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第二章
厄災の大地《九》
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沙麼蘿は、すぐさま右手の掌に氷龍神剣を出現させ構えた。氷龍神剣から氷龍が現れれば、皇は迷いなくその冷氣を天上界へと上げるつもりだ。
“沙麼蘿に常識を覚えさせよ”、それはことあるごとに仏界が皇に言ってきたことだが、幼い沙麼蘿にそれを教えなかったのは誰かと皇は思う。生まれて間もない沙麼蘿を異端な禁忌の生き物として隔離し、閉じ込めた。
まぁそれも、仕方がないことだと思わない訳ではない。下級神では沙麼蘿の睛眸の力に耐えられず消えてしまうだろうし、かと言って上級神に子育てなどできるはずもない。だから、皇と言う体のいい存在を見つけ、聖宮と皇に丸投げしたのだ。
だが、聖宮も皇も “常識” と言う聞こえだけはいい檻の中に沙麼蘿を閉じ込めることはしなかった。“自分達が無傷でいたいのなら、それだけの働きはしろ” 皇は、意味深な双眸で月を見上げる。それをどう取るかは、仏界しだいだ。
魔神の足が僅かに動き、熱を持ち始める。体を覆っていた氷にヒビが入り、溶け始めた。
「いいだろう、どちらが先に根負けするか」
氷龍神剣で魔神を氷漬けにし下界が凍りつくのが先か、下界から上り立つ冷氣で天上界が凍りつくのが先か。沙麼蘿の手が静かに動き、その剣先から冷氣がたちこめる。その時
『やめよ!』
天上界から誰かの声がして、月から強い金色の光が漏れ始めた。その光は、焼け野原の真っ暗な大地に癒やしを与えるかのように降り注ぐ。
「あた、たか…い…」
光は村人達の身体だけではなく心にまで降り注ぎ、全ての希望となって更に輝きを増す。生きとし生けるものが、突然現れた希望の光に両手を合わせ涙して月を見上げる中、月から微かな音が漏れ聞こえて来る。神が、降臨するのだ。
月から真っ先に姿を現したのは、恵みの風と雨を吹き出す風袋を担いだ風神と、小さな太鼓の連なった連鼓を背負った雷神の姿。どちらも鬼神の姿で睨みをきかせている。
「本当に、降りて来るのか」
千手観音の尖兵である風神雷神が姿を現しても、まだ皇が千手観音の降臨を信じることができないのは、この後出て来るであろう二十八部衆の中に帝釈天と大梵天がいるからだ。千手観音の眷属である天部二十八部衆の内、誰か一人でもかければ千手観音の降臨はない。
次に月から現れ出たのは、密迹金剛力士と那羅延堅固王、広く民が言うところの金剛力士、仁王である。そして四方を守護する提頭頼吒天、毘楼勒叉天、毘楼縛叉天、毘沙門天が現れる。民が言う東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天、四天王だ。
その後に続くのは、闘いの神とは縁も所縁もない大弁功徳天、神母天、摩和羅女、婆藪仙人。千手観音の尖兵と言われる二十八部衆だが、護り闘うだけではなく、千手観音の降臨を示す楽団のごとき音楽や、千手観音の意向を表すために二十八部衆は存在するのだ。そのため、楽士と真の護衛を任された外敵と闘う神々が次々と続く。
金毘羅王、満善車王、五部浄居天、畢婆迦羅王、金色孔雀王、散支大将、沙羯羅龍王、難陀龍王、迦楼羅王、金大王、摩睺羅王、満仙王、摩醯首羅王、乾闥婆王、緊那羅王。
そして、外敵と闘う神として最後に登場して来るのが、言わずと知れた阿修羅王である。阿修羅は三面六臂で既に鬼神の姿をして登場する。嘗て、容貌醜怪な札付きの外道とまで言われた、闘いを繰り返す事しか知らない修羅界の主としての顔だ。
「いよいよ来るのか」
「帝釈天と大梵天のことか」
皇の呟きに、思わず玄奘も声を上げる。高僧である玄奘三蔵ですら、帝釈天や大梵天など見たこともないし、その降臨ですら書物の中でしか知らない。しかも、大梵天は天部とは言われてはいても、その存在は別格中の別格。
「我等上界に住む者達ですら、大梵天の姿を見た者は殆どいない」
皇の言葉が終わるか終わらないかの内に、月から信じられないような真昼にも近い輝きが溢れ出す。今、この月を見上げる全ての下界の人間が、初めてその姿を見ることが許されたのだ。
