10 / 21
ふたつめの話
10
しおりを挟む姿かたちが似通っているからといって、同じ反応を示すとは限らない。
たとえば、物語に敵役としてよく出てくるような怪物の中にも、他のものを襲うことなどせずに生きてゆこうとする者もいるように。
障害を取り除く英雄としてよく描かれる人間の中にも、障害を乗り越えることではなくやり過ごすことを選ぶものがいる。
……というか、どう考えても後者はそうするものの方が多かろう。
怪物が生理として当然のように他者に犠牲を強いるのと同様に、それは自然な流れである。
強さとは目に見えて、誰にでも理解できる偏りだ。
どこにでもあるものを偏りとは認識しないように、強さというものは誰にでも備わっているものではない。
……思えば、前の場所で襲い掛かってきた人間も稀な資質の持ち主だったのであろうなぁ。
魔術というズルを使っていたとはいえ、自分などよりも遥かに大きな体躯の相手を打ち負かすことができる力というのは凄まじいものである。
……もっとも、わざわざ命の危険に身を投じるという精神が生来のものかは疑わしいが。
「そもそも何で私がここに来なくちゃいけないのよ。
いつもは女の癖にとかどうこう言ってるくせにこういうときだけいい女だからとか――」
『…………』
少なくとも、今目の前にいる女が自己犠牲の精神を発揮し自らの意思でこの場に立っているというわけではない、ということが今の言葉から理解できた。
……どう扱ったものかと悩んでいたらこのありさまである。
人間たちが逃げていった後に発生した沈黙に耐えかねたのか、生贄としてここに残された女は震えながら口を開いて言葉を作り始めていた。
最初のうちは、他者のことを健気に尊重する聖女のように、自分の犠牲をもって街の平和を願う言葉を吐き出していたが。
我輩が反応しないまま放置していたら、その口から出てくる内容は自分に犠牲を強いた者達への不満や呪詛へと切り替わっていったのだ。
……流石に、これ以上は聞くに堪えぬ。
だから仕方ないと、自分に言い聞かせるように言葉を思ってからヒトガタを女の前に出現させた。
「……っ」
女はヒトガタが現れるやいなや、ここにいない誰かに向けた罵詈雑言を出力するべく滑らかに動いていた口をつぐんだ。息を呑んだ。
その目には恐怖と憎悪の色が入り交じって浮かんでいる。
……我輩にそんな目を向けられても困るのだがなぁ。
そう思いながら、しかしそれも致し方ないのだろうと思い直して言葉を作った。
『まず始めに言っておこう。我輩はおまえを食うつもりなどないぞ』
「え……?」
こちらの宣言に対して、女が寄越したのは疑問符だった。
女からしてみれば、我輩は人間を食らう化物であり、自身はそんな化物を満足させるための供物だという認識なのだから、疑問符を返すしかなかったのだろうとは思う。
ただ、女の視線がヒトガタと我輩の間を行き来していて落ち着かないから、
『声はヒトガタから出しているが、言葉を作っているのは竜たる我輩の方である。
……まぁ視線をあてがう先は好きにすればよいがな』
そう言って視線が我輩に向かって固まったのを見届けてから話を続けた。
『我輩は食事というものが必須ではないのでな。
加えて、あえてヒトを選んで食べるといった味の好みも持ち合わせてはおらん』
「……それじゃあなんで飛び回っていたんですか?」
女がおそるおそるといった様子で問いかけてきたから答える。
『ただの日光浴だ。
洞穴の中に長く居れば、陽の光が恋しくなるのは自然な反応であろう』
「……獲物を探していたんじゃないんですか?」
『それはおまえたちが勝手にそう誤解しただけだ。
……我輩がそういう生き物であれば、差し出されるのを待つ理由もあるまいに』
そもそも、巨体を維持するために必要な食事の量を考えれば、たった一人を差し出した程度で済むわけもないと気付くものだとも思うのだが。
……なにゆえ、人間というものはそのときに都合のよい解釈ばかりを採用するのだろうな。
口から大きなため息が漏れてしまうのを止められないほど切実に、そう思う。
「…………」
視界の中で黙ったまま立ち尽くす女の姿を認めて、我輩は言葉を足した。
『ああ、だから、帰りたいというのであれば我輩はそれを止めぬ』
「……あなたはこれからどうするんですか?」
女から投げかけられた問いかけは意外なものだったから、即答は出来なかった。
……どうするか、とはまた広い意味を持つ問いかけであるな。
人間らしい曖昧な問いかけだ、とも思う。
ただ、この問題に対してどう対処するつもりであるのかという意味であれば、答えはもう決まっていた。
『不本意だが、この場からは立ち去るつもりでおるよ』
前回の出来事から学んだ教訓は、逃げることは恥じゃないということだ。
……面倒事からは遠ざかるに限る。
そう考えてから、視線を女から外した。
「私はどうすればいいんですか」
視界の外から、女の言葉が聞こえてくる。
視線を向ける必要もなかろうと、そのまま応じた。
『元いた場所に戻ればよかろう』
「……できるわけないじゃないですか。
私は生贄としてこの場に寄越されたんです。
あなたが人を殺さないと言ったから戻ってみたって、居場所なんてあるわけないじゃないですか!
そもそも信じてもらえるはずもない!」
『……そんなことを我輩に喚いたところで何も解決はせぬと思うが』
一息。何か解決策があるのだろうかと、考えるための間をおいて、
『我輩は明日にでもここから出て行くつもりだ。次の居所を探しにな。
その道中にある街に下ろすくらいのことはしてもいい』
そこまで深く考える必要もないだろうと、すぐに思いついた案を言葉として出力した。
「……っ」
告げられた内容に、女が息を呑んだ。
『時間は一晩もある。よく考えて決めることだ』
追い討ちをかけるようにそう言葉を継ぎ足してから、我輩は女から意識を外した。
0
あなたにおすすめの小説
それは思い出せない思い出
あんど もあ
ファンタジー
俺には、食べた事の無いケーキの記憶がある。
丸くて白くて赤いのが載ってて、切ると三角になる、甘いケーキ。自分であのケーキを作れるようになろうとケーキ屋で働くことにした俺は、無意識に周りの人を幸せにしていく。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。
雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。
その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。
*相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる