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第二章
沈黙の里《八》
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天に帰して行く数多の魂達、その光が天に昇って行く様は思いの外美しい。そんな荘厳華麗である光景の中、子守唄を唄う鬼子母神が僅かに眉をひそめた。
子守唄にいざなわれ、駆け回る子供達が魂を天に帰すのは一瞬のはず。だが、玄奘達にしてみれば僅か一瞬に感じられるその時間も、鬼子母神や沙麼蘿にしてみれば違った。
「小賢しきことを」
子守唄をやめた鬼子母神はそう呟くと、いつの間にか片手に持っていた石榴を握りしめ、一点を見つめた。そして残り僅かとなった魂を子供達に任せ、鬼子母神は歩みを進めその場に辿り着く。
鬼子母神が見つめるその一点は、見た目はただの何の変哲もない大地に見えた。だが、鬼子母神が唄う子守唄の力ならば、魂を天に帰すのと同時に大地に積もった穢れも祓えるはずだった。
それが、魂は時間を要しても天に帰せるのに対して、大地に積もった穢れは一向に祓えない。どれだけの魂が天に帰しても、この大地は暗闇のままだ。
鬼子母神は、まるで訶梨帝母であった頃のような顔をして、手に持つ石榴にかじりつく。その石榴は、釈迦如来が
『この石榴は人間の血の匂いがし、その果肉は人間の肉の味ににている。子供を食べたい衝動にかられた時には、これを食べて過ごしなさい』
と言って、訶梨帝母に授けたものだ。釈迦如来が手づから渡した石榴が、ただの石榴であるはずがない。
鬼子母神が石榴を一口かじれば、石榴から血の匂いがする果汁が流れ出し、ポトリポトリとその大地に落ちた。するとどうしたことだろうか、石榴の果汁が染み込んだ大地から禍々しい煙のようなものが立ち上がりはじめる。
「な、なんだよアレ!」
「ずいぶん禍々しいもん出しやがるじゃないか」
「此処は、ただの沈黙に染め上げられた里ではなかった。誰かの悪意に染め上げられ、否応なく魂を縛りつけられた場所」
目の前で繰り広げられる光景に、悟空や悟浄や八戒が次々と言葉を紡ぐ。誰かが故意に、魂が天に帰すことが出来ないよう、無理やりこの地に縛りつけ苦しめ弄んだ。
『なんと無慈悲なことをする。なんの罪もない者達を』
「びゅー!!」
琉格泉とその頭の上にいる玉龍も、“本当だよ! あんなに小さな子供や母親や年寄り達が、いったい何をしたって言うんだよ!!” と、ふざけんなとばかりに地団駄を踏む。
法華経を読み上げる玄奘でさえ、心の中で舌打ちをした。なんの権利があって罪なき魂を弄ぶ、と。そんな中、一人だけ違う方向を見つめている沙麼蘿には、この沈黙の世界を作り上げた何者かが見えているのかもしれない。
表情を険しくした鬼子母神が大地を睨みつけ、口元についた果汁を手の甲で拭う。その様はまるで、訶梨帝母が子供を食らった後の姿そのものだった。
鬼子母神は手に持つ石榴を前へとつき出すと、グシャリと片手で握り潰す。その美しい白魚のような手の隙間から、血肉がしたたり落ちるように石榴が砕けで落ちた。
石榴の果肉や果汁が大地に落ちると、まるで大地が焼けるようにジューと音がして、禍々しい煙が苦しむようにうねりを上げながら拡散して行く。そして最後に残った細い煙が白い色へと変わり、辺り一面に閃光が走った。沈黙の暗闇に光が溢れ、鬼子母神の浄化の力、神仏の慈悲が輝く光となってこの空間に降り注ぐ。
「この地は浄化しました。ですが、この光が消え去れば、この地を沈黙の世界に変えた者、此処を命の狩り場に変えた者達がその姿を現すでしょう。貴方達は、そんな者達と闘うのでしょう。ならば、罪なき魂を傷つけ弄んだ者達に、思い知らせてやりなさい。でも、斑は厄介ですよ。天上の桜に選ばれし三蔵よ、闘いを終えた後の浄化は三蔵の役目です。三蔵の底力を、今こそ見せてやるのです」
光の中から鬼子母神の声がして、続けて “さぁ子供達、帰りますよ” と言う言葉と共に、全ての魂を天に帰し終えた童子達が、“わぁ~” と声を上げながら光の中に飛び込んで行く。童子達が光の中に消えると、一筋の光が天に向かって立ち昇り、“また、お会い致しましょう” そう沙麼蘿に向けた鬼子母神の言葉と共に、全てが天上界へと戻って行った。
「こんな、所だったのかよ」
暗闇が消え去り悟空が見たその場所は、緑に覆われた場所だった。優しいそよ風が吹き、そこかしこに名もなき小さな花が咲いて、小鳥が舞う。こんな穏やな大地にあった彼等が住んでいた里は、どんなにのどかな場所だったのだろうか。
