天上の桜

乃平 悠鼓

文字の大きさ
167 / 205
第二章

厄災の大地《九》

しおりを挟む
 沙麼蘿さばらは、すぐさま右手のてのひら氷龍神剣ひょうりゅうしんけんを出現させかまえた。氷龍神剣から氷龍が現れれば、すめらぎは迷いなくその冷氣を天上界へと上げるつもりだ。
 “沙麼蘿に常識を覚えさせよ”、それはことあるごとに仏界が皇に言ってきたことだが、幼い沙麼蘿にそれを教えなかったのは誰かと皇は思う。生まれて間もない沙麼蘿を異端いたん禁忌きんきの生き物として隔離かくりし、閉じ込めた。
 まぁそれも、仕方がないことだと思わない訳ではない。下級神では沙麼蘿の睛眸ひとみの力に耐えられず消えてしまうだろうし、かと言って上級神に子育てなどできるはずもない。だから、皇と言うていのいい存在を見つけ、聖宮せいぐうと皇に丸投げしたのだ。
 だが、聖宮も皇も “常識” と言う聞こえだけはいいおりの中に沙麼蘿を閉じ込めることはしなかった。“自分達が無傷でいたいのなら、それだけの働きはしろ” 皇は、意味深な双眸そうぼうで月を見上げる。それをどう取るかは、仏界しだいだ。
 魔神の足がわずかに動き、熱を持ち始める。体をおおっていた氷にヒビが入り、溶け始めた。

「いいだろう、どちらが先に根負けするか」

 氷龍神剣で魔神を氷漬けにし下界が凍りつくのが先か、下界から上り立つ冷氣で天上界が凍りつくのが先か。沙麼蘿の手が静かに動き、その剣先から冷氣がたちこめる。その時

『やめよ!』

 天上界から誰かの声がして、月から強い金色こんじきの光がれ始めた。その光は、焼け野原の真っ暗な大地にやしを与えるかのように降り注ぐ。

「あた、たか…い…」

 光は村人達の身体だけではなく心にまで降り注ぎ、全ての希望となってさらに輝きを増す。生きとし生けるものが、突然現れた希望の光に両手を合わせ涙して月を見上げる中、月からかすかな音がれ聞こえて来る。神が、降臨こうりんするのだ。
 月から真っ先に姿を現したのは、恵みの風と雨を吹き出す風袋かざぶくろかついだ風神と、小さな太鼓たいこの連なった連鼓れんつづみ背負せおった雷神の姿。どちらも鬼神の姿でにらみをきかせている。

「本当に、降りて来るのか」

 千手観音せんじゅかんのん尖兵せんぺいである風神雷神が姿を現しても、まだ皇が千手観音の降臨を信じることができないのは、この後出て来るであろう二十八部衆の中に帝釈天たいしゃくてん大梵天だいぼんてんがいるからだ。千手観音の眷属けんぞくである天部二十八部衆の内、誰か一人でもかければ千手観音の降臨はない。
 次に月から現れ出たのは、密迹金剛力士みっしゃくこんごうりきし那羅延堅固王ならえんけんごおう、広く民が言うところの金剛力士こんごうりきし仁王におうである。そして四方を守護する提頭頼吒天だいとらたてん毘楼勒叉天びるろくしやん毘楼縛叉天びるばくしやてん毘沙門天びしゃもんてんが現れる。民が言う東方の持国天じこくてん、南方の増長天ぞうちょうてん、西方の広目天こうもくてん、北方の多聞天たもんてん四天王してんのうだ。
 その後に続くのは、たたかいの神とはえん所縁ゆかりもない大弁功徳天だいべんくどくてん神母天じんもてん摩和羅女まわらにょ婆藪仙人ばすうせんにん。千手観音の尖兵と言われる二十八部衆だが、まもたたかうだけではなく、千手観音の降臨を示す楽団のごとき音楽や、千手観音の意向を表すために二十八部衆は存在するのだ。そのため、楽士がくしと真の護衛ごえいを任された外敵がいてきと闘う神々が次々と続く。
 金毘羅王こんぴらおう満善車王まんぜんしゃおう五部浄居天ごぶじょうごてん畢婆迦羅王ひばからおう金色孔雀王こんじきくじゃくおう散支大将さんしたいしょう沙羯羅龍王しゃがらりゅうおう難陀龍王なんだりゅうおう迦楼羅王かるらおう金大王きんだいおう摩睺羅王まごらかおう満仙王まんせんおう摩醯首羅王まけいしゅらおう乾闥婆王けんだつばおう緊那羅王きんならおう
 そして、外敵と闘う神として最後に登場して来るのが、言わずと知れた阿修羅王あしゅらおうである。阿修羅は三面六臂さんめんろっぴすでに鬼神の姿をして登場する。かつて、容貌醜怪ようぼうしゅうかい札付ふだつきの外道げどうとまで言われた、闘いを繰り返す事しか知らない修羅界しゅらかいあるじとしての顔だ。

