羊飼いとグリモワールの鍵

むらうた

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第1部

9 | 山小屋の二人 - ベルスタ①

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 「まあ、とにかく、元気そうな顔が見れて安心した」と、ジュール隊長は笑った。

「昨日はいろいろとご迷惑をおかけして…」

「なかなかおもしろかったぞ。右目、無事に戻ってよかったな」

 話を聞いていると、羊飼いの家から転移させられたあとは村人たちと食事を楽しみ、そのまま一晩泊まったということだった。

 羊小屋の脇で隊長と立ち話をしていたが、オンス爺さんから、「ベルスタ、そろそろ出発だ」と声がかかる。

「またな」

「はい、お達者で」

「ああ!」

 王都を去るときも隊長と同じやりとりをした。たった三ヶ月前なのに遠い昔のことのようだ。

「セルシウスは間に合わんかったな」

 オンス爺さんがそう言うから、用事とやらのことを知っているのだろう。そういえば、セルシウスが喋ることを爺さんは知っているのか。気にはなったが、夜は刻々と明けていく。

「俺とケルビンでなんとか帰ります」

「うーむ、昨今は魔物も出んしなんとかなるか…」

 羊たちのためにも日の出前に出発し、気温が上がってしまう前に山小屋へ到着する必要がある。

 悠長に待つ余裕はない。

 毎朝の習慣ですっかり準備の整っているケルビンと共に村を出発した。

 羊たちはケルビンを信頼しているため基本的には誘導されるまま歩いていく。気をつけなければならないのは群れにいる身の安全よりも道草の誘惑に負ける数匹だけだ。

 俺は少し後ろを歩きながら、はぐれてしまう羊がいないかまんべんなく気を配った。

 羊たちにばかり気を取られていたのか、となりに並ぶ気配に気づけなかった。

「ただいま」

 足元にセルシウスがいた。背中に荷物を背負っている。

「びっ、くりした。おかえり」

「手間取って出発に間に合わなかった。ケルビンにも挨拶をしてくる」

 セルシウスはそう言って身を寄せ合う羊たちの間にするすると割り込んでいく。毛刈りされた羊たちのなかではケルビンの位置もわかりやすい。あっという間に白に黒が寄り添った。

 リリスに右目を奪われたあとから、セルシウスは牧羊犬として働くようになっていた。昨日の一件で右目はもどったわけだが、引き続き働いてくれるらしい。

 挨拶を済ませたセルシウスはケルビンから離れ、抜け出しそうな羊を威圧しつつ群れの脇をうろちょろと走る。

 俺は羊たちから視線を外し、迫る山脈へ目を向けた。鮮やかな夏の朝がはじまろうとしていた。


   ◇◇◇


 麓の村を出たとき、羊たちはどこへ連れていかれるのかとしぶしぶ歩いていた。しかし山小屋が近づき目的地がわかってくると急斜面もものともせず歩調は自然と早くなる。

 その気持ちはよくわかる。だれだって住み慣れた場所が一番だ。いつも放牧するあたりまでくれば、群れから抜け出そうとする羊はいなくなっていた。

 その様子を理解してかセルシウスは羊たちのそばを離れてこちらへやって来た。

「話がある」

 わざわざ前置きするからなにかと思えば、「書物を二冊、山小屋で預かってほしい」と続いた。

「背中の荷物がそれか? 書物…本ってことだよな。預かるくらい問題ないが…なにかあるのか」

「二冊とも封印の魔術が施されている」

 喋る牧羊犬の言うことだ、魔術くらいでは驚かない。そういうこともあるんだろう。

「ワケありなんだな」

「王宮から盗んできた」

 聞き間違いかと思った。

「…盗んだ? 王宮から?」

 思わず声をひそめる。

「大丈夫だ。代わりのものを置いてきたからばれない」

 セルシウスは平然と言ってのける。なんなんだ、こいつは。

「いやそれは。ワケありどころじゃないだろう。というか、用事って王都まで行ってたのか? 一晩で?」

「山小屋が一番安全だと思うんだ」

「おい、質問に答えろ。なにが安全なものか。地理的にはたしかに孤立しているが、リリスの例だってある。羊飼いが預かるには荷が重すぎる」

 だいたい、ばれたらどうなるんだ。俺も共犯じゃないか。

「お前も魔術を使えるようになるって言ったらどうする?」

 話についていけない。

「なんの冗談だ。とにかく悪事に加担するようなことは断る」

「奪われていたものを取り戻しただけだ、悪事じゃない。魔術だってお前が望むなら使えるようになる」

「そんな簡単なわけないだろう」

「もちろん簡単ではないが…こうして二冊はここにあるのだから捨てるわけもいかない。山小屋で預かるしかないなら、なにか起こったときのためにもお前が魔術を使えたほうがいいだろう」

