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翌朝
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暗い部屋で目を覚ます。一瞬、自分がどこにいるのかわからない。
あ、そっか。五十川さんの部屋だ。
眠る前についていた明かりは消え、タオルケットが身体にかかっていた。
上半身を起こし、がしがしと頭をかく。
まずい、あのまま寝てた。
室内を手探りで移動しリビングダイニングに向かった。四月に自分も寝ていたソファをのぞき込むと五十川さんが眠っている。
眼鏡はもちろんかけていない。口を半開きにしTシャツと短パンの無防備な寝相を晒していた。
俺は暗がりでも目敏く五十川さんの傍らにベティを見つけてしまい膝から崩れ落ちる。そのまま項垂れるしかない。
まじか!
一緒に寝ていると夜釣りのときに言っていたが、今の俺には目の毒だ。
なんだろう。ギャップか? ギャップにやられてるのか?!
フローリングに座り込みソファに頭を預ける。眠っている頬に手を伸ばしてはみたが触れていいものか悩む。
どう見ても相手は男で。贔屓目でみなくても整った顔立ちではあるが、ただの男の寝姿になにをそんなに惹かれるのか。
「はぁ…なんで好きなんだろ」
しだいにカーテンがぼんやりと明るくなっていく部屋で安らかな寝顔を見続けた。
怒った顔、戸惑った表情、驚いたり、気まずそうだったり、昨日の五十川さんを思い出していると飽きることがなかった。
少しだけ、と思って頬に触れる。
五十川さんからしてくれた押し付けるだけのキスを思い出す。
あんなの逆効果だろ。…今だって。
「なんでそんな平然と寝てるんですか。襲われかけてるんですよ、俺なんか叩き起こしてでも追い出さないと…」
もぞり、と五十川さんが身じろぎをする。Tシャツの裾がめくれ上り、腹部が露わになる。
ああ、ほら!
「何されたって文句は言えませんからね」
手がひどく熱い。堪え性のない自分が心底嫌になる。
「俺だって健全な二十代の男ですから……早くっ起きてください!」
自制心に負けそうで、五十川さんを揺り起こした。
「ん゛ー?」
「五十川さんっ起きて!」
「…ぁんだよ」
「早く起きないと、俺…」
「ぅるせぇなあ」
安らかだった表情はぐぐっと眉間にシワが寄ってしまう。薄っすらと開いた瞳で、多分、俺を見つけた。
「めがね…」
「え?」
「眼鏡、ローテーブルんとこ」
「ああ! はいっ」
俺はソファと平行に置かれているテーブルへ身体を向け、その上に置かれている眼鏡のシルエットへ手を伸ばした。目をこすりまだ眠そうな五十川さんへそれを渡す。
「何時? なに? …つか」
俺を見るなり、起こされて不機嫌そうな顔が一変する。
「っふ…」
拍子抜けしたような表情になったかと思うと、ソファでうつ伏せになって肩を揺らした。
…え? あれ? 笑ってる?
「な、なんで笑ってんすか!」
「はぁぁ、腹筋使ったぁ」
五十川さんはソファから起き上がって座り直す。
「お前がすっげぇ情けねぇツラしてたから」なんて言うのをまだフローリングに座っていた俺は放心して見上げた。
青天の霹靂。心臓を鷲掴みされたみたいだ。
「…反則」
「は?」
「五十川さん今、俺に気を許してるでしょう!」
「…はあ?」
「無自覚ですか!」
「なんだよ急に。つか、なに? わざわざ起こしといてそれ?」
「…襲いそうだったんで起こしました。それなのに…笑顔って…」
「襲うって、なぁ…しかも笑ったくらいで」
「危機管理がなってない!」
「はぁぁ、意味わかんね。朝から元気だな」
此の期に及んでわかってないのか。
俺はじっと五十川さんを見つめる。
「我慢しなきゃよかった…昨日も、さっきも」
「なに言って」と、あからさまに視線を外しソファから立ち去ろうとするのを引き止める。手首を掴んだまま自分も立ち上がり、背後から抱きしめた。
「五十川さん…」
腕の中の身体が強張るのを、力を入れて誤魔化した。
