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第一章
残花、その名残を 《六》
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「私は私であって、もう私ではないのよ」
花韮の白く細い指先が、自らが着る白百合色の服の特徴的な斜め襟に触れる。そして、美しい小花の刺繍が施された近くにある釦に手をかけると、それを外し大きく襟元を開いた。
「…ツ!!」
花韮の露になった胸元に植え付けられたそれを見て、息を飲んだのは誰だったか。あまりに大きく異彩を放つ、その燃え盛るような焔魂を。
「嘘…、だろ……。 嘘だぁァァーー!!」
悟浄の叫び声が谺して、その場に崩れ落ち両膝をついた。あの花韮の胸元に植え付けられたものが何であるのか、悟浄は知っている。
あの、翡翠観で確かに見た。まだ小さかった妖怪の少女の胸元に、花韮ほど大きくはない、小さな華魂の一種である雪魂が埋め込まれていた様子を。
あの少女は、どうなった。雪魂の思うままに大好きだった養父母を殺め、その手で村人をも殺めた、あの少女は。雪魂に身体を奪われてもなを、あの少女には意識があった。それ故に、自分の意思とはまったく関係なく殺戮を繰り返す己の身体に、あの少女の魂は筆舌に尽くし難い苦痛を受けた。
血の涙を流しながら愛する者の命を奪い、それでも少女は最後の力を振り絞って、自らを白木蓮の中に封印した。残された者を殺めぬために。そして最後は、友達であった玄奘の双剣に貫かれ息絶えた。
沙麼蘿はあの時言った、華魂は生きながらにして植え付けられた者の魂を吸いとり、その身を消滅させる。吸いとられた魂が復活することは、二度とないと。だとすれば、姉はどうなる。悟浄の心を、鋭い痛みが駆け抜けた。
「花韮、花韮ーー! 許してくれ、この愚かな父を…!!」
悟浄の父は座り込み、自らの両手を地面に何度も打ち付ながら、泪を流し叫ぶ。自分のこの手が、愛する娘である花韮の身体に、あの華魂を植え付けた。後悔などと言う言葉では許されることもないことを、娘にしたのだ。
「父…さん…」
花韮は知っている、父がどれだけ家族を愛していたか。多少は飲んだくれで、余計なことに手を出すことはあったけれど、それでも妻や子供に向ける優しい双眸を、暖かい手を知っている。花韮は、そろそろと沙麼蘿に向かって歩みを進めると
「教えて下さい、公女様。私は、どうなるのでしょうか」
と、言った。その言葉に、悟浄はすがるように沙麼蘿を見つめ、玄奘や悟空や八戒も沙麼蘿を見た。
「私は以前言った。華魂は本人、それ以外を問わず、その手で殺めた者の魂を吸うたびに大きくなり、その力を発揮すると。玉英に植え付けられたような小さなものから大きなものまで、使い方は様々だ。だが」
そう言って、沙麼蘿は花韮の胸元に視線を移す。
「お前のその胸元に植え付けられた焔魂は、華魂としては最終形態の大きさで、使い道はたった一つしかない。宝具となり、神の武器となるのだ」
沙麼蘿の言葉に、玄奘達は驚きの表情を見せる。それは当然のことだった。今、沙麼蘿はなんと言った。使い道はたった一つしかない、宝具となり神の武器となるだけだと。
玄奘も八戒も改めて沙麼蘿を見た。その身体に身に付ける、数々の宝具を。あの宝具の一つ一つに華魂が使われているならば、いったいどれだけの命を沙麼蘿は身に付けて、それをただのモノのように扱っていると言うのか。
神だからと、人々の命を魂をそんなことに使うことが、許されていいのか。思わず、その中に眠る、無理やり恐怖の中命を奪われた人々を思い、玉英のように苦しみ悲しみながら魂を吸いとらなければならなかった人々を思い、玄奘は唇を噛みしめ自らの手を血が滲むほどに強く握りしめた。
「私…は、魂を吸いとられ、宝具に…、なる…と…」
