天上の桜

乃平 悠鼓

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第二章

始まりの終わり《十三》

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「その、天上界に戻ったはずの桜の大木が、何故なぜまたこの下界に戻って来た」

 沙麼蘿さばらの話を聞いていた玄奘がそう言えば、沙麼蘿は彩りのない双眸そうぼうを玄奘に向け

「桜の木が戻ったわけではない。今は天上の桜と言われるその桜が流したなみだ、それが下界に下げ渡されただけだ」

 と、言った。

「桜の木がさ、泪なんて流すわけないじゃん。そうだろう、姉ちゃん」

 “オレだってそれくらいのこと、わかるからな” と呟いた悟空に、“石の卵から生まれたお前がそれを言うか” と、ボソリと悟浄が言う。

「天上の桜は、どうして泪なんかを流したんでしょうか。元は天女と言えど、天上の桜にまだそれだけの力が残っていると」

 八戒の言葉に、沙麼蘿はその睛眸ひとみを窓の外へと向け、あの日によく似た真っ青な天の原あおぞらを見つめた。

『あぁ……、おね…がい……。どう……か、皇を……まも…って……。天……上の……さく……ら……よ……』

 あの時、天上の桜に向け伸ばした自らの指先が思い出され、思わず沙麼蘿は自分の右手を見つめる。









「父上! 何故あのようなモノをお持ち帰りになられたのですか!! おぞましい、あの様なモノを蒼宮そうきゅうに置かれては、この上界がけがれます! いったい何を考えておいでなのですか!!」

 蒼宮で、あまりに異様な姿の桜の大木を見た蒼光帝の息子であり、後の鶯光帝おうこうていとなるその人物は声を荒らげ叫んだ。
 全身が粟立あわだつ、これはまるで血濡れの桜ではないか。深紅の花弁はなびらにこもった思念の数々、この地が穢れる。
 何か途轍とてつもない災いが起こる、その前触れのように思え、蒼光帝の考えを理解できなかった彼の人は、二度と蒼宮の中に足を踏み入れることはなかった。

「この蒼宮で、ゆっくりと休むがいい。急がずともよい、いつか優しかったと言う鬼が好きだった、美しい桜へと戻るのだ」

 蒼光帝は何度も蒼宮に足を運び桜に語りかけ、少しでもその憎しみと穢れがなくなるようにと力を注いだ。元天女であったモノのなげきが聞こえるのは、天帝だけだった。
 少しづつ、少しづつ、長い年月をかけ血塗れの桜と言われたその桜は、花弁の色を薄くして行く。蒼光帝が桜にかける優しい言葉が、祈りが、天女であった桜の心をやして行くのだ。
 だが、蒼光帝が蒼宮に咲き誇る薄い桃色の美しい桜を見ることはなかった。ある日突然、蒼光帝は情けをかけた罪人に命を奪われてしまったのだから。
 その後、美しい薄桃色の花弁を数多あまたと咲かせるこの桜の大木を、蒼宮に幽閉ゆうへいされた聖宮せいぐうすめらぎは愛した。父である蒼光帝から桜の話を聞いていた聖宮は、幼い皇の手を引いて桜の下にやって来ては、よく桜に話しかけた。
 そして皇も又、物言わぬ幼い沙麼蘿の手を引いて桜の下にやって来ると “ほら見て、沙麼蘿。とっても綺麗でしょう! 僕も母上も、この桜が大好きなんだよ!” と言い、桜の下でよく遊んだ。
 その桜の大木に潜む天女の記憶と力は、長い年月が過ぎ去ろうと消え去ることはなかった。いや、蒼宮の中と言う強い陽の氣を浴びて、より力を増していたのかも知れない。









「天上の桜はさげすしいたげられた者、半端者と呼ばれる者、優しい者を好む。それが人間であろうと、妖怪であろうと邪神であろうと、全く関係ない。陽の氣を浴びて、天女であったがために宿った力は今も弱まることはない。ゆえに、泪にすら力があるのだ。桜のその心を揺さぶる者が泪を手に入れれば、天上の桜はその者の願いを叶えるだろう。例えそれが、この世界の全てを破壊することだとしても」
「その桜の泪を、何故お前が操れる。本当は、桜の場所もわかってるんじゃないのか」

 沙麼蘿の言葉に、玄奘は白木蓮となった女怪にょかいを思い出し言った。あの時、確かに沙麼蘿は天上の桜をてのひらに召喚し玉英ぎょくえいに言った “願え” と。“天上の桜は、その願いを叶えよう” と。
 桜の泪は、元は桜麼蘿の願いから生まれたモノだ。皇を守って欲しい、その願いを天上の桜は受け入れた。だが、そのことを沙麼蘿が口にすることはなかった。

「言ったはずだ。天上の桜は蔑まれた者、虐げられ者、半端者と呼ばれた者を好むと」

 それは、皇であったし沙麼蘿でもあった。天上界において、蒼宮と言う場所にしか居場所がなかったのは聖宮や皇だけではない。
 沙麼蘿もまた仏界にも道界にも受け入れられてはいなかったし、それは天上の桜も同じだった。だからこそ、泪だけになろうとも蒼光帝や聖宮や皇達と過ごした穏やかな日々を忘れてはいない。
 沙麼蘿がほっし、そしてその力が蔑まれ虐げられたてもなお優しい心を失わなかった玉英の為ならば、喜んで天上の桜は玉英の願いを叶えただろう、沙麼蘿の力と相まって。

「天上の桜が、天女から桜に姿を変えたその場所に泪となって戻ったのはわかる。たが、その場所までは変わらない。私は神仏として生まれ変わったわけではないからな。ただ一時いっとき、経の力を借りて、この瓔珞ネックレスの力を借りて、神仏に変わることができるだけだ。その私に、場所などわかろうはずがない。いや、近づけば仏界から贈られたと言う桜とやらで、わかるかも知れないがな」

 だが、確実に桜の泪へと近づきつつあることはわかる。玄奘達が先か、それとも邪神達が先か。
 天上の桜が望もうが望むまいが、この世界に住む者達が望もうが望むまいが、その全てを巻き込んで闘いは繰り広げられる。










 天界で生まれ下界に降りた天女が、穢れた桜と成り果てて天界に戻った。それで話は終わるはずだった。
 だがそれが、再び血の泪となって下界に降り、新たなる物語を刻む。その次なる物語がどうなるのか、それは誰にもわからない。
 ただそこに、蔑み虐げられた者、昔ならば半端者と呼ばれた者達が相まって、天上の桜にさらなる歴史を刻ませるのだ。









********

双眸→両方のひとみ
おぞましい→いかにも嫌な感じがする。ぞっとするほど、いとわしい
穢れ→仏教•神道における観念の一つで、不潔•不浄等、理想ではない状態のこと
粟立つ→恐怖や寒さなどのため、毛穴が収縮して、皮膚一面に粟粒ができたようになる。鳥肌が立つ
思念→思い考えること。常に心深く思っていること
途轍もない→途方もない。また、並外れている
幽閉→ある場所に閉じ込めて外に出さないこと
蔑む→他人を、自分より能力•人格の劣るもの、価値の低いものとみなす。見下げる。見下す
虐げる→むごい扱いをして苦しめる。いじめる
故に→前に述べた事を理由として、あとに結果が導かれることを表す
相まって→二つ以上の事柄が、お互い作用し合って。一緒になって


次回投稿は、一回お休みを頂いて3月10日か11日が目標です。
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