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第一章
幻影の瞬き 《十》
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「朝…か」
皇は、静かにその双眸を開いた。窓辺から射し込む光は、皇が知る天上界の夜明けとは違って明るく眩しい。そっと身体を起こし窓辺に近寄れば、そこには東の空から昇ろとしている太陽が見える。
「これが、東雲の空と言うものか」
皇が知る朝焼けは、天上界の朝の光景だ。天上界に、下界のような暗闇の夜は存在しない。天界とは、何時も光に満たされ輝いているものだ。それでも、夜と言われる時間帯だけは光が彩りを落とし、空が薄い薄い藍色に変わる。
この薄い藍色の空が、輝きを取り戻そうと光を放ち始めるのが天上界の朝焼けだ。だが、下界の朝焼けは違う。暗闇しかなかった空に東から太陽が昇り、空が白み始め黄赤色に染め上げられる。それが、下界の東雲の朝焼けだ。
皇は幾度となく、蒼宮にある池から下界の夜の光景を見てきた。沙麼蘿が施した仕掛けにより、月さえ出ていれば池から下界の夜が見渡せるのだ。そこから、下界の東雲の朝焼けを見ることもできる。
だが、やはり池から見る東雲と、実際に下界に降りて見る東雲は違う。太陽の眩しい光に、生命の力を感じる。永遠に近い程の時を生きる天上人が住む天界と下界では、日の光一つとってもここまで違うものかと皇は思い、ただ黙って東雲の朝焼けを見つめた。
その時、沙麼蘿の眠る先からすっと大神が動く気配がして、皇は窓辺から振り返る。そこにいたのは須格泉と琉格泉。昨夜見た血にまみれた毛並みはすでになく、何時もように輝く金色と銀色の毛並みをして、体中にあった数多の傷も全て消え失せていた。
「沙麼蘿が、目を覚ましたか」
二頭の大神はそう呟いた皇の元までやて来ると、その体を甘えるように寄せて来る。その二頭の頭を代わる代わる撫でて、“大事ないか” と皇は声をかけた。昨日一番頑張ったのは、間違いなくこの二頭の大神だったのだから。
『沙麼蘿は、残夜に一度目を覚ました』
『だが、我らの傷を癒すために力を使い、また眠りについてしまった』
「そうか。一度目覚めたのならば、もう心配はあるまい」
二頭の大神の傷を癒せるほどに力を取り戻したのならば、もう何の問題もないだろうと皇は思う。
「ならば、戻るか。天上界に」
沙麼蘿に近寄り、その眠りについたままの頬をひと撫でし、細い左手の中指に皇自らがはめた母の形見の指環を触ると、その後すぐに目覚めた琅牙と外で護りを固めていた妾季、そして須格泉を連れ天上界へ戻るためその場を後にしようとした。
「会って行かなくていいのか」
何時から目覚めていたのか、玄奘が皇に声をかける。その声に、皇は振り返って玄奘を見つめた。
「もう、何の心配もないことは確認した。目覚めを待たずとも、沙麼蘿は此処にこの義兄がいたことはよくわかっている。」
用は済んだとばかりに、“あとは任せる” と皇は玄奘に告げると、天上界へと戻って行った。
「よろしかったのですか」
「そろそろ戻らなければ、要らぬ詮索を受けよう」
沙麼蘿と、一言の言葉も交わさぬまま天上界に戻ってきた皇に琅牙が声をかければ、皇は紫微宮の方を見つめ言った。傷ついた義妹を助けるため下界に降りた。ただそれだけのことであろうとも、戻って来るのが遅いだの、時間がかかりすぎるだのと言われ、要らぬ疑念をもたれ詮索されるのは本意ではない。
「ご苦労なことよ」
蒼宮の周辺に感じる自分の部下達ではない気配に、皇は呟いた。
そっと睛眸を開けば、そこは思いの外明るかった。残夜に目覚めた時とは違い、光の瞬きが降り注ぐ白日の光景。空中で煌めく瞬きに手を伸ばせば