「出るぞ!」
皇の言う通り、輝かしいばかりの光の中から最後の二神が姿を現す。帝釈天と大梵天である。帝釈天は輝かしい光を背にし、あの須弥山の権威者として登場する。神々の王と言われ常に下界に目を光らせ、仏の教えを悪しき者達から護っているのが帝釈天だ。
対して、輝かしい光が白夜の光のように澄み渡り、透明な光となった時に姿を現したのは大梵天。その存在を目にした途端、下界の人間達が次々と平伏して行く。まかさ生きている内に、その姿を見ることがあろうとは。その姿は、明らかに他の神々とは違う。大梵天は、この全ての宇宙の中心に位置する存在だ。
全ての天部衆が煩悩を持ち、そこから脱しきれない存在であるのに対し、大梵天は既に悟りを開き、全てのものを生み出す創造神であるとすら言われる。その姿は四面四臂で、清廉だった。
そして、全ての二十八部衆が姿を現し神々しい音楽が終わりをむかえた頃、金色に輝く月の光が一際強く輝き、その中央に真っ黒な固まりが見えた。
「降臨するぞ、千手観音」
それは沙麼蘿の声だった。沙麼蘿は釈迦如来の眷属として仕えていた時、千手観音に会ったことがある。多くの菩薩が存在する中で、何故千手観音にだけ降臨の際に厳しい決められごとがあるのか、なぜ数多の尖兵が必要なのか。下界の人間は知ることになる、本当の千手観音『十一面千手千眼観自在菩薩』の降臨を。
********
異端→正統から外れたこと
禁忌→タブー。忌み嫌って、慣習的に禁止したり避けたりすること
体のいい→表向きで言うのにはちょうどいい、他人に聞こえがいい、と言った言い回し
双眸→両のひとみ
尖兵→軍隊の行動中、本隊の前方にあって警戒·偵察の任に当たる小部隊
楽士→音楽を演奏する人
三面六臂→三つの顔と六つの腕
醜怪→並外れてみにくいこと。また、そのさま
外道→道理に背く考え。また、その考えをもつ者。災いをなすもの
権威者→権威のある人。権威を持った人
煩悩→仏語。心身を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用
悟り→仏語。物事の真の意味を知ること
清廉→心が清らかで私欲がないこと。また、そのさま
次回投稿は24日か25日が目標です。
“沙麼蘿に常識を覚えさせよ”、それはことあるごとに仏界が皇に言ってきたことだが、幼い沙麼蘿にそれを教えなかったのは誰かと皇は思う。生まれて間もない沙麼蘿を異端な禁忌の生き物として隔離し、閉じ込めた。
まぁそれも、仕方がないことだと思わない訳ではない。下級神では沙麼蘿の睛眸の力に耐えられず消えてしまうだろうし、かと言って上級神に子育てなどできるはずもない。だから、皇と言う体のいい存在を見つけ、聖宮と皇に丸投げしたのだ。
だが、聖宮も皇も “常識” と言う聞こえだけはいい檻の中に沙麼蘿を閉じ込めることはしなかった。“自分達が無傷でいたいのなら、それだけの働きはしろ” 皇は、意味深な双眸で月を見上げる。それをどう取るかは、仏界しだいだ。
魔神の足が僅かに動き、熱を持ち始める。体を覆っていた氷にヒビが入り、溶け始めた。
「いいだろう、どちらが先に根負けするか」
氷龍神剣で魔神を氷漬けにし下界が凍りつくのが先か、下界から上り立つ冷氣で天上界が凍りつくのが先か。沙麼蘿の手が静かに動き、その剣先から冷氣がたちこめる。その時
『やめよ!』
天上界から誰かの声がして、月から強い金色の光が漏れ始めた。その光は、焼け野原の真っ暗な大地に癒やしを与えるかのように降り注ぐ。
「あた、たか…い…」
光は村人達の身体だけではなく心にまで降り注ぎ、全ての希望となって更に輝きを増す。生きとし生けるものが、突然現れた希望の光に両手を合わせ涙して月を見上げる中、月から微かな音が漏れ聞こえて来る。神が、降臨するのだ。
月から真っ先に姿を現したのは、恵みの風と雨を吹き出す風袋を担いだ風神と、小さな太鼓の連なった連鼓を背負った雷神の姿。どちらも鬼神の姿で睨みをきかせている。
「本当に、降りて来るのか」
