所を、知っていたこと自体が問題だからな」

「さて、面倒なことになってきたね」カイムは腕を組むそのまま、力を抜いて軽く椅子を左右に回した。

「嬉しそうに言うな」

「これから本格的に〈レグザの光〉を調べさせるべきだね。仔犬はまだ〈光の家〉で大人しくさせていたけれど、そろそろ動かしてもいい頃かな。黒い綺紋も気になるところだし」

「人間が綺紋を使えるはずがないからな。まあ、バゼットなら不安は無いが、あの仔も一応仔犬だから早く帰館させたいものだ」

「綺紋モドキについては、ヘルレアもおっしゃっていたけれど……まあ、それもできるだけバゼットに調べさせよう。あと、成獣……猟犬も潜らせようと思うんだが、どうかな?」

「本来なら、チェスカルに行かせたいが、さすがに娼館での出来事から数日では、精神面で心許ない」

「〈ゴースト〉の派遣は、今回見送ろうと思う――シドが適任だと考えている」

「おい、雑用サポートには、荷が重過ぎる……だがそうか、それであの時、シドにジゼルを会わせたのか」

「僅かでも良かった、〈レグザの光〉がどのような思想の元、動いているか肌で感じられると考えたんだ――この任務が終わったら、猟犬を三頭、雑用から〈影〉へ引き上げようと思っていてね。もうこれ以上は三班を欠員に出来ない」

「ならやはり……アトラス、ヴィー、シドを〈影〉へ据えるのか?」

「そういうことになる。班の組み換えも必要になるだろう。エルドを三班の班長として、ジェイドの下にはヴィー、シドを置く。そうして、三班はエルド、ユニス、アトラスという風に、新たに立ち上げようと決めた」

「アトラスはまだしも、ヴィーとシドは大丈夫か? 俺でも手が付けられなくなりそうだ。あのじゃじゃ馬娘と超合金堅物」

「だからジェイドへ任せたんだよ。それに、僕もから心配はいらない。ジェイドはヴィーを、よく見てやってほしい……良い猟犬だよ、彼女は。使い方次第ではね」

「あまりの前で、他の猟犬を褒めるな」

「ジェイドですら、雌猟犬へまで嫉妬するのだから、猟犬は面白いよね……最近、益々猟犬らしくなってきた。昔を思い出す」

「それは、俺もただの猟犬だからな」

「まあ、猟犬の編成についての話しは、おいおいするとしよう――本当に誰なんだろう、アイシャは」

「気になるな」

「……愛していたのかな、彼女を」

「過去の人間だろう。お前が不安に感じることはない」

「ジェイド?」

「……ヘルレアがあっさりと去る理由になるとは思えない」

「さすがに妬いてはいないさ、ただ――ヘルレアの過去が、いつか重い枷になりそうで……と、言っても、もう、僕等には関係の無いことかもしれないけれど」

「どういう意味だ」

「去る理由がアイシャでは無さそうだけど、あの方はもう去ってしまったよ……」

「何だって? そんな重大な話を、何故、他人事のように!」ジェイドが机に迫って手を突き、カイムへ前のめりになる。噛みついて来そうな雰囲気だった。

「ヘルレアの意志を曲げることなど誰にも出来ない。分かるだろう?」

「だが、それでも、」

「ヘルレアは優し過ぎた――これ以上あの方の時間を奪うわけにはいかない」

「やはり俺は、ヘルレアに出会う以前の方が……ただのヨルムンガンドである方が、余程物事が単純に見えていた――人の業が、王を地に引き摺り落とした。それは、さらなる苦難を招いたのではないかと考えが巡ってしまう。はっきりと言ってしまえば、ヨルムンガンドの優しさは罪だ」

「そう全て、間違っていたんだろうね」

「そこまで、真っ直ぐに言われると何も答えられなくなる」

 カイムは、ジェイドをからかったことで、少し意地の悪い笑みが、口元へ張り付いたまま、机を爪で数度叩く。

 猟犬は号令をかけられたように、頭から爪先まで緊張させて居住いを正した。

「……冗談とは言い切れないのが厄介だ。道理としては間違ってはいたけれど――心の在り方は、けして間違っているとは思わない。少なくとも、僕はそう思う。ジェイドも感じるだろう?」

「一緒に居れば居るほど、益々口の悪くなる生意気なクソガキで……でも、あいつは目を見てくれる。それに、同じ目線を知っている。まあ、それでも、憎たらしかったが」

 カイムは息だけで笑ってしまう。ジェイドらしい表現だ。それに、憎いでは無い。憎たらしいと、どこか和らいだ語句が切ない。

「アイシャのおかげなのかな、今のヘルレアが在るのは」

「俺は、アイシャという奴がまだ生きているとは思えない」

「……だろうね」カイムは自然、目を細めて、焦点をどこへも結ばなかった。

「なあ、止められなかったのか」

「止めなかったんだよ」カイムは追求することを、猟犬に許さなかった。

「こんな終わり方で――虚しいものだ」

「僕達の生き方など、こんなものだろう。ただ通り過ぎて行くだけさ、大切なものほど簡単に。後は忘れるしかない。忘れるんだ、ジェイド……なんなら、僕が手を貸してもいい。お前が一番、ヘルレアと共に過ごして、思い入れがあるだろうから」

「いや、ヘルレアを想う痛みは無い……ただ本当に、本心から虚しいという気持ちしか無い。これが別れか、あっさりとしたものだ」

 カイムはジェイドの感情表層を浚って、本当に異変がないか確かめると一つ頷く。

「さて、ヨルムンガンドが、我が〈ステルスハウンド〉に滞在していたと知っていたのは誰だろう――猟犬は当然、敵対する者へはし。僕達のように、世界蛇を血眼になって探していた連中か?」

「それは……、」ジェイドは何か言いあぐねたが、カイムは猟犬が何を言いたかったのか迷いなく分かった。

「いよいよ、ノヴェクがきな臭くなってきたかな」

「カイムは無防備過ぎる! 身辺に気を付けてくれ」

「そうかい? 久し振りに殺しの感触を味わって、懐かしい気分だったよ。腕は落ちていないか?」

「落ちてはいないが――無鉄砲なことは止めてくれよ。恐ろしい」〈蜂の巣〉でカイムがした行為が、どうにも猟犬達のトラウマとなっているようで、案外と面倒な記憶となっている。消すほどでも無いというのが、やり辛い。

「いいじゃないか、腕が衰えていないと証明できたのだから。護身術も大切だよ。だから、あとは外堀も埋めておかないと。なるべく早く、問題は潰しておきたいものだね」

「俺達は立ち止まってはいられないんだな」

「いつか〈廃霊園〉で別れを惜しむことにするよ――退館するに、そう遠くは無いと思うからね。僕は負けたんだから」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

第2の人生は、『男』が希少種の世界で

赤金武蔵
ファンタジー
 日本の高校生、久我一颯(くがいぶき)は、気が付くと見知らぬ土地で、女山賊たちから貞操を奪われる危機に直面していた。  あと一歩で襲われかけた、その時。白銀の鎧を纏った女騎士・ミューレンに救われる。  ミューレンの話から、この世界は地球ではなく、別の世界だということを知る。  しかも──『男』という存在が、超希少な世界だった。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

処理中です...