それを戦の名に託つけて、沢山の命を奪った者達がいる。安らかに眠れたかもしれない死人の魂を、苦しみしかない沈黙の里に縛りつけた者がいる。
「ハッ、出てきやがったぜ。俺等の箱庭、暇つぶしの場所を潰しやがった奴等がよ」
突如として誰かの声がして、その聞こえてきた言葉に
「俺等の箱庭、暇つぶしの場所…だと」
と、玄奘が声を上げ振り返った。少し離れた場所に、屯する男達がいる。その中心にいる男は、確かに鬼神のように見えた。だが、その男は玄奘一行を見たあと沙麼蘿に視線を移し、馬鹿にしたように鼻で笑ってこう言ったのだ
「この、紛いもんが」
と。
********
思いの外→考えていたことと違っているさま。案外。意外
荘厳華麗→重々しく威厳があり華やかな様子
いざなう→さそう。勧める
小賢しい→利口ぶっていて差し出がましい。生意気である。悪賢くて抜け目がない
変哲もない→特に取り立てて言うほどのこともない。平凡である
授ける→目上の者が目下の者に特別に与える
手づから→自分の手で、直接に、などの意味の表現
禍々しい→縁起が悪く、不気味なさまを意味する表現。悪いことが起こりそうである。不吉である
否応なく→賛成であろうが反対であろうが、好ましいことであろうとそうでなかろと、などの意味の表現
故意→わざとすること。また、その気持ち
弄ぶ→好き勝手に扱う。楽しむかのように、思いのままに操る。人を慰みものにする
地団駄を踏む→怒りや悔しさなどの感情の昂りから、地面を激しく踏む動作をすること
拭う→ふいてきれいにする
白魚のような手→女性の白くてほっそりした手
拡散→広がり、散らばること
閃光→瞬間的に発する光
斑→違った色が所々にまじっていたり、色や濃淡があったりすること。ぶち。ここでは、さまざまな種族の血がまじっている人
厄介→めんどうなこと。扱いに手間がかかり、わずらわしいこと。また、そのさま
託つける→他の(直接の関係がない)事柄と半ば強引に関係付ける、体のいい口実とする、という意味の表現
箱庭→浅い箱に土や砂を入れ、小さい橋•家•人形などを置き、木や草を植え、庭園•山水などに模したもの
突如→何の前触れもなく物事が起こるさま。突然
屯する→一つ所に大勢の人が集まる。兵隊が群れ集まる
紛いもの→本物と見分けがつかないほど、よく似せてつくってある物。にせもの
次回投稿は8月6日か7日が目標です
子守唄にいざなわれ、駆け回る子供達が魂を天に帰すのは一瞬のはず。だが、玄奘達にしてみれば僅か一瞬に感じられるその時間も、鬼子母神や沙麼蘿にしてみれば違った。
「小賢しきことを」
子守唄をやめた鬼子母神はそう呟くと、いつの間にか片手に持っていた石榴を握りしめ、一点を見つめた。そして残り僅かとなった魂を子供達に任せ、鬼子母神は歩みを進めその場に辿り着く。
鬼子母神が見つめるその一点は、見た目はただの何の変哲もない大地に見えた。だが、鬼子母神が唄う子守唄の力ならば、魂を天に帰すのと同時に大地に積もった穢れも祓えるはずだった。
それが、魂は時間を要しても天に帰せるのに対して、大地に積もった穢れは一向に祓えない。どれだけの魂が天に帰しても、この大地は暗闇のままだ。
鬼子母神は、まるで訶梨帝母であった頃のような顔をして、手に持つ石榴にかじりつく。その石榴は、釈迦如来が
『この石榴は人間の血の匂いがし、その果肉は人間の肉の味ににている。子供を食べたい衝動にかられた時には、これを食べて過ごしなさい』
と言って、訶梨帝母に授けたものだ。釈迦如来が手づから渡した石榴が、ただの石榴であるはずがない。
鬼子母神が石榴を一口かじれば、石榴から血の匂いがする果汁が流れ出し、ポトリポトリとその大地に落ちた。するとどうしたことだろうか、石榴の果汁が染み込んだ大地から禍々しい煙のようなものが立ち上がりはじめる。
「な、なんだよアレ!」
「ずいぶん禍々しいもん出しやがるじゃないか」
「此処は、ただの沈黙に染め上げられた里ではなかった。誰かの悪意に染め上げられ、否応なく魂を縛りつけられた場所」
目の前で繰り広げられる光景に、悟空や悟浄や八戒が次々と言葉を紡ぐ。誰かが故意に、魂が天に帰すことが出来ないよう、無理やりこの地に縛りつけ苦しめ弄んだ。
『なんと無慈悲なことをする。なんの罪もない者達を』
「びゅー!!」
琉格泉とその頭の上にいる玉龍も、“本当だよ! あんなに小さな子供や母親や年寄り達が、いったい何をしたって言うんだよ!!” と、ふざけんなとばかりに地団駄を踏む。