「いよいよ来るのか」
帝釈天たいしゃくてん大梵天だいぼんてんのことか」

 皇の呟きに、思わず玄奘も声を上げる。高僧である玄奘三蔵ですら、帝釈天や大梵天など見たこともないし、その降臨ですら書物の中でしか知らない。しかも、大梵天は天部とは言われてはいても、その存在は別格中の別格。

我等われら上界に住む者達ですら、大梵天の姿を見た者はほとんどいない」

 皇の言葉が終わるか終わらないかの内に、月から信じられないような真昼にも近い輝きが溢れ出す。今、この月を見上げる全ての下界の人間が、初めてその姿を見ることが許されたのだ。

「出るぞ!」

 皇の言う通り、輝かしいばかりの光の中から最後の二神が姿を現す。帝釈天と大梵天である。帝釈天は輝かしい光を背にし、あの須弥山しゅみせん権威者けんいしゃとして登場する。神々の王と言われ常に下界に目を光らせ、仏の教えを悪しき者達から護っているのが帝釈天だ。
 対して、輝かしい光が白夜びゃくやの光のように澄み渡り、透明な光となった時に姿を現したのは大梵天。その存在を目にした途端とたん、下界の人間達が次々と平伏ひれふして行く。まかさ生きている内に、その姿を見ることがあろうとは。その姿は、明らかに他の神々とは違う。大梵天は、この全ての宇宙の中心に位置する存在だ。
 全ての天部衆が煩悩ぼんのうを持ち、そこから脱しきれない存在であるのに対し、大梵天はすでさとりを開き、全てのものを生み出す創造神そうぞうしんであるとすら言われる。その姿は四面四臂で、清廉せいれんだった。
 そして、全ての二十八部衆が姿を現し神々しい音楽が終わりをむかえた頃、金色に輝く月の光が一際ひときわ強く輝き、その中央に真っ黒な固まりが見えた。

「降臨するぞ、千手観音」

 それは沙麼蘿の声だった。沙麼蘿は釈迦如来しゃかにょらいの眷属として仕えていた時、千手観音に会ったことがある。多くの菩薩ぼさつが存在する中で、何故なぜ千手観音にだけ降臨のさいに厳しい決められごとがあるのか、なぜ数多あたまの尖兵が必要なのか。下界の人間は知ることになる、本当の千手観音『十一面じゅういちめん千手千眼せんじゅせんげん観自在菩薩かんじざいぼさつ』の降臨を。









********

異端→正統から外れたこと
禁忌→タブー。忌み嫌って、慣習的に禁止したり避けたりすること
体のいい→表向きで言うのにはちょうどいい、他人に聞こえがいい、と言った言い回し
双眸→両のひとみ
尖兵→軍隊の行動中、本隊の前方にあって警戒·偵察の任に当たる小部隊
楽士→音楽を演奏する人
三面六臂→三つの顔と六つの腕
醜怪→並外れてみにくいこと。また、そのさま
外道→道理に背く考え。また、その考えをもつ者。災いをなすもの
権威者→権威のある人。権威を持った人
煩悩→仏語。心身を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用
悟り→仏語。物事の真の意味を知ること
清廉→心が清らかで私欲がないこと。また、そのさま


次回投稿は24日か25日が目標です。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

Another World-The origin

ファンファン
SF
現実に飽きた世界を、本物の「業」が震撼させる。 九十二歳、一之進。かつて国宝を打ち上げ、戦場を駆けた「生ける伝説」。 隠居した彼が手にしたのは、息子から贈られた最新のVRギアだった。 ステータス? スキル? そんなものは関係ない。 「本物」が振るう一撃は、物理演算さえも置き去りにする。 これは、役目を終えたはずの老兵たちが、電脳世界で再び「魂の火」を灯すまでの物語。

処理中です...