恋ヶ淵

yukoji

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【-過去④- 信用するのかしないのか、心許すのかそれとも否か】

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 満員電車に揺られながら、俺は昨日の西菜さんのツイッターの事で頭を悩ませていた。せっかくイビーとのことで浮かれていたのに『ナナナ』のアカウントを見てから脳みその活動をそちらに持っていかれていた。あのアカウントは間違いなく西菜さんのものだろう。リストカットを止めさせたのは俺だし、アカウント名がまるまんま彼女だ。
 西菜奈々、ニシナナナ、ナナナ。
 あんなツイートさえなければ確かにナナナだ。面白味のあるアカウント名を使ってるな。ぐらいに思えたかもしれないが、そんな余裕は当然なかった。西菜さんの事が理解できなかった。何でわざわざ俺の全く更新していなかったツイッターをフォローする必要がある。そもそもどうやって俺のアカウントを発見した。友達伝いから俺を発見したとして、なんで俺が見たら悪口だって分かる事を書くんだ。しかもそれとは反対に嬉しいみたいな事も書いていたし……。謎だ。謎過ぎるよニシナナナ。
 「兄やん昨日と全然違うじゃん。どうしたの? 女の子とうまくいかなくなったの?」と、目の前にいる恵乃えのが見上げながら言った。
 「いや、別になんでもねぇよ。台本の事で真珠にしっかりやるように言われてるからそこも考えなくちゃなぁって思ってさ」
 「ふ~んそうなんだ~……。って、お兄やん演劇部に復帰したの!?」言った後、恵乃は口を手で覆い、誰にするでもないが気まずそうに頭を少し下げた。
 「兄やん昨日そんなこと全然言ってなかったじゃん!」と今度は小声で話し始めた。
 「そりゃ昨日決まった事だし、それにいちいち恵乃に全部話さねぇだろ」
 「わたしは兄やんの台本が好きなんだから気をつかって教えてくれてもい~じゃん!」
 「あぁ? めんどくせーよなんでそこまでしなくちゃいけ……イッテー!」と左足の指先を恵乃に踏まれたようだった。
 「わかったから恵乃、足どけろ! お前結構マジじゃねーかこれイテーって!」
 フンッ!と恵乃は顔を左にそむけた。
 「お前なぁ……誰のストーカー対策で一緒に学校に向かってると思ってんだよ」
 「うるさい」
 なんなんだよ。と返したかったがこれ以上こじれるのは嫌なので黙ったままにしておいた。
 「で、その台本はいつやるの?」
 「あぁ? ……イタイイタイ! 分かったからつねるのやめろ。十二月の尚高しょうこうとの合同公演だよっ! 去年はこっちの高校でやったやっ、だからイタイッって」と、恵乃はニヒヒと笑いながらようやくつねるのをやめた。
 「あぁ~。今年もやるんだ。それじゃあそれに向けて頑張ってく感じなの?」
 「昨日決まった話だけどな。真珠まじゅは芝居に関しては一切妥協しないからしっかりしないと殺されるわ。ってかイテーんだから物理的な攻撃やめろ」
 「兄やんが悪い」と、ここでも突っ込みたかったが面倒だからやめた。
 「そっか~。真珠さん昔からかっこいいもんね。美人でスタイルも良いし」
 「だけどありゃ性格がキツイって。姉貴といい勝負だろ」
 「それはお芝居だけなんじゃないの?」
 ん? 確かにそう言われればそうか? でも俺はアイツと芝居以外での関わりなんてそんなにしてないよな……。などと考えていると、『県立桜丘さくらおか高校前~県立桜丘高校前~』と社内アナウンスが流れた。電車が止まり、灰色を基調にした制服のごった返しが一斉に電車を降りる。県立桜丘高校前という駅名のくせに駅から学校まで住宅街の中を徒歩十五分。学生たちの間では名前詐欺だという意見で統一されている。
 改札を出てしばらくすると「恵乃おはよう~」と、ハツラツとした声で恵乃の友達達が話し掛けてきた。
 「お兄さんもおはようございます」
 「おはよう~」と俺も挨拶を返した。確か家にも遊びに来たことがある子たちだけど……名前までは覚えていなかった。ごめんなさい。
 恵乃もそのまま友達と一緒に登校すると思いきや、俺の隣をまだ歩いていた。
 「おい恵乃、お前友達と一緒に行かなくていいのか?」
 「ね~兄やん」
 「なんだ?」
 「昨日嬉しかったのって演劇部にまた復帰したから?」
 「まぁそんなとこだな」嘘は言っていない。
 「ふ~ん。ま、今回も面白い台本になるんだよね? わたし本当に楽しみにしてるから頑張ってね」
 「言われなくても頑張るよ。真珠にぶっ殺されちまうしな」
 ははっと笑って恵乃は足取りを早め、さっきの友達の輪の中に入っていった。
 一人になってしばらく歩いていたんだが、西菜さんの事が脳裏によぎってきた。はぁ……。と、思わずため息が出る。考える事がいっぱいありすぎてちょっとどうにかなっちまうんじゃないか? と我ながら思ってしまう。舞台の事もそうだし、もちろんイビーとも上手くいきたいし。そして西菜さん。あぁ……一体俺は西菜さんにどういった対応を取っていけばいいんだろうか。とりあえず彼女の事を本当に心配しているっていう自覚はあるんだけど、俺はどういう行動をするのが正しいんだろうか。学校でどういう風に接すればいいのか……。いや、そもそも関わりがない人だったんだし学校でのスタンスは変わらずに行くべきなのか? あぁ、これはあれだ、とりあえず様子を見よう。西菜さんの事は様子を見よう。イビーとの事も考えたいし。いや、台本の事も考えていかないと……。うん。結構大変だぞこれは。