『目が覚めたか』
と琉格泉の声がして、沙麼蘿はその顔を向けた。残夜に見た血にまみれた姿と違い、白日の光を浴びてその体は銀色に輝いている。手を伸ばせば、その掌に琉格泉が顔をすり寄せた。
「大丈夫ですか」
沙麼蘿が目覚めたことに気がついた八戒が、沙麼蘿に手をかし起き上がらせる。その時に八戒の記憶をたどり、琉格泉と須格泉の記憶と合わせ事の成り行きを確認し、沙麼蘿は辺りを見回した。
「お前の兄は帰ったぞ」
玄奘の言葉に、“だろうな” と沙麼蘿は呟く。あの道界が、どんな理由があるにしろ、皇が勝手に動くことをよしとするはずがない。沙麼蘿は自らの左手中指にある聖宮の形見の指環に触れると
「返せなかったな、皇に」
と、呟いた。この指環は、皇にとって母親である聖宮の形見であると同時に、話にしか聞いたことのない父親の形見でもある。二親の、何物にも代え難い品なのだ。それをあの時、沙麼蘿が一人では寂しかろうとその指にはめたものだ。
「姉ちゃん、これ!」
悟空が、“食べて食べて” と差し出してきたのは、嘗ては蟠桃果と呼ばれていたもの。
「腹拵えが終わったら、ここを出るぞ」
「沙麼蘿と琉格泉がいりゃ、楽に出れんだろ」
玄奘も悟浄も、早く此処を出たいようだ。確かに、此処は入るのも出るのも大変な所、隠れるにはいいが長居には向かない場所だろう。
「ぴゅ!」
“僕もいるから大丈夫!” そう言う玉龍に、何時もの風景に戻ってきたなと思う面々である。
斯くて、玄奘一行の何時もと変わらぬ旅は続くのだった。
********
東雲→日本の古語で闇から光へと移行する、夜明け前に茜色にそまる空のこと
施す→飾りや補いのために何かを付け加える。効果・影響を期待して事を行う
残夜→夜明け方(この話では、東雲より前の薄暗い時間)
詮索→細かい点まで調べ求めること
白日→照り輝く太陽。真昼。白昼
代え難い→代えがきかない。交換することができない
斯くて→こうして。このようにして
次回投稿は29日か30日が目標です。
皇は、静かにその双眸を開いた。窓辺から射し込む光は、皇が知る天上界の夜明けとは違って明るく眩しい。そっと身体を起こし窓辺に近寄れば、そこには東の空から昇ろとしている太陽が見える。
「これが、東雲の空と言うものか」
皇が知る朝焼けは、天上界の朝の光景だ。天上界に、下界のような暗闇の夜は存在しない。天界とは、何時も光に満たされ輝いているものだ。それでも、夜と言われる時間帯だけは光が彩りを落とし、空が薄い薄い藍色に変わる。
この薄い藍色の空が、輝きを取り戻そうと光を放ち始めるのが天上界の朝焼けだ。だが、下界の朝焼けは違う。暗闇しかなかった空に東から太陽が昇り、空が白み始め黄赤色に染め上げられる。それが、下界の東雲の朝焼けだ。
皇は幾度となく、蒼宮にある池から下界の夜の光景を見てきた。沙麼蘿が施した仕掛けにより、月さえ出ていれば池から下界の夜が見渡せるのだ。そこから、下界の東雲の朝焼けを見ることもできる。
だが、やはり池から見る東雲と、実際に下界に降りて見る東雲は違う。太陽の眩しい光に、生命の力を感じる。永遠に近い程の時を生きる天上人が住む天界と下界では、日の光一つとってもここまで違うものかと皇は思い、ただ黙って東雲の朝焼けを見つめた。
その時、沙麼蘿の眠る先からすっと大神が動く気配がして、皇は窓辺から振り返る。そこにいたのは須格泉と琉格泉。昨夜見た血にまみれた毛並みはすでになく、何時もように輝く金色と銀色の毛並みをして、体中にあった数多の傷も全て消え失せていた。
「沙麼蘿が、目を覚ましたか」
二頭の大神はそう呟いた皇の元までやて来ると、その体を甘えるように寄せて来る。その二頭の頭を代わる代わる撫でて、“大事ないか” と皇は声をかけた。昨日一番頑張ったのは、間違いなくこの二頭の大神だったのだから。