千手観音の尖兵である風神雷神が姿を現しても、まだ皇が千手観音の降臨を信じることができないのは、この後出て来るであろう二十八部衆の中に帝釈天と大梵天がいるからだ。千手観音の眷属である天部二十八部衆の内、誰か一人でもかければ千手観音の降臨はない。
次に月から現れ出たのは、密迹金剛力士と那羅延堅固王、広く民が言うところの金剛力士、仁王である。そして四方を守護する提頭頼吒天、毘楼勒叉天、毘楼縛叉天、毘沙門天が現れる。民が言う東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天、四天王だ。
その後に続くのは、闘いの神とは縁も所縁もない大弁功徳天、神母天、摩和羅女、婆藪仙人。千手観音の尖兵と言われる二十八部衆だが、護り闘うだけではなく、千手観音の降臨を示す楽団のごとき音楽や、千手観音の意向を表すために二十八部衆は存在するのだ。そのため、楽士と真の護衛を任された外敵と闘う神々が次々と続く。
金毘羅王、満善車王、五部浄居天、畢婆迦羅王、金色孔雀王、散支大将、沙羯羅龍王、難陀龍王、迦楼羅王、金大王、摩睺羅王、満仙王、摩醯首羅王、乾闥婆王、緊那羅王。
そして、外敵と闘う神として最後に登場して来るのが、言わずと知れた阿修羅王である。阿修羅は三面六臂で既に鬼神の姿をして登場する。嘗て、容貌醜怪な札付きの外道とまで言われた、闘いを繰り返す事しか知らない修羅界の主としての顔だ。
「いよいよ来るのか」
「帝釈天と大梵天のことか」
皇の呟きに、思わず玄奘も声を上げる。高僧である玄奘三蔵ですら、帝釈天や大梵天など見たこともないし、その降臨ですら書物の中でしか知らない。しかも、大梵天は天部とは言われてはいても、その存在は別格中の別格。
「我等上界に住む者達ですら、大梵天の姿を見た者は殆どいない」
皇の言葉が終わるか終わらないかの内に、月から信じられないような真昼にも近い輝きが溢れ出す。今、この月を見上げる全ての下界の人間が、初めてその姿を見ることが許されたのだ。
「出るぞ!」
皇の言う通り、輝かしいばかりの光の中から最後の二神が姿を現す。帝釈天と大梵天である。帝釈天は輝かしい光を背にし、あの須弥山の権威者として登場する。神々の王と言われ常に下界に目を光らせ、仏の教えを悪しき者達から護っているのが帝釈天だ。
対して、輝かしい光が白夜の光のように澄み渡り、透明な光となった時に姿を現したのは大梵天。その存在を目にした途端、下界の人間達が次々と平伏して行く。まかさ生きている内に、その姿を見ることがあろうとは。その姿は、明らかに他の神々とは違う。大梵天は、この全ての宇宙の中心に位置する存在だ。
全ての天部衆が煩悩を持ち、そこから脱しきれない存在であるのに対し、大梵天は既に悟りを開き、全てのものを生み出す創造神であるとすら言われる。その姿は四面四臂で、清廉だった。
そして、全ての二十八部衆が姿を現し神々しい音楽が終わりをむかえた頃、金色に輝く月の光が一際強く輝き、その中央に真っ黒な固まりが見えた。
「降臨するぞ、千手観音」
それは沙麼蘿の声だった。沙麼蘿は釈迦如来の眷属として仕えていた時、千手観音に会ったことがある。多くの菩薩が存在する中で、何故千手観音にだけ降臨の際に厳しい決められごとがあるのか、なぜ数多の尖兵が必要なのか。下界の人間は知ることになる、本当の千手観音『十一面千手千眼観自在菩薩』の降臨を。
********
異端→正統から外れたこと
禁忌→タブー。忌み嫌って、慣習的に禁止したり避けたりすること
体のいい→表向きで言うのにはちょうどいい、他人に聞こえがいい、と言った言い回し
双眸→両のひとみ
尖兵→軍隊の行動中、本隊の前方にあって警戒·偵察の任に当たる小部隊
楽士→音楽を演奏する人
三面六臂→三つの顔と六つの腕
醜怪→並外れてみにくいこと。また、そのさま
外道→道理に背く考え。また、その考えをもつ者。災いをなすもの
権威者→権威のある人。権威を持った人
煩悩→仏語。心身を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用
悟り→仏語。物事の真の意味を知ること
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