  ☆★

 「どーしたユーマ」
 「どーもしねぇ」
 「どーもこーもねーよお前、昨日も今日もどうしたんだって。お前こんな顔してっぞ」と言って道山みちやまは顔のパーツを『イッ』っと中央に寄せた。
 「なんだその顔」
 「おいおいおいマジかよ反応うっしーな~イザベラちゃんの事でなんかあったのか?」
 昨日伝えた通り道山はちゃんと声を小さくした。
 「道山……」
 「おうどうした」
 西菜さんの事を一瞬話そうか悩んだが「いや、やっぱなんでもねぇわ」
 「なんだそれ? なに悩んでんだ」
 「あぁ……なんて言うか色々」
 「んだよそれハッキリしね~な」
 「すまん。とりあえず今は放っておいてくれ。ありがとな」
 「はぁ? まぁ元気出せよ」と、俺の肩をポンと叩いた道山は成瀬のところに歩いて行った。
 考えることがありすぎて良く分からねぇ……。道山にも気に掛けて貰っているし少し情けない気持ちにもなる。実際に色々ありすぎているのは間違いないけれど、それで俺がめんどくさい奴になるのは嫌だ。とにかく今の一番の懸念は……。そう考えるとやはり西菜さんの事が頭に浮かんできた。
 一時間目、二時間目と西菜さんの事をそれとなく観察していたが、これまでと変わった様子は特になく、それが逆に行動の選択すらさせてくれない様に感じた。どうすれば良いか全くわからない。このままでは何にもならないと思った俺は、自分でもあまり見たくない、見ない方が良いと感じてはいつつも、西菜さんをより知るために重要だ。と覚悟を決め『ナナナ。』のアカウントをじっくりと見る事を決めた。
 携帯を持って、教室から一番近いトイレの個室に向かいズボンを脱がずにそのまま便座に座る。ウォッシュレット付きの便座が季節を読まずに生暖かい。頭をもたげ一瞬悩む。しかし見なきゃ始まらないと思った俺はエアラインモードを解除してツイッターを開いた。フォロワーを開く。すると変わらずに『にしな』と『ナナナ。』を確認した。覚悟を決めて俺は『ナナナ』のアカウントを開いた。

 『心配だってあんなに真面目に話していたのに全然話しかけてこない』
 『これから学校。家にいるのも嫌だし学校に行くのもイヤ。わたしの居場所はどこ? この気持ちわかる人いるよね?』
 『めがさめた。ずっと寝ていられる人間だったらよかったのに』
 『寝れない。だけど寝て楽になりたい。寝てるときは寝るだけだから、寝るのは好き』


