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第二章
泥中蓮花《三》
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そこは、暗かった。大地も大空もない、ただただ暗く長い隧道のような場所だ。その場所を沙麼蘿と、金角銀角を背に乗せた琉格泉が歩いて行く。
「なんにもないところだな」
「くらくてよくわからないところだ」
普通の狼と違うとは言え、例え天上に住まう神の仕いの大神でも、子供二人を乗せられるほど大きくはない。だが琉格泉は大勢至菩薩に仕える大神の長、女帝の仔だ。この世界ではもっとも聖獣に近い生き物とされ、短時間であれば身体の大きさを変えることもできる。
何処までも続く暗闇をどれくらい歩いた時だろうか、遥か先に一筋の光のようなものが見えた。そこから溢れ出る光に誘われるように足を進めれば、案外早く出口へと辿り着く。強い光が溢れる先は、何処かの大地だった。空には温かな太陽の光、眼前に広がるのは田畑。そしてそこには老若男女、様々な人達がいた。
神仏であろうと、天人や仙人であろうと、人間や妖怪であろうとも関係ない。地上ではあり得るはずもない、誰も彼もが助け合い支え合いなから生きる世界。こんな世界が、下界や天上界にあろうはずがない。
「あれ? あのねえちゃんは、ちょっとまえにみたねえちゃんだ!」
「ほんとだ! あのとき、オレらのことをたすけてくれたねえちゃんだ」
何かの畑の周りに集まった人々が穏やかな笑みをたたえ収穫をして行く様は、まるで下界の何処かの村のようでもある。その中に、金角や銀角が言うように、あの片時雨の村で出会い息絶えた百花羞がいた。そして
「よく採れたようですね、さぁあちらの納屋に入れて置きましょう」
そこに現れたのは、あの日 “御嬢…様……。私…は……、聖宮の元に…行きたいのです” そう言って沙麼蘿の目の前で永遠の眠りについた花薔仙女だった。花薔仙女はその望み通り、沙麼蘿の力でこの場所に送られたのだ。
「なぁ、ねえちゃん。ここはどこなんだ」
「オレら、ししゃのくににきちゃったのか」
少し前に息絶えた百花羞をその目で見ていた金角と銀角が、そう言うのも無理はない。だがここは、死者が行く幽冥界でもなければ地獄でもない、修羅界と冥府の間の外れにある黄泉だ。
「此処は、黄泉と言う」
「よみ?」
「あのよとはちがうのか?」
「黄泉は、死してなお現世に残した想いの強さにより、地上から綺麗に離れることができなかった者、または何故か冥府にたどり着くことが出来なかった者がいき着く場所だ」
「へぇー」
「そうなんだ」
「そして此処は、修羅界の箱庭でもある」
「しゅらかい」
「はこにわ」
まるで沙麼蘿のその言葉を待っていたかのように、その場の空気が揺らぐ。それと共に目の前の穏やかな光景が一気に変わる。ある者は収穫していた物を放り出し悲鳴を上げて逃げ惑う。また、ある者は収穫していたそれを抱きかかえるようにしてその場に座り込む。
「こちらへ!!」
花薔仙女の声が響き渡り、百花羞が人々を建物がある方へと誘導する。だが小さな子供と数人が、そこから離れられないでいた。おそらくは、貧しい身の上で食べる物への執着が人一倍強いのだ。その執着こそが、幽冥界ではなくこの黄泉に流れ着いた原因だろう。
その時、一人の女性が建物から出てきた。その姿は、沙麼蘿の記憶にあるものと少しも変わりない。灰簾石色の髪と双眸を持つ、皇によく似た顔の…。
「食べ物は、後からでも手に入れられます! 早くこちらへ!!」
懐かしく優しい、けれど力強い聖宮の声が響き渡った。そして
「なんだあれ!!」
「きょじんか!!」
巨大な手が空にできた亀裂から現れ、畑にいる人々を掴み取ろうとする。
「逃げて!!」
「早く!!」
それでも、黄泉に流れ着くほど食べる物に執着がある人間は、その場所を離れられない。本来、黄泉に辿り着くのは死者であり、食べる必要も飲む必要もない。だが執着により、どうしてもそれを欲する。
沙麼蘿の眼前にある人が暮らすための光景の全ては、何かしらの執着や思いを昇華させるべきものなのだ。この畑とて、腹一杯食べるためのものではない。
一生懸命作ることで心が安らぐ者もいれば、育てるだけ、あるいは収穫するだけで一時的に満足を得られる者もいるし、ほんの一口食べさえすれば一時の渇きを癒せる者もいる。
