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第一章
幻影の瞬き 《三》
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「妾季!」
皇が呼べば“はっ!”と声がして、妾季をはじめとする蒼宮軍が姿を現す。その姿を確認し、皇は沙麼蘿を抱き抱えたまま近くの木陰まで移動した。先程まで鬼神の姿で固定されていた沙麼蘿の姿は、皇に抱き抱えられたことで灰簾石色の髪と双眸に変わっている。
皇は左手で沙麼蘿の身体を支えたまま、右手で懐から一つの小さな包みを取り出すと“花薔の薬だ、飲め”と、沙麼蘿の口元に丸薬を持って行く。それは、花薔仙女が自らの命の火を削り氣を練り込んだ丸薬。通常の仙人達が須弥山で作り出す薬とは、効能が格段に違う。沙麼蘿は、差し出された薬を素直に飲んだ。
「琉格泉、よく知らせてくれた」
皇は、近寄って来た二頭の大神のうちの一頭、琉格泉を見つめ言った。琉格泉の異変を知らせる鳴き声で、いち早くこの場に駆けつけることができたのだ。玉薬を飲んだ沙麼蘿の身体からは流れ落ちる赤紅が止まり、僅かだが息づかいも楽になって行く。
その頃妾季は、手に持っていた小さな硝子瓶の封をとくと、沙麼蘿の赤紅が落ちたその場所に、中の液体をばらまいた。硝子瓶から出てきた水に近いソレは、地面の赤紅と混ざり合い蒸発するように煙を上げ消えて行く。
後には、赤紅もソレもないいつもと変わらぬ土地だけが残った。生けるものすべての命を奪い、草木さえ生えぬ土地にすると言われる沙麼蘿の赤紅を無効化するには、これしか手段はない。
「此方へ」
突然現れた蒼宮軍に取り囲まれ、動きを止めていた鬼神達と対峙していた玄奘一行に声をかけたのは琅牙。玄奘一行は、先の見世物小屋の猿達の事件の時に琅牙が沙麼蘿に付き従っていたのを覚えている。
彼らが敵でないことだけはわかる。ましてや、沙麼蘿を抱き抱えて連れて行った道神は、姿形はおろか身につける衣や装身具まで沙麼蘿と同じなのだから。だが、
「いもうとと、よんだか」
玄奘が呟く。いかに見た目が似ていようとも、沙麼蘿は間違えなく鬼神。しかし、現れた男が身に纏う天華の花が意味する通りならば、あの男は天帝一族 ・道神だ。鬼神と道神が兄妹とはどう言うことか。
「早く。鬼神達の相手は、蒼宮軍がいたします」
さらに琅牙から急かされ玄奘達が琅牙の元に集まると、蒼宮軍と言われた兵達が次々と姿を現す。
「皇様」
琅牙が皇の元へ近づくと、皇はその手を赤紅に染め沙麼蘿を抱き抱えていた。器用に沙麼蘿の赤紅を自らの衣と手で受け止めた皇は、地面を赤紅で染めることなくその場に立つ。
「玄奘三蔵達を連れて参りました」
皇の、沙麼蘿と同じ灰簾石色の双眸が玄奘達を見た。“似ている”と、玄奘達は思った。何処か感情に乏しい、だが意志だけは恐ろしく強そうな睛眸。そして
「お前達が玄奘三蔵一行か。お前達には感謝している、我が義妹を生み出してくれたのだからな」
感謝しているといいながら、この尊大な態度。何処からどう見ても沙麼蘿と同じ。おそらく、沙麼蘿はこの男の真似をしている。人としての形を作り出すために。他人が見れば、間違いなくこの二人は双子にしか見えないだろう。
「琅牙、何処かに休める場所はあるか」
「ございます」
琅牙は、此処からさらに西に向かった山奥に、嘗て王を名乗っていた妖怪が居城としていた廃墟があると告げる。
「そうか」
皇はそう言うと“先に行く”とだけ言い残し、沙麼蘿を抱き抱えたまま風のように消えて行った。
『ついてこい』
琉格泉は玄奘達にそう言うと、須格泉と共に走り出す。“ご一緒に”と、琅牙が大神と一緒に行けと言う。玄奘達に選択の余地はない。
「行くぞ、お前達!」
玄奘の声と共に、悟空・悟浄・八戒達は大神を追って走り出す。そしてその後を琅牙が追い、妾季達は鬼神と対峙することになる。
「ぴゅ~!」
