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第一章
川辺の水落鬼 《七》
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耳トウのトウの漢字が出ないのです。(ToT)
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沙麼蘿は、振り下ろされた水落鬼の拳を、僅かに上げた右手の掌一つで受け止めた。水落鬼の拳と沙麼蘿の掌がぶつかり合う瞬間、辺りに凄まじい氣の渦が発せられ、木々を揺らす。
玄奘は押し寄せる氣の波動に、思わず顔を背けた。そして、その場に倒れていた八戒と悟浄は、発せられた氣の衝撃を受け覚醒する。
目覚めて最初に見えたのは、真っ赤な衣だった。身体に打ち付ける冷たい雨と、終わりなく続くような雷鳴。そんな中、真っ赤な衣だけが生き物のように揺れている。
次に見えたのは紫黒色の絹糸。それが、少し前に立つ人物の髪だとわかったのは、いつ頃だったか……。
両手をぬかるんだ土の上につき、その面を上げた八戒は、そこで初めて女を見た。真っ赤な襦裙を着て、軽々と水落鬼の腕を持ち上げているように見える。隣にいた悟浄もまた、驚きに双眸を見開く。
女が、水落鬼のあの攻撃を、片腕一本で止めているのだ。鬼神の血を引く自分ですら、両手でやっとのこと止めた攻撃を。
「氣…か……」
悟浄の口から、言葉が漏れる。腕一本で止めていると思われたそこに、水落鬼の拳と女の掌の間に、僅かの隙間があり、そこから薄い氣の壁のようなものが見えた。
「何が…起こって……」
眼前の信じがたい光景に、八戒が呟く。
水落鬼の攻撃を止めた沙麼蘿は、玄奘を見やり言った。
「経だ」
「……」
いったい、こいつは何を言っているんだと言うような表情で、玄奘は沙麼蘿を睨んだ。
「三蔵と名乗るからには、経の一つや二つ、読めるのだろう」
沙麼蘿は、ニヤリと口角をあげた。今の自分が何者でもないことは、沙麼蘿自身がよく理解している。だが、左耳につけられた二つの耳トウ。
紅玉は阿修羅の物であるし、血赤珊瑚は愛染明王の物だ。だとすれば、どちらかの力を借りれば、僅かな時間なりとも神に戻れると言うことだろう。
それに…、沙麼蘿は自分の左手中指にはめられた瑠璃の指環を見た。これば、身分の低かった皇の父親が、自ら手作りし聖宮に渡した物だ。
唯一皇に遺された、父と母の形見の品。皇が、いったいどんな気持ちでコレを手放したのか。沙麼蘿はもう一度、玄奘を見た。
「天上の桜を、護ると決めたのだろう」
“天上の桜”、その言葉に玄奘は双眸を見開く。やはり、この女のあの探るような睛眸は、自分のすべてを見透かしていたのだ。
そして、その近く立ち上がろうとしていた八戒も、驚きの表情で女を見つめた。
「天上の桜を護りたければ、理趣経だ!」
『その教えは初めに善く、中ほどにおいて善く、後に善く、その言葉と字句はたくみで妙なるものがあり、まじりなく完成で清らかで汚れがない。それはすなわちーーー』
男女の愛を含む欲望の昇華を説く理趣経は、愛染王の力を借りるにふさわしいだろう。
玄奘はその場で座禅をするように座り込むと、片手に持つ玻璃の数珠を両手にかけ、経を読み始めた。
玄奘の経は、その声に乗って見仏の光が見えるようだ。その経を纏いながら、沙麼蘿は心の中で呟く。
“我は願う、力の解放を。あぁ、愛染明王よ”
とたん、沙麼蘿の身体を薄赤い氣が包みこむ、そしてーーー。
紫黒色だった長い髪が灰簾石色に変化し、合わせるようにその黒檀色の双眸も灰簾石色に変わった。
また身に纏う衣も、真っ赤な襦裙から愛染朱の薄絹の襦裙に変わり、上から同じ愛染朱の長丈の背子を着ていた。
その背子には、裾から上半身にかけて、模様のように七色に輝く、透明な小さな飾りが幾つもつけられている。
目に見える宝具は三つ。一つは、右耳の半分を覆う紅玉・真珠・金剛石で飾りつけられた耳飾。