 マジかよ。っていうのが俺の正直な感想だった。一体どうすればいい。話し掛けて来いって事か? とにかく、以前のツイートも見てどうするべきか決めないと。と、再びツイートを見る。そのどれもが鬱々としていて、『にしな』の方にあったような暗い絵も多く投稿されていた。そういったツイートを少し見ていただけなのに心のエネルギーが持っていかれそうになるのを感じた。
 結局どういった対応をするべきかを決められそうになかったので、俺は『ナナナ。』のツイートを掘り下げるのをやめた。そして明らかに俺に向かっているであろうツイート、『心配だってあんなに真面目に話していたのに全然話しかけてこない』について考えた。
 その言葉が真実であるなら、西菜さんの望んでいることは明確なはずだ。話し掛けに来いって事だ。だったら……とにかく俺は話し掛けに行くだけでいいんじゃないか? とにかく話し掛けに行って、彼女の望みを叶えてあげればいいのか? そうすれば何かがきっと変わるはず。だけどそこからまた西菜さんが良く分からない事を言ったりしたら? 話し掛けて何かを刺激してしまったら? わからん。全くわからん。俺は何をどうすればいいんだ。
 そうか! と、閃く。とりあえず西菜さんのツイッターに気付いていない風に装って、一旦は置いておこう。という逃げの思考も生まれた。しかし、あぁこんなんじゃダメだ! 埒が明かない! という感情が湧き上がってきた。俺は西菜さんの事を全然知らないし、ツイッターの言葉が本当かどうかなんてのも分からない。だったら俺はとりあえず西菜さんのツイートを信用して、心配だと思っている以上、西菜さんが望んでいる事をやってみよう! と覚悟を決める。
 俺はすぐに腰を上げ、トイレの個室から出て教室に向かう。西菜さんの席は左二列目の一番前。わき目も降らずにそこを見る。背中しか見えないので何とも言えないが、とにかく席に座っていた。俺はずんずん進み西菜さんの目の前に立った。
 立った。が、情けない事になんて言えばいいのか結局わからずじまいだった。西菜さんは本を読んでいた。と、恐らく俺の足が目に入ったのだろう、そのままゆっくりと視線を上げていき、俺の顔を確認し「なに」とぶっきらぼうに言った。
 「あの……」
 「なんなのアンタ」
 「いや、だから」
 「なに」
 なんて声を掛けて良いのかが分からない。
 西菜さんは読んでいた本を閉じて、立ち上がるために上半身を少し傾けた。
 「心配してるから」と、そこで俺の思いが声になった。
 「で?」
 「いや、それだけなんだけど……」
 「なんなんだよアンタ」
 と、西菜さんは立ち上がり、そのまま教室を後にした。

  ☆★

 意外とショックだった。俺が勇気を出して西菜さんのツイートにあった事をしただけなのに、あんなに存外に扱われるものなのか。と。しかし俺の気持ちは幾分かは落ち着いていた。ただモンモンと西菜さんの事であーだこーだ考えるより確実に一歩先に進んだ気がしたからだ。話し掛けてああいう対応を取られた以上、とりあえずは話し掛けない方が良いという事が分かった。この情報だけでも成果はある。よし。と自己満足に浸りながら三時間目の授業終りに一人考えていると「マジュ~」という嬉々とした麗しの異国人の声が聞こえ、素早く俺は顔を上げた。
 教室前方の入り口に真珠が立ち、そこにイビーが駆け寄って行く。イビーは嬉しそうに真珠に話し掛けている。話し掛けていたイビーだが、何かを思い出したのかピクっとして振り返り自分の机のバックから冊子を取り出して再び真珠の前まで駆けて行った。冊子を開き真珠に説明をしているところで「ヨシカ~」と津木エリを呼ぶ。あぁ! あれは昨日配られた稽古用の台本だな。読み仮名とかを振り終えんだろう。イビーはとても嬉しそうにしながらカタコトの日本後で台本を読んでいるようだった。とても楽しそうで明らかにウキウキしている。今にも踊りだし……。

 いやまてステップを踏み出した!
 踊ってる!
 手をウニウニ振りながら踊ってる!

 イビーかわいぃぃぃぃぃぃいいぃぃぃぃ!