『沙麼蘿は、残夜に一度目を覚ました』
『だが、我らの傷を癒すために力を使い、また眠りについてしまった』
「そうか。一度目覚めたのならば、もう心配はあるまい」
二頭の大神の傷を癒せるほどに力を取り戻したのならば、もう何の問題もないだろうと皇は思う。
「ならば、戻るか。天上界に」
沙麼蘿に近寄り、その眠りについたままの頬をひと撫でし、細い左手の中指に皇自らがはめた母の形見の指環を触ると、その後すぐに目覚めた琅牙と外で護りを固めていた妾季、そして須格泉を連れ天上界へ戻るためその場を後にしようとした。
「会って行かなくていいのか」
何時から目覚めていたのか、玄奘が皇に声をかける。その声に、皇は振り返って玄奘を見つめた。
「もう、何の心配もないことは確認した。目覚めを待たずとも、沙麼蘿は此処にこの義兄がいたことはよくわかっている。」
用は済んだとばかりに、“あとは任せる” と皇は玄奘に告げると、天上界へと戻って行った。
「よろしかったのですか」
「そろそろ戻らなければ、要らぬ詮索を受けよう」
沙麼蘿と、一言の言葉も交わさぬまま天上界に戻ってきた皇に琅牙が声をかければ、皇は紫微宮の方を見つめ言った。傷ついた義妹を助けるため下界に降りた。ただそれだけのことであろうとも、戻って来るのが遅いだの、時間がかかりすぎるだのと言われ、要らぬ疑念をもたれ詮索されるのは本意ではない。
「ご苦労なことよ」
蒼宮の周辺に感じる自分の部下達ではない気配に、皇は呟いた。
そっと睛眸を開けば、そこは思いの外明るかった。残夜に目覚めた時とは違い、光の瞬きが降り注ぐ白日の光景。空中で煌めく瞬きに手を伸ばせば
『目が覚めたか』
と琉格泉の声がして、沙麼蘿はその顔を向けた。残夜に見た血にまみれた姿と違い、白日の光を浴びてその体は銀色に輝いている。手を伸ばせば、その掌に琉格泉が顔をすり寄せた。
「大丈夫ですか」
沙麼蘿が目覚めたことに気がついた八戒が、沙麼蘿に手をかし起き上がらせる。その時に八戒の記憶をたどり、琉格泉と須格泉の記憶と合わせ事の成り行きを確認し、沙麼蘿は辺りを見回した。
「お前の兄は帰ったぞ」
玄奘の言葉に、“だろうな” と沙麼蘿は呟く。あの道界が、どんな理由があるにしろ、皇が勝手に動くことをよしとするはずがない。沙麼蘿は自らの左手中指にある聖宮の形見の指環に触れると
「返せなかったな、皇に」
と、呟いた。この指環は、皇にとって母親である聖宮の形見であると同時に、話にしか聞いたことのない父親の形見でもある。二親の、何物にも代え難い品なのだ。それをあの時、沙麼蘿が一人では寂しかろうとその指にはめたものだ。
「姉ちゃん、これ!」
悟空が、“食べて食べて” と差し出してきたのは、嘗ては蟠桃果と呼ばれていたもの。
「腹拵えが終わったら、ここを出るぞ」
「沙麼蘿と琉格泉がいりゃ、楽に出れんだろ」
玄奘も悟浄も、早く此処を出たいようだ。確かに、此処は入るのも出るのも大変な所、隠れるにはいいが長居には向かない場所だろう。
「ぴゅ!」
“僕もいるから大丈夫!” そう言う玉龍に、何時もの風景に戻ってきたなと思う面々である。
斯くて、玄奘一行の何時もと変わらぬ旅は続くのだった。
********
東雲→日本の古語で闇から光へと移行する、夜明け前に茜色にそまる空のこと
施す→飾りや補いのために何かを付け加える。効果・影響を期待して事を行う
残夜→夜明け方(この話では、東雲より前の薄暗い時間)
詮索→細かい点まで調べ求めること
白日→照り輝く太陽。真昼。白昼
代え難い→代えがきかない。交換することができない
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