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第一章
一刻の休息 《一》
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一刻→いっとき
幕間の話なので短いです。
********
その小さな山寺は、少しばかり辺鄙な場所にあたった。だが、街へ出るには遠回りになろうとも、玄奘は一度足を運んでおきたかったのだ。
「お久しぶりでございます、大師」
「長らく見ぬ間に、ずいぶん血にまみれたことよ。のう、玄奘」
「はい」
この寂れた山寺の中で玄奘が頭を下げるのは、嘗ては大本山に住まい多くの内弟子達に囲まれていたが、寄る年波には勝てぬとこの辺鄙な寂れた山寺に引きこもり、僅か三人の小坊主と共に暮らす玄奘の師匠であった壽慶三蔵の師である憧憬大師だ。
大師と呼ばる身でありながら、いつも貧しい者達に気を配り、共に畑を耕し暮らす。この山寺の下には小さな村が三つあり、憧憬大師はその小さな村の人々の心の拠り所にもなっていた。
「じゃが、元気そうで何より」
「大師も、恙無くお過ごしのようで、何よりです」
壽慶亡き後、玄奘は緑松の元で隠れ暮らしてきたが、そんな中でも憧憬は陰ながら力を貸し助けてくれた。西へ行くのなら、途中で是非此処へ立ち寄りたいと玄奘は思っていたのだ。“壽慶の内弟子ならば、この私の弟子も同然である” と、天上の桜の鍵を守るために身を隠すしかなかった玄奘に、高僧と言う立場で陰ながら心をくだいてくれた人だった。
「ゆっくりして行くといいと言いたいところだが、そうも行くまいて」
「はい。長居してご迷惑をかけるわけにはいきません。奴等は、何処へでもやってきますから」
「そうか」
玄奘は、たった一晩憧憬の無事を確認するために此処へ立ち寄った。壽慶が生きていれば、こんな山奥に引きこもった憧憬の生活ぶりや体調などをそれとなく気遣い、物や手紙のやり取りなど当然のようにあっただろうが、壽慶亡き今はそれは自分の役目であると玄奘は思っている。
天上の桜の鍵を守るため隠れて暮らし、遠くにいた玄奘には、今まで気を配ることもできなかった。これからも、天上の桜の鍵を守りきるまでは、手紙の一つも出せないことだろう。だが、近くを通りかかれば立ち寄るのは当たり前のことだ。
高齢での、山中の生活は苦労も多く、体力も必要だろう。できることならば、手伝いの一つでもして行きたいところだが、ゆっくりとしている暇はない。奴等はこんな小さな山寺であろうと、玄奘達がいるとわかればやってきて潰しにかかるに決まっているのだから。
「大師の元気なお姿を拝見でき、心置きなく旅を続けることができます。今の大師お姿を見れば、我が師匠である壽慶三蔵もさぞや喜ばれたことでしょう」
「うむ。さすがに無理はできぬ身体にはなったが、まだまだ元気じゃ。そなたが再び此処へ訪ねてくれる日までは、元気でいたいものよの」
そう微笑む憧憬は、大師と言うよりは孫の成長を見守る祖父のようにも見えた。
玄奘が遠回りをしても立ち寄りたいと言った場所は、山奥の辺鄙な場所にある寂れた山寺だった。石造りの階段の上にある山門は年代物のようで、造られた時は鮮やかであったであろうその色彩も今はない。
山門の奥には多宝塔と本堂があり、そのさらに奥に僧侶達が住む庫裏があった。本堂の前で煙を上げる香炉も、少し離れた場所にある梵鐘も、どれも古めかしく見た目は彩りのないお世辞にも美しいとは言い難いものだったが、全てにおいて手入れが行き届いたものであることは一目でわかる。
「よほど慕われているようだな」
これだけ手入れが行き届いているのだ、大師と雛僧三人だけでできるものではない。村仕事に忙しい村人が、折を見ては訪れ掃除をして行くのだろう。沙麼蘿は、琉格泉と共に本堂の中に足を踏み入れた。
「ほう」
『これは立派だな』
外から見れば寂れた感が否めない山寺だが、本堂の中はどうしてどうして、中央に鎮座する薬師如来とその左右に配置された日光菩薩と月光菩薩。そして、それを取り囲むように配置された十二神将の仏像の何と見事なことか。