「気持ちいいこと、しませんか?」
腰に腕を回す。シャツの裾から手を入れ、肋骨をなぞってそのままたくし上げた。
「おい、やめろ」
「嫌です」
「後悔するぞ!」
「そう、ですね」
でも。行動しなかった後悔より、行動してしまった後悔のほうがマシだ。
耳たぶに吸い付き、舌を這わせる。
「ッう、わ」
期待で呼吸が浅くなる。暴走してしまいそうな情動を必死でなだめた。力任せに抱きしめて、腹部や胸元を探る。
「五十川さんもドキドキしてる」
「うるせえ、恐怖でだよ! やめろよまじで!」
「下も触っていい?」
「い、ヤだ…つってんのに! 聞く意味あんのかそれ!」
「ごめん」
短パンのうえからまだ柔らかいそれを手のひらで包み誘うように撫でる。
五十川さんのわずかな反応も逃したくなかった。
「やめる気ないくせに…謝んな」
「うん…ごめん」
「さっきから背中に当たってっし」
「うん」
「なにが楽しいんだよ、こんなこと!」
「…でも、かたくなってきましたね」
「だまれ」
隠しきれていない吐息の乱れがたまらない。力が抜け前屈みになる身体をソファに座らせた。
向き合うと五十川さんは真っ直ぐに俺を見た。逃げ腰だったさっきまでが嘘みたいだ。
見つめられるほど、無理やり自分の気持ちを押し付けていることが後ろめたくなる。
「…一緒に抜くだけ、ですから」
「そんな罪悪感滲ませるくらいならするなよ」
「だって…」
「止めるなら今だ」
ここまできて?
「やめ、れるわけ…ないでしょう」
俺は理性を放り投げ本能に従うことにした。
ベルトを外し張りつめた自分のものを扱く。見つめ合ったまま、ソファの背に左手をかけ、五十川さんの腿をまたいだ。
俺は互いのものを握り、欲望に忠実に腰を動かす。生々しい音が興奮に拍車をかける。
「はぁ…は…五十川さん」
指が俺のシャツを掴む。
「気持ちいいですか?」
快楽を孕んだ瞳が色っぽい。
吐息交じりに「弥田」と呼ばれると、なんかもう限界で。いろんなものが溢れた。具体的に上げるなら、精液と涙と気持ち。
「ぅわ…ちょ、今抱きついたら服が汚れるだろ! ばか!」
「うう…そんな冷静なところも好きです!」
「泣いてんの? まじで?」
五十川さんが笑っている。笑顔は見たいが、泣き顔を見られるのはかっこ悪い。
背中をあやすように叩かれ、「難儀な奴だな」と呆れたように言われた。
***
熱いシャワー浴びながら、俺の脳内には「雨降って地固まる」ということわざが浮かんだ。
キスをしようとしたら拒否されたけど。
いや、あれは拒否じゃなくて保留か。
「お前、昨日から歯磨きしてないだろ」と言われたら、じゃあ歯磨きすればオーケーということになる。
「風呂もまだだよな? 歯ブラシの替えあったと思うから…」
というわけで、俺は期待に悶々としながらシャワーを浴び、気合いを入れて歯磨きをした。
五十川さんが用意してくれたTシャツとジャージに着替えリビングダイニングに戻るとすっかり朝日が差し込んでいる。
「シャワーありがとうございました」
「ああ」
ローテーブルには朝食が並べられていた。
「食パン一枚しかなかったから半分な」
「…はい」
おずおずと向かいに座りながら、さっきの続きは?! と心の内で叫んだ。
「コーヒー、砂糖いる?」
「このままで平気です」
「牛乳は?」
「…ブラックで大丈夫です」
「ほらよ」
五十川さんは平然とした顔をしてトーストにかじりついた。
「いただきます」
目の前には半分のトーストとスクランブルエッグ、プチトマトがワンプレートに盛られている。
五十川さんが用意してくれたと思うとうれしい、うれしいがさっきの続きはどうなったのだろう。
俺はコーヒーに口をつけながら、正面で何事もなかったかのように朝食を食べる男を見た。
「五十川さん…」
「これ食ったら帰れよ」
「え!」
「なに?」
「あの…確認なんですけど」
「嫌だ」
「まだなにも言ってないじゃないですか!」
「確認されんのが嫌だ」
っな! なんでほんともう、この人は!
「俺、後悔してませんから」
「ふうん」
「もっと、ちゃんと…五十川さんのこと…抱いてみたいし」
「へえ」
「痛くないように、すっげえ丁寧にしますから!」
「言うのは簡単だよな、女抱くのとは違うだろ」
「前立腺、気持ちいいらしいですよ?」
「…興味ない。他のやつとすりゃいいじゃねえか」
「それじゃ意味がないんです!」
初耳みたいな顔をされて、どうして伝わらないんだろうと思う。
「五十川さんが好きだって言ってますよね? 足りませんか?」
「…とりあえず食え」
先に食べ終わった五十川さんは食器を持って立ち上がろうとする。
「逃げたって俺の気持ちは変わりませんからね」
「…急にいろいろ言われても気持ちがついてこねえよ」
五十川さんは困ったように言った。
自分のことばかり押し付けてるな。
「…すみません」
「せいぜい反省しろ」
俺はそれ以上引き止めることもできずトーストにかじりつく。
もそもそと食べていたが、はたと気づいた。
急がなければ、ゆっくりなら、俺の気持ちについてきてくれるって、ことか?
食器を洗い終わった五十川さんはソファへ戻ってきてテレビの電源を入れた。
局地的なゲリラ豪雨のニュースが流れている。
「待ちますね」
「は?」
「五十川さんが俺の気持ちに追いついてくれるまで」
「…そんな日はやってこねえかもな」
つれないことを言われるのも慣れてきた。
時間をかけよう。俺だってちゃんと五十川さんのことも考えられるのだ、と思ったのは一瞬。
「食い終わったなら帰れよ」などと言われ、俺の気持ちをみくびられている気がした。
「…キスしていいなら帰ります」
「待つって聞こえたのは空耳か」
「こういうのは慣れですから」
俺は五十川さんの隣に移動する。ものすごく嫌そうな顔をされているが、照れ隠しということにしておこう。
「心っ底、慣れたくねえ。近づくな」
足蹴にされたって負けない。
「大したことないですよ、昨日はしてくれたじゃないですか」
「調子に乗んな」
「まあまあ恥ずかしがらずに」
「っ恥ずかしがってねえよ!」
「それならほら、男らしくガツンとしましょう」
「ね?」と手を取ると、五十川さんは視線を泳がせる。
しばらく逡巡した後なにかを思いついたようで、「…目、閉じろ」と言った。
「え?」
「目ぇつぶればしてやるよ」
まじで!
「はい!」とうきうきして目蓋を閉じる。
「あ、手も離せ」
「…嫌です」
「離せよ」
「逃げる気でしょう」
無言なので図星だったらしい。
ああ、往生際が悪いなぁ。
躊躇していることすら愉しくて仕方ない。今の状況でなにを言われたって仔猫の猫パンチみたいなものだ。
どんな顔して迷ってんのかな。
大人しく言われたとおり目を閉じていたが、うんともすんとも反応がないのでさすがに痺れが切れてくる。
我慢ができずそろりと目蓋を開けると、五十川さんは難しい顔で考え込んでいた。
真面目なんだよな。
もはや、自分の好きという感情のポイントがどこにあるのかわからない。
「開けんなよ!」という口を問答無用で塞いでいた。
「っ」
唇が触れるだけじゃ足りなくて、離れようとす肩を引き寄せ舌をねじ込む。
「んなっ、んン」
真面目で、気難しくて、一筋縄ではいかない五十川さんの柔らかくて温かい内側。
もっと、奥まで。
角度を変え、舌を絡めて吸い付くたびに悦楽がぞくりぞくりと這い上がってくる。
「…っは」
「も、っいーかげんに」
「まだ」
「や、た…」
わざと唾液の音をたてて煽る。
俺の熱が移ったのか、握っていた五十川さんの手も熱を帯びていた。
やべ、やりてぇ。
このままなし崩しでイケる気がする。
唇をゆっくりと離して、困惑し涙目になっている五十川さんを見つめる。
どう誘おう。いや、誘ったってどうせ嫌って言われんだから、ここはなにも言わず…などと策を練っていると、「キスしたんだからもういいだろ」と信じられないことを言われた。
「帰れよ、自分で言ったよな?」
言いました。言いましたけど!
「でも」
「まじで帰って、無理だから」
声を上ずらせ早口でまくしたてる。
「なんなんだよお前…言うことやることめちゃくちゃすぎんだよ、ふざけんな」
「…ふざけてはないです、五十川さんの色香にこうくらくらと」
「っんなもんあるか! 待つって言ったくせに!」
急ぎすぎた、と思った。
「ご、ごめんなさい。我慢が、できなくて…」
耳を赤く染めた五十川さんが愛しくてムラっとくるのをぐっとこらえ、「帰ります」と言えた自分を褒め讃えたい。
あ、そっか。五十川さんの部屋だ。
眠る前についていた明かりは消え、タオルケットが身体にかかっていた。
上半身を起こし、がしがしと頭をかく。
まずい、あのまま寝てた。
室内を手探りで移動しリビングダイニングに向かった。四月に自分も寝ていたソファをのぞき込むと五十川さんが眠っている。
眼鏡はもちろんかけていない。口を半開きにしTシャツと短パンの無防備な寝相を晒していた。
俺は暗がりでも目敏く五十川さんの傍らにベティを見つけてしまい膝から崩れ落ちる。そのまま項垂れるしかない。
まじか!
一緒に寝ていると夜釣りのときに言っていたが、今の俺には目の毒だ。
なんだろう。ギャップか? ギャップにやられてるのか?!
フローリングに座り込みソファに頭を預ける。眠っている頬に手を伸ばしてはみたが触れていいものか悩む。
どう見ても相手は男で。贔屓目でみなくても整った顔立ちではあるが、ただの男の寝姿になにをそんなに惹かれるのか。
「はぁ…なんで好きなんだろ」
しだいにカーテンがぼんやりと明るくなっていく部屋で安らかな寝顔を見続けた。
怒った顔、戸惑った表情、驚いたり、気まずそうだったり、昨日の五十川さんを思い出していると飽きることがなかった。
少しだけ、と思って頬に触れる。
五十川さんからしてくれた押し付けるだけのキスを思い出す。
あんなの逆効果だろ。…今だって。
「なんでそんな平然と寝てるんですか。襲われかけてるんですよ、俺なんか叩き起こしてでも追い出さないと…」
もぞり、と五十川さんが身じろぎをする。Tシャツの裾がめくれ上り、腹部が露わになる。
ああ、ほら!
「何されたって文句は言えませんからね」
手がひどく熱い。堪え性のない自分が心底嫌になる。
「俺だって健全な二十代の男ですから……早くっ起きてください!」
自制心に負けそうで、五十川さんを揺り起こした。
「ん゛ー?」
「五十川さんっ起きて!」
「…ぁんだよ」
「早く起きないと、俺…」
「ぅるせぇなあ」
安らかだった表情はぐぐっと眉間にシワが寄ってしまう。薄っすらと開いた瞳で、多分、俺を見つけた。
「めがね…」
「え?」
「眼鏡、ローテーブルんとこ」
「ああ! はいっ」
俺はソファと平行に置かれているテーブルへ身体を向け、その上に置かれている眼鏡のシルエットへ手を伸ばした。目をこすりまだ眠そうな五十川さんへそれを渡す。
「何時? なに? …つか」
俺を見るなり、起こされて不機嫌そうな顔が一変する。
「っふ…」
拍子抜けしたような表情になったかと思うと、ソファでうつ伏せになって肩を揺らした。
…え? あれ? 笑ってる?
「な、なんで笑ってんすか!」
「はぁぁ、腹筋使ったぁ」
五十川さんはソファから起き上がって座り直す。
「お前がすっげぇ情けねぇツラしてたから」なんて言うのをまだフローリングに座っていた俺は放心して見上げた。
青天の霹靂。心臓を鷲掴みされたみたいだ。
「…反則」
「は?」
「五十川さん今、俺に気を許してるでしょう!」
「…はあ?」
「無自覚ですか!」
「なんだよ急に。つか、なに? わざわざ起こしといてそれ?」
「…襲いそうだったんで起こしました。それなのに…笑顔って…」
「襲うって、なぁ…しかも笑ったくらいで」
「危機管理がなってない!」
「はぁぁ、意味わかんね。朝から元気だな」
此の期に及んでわかってないのか。
俺はじっと五十川さんを見つめる。
「我慢しなきゃよかった…昨日も、さっきも」
「なに言って」と、あからさまに視線を外しソファから立ち去ろうとするのを引き止める。手首を掴んだまま自分も立ち上がり、背後から抱きしめた。
「五十川さん…」
腕の中の身体が強張るのを、力を入れて誤魔化した。
「気持ちいいこと、しませんか?」
腰に腕を回す。シャツの裾から手を入れ、肋骨をなぞってそのままたくし上げた。
「おい、やめろ」
「嫌です」
「後悔するぞ!」
「そう、ですね」
でも。行動しなかった後悔より、行動してしまった後悔のほうがマシだ。
耳たぶに吸い付き、舌を這わせる。
「ッう、わ」
期待で呼吸が浅くなる。暴走してしまいそうな情動を必死でなだめた。力任せに抱きしめて、腹部や胸元を探る。
「五十川さんもドキドキしてる」
「うるせえ、恐怖でだよ! やめろよまじで!」
「下も触っていい?」
「い、ヤだ…つってんのに! 聞く意味あんのかそれ!」
「ごめん」
短パンのうえからまだ柔らかいそれを手のひらで包み誘うように撫でる。
五十川さんのわずかな反応も逃したくなかった。
「やめる気ないくせに…謝んな」
「うん…ごめん」
「さっきから背中に当たってっし」
「うん」
「なにが楽しいんだよ、こんなこと!」
「…でも、かたくなってきましたね」
「だまれ」
隠しきれていない吐息の乱れがたまらない。力が抜け前屈みになる身体をソファに座らせた。
向き合うと五十川さんは真っ直ぐに俺を見た。逃げ腰だったさっきまでが嘘みたいだ。
見つめられるほど、無理やり自分の気持ちを押し付けていることが後ろめたくなる。
「…一緒に抜くだけ、ですから」
「そんな罪悪感滲ませるくらいならするなよ」
「だって…」
「止めるなら今だ」
ここまできて?
「やめ、れるわけ…ないでしょう」
俺は理性を放り投げ本能に従うことにした。
ベルトを外し張りつめた自分のものを扱く。見つめ合ったまま、ソファの背に左手をかけ、五十川さんの腿をまたいだ。
俺は互いのものを握り、欲望に忠実に腰を動かす。生々しい音が興奮に拍車をかける。
「はぁ…は…五十川さん」
指が俺のシャツを掴む。
「気持ちいいですか?」
快楽を孕んだ瞳が色っぽい。
吐息交じりに「弥田」と呼ばれると、なんかもう限界で。いろんなものが溢れた。具体的に上げるなら、精液と涙と気持ち。
「ぅわ…ちょ、今抱きついたら服が汚れるだろ! ばか!」
「うう…そんな冷静なところも好きです!」
「泣いてんの? まじで?」
五十川さんが笑っている。笑顔は見たいが、泣き顔を見られるのはかっこ悪い。
背中をあやすように叩かれ、「難儀な奴だな」と呆れたように言われた。
***
熱いシャワー浴びながら、俺の脳内には「雨降って地固まる」ということわざが浮かんだ。
キスをしようとしたら拒否されたけど。
いや、あれは拒否じゃなくて保留か。
「お前、昨日から歯磨きしてないだろ」と言われたら、じゃあ歯磨きすればオーケーということになる。
「風呂もまだだよな? 歯ブラシの替えあったと思うから…」
というわけで、俺は期待に悶々としながらシャワーを浴び、気合いを入れて歯磨きをした。
五十川さんが用意してくれたTシャツとジャージに着替えリビングダイニングに戻るとすっかり朝日が差し込んでいる。
「シャワーありがとうございました」
「ああ」
ローテーブルには朝食が並べられていた。
「食パン一枚しかなかったから半分な」
「…はい」
おずおずと向かいに座りながら、さっきの続きは?! と心の内で叫んだ。
「コーヒー、砂糖いる?」
「このままで平気です」
「牛乳は?」
「…ブラックで大丈夫です」
「ほらよ」
五十川さんは平然とした顔をしてトーストにかじりついた。
「いただきます」
目の前には半分のトーストとスクランブルエッグ、プチトマトがワンプレートに盛られている。
五十川さんが用意してくれたと思うとうれしい、うれしいがさっきの続きはどうなったのだろう。
俺はコーヒーに口をつけながら、正面で何事もなかったかのように朝食を食べる男を見た。
「五十川さん…」
「これ食ったら帰れよ」
「え!」
「なに?」
「あの…確認なんですけど」
「嫌だ」
「まだなにも言ってないじゃないですか!」
「確認されんのが嫌だ」
っな! なんでほんともう、この人は!