法華経を読み上げる玄奘でさえ、心の中で舌打ちをした。なんの権利があって罪なき魂を弄ぶ、と。そんな中、一人だけ違う方向を見つめている沙麼蘿には、この沈黙の世界を作り上げた何者かが見えているのかもしれない。
表情を険しくした鬼子母神が大地を睨みつけ、口元についた果汁を手の甲で拭う。その様はまるで、訶梨帝母が子供を食らった後の姿そのものだった。
鬼子母神は手に持つ石榴を前へとつき出すと、グシャリと片手で握り潰す。その美しい白魚のような手の隙間から、血肉がしたたり落ちるように石榴が砕けで落ちた。
石榴の果肉や果汁が大地に落ちると、まるで大地が焼けるようにジューと音がして、禍々しい煙が苦しむようにうねりを上げながら拡散して行く。そして最後に残った細い煙が白い色へと変わり、辺り一面に閃光が走った。沈黙の暗闇に光が溢れ、鬼子母神の浄化の力、神仏の慈悲が輝く光となってこの空間に降り注ぐ。
「この地は浄化しました。ですが、この光が消え去れば、この地を沈黙の世界に変えた者、此処を命の狩り場に変えた者達がその姿を現すでしょう。貴方達は、そんな者達と闘うのでしょう。ならば、罪なき魂を傷つけ弄んだ者達に、思い知らせてやりなさい。でも、斑は厄介ですよ。天上の桜に選ばれし三蔵よ、闘いを終えた後の浄化は三蔵の役目です。三蔵の底力を、今こそ見せてやるのです」
光の中から鬼子母神の声がして、続けて “さぁ子供達、帰りますよ” と言う言葉と共に、全ての魂を天に帰し終えた童子達が、“わぁ~” と声を上げながら光の中に飛び込んで行く。童子達が光の中に消えると、一筋の光が天に向かって立ち昇り、“また、お会い致しましょう” そう沙麼蘿に向けた鬼子母神の言葉と共に、全てが天上界へと戻って行った。
「こんな、所だったのかよ」
暗闇が消え去り悟空が見たその場所は、緑に覆われた場所だった。優しいそよ風が吹き、そこかしこに名もなき小さな花が咲いて、小鳥が舞う。こんな穏やな大地にあった彼等が住んでいた里は、どんなにのどかな場所だったのだろうか。
それを戦の名に託つけて、沢山の命を奪った者達がいる。安らかに眠れたかもしれない死人の魂を、苦しみしかない沈黙の里に縛りつけた者がいる。
「ハッ、出てきやがったぜ。俺等の箱庭、暇つぶしの場所を潰しやがった奴等がよ」
突如として誰かの声がして、その聞こえてきた言葉に
「俺等の箱庭、暇つぶしの場所…だと」
と、玄奘が声を上げ振り返った。少し離れた場所に、屯する男達がいる。その中心にいる男は、確かに鬼神のように見えた。だが、その男は玄奘一行を見たあと沙麼蘿に視線を移し、馬鹿にしたように鼻で笑ってこう言ったのだ
「この、紛いもんが」
と。
********
思いの外→考えていたことと違っているさま。案外。意外
荘厳華麗→重々しく威厳があり華やかな様子
いざなう→さそう。勧める
小賢しい→利口ぶっていて差し出がましい。生意気である。悪賢くて抜け目がない
変哲もない→特に取り立てて言うほどのこともない。平凡である
授ける→目上の者が目下の者に特別に与える
手づから→自分の手で、直接に、などの意味の表現
禍々しい→縁起が悪く、不気味なさまを意味する表現。悪いことが起こりそうである。不吉である
否応なく→賛成であろうが反対であろうが、好ましいことであろうとそうでなかろと、などの意味の表現
故意→わざとすること。また、その気持ち
弄ぶ→好き勝手に扱う。楽しむかのように、思いのままに操る。人を慰みものにする
地団駄を踏む→怒りや悔しさなどの感情の昂りから、地面を激しく踏む動作をすること
拭う→ふいてきれいにする
白魚のような手→女性の白くてほっそりした手
拡散→広がり、散らばること
閃光→瞬間的に発する光
斑→違った色が所々にまじっていたり、色や濃淡があったりすること。ぶち。ここでは、さまざまな種族の血がまじっている人
厄介→めんどうなこと。扱いに手間がかかり、わずらわしいこと。また、そのさま
託つける→他の(直接の関係がない)事柄と半ば強引に関係付ける、体のいい口実とする、という意味の表現
箱庭→浅い箱に土や砂を入れ、小さい橋•家•人形などを置き、木や草を植え、庭園•山水などに模したもの
突如→何の前触れもなく物事が起こるさま。突然
屯する→一つ所に大勢の人が集まる。兵隊が群れ集まる
紛いもの→本物と見分けがつかないほど、よく似せてつくってある物。にせもの
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