 いくら海外の人がダンス好きだからってそこで踊っちゃうのか~! とにかく楽しそうでかわいいから何より! 最初の自己紹介ではあんなにたどたどしかったのに、心を開いてる人にイビーはテンション高めなんだな。そしてやっぱり芝居をしいているからか心を開くのが本当に早い。……俺にも心を開いて貰うべし! と、心の中で猛烈に炎が舞い上がったがあまり焦るでないぞ俺! 焦って変な事をやるよりも、ちゃんとしていった方がいい。しかしまぁ、真珠が笑いながらも若干顔が引きつっているのが面白い。あいつのあんな困っている顔を見るのはあんまり見たことがない。完全に困ってんなあいつ。で、真珠はどんな対応をするんだ?  
 眺めていたら俺の視線に気づいたのか「ユーマ」と俺を呼び手招きをした。俺は笑いながら歩く。
 「お前もそんな顔するんだな」
 「うるさいわね」
 「オーユーマ」
 「ハーイ」
 「ワタシ、キノウ、ヨシカトカイタ」
 と、イビーは嬉しそうに台本を俺に見せた。
 「夜おそくまでやったもんね」と津木エリ。
 「yes」と歯切れの良い英語でどや顔をするイビー。
 「おつかれさま」と俺は言った。
 「オツカレサマ??」
 「あー。 means Good job」
 「Aha yeah! オツカレサマ」
 イビーは新しい日本語を覚えたのがうれしかったのかキャピキャピしている。
 愛嬌抜群可愛イビーである。
 「んでユーマ」
 「ん?」
 「台本の案は固まった?」
 「気がはえーよ」
 「ダイホン!」
 「ユーマに早くかき上げて貰わないと始まらないからね」
 「ユーマ、ドンナダイホンスル?」
 ふっと俺の方に振り向いたイビーが可愛すぎて困った。なびく金髪セミロングから微かに零れた外国人が好きそうなちょっと強めの香水の香り。その香りも日本の学校だからかふわっと拡がる程度に抑えていて目がクラクラしてしまう。
 「んーまだ決まってないんだけど折角イビーがいるんだし、イビーがアクセントになる様な台本にしようとは思ってる」
 と、少しイビーには難しかったようですぐに津木エリが通訳をしてくれた。
 「やっぱそうよね~。イビーがいることによって今までの台本は絶対に違ってくる。そう考えると人種の違いってのはやっぱり大きいわね」
 「めちゃくちゃ大きいな」
 「なんか今思いつくのってある?」
 「だからそれを考えてんだって。で、イビーはどういう芝居が好き?」
 Ah~と考えてからイビーは続けた「ワタシニホンスキ。ニホンのハナシシタイ」
 「日本の何が好きなの?」と真珠。
 「ニホンゼンブスキ。アニメ、ジンジャ、サムライ、キモノ、スシ、タクサンスキ」
 「イビーは何で日本が好きなのかわかる?」大事なところなので俺は掘り下げた。
 「ア~。ン~。メズラシイカラ? ワカラナイ。ムズカシイ」
 「オーケーありがとう」
 「何か決まったの?」と真珠。
 「とりあえず日本的な何かが入った舞台ってのは決まってる。イビーが好きな日本文化についてのもの……うーん。ちょっと調べないと分からないし今はそれぐらい」
 「りょーかい。わたしも考えておく。それじゃあまたね」と、真珠は歩いて行った。
 「ユーマ、ダイホンガンバッテ」
 「おう。頑張るよ」
 「「オツカレサマ」「また」」
と、イビーと津木エリも自分たちの席に戻って行った。
 好きな人に頑張れと言われて頑張らない男がいるだろうか。いや、いない。台本を書き上げる為のガソリンは満タンだ。俺も席に戻ろうかと振り返ると……西菜さんが俺を見ていた。いや、見詰めていた。
 つい数秒前までの夢見心地と台本に対する思いが強烈な突風に煽られる。ニシナナナ。良く分からなさすぎる。俺は自分の机に視線を移し、西菜さんを見ないようにした。しかし、確認はしなかったものの俺から視線を外そうとしないような、そういう雰囲気を感じ取った。

  ☆★☆★

 突風が発生するメカニズムを調べると、発達した積乱雲から噴き出す下降気流が地表に衝突した時や、積乱雲の中の冷たく重たい空気が流れ出す時とあった。積乱雲の中にあったものが、その状態を保つことが出来なくなった時に突風は吹くらしい。
 ではその積乱雲とはなんなんだ?
 調べると、晴れた日によく発生する積雲(綿雲)が大気が不安定な事により積み重なったもの。積乱雲は太陽の光を遮り、ゲリラ豪雨、落雷、雹や霰、突風を発生させる雲とあった。


 大気が不安定になったことで積乱雲が形成されて、積乱雲の中で収まりきらなくなった時、それが何らかの形で放出される。

 積乱雲の学名はキュムラス。
 ラテン語で『小さく積み重なった塊』。
 積乱雲の学名はキュムロニンボス。
 積雲の『積み重なった塊』にラテン語の『雨雲』を意味するニンボスが合わさったもの。
 積み重なった、雨雲の塊。
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