この黄泉の空の上にあるのは修羅界。その修羅界にある泉の一つが黄泉と繋がっていて、黄泉に暮らす人々は修羅界に干渉することはできないが、修羅界に住む邪神や鬼神達は黄泉に干渉することができる。邪神達から見ればこの黄泉は、泉の中に存在する小さな箱庭のような世界なのだ。
だから邪神達は暇つぶしに、あるいは遊びがてらに黄泉を見て、此処で暮らす人々が苦労して作り上げた物を今から収穫する、またはこれで全てが完成すると言う時になると泉から手を伸ばし、それらを奪い取り壊す。黄泉に住む人々の心に絶望と、何をしても決して報われることなどないのだと言う虚しさを植え付けるために。そして此処は、自分達にとってはただの玩具箱にしか過ぎないのだと思い知らせるために。
真っ暗な隧道の出口から、沙麼蘿は一歩光が射す外の世界へと進み出た。こんな世界にも太陽や月はあり、何故か昼も夜もある。沙麼蘿はそのまま畑がある場所まで歩いていくと、空から伸びてきた巨大な手が畑を押し潰しそこに蹲る子供達をつまみ上げようとする前に子供の横に来ると、そのまま顔を上にあげた。
いくら黄泉にいる死者とは言え、此処にいればいつかはまた輪廻の輪に入ることができるかも知れない。だがこのように邪神達の手で跡形もなく潰され消えてしまえば、もう二度と生まれ変わることはできない。本当に消え失せてしまうのだ。
沙麼蘿がその面を上げた瞬間、透き通るような青空の先にあるはずの修羅界の泉から、水や空を激しく震わせるような叫声が響き渡る。その叫声を聞いた沙麼蘿は口角だけを上げ、空の先にある修羅界で自分と瞳が合った邪神達が次々と崩れ去って行く姿を、不敵な笑みを浮かべ見つめていた。
********
隧道→トンネル
幽冥界→あの世
冥府→死後の世界。特に地獄。閻魔の庁
双眸→両方の瞳
干渉→他人のことに立ち入って自分の意思に従わせようとすること
昇仙→心理学・倫理における防衛機制の一つ。社会的に実現不可能な(反社会的な)目標や葛藤、満たすことができない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること
面→顔
叫声→叫び声
不敵な笑み→何事にも恐れることなく、何かを企んでいるような表情
次回投稿は7月16日か17日が目標です
「なんにもないところだな」
「くらくてよくわからないところだ」
普通の狼と違うとは言え、例え天上に住まう神の仕いの大神でも、子供二人を乗せられるほど大きくはない。だが琉格泉は大勢至菩薩に仕える大神の長、女帝の仔だ。この世界ではもっとも聖獣に近い生き物とされ、短時間であれば身体の大きさを変えることもできる。
何処までも続く暗闇をどれくらい歩いた時だろうか、遥か先に一筋の光のようなものが見えた。そこから溢れ出る光に誘われるように足を進めれば、案外早く出口へと辿り着く。強い光が溢れる先は、何処かの大地だった。空には温かな太陽の光、眼前に広がるのは田畑。そしてそこには老若男女、様々な人達がいた。
神仏であろうと、天人や仙人であろうと、人間や妖怪であろうとも関係ない。地上ではあり得るはずもない、誰も彼もが助け合い支え合いなから生きる世界。こんな世界が、下界や天上界にあろうはずがない。
「あれ? あのねえちゃんは、ちょっとまえにみたねえちゃんだ!」
「ほんとだ! あのとき、オレらのことをたすけてくれたねえちゃんだ」
何かの畑の周りに集まった人々が穏やかな笑みをたたえ収穫をして行く様は、まるで下界の何処かの村のようでもある。その中に、金角や銀角が言うように、あの片時雨の村で出会い息絶えた百花羞がいた。そして
「よく採れたようですね、さぁあちらの納屋に入れて置きましょう」
そこに現れたのは、あの日 “御嬢…様……。私…は……、聖宮の元に…行きたいのです” そう言って沙麼蘿の目の前で永遠の眠りについた花薔仙女だった。花薔仙女はその望み通り、沙麼蘿の力でこの場所に送られたのだ。
「なぁ、ねえちゃん。ここはどこなんだ」
「オレら、ししゃのくににきちゃったのか」
少し前に息絶えた百花羞をその目で見ていた金角と銀角が、そう言うのも無理はない。だがここは、死者が行く幽冥界でもなければ地獄でもない、修羅界と冥府の間の外れにある黄泉だ。
「此処は、黄泉と言う」
「よみ?」