「…なにか、起こるのか?」

「先のことなんて誰にもわからない。なんだって起こりえる。もう一度、右目を奪われたいのか?」

 山小屋が見える場所まで戻ってきていた。

 牧羊犬が喋ったり、魔物に右目を奪われたり、それを取り戻してもらったり。ここ数ヶ月を振り返ると、どうやらセルシウスの言うとおり、なんだって起こりえると納得せざるを得ない。

「俺には選択肢がないんだな」

「強制するつもりはない」

「脅しておいてよく言うよ。リリスみたいな輩に二度と振り回されたくはない」

「決めるのはいまじゃなくていい。そのうちシュルッセルが訪ねてくるから、そこで答えてくれれば」

「…は?」

「私はしばらく外にいる。お前は私の背中の荷物をとって山小屋で待ってろ」

「なぜシュルッセル様が?」

「魔力を解放できるのが魔術師だけだからだ」


   ◇◇◇


 人間には魔力がある。だからといって、誰もが魔術を使えるわけではない。

 魔術を使うためには魔力が発現していなければならないし、魔力が発現していても魔術を覚えなければその力を使うことはできない。

「魔術を使える人間と魔術師の違いがわかるか?」

 稀代の魔術師が目の前にいる。昨日のこともあるから、いざ面と向かうと緊張と混乱で発狂しそう、だったのは最初だけだった。

「…わかりません」

 やはりセルシウスを呼んでこようか。二人きりでは息がつまる。

「魔力を解放できる術を会得しているのが魔術師だ。魔力解放の術は師から学ぶ。私はルーメン教授から学んだ。だから私は魔術師だが、私の姉上は魔術を使えても魔力解放の術を使えないから魔術師ではない」

 滔々とつづく講釈に、滑舌いいなとか、背筋伸びているなとか、百回は考えた。

 それよりもまずは座学からなのか。呪文ひとつで使えるようになるんじゃないのか。

 まずいな眠くなってきた。昨日は流星雨を見て夜更かしをしたし麓の村から歩いて帰ってきて…

「聞いているか?」

「聞いております」

「目蓋は閉じているぞ」

 ハッと目を開ける。「失礼しました」

「時間がないんだ」

「…はい、すみません」

「魔力には個人特有の気配があるから魔術を使うと痕迹が残る。だから気配を特定できている人物であれば、居場所を見つける術を使ってどこにいるのかがわかってしまう」

 それって?

「ここで私が魔術を使えば山小屋にいると分かるわけだ。ただし今回は姉上の力を借りているから場所を特定される心配はない。私は死んでいるし、これからも生き返るつもりはない。昨日みたいなことがあっても多少ならごまかせる。だが、いざというときに魔力が使えないのはやはり不便だ」

 シュルッセル様はそこでひと呼吸置き、「というのが私の話で」と言った。

「お前も魔力を使えるようになりたいんだったら、ひとつ提案がある」

「なんでしょうか」

「…私と魔力を交換してくれないか」

 「はい」と言ってみたのは相槌だ。了承したわけではない。慌てて「いえ」と続ける。「交換とはどういう?」

「もちろん全部ではなく一部になるが、お互いの魔力を交換することで、私は魔力の気配を変えることができるし、お前はより強い魔力を得ることになる…のだが、方法が厄介でな…つまり、昨日したようなことで交換するのが手っ取り早いというか」

 昨日したようなことで?

「い、今からですか? ここで?」

「そうなるが…どうだろうか」

 眠気はふっとんでいた。

「シュルッセル様はそれでいいんですか?」

「…いいからここにいる」
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