“早い~!”と玉龍の声がして、小さな手が大神の頭の銀色の毛をギューと掴む。まるで飛ぶように走る大神の頭の上では玉龍の身体も浮かび上り、必死にしがみついていなければ落ちてしまいそうだ。
須格泉の姿は、皇について走り去りもうない。琉格泉は玄奘一行に走りを合わせるため、走っては止まり走っては止まりを繰り返し、玄奘一行を待っていた。
「大神に合わせて走るって、どんな罰ゲームだ」
ゼェ…ハァ…と息を吐きながら、悟浄が呟く。いかに先で止まって待っているとは言え、相手は神の使いの大神だ、普通の獣とはわけが違う。
「オレ、余裕!」
「悟空はそうでしょうね」
大神と共に何処までも走っていけそうな悟空と、見た目には疲れはなさそうだが、僅かに息切れを見せる八戒。だが、そんな八戒ですら、立ち止まれば足が動かなくなりそうだ。しかし、そんな中でも玄奘は言うのだ
「つべこべ言わすに走れ」
と。玄奘三蔵の玄奘三蔵たる所以は、この人知を超えた意志の強さと体力だ。その細身の身体からは考えられないほどの力強い精神力と体力で、大神の後を追う。
だがそれは、決して鬼神や邪神の血を引く悟浄や八戒や、強い陽の氣の塊である悟空のように持って生まれたものではない。両親を知らず、養祖父母に愛されることもなく、唯一厳しくも穏やかで幸せだった幼いあの日々の中、何一つできずに御師匠様と兄弟子達を奪い取られた。その、胸元をかきむしるほどの後悔の念だけが、玄奘に人知を超えた力を身につけさせたのだ。
そして、たどり着いたその先にある物を、全員が見上げた。
********
懐→衣服を着たときの胸のあたりの内側の部分
丸薬→飲みやすくするため、練り合わせて球状にした薬剤
天華の花→天上に咲く霊妙な花
尊大→人を見下して偉そうにしているさま。威張っていて、いかにも偉そうな態度をとること
嘗て→過去のある時点にその事柄が成立したさま。昔、以前、前に
廃墟→建物や施設などが使われないまま放置され、荒れ果てた状態になっているもの
所以→わけ、いわれ、理由
人知を超えた→人の知恵や知識では到達できないと思われる様子。人間の知が及ばない様子
次回投稿は12日か13日が目標です。
皇が呼べば“はっ!”と声がして、妾季をはじめとする蒼宮軍が姿を現す。その姿を確認し、皇は沙麼蘿を抱き抱えたまま近くの木陰まで移動した。先程まで鬼神の姿で固定されていた沙麼蘿の姿は、皇に抱き抱えられたことで灰簾石色の髪と双眸に変わっている。
皇は左手で沙麼蘿の身体を支えたまま、右手で懐から一つの小さな包みを取り出すと“花薔の薬だ、飲め”と、沙麼蘿の口元に丸薬を持って行く。それは、花薔仙女が自らの命の火を削り氣を練り込んだ丸薬。通常の仙人達が須弥山で作り出す薬とは、効能が格段に違う。沙麼蘿は、差し出された薬を素直に飲んだ。
「琉格泉、よく知らせてくれた」
皇は、近寄って来た二頭の大神のうちの一頭、琉格泉を見つめ言った。琉格泉の異変を知らせる鳴き声で、いち早くこの場に駆けつけることができたのだ。玉薬を飲んだ沙麼蘿の身体からは流れ落ちる赤紅が止まり、僅かだが息づかいも楽になって行く。
その頃妾季は、手に持っていた小さな硝子瓶の封をとくと、沙麼蘿の赤紅が落ちたその場所に、中の液体をばらまいた。硝子瓶から出てきた水に近いソレは、地面の赤紅と混ざり合い蒸発するように煙を上げ消えて行く。
後には、赤紅もソレもないいつもと変わらぬ土地だけが残った。生けるものすべての命を奪い、草木さえ生えぬ土地にすると言われる沙麼蘿の赤紅を無効化するには、これしか手段はない。
「此方へ」
突然現れた蒼宮軍に取り囲まれ、動きを止めていた鬼神達と対峙していた玄奘一行に声をかけたのは琅牙。玄奘一行は、先の見世物小屋の猿達の事件の時に琅牙が沙麼蘿に付き従っていたのを覚えている。
彼らが敵でないことだけはわかる。ましてや、沙麼蘿を抱き抱えて連れて行った道神は、姿形はおろか身につける衣や装身具まで沙麼蘿と同じなのだから。だが、
「いもうとと、よんだか」