「あのよとはちがうのか?」
「黄泉は、死してなお現世に残した想いの強さにより、地上から綺麗に離れることができなかった者、または何故か冥府にたどり着くことが出来なかった者がいき着く場所だ」
「へぇー」
「そうなんだ」
「そして此処は、修羅界の箱庭でもある」
「しゅらかい」
「はこにわ」
まるで沙麼蘿のその言葉を待っていたかのように、その場の空気が揺らぐ。それと共に目の前の穏やかな光景が一気に変わる。ある者は収穫していた物を放り出し悲鳴を上げて逃げ惑う。また、ある者は収穫していたそれを抱きかかえるようにしてその場に座り込む。
「こちらへ!!」
花薔仙女の声が響き渡り、百花羞が人々を建物がある方へと誘導する。だが小さな子供と数人が、そこから離れられないでいた。おそらくは、貧しい身の上で食べる物への執着が人一倍強いのだ。その執着こそが、幽冥界ではなくこの黄泉に流れ着いた原因だろう。
その時、一人の女性が建物から出てきた。その姿は、沙麼蘿の記憶にあるものと少しも変わりない。灰簾石色の髪と双眸を持つ、皇によく似た顔の…。
「食べ物は、後からでも手に入れられます! 早くこちらへ!!」
懐かしく優しい、けれど力強い聖宮の声が響き渡った。そして
「なんだあれ!!」
「きょじんか!!」
巨大な手が空にできた亀裂から現れ、畑にいる人々を掴み取ろうとする。
「逃げて!!」
「早く!!」
それでも、黄泉に流れ着くほど食べる物に執着がある人間は、その場所を離れられない。本来、黄泉に辿り着くのは死者であり、食べる必要も飲む必要もない。だが執着により、どうしてもそれを欲する。
沙麼蘿の眼前にある人が暮らすための光景の全ては、何かしらの執着や思いを昇華させるべきものなのだ。この畑とて、腹一杯食べるためのものではない。
一生懸命作ることで心が安らぐ者もいれば、育てるだけ、あるいは収穫するだけで一時的に満足を得られる者もいるし、ほんの一口食べさえすれば一時の渇きを癒せる者もいる。
この黄泉の空の上にあるのは修羅界。その修羅界にある泉の一つが黄泉と繋がっていて、黄泉に暮らす人々は修羅界に干渉することはできないが、修羅界に住む邪神や鬼神達は黄泉に干渉することができる。邪神達から見ればこの黄泉は、泉の中に存在する小さな箱庭のような世界なのだ。
だから邪神達は暇つぶしに、あるいは遊びがてらに黄泉を見て、此処で暮らす人々が苦労して作り上げた物を今から収穫する、またはこれで全てが完成すると言う時になると泉から手を伸ばし、それらを奪い取り壊す。黄泉に住む人々の心に絶望と、何をしても決して報われることなどないのだと言う虚しさを植え付けるために。そして此処は、自分達にとってはただの玩具箱にしか過ぎないのだと思い知らせるために。
真っ暗な隧道の出口から、沙麼蘿は一歩光が射す外の世界へと進み出た。こんな世界にも太陽や月はあり、何故か昼も夜もある。沙麼蘿はそのまま畑がある場所まで歩いていくと、空から伸びてきた巨大な手が畑を押し潰しそこに蹲る子供達をつまみ上げようとする前に子供の横に来ると、そのまま顔を上にあげた。
いくら黄泉にいる死者とは言え、此処にいればいつかはまた輪廻の輪に入ることができるかも知れない。だがこのように邪神達の手で跡形もなく潰され消えてしまえば、もう二度と生まれ変わることはできない。本当に消え失せてしまうのだ。
沙麼蘿がその面を上げた瞬間、透き通るような青空の先にあるはずの修羅界の泉から、水や空を激しく震わせるような叫声が響き渡る。その叫声を聞いた沙麼蘿は口角だけを上げ、空の先にある修羅界で自分と瞳が合った邪神達が次々と崩れ去って行く姿を、不敵な笑みを浮かべ見つめていた。
********
隧道→トンネル
幽冥界→あの世
冥府→死後の世界。特に地獄。閻魔の庁
双眸→両方の瞳
干渉→他人のことに立ち入って自分の意思に従わせようとすること
昇仙→心理学・倫理における防衛機制の一つ。社会的に実現不可能な(反社会的な)目標や葛藤、満たすことができない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること
面→顔
叫声→叫び声
不敵な笑み→何事にも恐れることなく、何かを企んでいるような表情
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