そしてこの強い加護の気配、大師の毎日の勤め具合がうかがわれる。山奥にある村では、そうそう医者にかかることもできないだろう。そんな村に住む人々は、何かあればこの山寺の薬師如来にすがることになる。“さすがは大師と言われる高僧が住む寺よ”と、沙麼蘿と琉格泉は思った。
『どうするのだ、沙麼蘿』
「此処は、一度争いになれば護りの要となるだろう。玄奘にとっても大切な場所のようだ。ならば、その役目を果たしてもらおうではないか」
沙麼蘿は琉格泉にそう答えると、姿を変えた。その輝く灰簾石色の髪と猩々緋色の衣を翻し十二神将の像まで足を進めると、自らの背子に飾りとして付けられた七色に輝く透明なソレを掴み取り十二神将の足元に置いて行く。
もしこの山寺に何かあった時には、愛染明王の加護もえられるだろう。そして、この山寺の大師に真の力があるならば、薬師如来の加護もえられるはずだ。そうなれば、この寺も村人も守られるだろう。
『いいのか、愛染王の力を借りても』
「かまわない」
沙麼蘿はそう言うと本堂を出て、最後に手に持つソレを香炉の中に入れた。スッーと、香炉の中で溶けるようにソレが消えた後は、その香炉から立ち上る神々しい氣に辺り一面が覆われた。
そして、後に沙麼蘿の仕掛けによってこの山寺が救われるのは、また別の話である。
********
辺鄙→都会から離れていて不便なこと。また、そのさま
大師→高徳な僧に朝廷から勅諡(ちょくし)の形で贈られる尊称の一種
大本山→仏教の一宗派で最高位の寺院として所属の末寺を統轄する寺
寄る年波には勝てぬ→いくら頑張っても、年をとることには逆らえないと言うこと
恙無く→無事であること。特に問題などがないこと
山門→仏教寺院の正門
多宝塔→寺院建築のうち、仏塔における形式のひとつ
梵鐘→寺院などで使用される仏教法具としての釣鐘(つりがね)
雛僧→幼い僧。小僧
香炉→香料を加熱し、香気成分を発散させる目的で用いる器具
背子→袖のない上衣。ここでは、袖のない丈の長い唐衣(からぎぬ)
次回投稿は8月5日か6日が目標です。
幕間の話なので短いです。
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その小さな山寺は、少しばかり辺鄙な場所にあたった。だが、街へ出るには遠回りになろうとも、玄奘は一度足を運んでおきたかったのだ。
「お久しぶりでございます、大師」
「長らく見ぬ間に、ずいぶん血にまみれたことよ。のう、玄奘」
「はい」
この寂れた山寺の中で玄奘が頭を下げるのは、嘗ては大本山に住まい多くの内弟子達に囲まれていたが、寄る年波には勝てぬとこの辺鄙な寂れた山寺に引きこもり、僅か三人の小坊主と共に暮らす玄奘の師匠であった壽慶三蔵の師である憧憬大師だ。
大師と呼ばる身でありながら、いつも貧しい者達に気を配り、共に畑を耕し暮らす。この山寺の下には小さな村が三つあり、憧憬大師はその小さな村の人々の心の拠り所にもなっていた。
「じゃが、元気そうで何より」
「大師も、恙無くお過ごしのようで、何よりです」
壽慶亡き後、玄奘は緑松の元で隠れ暮らしてきたが、そんな中でも憧憬は陰ながら力を貸し助けてくれた。西へ行くのなら、途中で是非此処へ立ち寄りたいと玄奘は思っていたのだ。“壽慶の内弟子ならば、この私の弟子も同然である” と、天上の桜の鍵を守るために身を隠すしかなかった玄奘に、高僧と言う立場で陰ながら心をくだいてくれた人だった。
「ゆっくりして行くといいと言いたいところだが、そうも行くまいて」
「はい。長居してご迷惑をかけるわけにはいきません。奴等は、何処へでもやってきますから」
「そうか」
玄奘は、たった一晩憧憬の無事を確認するために此処へ立ち寄った。壽慶が生きていれば、こんな山奥に引きこもった憧憬の生活ぶりや体調などをそれとなく気遣い、物や手紙のやり取りなど当然のようにあっただろうが、壽慶亡き今はそれは自分の役目であると玄奘は思っている。