呟いた花韮の声は、震えていた。それが恐れからくるものなのか、絶望からくるものなのかわならい。だが沙麼蘿は、さらに残酷な言葉を花韮に告げた。
「その焔魂は、稀にみる大きさだ。その大きさの火の属性を持つ焔魂ならば、私の氷の属性を持つこの氷龍神剣と渡り合えるほどの剣ができるかも知れぬ。あの邪神の若様とやらなら、恐らくその剣を使い斬って斬って斬り倒し、人間どもを根絶やしにしたあげく天上界に攻め混み、その剣で天人達さえも斬り倒すのだろうな」
その言葉に花韮は小刻みに首を振り、震えながら後ずさる。
「い…や…、嫌で…すッ! そんな人の命を奪うものなんかに、人を殺めるものなんかに…、なりたくない!!」
「姉貴!!」
姉の顔が恐怖と苦痛に染まるのを見て、悟浄が叫びその手を花韮に伸ばす。
「焔魂に魂を吸いとられてしまえば、お前の魂魄は全て消え失せる。そこに、お前の記憶や思いは一切ない。心配せずとも、お前はカケラ一つも残ってはいないのだ」
「それでもッ、嫌です! 私の魂しいの入ったものが、人の命を奪い尽くすなんて!!」
「どうすれば、どうすればいい!!」
花韮と沙麼蘿の話を聞いていた悟浄が、まるで沙麼蘿に助けを求めるように叫んだ。
「お前は、知っているだろう。あの時、玄奘がどうしたか。玉英が、どうなったか。あれが、傷つき狂ってしまいそうなほど苦しんだ玉英を救う、唯一の方法だった。あれ以外に、お前ができることなどない。何一つ」
沙麼蘿の言葉は、何か少しでも希望を見いだそうとしていた悟浄の心を傷つけ、深くえぐって行った。
********
異彩を放つ→普通とは違った色彩や光を出す
殺戮→むごたらしく多くの人を殺すこと
筆舌に尽くし難い→言葉では到底表現しきれないほどの、ものすごいありさま
愚か→頭の働きが鈍いさま。考えが足りないさま。ばかげているさま。
次回内容に残酷な場面が入るかもしれません。その場合は、本文の前にお知らせいたします。m(__)m
次回投稿は10日か11日が目標です。
花韮の白く細い指先が、自らが着る白百合色の服の特徴的な斜め襟に触れる。そして、美しい小花の刺繍が施された近くにある釦に手をかけると、それを外し大きく襟元を開いた。
「…ツ!!」
花韮の露になった胸元に植え付けられたそれを見て、息を飲んだのは誰だったか。あまりに大きく異彩を放つ、その燃え盛るような焔魂を。
「嘘…、だろ……。 嘘だぁァァーー!!」
悟浄の叫び声が谺して、その場に崩れ落ち両膝をついた。あの花韮の胸元に植え付けられたものが何であるのか、悟浄は知っている。
あの、翡翠観で確かに見た。まだ小さかった妖怪の少女の胸元に、花韮ほど大きくはない、小さな華魂の一種である雪魂が埋め込まれていた様子を。
あの少女は、どうなった。雪魂の思うままに大好きだった養父母を殺め、その手で村人をも殺めた、あの少女は。雪魂に身体を奪われてもなを、あの少女には意識があった。それ故に、自分の意思とはまったく関係なく殺戮を繰り返す己の身体に、あの少女の魂は筆舌に尽くし難い苦痛を受けた。
血の涙を流しながら愛する者の命を奪い、それでも少女は最後の力を振り絞って、自らを白木蓮の中に封印した。残された者を殺めぬために。そして最後は、友達であった玄奘の双剣に貫かれ息絶えた。
沙麼蘿はあの時言った、華魂は生きながらにして植え付けられた者の魂を吸いとり、その身を消滅させる。吸いとられた魂が復活することは、二度とないと。だとすれば、姉はどうなる。悟浄の心を、鋭い痛みが駆け抜けた。
「花韮、花韮ーー! 許してくれ、この愚かな父を…!!」
悟浄の父は座り込み、自らの両手を地面に何度も打ち付ながら、泪を流し叫ぶ。自分のこの手が、愛する娘である花韮の身体に、あの華魂を植え付けた。後悔などと言う言葉では許されることもないことを、娘にしたのだ。
「父…さん…」