玄奘が呟く。いかに見た目が似ていようとも、沙麼蘿は間違えなく鬼神。しかし、現れた男が身に纏う天華の花が意味する通りならば、あの男は天帝一族 ・道神だ。鬼神と道神が兄妹とはどう言うことか。
「早く。鬼神達の相手は、蒼宮軍がいたします」
さらに琅牙から急かされ玄奘達が琅牙の元に集まると、蒼宮軍と言われた兵達が次々と姿を現す。
「皇様」
琅牙が皇の元へ近づくと、皇はその手を赤紅に染め沙麼蘿を抱き抱えていた。器用に沙麼蘿の赤紅を自らの衣と手で受け止めた皇は、地面を赤紅で染めることなくその場に立つ。
「玄奘三蔵達を連れて参りました」
皇の、沙麼蘿と同じ灰簾石色の双眸が玄奘達を見た。“似ている”と、玄奘達は思った。何処か感情に乏しい、だが意志だけは恐ろしく強そうな睛眸。そして
「お前達が玄奘三蔵一行か。お前達には感謝している、我が義妹を生み出してくれたのだからな」
感謝しているといいながら、この尊大な態度。何処からどう見ても沙麼蘿と同じ。おそらく、沙麼蘿はこの男の真似をしている。人としての形を作り出すために。他人が見れば、間違いなくこの二人は双子にしか見えないだろう。
「琅牙、何処かに休める場所はあるか」
「ございます」
琅牙は、此処からさらに西に向かった山奥に、嘗て王を名乗っていた妖怪が居城としていた廃墟があると告げる。
「そうか」
皇はそう言うと“先に行く”とだけ言い残し、沙麼蘿を抱き抱えたまま風のように消えて行った。
『ついてこい』
琉格泉は玄奘達にそう言うと、須格泉と共に走り出す。“ご一緒に”と、琅牙が大神と一緒に行けと言う。玄奘達に選択の余地はない。
「行くぞ、お前達!」
玄奘の声と共に、悟空・悟浄・八戒達は大神を追って走り出す。そしてその後を琅牙が追い、妾季達は鬼神と対峙することになる。
「ぴゅ~!」
“早い~!”と玉龍の声がして、小さな手が大神の頭の銀色の毛をギューと掴む。まるで飛ぶように走る大神の頭の上では玉龍の身体も浮かび上り、必死にしがみついていなければ落ちてしまいそうだ。
須格泉の姿は、皇について走り去りもうない。琉格泉は玄奘一行に走りを合わせるため、走っては止まり走っては止まりを繰り返し、玄奘一行を待っていた。
「大神に合わせて走るって、どんな罰ゲームだ」
ゼェ…ハァ…と息を吐きながら、悟浄が呟く。いかに先で止まって待っているとは言え、相手は神の使いの大神だ、普通の獣とはわけが違う。
「オレ、余裕!」
「悟空はそうでしょうね」
大神と共に何処までも走っていけそうな悟空と、見た目には疲れはなさそうだが、僅かに息切れを見せる八戒。だが、そんな八戒ですら、立ち止まれば足が動かなくなりそうだ。しかし、そんな中でも玄奘は言うのだ
「つべこべ言わすに走れ」
と。玄奘三蔵の玄奘三蔵たる所以は、この人知を超えた意志の強さと体力だ。その細身の身体からは考えられないほどの力強い精神力と体力で、大神の後を追う。
だがそれは、決して鬼神や邪神の血を引く悟浄や八戒や、強い陽の氣の塊である悟空のように持って生まれたものではない。両親を知らず、養祖父母に愛されることもなく、唯一厳しくも穏やかで幸せだった幼いあの日々の中、何一つできずに御師匠様と兄弟子達を奪い取られた。その、胸元をかきむしるほどの後悔の念だけが、玄奘に人知を超えた力を身につけさせたのだ。
そして、たどり着いたその先にある物を、全員が見上げた。
********
懐→衣服を着たときの胸のあたりの内側の部分
丸薬→飲みやすくするため、練り合わせて球状にした薬剤
天華の花→天上に咲く霊妙な花
尊大→人を見下して偉そうにしているさま。威張っていて、いかにも偉そうな態度をとること
嘗て→過去のある時点にその事柄が成立したさま。昔、以前、前に
廃墟→建物や施設などが使われないまま放置され、荒れ果てた状態になっているもの
所以→わけ、いわれ、理由
人知を超えた→人の知恵や知識では到達できないと思われる様子。人間の知が及ばない様子
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