「俺、後悔してませんから」
「ふうん」
「もっと、ちゃんと…五十川さんのこと…抱いてみたいし」
「へえ」
「痛くないように、すっげえ丁寧にしますから!」
「言うのは簡単だよな、女抱くのとは違うだろ」
「前立腺、気持ちいいらしいですよ?」
「…興味ない。他のやつとすりゃいいじゃねえか」
「それじゃ意味がないんです!」
初耳みたいな顔をされて、どうして伝わらないんだろうと思う。
「五十川さんが好きだって言ってますよね? 足りませんか?」
「…とりあえず食え」
先に食べ終わった五十川さんは食器を持って立ち上がろうとする。
「逃げたって俺の気持ちは変わりませんからね」
「…急にいろいろ言われても気持ちがついてこねえよ」
五十川さんは困ったように言った。
自分のことばかり押し付けてるな。
「…すみません」
「せいぜい反省しろ」
俺はそれ以上引き止めることもできずトーストにかじりつく。
もそもそと食べていたが、はたと気づいた。
急がなければ、ゆっくりなら、俺の気持ちについてきてくれるって、ことか?
食器を洗い終わった五十川さんはソファへ戻ってきてテレビの電源を入れた。
局地的なゲリラ豪雨のニュースが流れている。
「待ちますね」
「は?」
「五十川さんが俺の気持ちに追いついてくれるまで」
「…そんな日はやってこねえかもな」
つれないことを言われるのも慣れてきた。
時間をかけよう。俺だってちゃんと五十川さんのことも考えられるのだ、と思ったのは一瞬。
「食い終わったなら帰れよ」などと言われ、俺の気持ちをみくびられている気がした。
「…キスしていいなら帰ります」
「待つって聞こえたのは空耳か」
「こういうのは慣れですから」
俺は五十川さんの隣に移動する。ものすごく嫌そうな顔をされているが、照れ隠しということにしておこう。
「心っ底、慣れたくねえ。近づくな」
足蹴にされたって負けない。
「大したことないですよ、昨日はしてくれたじゃないですか」
「調子に乗んな」
「まあまあ恥ずかしがらずに」
「っ恥ずかしがってねえよ!」
「それならほら、男らしくガツンとしましょう」
「ね?」と手を取ると、五十川さんは視線を泳がせる。
しばらく逡巡した後なにかを思いついたようで、「…目、閉じろ」と言った。
「え?」
「目ぇつぶればしてやるよ」
まじで!
「はい!」とうきうきして目蓋を閉じる。
「あ、手も離せ」
「…嫌です」
「離せよ」
「逃げる気でしょう」
無言なので図星だったらしい。
ああ、往生際が悪いなぁ。
躊躇していることすら愉しくて仕方ない。今の状況でなにを言われたって仔猫の猫パンチみたいなものだ。
どんな顔して迷ってんのかな。
大人しく言われたとおり目を閉じていたが、うんともすんとも反応がないのでさすがに痺れが切れてくる。
我慢ができずそろりと目蓋を開けると、五十川さんは難しい顔で考え込んでいた。
真面目なんだよな。
もはや、自分の好きという感情のポイントがどこにあるのかわからない。
「開けんなよ!」という口を問答無用で塞いでいた。
「っ」
唇が触れるだけじゃ足りなくて、離れようとす肩を引き寄せ舌をねじ込む。
「んなっ、んン」
真面目で、気難しくて、一筋縄ではいかない五十川さんの柔らかくて温かい内側。
もっと、奥まで。
角度を変え、舌を絡めて吸い付くたびに悦楽がぞくりぞくりと這い上がってくる。
「…っは」
「も、っいーかげんに」
「まだ」
「や、た…」
わざと唾液の音をたてて煽る。
俺の熱が移ったのか、握っていた五十川さんの手も熱を帯びていた。
やべ、やりてぇ。
このままなし崩しでイケる気がする。
唇をゆっくりと離して、困惑し涙目になっている五十川さんを見つめる。
どう誘おう。いや、誘ったってどうせ嫌って言われんだから、ここはなにも言わず…などと策を練っていると、「キスしたんだからもういいだろ」と信じられないことを言われた。
「帰れよ、自分で言ったよな?」
言いました。言いましたけど!
「でも」
「まじで帰って、無理だから」
声を上ずらせ早口でまくしたてる。
「なんなんだよお前…言うことやることめちゃくちゃすぎんだよ、ふざけんな」
「…ふざけてはないです、五十川さんの色香にこうくらくらと」
「っんなもんあるか! 待つって言ったくせに!」
急ぎすぎた、と思った。
「ご、ごめんなさい。我慢が、できなくて…」
耳を赤く染めた五十川さんが愛しくてムラっとくるのをぐっとこらえ、「帰ります」と言えた自分を褒め讃えたい。
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瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
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