これには対になる左耳の耳飾があり、それは皇の左耳につけられている。互いの居場所がわかり、如何なる場所であろうと、対となる耳飾を身につけた者の所に行くことができる。
もう一つは、左の上腕につけられた白金の臂釧。白金の中に、様々な金色で阿修羅の印である宝相華の花が画かれている。一度その腕から離れれば、燃え盛る言葉を伝える火の鳥となる、と言われる代物だ。
最後の一つは、右手首の腕釧。臂釧と同じく、白金に様々な金色で宝相華の花が画かれている。望めば一振りの剣を出し、その白刀からは氷龍を召還することができる。
これには対になり得る物があり、それこそが皇の右手首につけられた腕釧。風龍を呼び出すことができる剣だ。
愛染の衣は沙麼蘿の持つ強大な力を抑制し、阿修羅の宝具はその力を制御する。
皇は、もしもの時沙麼蘿の力を抑え導くために、阿修羅王より宝具を貸し与えられた。
玄奘は、現れ出でたその姿に驚愕した。なぜ、仏教の経文の力を借りて、道神が姿を現すのか、と……。
いや、違う。髪の色と双眸は道神でありながら、身に纏う衣や身につける装身具は、すべて仏神の物。
沙麼蘿が、その右手の掌を開くと、そこに現れた白刀を握り締め、“タン” と軽い足どりで跳び上がった。するとその身体は水落鬼を越え、その頭上で剣を振り下ろす。軽く触れた剣と水落鬼の耳飾。
だが、次の瞬間には “パリン” と音を立て水落鬼の体は崩れ落ちた。そして、もう一体も……。
「憐れよ水落鬼。弱き者は、アレらに搾取され続けるのみ」
沙麼蘿が呟いたその言葉は雷雨の音にかきけされ、誰の耳にも届くことはなかった。
********
眼前→目の前、ごく身近な所
理趣経→経文の一つ
座席→あぐらをかいて姿勢を正す
見仏→仏の姿や光
背子→袖のない短い上衣、唐衣の前身
一振り→刀一本
白刃→鞘から抜いた刀、抜き身
抑制→たかぶろうとする感情、衝動的な行動をおさえてとめること
制御→ここでは、目的どおり力を調整すること
搾取→ここでは弱い者から無理にとること
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沙麼蘿は、振り下ろされた水落鬼の拳を、僅かに上げた右手の掌一つで受け止めた。水落鬼の拳と沙麼蘿の掌がぶつかり合う瞬間、辺りに凄まじい氣の渦が発せられ、木々を揺らす。
玄奘は押し寄せる氣の波動に、思わず顔を背けた。そして、その場に倒れていた八戒と悟浄は、発せられた氣の衝撃を受け覚醒する。
目覚めて最初に見えたのは、真っ赤な衣だった。身体に打ち付ける冷たい雨と、終わりなく続くような雷鳴。そんな中、真っ赤な衣だけが生き物のように揺れている。
次に見えたのは紫黒色の絹糸。それが、少し前に立つ人物の髪だとわかったのは、いつ頃だったか……。
両手をぬかるんだ土の上につき、その面を上げた八戒は、そこで初めて女を見た。真っ赤な襦裙を着て、軽々と水落鬼の腕を持ち上げているように見える。隣にいた悟浄もまた、驚きに双眸を見開く。
女が、水落鬼のあの攻撃を、片腕一本で止めているのだ。鬼神の血を引く自分ですら、両手でやっとのこと止めた攻撃を。
「氣…か……」
悟浄の口から、言葉が漏れる。腕一本で止めていると思われたそこに、水落鬼の拳と女の掌の間に、僅かの隙間があり、そこから薄い氣の壁のようなものが見えた。
「何が…起こって……」
眼前の信じがたい光景に、八戒が呟く。
水落鬼の攻撃を止めた沙麼蘿は、玄奘を見やり言った。
「経だ」
「……」
いったい、こいつは何を言っているんだと言うような表情で、玄奘は沙麼蘿を睨んだ。
「三蔵と名乗るからには、経の一つや二つ、読めるのだろう」
沙麼蘿は、ニヤリと口角をあげた。今の自分が何者でもないことは、沙麼蘿自身がよく理解している。だが、左耳につけられた二つの耳トウ。
紅玉は阿修羅の物であるし、血赤珊瑚は愛染明王の物だ。だとすれば、どちらかの力を借りれば、僅かな時間なりとも神に戻れると言うことだろう。