天上の桜の鍵を守るため隠れて暮らし、遠くにいた玄奘には、今まで気を配ることもできなかった。これからも、天上の桜の鍵を守りきるまでは、手紙の一つも出せないことだろう。だが、近くを通りかかれば立ち寄るのは当たり前のことだ。
高齢での、山中の生活は苦労も多く、体力も必要だろう。できることならば、手伝いの一つでもして行きたいところだが、ゆっくりとしている暇はない。奴等はこんな小さな山寺であろうと、玄奘達がいるとわかればやってきて潰しにかかるに決まっているのだから。
「大師の元気なお姿を拝見でき、心置きなく旅を続けることができます。今の大師お姿を見れば、我が師匠である壽慶三蔵もさぞや喜ばれたことでしょう」
「うむ。さすがに無理はできぬ身体にはなったが、まだまだ元気じゃ。そなたが再び此処へ訪ねてくれる日までは、元気でいたいものよの」
そう微笑む憧憬は、大師と言うよりは孫の成長を見守る祖父のようにも見えた。
玄奘が遠回りをしても立ち寄りたいと言った場所は、山奥の辺鄙な場所にある寂れた山寺だった。石造りの階段の上にある山門は年代物のようで、造られた時は鮮やかであったであろうその色彩も今はない。
山門の奥には多宝塔と本堂があり、そのさらに奥に僧侶達が住む庫裏があった。本堂の前で煙を上げる香炉も、少し離れた場所にある梵鐘も、どれも古めかしく見た目は彩りのないお世辞にも美しいとは言い難いものだったが、全てにおいて手入れが行き届いたものであることは一目でわかる。
「よほど慕われているようだな」
これだけ手入れが行き届いているのだ、大師と雛僧三人だけでできるものではない。村仕事に忙しい村人が、折を見ては訪れ掃除をして行くのだろう。沙麼蘿は、琉格泉と共に本堂の中に足を踏み入れた。
「ほう」
『これは立派だな』
外から見れば寂れた感が否めない山寺だが、本堂の中はどうしてどうして、中央に鎮座する薬師如来とその左右に配置された日光菩薩と月光菩薩。そして、それを取り囲むように配置された十二神将の仏像の何と見事なことか。
そしてこの強い加護の気配、大師の毎日の勤め具合がうかがわれる。山奥にある村では、そうそう医者にかかることもできないだろう。そんな村に住む人々は、何かあればこの山寺の薬師如来にすがることになる。“さすがは大師と言われる高僧が住む寺よ”と、沙麼蘿と琉格泉は思った。
『どうするのだ、沙麼蘿』
「此処は、一度争いになれば護りの要となるだろう。玄奘にとっても大切な場所のようだ。ならば、その役目を果たしてもらおうではないか」
沙麼蘿は琉格泉にそう答えると、姿を変えた。その輝く灰簾石色の髪と猩々緋色の衣を翻し十二神将の像まで足を進めると、自らの背子に飾りとして付けられた七色に輝く透明なソレを掴み取り十二神将の足元に置いて行く。
もしこの山寺に何かあった時には、愛染明王の加護もえられるだろう。そして、この山寺の大師に真の力があるならば、薬師如来の加護もえられるはずだ。そうなれば、この寺も村人も守られるだろう。
『いいのか、愛染王の力を借りても』
「かまわない」
沙麼蘿はそう言うと本堂を出て、最後に手に持つソレを香炉の中に入れた。スッーと、香炉の中で溶けるようにソレが消えた後は、その香炉から立ち上る神々しい氣に辺り一面が覆われた。
そして、後に沙麼蘿の仕掛けによってこの山寺が救われるのは、また別の話である。
********
辺鄙→都会から離れていて不便なこと。また、そのさま
大師→高徳な僧に朝廷から勅諡(ちょくし)の形で贈られる尊称の一種
大本山→仏教の一宗派で最高位の寺院として所属の末寺を統轄する寺
寄る年波には勝てぬ→いくら頑張っても、年をとることには逆らえないと言うこと
恙無く→無事であること。特に問題などがないこと
山門→仏教寺院の正門
多宝塔→寺院建築のうち、仏塔における形式のひとつ
梵鐘→寺院などで使用される仏教法具としての釣鐘(つりがね)
雛僧→幼い僧。小僧
香炉→香料を加熱し、香気成分を発散させる目的で用いる器具
背子→袖のない上衣。ここでは、袖のない丈の長い唐衣(からぎぬ)
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