花韮は知っている、父がどれだけ家族を愛していたか。多少は飲んだくれで、余計なことに手を出すことはあったけれど、それでも妻や子供に向ける優しい双眸を、暖かい手を知っている。花韮は、そろそろと沙麼蘿に向かって歩みを進めると
「教えて下さい、公女様。私は、どうなるのでしょうか」
と、言った。その言葉に、悟浄はすがるように沙麼蘿を見つめ、玄奘や悟空や八戒も沙麼蘿を見た。
「私は以前言った。華魂は本人、それ以外を問わず、その手で殺めた者の魂を吸うたびに大きくなり、その力を発揮すると。玉英に植え付けられたような小さなものから大きなものまで、使い方は様々だ。だが」
そう言って、沙麼蘿は花韮の胸元に視線を移す。
「お前のその胸元に植え付けられた焔魂は、華魂としては最終形態の大きさで、使い道はたった一つしかない。宝具となり、神の武器となるのだ」
沙麼蘿の言葉に、玄奘達は驚きの表情を見せる。それは当然のことだった。今、沙麼蘿はなんと言った。使い道はたった一つしかない、宝具となり神の武器となるだけだと。
玄奘も八戒も改めて沙麼蘿を見た。その身体に身に付ける、数々の宝具を。あの宝具の一つ一つに華魂が使われているならば、いったいどれだけの命を沙麼蘿は身に付けて、それをただのモノのように扱っていると言うのか。
神だからと、人々の命を魂をそんなことに使うことが、許されていいのか。思わず、その中に眠る、無理やり恐怖の中命を奪われた人々を思い、玉英のように苦しみ悲しみながら魂を吸いとらなければならなかった人々を思い、玄奘は唇を噛みしめ自らの手を血が滲むほどに強く握りしめた。
「私…は、魂を吸いとられ、宝具に…、なる…と…」
呟いた花韮の声は、震えていた。それが恐れからくるものなのか、絶望からくるものなのかわならい。だが沙麼蘿は、さらに残酷な言葉を花韮に告げた。
「その焔魂は、稀にみる大きさだ。その大きさの火の属性を持つ焔魂ならば、私の氷の属性を持つこの氷龍神剣と渡り合えるほどの剣ができるかも知れぬ。あの邪神の若様とやらなら、恐らくその剣を使い斬って斬って斬り倒し、人間どもを根絶やしにしたあげく天上界に攻め混み、その剣で天人達さえも斬り倒すのだろうな」
その言葉に花韮は小刻みに首を振り、震えながら後ずさる。
「い…や…、嫌で…すッ! そんな人の命を奪うものなんかに、人を殺めるものなんかに…、なりたくない!!」
「姉貴!!」
姉の顔が恐怖と苦痛に染まるのを見て、悟浄が叫びその手を花韮に伸ばす。
「焔魂に魂を吸いとられてしまえば、お前の魂魄は全て消え失せる。そこに、お前の記憶や思いは一切ない。心配せずとも、お前はカケラ一つも残ってはいないのだ」
「それでもッ、嫌です! 私の魂しいの入ったものが、人の命を奪い尽くすなんて!!」
「どうすれば、どうすればいい!!」
花韮と沙麼蘿の話を聞いていた悟浄が、まるで沙麼蘿に助けを求めるように叫んだ。
「お前は、知っているだろう。あの時、玄奘がどうしたか。玉英が、どうなったか。あれが、傷つき狂ってしまいそうなほど苦しんだ玉英を救う、唯一の方法だった。あれ以外に、お前ができることなどない。何一つ」
沙麼蘿の言葉は、何か少しでも希望を見いだそうとしていた悟浄の心を傷つけ、深くえぐって行った。
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異彩を放つ→普通とは違った色彩や光を出す
殺戮→むごたらしく多くの人を殺すこと
筆舌に尽くし難い→言葉では到底表現しきれないほどの、ものすごいありさま
愚か→頭の働きが鈍いさま。考えが足りないさま。ばかげているさま。
次回内容に残酷な場面が入るかもしれません。その場合は、本文の前にお知らせいたします。m(__)m
次回投稿は10日か11日が目標です。
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