それに…、沙麼蘿は自分の左手中指にはめられた瑠璃の指環を見た。これば、身分の低かった皇の父親が、自ら手作りし聖宮に渡した物だ。
唯一皇に遺された、父と母の形見の品。皇が、いったいどんな気持ちでコレを手放したのか。沙麼蘿はもう一度、玄奘を見た。
「天上の桜を、護ると決めたのだろう」
“天上の桜”、その言葉に玄奘は双眸を見開く。やはり、この女のあの探るような睛眸は、自分のすべてを見透かしていたのだ。
そして、その近く立ち上がろうとしていた八戒も、驚きの表情で女を見つめた。
「天上の桜を護りたければ、理趣経だ!」
『その教えは初めに善く、中ほどにおいて善く、後に善く、その言葉と字句はたくみで妙なるものがあり、まじりなく完成で清らかで汚れがない。それはすなわちーーー』
男女の愛を含む欲望の昇華を説く理趣経は、愛染王の力を借りるにふさわしいだろう。
玄奘はその場で座禅をするように座り込むと、片手に持つ玻璃の数珠を両手にかけ、経を読み始めた。
玄奘の経は、その声に乗って見仏の光が見えるようだ。その経を纏いながら、沙麼蘿は心の中で呟く。
“我は願う、力の解放を。あぁ、愛染明王よ”
とたん、沙麼蘿の身体を薄赤い氣が包みこむ、そしてーーー。
紫黒色だった長い髪が灰簾石色に変化し、合わせるようにその黒檀色の双眸も灰簾石色に変わった。
また身に纏う衣も、真っ赤な襦裙から愛染朱の薄絹の襦裙に変わり、上から同じ愛染朱の長丈の背子を着ていた。
その背子には、裾から上半身にかけて、模様のように七色に輝く、透明な小さな飾りが幾つもつけられている。
目に見える宝具は三つ。一つは、右耳の半分を覆う紅玉・真珠・金剛石で飾りつけられた耳飾。
これには対になる左耳の耳飾があり、それは皇の左耳につけられている。互いの居場所がわかり、如何なる場所であろうと、対となる耳飾を身につけた者の所に行くことができる。
もう一つは、左の上腕につけられた白金の臂釧。白金の中に、様々な金色で阿修羅の印である宝相華の花が画かれている。一度その腕から離れれば、燃え盛る言葉を伝える火の鳥となる、と言われる代物だ。
最後の一つは、右手首の腕釧。臂釧と同じく、白金に様々な金色で宝相華の花が画かれている。望めば一振りの剣を出し、その白刀からは氷龍を召還することができる。
これには対になり得る物があり、それこそが皇の右手首につけられた腕釧。風龍を呼び出すことができる剣だ。
愛染の衣は沙麼蘿の持つ強大な力を抑制し、阿修羅の宝具はその力を制御する。
皇は、もしもの時沙麼蘿の力を抑え導くために、阿修羅王より宝具を貸し与えられた。
玄奘は、現れ出でたその姿に驚愕した。なぜ、仏教の経文の力を借りて、道神が姿を現すのか、と……。
いや、違う。髪の色と双眸は道神でありながら、身に纏う衣や身につける装身具は、すべて仏神の物。
沙麼蘿が、その右手の掌を開くと、そこに現れた白刀を握り締め、“タン” と軽い足どりで跳び上がった。するとその身体は水落鬼を越え、その頭上で剣を振り下ろす。軽く触れた剣と水落鬼の耳飾。
だが、次の瞬間には “パリン” と音を立て水落鬼の体は崩れ落ちた。そして、もう一体も……。
「憐れよ水落鬼。弱き者は、アレらに搾取され続けるのみ」
沙麼蘿が呟いたその言葉は雷雨の音にかきけされ、誰の耳にも届くことはなかった。
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眼前→目の前、ごく身近な所
理趣経→経文の一つ
座席→あぐらをかいて姿勢を正す
見仏→仏の姿や光
背子→袖のない短い上衣、唐衣の前身
一振り→刀一本
白刃→鞘から抜いた刀、抜き身
抑制→たかぶろうとする感情、衝動的な行動をおさえてとめること
制御→ここでは、目的どおり力を調整すること
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